第一九八話 二つの主戦場
「なんて様だ! まさか本当に砲兵を切り捨てただと! 大好きな戦場の女神様へのお祈りはどうした!」
ザムエルは伝令からの報告を受け、戦域図の置かれた机に拳を振り下す。
魔術により自動で動く駒達が揺れる様に、副官を務めるエーリカが小さく溜息を零す。
周囲の参謀達は視線を交わすばかり。軍事強国たる《スヴァルーシ統一帝国》が敵軍に合わせ、長きに渡り軍を支えた火力戦を前提とした戦闘教義を完全に捨て去り戦闘を行う様は、ドラッヘンフェルス軍集団司令部にとって青天の霹靂であった。
「まさか敵軍が砲兵を完全に排除した編成を取るとは、な。こいつはぁ、驚きだ。一本取られたぜ」
ザムエルは天を仰ぐ。〈第一装甲軍団〉の投入による後方擾乱も対策が成されていると見るべきである。索敵騎によれば、そもそも然したる兵站線もなく、敵軍は単独で進出してきた威力偵察と見て間違いない。長期戦は考慮していない。
複数の大隊相当の規模の騎兵部隊の進出に気を取られた結果、三個相当の歩兵師団に気付かない儘に進出を許してしまった。それは佳い。想定されていた事である。
ドラッヘンフェルス高地北方には大規模な森林地帯が広がる。何十mという高全長の針葉樹林に覆われた広大な一帯の索敵を補完する術などなかった。索敵軍狼兵は泥となり始めた泥濘で嗅覚を低下させ、挙句に敵軍は森林地帯一帯に匂いを誤魔化す為の薬剤散布を行っていた。
航空騎による薬剤散布である。頻りに敵軍も偵察騎を飛ばして戦域把握に努めていると当初は見られていたが、それは広範囲で薬剤が散布されている実情を見 るに、航空騎による投下であると推測された。航空部隊の規模は大きくはない。三個師団相当の索敵騎大隊に過ぎない。帝国陸軍の歩兵師団は連絡や索敵の為、 大隊規模の索敵騎を有している例もある。大抵が精鋭歩兵師団である。
精鋭とされる三個歩兵師団が先鋒を担っている。それも前例のない方法で。
「だが、あの迫撃砲の数は異常だ。規模は三個師団程度だが、迫撃砲だけなら一〇個師団相当はあるぞ」
そう複数の索敵軍狼兵大隊が森林地帯に複数ある街道を索敵序列で前身した際、迫撃砲による集中射を受けたが、その規模はかなりのものであった。相当量の迫撃砲が森林地帯に配置されている。
「しかし、密林で重迫の運搬は無理かと。重過ぎます。中迫が限界と思われます。それも人力での運搬です。十分な量の弾火薬まで運搬したとなると……」
有力な補給部隊が随伴しているとも思えない。エーリカは、その辺りに不信感を抱いている。対するザムエルは、歩兵共に運ばせたのだろうと推察していた。
補給部隊がいたとしても魔導車輌を森林地帯に乗り入れられない以上、人力に頼らざるを得ないという点に変わりはない。それならば歩兵を使えばよい。
――だとするなら、歩兵共は軽歩兵かも知れねぇな。
歩兵は小銃片手に勇ましく戦う姿が軍記物に描かれている例が多いが、実情は違う。何十Kという弾火薬や日用品、携行食料、飲料水を背嚢や雑嚢などに入れて地面を只管に
行軍する苦行が時間の大多数を占める。戦闘など軍生活の中では極僅かであり大部分は訓練や行軍、野営や設営となる。最も泥臭い兵科と言えた。そして、常に 重量物を背負う兵科でもある。その上、迫撃砲を人力で運搬するとなれば、軽火器ばかりで武装した軽歩兵と見るのが自然である。それでも尚、弾火薬の運搬ま で含めれば数は合わない。
トウカであれば、森林地帯に魔導車輌か馬車で乗り付けて、幾度も運搬するくらいは当然やるだろうと驚きもしなかっただろう。
《大日本帝国》陸軍では、南方戦線に於いて山脈地帯を二発の砲弾を担いで幾度も踏破した砲兵部隊の実績があり、不可能ではない事を証明している。皇軍将 兵に可能で帝国主義者にできぬ道理はない。前者が気合と根性と愛国心で成したというのであれば、後者にはより実際的な魔術という補助がある。帝国は識字率
すら低く、戦闘魔術を習得した者は少ない。それでも尚、膂力の底上げは効果や効率で軍用魔術に劣るものの日常的に扱われる部類であった。多大な労力を要するという点に変わりはないが。
問題はそれだけではない。
「射程が妙に長い。風魔術で延伸してやがるな。魔道士もかなりいるぞ」
「帝國では少ない魔道士を多数配備した部隊。間違いなく精鋭部隊ですね」
ザムエルとエーリカの会話に、周囲の参謀達が意見を交わし合う。
帝国の精鋭部隊は意外と前線に姿を現さない。最近では直接干戈を交えていないリディア直属の〈第三親衛軍〉や、《南北エスタンジア》でケニーニヒス= ティーゲル領邦軍隷下の〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉などと交戦した〈第五親衛軍〉の例のみである。絶対数に劣るが故に精鋭部隊に集中配 置されている。
「問題はその運用方法だ。こうも原始的な方法でくるとはなぁ。たまげたぜ」
皇国陸軍は、複雑な高性能火砲を多数備えた組織でもある。魔道障壁によって砲身の先に更に魔導障壁による仮想砲身を展開して高初速化し、砲撃時の威力を属 性魔力の反発で軽減。質量魔術による着弾時の大威力化に加え、魔力よる酸素変換による純粋酸素の生成からなる燃焼効率の増強。火砲自体の構造強化に加えて 軽量化も実現しており、皇国の魔道工学の裾野の広さを遺憾なく示した兵器と言える。
