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第一九六話    艦内の少女達

 

 

 
 ベルネット海峡を抜け、大星洋へと進出した〈モルゲンシュテルン〉の飛行甲板後部に、トウカは佇んでいた。

 先程まで警戒を厳にせよとの下令に基づき大幅に増員された水兵達が各機銃座などに張り付いていたが、大星洋に出た今となっては欺瞞航路すらも打ち切って巡航速度で艦隊は航行していた。

 全てが順調である……とは言い難いが、輪陣形を組んで〈第一機動艦隊『サクラギ機動部隊』〉は航行を続けていた。二五ktの高速は艦隊の巡航速度として は異様に高く、駆逐艦の魔導機関の魔力供給と消費が辛うじて均衡を保つ速度でもある。改装空母でもある〈モルゲンシュテルン〉に関しては速度が足りない 為、二隻の駆逐艦による牽引を受けていた。《亜米利加(アメリカ)合衆国》海軍で護衛空母の速度を稼ぐ為に採用された手法であるが、現在のところは異世界でも有効である。

 ――最大の問題はシュットガルト運河通過時に存在が露呈しているであろう事だ。

 〈第一機動艦隊『サクラギ機動部隊』〉は大星洋南方での演習を行うとしており、ベルネット海峡通過後は、暫く南方に舳先を向けていた。加えて皇国海軍 〈第一艦隊〉、〈第二艦隊〉が敵主力艦隊との決戦を求めて大星洋エスタンジア沖合を遊弋している。その艦隊決戦支援の為、皇州同盟軍は重巡洋艦三隻と重雷 装艦四隻、軽巡洋艦二隻、駆逐艦八隻を派遣していた。その旗艦である指揮重巡洋艦〈プリンツ・ベルゲン〉には上級大将旗が翻っている。公式情報でもトウカ は〈プリンツ・ベルゲン〉に座乗しているとされていた。

 どこまで偽装が有効であるかは分からない。皇国海軍の主敵である帝国海軍〈第五辺境艦隊〉はエスタンジア沖での艦隊戦で一部の艦隊を喪っており、皇国海 軍の動きに対して予備戦力を抽出する事は難しい。他艦隊の増援も現時点では情報網に上がってはいない。戦力規模から所在不明の〈第一機動艦隊『サクラギ機 動部隊』〉の捜索を積極的に行うとは思えない。

「サクラギ上級大将」

 背後からの声に、トウカは振り返らない。

「リシアか……」

 珍しく並び立つ真似をしなかったリシアに、トウカは驚きを示す真似はしないが、胸中では酷く驚いていた。作戦会議の際の言動を見ても、往時の自信と自負に満ちた言動は鳴りを潜め、参謀将校然とした様子を見せていた。

「どうした。御前らしくないな。二人でも俺を呼び捨てにしないのか」

 隙あらば私的時間(プライベート)にしてしまうリシアにしては珍しいものがある。

 艦尾の上甲板から見下ろせば、推進器(スクリュー)によって生じた白波が激しい自己主張を見せている。水音や肌寒さから物事を考える場所としては些か不適格だが、少なくともそれ故に会話を第三者に聞かれる事はない。

「閣下が望まれるならば。命令為さるのであれば、小官は情報参謀でも端女にでもなりましょう」

 振り向けば、胸元に両手を抱き寄せたリシアが一心に己を見ている。トウカは当惑した。誰の真似事かと問う程に鈍感ではない。

「貴方を支える。それが自身に科した使命です」

 軍人として以上のナニカを感じたトウカ。

「俺は御前に情報参謀以上の役目を求めてはいない。必要のない労力を払うな」

 無駄を嫌うという以上に、リシアは情報参謀という信の置けない者を配置できない立場に付けている。行動自体を咎める心算はないが、現在でも情報参謀には不適格という声はあった。付け入る隙を与えて北方方面軍の人事を派閥争いの場にする訳にはいかなかった。

「いえ、閣下はいずれ私を公私共に求めて下さると確信しております」

 その自信ゆえのリシアである。本質そのものが揺らいだ訳ではない。

 トウカは短く笑声を零す。

「何だ。何一つ変わってないじゃないか。御前はいつも通りマリアベルみたいに得意げな顔をしていればいい」

 リシアの頭を軍帽の上から手荒に撫でると、トウカは飛行甲板から飛び降りて二段四連装機銃の銃座へと腰掛ける。

 不満げに文句を垂れながら乱れた長髪と軍帽を直しながら、リシアはトウカへと足を踏み出す。

 そして、さも当然の様にトウカの膝へと腰を下ろした。紫苑色の長髪から漂う年若い雌の色香に、トウカは「困った事だ」と溜息を一つ。マリアベルとは違った清純さとでも言うべきものを、リシアは持っている。

「ミユキが良くて私は駄目なの?」

 トウカの困惑に、リシアが拗ねる。

「男の懐は一人を抱き止めるだけで良いそうだ」

シュタイエルハウゼン曰く、「男の懐は一人だけ抱き止め得るという事にしておくのが望ましい。実情は兎も角として、だが」との事である。その台詞を以て女 性が自らを求める様に仕向け、一番であろうとする様こそ雌が最も美しくある一瞬であると彼は言う。容姿に優れた高位種の物言いであり、自身には全く以て当 て嵌まらないと、トウカは考えていた。政戦で綱渡りを続けるトウカの権力など容姿の代替にはなり得ず、寧ろ失点でしかない。

