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第一五六話    それぞれの大衆酒場 後篇




「これは帝国の硬貨だ」

 高く掲げた、くすんだ色合いの硬貨。

 困惑する聴衆を無視して、トウカは続ける。

「私がとある集落を襲おうとしていた匪賊を撃破した際、今際の女傭兵より託された物の一つだ」

 証拠としては余りにもお粗末であり、これも偶然と言えなくもない。余りにも露骨すぎる為、情報部の中では首謀者を帝国へと誤解させる意図を持った第三者 の存在ではないかと危惧する声もあった。この場合の第三者とは、北部での匪賊跳梁の時期が征伐軍成立以前からであった点と、陸海軍の情報網は北部という地 域に於いては情報部が押さえていた事から、七武五公や中央貴族、政府ということになる。

 しかし、中央貴族が単独で北部全体に対する情報戦を行える様な諜報戦力を有しているという事実はなく、政府は外務府直属の対外情報課程度しか配下にない。

 消去法では七武五公となる。

 皆がそう考えている事は疑いなく、北部の混乱を扇動した一面もまた見受けられる。マリアベルとアーダルベルトの確執は勿論の事、北部では貴軍官民問わ ず、七武五公が中央貴族を従えて門閥貴族として成立している様に見ている。そう考えるのは自然な流れといえる。七武五公に対して非難の声が上がらないの は、決定的な証拠の欠如とその権勢によるところであった。

だが、七武五公の権力の前で決定的証拠もなく糾弾できる存在は、北部統合軍の解体によって喪われたのだ。しかし、最も利益を上げた存在が七武五公や中央貴族であるからこそ疑われていると言える。

 だが、トウカは帝国が謀略を巡らせたのだと判断していた。

 無論、その点は重要ではなく、七武五公や中央貴族の疑いを帝国へと転化して恩を着せた上で、反帝国感情を扇動する事で外敵の存在を意識させ、皇国内の諸勢力を挙国一致へと導く点にこそ意義がある。

 トウカは、聴衆へと問い掛ける。

「北部で起きている匪賊の跳梁。不自然だと思わないか? 領邦軍が手当たり次第に撃破しても次から次へと湧き出る……そして、各領地の防衛に特化した領邦軍が策源地を発見できないという不自然」

 ましてや強大な軍事力と優秀な諜報組織に、優れた野戦指揮官、索敵に適した航空部隊を多数保有したヴェルテンベルク領邦軍ですら捕捉できなかった。匪賊の部隊運用ではなく、その規模と行動を見るに明らかに正規軍の運用であり、背後に相応の勢力がいた事は明白である。

「次々と現れる匪賊の中には他国で猛威を振るっていた集団もあった。意味もなく北部に集中するのは不自然ではないのか?」

 皇国陸軍が、仮想敵国である帝国との前線として機能しているエルライン要塞の後方である北部を不安定化させる博打を打つ可能性は低い。現に内戦の最中の エルライン要塞は糧秣や弾火薬は無視できない程に消耗していたという報告を受けていた。陸軍の危機感は並大抵のものではなかったはずである。大規模な航空 輸送程度は考えていた可能性すらあった。

「私が襲われたのは天狐族の隠れ里だ。他にも高位種の里などを狙った匪賊がいたと聞いている。それも陸軍正式採用の戦車まで保有していた」

 恐らく、皇国内に帝国の工作員がかなりの数で浸透しているはずであり、いずれもの勢力にも食い込んでいるとみて間違いはなかった。特に陸軍は天狐族の隠 れ里で撃破した正式採用の戦車の製造番号を照会させた結果、製造工程で弾かれた比較的状態の良い不良品を寄せ集めて組み上げられたと判明している。

「何故、高位種を狙うのか? 決まっている。彼らは帝国の侵攻に際して強力な民兵となり得るからだ! 奴らは一切合財、殺す心算なのだ! そして、侵攻時に障害となる民間人を漸減するなどという手段を執る連中の統治が我等に対して穏当であるはずがない!」

 天狐族など一人一人が小隊規模の魔導砲兵である事を踏まえれば決して妄想とは言えない。その上、隠れ里であった場所を突き止めて攻め寄せきた以上、皇国内にそれ相応の諜報網があるのは疑い様もない。

