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第一九五話    航空母艦と高位龍種 下

 

 

 




「……済まない、中尉。もう一度、報告を」

 トウカは通信機からの返答を携えた中尉に今一度、訊ねる。

 周囲の士官達も、貴官疲れているんだ、という視線を中尉の階級章を付けた通信士官へ向けている。伝令に命令を書き留めた紙を渡して伝達するのではなく、 通信を預かっている責任者である中尉が直に艦橋へ姿を現したのも、彼自身が受け入れられない事実であると理解したが所以であるかも知れない。大層と部下思 いなことである。

「接近中の航空騎はクロウ=クルワッハ公とのこと。着艦許可を求めております」

「……全幅は推定で五十m以上。翼が艦橋に接触する。無理だと伝えろ」

 内戦中に相対したアーダルベルトの神龍たる姿を思い出し、トウカは要請を切って捨てる。

 飛行甲板下に艦橋が埋め込まれた航空母艦であれば兎も角、〈モルゲンシュテルン〉型航空母艦は右舷中央付近の飛行甲板上に設置されている。着艦時に右翼はどうしても島型艦橋に接触する筈であった。

「その点に付いては何とかすると……」

「想定済みか……」

 既に伝達されていた文言を口にする通信士官を怒鳴り付けたい衝動に駆られたトウカ。先に言えとばかりに睨む。軍に於ける命令伝達は端的であるべきである。結果を先に伝え、後に要点を続ける。それこそが海軍軍人であるべきである。海兵とは拙速を尊ぶのだ。

「閣下、必要とあれば皇州同盟軍の権限として介入を拒絶できますが?」

「……許可せざるを得まい」

 シュタイエルハウゼンの“好意”にトウカは、無理だろうと溜息を一つ。

 クロウ=クルワッハ公爵を拒絶するという不寛容は作戦行動の最中であれば叶うかも知れない。しかし、現在の〈第一航空艦隊『サクラギ機動部隊』〉は名目 上、演習航海となっており、トウカも搭乗していない事となっている。新規編制の艦隊が演習航海を行うのは然して珍しいものではなく、あくまでも敵国に対す る作戦行動ではないという建前で艦隊は出撃しようとしていた。ここで作戦行動中に付き介入を拒否するという錦の御旗を掲げれば、作戦行動を宣言するに等し い。

 致命的である。

 空母機動部隊による航空攻撃は奇襲的な要素が重視される。その航空騎の高速力により奇襲的な効果が増大した故に、対応までの時間は極短時間となる防空戦 闘は高度な防空網の形成によってのみ対応できる。電探とそれに連動した対空砲に対空誘導弾を一元化して指揮統率できる演算装置。可能であれば、空母を含む なら艦上型の早期警戒騎も必要である。“飛行兵器”の高速化を見据え、現状で想定している駆逐艦による輪陣形では敵“機”の探知距離が近過ぎ、対処時間が 失われると推測できる。早期警戒可能な航空機の開発は必須であった。

 だが、そんなものは現状、一つとしてこの世界に存在しない。故に航空攻撃は先手を取れる。一方的な攻撃を相手に加える事が叶うのだ。

 しかし、空母機動部隊の行動が露呈した場合、話は変わる。祖国の歴史を知るトウカは、ミッドウェーの待ち伏せを忘れてはいない。防御力に劣る空母は酷く脆弱で、不意の襲撃には特に弱い。《大英帝国》海軍の様に敵主力艦と遭遇して忽ちに砲撃で撃沈された例もある。

 艦隊の作戦行動の内容が露呈する事は避けねばならないが、ここで作戦行動であると拒否した場合、下手な勘繰りを受けかねない。

「閣下……では、受け入れます。艦長!」

「はっ! 直ちに! 航海長、艦を風上に立てろ!」

 シュタイエルハウゼンの言葉に、顔を真っ青にした艦長が頷く。巨体を誇るアーダルベルトを着艦させるという出航から突然の難行には同情に値するものがあるが、トウカは致し方ないと艦長に敬礼する。艦長は汗を迸らせて答礼をして見せたが、緊張が表情に見て取れた。

 矢継ぎ早に指示を下す艦長から距離を置いたシュタイエルハウゼンが、トウカへと近付く。

「宜しいので?」

(くど)い。政敵であっても状況からして断れない」

 トウカは朗々と言葉を返す。敢えて政敵と明言する事で立場を明確にする。トウカは高位種に一歩も引かない姿勢を以て人間種からの絶大な信任を得ていた。それ故である。


 神は臆病な民族を原則として自由にして下さらぬ。


そう演説で嘯いた経緯もあって、トウカは高位種を相手に妥協の姿勢を見せる事は許されない。妥協と思われない配慮を以て協力を獲得するという難事が夢幻である以上、トウカは自らの力量を以て皇州同盟軍を統率して悉くを打ち払わねばならない。


 他人の力を頼りにしてはいけない。頼るべきものは、ただ己の力のみである。


 何故、こうなったのかと、トウカは常に考えている。歴史や時代の“もし”や“或るいは”を思考する事を好むが故に可能性の追求を苦行とは思わない性格も幸いした。

 結局、自身は幾度と機会を与えられても同じ(みち)を選択した。

天狐族の里であるライネケを匪賊から防衛するにも、マリアベルの死期にも、帝国の侵攻にも……合意形成による解決を行うだけの時間が用意されてはいなかっ た。強いて言うなれば、苛烈である事こそが活路なのだ。それで活路を見い出せないのであれば元より道などなかったという事になる。救済や防衛ではなく、報 復や反撃という手段に切り替えるしかない。泣き寝入りという選択肢はない。妥協に逃げ、抗議を怠る者の末路を大和民族であるトウカは良く理解していた。