そこで砲兵参謀が挙手する。ザムエルは「言えや言えや」と言葉を促す。横柄な態度であり、将官の態度とは言い難いものの、それ故の気安さというものが あって部下達は直截な進言を躊躇わない。無能は進言すら選り好みするが、ザムエルも、寧ろ公私ともに面倒事を優先して対応する。
「閣下、野砲であれば初速のある砲弾となります。風魔術による風圧での押し上げは困難を増すかと。対する迫撃砲は曲射弾道を描く低初速の砲弾です。風圧を受けた事による影響は多大なものとなると判断できます」
その意見に参謀達が唸る。風魔術で直接砲弾を押し上げるという手段に於いては迫撃砲が最も影響を受け易い点を理解した上で敵が利用しているなら優秀な敵と言える。
森林地帯では露骨な曲射弾道を描く迫撃砲が砲兵よりも運用に優れる。高全長の木々を避けて飛翔し、大仰角から落下するのだ。発砲炎もないことから隠蔽性でも大きく優位に立つ。発見は困難で、相応に分散していると予想され排除には多大な兵力と労力を要する。
皇国陸軍の精鋭部隊所属の中位種や高位種の如く砲弾を刀剣で叩き落す連中は、そうそう居ない。だが、迫撃砲の集中射に合わせて風魔術を行使して風量や風向を操る程度なら難易度は低い。
全ての技能が難易度の低い要素で組み合わされている。戦場でそれは強みとなる。
帝国陸軍の練度の問題からの苦肉の策であるという見方もできるが、情報が錯綜し、判断に惑う戦場では組織であれ兵器であれ戦闘教義であれ複雑に構成されているという意義は大きい。統制の乱れる戦場では単純な運用と状況、判断こそが好まれるのだ。複雑化は遅延と失態を招く。
敵の指揮官は、トウカに通ずるものがある。
「能力もある。力量もある。何より運もある相手だ」
陸軍と皇州同盟軍連携の産物である〈ドラッヘンフェルス軍集団〉編制に伴う混乱があったからこそ発見が遅れた部分があったのであれば、敵指揮官には運が ある。能力や力量が在っても運なくばどうにもならないのが戦争である。敵指揮官の幸運は、トウカに失点を齎した。必要であるとはいえ、敵軍の接近と展開を 見逃したのであれば、ザムエルは問題が肥大化せぬ様に確実に排除せねばならない。
先に進発した複数の索敵軍狼兵大隊からの報告を受け、〈第一装甲軍団〉の出撃は延期されたが、二個戦闘団を抽出して進発させている。目的は迂回による敵後方への展開である。補給線があるならば遮断し、なくとも後方を遮断されるという圧力は敵軍を精神的に疲弊させる。
「戦闘詳報を書くのが大変だな」
初見の戦闘教義や戦術を相手が用いた場合、軍上層部へ提出する戦闘詳報の枚数は大きく跳ね上がる。再提出や聴取も有り得た。
「あの擬音だらけの戦闘詳報がですか?」
「臨場感があるだろう。将来、機密解除されれば俺の自叙伝にも流用できる」
情報部が戦闘詳報を分析する任務を帯びている為、ヴェルテンベルク領邦軍などは特に事細かに記入せねばならないが、ザムエルの場合は副司令官であるマイヤーが手直し……全面書き直しの上で提出していた。
何とも言えない表情の参謀達を尻目に、タルヴェラは笑声交じりの言葉を発する。
「自叙伝の為にも勝たねばならん。負け戦を書いても恰好が付かんからな」
その一言で作戦会議室が笑声に満たされる。
〈ドラッヘンフェルス軍集団〉司令部は軋轢もなく胎動を始めていた。
金髪の美丈夫は大木が無造作に乱立する中、副官すら伴わずに歩を進める。
木々を縫って進む様は妖精の如くあるが、《ヴァリスヘイム皇国》という国家にあっては本物の妖精が存在する。例えすらも残酷な現実に圧倒されるのだ。
「順調だな……ふむ、やはり獣人達は良い」
中型迫撃砲に次弾装填しようとしている獣人の兵士の臀部で揺れる尻尾を凝視する。
アレクサンドル・ドミトリエヴィチ・ユーリネン少将。
帝国南部の沿岸都市ドヴィナを策源地とする〈第二六四狙撃師団〉を隷下に収め、そのドヴィナを擁するユーリネン子爵領の領主を務める彼は獣人を好むという祖父からの嗜好や性癖を見事に引き継いでいた。言ってしまえば、そういう趣味である。色々と手遅れとも言われていた。
――あんなに愛らしい者達を迫害するなど碌でもない連中だな。帝国主義者は。
人間種の民族にこそ迫害されるに値する者達が存在するとすら思うユーリネンだが、彼自身は人間種である。帝国貴族の継承権は多種族との混血の場合喪われ る。よって継承者は人間種との間に成されるが、伯爵家には私生児として獣人との混血が多い。ユーリネンの異母兄弟は全員が獣人との混血である。無論、外聞
は宜しくないが、目ぼしい産業もない僻地であるが故に放置されている。資源も人口もない僻地に目を付ける程に中央政府や門閥貴族も時間を持て余してはいな い。派閥争いに勤しむ彼らが好んで僻地に目を付ける筈もなかった。
帝国に在って極一部を除く、特に人間種とは大きく違う特徴を持つ他種族は人権が認められないが、元より辺境の人間種の人権もあってない様なものである。 そして劣悪な環境は種族の線引きなく協力し合わねば乗り越えられない。そうした環境の継続は団結を生む。元より帝国に併合される以前は独立国家であった事 もあり、種族的差異による隔意は皆無に等しい。