 真新しい艦船用塗料である濃緑(ドゥンケルグリューン)の色に塗装された機銃座に視線を逃がし、トウカは器用な真似はできないのに相手は求めようとすると胸中で愚痴を零す。

 ミユキにマリアベルとの関係が露呈した事で、トウカは思い知ったのだ。複数の恋愛関係を手玉に取る真似など自身には不可能だと。

 高位種は良くも悪くも純粋で一途である。ミユキは未だにマリアベルとの関係を引き摺っているのか、服装に和服に近いものが増えていた。特注の軍装が珍し い事に和装を基調にしている事もある。マリアベルを嫌い遠ざけるのではなく、マリアベルを真似し近づこうとしている。トウカはそう判断していた。

 ――それが良い事か悪い事か……いや、悪い事だろうな。

 ミユキが自由気儘な自分らしさを捨てて自身に合わせようとしている。それを健気と取るべきか痛ましいと取るべきか。それはトウカが口にできる事ではない。

「あの中年やザムエルを参考にするなんて感心しないわ。でも、否定もしない」

「そうか……」

 女は男を射止めようとする時、常に一番を狙う真似をせず、妥協点を見い出そうとする。しかも長期的な視野を持っている。周囲の男性の恋愛観を聞く限り、 誰も彼もが即決即断と旗幟鮮明に拘っているが、女性はそうではない。だからこそ侮れず、あらゆる手段を行使する。相手の一番である事すら放棄したマリアベ ルを見れば決して侮れるものではないと確信できる。あの立ち振る舞いを高位種の女性であるからと済ませる程、トウカは楽観的でない。

 無論、その全ての所感はトウカ個人に依る処であるが、トウカは確信しているのだ。よって、それはトウカの真実である。

 だが、リシアがシュタイエルハウゼンの言葉に対して同意を示した。リシアがトウカにとっての一番になるという迂遠な宣言に等しい。

 トウカは何とも言えない表情をしている事を自覚していた。振り向こうとしたリシアを、頬の当たりを鷲掴みにして阻止する程度には。これでリシアも何とも言えない顔となったに違いない。

「貴方ね……っ」

「そう根を詰めるな。軍事とミユキに危険が及ばんなら俺は何も言わんさ」

 トウカもまた余裕がない。

 艦隊航空戦の指揮?とんでもないことである。トウカとて概要を知るだけで、《大日連》海軍で艦隊航空戦と定義される空母機動部隊同士の戦闘を詳しく指揮できる程ではないと考えていた。

 そもそも、《大日連》海軍で艦隊航空戦の優先順位は決して高いものではない。大東亜戦争以降、艦隊航空戦が行われていない点がそれを証明している。

戦艦の八倍近い乗員数を誇りながらも然したる防御力を持たない大型空母は、その導入に於ける費用対効果(コスト)が馬鹿にならない。建造費は勿論、人件費に維持費、百近い艦載機に直衛艦の費用と、運用維持費は戦艦を遙かに超え、自然と交戦の機会を失った。

 代わりに前線を担ったのは神楯(イージス)機能 を持つ戦艦である。堅牢な防御力は対艦誘導弾が数発命中しても戦闘航海を継続可能で、大口径の艦砲は敵の戦艦に致命傷を与え、対地支援にも多大な効果を発 揮する。艦体規模から大量の対空兵装や対潜回転翼機の搭載が可能という事もあり、大東亜戦争後も積極的に戦艦の前線投入が行われている。被害担当艦という 側面もあり、彼女達は常に灼熱の海にいた。

無論 、最大の要因は熱線(レーザー)兵器の実用化に伴う航空優勢が限定的となった事である。あらゆる誘導弾を容易く高確率で撃墜する兵器の前に、大質量を伴った艦砲射撃が見直されたのだ。精密機械である誘導弾を撃墜できても、鋼鉄の塊である徹甲弾を熱線兵器で撃墜するのは現時点では不可能であった。

 故に、艦隊航空戦など半世紀以上も昔の戦闘である。

 取り敢えず、源田実少将を見習い、心を鬼にして見敵必戦を貫き徹すしかない。天才と幸運に満ちた指揮を誰しもができる訳ではないが、見敵必戦は必勝では ないものの勝機を逃すことを低減し、攻勢の利もある。今回は都市空襲が主任務であり、相手に航空母艦が存在しない以上、艦隊航空戦の可能性は皆無に等しい が戦機を逸する可能性は常にある。

 トウカの胸中には無数の疑念が渦巻いている。

「貴方……若しかして、この作戦、自信がないの?」

「自信があった作戦などそもそもないがな」

 戦闘に秀でた高位種が現れるだけで戦況が回天する世界で、作戦指導など吹けば飛ぶようなものでしかない事をトウカは内戦で思い知った。幸いにして《スヴァルーシ統一帝国》に協力する高位種は寡聞にして聞かないが、魔導技術だけでも十分な脅威度を持つ。