 抗議しなければならない時に沈黙で罪を犯すのは臆病者だ。


「閣下は何時も直截(ちょくせつ)に過ぎますな」困ったお人ですな、とシュタイエルハウゼンが肩を竦める。

端的であればこその軍人であろうにとは思うが、トウカは政治や経済、民生、技術にまで口を挟んでいる為、シュタイエルハウゼンの言葉には反論し難いものがある。

「艦首を風上に立てました。最大戦速に到達」

「閣下ッ!」

 航海長からの報告に、艦長がシュタイエルハウゼンに近づく。

「やりたまえ」

 艦橋端の窓からアーダルベルトの様子を見上げたトウカの背に、幾つも命令が当たっては砕けた。











「狂ってるわよ、これ……」

 艦幅を越える巨大な神龍の接近に、リシアは頬を引き攣らせる。士官たる者、泰然自若と在らねばならないとは思うが、神龍の巨体が迫る中で冷静を保てと言 われては困難なものがある。リシアにとり幸いなことであるが、周囲の臨時陸戦隊も一様に顔が引き攣っており、中には胸に右手を当てて神々に祈祷している者 もいる為、その表情を窺う者はいない。

 リシアは、神龍の正体がアーダルベルトだと一目で察した。フェルゼンに於ける戦闘で神龍となったアーダルベルトの姿を直接目にした故である。七武五公の転化した姿は基本的に戦場で敵軍からの識別を困難と成さしめる為、非公開とされていた。伝承(フォークロア)を体現した者達も、正確な情報を朝野に流布させるとは限らないのだ。

 唯一、軍刀の柄を握り締めて恐怖に引き攣った中でも口元を歪ませた臨時陸戦隊次席指揮官であるオオカワチ中佐だけは武者震いであるかも知れないが、確認 する心算はリシアにない。小さな身長にか細い体躯から内戦中は指揮官先頭の精神を実践した将校でもあり、海兵でありながら陸戦に精通した戦上手でもあっ た。領邦軍艦隊時代、水雷戦隊の夜襲訓練で多重追突事故を起こした際、事故現場を早々に後にしようとした領邦軍艦隊司令官を「死傷者が多数出ているのに長 官だけ先に帰るとは何事か!」と抗議し、絶句した領邦軍艦隊司令官に代わって参謀長に謝罪させ、現場で事故対応に当たらせた猛者でもある。神龍であっても 抗してくれるに違いないとリシアは期待していた。

 一度、内戦末期に神龍となったアーダルベルトに、トウカを庇う為に立ち塞がったが、その際は恐怖よりも義務感が優越した。

恋という衝動は義務感に似ている。少なくともリシアはそう考えていた。熱意と意思を示す献身もなく恋心を口にしたところで意味がない。リシアにとって恋と は行動の結果によって生じる現象なのだ。一目惚れなどという現象も結局は一時的なもので、付随する要素がなければ刹那的なものに留まる。故に相手にとり価 値のある女となる要素を身に纏う努力を惜しんではならない。

「あの巨体が着艦すればどうなるでしょうねか、この艦」畜生め、神は今日も有給休暇か、と続けるオオカワチ。

「揚陸艦を改装した空母です。竜骨(キール)が圧し折れるやも知れませんね」

オオカワチの言葉に、リシアは引き攣った表情を一層と大きくする。有り得ることである。揚陸艦は端的に言えば商船構造をしている。戦闘艦の構造ではなく、陸上部隊の輸送と揚陸が主任務である以上、兵員や兵器の搭載は広い空間を必要とした。舷側空間部(バルジ)を追加したとはいえ、船体強度は商船程度に過ぎない。

「冗談……よね?」

「…………冗談、です。大佐」

 その間が何か訊ねたいが、既に神龍は着艦態勢に入っている。

 航空技術本部によって策定された着艦方法は、トウカが提案したものとは違う。着艦鉤(アレスティング・フック)で飛行甲板の着艦鋼索(アレスティング・ワイヤー)を 引っ掛けて急速に減速するという手法は航空騎に負担を掛けるとして早々に却下された。着艦制動装置にも魔術的な機構を用いない様は偏執的ですらあるという 意見すら噴出していた。トウカは「これは俺の知る方法であり、貴官らが他に方法を策定して欲しい」と口にしていた通り、あくまでも一例として挙げた心算で あったらしいものの、些か傷付いた表情をしていたと、リシアは又聞きしていた。

 皇州同盟軍航空技術本部によって策定された空母着艦の方法は、風魔術によって飛行甲板上に指向風を発生させ、着艦態勢に入った航空騎を減速させるという手法が選択された。次世代空母では、魔導障壁による飛行甲板の延伸と、艦首部の飛行甲板に魔導障壁で傾斜を設けた傾斜(スキージャンプ)飛行甲板を形成する事を意図した研究が続けられている。単純な構造問題に見えるが、艦の重心や強度、角度の問題から難航していた。

 無論、〈モルゲンシュテルン〉は実験艦であり、兵装や装置の情報収集を目的とした運用を当初では予定されていた。トウカはマリアベルをそう説得していた が、戦況の悪化はそれを赦さなかった。否、トウカはそれを予見していたのだろう。船体の完成した揚陸艦を空母へ改装する流れは迅速に行われた。他艦の優先 順位を押し退けて完成させたことからも分かる。

 リシアの身体を衝撃が襲う。浮き上がる身体が床から離れる。「ちょっと神様、有給取得率高すぎるんゃない」叫ぶリシア。

 艦橋構造物下部の艙口(ハッチ)付近の風防が設 置された待機場所で待機していた臨時陸戦隊の面々は、跳ね飛ばされて飛行甲板の端で奇妙な舞いを披露する羽目になる。その奇妙な舞いを披露する羽目になっ た一人のリシアの視界は、忽ちに神龍の巨体に満たされる。脚部に展開した魔導障壁と飛行甲板の魔導障壁が擦れた音を立て、艦首側からの突風が理臨時陸戦隊 の面々の軍帽を弾き飛ばした。

