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第一九四話    航空母艦と高位龍種 上

 

 

 


 後は任せた。

 そう口にした軍神は去って行った。

 去り往く軍神に対して思うところはないが、この状況下でトウカが戦列を離れるというのは状況が宜しくない。

 皇州同盟軍と〈北方方面軍〉の指揮権統合という皇権に挑戦するかのような問題に対し、タルヴェラは当初、「遂にやりおった、畜生め」と天を仰いだ。

 トウカは専制君主制に対して否定的ではないものの、歴代天帝に対して極めて否定的であった。しかし、皇権に対する直接的な挑戦は一度たりとも行ってはいない。内戦ですら本質的には政府と中央貴族に対する抵抗であって皇権に対する不満の発露が原因ではない。

 トウカによる指揮権統合は突然に宣言された。陸軍府長官のファーレンハイととの事前の遣り取りがあった事は疑いないが、陸軍の混乱を見るにそれを知る者 は極めて少なかったであろうことは疑いない。無論、ベルセリカを陸軍〈北方方面軍〉に移籍させる事をトウカが許容したのはこの為だったのだと、今になりタ ルヴェラは痛感した。ベルセリカを陸軍所属にして指揮官に据える事で、表面上は陸軍の指揮下で動く事とする。皇権から逸脱はしていないという“詭弁”が成 立した瞬間である。

 実情は無任所のトウカが指揮統率で幅を利かせる以上、苦しい言い訳に過ぎない。言い訳を用意した点を、トウカの皇権に対する配慮として評価すべきか、陸軍の反発を低減すべく方策に過ぎないと見るべきか判断に迷うものがある。

 ただ、戦乱の時代、皇州同盟軍を陸軍という軍事組織が認めた以上、それを認めさせるには少なくとも各陣営が脅威を覚える程度の軍事力を有していなければ ならない。七武五公の大多数が国防の為とアーダルベルトが説得……というには纏まりのない行動を懸念してのものに過ぎなかったが、掣肘に回った事で混乱は 殆どなかった。

 何より、彼らはエルライン要塞失陥の動揺を抑えるべく、大多数が所領へと舞い戻っている。連携によって抗することなど出来ようはずもなかった。当然、トウカはそれを理解した上でこの時期(タイミング)で動いたのだろう。

 タルヴェラは溜息を堪える。隷下の兵士の前で指揮官が不安や呆れを見せる訳にはいかない。

「残念ながらサクラギ閣下は特務で下がられるそうだ。ドラヘンフェルス高地での防衛戦の指揮はヴァルトハイム元帥が執られる」

 〈第一装甲軍団〉は甚大な被害……三割の損耗で全滅とされる軍事学上の条件を満たしているが、ドラッヘンフェルス高地南方に於いて再編制の最中であった。だが、補充された戦力は以前の練度程ではなく連携に不安が残る。

 戦力としては半減と言っても過言ではない。

 何より、これから起こるであろう大規模な機甲戦への恐怖があった。

 相手に纏まった規模の戦車や魔導騎兵が存在する展開はエルライン要塞攻防戦と同様だが、ドラッヘンフェルス高地近傍に於ける迂回突破を期待される彼らは 大規模な機甲戦の経験がなかった。〈第一装甲軍団〉の現状は満足とは言い難いものであったが、タルヴェラは経験不足こそを懸念していた。

 ――エルライン要塞に於ける戦闘は単純だった。敵は常に同方角に居る上に迂回もできない。だが、次の戦闘は違う。

 軍用洋餅(パン)であるコミスブロートには、肉醤(肉のコンフィテューレ)か食用油(シュマルツ)の何れが合うかと不毛な会話をしていた参謀連中も同情の視線をタルヴェラに向けている。他人事の様に思える仕草であった。対策を考えるのが貴様らの仕事ではないのか、と罵倒したくなったタルヴェラだが、不退転の決意と意志を持って抑え込む。

 大規模な機甲戦の経験など限られた者しか持ってはいない。トウカやザムエルはシュットガルト湖畔攻防戦に於ける実績があるが、それ以外の将校は大隊程度 の指揮が関の山。或いは、装虎兵部隊の運用と同様とするべきかともタルヴェラは考えたが、それでは戦車の長所である強靭な装甲と強力な戦車砲を十全に生か せない。

「大胆に行くべきだろうな。戦機を逸しては意味がない」

 防御面では装虎兵に勝る戦車は多少の強攻にも耐え得るが、その限界を見極めるのは難しい。踏破性で装虎兵に劣る以上、制約が生じる部分もある。

 そこで、天幕に伝令兵が入室してくる。

「ヴァレンシュタイン少将が到着された様です。陸軍の〈第三装甲教導師団『ライヒェンベルク』〉も参陣とのこと!」

 タルヴェラは、その伝令の言葉に瞑目する。〈第三装甲教導師団『ライヒェンベルク』〉は陸軍で設立された装甲部隊の教導を行う為の師団である。教育や仮想敵(アグレッサー)を務めるのが本来の任務であり、その任務に耐え得るように練兵中であった筈であった。少なくとも、タルヴェラはそう考えていた。

「未だ練度不足と聞いているが、それでも尚、投入するというのか……」

 陸軍の装甲部隊は未だに一部部隊が戦車を受領したという段階に過ぎなかったはずである。教導を担う〈第三装甲教導師団『ライヒェンベルク』〉は優先して 戦車の供給と練兵が行われてると聞いていたが、それでも実戦に耐え得るものではない何より教導部隊の損耗は後の教育に悪影響を及ぼす。優秀者(エリート)撃破王(エース)が集中配備される教導部隊の投入は本来、後がない状況で行われるものである。内戦中の〈装甲教導師団(パンツァー・レーア)〉然り。