意外に知られてはいないが、帝国辺境にはそうした例が多々ある。
辺境に対して放任状態である以上に、税収への影響を考慮しての部分が大きい。主義主張を通す為の外征を頻繁に行う帝国だが、それ故に台所事情は常に厳し い。軍事費は常に国庫を圧迫し、資金を常に求めている。税収を低下させる真似を帝国財務省は断じて許容しなかった。主義主張で不利益が出るなら看板の掛け
替えをしてしまえとすら口にするのが、財務に携わる者達の言い分である。銭勘定に憑かれた者は何時の時代も実利しか見ない。無論、軍事を疎かにする例と軍 事を軽視する例があるが、行き着く先が亡国である点は同様である。何事も中庸であるべきなのだ。
白犬種の女性兵士が身体以上の砲弾箱を軽々と持ち上げる姿を横目に、ユーリネンは遠目に窺えるドラッヘンフェルス高地を見上げる。森林地帯の木々が邪魔して全容は窺えないが、攻め難い地形であることは察せた。
「師団長、ここに居られたのですか! 危険です! 下がりましょう!」
軍帽の切れ目から狐耳を揺らした女性将校がユーリネンに駆け寄る。階級章は中尉であり、背後には尻尾が揺れていた。
「……リーリャ。なに、敵の反撃は暫くはないだろうさ。位置を掴めていないのだから」
森林地帯に潜む事で可能となった接近と進出部隊の迎撃。既存の帝国軍の戦闘教義を真っ向から否定する戦術であり、運用は極めて限られる。森林地帯という指揮統制に苦労する地形に展開する事は、人海戦術を恃む帝国陸軍にとり鬼門でもあった。兵数の増大は指揮統制を困難とする事から、常に攻勢を選択して主導権を得て決戦場を選択する権利を帝国陸軍は求めた。
それらの放棄は帝国陸軍の兵数という最大の長所を殺す事となる。
「広域展開しているとは言え、相手はサクラギ将軍です。火力で森林を耕す真似をしかねません」
尻尾を一振りしたリーリャ。白狐族特有の純白の尻尾や狐耳は、雪の残る森林地帯に在って隠蔽効果を期待できるのではないか、とユーリネンは思考を明後日に向ける。
リーリャ・アスケルハノヴァ。
沿岸都市ドヴィナ近郊に位置するシエナの森に暮らす白狐族の娘で、ユーリネンの副官としては相応の経歴を持つ。沿岸都市ドヴィナを策源地とする〈第二六 四狙撃師団〉は陸軍でも〈南方辺境軍〉と呼ばれる地方軍に所属しており、本来は〈南北エスタンジア〉地方への警戒と属国である〈北エスタンジア王国〉支援
の為に編制された。今回の皇国侵攻に在っては他種族を利用しての軍略が行えるのではという期待から移籍された師団の一つである。後備戦力であるものの、涙 ぐましい努力で戦力と装備を維持する〈第二六四狙撃師団〉は、ユーリネン子爵家からの献金で半数が賄われており、それ故にユーリネンが師団長であり領邦軍 の側面も有していた。
《スヴァルーシ統一帝国》は四億を超える人口を有するが、軍備は公称で一三〇〇万名とされている。しかし、そこに各地方の辺境軍は含まれない。
辺境軍は総勢で五〇〇万を超えるが、問題は編制と運用の必要とされる資金の半数が各領地の貴族家より拠出されている点である。当然ながら台所事情は厳し い。その為に主任務は辺境警備となっていた。本来は外征や長躯進撃を前提としない運用を前提として編制されており、今回の皇国侵攻こそが異常事態と言え た。
帝国は既に余裕を失いつつある。内憂外患を解決し得なかった結果であるが、それ故の乾坤一擲の軍事行動である。ユーリネンからすれば帰属意識もない帝国という国家の為、領民から抽出した〈第二六四狙撃師団〉を損なうというのは甚だ許容しかねる行為であった。
だからこそ威力偵察を買って出た。決戦を意図した主力に組み入れられた場合、陸軍主力を保全する為、辺境軍は前衛に近い位置に展開する事となりかねない。そうなれば一師団長の采配など吹けば飛ぶ程度の範疇でしかなくなる。
対する三個師団による威力偵察は多大な危険を伴うが、師団長の自由度としては遙かに高い。自らの判断で“転進”も容易である。
ユーリネンは〈第二六四狙撃師団〉の将兵に指揮官としてだけではなく、領主としても責任を負う立場にある。皇国であれば郷土師団の側面を持つ部隊であればこそ。
各種迫撃砲によって軽快な圧搾音が立て続けに響く。残念ながら風魔術による射程延伸を以てしても遠望に窺える防禦陣地には届かない。重砲でも厳しい距離であり、現在の迫撃砲による攻撃は複数の街道付近に進出した大隊規模の軍狼兵部隊に対してのものである。
「あの防禦陣地にはヴァレンシュタイン将軍が詰めているそうだ」
「機甲戦の名手で、韋駄天の異名を持つ方ですね。サクラギ将軍が指揮する戦闘なら常にヴァレンシュタイン将軍が先鋒に立っていると聞きます」
帝国陸軍の将校であれば誰しもが知るであろう事実をリーリャが口にする。二人は盟友である。少なくとも一方の名が出れば、もう一方の名が出る。
猛将であるザムエルは守勢に在っても常に能動的な行動を取るとされており、現状からもそれは見て取れるが、それ故に読み易い。ザムエルは有力な装甲部隊 を与えられたからこそ、大胆な行動が可能となった。だからこそ、トウカの隆盛と共に頭角を現したと見る事ができる。以前は聯隊規模の装甲部隊に留まってい