 神龍……アーダルベルトの着艦は酷く流麗なものであった。立場から訓練などしているとも思えないながらも、その着艦は一切の澱みも躊躇いも感じられない。だが、海面に押し付けられた〈モルゲンシュテルン〉は上下に酷く揺動を続けている。

 両翼を艦首からの突風に立て急減速するアーダルベルトだが、急速に迫る巨体の右翼が島型艦橋に迫る。

 「停止できない!」島型艦橋を見上げたリシアは悲鳴を上げる。

 軍人の悲鳴ではない。雌の悲鳴である。艦橋にはトウカが詰めている。このままでは艦橋諸共にトウカが押し潰されてしまうことは明白。

 リシアの視線の先……島型艦橋の窓にはトウカの横顔が見える。その顔は一心にアーダルベルトを見据えている。その横顔……口元に刻まれた感情だけが酷く印象的であった。

「嗤って……ッ!」声にならぬ声。トウカは島型艦橋の端で笑っていた。

 神龍の右翼が突如として跳ね上がる。アーダルベルトが右翼を掲げる様に跳ね上げ、島型艦橋上部の煙突部の天頂を掠める。

 〈モルゲンシュテルン〉の煙突は煙幕展張だけではなく、複数の効果を持っている。魔導機関への魔力吸入に加えて、放熱を兼ねている配管が通っており、そ れに海水吹き付けて温度を下げるという手法の為に取り付けられていた。軍艦の高性能な魔導機関は全力稼働時には激しい排熱に見舞われるが、その際、舷側部 から取り入れられる循環水で艦尾側水面に吹き出す。その排熱よって海面から生じる水蒸気で航空騎の着艦が妨げられる可能性を考慮した結果であった。

 リシアは吹き払われた排熱の気配を肌に感じつつも、佩用した曲剣(サーベル)の柄を握り締め、翼を風に立てる事で急減速を始めた神龍へと走る。後に続く臨時陸戦隊。正体が判明したとはいえ、宮廷序列が軍閥たる皇州同盟軍に威勢を示す様を生じさせる訳にはいかない事を、リシアは理解していた。

「神龍を半包囲! 魔導士は障壁展開! 自動砲はないの!?」

「大佐、二番高角砲を用意させとります!」

 オオカワチの言葉に、リシアは手を背後に差し出して待機を伝える。

 高角砲……陸軍の定義で言う処の高射砲であるが、その威力は精々が野戦砲の中砲程度のものである。極至近距離で大口径の列車砲の直撃を受けても致命傷とはならない相手に、一三cm程度の“豆鉄砲”が有効である筈もない。

 小走りで駆けるリシアは、魔導障壁同士が擦れる耳障りな音を捨て置き、停止し掛けた神龍へと迫る。

 艦首部から三〇m辺りで停止した神龍は、着艦規定では大幅に超過しているが、そもそも超大型騎が着艦するには全長も全幅も足りない。着艦に成功しただけでも歴史に残るであろう偉業である。

 完全に停止した神龍の巨体に気圧されながらも臨時陸戦隊の面々が、神龍を半包囲する。その動作は陸戦に疎い水兵から抽出された部隊であるが故に動きが遅い。

 右舷を航行する〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦、艦首の識別番号からみて三番艦の〈ラントグラーフ・ブルクヴィンケル〉であろう重巡が、艦首に集 中配置した四基の二〇㎝三連装砲を龍神に指向している。それでも尚、火力不足は明白だが、ここに改修中の〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻の火力が加わっ ても同様である。

「ハルティカイネン大佐か……久しいな」

 頭上から降ってきた声。龍の吐息がリシアの紫苑色の長髪を揺らす。正直に言えば臭い。リシアは流麗な眉を跳ね上げた。

「失礼、事の概要をお聞きしたいのですが、取り敢えず口臭が酷いのでヒトの身形(みなり)に戻って頂けますか、クロウ=クルワッハ公爵閣下」

 曲剣(サーベル)を保持していない右手で鼻先を覆う仕草を見せる。或いはヒトの身形に戻っても口臭が臭う可能性は捨て切れないが、少なくとも体積の問題から被害範囲は低減できる。年頃の娘が親父に苦労する理由を体験する羽目になったがゆえに舌鋒に容赦はない。

 オオカワチが吹き出し、周囲の臨時陸戦隊の面々は何とも言えない表情を維持している。続いて笑声を零す事で上官に追従すべきか、神龍の権威の前に神妙な表情を維持すべきかという逡巡が見て取れた。少なくとも怖れは霧散している。

 顔を顰めた?様にも思える神龍。長い髭は垂れ下がり、喉を鳴らす様は妙に愛嬌が感じられる。大蜥蜴と嘯くトウカの心情を理解できないでもない。

「むぅ、では……取り敢えず降りよ、狐の姫よ」

「えっと、有り難うございました?」

 リシアはその声に頬を引き攣らせる。なんて事だ。神様を無職にしてやると、神龍の頭部から窺える狐の尻尾を睨む。

 次の瞬間には神龍の頭部から一息に宙を舞う仔狐。着地の衝撃を和らげる為か神龍の髭を掴んで振り子の様にリシアの眼前を過ぎ去り、再び戻ってくる仔狐。そこをリシアが抱き留める。

「リシアっ、私も乗艦するねっ!」

「あ、貴女っ……分かってるのっ!? なんてことっ!」泳いで帰れと叫ぼうとするが言葉が出ないリシア。

 ミユキがこの場にいるのは好ましい事ではないが、致命的な問題ではない。トウカも眉を顰めるであろうが。問題はアーダルベルトと共にやってきたという事実は致命的である。

 それはつまり、皇州同盟軍の陣中に在るミユキを連れ出したという事に他ならない。アーダルベルトがミユキを連れ去る事ができるという事実に対して、トウカが如何様(いかよう)に考えるか、リシアは背筋に氷柱を押し当てられたかの様な錯覚に襲われた。