 帝国は、あらゆる手段を用いて皇国の国力と軍事力の漸減を意図した策略を仕掛けてきている。これらが短期間に立て続けに起きたという事実は、それ相応の“戦果”が得られる算段を付けたから動き出したのだと取れなくもない。

「いるのだ。帝国には! 相応の地位を持ち、政治と軍事の面から皇国を揺さぶれる立場にある者が!」トウカの大音声。

 そして、続く怒声と悲鳴。

 驚嘆と困惑、憤怒と悲哀の入り混じった喧騒は、大衆酒場(ブロイゲラー)を飛び出して大通りまで響いているのか、その声は反響し合うことでトウカの下へと返ってくる。

 ――混乱しろ、混乱しろ……思考を乱せ、判断力を削げ。新しい情報を与え続けろ。

「おかしな点はまだある! 帝国軍は前回、エルライン要塞に攻撃を仕掛けた際、絶妙な時期……征伐軍が北部へ足を踏み入れる直前に撤退した。この為に征伐 軍は北部を通過し、エルライン要塞へと赴く理由が消失、蹶起軍も北部へ足を踏み入れようとした征伐軍を阻む形で展開。両者共に面子に賭けて引く事は難し く、北部地域外周で膠着状態が続き、戦線が形成された……此れも果たして偶然なのだろうか!?」

 後は皆が知る通り、偶発的な戦闘から戦果は拡大、兵力差に劣る蹶起軍は戦線を縮小させる一途であった。

「帝国からすると、両者が衝突し易い環境を整えた、或いは両者の行動を大きく制限する事に成功したと言える。軍を引くだけで皇国内の軍事勢力の二つが争いを始めるのだ。要塞攻略戦よりも遙かに効率が良い漸減作戦だろう!」

 トウカも、ここまで征伐軍と蹶起軍の衝突の道筋が都合よく作られているとなると第三者の意志を感じざるを得ない。

 同時多発的に、帝国に対して有利な現状が続いているという事実。

 それが彼の“人中の龍”によるものなのか、偶然なのか。

 実は、その様なことは纏めて心底どうでも良い。トウカにとって必要な時に、都合の良い真実となればいいのだ。

 そもそも、皇国内の不和は長い時間を掛けて醸成されたものであり、帝国の脅威が明確でない限りは持続してしまう特性を多くの者は理解していない。今回の 一戦で皇国は多大な戦力を喪失し、不和は更に拡大するだろう。一時的な糾合では意味がない。この国難に一切合財の不安要素を排除してしまうべきであった。

 帝国、南部鎮定軍が、エルライン要塞への攻撃を一時的に中止した時期が余りにも帝国にとって都合が良かった点を踏まえると、皇国内……特に北部にはそれ なりの諜報網を敷いていると考えられる。否、帝国の関係者と思われるリディアが北部に居た事実を考慮すると、帝国の諜報組織は北部に諜報員を送り込む手段 を確立していると見るのが妥当である。

 もしそうであれば、蹶起軍崩壊後に付け入り、北部での“紛争”を激化させる事も不可能ではない。そもそも、マリアベルが昔から情報部を動員していたから と言っても、北部領民がこれ程までに中央貴族や政府に対する敵愾心、そして帝国を恐れる動きを見せたのは近年の事である。マリアベルの“貴族も領民も必要 以上に周囲を恐れた。妾は匙加減を間違った”という言葉に、帝国の諜報員もが似た主張を流布させていたからこそ統制できなかったのではないかという疑念 が、トウカにはあった。

 ――どう考えても帝国の意向を受けた者が皇国内に跳梁している。

 これも先代皇王が対外的な雰囲気を配慮し、国家憲兵隊を削減したからである。平時であっても国家統制の守護者である国家憲兵隊を必要とする事に変わりはなく、寧ろ平時であればこそ遮断せねばならない情報があるのだ。

 トウカは一大事だと言わんばかりに鋭い視線を、聴衆の中に見た高級将校達へと向ける。


 サクラギ・トウカは軍神である。


 斬新な戦闘教義(ドクトリン)と数多の新兵器を 提案して征伐軍に痛打を与えた。表面上は一度たりとも作戦を失敗させず、絶望的な戦局であっても尚、後退を続けながらも征伐軍に自軍を越える被害を与え続 けた点は、皇国内外の軍事組織に極めて高く評価されている。皇国陸軍では、その作戦行動に対する研究すら開始されているのだ。