 帝国との戦争すら後がない状況に陥りつつあると内外に示したに等しい戦力投射に、祖国の未来を憂えざるを得ない。そうした決断を即座に行える点を喜ぶべきであるとも思えるが、時既に遅しという有り様では意味がない。

 タルヴェラの暗澹たる心情を他所に、能天気な青年の声が響く。

「邪魔するぜ。……おっ、久しぶり、タルヴェラのおっさん!」

「御前か……悪餓鬼め、随分と昇進しおって」

 鋼鉄の騎士として名を轟かせる皇軍装甲部隊の雄に、タルヴェラは苦笑する。隣町の孤児院の悪餓鬼は、何時まで経っても悪餓鬼のままであるが、敵軍に対する悪戯ならタルヴェラも大歓迎である。それがより多くの命を奪う悪戯であれば尚好ましい。


 ザムエル・フォン・ヴァレンシュタイン少将。


 軍神と称されるサクラギ・トウカ上級大将の盟友であり、装甲部隊の指揮に於いては他者の追随を許さない程の指揮能力を見せるザムエルは、皇国に於ける名 将の一人として数えられている。特段と兵士や民衆からの受けが宜しいのは、その気安い性格と性的な話題が印象として先行しているからであった。英雄であり ながらも親しみやすい要素を持つザムエルは、トウカとはまた違った魅力がある。

 ザムエルの背後にいる陸軍出身の副官と思しき男が目を丸くしているが、雰囲気を察する事はできるのか口を挟まない。陸軍では階級や役職が絶対的な要素たり得るが、領邦軍が母体の皇州同盟軍には未だに緩い部分があった。

 タルヴェラは、近所の悪餓鬼が気に入らない相手に悪戯をしに来た訳か、と肩を竦めて見せる。

 零れ出る無数の笑声。ここにリシアが加われば手の付けられない悪戯に発展しそうな気配すらあるが、肝心のリシアがフェルゼンに向かっている事を知るタル ヴェラは胸中に留める。リシアの立場は悪い。陸軍〈北方方面軍〉に在りながら、その責務を全くと言っていい程に果たしていないのだ。無論、飼い殺しの意味 を含めての人事であったことは疑いないが、それ故にリシアは好き勝手に動いていた。役職が与えられたが任務がない以上、自発的に立案した任務を遂行すると いう姿勢を取っている。そんな屁理屈が認められるはずがない。

 だが、〈北方方面軍〉司令官はベルセリカであり、その剣聖が認めてしまったのだ。

 結局のところ、リシアをトウカの手元から引き離す意味合いがあったであろう人事は、トウカとファーレンハイトによるベルセリカの〈北方方面軍〉司令官就 任で無効化されたに等しい。狙ったか偶然かはタルヴェラにも不明だが、兎にも角にもリシアは情報参謀の役職がありながらも無任所であるかのように振る舞っ ている。最近は所在すら不明である事も多い。然りとて指摘されて指弾された日には、陸軍府長官であるファーレンハイトを引っ叩いた挙句に皇州同盟軍へと戻 るに違いなかった。マリアベルに崇敬の念を抱く者とはそうした者に他ならない。

「御前だけで良かった。何人も悪餓鬼を面倒見れん」

「……リシアなら軍神様の尻でも追い掛けてるだろ? 最近じゃ皇都の連中も彼奴(あいつ)の動きを追い切れんから、彼奴の尻を追うリシアの動きを探ってるらしいぜ」ザムエルは笑いながらも近くの椅子へと腰を下ろす。

 リシアの動きを探られるのは防諜の都合上、好ましい事ではないが、国内問題にすら積極的武力行使を行うトウカを相手に過度な動きを見せる陣営が存在するとも思えない。

 最近は北部でも帝国軍の部隊が浸透し、寒村が襲撃されるという事件が幾つも起きている。北部は最早後方ではなく最前線なのだ。否、トウカによる戦略爆撃や空挺は銃後という概念そのものを近代軍事史から抹消した。

 対面に座るザムエルが懐から取り出した煙草を銜える。加えた煙草を上下に振るザムエルに近づいた副官が、慌てて煙草の先端部に点火器(ライター)え 火を灯す。素行不良の学生が子分に身の回りの世話をさせるかのような光景。ザムエルにとって軍隊とは学生生活の延長線上に過ぎないのかも知れない。或い は、ヴェルテンベルク領邦軍士官学校の教育の賜物と捉えるべきか。続く参謀達も子分扱いされている可能性は十分にあった。

 タルヴェラは鼻腔を擽る煙草の紫煙に、ロマーナ産の高級煙草であると当たりを付けて掌手の平を差し出す。ザムエルは箱から一本取り出すと投げて寄越すが、タルヴェラはその一本を銜えると、箱だ。箱ごと寄越せ、と眉を跳ね上げる。

 僅かな逡巡の後、煙草の箱が宙を舞う。受け取ると、中身が半分以上ある事を確認して懐に仕舞う。ついでに加えた煙草を上下に振ってみるが、〈第一装甲軍 団〉の参謀は誰一人として動かない。〈第三装甲教導師団『ライヒェンベルク』〉の参謀達からの同情の視線が北風の如く身に沁みる中、自身の点火器(ライター)で火を灯すタルヴェラ。取り敢えず、背後に振り向いて隷下の参謀達に紫煙を吹き掛ける。咳払いの声が幾つか。