「だが、この作戦は不可避だ。帝国を本気にさせねばならない」

 皇州同盟は極右と呼ぶ事すら生温い集団である。平時では常に危険視され、躍進の機会は訪れず、寧ろ積極的に排斥しようという動きは常に付き纏う。故に常 に武力が必要とされる有事である事が望ましく、その為には、帝国に拭い難い屈辱を与えねばならない。自然休戦による膠着など選択出来ぬ様に。

「帝国軍を北部に誘引しての殲滅ね。なるべく数を誘引したいんでしょ? あの小さい参謀、戦慄してたらしいわ。内戦での混乱が冷めやらぬ中でこそ許された縦深防禦だって」

「どちらの参謀だ? 同盟軍か? 北方軍か?」

 皇州同盟軍に陸軍〈北方方面軍〉の参謀集団は既に連携を図りつつある。職責の類似など問題にして不快感を示す余裕など大軍を前にしては生じる筈もない。下手を踏めば亡国で、歴史書に無能として名を残したい参謀など居る筈もない。

「陸よ。でも、北方軍じゃないわ。参謀本部の……あの、小さい少将。名前、なんだったかしら。皆、幼女参謀って呼ぶから……」唸るリシア。

 幼女という表現を聞けば、陸軍参謀本部という職場には深刻な虐め問題があるのではないかとも思えるが、多種族国家である皇国には摩訶不思議が満ちている。見た目が幼女で、尚且つ幼女と表現される事に喜びを見い出す種族がいるのかも知れない。

「陸軍の参謀本部で北部の機微が分かるのか。聞かないな、主要な参謀でその辺りが理解できる者がいたとは」

「ファーレンハイト陸軍府長官の切り札よ。最近、表に出てきたの。彼女が最初から重用されていれば内戦なんて起きなかったって言われてるわ」

 それ程の参謀がいたとは、トウカは寡聞にして聞かない。眼前の情報参謀は、その辺りの情報を遮断しているのではないのかという懸念すら出てくる。無論、陸軍職となっていたリシアに、皇州同盟軍将官のトウカへの情報共有の義務はないので、追求するのは筋違いであった。

 だが、トウカは、重視している皇州同盟軍情報部から伝達されなかった事を問題視した。軍事行動や政変の予兆や謀略、大規模な組織変更、軍事情報に関する 部分の報告ばかりで人事情報や、個人の動向は排された資料である事が多い。個人の延長線上に組織があり、組織の思惑としての戦略がある。よってトウカは個 人を重視しない。人事に関しては少なくとも国内で政略的な動きを見せる者のみを押さえていた。トウカとしても是正したい問題であるが、同時に情報部だけで は手が回らず、情報を精査する人材も払底している。故にトウカは政治情勢や人事情報に対して非常に疎い。有事下であり、半ば軍政主体の北部地域に対する政 略が有効ではないという建前でもあるが、本音を言えば北部地域での縦深防禦に備えた大規模避難が進められる状況で政治など機能しないという打算もあった。 北部臣民は皇州同盟に協力的であるが、民意とは移ろい易いもの。特に縦深防御と言えば聞こえは良いが、序盤から中盤までは熾烈な後退戦である。軍事的視野 を持たない民衆から批判の声は必ず生じる筈であった。

 そして、北部の難民を押し付けた陣営は、皇州同盟を最も敵視する国内勢力である中央貴族も含まれる。

「確か……ネネカ・フォン・シャルンホルストだったかしら」

「そいつはまた……まぁ、今後も活躍するなら巡洋戦艦の艦名にでもしてやるさ」

 現在、建造中の艦艇は艦名が既に決定しているので次の機会となるが、それに相応しい活躍をするならば吝かでもない。英雄は何時の時代であれ、それに相応しい待遇を与えられるべきである。無論、トウカであれば艦名になるなど断固拒否の構えであるが。

「………確か、小狐族だったたかしら」

「それは素晴らしいな。完全に情報部の落ち度だ」

 肝心な情報を漏らすのは宜しくないと、トウカは溜息を一つ。まさか隠蔽していたとは思いたくない。確かに小さな狐の参謀というのは実に浪漫溢れるものがある。幕僚団の一角が華やいでいても許されるべきである。ミユキに賢しい準同種族の友人が居るというのも好ましい。

「発言内容は陸軍参謀本部で内々に処理されたらしいけれど」

「それを何故、御前が……ああ、そうか一応、御前も陸軍だからな」

「違うわよ。さっき、公爵閣下から聞いたの」

 箝口令を敷いたの事も虚しく漏洩は起きたらしい。既に七武五公の大多数にとり周知の事実なのかも知れない。

「中央貴族は難民への対応に追われて、挙句にエルライン要塞失陥で揺れるから動けないという大凡の見方は実は逆だったなんて。正確にはエルライン要塞の失陥が、押し寄せる難民の群れによって現実感を伴う事になった……貴方、そこまで考えてたの?」

 中央貴族や他地方の臣民が混乱を甘く見ていた事は明白である。常に北部に軍事的負担を強いながら、自らは平和を享受していた事実は周知の事実で、それ故に軍事的脅威に対して鈍感であった。故にエルライン回廊失陥だけでは混乱状態へと持ち込めない。