 そのトウカが、いかにも事実であると装って口にするという事実。

 彼ら、特に共に肩を並べて戦野に挑んだ北部統合軍の将兵達は信じるだろう。そして軍事の専門家である彼らが信じるというならば、この場にいる貴族や商人、政治家、技術者も続く。

 ――さぁ、とどめを刺そう。

 爆弾を投げ込むのだ特大の。

 トウカは深刻な表情を造り、問い掛ける。

「帝国側のエルライン回廊出入り口の後方にある防御陣地は果たして意味のあるものなのだろうか? 人海戦術による決戦を得意とする帝国軍が何故、防御陣地を運用する? エルライン回廊を通過して皇国軍が侵攻する可能性を考えた?」

 エルライン要塞は、皇国が帝国という北方の脅威を抑え込む為に建造した大型要塞である。同時に帝国軍がエルライン回廊より少し離れた位置に建造した恒久 防御陣地が存在した。《スヴァルーシ統一帝国》側もまた皇国軍がエルライン回廊を突破して雪崩れ込むのを恐れて設営したものであるというのが通説である。 現に帝国軍将兵もそう考えているはずである。

 だが、本当にそうだろうか?

「有り得ない、回廊内での迫撃や航空偵察以外は帝国成立以降大規模に行われていない。そもそも、帝国軍の大軍という長所を踏まえれば、縦深のある戦線を構 築して皇国軍を消耗させる方が遙かに効率的だ。平原地帯での決戦を渇望する帝国が防御陣地だと? 有り得ない。何故、恋い焦がれた決戦の可能性を削ぐ陣地 を構築する?」

 帝国軍は、この世界でありふれた決戦主義に拘泥しているが、それはエルライン回廊という敵の出現が固定された場所で決戦を求める事を意味しない。

 敵の出方が固定され、攻撃側である自軍に主導権(イニシアチブ)がある以上、従来の失敗を踏襲し続ける必要などありはしない。

 つまり、以前までの失敗の継続には、そうせざるを得ないだけの理由があった。

 そうと考えられなくもない。

 ちなみに皇国では、元より不完全ながら魔導通信によるある程度の相互連携や、強大な能力を有した種族を基幹戦力とした散兵戦術も散発的ながら行われてい たが、近年ではトウカの出現によって状況が変わりつつある。ベルゲン強襲時に通信だけを目的とした通信中隊を編制した点が大きく注目されたからであった。 魔導通信の欠点である戦場で生じる魔力の放出に阻まれるといった部分を、巨大な通信塔を状況に合わせて組み立てることで克服するという手段は、運用に些か の難を見せたものの、長躯進撃を実現する重要な要素となった。

 帝国の国防方針は、皇国が決戦を求めない事を前提としている。

 それにも関わらず、それを遮断する恒久防御陣地設営など有り得るのか。

「寸土をも渡さないという決意か? 莫迦者め、大莫迦者め! 誰だ、そんな阿呆(あほう)な事を言った奴は!? 奴らの国の歴史を見れば冬将軍を利用して、広大な国土に敵軍を引き摺り込むことは幾度もしていると分かるはずだ!」

 帝国の冬は厳しい。

 皇国北部よりも遙かに厳しく、農業や産業には適さないと言える。ある意味、帝国の南下は生存戦略の一端であり、不凍港を求めて南下を続けた《帝政露西亜》と似ている。冬将軍を利用する戦略を執っている事も類似している点と言えた。

 《帝政露西亜》や《ソヴィエト国家社会主義連邦》は、気候の利を生かして大北方戦争や露西亜戦役、独ソ戦に於いて、交戦国であったカール一二世の《バルト帝国》、ナポレオンの《仏蘭西帝国》、ヒトラーの《独逸第三帝国(サードライヒ)》の軍に甚大な損害を与え、いずれの敵をも撃退している。