 視線をザムエルに戻したタルヴェラは素早く本題に切り込む。

「やはり貴様の部隊も参加するのか? 練度に不安があると聞いたが」

「サクラギ上級大将とファーレンハイト陸軍府長官の連名で決まったらしい。俺も命令書を受け取ったのは五日前だ」

 堪んねぇな、と嘯くザムエルは満面の笑みである。生粋の野戦将校である彼にとり、教導とは資質云々ではなく肌に合わないのかも知れない。

「二人の考えてる事は分かるぜ。どうせ練度不十分の教導部隊なんて温存するくらいなら投入した方が良いって事だ。教導できない教導部隊なんて意味ないしな。それに、この一戦で使える指揮官を見付けてそいつを核に再編した方が最終的な戦力化は早い。そう見たに違いねぇ」

 「根性入れていけよ、御前ら! 活躍次第で重用されんぞ!」ザムエルが背後を向いて自身の参謀達に叫ぶと、参謀達は陸軍の俊英と自負しているのか一様に熱意に満ちた声で応じる。雰囲気が運動に打ち込む学生の様である。

「ま、どうせ、足りねぇんだろ? こっちの戦車も合わせりゃ、八〇〇は超える。そこに自走砲や、駆逐戦車、突撃砲、対空戦車を合わせりゃ一〇〇〇は行く。十分に殺せるぜ」

 自信を滲ませるザムエル。数の上では十分で、ドラッヘンフェルス高地北方は戦車戦が可能な地形である。突破も迂回も可能であり、後背へ回り込む事は不可 能ではない。タルヴェラとしては理屈として分かるのだが、やはり新兵器である戦車の扱いに戸惑いがあった。打撃と言えば簡単に思えるが、引き際もあれば優 先撃破目標も状況の推移によって変化する。何より機動力に優れた鋼鉄の野獣の戦闘は流動的である。通信設備の能力を踏まえると、考察や推測に優れた指揮官 が指揮を執るべきであった。

 トウカは十分な戦力を投じている。皇国内のⅥ号中戦車は二〇〇〇輌近い。マリアベルの下で量産されていた事に加え、トウカの到来以降は更なる増産が行わ れている。長砲身を持つB型に順次改修されつつある中、その全ては最優先で〈第一装甲軍団〉に配備されてもいた。補充されたⅥ号中戦車も全てが長砲身のB 型であり、トウカがいかに〈第一装甲軍団〉に於ける機動打撃を重視しているかが分かる。

「しかし、指揮系統の統合を要塞失陥の政治的混乱の隙を突いて強行するなんてな。彼奴(あいつ)の腹黒さは見習わねぇとな。おい、参謀連中! てめぇらは他人を嵌める事に喜びを見出すくらいが丁度良いんだよ。分かったか!」

 所属師団を示す袖章(カフタイトル)を両の袖に付け、片肩から胸に金色の参謀飾緒を垂らした〈第三装甲教導師団『ライヒェンベルク』〉の参謀達が威勢良く応じる光景に、タルヴェラは苦笑する。

 吸い切った煙草を握り潰し、手の平の内で火の魔術を用いて灰にしたタルヴェラは手を払う。そして、煙草を入れた胸衣嚢(ポケット)ではなく、上衣の腰衣嚢(ポケット)に仕舞ってある携帯酒筒(スキットル)を取り出して煽る。酒を飲めば煙草が吸いたくなる。その逆もまた然り。

 結構な量を流し込んだタルヴェラは、酒精(アルコール)混じりの息を吐く。草炭(ピート)の効いたウィシュケの香りが鼻を突き抜ける。

「貴様が指揮を執れ」

 天を仰いだタルヴェラはそう零す。ザムエルは唸る。そして、「取り敢えず、だ」と右の手の平を差し出してくる。タルヴェラは携帯酒筒(スキットル)を、 ザムエルに投げ付ける。ザムエルは軽々と片手で掴み取ると一息に煽る。タルヴェラ以上に。〈第三装甲教導師団『ライヒェンベルク』〉の参謀達が上官の飲酒 から一斉に視線を逸らす。自身は何も見ておりません、という表現が痛々しい程に伝わってくる姿である。正規軍である陸軍の軍規は厳しく、当然ながら軍務中 の飲酒は厳禁であった。無論、前線では御構い無しという状況もあるが。

 二口、三口とウィシュケを煽るザムエル。

「正直に言うと、だ。サクラギ上級大将の指揮を見て自信を無くした。あれは何だ? 当人は野戦将校としては才能がないと言っていたが、軍団の指揮に関してなら異様だぞ、あれは」

 エルライン回廊を巡る一連の戦闘で、トウカは新装備である多連戦闘指揮車で指揮を執っていたが、それはエルライン要塞の物見櫓からの情報を利用して可能 な限り多元的な情報に基づいてのものであった。高速偵察騎も投じて情報を俯瞰し、有機的に敵の野戦砲や迫撃砲を蹂躙し、歩兵との直協を阻止する。

 だが、特に目を引いたのが、敵の撃破ではなく混乱を優先した事であった。有力な装甲部隊である事に変わりはないが兵力差は大きい。そこでトウカが重視し たのは常に敵軍を混乱させる事である。砲兵段列を叩く事で火力戦への進展を阻止すべく急伸した装甲部隊は、〈南部鎮定軍〉の歩兵師団に喰らい付いて誤射を 出来ぬ様にした。歩兵師団の壊乱の後、残敵掃討に移らずに隣の歩兵師団へと襲い掛かった。そこで分離した一個装甲師団は後方に展開していた砲兵段列を襲撃 し、混乱を収拾する術を〈南部鎮定軍〉は持たなかった。