 相手がその行動を可能とするだけの能力を持ち合わせている。それだけでトウカは脅威を抱く。相手の意思ではなく能力を重視して是非を判断するトウカであるからこそ、アーダルベルトがミユキを連れ出したという事実は覆らない。

 剣聖ッ! 何の為の貴女よ! 役立たずっ。

 ミユキがベルセリカの近くに留め置かれたのは、身辺警護を万全ならしめるという意味が含まれていた事は明白。北部統合軍時代から参謀本部や情報部の出入 りを許したのは、厳重な警備体制の建造物内に留め置けるのであれば悪くはないという打算ゆえであったと容易に推測できた。シュットガル=ロンメル子爵領で すら島嶼であり、警護上は極めて扱い易い立地であることから、仔狐の楽園という側面があったと見做す事もできる。

 しかし、今この時、仔狐が政敵の背に乗って現れた。トウカの作り上げた堅固な揺り籠が崩れた。

「何てこと……最悪」

 駆けてきたミユキを抱き止めたまま、リシアは後ずさる。艦橋から見下ろしているであろうトウカに振り返る勇気がリシアにはなかった。彼の為ならば女の世 話でもしてやろうと、それで彼の傍に在る事が赦されるのであれば安いものと己を“取り敢えず”は感情に折り合いを付けたリシアだが、最初の事案がこの有様 では堪ったものではない。

「だって、リシアだけ船旅なんて狡いもん! 私だって船旅したいっ!」

 最悪という言葉を間違った意味で受け取ったミユキ。抱き止めたミユキの背後え揺れる金色の尻尾を両手で掴み、リシアはミユキの非難の声も無視して引き剥がす。

「ふむ、良いことだ。子女は健やかにして仲睦まじく在るべき故な」

 左の頬を擦りながらも、アーアルベルトが父親が娘に向けるかの様な眼差しを仔狐と紫苑色の髪の少女へと向ける。左の頬が腫れているのは、ミユキが引っ張って降りた髭の影響であった。

 ミユキを放置し、リシアはいつの間にかヒトの身形へと戻ったアーダルベルトと相対する。

「着艦を望まれた理由をお聞き致します」

「ここでは言えん。それに、貴官も知らぬだろう?」

 何が、とは問わない。そう、リシアは〈第一航空艦隊『サクラギ機動部隊』〉の作戦行動を知らされてはいない。下手に問う事は情報漏洩を招くと思い当り、リシアは歯噛みする。

 リシアは掛けてきた伝令兵が「サクラギ上級大将が御招きせよ、と」と囁いた事で問題を棚上げせざるを得なかった。

 敬礼を以て歓迎するリシア。その合図と共に、臨時陸戦隊は捧げ筒の姿勢を取る。外洋に出れば国家の領土と認識される艦艇では国内外問わず要人を迎える可能性が常にあり、儀仗に関しては良く訓練されていた。

「乗艦許可、感謝する」アーダルベルトの答礼。

 リシアは案内の為、アーダルベルトを先導する。

 飛行甲板を歩くリシアは務めて艦橋を見上げぬ様に様に注意しながら艦内へと続く艙口(ハッチ)を目指した。








「クロウ=クルワッハ公爵閣下、御用向きは如何(いか)なるものでしょうか?」

 トウカは膝に乗せたミユキを逃がさぬ様に抱きしめながらも問う。

 〈モルゲンシュテルン〉艦内に設置された作戦会議室、その中央に置かれた硬質な鉄製の長机を挟んで二人は向かい合う。本来、公爵位保有者相手であれば形 だけ上座を譲る姿勢を見せるのが通例であるが、トウカはそんなものは知らんとばかりに上座に座るトウカ。リシアはさも当然の様にトウカの背後に控え、シュ タイエルハウゼンは上座に近い位置に座る。

 対するアーダルベルトは然したる言葉も仕草もなく下座へと座する。

 商船建造に多大な実績のあるアイゼンホルスト造船によって設計されただけあり、随所に軍艦らしからぬ乗員への配慮が窺える造りの〈モルゲンシュテルン〉 のそれは、建造中の揚陸艦を転用した今でも変わらない。よって来賓は貴賓室へと案内すべきであるが、トウカはそれを跳ね除けた。

 トウカは右派勢力の信頼を勝ち得つつあるが、それは自勢力の主張に否定的な者に対する寛容性を制限されたに等しい。そして、信頼を確固たるものとしてい るとは言い難いと考えているトウカは常に強硬姿勢を強いられていた。無論、それは戦時下であるが故であり、不都合は許容できる程度でしかない。

本来、国難に在っては左翼であれ右翼であれ銃を手に取り戦野に赴くのが一般的であり、皇国も同様である。故に敵前で政治思想を語り合う無駄をしない。故に トウカは戦時下であることを望んでいる。自国の権益や尊厳、財産を損なっても他国に迎合する日本の左派勢力は異世界の諸国を見ても異端である。

「なに、中々面白そうな動きをしているからな。私も船旅に同行しようと思ったのだよ」

 紳士然とした服装でずるずると湯呑で黒茶を啜る様には違和感しかないが、紛れもなくアーダルベルトは戦略兵器なのだ。

「護衛もなく、小官の副官を連れて、ですか?」

 五公爵の戦闘能力を踏まえれば単独での展開も可能であると、トウカは判断していたし、いざとなれば阻止し得る術はないと覚悟もしていた。核砲弾搭載の原子力戦艦と核誘導弾搭載の戦略爆撃機の性能を併せ持ったかの様なアーダルベルト相手であれば尚更である。

「ふむ、問題かね? 貴官がドラッヘンフェルス高地の戦線を部下に任せ、航空騎を集中運用する艦を中心に艦隊を編制したと聞いて駆け付けたのだが。まぁ、現場確認で訪れた際、狐の姫君にせがまれてな。髭を引っ張られては堪らん」