たとされている。その装甲聯隊は戦車のみの単一兵科による編制で、歩兵との協調がなければ死角が多い。独断に近い独立性が指揮権に付与されていたとしても 慎重にならざるを得ない。
活躍によりザムエルという指揮官は、機動力の優位に対する過信を持っている。現に斥候からは装甲軍団進発の気配ありとの報告が伝達されている。獣種による斥候であり、浸透は既存の帝国陸軍斥候兵よりも深い地点まで行えた成果であった。
機動戦が行われる要素を可能な限り排除せねばならない。さもなくば即座に蹂躙される。装甲部隊の特筆すべき点を突破力と見ている帝国陸軍将校は多いが、ユーリネンはあくまでも機動力にあると見ていた。
歩兵すら魔導車輛に搭乗させて戦車猟兵として高い機動力を実現する装甲部隊の機動力に、帝国陸軍の如何なる陸上部隊もが追随できない。突破などせず迂回 で良い。突破による被害を踏まえれば、明らかに突破よりも迂回に重きを置くはずである。迂回に続くのは兵站線の遮断と包囲。主導権は常に装甲部隊が有す
る。否、奇襲を以ても帝国陸軍は主導権を維持できない。装甲部隊が有速を利して主導権を奪還するからである。
ユーリネンの推測を知れば、トウカは帝国陸軍将校についての資質を上方修正した事は疑いないが、皇軍で言うところの主動の原則と集中の原則が装甲部隊で 成されるという脅威を彼は真に理解せず、また実体験に基づいたものではない。つまるところ、ヒトという生物は大多数が愚者であり、実体験によってこそ事実 を認識する。
装甲部隊による烈火の如き主導権の獲得を彼が思い知る機会は喪われる。後に言われる名将ユーリネンすらも、装甲部隊の脅威を風聞のみを以て基準とした。後の大敗に多大な影響を齎した一点として後世の歴史家は語る。
もし、ユーリネンが機動戦を経験していれば、軍事史上稀に見る後の大敗も阻止し得たのではないかという“もしも”は多くの歴史家に夢想を見せた。無論、 それは“あのサクラギ将軍が対応できない筈がない”という至極現実的な意見によって否定されるのが常である。彼の手元には未だ航空部隊という手札が残って いた。
「この森林地帯に居る限り戦車部隊の攻勢からは逃れられる。例え、火を放ってもこの広大な有様では難しいだろう」
「しかし、視界を遮られては敵部隊への火力投射は不可能となります」
ユーリネンの判断に、リーリャは異を唱える。迫撃砲の着弾観測は、特に全高のある樹を選定し、そこに登らせた観測員によって行われている。偵察騎による着弾観測は、制空権が皇国側に在る為に不可能であった。
「その時は下がる。あくまでも目的は威力偵察で、進出してきた索敵部隊の鼻先を殴り付けたのだ。十分だろう」
「……後退なさるのですか?」
後退という言葉を進んで使う軍人は少ない。戦意不足としての批判を免れない以上に、国軍という国家に在っても優れた人材が集う組織の要職を担う者達にも矜持がある。如何なる国家の国軍に在っても後退や撤退という言葉は避けられる傾向にあった。
「当然だが、後退と言っても偽装だ。迫撃砲部隊を其の儘に歩兵のみで後退。敵の装甲部隊を誘い出す」
迫撃砲の射程に誘引する事で痛打を与える。攻勢の姿勢著しいザムエルであれば、必ず装甲部隊の急進でこれを叩く筈であると、ユーリネンは見ていた。再び森林地帯へと逃げ込む真似をさせまいと焦燥を抱けば、判断を過つ結果となる。
「ドラッヘンフェルス高地北方の森林地帯を押さえた。そう〈南部鎮定軍〉総司令部には伝えろ」
ユーリネンは、ザムエルの思惑を正確に推察していた。誘引した上、装甲部隊で迂回突破。兵站線の遮断と後衛の撃破を成そうと意図している。そうした戦術は内戦でも頻繁に使用されていた。装甲部隊による常套戦術と言える。
だが、誘引されるのが常に敵であるとは限らない。
「まさか、それも囮ですか?」
感心しないという視線を振りかざすリーリャの尻尾を撫で、ユーリネンは表情を綻ばせる。尻尾を触るという行為は人間種で言うところの臀部を触るに等しい行為であり、リーリャは尻尾でユーリネンの手を叩き落とす。
深い森林地帯は寒風を感じず、体感温度は森林外よりも高い。こうしている間にも迫撃砲による攻撃は続いている。一方的な戦闘ではない。広域展開した迫撃砲部隊だが、一部は索敵軍狼兵に捕捉されて大被害を受けている。
彼らは皇国の戦士階級である。各部族から選ばれた能力に秀でた戦狼として、高い戦意を維持していた。帝国陸軍索敵騎兵をあらゆる面で凌駕している。皇国陸軍との実戦が初めてであるユーリネンは軍狼兵という存在の理不尽なる事を思い知った。
「狐はいい。好奇心に満ちて愛らしい。敵の狼達にも見習って貰いたいものだ」
皇国の種族が総じて容姿に優れているのは周知の事実でもある。軍狼兵にも容姿に優れた気高き戦乙女が居るとなれば一目見えたいと思わないでもないユーリネン。不穏な気配を気取ったリーリャの尻尾が、次はユーリネンの右手に絡み付く。
「御目麗しい捕虜を自ら尋問するのも悪くない」
両国の間に捕虜に対する規定などなく、皇国軍将兵は虜囚の辱めを受けずという姿勢を貫いている。帝国側が陰惨な扱いをすると知っているからこそであり、 捕虜を得る機会などそうはない。容姿に優れていれば、その場で何十人と群がられて慰み者にされる事も珍しくない。〈第二六四狙撃師団〉は獣人が数多くいる 事から、捕虜を手厚く遇する事が通例となっているが、皇国軍将兵がそれを知る筈もなかった。