 優速を利して目標に短時間で肉薄、混戦状態の中で中隊以上の司令部や火力支援部隊を撃破し混乱させるのは、防御力と機動力を両立させた装甲部隊による急 進だからこそ可能な芸当である。装虎兵よりも火力に優れている以上、短時間で与える被害も優越していた。タルヴェラもその程度までならできなくはない。

 だが、トウカ程に迅速で効率的な指揮はできない。エルライン要塞の物見櫓や高速偵察騎からの情報で多元的に布陣を認識し、攻勢で乱れた〈南部鎮定軍〉前衛を短時間で壊乱させた手腕は疾風迅雷と形容するに相応しい速度と打撃力を有していた。

 複数の高速偵察騎から多連戦闘指揮車付近に落とされる通信筒が軍団司令部付中隊によって回収され、次々と戦域図に情報が添付される様に、タルヴェラは時 代の変遷すら気取る間もなく変わった戦場に絶句した。最早、己の時代ではなく、退役して後進に道を譲るべきではないかとすら苦悩しだが、周囲の参謀達すら も右顧左眄(うこさべん)している有様に踏み止まるしかないと覚悟するに至る。

「閣下の戦闘詳報を読み漁って戦術を理解した心算だった。だが、そうではないのだ」

 戦況によって戦略や戦術が大きく変わる。言うは易しである。

 隷下の軍勢が可能である様に作戦に組み込み、十分な訓練を以て望むべきものを、トウカは可能な限り簡略化することで実現している。参謀にありがちな精緻な作戦や戦術ではない。発想の転換と、要素の組み合わせによってのみ即応しているのだ。

 確かに高速偵察騎の運用は、エルライン回廊という限定空間でこそ効率性を待つ側面がある。戦域が広範囲となった場合、高速偵察騎と言えど、敵部隊を確認 して司令部まで帰還して伝達するまでに少なくない時間を浪費する。その時間は敵部隊の移動範囲という誤差となり、戦術に不確定要素として定着し、不確実性 を増す。対する限定空間であるエルライン回廊であれば敵軍は密集して全体把握し易く、友軍司令部との距離も近い。エルライン回廊であるからこその戦術で あった。

 (ようよ)うたるは夢幻(ゆめまぼろし)彼方(かなた)

 (ようや)く見えたと思った境地は、未だ夢幻の彼方にあった。トウカの戦略や戦術、戦闘教義、軍事技術などは未だに極一部のみが流布しているに過ぎないのだ。

「閣下はそれでも不満だったらしい。遅いな、他を試せばよかった、と言われていた」

 辛うじて限定空間の交戦で使える情報伝達手段など在って無いようなものだ、と嘯く彼は明らかに戦場を統制(コントロール)していた。それは英雄の領分。極稀に存在する戦場を操る者。書物でしか目にしたことのない奇蹟。

「まぁ、彼奴(あいつ)にとって戦略や思想なんて娼館に出勤してる娼婦が日替わりだった程度の問題だろうよ。異様な数の選択肢を個人で用意するのが異常なんだが彼奴は気付いてねぇ」

 ザムエルらしい物言いに、タルヴェラは苦笑する。投げ返された携帯酒筒(スキットル)を右手で受け止める。その軽さに振ってみるが、案の定中身は空である。

 席を立つザムエル。続くタルヴェラ。

「指揮権の件は了解しました、タルヴェラ中将。陸軍としてもその方が宜しいでしょう。総司令部には伝達しておきます」

 敬礼を以て提案を受領したザムエルに、タルヴェラも答礼する。畏まった仕草もできるではないかと苦笑したタルヴェラに、ザムエルのにたりという笑みが返された。

「ところで……彼奴は指揮権の譲渡を想定したと考えますかね? 中将閣下」

「有り得る……と考えている。明日の朝刊で美談となっていれば、まず間違いはないだろう」

 二人は堪え切れず笑声を零す。周囲の参謀達も曖昧な笑みを浮かべている。上官を笑うのは不敬であるが、事実には違いないという不明確な同意であった。

 宣伝戦の苛烈なること社会主義の如し、とは言ったもの。

 皇州同盟軍情報部は使える材料と要素は容赦なく利用する苛烈さを有している。元より情報を扱う軍事組織である情報部が宣伝戦の主体となっている時点で察するべきものがあった。

 情報は何時だって誰かを叩く棍棒である。

 結局のところ、軍神は全ての局面で闘争を継続しているのだ。








「これが新造艦か。一隻だけとは心許ないが致し方ない」

 トウカは鋼鉄の艨艟(もうどう)を見上げる。

 飛行甲板下より迫り出した機銃座から覗く銃身に、平坦な飛行甲板の右舷に聳え立つ艦橋と、その中央から傾斜した煙幕用煙突。針路と速力、距離と艦形、艦種を誤認させる目的で塗装された暗緑色を基調とした幻惑(ダズル)迷彩は軍港では酷く目立つものであった。当初は船台上で七割方完成を見ていた大型揚陸艦を転用して建造されたものであったが、途中で新規技術の実地試験(テストヘッド)として多種多様な技術からなる兵器や構造が盛り込まれた。幻惑(ダズル)迷彩もその一つである。


 〈モルゲンシュテルン〉型航空母艦、一番艦〈モルゲンシュテルン〉。


 皇州同盟軍が世界に先駆けて就役させた航空母艦であった。火薬式射出機(カタパルト)を二基装備し、飛行甲板には合成風力を発生させる魔術刻印が埋め込まれている。発着艦時に指向性風力を魔術的に発生させる事で補助していた。