 ミユキの独断という事になる。

「両方の髭を掴んで私が操縦したんですよ、主様」腕中にあるミユキの無邪気な言葉。

神龍の髭を引っ張って仔狐が空を飛ぶ。前代未聞であろう珍事にトウカは宙を仰ぐ。ミユキの様子からして、ミユキが訪れたのはアーダルベルト主導ではなかっ た事は明白。偶々、見つけた大蜥蜴に飛び乗ったのだろう。重大な問題ではあるが、ミユキが自らの意思で選択した行動に、トウカが文句を付けられるはずもな い。ライネケを襲撃した匪賊とは違い、表面上は脅威ではない相手への警戒を説いたところで受け入れられるとは思えない。

 何より、自由気儘な有様こそがミユキである。その点を制限してしまえば、ミユキは元気を失くすであろうし、自身の元を去ってしまうのではないかと、トウカは恐れていた。

「なに、神話の様で悪い気はせん」

 トウカは首を傾げる。リシアがトウカの背後から耳打ちする。

「建国神話に御座います、閣下。狐の巫女が神龍の両髭を掴んで騎乗、初代天帝陛下の元へと駆け付けた逸話の事かと」

 初代天帝陛下の管理不行き届きである。無論、トウカは自身がそれに罵声を浴びせられる立場にない事は理解していた。無論、眼前に姿を見せれば“つい”蹴りの一発でも見舞うであろうが。

「護衛を伴わない点も再現なされたのですか?」

「私に護衛が必要と言うのかね?」アーダルベルトの返答。

 トウカは一笑に付して、アーダルベルトの左手に視線を流す。机に接触した際の音を聞く限り鋼鉄製であろう義手は、手の辺りが礼装用の手袋に覆われていて 詳しくは分からない。だが、少なくとも魔導技術によって指先までもが精密に動作する義手であることは、湯呑を手に取った際の動作で推し量れる。

「いえ、戦時下です。弾頭を神剣にした砲弾を装填した列車砲が何処に潜んでいるか分からぬご時世と言えますゆえ」

 左手を吹き飛ばされた事を忘れたのかというトウカの迂遠な問いに、アーダルベルトは笑声を零す。瞳は笑ってはいない。

「まぁ、世界を滅ぼさずに済んでよかった」

 ミユキを奪われては最早、常道などない。

「……ほぅ、貴様にそれを成せる、と」

 アーダルベルトは湯呑を机に置いて、トウカを見据える。興味と疑念を隠さない視線。トウカも偽る心算など毛頭ない。

「直ぐには無理でしょう。ですが、いずれ世界を汚染してヒトを死滅させる悲劇を用意する事は論文一つで可能です」

 相対性理論の論文を学会に投げつけるなどという回り諄い真似はしない。核分裂反応や製造設備へ直接言及した論文を世界に公開する腹心算であった。概要はトウカも学んでいる。相対性理論では迂遠に過ぎる。

 自身の論文であれば世界は信じざるを得ないと、トウカは踏んでいた。アインシュタイン博士は大統領宛に原子力の軍事的利用を訴える手紙を出したが、彼は シオニストの傾向と平和主義的言動から機密保持に難があると判断された。後年のマンハッタン計画には参加を求められなかったが、トウカは違う。少なくとも 軍事全般に基づく知識であれば、大多数が信を置かざるを得ない程の成果を残している。

 破滅主義的な発想とも思えるトウカの思考だが、冷戦状態の大日連国民としては決して少数派ではない。一方的に撃たれるならば、全力で撃ち返して勝者なき 戦争にするという決意。勝てないならば相打ちにという発想は、相互破壊確証下での体制が半世紀以上も続いている世界では普遍性を伴うものですらあった。

 人類の英知、ここに極まれりである。

 睨み合う龍の公爵と異邦人。

 それを遮ったのは、リシアの進言であった。









「閣下。最早、クルワッハ公を排除して作戦行動を行うのが不可能なのは明白。ここは同行させた上で作戦に協力していただくべきかと」

 リシアは再び顔を近づけて耳打ちしようとしたが、ミユキの尻尾に阻まれ、それでもめげずに咳き込みながらも進言を終える。

 トウカは振り向かない。表情を見て取る事はできず、思案の内容など推測できるはずもない。

 自身の発言の危険性をリシアは十分に理解している。アーダルベルトに利する発言を行えば、嫌に自身に好意的なアーダルベルトの態度も相まって内通を疑わ れるのではないかという懸念がある。自身が神龍の最愛のヒトの|生命の二重螺旋(DNA)を元に形作られた事を知るリシアは、クロウ=クルワッハ公爵家に 近しいと思われる事を危険視していた。マリアベルが排斥された様に自身も排斥される可能性がある。マリアベルがそうであった様に。マリアベルの母であるエ ルリシアもまた半端者を産んだとして極めて否定的に見られている。その血が再びクロウ=クルワッハ公爵家に入る事を恐れる者達による暗殺も有り得た。

「現実的な案だな。不愉快だが……貴官が冷静で助かる」

「いえ、恐縮です。閣下」

 トウカの言葉に驚きを感じつつも一礼するが、その表情は窺えない。ミユキの処遇に作戦計画という二つの難題に対する検討考察が胸中を満たしている事は間違いない。溢れ出ればどの様な言葉が漏れてくるか、リシアは恐れていた。

 先程の“世界を滅ぼす事は可能である”という発言は最たるものである。その声音に、リシアは確定事項であるという決意を感じ取った。航空戦術に機甲戦、 そして圧倒的不利な内戦を引き分けに持ち込んだ戦術と戦略。将来的な艦隊運用や各種技術開発への提言などを踏まえれば、トウカは可能性の塊である。