 《帝政露西亜》に対する諸外国からの軍事的攻撃は、《帝政露西亜》に於ける冬の厳しい気候によって過去に幾度も失敗してきた歴史がある。

 帝国もまた同様である。

 彼らが攻め込まれた事に過剰な反応を示すとは思えず、寧ろそれを奇貨とした戦略を執るはずである。現に彼らは他国との戦争でそれを行った歴史があった。

 だから、トウカは考えた。

「奴らは防御陣地に見せかけたあの張りぼて(ハリボテ)の下から、エルライン要塞に向かって掘り進んでいるのではないのか?」

 それは爆弾だった。喧騒どころではない絶叫。

 思いの外、トウカの声は響いた。

 恐ろしい程に静謐を保たれていた中での一言は、大衆酒場(ブロイゲラー)の外にまで届き、通りに集まっていた聴衆までをも爆発させた。

 ただでさえ満員の大衆酒場に押し入ろうとした聴衆もいれば、周囲の者とその可能性の是非について議論する者、対応を検討する者、無言で立ち去る者……多種多様な者がいる。だが、揃って皆がその考えもしていなかった可能性が突然現れた事に戸惑っていた。

 坑道戦。

 ――まぁ、可能性としてはあり得るだろうが……

 坑道戦は、防御側の塹壕の地下まで掘り進み、地下で爆弾を爆発させて塹壕を破壊するものである。或いは、兵を送り込んで内部から浸食するという手段も有り得るが、それは聴衆が想像を膨らませる事であり、トウカの興味の及ぶところではない。

 《大英帝国(イギリス)》軍は、第一次世界大戦時、メシヌの戦いで坑道戦を敢行し、地下に仕掛けた六〇〇tの爆弾で独逸(ドイツ)兵約一万名を殺傷した。爆発の音は遠くダブリンまで響き、チューリッヒでも振動を感じたと言われている。だが、この時の地下道の掘削には二年半の作業期間を要し、坑道戦は余りにも時間が掛かり過ぎ実用的ではない。

 だが、帝国が陣地構築を初めたのは二年半よりも遙か前である。

 可能性だけを見れば十分にあり得るのだ。

 次々と予想だにしていなかった可能性と危機感を提供される事で、判断力が低下しているだろう聴衆。与えられた情報はあまりにも重大であり、多量であるが故に処理するには時間が掛かる。
 だからこそ畳み掛ける。

「今までの十を超える侵攻は、恒久防御陣地と坑道より視線を逸らす為の行動ではないのか?」

 それが既定事実であると錯覚させるのだ。

 トウカは、右足で粗雑な舞台の足場を踏み締め、視線を集める。

 そして舞台役者宜しく、両手を広げて大音声で怒鳴る。

「諸君、帝国主義者が我らの無能と怠惰を嗤っているぞ! 我等は先祖と同じく奴隷と思われているのだ! 故に求めねばならない! 抑圧からの解放を……!」

 結局のところ彼らは愚かだ。面子で内戦を引き起こし、今この時、外敵の脅威に対抗する術の多くを喪っている。貴族と言えど行政官であり、国内しか見ていないなど政治を司る者としてその資質に疑いを抱かざるを得ない。無論、その茶番に付き合った軍人達もまた同様である。

 愚か者達よ。

 敵を憎みたいか!
 利益が欲しいか!
 戦が恋しいのか!

 トウカも付き合わされたのだ。その分の対価を求める事に何ら躊躇いはない。

 明確でいて単純な言葉を選別し、繰り返し語り掛け、聴衆の矜持(プライド)を刺激し、己の望む主張へと駆り立てるのだ。

 だが、決して感情論に(はし)ってはいけない。この場にいる者の多くは、政戦に関して造詣が深いのだから。

 だが、漠然とした期待をトウカに求め始めたところで、トウカはそれを嘲笑し、徹底的に否定する。無数の情報と提案、続く否定の連続は思考に混乱を齎す。例え、それが憤怒や悲哀であったとしても、それに指向性を持たせる事に成功したならば、トウカの思惑は叶うのだ。

 感情的となり判断力の減じた者は斯くも容易く誘導される。ある程度の理屈は無視してまで声の大きい者の言動に魅力を感じてしまう。それこそが扇動の本質。

 彼らを騙し遂せたならば、北部の臣民は後に続く。

 北部の臣民は、軍人よりも愚かで乗せられやすいからこそ内戦に協力的だったのだ。ゲルマン民族が共産主義と国家社会主義に踊らされた事と、大和民族が皇 国史観と資源なき国土に足を引っ張られた事と然したる違いはない。共に強い不満があり、炊き付ける者か好戦的な世論があった。

 結果としての権力集中と、その先の闘争へと突き進む事は必然と言える。

 ――ああ、言ってやるとも!