「いけません。危険な事を閣下にさせる真似はできません」
冗談を含めた物言いの心算であったユーリネンだが、リーリャはそうとは受け取らなかった。森林の中、二人は向かい合う。
「私達は迫害される筈の帝国で貴方に縋って生きています。貴方を死なせない為に皇国とも戦います。だから無理はしないでください」
皇国とも戦う。その一言には、多種族国家として種族協和を謳う《ヴァリスヘイム皇国》に、人間種優越を謳う軍事大国《スヴァルーシ統一帝国》の尖兵とし て戦う獣人系種族の覚悟が滲んでいた。皇国側からみれば、帝国側に付くリーリャなどの獣人系種族は裏切り者に等しい。捕虜としての全うな境遇など望むべく もない。その場で殺害されるのは明白であった。
ユーリネンはリーリャを抱き寄せる。
「心配ない。無理をするのは帝国の役目だ。我々は生きて帰る。必ずだ」
暗に〈第二六四狙撃師団〉と《スヴァルーシ統一帝国》を分かつ発言に、リーリャが感心しないという視線を再び振り翳す。
ユーリネンは肩を竦めて誤魔化してみせた。
「航空騎発艦用意! 艦隊進路を風上に立てよ!」
シュタイエルハウゼンの号令の下、〈第一機動艦隊『サクラギ機動部隊』〉は航空部隊の発艦体勢へと移行する。
航空母艦〈モルゲンシュテルン〉単艦での航空騎搭載数は六四騎であるが、それはあくまでも飛龍や翼竜を転用した軍用騎の場合である。転化できる高位種や中位種であれば容積を取らず、その搭載数は飛躍的に向上する。
現在の〈モルゲンシュテルン〉の搭載数は高位種主体の編制により一一七騎を数えていた。大日連海軍であれば戦後第一世代空母である〈瑞龍〉型航空母艦、米帝海軍であれば〈ミッドウェイ〉型航空母艦に匹敵する搭載規模である。
トウカは、手にした戦力が余りにも強大である事に頬を歪めて嘲笑を零す。
「〈第四巡洋戦隊〉は作戦に基づき先行して分離。リャザン半島の海軍通信所を砲撃で破壊せよ……サクラギ上級大将、予定通りで宜しいですな?」
些か腰の引けたシュタイエルハウゼンの問い掛けに、トウカは鷹揚に頷く。
「砲撃後は手当たり次第に帝国船籍の艦船を撫で斬りにして見せてくれるだろう。帝都の沖合だ。目標には事欠かない。一切合財悉く、軍民問わずに水葬にしてやるといい」
外交すら成立していない敵国に対しての軍事行動に法的拘束力など一切生じない。倫理や人道なるものは軍事力を抑止する保障とは成り得ない事を、帝国主義者に今一度理解させねばならない。
彼らが《ヴァリスヘイム皇国》を許容しない様に、我らも《スヴァルーシ統一帝国》を許容しないと。
情け容赦ない包囲殲滅戦を願うトウカにとり、帝国主義者を扇動して皇国出兵を大規模化させる事は既定事項であるが、皇州同盟軍上層部のみがその思惑を理 解していた。無論、各勢力の有力者達も察してはいるが非難する事はない。種の存亡を賭けた戦時下に敵を殺める事を非難する勇気のあるものなどそうはいな い。
「一層の事、河口付近の商船を狙って沈めるというのはどうですかな?」
シュタイエルハウゼンは狭い艦橋の壁に貼られた海域図の一点を指差す。
「悪くない。やりたまえ。水雷戦隊だな? 彼らには通信施設砲撃後の時刻を伝えよ」
一部では〈モルゲンシュテルン〉の直衛が減少する事に対する懸念の声が上がったが、トウカはより積極的な策を取るべきだと判断して、水雷戦隊の随伴を許した。
危機に際して必要なのはもっと攻撃的な指揮官だ。
危機に瀕した国家を救うべく赦された強権を保持するトウカには、苛烈にして単純明快な行動と成果が求められる。
「閣下、許されるならば補用の偵察騎で小官が向かいます。通信で位置が露呈するやも知れぬのは面白くないかと」
「危険だが、いや偵察騎なら速度があるか。許可する。どうせそのまま戦隊の指揮を執る積心だろう?」
「気付かれましたか。既に複数の哨戒艦を索敵で補足しておりますが、通信量は変わりません。友軍騎と誤認しているのかと。奴ら、完全に油断しております」
「エスタンジア沖合の海戦に意識を奪われている事も有るが、やはり小規模な艦隊だけでの長躯進撃は想定外なのだろう……まぁ、こちらが帝国海軍旗を掲揚しているのも大きいだろうが」
国交がない以上、交戦国の国旗を掲揚していても卑怯者の謗りを受ける謂れはないと嘯く事は容易い。辺境艦隊の艦隊旗までも掲揚した〈第一機動艦隊『サクラギ機動部隊』〉は表面上は完全に帝国海軍艦隊であった。
帝国海軍も皇国海軍も軍旗を偽る真似をしない。偽旗作戦というのは条約違反であっても両軍で行われるのが常である。大日連も米帝も敵地潜入に於いては盛 んに敵国の軍旗や軍服を利用していた。しかし、皇国や帝国は偽旗作戦には酷く消極的である。面子や矜持と言うのは容易いが、最大の理由は敵国領域への進出
がエルネシア連峰によって困難を極める点と、狼種を主体とした皇国陸軍野戦憲兵隊の存在がある。軍旗や軍装での偽装に対して帝国は効果の確証を持ち得ず、 皇国は間諜以外で敵国への浸透を考慮していない。自然と軍旗や軍装の偽装は行われなくなった。