 それ故の難民である。要塞失陥に続く、終わりなき難民の行列。彼らは嫌でも実感せざるを得ない。

 次は自分かも知れない、と。

 難民受け入れ意の合意があったとはいえ、彼らは初代天帝から続く安っぽい人道主義の成果として受け入れざるを得ない状況にあった。協和と一地方に軍事的 負担を押し付けた代償という大義名分と、北部臣民の不信感の払拭という建前を彼らは拒絶できない。無論、拒否しても難民が生じる事実に変わりはなく、それ を含めた恫喝も露骨に行った。

 無論、帝国主義者の脅威を難民が無秩序に口にするのだ。放置すれば、混乱は自然と致命的なものとなる。だからこそ、彼らは早期に手を打たざるを得なかった。

 つまり難民を拡散させない。

 混乱だけでなく、貧困と空腹から犯罪に手を染める可能性もある。領地護持の観点からすると死活問題であった。トウカにとり大量の難民を以て中央貴族の足並みを乱すのは、帝国軍がエルライン要塞を失陥させる遙か以前より既定事項だったのだ。

それを読み切ったという幼女狐。

 リシアの説明を幾つか聞き、トウカは味方にならないなら殺してしまいたいな、と胸中で唸る。政略に秀でた敵はエカテリーナだけで良い。無論、陸軍所属で ある以上、関係悪化を招く暗殺などという手段は取り難い。事故に見せかけるとしても疑念は消えず、トウカはそれだけの“実績”を持っている。

 ――いや、陸軍所属だ。指名して〈北方方面軍〉に転籍させるか、連絡将校として北部に引き寄せるという手もあるな。ファーレンハイト長官と掛け合うべきか。

「諸々含めて正しい推察だな。まぁ、帝国の脅威の喧伝に関しては、幾つかの村が帝国軍に襲撃された事実に助けられた部分もあるが……あれも不自然な点が多 い。戦況を考えると調べる暇はないし、元より帝国からの間諜が北部に多数潜伏していたのは事実だ。手引きすれば、帝国軍の長駆浸透も可能かも知れん」

 判断の付かない事は多いが、それが不利益とならないのであれば原因追究は戦後でも構わない。戦争とは悲劇の連なりである。大小様々のべつまくなく埋もれていくものも少なくない。トウカの手元の権力では、悲劇の悉くを歴史書に書き留める事はできなかった。

「そう、ね……悲劇はどこにだって転がっているわ」

 リシアの無感動な声音に、トウカは興味を引く話題ではないのだろうと話を変える。

 何気ない会話に話題。

 トウカはリシアの表面上の変化にしか気付けなかった。









「くそッ」

 トウカは全力で壁を蹴る。鋼鉄の壁は鈍い音を立てるだけである。

「機関の交互(シフト)配置くらいしろ。どいつもこいつも長い船体してる癖に。紛らわしい!」

 対空火器の問題ばかりに目が行っていた嘗ての自分を殴りたくなる程の無能に、トウカは割り振られた自室で叫んでいた。

 〈アイオワ〉型戦艦の如く全長が異様に長い〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦を見て、トウカは皇国海軍は機関に交互(シフト)配置方式を採用しているものとばかり考えていた。

 交互(シフト)配置方式とは、推進器(スクリュー)を稼働させる主機械の機械室と、動力である複数の缶を備えた缶室の二つを一単位(セット)として、一単位(セット)を複数前後配置した機関配置の事である。これにより機械室と缶室が分散し、被弾時の被害分散が可能となる。《大日本帝国》海軍では丁型駆逐艦以降に積極的に採用されたが、近衛海軍では以前より採用されていた。そして、戦歴は有効性を示している。

 ――祖国の重巡や空母が早々に大傾斜した悪夢が……

 設計や建艦思想についての講義をヒラガから受けるべきか、とトウカは溜息を一つ。艦政本部染みた真似をするのは、門外漢のトウカには厳しいものがある が、部分的な技術に関しては多くを学んでいる。戦訓に基づいたものが多いという点は、この世界に於いて千金に勝る価値があった。

「まぁ、良い……大型艦なら浮力は大きい。大型艦に関しては、交互(シフト)配置方式が良いとは限らんしな」

 戦艦などの重装甲を有し、防御機構も充実している艦艇の場合、浮力の喪失は急速に進むこともない。

無論、例外もある。〈アイオワ〉型戦艦などは全長の半分以上の機関を搭載しているが、それは推進器(スクリュー)(シャフト)が長大である事を意味する。損傷により(シャフト)を伝って浸水すれば広範囲に被害を及ぼすに違いない。水が伝うという伝声菅の欠点と同様である。

 マレー沖でマールバラ卿御自慢のウェールズ公の名を冠した戦艦が容易く沈没した原因も、交互(シフト)配置方式の結果である。推進器軸(スクリューシャフト)が損傷で吹き飛び隔壁を幾つも突き破った挙句、その結果として後部の浸水が拡大。電気系統が壊滅し、対空戦闘も戦闘指揮も叶わなくなった。容易く沈んだのは、決して彼らが紅茶を嗜んでいたからでも、糖酒(ラム)で酔っぱらっていたからでもない。