 あらん限りに現状を罵るトウカ。

 陸海軍の基本戦略から、貴族による緩やかな連邦制に近い統治の弊害、トウカが示すまで航空騎の運用に積極的でなかったクロウ=クルワッハ公、政府の統制力の欠如と政治家の無意味な罵り合い。果ては先代天帝の軍縮体制にまで及ぶ。

 この場でトウカが問題にしたという意味は、トウカが然るべき立場に立てばそれを改善すると言っているに等しい。今まで変えられぬ現状に歯痒い思いをした者達は、現状を理解してくれる指導者こそを望むのだ。

 ――それを指導するのは俺だ。

 七武五公でも中央貴族でも北部貴族でも陸海軍でも枢密院でも政府でもない。

 彼らよりも熱意に満ちた明確な“ナニカ”を指し示せば、民衆はトウカを支持するだろう。有象無象たる民衆とは不明確であることを厭い、過度に明確であることを求める生物である。

 教えられた通りにしか憎悪できず、与えられたモノしか愛せず、駆り立てられた方角にしか進めない。指導者の下で飼われる蒙昧な家畜に過ぎないのだ。

 ヒトは誰しもが思う程に賢明でもなければ、誠実でもない。

 しかし、トウカは(ヴォルフ)ではない。

 恐怖と恐慌で駆り立てるのではなく、理を以て彼らを先導する指導者となるのだ。

「私は皇国を真の独立に導く! そして、世界に冠たる国家としてこの大陸に覇を唱えるのだ! 皇国軍人よ、銃をとれ! それを支える者達に栄光あれ!」

 憎悪し、現状を変える事を願う者は暴力的なまでの変化を望む。

 今の今まで、抑圧され続けていたが故に。

 少なくともその程度の気概なくば変えられるとは思わないだろう。

 求めろ。

 《ヴァリスヘイム皇国》、繁栄の為の戦争を。








「莫迦者め、莫迦者め……国を滅ぼす心算か……」

 ぶつぶつと呟くアーダルベルト。

 リシアは、その姿を横目に濃麦酒(ドゥンケルヴァイツェン)を胃に流し込みながら愉快だと散漫になりつつある思考の片隅で吐き捨てた。

 どちらにせよ、皇国が滅ぶというのであれば、死中に活路を見いだすしかないのだ。

 ましてや他種族の弾圧を掲げる帝国との戦争は種の存亡を賭した殲滅戦争となる事から、条件付きであっても降伏は許されない。帝国主義者に賠償金で済むは ずもなく、元より領土を求めての南下である以上、領土割譲となる事は目に見えている。その割譲する地域は恐らくは北部となるであろう事は疑いなく、そこに 住まう者達の不遇を考えればあってはならない選択と言える。

 無論、その選択を何処かで取り得る可能性があると疑いを抱いていたからこそ北部貴族は蹶起したのだが、政府や中央貴族はそれを理解していない。七武五公 に関しては双方の認識の差に苦慮しているのか妥協点を探る為に動いているが、それは見ての通り、トウカが笑顔で踏み躙りつつある。

 突き匙(フォーク)で串刺しにした腸詰め(ヴルスト)を口へと運ぶ。

「いい加減に覚悟を決めなさいよ、神龍様」

 元より、道は一つだった。

 そして、アーダルベルトに新たな道を模索する時間はない。

「座して死ぬか、戦って死ぬか。それだけよ。……若しかすると、その最中に勝機を見いだせるかも知れない。我々に遺された最善はそれだけなの」

 分かりなさいよ馬鹿、とリシアは、濃麦酒(ドゥンケルヴァイツェン)で口内の肉汁を胃へと流し込む。

 酒精(アルコール)の程よい酩酊感……というに は少しばかり度を越した思考に支配されつつあるリシアは、自身より遙かに強大な権力を持つアーダルベルト相手に自重する事を止めていた。マリアベルの母親 という、今は亡き人物の残照を後ろ盾に得ている事もリシアの気を大きくしていた。あのマリアベルの母ともなれば死して尚絶大な後ろ盾足り得るだろうという 勝手な自己判断によるものであるが、相手がアーダルベルトであればそれは正解であった。