無論、軍旗の偽装だけではない。帝国海軍にはない艦首の識別番号や 構造物の艤装なども水兵と擬装を終えて手の空いた工員と共に航海中に行われており、至近に迫れば不気味な継ぎ接ぎが窺える。帝国海軍による涙ぐましい努力
である魔導資源節約の為の内燃機関併載型を示す煙突も作製し、木材を燃やして煙を展張している。航海中は暇な工員達とミユキ、リシアが艤装煙突で燻製を作 ろうと小火騒ぎを起こすなどの不祥事はあったが、トウカからみてもかなりの出来栄えである。
全体的な偽装の質としては、工員達の進言を受け入れた事による突発的なものとしては満足できるものである。
無論、これ見よがしの軍旗の効果も大きく、所属と進路を問う哨戒艇に一度遭遇しているが、これは接近してきたところを重巡洋艦四隻による斉射で轟沈させている。通信を放つ暇もなかった。
「発艦準備良し! 各騎への搭載も完了! 魔導士は飛行甲板待機所へ!」
「皇国海軍旗掲揚! 戦闘旗も上げろ!」
「対空、対水上見張り、厳と成せ! 空母艦載騎であることを悟らせるな!」
次々と発令される命令に、トウカは背を向けようとするが、シュタイエルハウゼンがそれを大音声で引き止める。喧騒の満ち始めた艦橋では、ある程度の声量を要した。
何を言うかと訝しんだトウカだが、次の言葉に苦笑を避け得ない。
「上級大将閣下、土産は噂の白い女帝の下着で結構ですので!」
「現地で土産を買う時間は予定していないんだがな!」
笑声が艦橋を満たす。通信越しに各戦隊司令部などにも聞こえているかも知れいないが、トウカはそれもまた一興だと盛大に笑声を吐き散らしながら艦橋を後にする。
簡素な造りの舷梯に軍刀が接触せぬ様に下るトウカ。艦内から手空きの水兵が甲板横の機銃座などの空間に群がり、軍帽を目一杯に振っている。トウカはその光景を横目に、敬礼をしてきたヒラガに答礼を返す。
「行ってきます。御土産を買う時間はありませんので」
「???」
飛行甲板は揚力増大の為、魔導障壁による空洞を形成し、風を艦首側から艦尾側に誘導している。艦内放送程度の音量は容易に掻き消された。
ヒラガの前を過ぎ去り、トウカは後甲板へと駆ける。
トウカの搭乗する騎は、飛行甲板後方で駐機している一際大きい騎影……アーダルベルトである。人員や航空爆弾が満載された装甲籠は、アーダルベルトに合 わせて工員達が誂えた特別製で、塗装もされていない事から鈍色を其の儘に威圧感を放っていた。他騎とは違い軽合金ではないが、アーダルベルトの飛行能力は
隔絶しており、搭載弾も一五tを越える。米帝陸軍のB-29戦略爆撃機が最大爆弾搭載量九tとされる事からも、その非凡な性能は窺えた。後続距離も遙かに 優越しており、防御力に限っては軽巡の口径規模の高射砲による集中射とて撃墜不可能と目されていた。
戦略爆撃騎などという名称ではなく、飛行戦艦という名称が〈モルゲンシュテルン〉艦内では実しやかに囁かれているが、それも止むを得ない程の性能である。それでも尚、性能は上限であるとは限らない。アーダルベルトの申告が事実であると証明できる者が皆無であるが故に。
未だ風魔術は予備出力の状態だが、軍帽を押さえて何とか進むトウカの腰を柔らかな腕が抱える。
「ミユキか……やはり付いてくるのか?」
その魔術的な加護による膂力に支えられたトウカは、飛ばない様に軍帽を咥えたミユキに問うが、言葉を発せるはずもない。ミユキに支えられてアーダルベル トの下に赴くトウカの姿を笑う者はいない。それ程の烈風が飛行甲板には吹き荒れている。揚力を得る為とは言え、発艦体勢となった飛行甲板は整備兵すらも拒 む。
神龍となったアーダルベルトの腹に抱えられた装甲籠の機銃座を掴み、トウカは騎内へと足を掛ける。そこで、巨大な龍の首を巡らせたアーダルベルトが、トウカの背を鼻先で押して騎内へと押し遣る。
軍刀を杖代わりに姿勢を持ち直したトウカ。視線を上げると、当然の様に紫苑色の少女が航空兵達と打ち合わせ(ブリーフィング)をしている後姿が垣間見え る。以前ならば皮肉の一つでも口にしていたであろうトウカだが、最近のリシアの背後にはベルセリカが窺える為に下手な真似を避けていた。帝都イヴァング
ラードの正確な地図を陸地測量部から借用してきた事もあって、トウカはリシアを重用する方向に転換せざるを得なかった。帝都空襲をベルセリカは見通してい たと推測できるが故に。
陸地測量部とは、陸軍参謀本部の外局として設立され、国内外の地理、地形などの測量や管理を行っている。ある種の戦略兵器に等しい地図は各国家で慎重に 扱われており、軍事行動に直結する要素として機密性は高い。民間に流布する一般的な地図などは精度が大きく下げられている。拠出要請を一度は考慮したトウ
カであるが、陸軍に帝都爆撃を悟られる事を避ける為に断念した経緯がある。リシアは諜報活動の一環として要請した事で帝都空襲の意図を悟られてはいない。
紫苑色の髪にアーダルベルトとの関係など付随する要素の多いリシアであるが、打算的にトウカとの距離を詰める姿勢を隠さない。
トウカとしては戸惑う事ばかりだが、自らの不見識と裁量の不足を口にせずとも補う相手に邪険な態度を取り難い。そうした状況が一ヶ月を越える航海で続くと最早、それは日常となりつつある。