「……念の為に禁酒でもするか?」

 軍人という職業は意外と験を担ぐ。近代化により論理的な思考に裏打ちされた効率的な行動という大前提を余儀なくされた軍人達だが、それを成して尚、確立を操る神々は戦争を欲しい儘にしている。否、論理的思考の末にすら、確立や運という要素はヒトの領分にないのだ。

 そこで、扉を叩く鈍い音。

「主様~! じゃなくて上級大将! なんか凄い音がしちゃいましたよ? 大丈夫ですかっ! 入りますよ!」

 副官としての自覚があるのか、隣室に控えたミユキが出てきたのだろうと、トウカは「どうぞ」と招き入れる。

 入室してきたというよりは突入してきたとでも形容すべき速度のミユキは、勢いを殺しきれずに寝台へと衝突する。寝台を越えて壁に突入しそうな体勢であったが、そこは高位種。難なく姿勢を変える事に成功して寝台へと飛び込んだ。

 簡素な執務席からミユキを一瞥し、トウカも立ち上がる。そして、寝台のミユキへと飛び込んだ。

「へぶぅ!」

 奇妙な声を上げたミユキだが、トウカは問答無用とばかりに抱き締めると寝台の上を諸共に転がった。一頻り転がり終えた二人は、乱れた服装と髪を直し、寝 台へと二人揃って腰掛ける。何をしているのかという気恥ずかしい感情と、声を掛け難い意識が満ちた。トウカにとってミユキの乗艦は想定外で、ミユキも無理 矢理に押し掛けたという自覚がある。艦隊が出航して一週間は経過しているが、ミユキとの会話は少なく、リシアによる士官教育課程の真似事が行われていた。

 トウカは、ミユキの腰に手を回すと有無を言わせず抱き寄せる。

「御前こそ大丈夫なのか? 莫迦者め……」

 困った仔狐だが、異邦人は斯く有れかしとも望んでいた。自由でなければ仔狐足り得ず、その自由を確保する為に己は政戦を完遂する。現状、子爵位を有した 上、天狐族の姫君とされるミユキは、政治的には多くを担保されていた。あらゆる陣営からの政治的蠢動から無関係であり続けている。トウカが報復の意図も露 わに対応していたが故であるが、情報部による護衛や皇州同盟の生み出す利益に対して配慮したという部分もある。

 だが、それらの理由は卓越した力を有する種族の行動を抑止し得ない。個人の思惑や意義が組織によって完全に抑制できない点は、この皇国に在っては特段と 憂慮すべき項目である。高位種という個人が極めて強大な力を有している以上、破壊工作に投入された場合の被害は想像を絶するものがあった。皇州同盟軍が破 壊工作に中位種や高位種を積極的に用いているからこそ、トウカは知っていた。そこに魔術も加わると、行動阻止は極めて困難を伴う。

 ――ケマコシネカムイ公爵と連携を図りたいが……

 七武五公の五公爵でありながら天狐族のケマコシネカムイ公爵は、所在不明で国務にも関わっていない。旗頭としては非常に扱い易いものがある。いかなる派閥の色にも染まってはいない権力者というのは魅力的であったが。

 ミユキは狐耳を揺らす。

「大丈夫じゃないですよぅ。放置された副官なんて惨めです」

 陸軍〈北方方面軍〉や皇州同盟軍に預けた為、ベルセリカと共に統合司令部の成立に忙しくしているとばかり考えていたが、立ち位置が宜しくなかったのかも 知れないと、トウカは反省する。統合指揮官であるベルセリカの直属にしているが、それでも尚、トウカとの関係から周辺が扱いかねて距離を取った可能性は大 いにある。宮廷序列を軍階級とは別系統として扱う事が通例となっている軍だが、それでも尚、相手に権力がある以上、現実として警戒と配慮が行われる例も あった。

 ましてやトウカの急進的な姿勢に対して距離を置こうとする者は多い。実情として皇州同盟軍が北部の護持を担っているが、それに対してトウカへの信頼が比 例する訳ではないのだ。ミユキに対するトウカの偏執的なまでの姿勢を知る者は多く、軍神の外套の裾を好んで踏みたいと思う者はいない。気が付けば踏んでい るという悲劇を避ける為、ミユキと距離を置くという姿勢を取るのは組織人の保身として有り得ることである。トウカも、その点に関しては咎め難い。

 トウカは、女の面倒を見ながら戦争なぞできんぞ、と胸中で毒付く。

「それは悪かった。だが、あの戦場には連れていけなくてな。なにせ後退戦だ」

 エルライン回廊撤退戦と公式に命名された皇国陸軍と皇州同盟軍によるエルライン回廊からの撤退戦は、皇国側の戦術的勝利、戦略的敗北となった。

 後退戦は多大な困難を伴う。戦闘に於いて最大の戦果拡大の機会は迫撃戦である。それは敵軍の後退に合わせて行われるのが通例であった。後退の失敗は多大な損耗を蒙る事になり、トウカはどうしても避けたいと考えていた。

 その為、迫撃を阻止すべく、トウカは多大な労力を払った。化学兵器と機甲戦による砲兵火力の漸減。航空騎による前線索敵。この世界では未だに運用方法が 成立していない兵器の集中運用による大打撃は帝国軍、〈南部鎮定軍〉前衛を壊乱状態に追い込んだ。その間隙を突いて後退を成功させ、トウカの勇名は内戦に 続いて今一度世界に轟いた。