 その可能性の中に世界を滅ぼし得る発想や技術があったとしても、リシアは驚かない。必要な時、必要な発想や思想、技術を用意するのがトウカである。

 ーー酷いこと。でも、そうよ、貴方はそうあるべきよ。

 愛した男がどの様な形であれ世界を望むなら、女はそれを誇りに思うべきだ。総てを相手にしようと嘯く男を想わずして良い女とは言えない。リシアは奮い立つ。遠く彼方にあればある程に、彼女は恋い焦がれるのだ。近くに在ろうと命を燃やす。

「司令部を呼集。些か早いが、作戦計画を公開する」

 トウカの命令を了承し、壁の艦内通信で艦隊司令部の面々を招集するリシアは胸を躍らせた。航空騎を集中運用する航空母艦を基幹とした艦隊と搭載された高位種による航空部隊。大凡の想像は付くが、本当に成せるのかという疑念は付き纏う。

 アーダルベルトは早々に口を開く。艦隊司令部の面々など待ちはしない。

「グレンゲリスクか?」大規模な軍港として有名な地名を挙げるアーダルベルト。

《スヴァルーシ統一帝国》海軍の要衝であるグレンゲリスクは帝国東部に位置する大規模な軍港である。皇国海軍と直接干戈を交える事の多い帝国海軍第五辺境艦隊の根拠地で、エスタンジア沖での艦隊戦で一部の艦隊を喪ったが未だに強大な戦力を有していた。

 妥当な攻撃目標である。通常の艦隊では気付かれずに接近する事は難しいが、空母艦載騎であれば遠方から空襲可能であり、索敵網を突破できる可能性があ る。哨戒騎を積極的に要撃できるという利点は大きい。直前まで発見を避ける事が可能で、同時に近海では索敵騎によって哨戒艇を排除しながら艦隊を航行させ ることができる。

 トウカは、アーダルベルトの言葉に肩を竦める。

 そして宣言する。


「帝都、イヴァングラードです」


 危うく声を漏らさなかったリシアだが、代わりにシュタイエルハウゼンが唸り、アーダルベルトは湯呑を握り潰す。黒茶の水滴が机から垂れ落ちる音だけが作戦会議室に響いた。

「……馬鹿な……正気か?」

「あの忌々しいドーリットルの真似事は甚だ癪に障りますが、まぁ、あれとは違って成功するでしょう。防空網は皆無に等しい」

 リシアはトウカの言葉の内容を計りかねたが、同じ様な作戦は過去にも実施されたと取れる。

 ドーリットル空襲。

 大東亜戦争緒戦、〈ヨークタウン〉級航空母艦二隻を基幹とするハルゼー提督指揮下の亜米利加(アメリカ)海軍機動部隊が太平洋を横断して日本列島東方海域に到達。一隻の航空母艦より露天繋止していた“陸上爆撃機”を一六機発進させ、《大日本帝国》に対する初の本土攻撃を実施した一連の空襲を指す。

 軍事的効果よりも敵国本土を空襲するという政治的演出による効果を主眼としている点もからも分かる通り、トウカの作戦はドーリットル空襲の先例に基づくところ大なるものがあった。無論、作戦会議室にそれを知る者はトウカしかいない。

 リシアはトウカの軍事に対する概念を理解しつつあった。

 彼は常に敵の要衝を短時間で襲撃する事を念頭に置いていた。迂回突破や浸透戦術の華々しい戦果で装甲部隊ですらも誤解されつつあるが、装甲部隊の目指す先は究極的には敵国の要衝であり、それは首都も含まれる。

 航空騎も装甲部隊も敵国の要衝を直撃する余りにも迅速で阻止し難い攻撃手段である。射程と運用に多大な難がある大規模魔術に代わる新たな形の戦略兵器と言えた。

「貴方にも参加してもらいます。まさか、着艦が出来て発艦ができないとは言わないでしょう。答えを聞いた貴方を下艦させる事はもうできない」

 トウカの声音は震えもなければ、感情も乗せられてはいない。

 敵国の首都を奇襲的に直撃する都合上、機密保持の重要性は他作戦にも増して重視されねばならない。リシアにも分かる理論であるが、トウカや皇州同盟軍 は、アーダルベルトの参加を、或いは退艦を拒否できるだけの強制力を持ってはいなかった。最悪、〈モルゲンシュテルン〉艦上で神龍と怪獣大決戦となる可能 性がある。

 アーダルベルトは暫くの沈黙の後、小さな笑声を零す。

「……帝国を本気にさせる事になるな」

「既に本気かと。南部の一部は既に本土空襲に晒されました」当のトウカが言うのだから間違いはない。

 エカテリンブルクへの爆撃は政治的効果を意図したものであったが、他の三都市は違った。灰燼と帰したのだ。余りにも激しい大火に見舞われて数多くの民間人が死亡し、死者数すら把握できていないという現状である。

 帝国の面子は完全に損なわれた。前線に近い都市ではなく、白亜都市の異名を持つエカテリンブルクを戦火に晒し、策源地として有望な三都市が失われた事実 は大きい。専制君主制の侵略国家である以上、面子が失われては既存の外交姿勢を維持できない。任侠者が一家の看板を背負わず、企業相手に恫喝が成せない様 に。揺るぎな強大な軍事力という看板が傷付けられた以上、その汚名は可及的速やかに濯がねばならない。

 既に帝国主義者一同は本気である。

「いいだろう。協力してやる。中々に愉快な作戦ではないか」

 アーアルベルトが頬を歪める。その伊達者と評して差し支えない容貌が無邪気に歪む様に、シュタイエルハウゼンが口を開けて驚きを隠さない。厳格な人物とされるが故であるが、リシアは意外と感情的な人物であると知るので驚きを示すことはない。