思惑が那辺に在るのかという疑念を捨て置き、トウカは機銃座の窓から窺える上下に分かつ蒼へと視線を逃がす。白の雲居は窺えず、鈍色の艨艟が僅かに蒼を穢す。
本日、天気晴朗なれども波高し。
日露戦争の故事に因んでみたいと考えたトウカであったが、幸運が重なり波浪は発艦に影響を及ぼすものではない。無論、東南から雷雨が迫りつつあるが、そ れは幸運な要素である。発艦後、砲撃任務を帯びた〈第四巡洋戦隊〉以外の〈第一機動艦隊『サクラギ機動部隊』〉は雷雨へと逃げ込む航路で撤退する予定で あった。
「閣下、発艦が始まりました。本騎は最後ですが念の為に安全帯を」
リシアがトウカに着席を促す。物珍しげに通信席の魔導通信機を触ろうとするミユキの尻尾を掴んで引き寄せる動作を同時に行うリシアは自然体でいて、これから敵国の首都を直撃する軍人の表情とは思えない。
用意された席に座るトウカは、ミユキを隣席へと誘う。
皇州同盟軍に在って魔導通信は陸上部隊よりも水上部隊に重きが置かれている。外洋での運用は前提としていない領邦軍艦隊が前身だが、通信設備や凌波性に 関しては外洋航行を前提とした性能を備えていた。戦略面での否定と技術の可否が常に連立している必要はなく、技術的に可能であるという事実を以て敵に脅威 を認識させる為である。
渡洋爆撃も前提としている以上、戦略爆撃騎にも高性能な魔導通信機が搭載されている。通信設備が通信室にある艦艇ではミユキが直接目にする機会はないが、手狭な航空騎の装甲籠内であれば目に付く。ミユキが興味を持つのも致し方ない。
『一番騎、発艦成功、二番騎の滑走態勢に移る』
騎内通信で伝わる外部の状況。航空母艦の艦内では歓声が上がっているであろうが、騎内には伝わらない。航海中にも発艦訓練は行われたが、攻撃任務ともなれば整備兵や水兵も勇み立ちたるに相違なかった。
次々と発艦成功が伝わる。
一騎ずつ飛行甲板後部に展開し、発艦するという方法ゆえに発艦に要する時間は長い。
戦略爆撃騎という巨大な騎体を航空母艦から発艦する都合上、揚力を得て離艦するまでの距離を可能な限り捻出する必要性があり、複数騎を飛行甲板に展開しての発艦作業ができなかった。
無論、艦艇ゆえに大重量を気にせねばならないという問題もある。質量保存の法則を覆す現実が戦略爆撃騎を搭載するという狂気を実現したが、龍に転化した 場合、彼らの重量は二〇t近い。複数騎が何かしらの拍子に片舷に寄った場合、転覆の可能性が生じる。零式艦上戦闘機が各型式の違いがあれども、二t~三t
である事からも戦略爆撃騎がいかに大重量であるか分かる。それでもトウカの知る戦略爆撃“機”よりは軽量であったが。
多くの困難と推測を乗り越え、彼らは今飛び立ちつつある。
飛行甲板の最後尾にアーダルベルトが展開しているのは、当初の予定から外れているが、それはアーダルベルトの申し出で発艦騎を“押し出し”ているからで ある。戦闘艦艇の強制離岸でも行われている対象を魔導障壁によって移動させるという荒業の類であるが、当初は魔導士によって行われる予定であった。しか
し、同類である高位龍種であるアーダルベルトが行った場合、安定感が増すとの事で実現された発艦方法は、戦略爆撃騎となった高位龍種に大好評であった。神 龍の補助を受けての発艦は彼らにとり大いなる名誉であるとの事で、戦略爆撃騎達の士気は高い。
――機体……いや、騎体の士気か。士気で露骨に性能が変わる。その辺りを考慮した運用を行う必要があるな。そうなると、ノナカ大佐の任侠染みた立ち振る舞いも意味あっての事か。
一一七騎と一騎の発艦は順調に進む。
それでも尚、一時間を要する。次々と後部昇降機で飛行甲板に姿を現す翼を畳んだ戦略爆撃騎を押し出すという単純な作業だが、それでも騎数が膨大である事から相応の時間を要する。
風上に向けて航行する事で生じる合成風と、風魔術による風圧が揚力を稼ぎ、アーダルベルトの魔道障壁が翼を畳んだ戦略爆撃騎を蒸気射出機と見紛うばかりの出力で押し出す。翼を畳んだ戦略爆撃騎は艦中央左舷の艦橋を超えた時点で両翼を展開し、揚力を得て宙を舞う。
その光景が装甲籠前方の機銃座から幾度も窺える。
最後の一騎を押し出したアーダルベルト。遂にアーダルベルト自身が飛ぶ瞬間が来た。
『本騎も行くぞ。魔導士、風魔術は不要だ。騎内、椅子に座ったな? 死にたくない者は座れ』
揺れる装甲籠。卓越した魔導資質にものを言わせて発艦を強行するアーダルベルト。
理論上では可能である。飛行甲板は〈モルゲンシュテルン〉の魔導機関がら供給される魔力に裏打ちされた魔道障壁により強度問題からは解放されている。し かし、艦艇上を大重量が移動する負担は魔道障壁のみでは軽減できない。魔道障壁を支えるのは飛行甲板だが、その飛行甲板は艦の構造体の一部に過ぎない。結 果として艦体に負担が分散される事となる。
そして、アーダルベルトは神龍という高位龍種の中でも最も巨大で大重量な龍である。
その重量四三t。米帝陸軍のBー二九戦略爆撃機を超える重量である。
――まさか、竜骨が圧し折れたりはしない筈だが。