 意外な事に、ミユキはトウカを責めはしない。

「怒ってました……でも、主様は悪くないです。軍隊の事、何も知らない私が関わったのが悪いんです」

「……何かあったのか?」

 ミユキが後ろ向きな考えを持つのは珍しい。

 常に元気一杯で前向きな姿勢を以て周囲を巻き込むのがミユキである。その姿勢は健気であり愛らしさを感じさせ、男性が望む少女の在り様を体現していた。少々、食い意地が張っていて天衣無縫に過ぎる部分があるが、それは愛嬌と取る事もできなくはない。

 ミユキが逡巡を見せる。躊躇うという仕草も珍しいが、左の頬を押さえた事でトウカはその頬が赤く腫れている事に気付く。

「何があった?」

 重ねて問うトウカに、ミユキは項垂れる。

「リシアに引っ叩かれたの……公爵さんに近付き過ぎだって」

 トウカは虚を突かれた。注意をするべきかと悩んでいた問題を、リシアが平手打ちと共に指導したと聞いて天を仰ぐ。リシアへの負債が増えつつある現状に対する懸念以上に、トウカはリシアの思惑がミユキを浸蝕するのではないかと不安視した。

 アーダルベルトも潜在的脅威であるが、リシアもまた最近は不可解な動きが多い。詳しい動向までは不明だが、皇州同盟軍情報部は陸軍〈北方方面軍〉司令部 に対する諜報任務を継続している。ベルセリカやリシアもまたその対象であった。無論、それは身辺警護や近付く諜報員の観測と漸減が主目的である。つまりは 防諜。対象の動向を探る事ではない。よってリシアの暗躍は放置されていた。ベルセリカが”北部地域の状況確認“をさせていると証言している点も大きい。

 リシアという軍人は、良くも悪くも直情的である。ゆえに政治には向かない。政略の推測や情勢考察も優れてはいるが、その行動は常に直情的である。正しい 推測や考察から正しい行動が行われる訳ではない。推測と考察が優れている故に大きな失態はないが、高位種が潜む政治の暗闘に関わるには些か不安がある。

「私が主様の弱点だって際立つ真似はするなって怒られたの。今回も、私を抱き込む事の有効性を、主様の行動と言動次第で皆が認識したかも知れないって……」

「……そうか。間違いではない、か」

 リシアめ、成長したな、とトウカは胸中で驚きを示す。

 政治に対する行動に慎重さが伴えば、リシアには軍政家としての道も開ける。元より装虎兵士官学校時代の立ち振る舞いは皇都という舞台上で、酷く華がありながら要領を弁えたものであった。

 これからの皇州同盟には軍政に優れた指揮官が必要とされる。軍政は能力面を見た場合、クレアでも担える分野であるが、軍事行政と憲兵隊に強い紐帯を見せる将校を配置する事は癒着に繋がる。隷下で不健全な権力構造を許容する心算は、トウカにはなかった。

 軍事行政。それjはトウカを悩ませる巨大な機構。

 具体的には練兵計画、諸経費に於ける会計、兵器や装備の調達、人事や兵站、占領統治に広報……軍事組織の運営に関わる業務全般を含めた部分を指すのが軍事行政……軍政である。対を成す軍令が司る戦略や戦術を支える組織維持の一切合財を指し示すと言っても過言ではない。

 その影響力は多大で、直接に軍事力行使を決断する軍令すら優越する場面とてある。

 本来、部隊規律の維持に努め、軍法を執行するのも軍事行政の範疇に入るが、トウカは、否、大日連は別と扱う事が厳格に定められていた。

 国内での蹶起事件(クーデター)に対しての予防であった。

 大日連の組織形態に関しては、機能を果たさなかった憲兵隊を重く見た故の組織改革であったが、トウカは軍法執行と諜報活動に関してだけは自らの手中に収める事に拘った。重ねて憲兵隊と情報部で相互監視をさせるという徹底は、トウカの軍法と情報の重視を端的に示している。

 一翼を任せるに値する程の“成長”を、リシアは遂げつつあるのかも知れない。

 ヒトは成長する。

 トウカは成長という言葉が“嫌い”である。ヒトに対する言葉ではないと考えてすらいた。

 評価に対する言葉に否定的な感情を有している訳ではなく、成長の実体が“馴れによる最適化”に過ぎないからである。多くの者達は成長が母数の増大である と勘違いしているが、そうした例は往々にして錯覚に過ぎない。生じたとしても母数の増大などは微々たるものに過ぎないのだ。筋力や体力、体格の成長が関の 山である。知能は容易に増加するものではない。

 リシアのそれ自体も最適化であることは疑いないが、あまりにも突然にして急激な変化であり、トウカとしては成長と呼ぶ事も吝かではないと考えた。

 何かをたどたどしく言い募るミユキの言葉に、トウカは相槌を打つ。

 ――さて、何が理由か……まぁ、セリカさんだろうが。

 高位種の(たなごころ)で踊るリシアがその思惑を越えて動いたなら、トウカは彼女を重用できる。高位種を優越する低位種の登用はトウカの喫緊の課題である。トウカだけが特別であるなどという状況が許されるはずもなく、可能な限り低位種が高位種を優越するという“伝説”を用意せねばならない。