「公爵閣下であれば、そう言われると確信しておりました。……これで龍種の種族的地位は虎種や狼種にも勝るものとなるでしょう。狙い通りかと」

「なんだ、気付いていたのか。可愛げのない小僧だ。まぁ、それが狙いであった事は否定せぬが」

 神龍と異邦人が苦笑する。リシアはその遣り取りに、七武五公や中央貴族の意向ではなく、龍種の頂点に立つクロウ=クルワッハ公爵家としてアーダルベルト が訪れたのだと納得した。この際、七武五公や中央貴族の動向は関係なく、龍種の利益のみがアーアルベルトとトウカの間で共通していれば協力関係を形成でき るのだ。二人は事前協議を以て連携している訳ではないが、互いの規定事実を既に認識していた。

 リシアは胃を鷲掴みにされたかの様な圧迫感に襲われた。トウカは、アーダルベルトが〈モルゲンシュテルン〉に訪れて作戦会議室に入室するまでの短時間で その思惑を推察し切ったのだ。その時間は三〇分もなかったで筈であり、トウカがアーダルベルトなどの七武五公と政治的に伍する事を意味する。人間種の二十 歳に満たない若者が何百、何千と年を重ねた高位種と政治で互角に争う様を見せつけられれば当然である。

「まぁ、貴方一人であれば大陸間戦略爆撃騎となりましょうが、それでは意味がない。一つ貸しですよ?」

 トウカはミユキの頭を軍帽の上から撫でると、膝上から退かせる。トウカの後ろ……リシアの隣に立ったミユキが左の狐耳を揺らす。どうだと言わんばかりのミユキの態度に、リシアは不愉快になったので尻尾を引っ張って黙らせる。

「随分と高い船賃になりそうだ。他の龍種も安定的に活躍できる戦い方を見せねばならん。渡りに船と言えるな」

「実際に船ですよ、公爵閣下」

 二人の言葉から察するに、アーダルベルトのみの活躍では特別扱いをされ、龍種の隆盛を印象付けられないからであろう。唯一といえる高性能を持つアーアル ベルトによる戦果でなく、複数といる龍種による戦果であれば、他の者にも可能であると印象付けられる。その行動を支援したという実績を以て、アーダルベル トは龍種から一層の求心力を得る心算であろうと、リシアは口元を引き締める。トウカはそれすらも読んでいるだろう。

 ぞろぞろと作戦会議室に入室する艦隊司令部の面々で、作戦会議室の椅子が埋まる。その中で二人は視線を逸らさずに言葉を重ねる。

「航空部隊を統括する新たな軍……龍軍の創設を私は望んでいる」

 アーアルベルトの行き成りの言葉に、艦隊司令部の面々が顔を見合わせる。建国以来の四軍体制は、陸軍に海軍、近衛軍、領邦軍からなる。そこに新たに龍軍を創設する。話題としても影響としても絶大なるものがある。

「“空軍”ですか? まぁ、小官は反対の立場を取らせて貰いますが」

「……意外だ。龍種の割り当てを気にしてか? いや、当家の権勢拡大を警戒してか?」驚いたという表情をして見せるアーダルベルト。

 リシアも驚いた。七武五公内で龍種のみを絞って離間の計を巡らせる切っ掛けになると見たからである。アーダルベルトも対応はする心算であろうが、航空騎 に関する運用全般に関しては皇州同盟軍に一日の長がある。龍軍、或いは空軍の創設には協力が不可欠となろう事は疑いない。客観的に龍種と皇州同盟の仲が深 化する状況そのものは事実であり、それを以て揺さぶる行為自体はアーダルベルトにも防ぎ難い筈である。リシアはその様に考えた。

 トウカは首を振る。政治などどうでも良い、と。

「航空騎は広域哨戒と航空攻撃こそが任務。強大な打撃力だが、永続的に土地を占領するには陸軍の歩兵戦力が必要で、海域の維持は海軍艦艇が必要となる。主 力に見えて主力ではない。行政として単独で成立してしまえば陸上戦力や海上戦力への支援という面を軽視し始めかねない。そう考えます」

 彼らが陸海軍に必要な航空騎を配備するかという点を、トウカは酷く不安視している様子が窺える。

「例えばの話ですが、近接航空支援に本当に必要なのは、持続的な上空支援が可能な装備と頑丈な装甲です。高価で爆撃による短時間の上空支援しかできない高性能騎ではないとします。その際、空軍は確実に前者の意見を取り入れて新型騎を配備すると思いますか?」

 速度などの性能や将来的に生じるであろう要素。それらを求めて現在の前線で必要とされる装備を調達しないのではないか。そうトウカは危惧しているのだ。

「将来の国防に影を落とす真似はできない。陸海空の戦力に依る高度な連携こそが今後は肝要。不確定要素は排するべきかと」

「では、陸海龍の三軍の上に上位の司令部を作ってはどうだ?」

 尚も食い下がるアーダルベルト。リシアはその案を以て切り返す様に、これが高位種かと息を飲む。三軍の運用を統一した司令部の下で行えば、トウカが先程口にした“陸海空の戦力に依る高度な連携”に対して非常に有効である筈であった。

「新たな主導権争いの舞台となりかねない。反対です。シュタイエルハウゼン提督。総指揮を執るのが将軍であっても貴方は、疑問と不信なく戦えるか?」

「それは……」

 それを支える人材があれば能力的には問題はないかも知れないが、感情論として門外漢の者を最上位に据える真似に不信感を抱く者は少なくないかも知れない。特に兵士は実績を重視し、能力も定かではない者には寛容ではない。

「サクラギ上級大将、貴方なら三軍総てが疑問も不信もなく従われるかと」

 そうリシアは口を挟んだ。上の階級を持つ二人の会話に口を挟むのは褒められた行為ではないが、リシアは心の底よりそう思えた。

 航空戦術を運用し、領邦軍艦隊を運用し、陸戦では装甲部隊を以て神出鬼没の戦闘を繰り広げた。三軍への理解という面をみれば、世界的に見ても珍しい実績のある指揮官である。その上、三軍を諸兵科連合(コンバイントアームズ)編成の様に運用する能力もあり、明確な展望(ビジョン)を持っており、実現するのであれば一番理解する者が頂点に立つのが効率的である。