予定外であるアーダルベルトの帝都空襲は、当然ながら艦艇の強度を計算していない儘に進んでいる。厳密な計算は艦政本部でなければ不可能であり、一応は ヒラガが目測で行った結果はあるが安心はできない。「龍に竜骨が圧し折られるとはこれいかに?」と〈モルゲンシュテルン〉乗員の間で実しやかに囁かれてい る噂を、トウカも耳に挟んでいる。
『発艦する』
短い宣言。同時に圧力。息ができない。凄まじい圧力がトウカの身体を席に押さえ付ける。肺が押さえ付けられる感覚。それ以上に身体が押さえ付けられる感 覚が全てをの思考を乱す。続く競り上がるかの様な浮遊感。意識と視界が霞みかけるが、指揮官が失神するなどという無様を見せる訳にはいかない。流れる様に 圧力が過ぎ去る。
短時間の出来事だが、過呼吸のリシアを見て、トウカはアーダルベルトに皮肉の一つでもぶつけようと口を開こうとするが、自身も過呼吸となって言葉を成せない。
『何だ、気絶していないのか。静かに飛行できると思ったのだがな』
「……祖国にこうした遊具があるもので」
幼馴染に連れられて体験した昇降鉄道など遥かに超える圧力だが、トウカは精一杯の強がりを見せる。祖国の陸海軍航空隊の飛行兵でもなければ耐えられない圧力を思い出し、トウカは口角の引き攣りを避け得ない。
「楽しいですねっ! きっと子供達に人気になりますよ!」
一瞬で変わった景色を、両手を振って喜ぶミユキ。高位種の身体能力であれば耐えるのは容易いと証明するかの様な振る舞いに、トウカは溜息を一つ。航空機 の性能向上に伴い乗員の身体の限界が問題となった国家の者として、トウカは複雑な心情とならざるを得ない。無人化で乗り切ろうと試行錯誤している祖国の国 軍が見れば発狂しかねない光景である。
「いずれは航空騎での旅行なども流行になるかも知れないな」
『ふむ……我が公爵家の出資で事業を展開するというのも悪くない』
新規事業への参加を口にするアーダルベルト。騎内でありながらアーダルベルトの声が響くのは騎内拡声器によって伝達されるからであった。転化した龍の口元に送受信端末を付ける整備兵の苦労が窺い知れる。好んで龍の牙が立ち並ぶ口元に近付きたいと思う者はいない。
トウカは、機銃座越しに編隊を形成しつつある戦略爆撃騎の群れ。
〈第一航空艦隊〉。
便宜上、そう呼ばれた戦略爆撃部隊が編隊を形成する様は壮観の一言に尽きる。
航空母艦の格納庫で転化後に青系洋上迷彩を施された戦略爆撃騎達は一様に群青に近い色彩を披露している。海との境界線の曖昧化による隠蔽性向上を狙った ものであるが、地上からの対空砲火の照準を困難とさせる意図もある。対地対空の双方で有効とされる迷彩として、大日連陸海軍では積極的に軍用機の迷彩塗装 に採用していた。
アーダルベルトやリシア、ミユキが会話を続ける中、トウカは通信士に信号灯を用意させる。
無線封鎖は魔導通信の性質上行われている為、至近での遣り取りには発光信号が使用される。魔導通信などは無線通信と同様に、位置が露呈する危険性がある だけでなく、行動の変化に際して情報量が増え、平文と暗号文の比率や類似の記号から行動を推測される可能性が付き纏う。よって皇州同盟軍でも、それらと無
縁である発光信号は重用されている。トウカの世界であっても、計数圧縮通信の採用で無線封鎖せずとも読み取られる可能性は減少したが、量子演算機の発展に備えて複数の通信手段を維持していた。
トウカの世界では第二次世界大戦当時、日本陸海軍が運用していた信号灯はオルジス型であるが、皇国では微細な規模の光魔術によって成されている。魔力量の消費が極端に低い為、露呈する事はない。
トウカは指示を通信士に伝える。
「進路、南西へ、だ。……欺瞞行路を以て空母艦載騎からの攻撃だと悟らせない」
残念ながらトウカの知る大日連式の発光信号は、皇国諸勢力が使用しているものとは全く違う為に任せるしかない。作戦時以外でも頻繁に使用されており、風圧で意思疎通に難のある飛行甲板でも甲板誘導員や整備兵が騎上の搭乗員と遣り取りに利用している。
アーダルベルトを先頭とした合計一一八騎の戦略爆撃騎は、一路、南西へと進路を向けた。
危機に際して必要なのはもっと攻撃的な指揮官だ。
アメリカ太平洋艦隊司令長官兼太平洋戦域最高司令官チェスター・ウィリアム・ニミッツ大将
本日、天気晴朗なれども波高し
《大日本帝国》海軍、第一艦隊先任参謀 秋山真之中佐
トウカ「帝国軍にも狐大好きケモナーがいるだと?」
ユーリ「ハイ、私です。貴方とは親友になれそうだ」
トウカ「狐好きの人間は俺だけでいい。御前は殺す。絶対だ」
ユーリ「いやいや、ここは狐を戴く大帝国の建国の為……」
トウカ「美丈夫、死ね。貴様に尻尾の何が分かる」
ユーリ「笑止、モフモフ以外の言葉などいらぬでしょう」
トウカ「御前………その真理を心得ているとは」
二人は狐帝国の建国を目指す旅に出た。
俺たちの戦いはこれからだエンドならこうなります。
難産でした。魔術や魔法などという既存の大系とは違う力学のある世界で空母に竜騎兵が着艦する際、魔術はどの様な部分に使用され、機械でなく生体の龍にど の様な影響があるかという……昇降機で尻尾を挟む龍とかいそうだな。でも、着艦はまさかワイヤーを引っ掛ける訳にも……絶対に龍が酷いことになる。まぁ、 爆弾や魚雷を使用した後ならホバリングできるか。