「しかし、変わった迷彩ですな。誤認を誘発させるのであれば魔術的な処理をすればいいと思いますが?」

 横に並ぶシュタイエルハウゼンの言葉に、トウカは魔術を過信する風潮は軍人達にもあるのだと判断する。

 トウカは魔導技術の多用を危険視している。

 既に四〇〇〇年以上の時を紡ぐ皇国は魔導国家として魔導技術を進展させてきたが、ここ数百年は技術躍進(ブレイクスルー)も なく停滞を迎えている。それでも尚、基礎的な科学技術を用いた兵器や日常生活品を駆逐できていない様を見るに、魔導技術が十全なものでない事は明白。対す る科学技術は未だに多くの伸び代が存在し、魔導技術を一分野として取り込めば、トウカの知る科学を上回る発展を見せるに違いなかった。

 トウカは、それを口にはしない。科学の発展した大日連という大国を知るが故の確信であったが、それを伝えるのは難しい。実体験を伴った確信でなければ発 展への確信は難しい。今の軍人が多弾頭大陸間弾道弾による核兵器の応酬など想像すらしていない様に、実感の伴わない確信とは元来難しいものである。

 トウカは溜息を一つ。

「誰も彼もが魔術の普遍性を確信している。愚かしいことだ。そもそも魔術を使えば魔導探針儀に引っ掛かる。航空騎の攻撃力を知っているだろう? 先手を取られただけで負けが確定しかねないのが空母部隊による航空戦だ」

 第二次世界大戦時の〈第一航空艦隊『南雲機動部隊』〉は世界最強と呼ばれ、世界に名を轟かせたが、その本質は圧倒的な航空戦力を機動的に展開しての奇襲 的運用。戦艦の様に互いの正体が露呈した状況での砲戦など想定していない為に余りにも脆い。大量の航空機を運用すると言うことは構造に多大な制約を受け、 揮発性の高い航空燃料を搭載するという事に他ならない。防御力の向上など机上の空論であった。例え魔術的な防護手段があっても同様である。急降下爆撃など は大型艦であれば魔導障壁の展開で防護し得るという思われているが、高練度部隊の急降下爆撃の命中率が八割を超える。

 《大日本帝国》と《大英帝国》の間で行われたセイロン沖海戦で、〈第一航空艦隊『南雲機動部隊』〉は正規空母〈加賀〉がパラオで座礁した為に戦線離脱し た中でも多大な戦果を挙げた。正確には、トリンコリマー空襲から逃れようとバッティカロア沖を航行中であった英空母〈ハーミズ〉を旗艦とする小艦隊を、 〈赤城〉、〈蒼龍〉、〈飛龍〉、〈翔鶴〉、〈瑞鶴〉の五隻の航空母艦から発艦した九九式艦上爆撃機八五機が航空攻撃。〈ハーミズ〉は四五機から爆撃を受 け、三七発を被弾、平均命中率は八二%である。極短時間で急降下爆撃によって三七発もの命中弾を受ければ、戦艦の魔導障壁も数度の飽和を免れない。そもそ も、喫水線下は魔力の性質上防護できない事から、雷撃に対しての条件はトウカの元いた世界とそう変わらない。

「航空母艦一隻に重巡洋艦四隻、軽巡洋艦二隻に駆逐艦八隻……〈第一航空艦隊『サクラギ機動部隊』〉ですか……小官に指揮させて貰えないのは残念です」

「貴官は鉄砲屋だろう。まぁ、未だ皇国に航空屋が存在しない以上、誰が指揮しても結果は同じかも知れないが」

 シュタイエルハウゼンの言葉を、トウカは受け流す。実際のところ航空艦隊の指揮など、トウカにも分からない。

 艦隊の陣容は十分なものがある。〈第一航空艦隊『南雲機動部隊』〉は、本来の戦力が空母六隻と駆逐艦一隻で、他の直衛艦は全て他艦隊からの臨時編入で あった。当時、世界で正規空母を六隻も集中運用した艦隊は存在せず、航空打撃力において世界最強の艦隊であった事は疑いないが、防御と運用に関しては多大 な欠点を有していた。長大な航続距離と優れた格闘戦能力を持つ零式艦上戦闘機や、世界水準を越えた九九式艦上爆撃機や九七式艦上攻撃機。それを扱う高練度 の航空兵によってその欠点を補っていたに等しい。

 対する〈第一航空艦隊『サクラギ機動部隊』〉は、魔導技術も併用した被害統制(ダメージコントロール)手 段の確立に、専従の直衛艦を有している。空母も直衛艦も無数の対空砲を装備し、航空戦への対応を試みている。現状では探針儀連動型対空砲や対空噴進弾、航 空管制などが開発段階にあり、トウカの望む空母機動艦隊とは質と量の面で条件を満たせてはいなかったが、それでも可能な限りの対応がなされていた。

 不満も不備もあるが、それでも成さねばならない。高度な軍事技術の塊である軍艦の戦術指揮など、トウカにも分からないが。エルシア沖海戦でも大規模飽和 雷撃という奇策で乗り切ったに等しい。何より、エルシア沖海戦は戦艦二隻で敵主戦力を誘引。迂回した水雷戦隊による雷撃で止めを刺すという、陸戦に於ける 機動防御の応用に過ぎなかった。

 ただ、ミッドウェー海戦の悲劇を知るが故に、航空戦では苛烈さが求められると理解している。空母機動部隊による航空戦では慎重な指揮ではなく、山口多門少将や角田覚治中将の様な苛烈さこそが必要である。