 トウカは失笑を零した。

「その場合、能力ではなく。人柄と人望が問題となるな」

「主様、それ自分で言っちゃ駄目ですよぅ……」

 ミユキは尻尾を垂らして溜息を一つ。艦隊司令部の面々も深く頷いた。

「言葉が足りなかったな。内戦で被害を拡大させた者を上に置いては、内戦を戦い抜いた陸海軍の一部から猛烈な反発を生むという意味だ」

 道理である。兵器の永久貸与や共同開発、教導から利点ありと融和姿勢を取る陸海軍と皇州同盟軍あが、干戈を交えた事実は消えず戦死者も双方共に多数に上 る。現に両軍による乱闘騒ぎは内戦終結後も幾度も発生していた。トウカもまた皇州同盟軍部隊を、陸軍部隊から距離を置いて運用している。遺恨は早々に消え ない。国防上の困難から棚上げされているだけに過ぎず、切っ掛けがあれば不満に火が付く事は容易に想像できる。トウカの意見がエルライン要塞司令部に受け 入れられなかった様を直に見たリシアであれば尚更である。

 リシアは受け入れられる可能性のない進言を恥じて謝罪する。

「よい、疑問はその場で解消するに限る。疑問を放置するのでは参謀とは言えない」

 トウカが艦隊司令部の参謀である面々を一瞥する。質問を躊躇うなという意味である事は明白であった。彼らもまたマリアベルという暴君の精神的継承者であるトウカを畏れている。

「ところで私が協力を拒否したらどうする心算であった?」

「……貴方が拒否するなら本艦は将旗を移した後、砲撃処分されます。公式見解では貴方が暴れたという事になりますが」

「乗員諸共か? いや、それは貴官の立場では言えんか」

「無論、冗談です。……そう顔を青くするなよ、諸君。俺はそれ程に信を置けんか?」

 艦隊司令部の面々が何とも言えない表情を見せる。冗談と受け取るには些かトウカには苛烈に過ぎる実績が有り過ぎる。是非は別としても極論すらも有言実行 を成した実績があるからこそ、トウカの発言に対して諸勢力は極めて敏感であった。良くも悪くも自らの発言に対して真摯であるという評価は、発言による恫喝 に信憑性を与えている。

 無論、リシアは確実性に欠ける情報はラムケやエップが分担して対外的に発言している事を理解していた。トウカは常に自ら確実視した展開の際しか見解を口 にしない。皇州同盟という組織は、トウカという偶像を演出する舞台装置でもあるのだ。卑怯とも卑劣とも言う者はいるかも知れないが、それが政治である。


 期待される政治家とは、明日なにが起きるかを国民に予告できなくてはならない。そして、次の日、何故自分の予言通りにならなかったかを国民に納得させる能力がなくてはならないのだ。


 そう口にした為政者が存在するが、確実性に欠ける予告が自らの口先によって行われる必要性は全くない。利益に乏しい状況で自らの危機を招く真似をする為政者は必ず無用の困難を招き寄せる。

「まぁ、無条件の信頼も困る。適度に疑うのであれば、悪くはない」トウカが影を感じさせぬ苦笑をする。

 そして、作戦会議を始めるとしようと宣言した。

 

 

 

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抗議しなければならない時に沈黙で罪を犯すのは臆病者だ。

          《亜米利加(アメリカ)合衆国》 第一六代大統領 エイブラハム・リンカーン



他人の力を頼りにしてはいけない。頼るべきものは、ただ己の力のみである。

          《仏蘭西(フランス)共和国》皇帝 ナポレオン・ボナパルト



神は臆病な民族を原則として自由にして下さらぬ

          《独逸第三帝国(サードライヒ)》 総統 アドルフ・ヒトラー



死傷者が多数出ているのに長官だけ先に帰るとは何事か

          《大日本帝国》海軍 第一艦隊砲術参謀兼連合艦隊砲術参謀 大川内傳七中佐



期待される政治家とは、明日なにが起きるかを国民に予告できなくてはならない。そして、次の日、何故自分の予言通りにならなかったかを国民に納得させる能力がなくてはならないのだ。

          《大英帝国》 首相 サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル

 



 ドーリットル空襲。

 大東亜戦争緒戦、ヨークタウン級航空母艦二隻を基幹とするハルゼー提督指揮下の亜米利加(アメリカ)海軍機動部隊が太平洋を横断して日本列島東方海域に到達。一隻の航空母艦より露天繋止していた“陸上爆撃機”を一六機発進させ、《大日本帝国》に対する初の本土攻撃を実施した一連の空襲を指す。

 ドーリットル中佐隷下の陸上爆撃機爆撃機一六機は東京府、横須賀市、呉市、名古屋市、四日市市、神戸市を爆撃。引き換えに全機が撃墜された。民間人に多 数の被害があったものの、軍事的成果は限定的なものに過ぎなかった。潜水母艦から航空母艦へ改造中の一隻が直撃弾で損傷、漁船改造の特設監視艇隊に被害が 出た程度だったが、問題は呉市で建造中であった近衛海軍の新鋭戦艦〈高天原〉に体当たり寸前までの接近を許した事である。神聖不可侵を謳われた日本本土を 護れなかった事に加え、陸海軍の要撃した戦闘機が旧式で敵陸上爆撃機を撃墜できない中、薩州や毛利、上杉、伊達の藩軍に配備された新鋭戦闘機である陣風の 追撃により全機が撃墜された。これにより対外的な軍事作戦の権限の一部が大名達による諸侯軍に与えられた事から大東亜戦争の転換点の一つとして数えられて いる。

      当然、史実とは全く違います。


 A-10の任務をF-35で完全に代替できると思ってんのかこの野郎! クソ空軍め! 空母を沈めた事もない癖に生意気だぞ! ユナイテッド・ステーツは撃沈にカウントしないからな!