 伝説が誰しもに叶うと大多数が認識した時、それは伝説ではなくなる。特別ではなく、日常になるのだ。トウカとミユキの関係も特別ではなくなる。特別視される関係でなくなれば、トウカとミユキの関係も無数とある関係の奔流に埋没するだろう。ベルセリカが(こいねが)う世界にも近づく。

「私は……邪魔ですか?」

 項垂れるミユキ。狐耳と尻尾も垂れ下がる。トウカは意識をミユキへと振り向ける。

「貴族の御姫様になりたい、御前はそう言った。御姫様の役目は剣を手に取る事じゃない。政治を学ぶ事は良い。だが、それは義務を果たす為だ。自分の為じゃない」

 ヒトの事を言える立場ではない事は、トウカも重々と承知している。政治と軍事を個人的な感情で行使した結果、マリアベルを喪ったと、トウカは頑なに信じ ていた。理論的ではない結論である。マリアベルの病魔は政戦によって解決する問題ではなく、トウカの行動が影響を及ぼす余地など然したるものではない。有 り得たとしても微々たるものに過ぎない。

 それでも尚、そう想うのだ。これがヒトか、と。

 トウカは、自らもまたヒトなのだと思い知った。あれ程に個人の死が己の以後の決断に影響を及ぼす様を、後になり客観的に知り得たトウカは愕然とした。

 救国の指揮統率を担うべく“製造”された己が、感情で戦略や戦術を歪曲させた。純軍事的な最善を放棄して、感情の赴くままに政戦を行使した。依って立つ ところとするのが感情であるのは許容できる。目標の設定根拠であるのは問題とはならないが、戦略や戦術に於ける最善を捻じ曲げるならば、最早それは潜在的 脅威に他ならない。

 トウカはミユキの両肩を掴むと、正面から視線を交わす。

「レオンディーネは貴族の観念から逃げ出す手段として軍人を志した。マリィは政治では勝てないと思い知ったから。セリカさんは協和を(あまね)く示す為」

 誰も彼もが理由があり、それを実現する為に権力を求めた。対するミユキは“御姫様になる”という、権力が付随した貴族になる事が先行した。権力の名称に 過ぎない御姫様という肩書を求めたのだ。シュットガルト=ロンメル子爵領を拝領した事で自覚が芽生えたかと思えば副官としてトウカの下に現れた。

 故に問わずにはいられない。

「誰も彼もが為すべきと願う事の為に権力を望む。御前は御姫様になって何をしたい? 肩書を得た事で満足か?」

 そんな筈はない。肩書で満足する程度の女性であれば、天狐族の姫君としてライネケで箱入り娘として満足していたに相違なかった。

 ミユキはトウカから視線を逸らさない。

「主様の側にいたいです。政治も戦争も頑張ります。だから傍に置いて欲しいんです」

 真摯な瞳。嘘偽りを露程も含まない眼差しに、トウカは気圧された。

 無機質な調度品……元型艦が大型商船であった為に木製家具が多用されていたが、揚陸艦や航空母艦に改装されるにあたり、家具等の可燃物や塗料類の撤去を徹底的に断行された事で冷厳な雰囲気を増した士官室。その雰囲気が一層とトウカの双肩を押さえ付ける。

 理由を問わねばならない。一度、裏切った男なれば。

「……それは俺の不義理が原因か?」

 可燃物撤去の一環として塗料の剥がされた鋼鉄の壁面に、トウカは視線を逸らした。

 可能な限り可燃物を撤去されている〈モルゲンシュテルン〉だが、その被害統制(ダメージコントロール)には不安が残る。乗員による間接防御は、兵器による直接防御以上に練度の影響を受ける。

 第二次世界大戦(WWⅡ)に於ける大日連海軍が、マリアナ沖海戦で航空母艦〈大鳳〉を航空機燃料の漏洩、引火によって戦没させる結果となった事は軍事分野に詳しい者達には良く知られている。しかし、航空機燃料貯蔵筒(ガソリンタンク)周辺が二重構造となっていた事はあまり知られていない。二重である部分に注水できる構造となっており、戦闘状況に突入する際は予め注水すると規定されていた。

 だが、実際の大爆発を鑑みるに、注水は実施されなかったと検証委員会により結論付けられている。二重構造であるが、瓦斯(ガス)検知の概念に乏しい時代では、漏洩の発見と発覚が早期のものとなる筈もない。

 結果として〈大鳳〉は盛大に爆沈した。

 眼前のミユキも大爆発するのではないかという不安が、トウカにはあった。落ち度の一切合切悉くが自身にある以上、トウカは一方的に殴られるしかない。間接防御の術はない。

 小沢治三郎提督の航空機搭乗員の気合と根性で成さんとする敵射程外(アウトレンジ)戦法を拒否した、山口多門提督による一五〇(かいり)という異様なまでの空母部隊で距離を詰めての近接航空攻撃戦法は苛烈無比で、参加していた米海軍空母任務部隊は航空母艦を全損させた。