「御冗談を。閣下が指揮を執られるのは政治ゆえでしょう?」

「政治もまた戦争だよ。必要なら政治家に血を流させる事も厭わない。この戦争は多種族の生存を賭した殲滅戦争なのだからな」

 後のない戦争で政治や軍事だなどという屁理屈は意味を成さない。総てを賭して闘争に挑むのだ。

「根絶やしにするか、根絶やしにされるか、だ。ですか?」

「或いは、敵国が戦意を喪う程の超兵器を保有するか、だな」

 最近の演説で良くトウカが説いている言葉を口にしたシュタイエルハウゼン。

危機感を煽る上で種族に対する虐殺の可能性に言及する者は、融和主義的な指導者が幾代も続いている皇国に在っては皆無に等しかった。種族の興亡に関わる部 分の話題は、狂騒を招く。統制できない狂騒に駆り立てられて国営を過つが如き真似を恐れた皇国の指導者は正しい。大日連という軍事大国が黄禍論によって抑 圧された不満は大東亜戦争によって暴発した。その結果は陰惨なもので、終わりなき戦火を齎した。

 トウカは、特注である正規品よりも天頂部が高い鞍型(ザッテルフォルム)の軍帽を被り直す。

「権力者というのは皆が羨望するが、実情としては面倒極まりない。権利を越える義務を果たし、結果と利益を齎す事を要求され続ける。割に合わん」

 トウカの偽らざる本音にシュタイエルハウゼンが苦笑を零す。

「権力は傾城の美姫と同様かと。一度手にすれば美しさ故に寵愛して依存し、その我儘に付き合わねばならなくなる。閣下はその点、良く御存知かと」

 ミユキを指しての言葉に、トウカは「莫迦者め」と呟く。

「権力が仔狐の形をしていた。手にしないという選択肢はなかった」

 ミユキを手にするという事は、ミユキの生存圏を確保し、彼女の目に付く範囲を太平足らしめる事と同義である。トウカにとり、護ると定めたモノは万難を排して護るべきであり、手段の正当性や社会的通念など後世の歴史家にでも辻褄を合わせさせれば良いとすら考えていた。

「正しい事を正しいと認める事が大切なのであって、何が国の為になるかで考え、無節操と罵られようとも意に介すな、だな」

 それだけを考えて軍務に当たればいい。無論、トウカにとり正しい事とはミユキそのものである。そして国家にはミユキが住まう。成る程、ミユキは国家その ものであると言える。ヒトの数だけ国家の形があり、仰ぎ見る理由がある。愛する女がいるというのは酷く普遍的な愛国心の立脚点であった。ただ、意識と感情 の屈折の度合いが大凡その者達と掛け離れ過ぎており、理解者は少ないが。

「……明確な目標がある様子で何より。真似をしようとは思いませんが」

 シュタイエルハウゼンは〈モルゲンシュテルン〉の舷側に掛けられた舷梯(タラップ)に足を掛ける。

 直衛を担う艦隊は既に大多数が出航している。

 トウカは機動艦隊司令官として就任し、シュタイエルハウゼンは機動艦隊副司令官としてそれを補佐する。航空戦はトウカが指揮するが、艦隊運用はシュタイエルハウゼンが行う。詳しくはない艦隊運用にトウカは口を挟む心算はなかった。

「しかし、本当に二か月弱も拘束されて宜しいので?」

 シュタイエルハウゼンの問い。舷梯(タラップ)を先に上るシュタイエルハウゼンの表情は窺えないが、その問いこそが本題であろうとは察せる。

 皇州同盟軍総司令官の不在。軍事的空白よりも政治的空白に対する懸念である事は、トウカにも理解できる。暴言を用いて主導権を握り続けるという真似であ れば、或いはラムケとエップの二人にも可能かも知れない。しかし、相手が政治的謀略を仕掛けてきた場合、後手に回る可能性が高い。

「この為に皇州同盟軍と〈北方方面軍〉の指揮権統合の中で無任所であり続けたのは分かりますが……後手に回りませんかな?」

「問題はない。エルライン要塞失陥で他地方の貴族は揺れている。連携どころではない筈だ。そしてこの未曾有の軍事的惨禍に在って有力な戦力単位である皇州同盟軍の足を引っ張る真似はできない」

 最早、内戦の余裕などないのだ。陸軍もこの期に及んでは皇州同盟軍との連携を解消する真似はできない。軍事的惨禍こそが急進的な武装勢力である皇州同盟軍の存在を担保するというのは甚だ皮肉であるが、トウカはその点を最大限に利用して行動する心算であった。

 それでも尚、懸念は払拭できないだろう。だからこそ、トウカは理詰めでシュタイエルハウゼンの疑念に対応する。

 作戦計画の予定日時は大きく取られており、曖昧であるが、それは融通を利かせる為であった。旧海軍の様に余裕のない日程を前提にして作戦計画を破綻させる程に、トウカは無能ではない。

「〈モルゲンシュテルン〉は揚陸艦を転用したとは言え、二九ktの速力を持つ。だが、それでも遅い。高速性に優れる駆逐艦二隻によるY字曳航を行えば三五ktは出せる筈だ」

「高速艦艇のみで編制した理由はそれですか。しかし、重巡はどこから出てきたのです? 海軍に全て引き渡したと聞いていますが?」

「ああ、それは建造中で放置されていた艦を就役させた。何せ、船体との大部分の上部構造物は完成していた。艤装を取り付けただけで就役させられる艦は多いからな」

 マリアベルは戦力増強に熱心であったが、北部貴族は保有戦力に上限を設けられていた。その為、兵装を取り付けずにシュットガルト湖の各島嶼に係留する事 で戦力を偽装したのだ。法的には警備艦や廃船の扱いとなっていた。完成した艦艇を海軍に譲渡した事で生じた人員の余剰を転用し、就役させた重巡洋艦が四 隻。一隻の航空母艦の護衛としては十分なものである。

 〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦。

 二〇㎝三連装砲を四基、艦首側に集中して搭載した異形の重巡洋艦である。シュットガルト運河という東西に延びた限定空間を主戦場とする領邦軍艦隊の艦艇 としては、ある意味、合理性の産物である。第一、第三主砲を甲板上に配置し。第二、第四主砲を前の主砲に対して背負い式に配置した為、艦首側に大部分の砲 を指向できるという利点があった。艦橋が艦中央付近に在る事で操艦が容易で、後甲板には階段状に配置された空間があり、揚陸部隊を小型艇で輸送する為に使 用する設備が搭載された。〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦の建造時に予定された揚陸艦の能力と同様の思想の元に建造された艦艇と言えるが、内戦勃発後も四隻 の〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦は放置された。戦車の有用性が確認され、弾火薬の増産が優先されたからである。内戦中に就役した艦は実質的に〈剣 聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻のみであることからも分かる通り、ヴェルテンベルク湖には未だ兵装を搭載せずに放置された艦艇が多数存在する。その一隻で あった。

 トウカが四隻の〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦の就役を優先したのは、揚陸能力が与えられた後甲板に対空火器を多数搭載できるからであった。後甲板だけで13㎝連装高角砲六基と四〇㎜二段二連機関砲一四基を搭載している四隻は対空戦闘の要であった。

 舷梯(タラップ)を上り切り、トウカとシュタイエルハウゼンは飛行甲板へと降り立つ。横に聳える艦橋もまた暗緑色を基調とした幻惑(ダズル)迷彩を施されていた。飛行甲板も例外ではない。着艦の指標となる白線まで描かれた光景は惹く現実感を欠く光景である。シュールレアリズムとは正にこの事か、とトウカは苦笑した。サルバトール・ダリの世界が飛行甲板に出現するとは、トウカにも予想だにしない事であった。

「閣下、計画主任をお連れしました」

 紫苑色の長髪を靡かせたリシアが男装の麗人も斯くやという佇まいで敬礼する。何故、御前がここにいると口を衝いて出そうになるトウカだが、笑顔を絶やさず得意げな顔のリシアに無言で答礼する。

「貴官が設計主任か? 素晴らしい艦だ。感謝している。就役を急かして済まない」

 初老の紳士服(スーツ)を纏う設計主任に手を差し出すトウカ。造船少将と聞いているが紳士服に丸眼鏡という出で立ちに、軍人としての礼ではなく握手を以て応じる。

「現場が望むのです。致し方ありませぬわい。それに細部は未完成ですぞい。斯くなる上は儂が工員共と共に乗艦して仕上げる心算なれば」

 皺の刻まれた顔に満面の笑みを浮かべた設計主任。軍人としての礼を避けたのは正解であった。

「戦闘に赴く艦に乗られると? まぁ、容積に余裕があると聞きます。構いませんが……若しかして船の設計では命令であっても一度も譲らない性格ですか?」

 それならばとんだ平賀譲であるが、眼前の設計主任はマリアベルの無理無謀に答え続けた人物でもある。優秀である事は明白であった。〈剣聖ヴァルトハイ ム〉型戦艦や〈プリンツ・ベルゲン〉型重巡洋艦などは一領主の水上部隊が個別に就役させた艦艇としては極めて優秀な設計をしている。前者は問題があれども 度重なる設計変更の末の就役であり、戦闘で問題がある程度で済ませるに留めた点は特筆に値する。

 平賀譲とは、《大日本帝国》に於ける造船の神様とも称される人物であるが、設計主任もそれに通ずるものがある。

 海外に非常に高い評価を受けた平賀の存在ゆえに、華盛頓(ワシントン)条約で巡洋艦の分類を艦の規模ではなく搭載砲の口径とすると取り決められ、巡洋艦以下の補助艦を制限する倫敦(ロンドン)条約が締結された。諸外国が平賀の設計する艦艇を脅威と見た為である。無論、採算度外視や対空戦闘、被害統制(ダメージコンロール)技術の軽視と功罪共に著しい人物である事も確かだが。

 四人で艦橋へと歩を進める。周囲では未だに溶接作業が続いている。飛行甲板や艦橋周辺は終えている様子であるが、艤装に関しては未だに取り付け作業が続 いている。特に機銃座への対空機関砲の搭載が間に合っていないのか、飛行甲板の端には取り付け前の対空機関砲が整列している。

「この一手は帝国を崩壊させる一手だった後世の歴史家は言うでしょう。艦を万全ならしめる事、一皇国軍人として貴方に願います……失礼、姓名をお聞きして宜しいか?」

 そう言えば書類には設計主任の姓名が記入されていなかったと、トウカは思い当る。ヴェルテンベルク領邦軍時代から皇州同盟軍まで、艦船設計は全て彼が取り仕切っていたが故に設計主任という役職そのものが代名詞であった。

「儂は海狸(かいり)族でしてな。我が種族に姓はありませぬ。名はヨーゼフと申します」

 ――海狸(かいり)? ああ、海狸(ビーバー)か。

 そう言えば死人(ゾンビ)と化した海狸(ビーバー)が次々と人を襲う恐怖(ホラー)映画があったなと思い出す。樹木を齧り倒す前歯で人間の動脈を切り裂いて死に至らしめる事もあるとも聞く。