 苛烈である事は対人関係に在っても有効である。

「私、マリア様のこと………………怒ってないです」

 ミユキの絞り出した一言。随分と間が空いたが、それこそが最大限の譲歩であると取れなくもない。

 トウカは、その点には触れない。触れる勇気がなかった。祖国で幼馴染が視聴していた安っぽい演劇(ドラマ)を、相手の心情に対する腰の引けたこと軟弱極まりなし、とトウカは一笑に付したが、恋愛関係と通常の対人関係とは大きな隔たりがある点を、トウカはミユキと関係を持つ事で認識した。無論、迂遠な求め方は未だに納得できないが。

 ミユキの言葉に、トウカは小さく頷き、言葉を返す。

「俺は……御前に政戦を期待してはいない。当然、権力を振るう事もだ。違うだろう? 恋人という奴にそれを求めるのは」

 それでは打算が入り交じる。

 トウカは、マリアベルとの関係が終わって以来、ミユキとの関係に打算を入れる事を恐れた。打算も前提となっていたマリアベルが、双方の打算によって成された闘争によって喪われた以上、それはトウカにとって断固として避け得るべき問題であった。

「だめ、ですか? 私じゃ」俯くミユキ。

「ああ、無理だ。御前は無関係のヒトを陥れる事に向かん。政戦だ。どうしても無関係の有象無象を巻き込む。明確に敵だけを認識し、打ち払うなんて真似はできないんだよ」俺はそれを戦略爆撃で示した、とトウカは言葉を続ける。

トウカに依る帝国南部空襲は、複数の都市を灰燼に帰した。その被害比率で言えば、軍人の犠牲者数など微々たるもので、実際のところ大多数が民間人である。名目上、兵站拠点の破壊による兵站線への負荷増大としていたが、トウカは民間人の殺戮こそを主眼としていた。

 だが、表面上はトウカに責任なしとなっている。

 軍事施設を都市部に設置した帝国軍にこそ問題があり、消火活動にも不備が多々あるという見解を以て一切の責任を負うべきは我々ではないと断言したのだ。

 しかし、それは戦略爆撃で多数の民間人が死傷したという客観的事実を覆し得るものではない。

 それが戦争なのだ。民主共和制国家に於ける政治的決断であっても例外足り得ない。政治による失態は経済に影響し、不況を招いて貧困層の自殺者を増大させる。政権への不満を逸らす為、外交的な突破口を求めれば行き着く先は戦争であるかも知れない。

 政治とて犠牲なく語れないのだ。結局のところヒトは死ぬ。敵国や現状に対する相対的利益を求める上で、犠牲は常に発生する。ヒトを率い、組織を護るという事は、それを意味する。

 ミユキの項垂れた姿に、トウカは肩を抱き寄せた。

「だが、学ぶだけなら文句は言わん」

 自らが政戦に興味を持ち続ける限り、政戦の知識は無駄にはならない。

 ミユキが驚いてトウカを見上げる。

「知識は敵を斬る剣であり、自らを防護する盾だ。火急の時、真に己が身を(たす)くのは知識のみ。それは政戦以外にも当て嵌まるからな」

 知識のない者は、あらゆる分野と状況で落伍する。

 繁栄が知識の質量の底上げと比例している事は、近代文明が証明している。

「何をするにも知識がなければ失敗する。勉学に励むといい。どちらにせよ、話はそれからだろう?」

 周囲が相応しいと思う程の知識をミユキが身に付ける事を、トウカは望む。それに要する時間を以て、仔狐の生存圏(レーベンスラウム)を確立させればいい。

「私、頑張りますっ!」

 両手を広げて抱き着いて来た仔狐に窺えぬ様、異邦人は狂相を湛えた。






 後日。


「という事で、貴方の教育を改めてトウカに依頼されたわ。以後、私の事は教官と呼ぶように!」

 張り切るリシアに、ミユキは両の狐耳をぺたんと寝かせた。

 ミユキとして色々と(こじ)らせたリシアを、ミユキは「主様の人選間違いです……」と尻尾を一振り。

「リシア、疲れてる? 明日にする?」

「糞ったれの淫乱狐っ! 教官と呼ぶがいいわ!」

 鋼鉄の教卓を両手でばしばしと叩くリシアに、ミユキは変な方向に張り切るヒトの痛々しさを改めて実感した。そして、自らが意気込む姿もトウカにはこの様に見えているのかも知れないと思い当たる。

 昨夜の夕食時に、トウカが語ったとある陸軍の練兵方法を、リシアがどうしても使ってみたいのだと尻尾を垂らす。海軍艦艇に搭乗しているのに、陸軍の練兵方法とはこれ如何(いか)なるものか、ともミユキは考えたが、リシアの所属は陸軍である。間違いではないかも知れない。

(つい)でに語尾に“サー”を付けなさい!」

 そもそも女性の上官に対しては“マム”であると言っていた気がしたミユキだが、一々と指摘するのも面倒なので適当に応じる。非公式の場である以上、有力者との関係や爵位がより優先されるのではなどと言えば激怒間違いなしの状況であった。

「んだんだ、分かったベ“さぁ”」

「それ、南部の方言じゃない!」

 凄く面倒くさい。

 こうしてミユキは〈モルゲンシュテルン〉の作戦行動中、リシアから指導を受ける事となった。

 

 

 

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