 実に平賀譲な生態である。

 海軍に噛み付いて譲らない為、“平賀不譲(ひらがゆずらず)や直ぐに相手を顔に血を上らせて怒鳴りつける様から”ニクロム線“と呼ばれた彼は良くも悪くも艦船設計に心血を注いだ人物であった。聞くだけで高血圧な人物と思える。

「なれば今日よりヒラガと姓を名乗ると宜しいでしょう」

 姓がないのであれば自由に名乗れば良い。現にミユキもまたそうしている。

「それはいかなる方の?」

 異世界では知られぬのも当然である。

「遠く異世界で世界最強の戦艦を設計した男の名ですよ」

 八八艦隊を実現し、大和型戦艦を設計した男の名である。最も大名家が中心となって建造された〈斑鳩〉や〈飛鳥〉の建造には関わっていないが。

「それは面白い。儂も斯様(かよう)に名乗りて不沈艦でも作りましょうかの」

 呵々と笑声を零す設計主任。帝国を滅ぼすにたる艦艇を手にできるのであれば、トウカに不満はない。トウカとしては帝国を滅亡させるのは困難ではないと踏んでいた。

 帝国は第二次世界大戦前の《波蘭(ポーランド)王国》と似ている。全方位を敵対的な国家に囲まれているのだ。全土を占領され農奴化された東方の宇克蘭(ウクライナ)、首都ヴィリニュスを占領された北方の立陶宛(リトアニア)、第一共和国時代に独逸(ドイツ)と揉めていた間隙を突いて領土を奪われた南方の捷克(チェコ)、大波蘭(ポーランド)主義の遺恨を忘れていない西方の独逸(ドイツ)。周辺に好意的な国家は存在しなかった。

 帝国は北方こそ国家に面していないものの、それ以外の方面では無数の国家と面し、遺恨を抱かれている。現時点で交戦中の国家も少なくない。

 未だに制圧が叶っていない以上、攻勢限界に在ると見て間違いない。戦線整理と敵対国を絞らねば帝国に勝利はない。

 人中の龍……エカテリーナがその点を把握していない筈はなく、それに故にエカテリーナの帝国内での権力の限界が窺える。エカテリーナが確たる権力を手にする前に、帝国の斜陽を確実ならしめる事こそがトウカの喫緊の命題である。無論、早々に滅亡させる事も問題であるが。

 曳船の力を借りて岸壁を離れ始めた〈モルゲンシュテルン〉だが見送りはない。新造艦であれば見送りなどもあるが、戦時体制の皇州同盟軍はヴェルテンベル ク領邦軍より継承した高度な機密管理を継続している。艦艇の進水は真夜中に行い、艤装に関しては島嶼部に造られた入り組んだ地形の軍港内で行われていた。 試験航行すらも設定された民間船舶の侵入禁止区域で行われているという徹底ぶりは、マリアベルの猜疑心の発露である。

 艦橋部の艙口(ハッチ)を付近の水平が敬礼と共に開ける。トウカは答礼と共に(くぐ)る。

 そこで緊張感の伴う声音の艦内放送が響き渡る。

『不明騎、単騎で接近しつつあり! 工員は艦内に避難せよ! 総員、対空戦闘用意! 繰り返す――』

「閣下ッ!」

「ああ、急ごう!」

 リシアの声にトウカは応じ、付近の階段を手摺りを掴みながらも駆け上がる。航空母艦の艦橋は戦艦や重巡洋艦などと比して簡素である為、艦橋へと至るに時間は掛からない。

 狭い艦橋に飛び込むと、多数の水兵が伝声術式を用いて慌ただしく命令を伝達している。双眼鏡で哨戒を続ける水兵や伝令として飛び込んでくる水兵もいた。 軍港内で襲撃を受ける事など想定していなかったが故に浮足立っていた。それも致し方ない事である。シュットガルト湖には島嶼部に軍港が複数あるが、内戦中 では一切の攻撃を受けなかった。隠蔽されている以上に、フェルゼンの大工廠や軍港が被害担当となったという理由が大きい。

「狼狽えるなッ!」

 声を張り上げたのはシュタイエルハウゼンだった。

「照会急げ! 通信士! 当該騎に目的を問え!」
「照会急げ! 当該騎に目的を問うのだ!」

 その大音声に艦長と思しき大佐の階級章を付けた中年が復唱する。経験不足に練度不足であることが明白な動きに、トウカは「やはりか」とヒラガと共に艦橋の端へと移動する。対応は専門家に任せるべきであるという判断であった。

 しかし、ヒラガが申告したことで、トウカも口を挟まざるを得なくなった。

「対空火器は設置が完了していないものも多くあります。調整も殆どが……」

「承知した設計主任。シュタイエルハウゼン提督。水兵に陸戦隊編制を命令。ハルティカイネン大佐。陸戦隊の指揮を執れ」

 陸軍所属のリシアに対しての命令も指揮権統合が叶った今となっては不都合ではない。リシアは敬礼すると、佩用した曲剣(サーベル)の鞘を掴んで艦橋を飛び出す。

 高位龍種も格納庫内の待機室には詰めている。軍用騎でもある高位龍種は、身体能力や魔導資質に優れている為、陸兵としても運用可能であった。トウカは、彼らの動員も重ねて命じる。

「さて、敵か味方か……」

 トウカは、哨戒網を掻い潜って南方から現れた以上、帝国軍騎ではないと踏んでいたが、国内に敵を進んで作った経緯がある為に友軍であるとは断定できなかった。

 脅威は外敵だけではなかった。


 

 

 

 

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正しい事を正しいと認める事が大切なのであって何が国の為になるかで考え無節操と罵られようとも意に介すな。

                   《大日本帝国》海軍中将 大西瀧治郎