 それ程にマリアベルの母であるエルリシアの影響は、アーダルベルトに対して絶大である。

 リシアはある程度面影が類似している程度と考えていたが、実際は瓜二つであり現身といっても過言ではない。アーダルベルトの在りし日の記憶を刺激するには十分と言えた。

 二人の視線が交差する中、トウカの演説は続く。

「皆にもう一度、建国の志を抱いて欲しい! 祖国を愛し、多種族多民族による協和の奇蹟を願って欲しい!」

 トウカの声を聞き流し、リシアはアーダルベルトの硝子杯(グラス)を取り上げて葡萄酒(ワイン)を並々と注ぐ。アーダルベルトは既に面倒になったのか、女給仕が運んできたヴェルテンベルク産ノルデンシュターデ・モルトの樽出し原酒(カスクストレングス)酒瓶(ボトル)を掴む。木栓(コルク)を歯で噛み締めて派手に抜き取り、床へと吐き捨て直接喉へと流し込み始めた。人間種であれば即座に意識を失う所業である。

「同胞の血に染まった冬椿が枯れ、紫苑桜華が咲いて春が訪れようとしている光景を、愛する人を喪わぬままに迎える為に!」

 上がる歓声に、飛び交う蛮声。

 中央貴族や政府との融和に近い内容とも取れるが、トウカは巧みにそうした雰囲気を押さえた言葉を選択しており、多くの勢力の狭間で柔軟に対応しつつ他勢力を浸食していくつもりである事は明白であった。

 茨の道であろうが、それでも引く事はないだろう。

 マリアベルの死は、トウカを変えた。

 手段を選ばなくなった。

 それ故に、マリアベルは北部貴族の中でも孤立した存在となったが、現在の北部はトウカを中心として回っていると言っても過言ではない。北部貴族が内戦の 終結と経済封鎖の解除が実行された為、領地運営を立て直す機会だと判断し自領での経済復興に注力しているのだ。政治的な連帯を取り戻すには今暫くの時間が 必要であった。

 つまり、現時点で北部の行く末を担うのは、武力という実行力を持つ軍人達なのだ。

 闘争の時代がやってきた。

 相対的な結果であるが、北部貴族が国家に干渉する為の政治力と余裕、時間を喪い、陸海軍の指揮系統に組み込まれた旧北部統合軍の者達こそが北部最大の兵 力を有していると言っても過言ではない。そして、北方方面軍司令官であるベルセリカに対して絶大な影響力を有したトウカこそがそれらの中心と言えた。

 今この演説を以て諸勢力は、トウカを皇国の政治という舞台の演技者(プレイヤー)として認識するだろう。

「格好良いでしょう? 痛々しいくらいに決意に満ちているわ。彼にとって、あの仔狐の生存圏(レーベンスラウム)がこの北部である以上、思い付く限りの戦略を以て総てに抗するでしょうね」

「……だからこそ危険なのだ。市街戦で分かった。あれにとって組み上げた戦略の全ては実行できるか否かでしかない。それによって喪われる人命の意味を理解しておらん」

 アーダルベルトは袖で口元を拭うと、不貞腐れた様子で吐き捨てる。思いのほか本音で話している様子にリシアは、エルリシアを相手にして話しているように感じているのだろうと苦笑する。

 人命に意味などない。

 人間種から天帝という奇蹟が生じる故の錯覚であり、自らの生に意味を見い出すのはどこまでいっても自身なのだ。決して他者によって決められるものではない。常に他者を見下ろす立場のアーダルベルトには理解できないだろうとリシアは溜息を吐く。

「富や栄光なんて必要ない。名誉も名声も、皇国人として我々が存続してこそ意味を成すもの。明日を勝ち取る。その為の地位と権力があればそれで十分。例え愚かだと、狂っていると蔑まれようとも、私は彼との明日が欲しい」

 リシアは野心を持っている。

 だが、その野心は皇国が存続してこそ成立するものである。

 空になった硝子碗(グラス)を置き、リシアは胡乱な瞳でアーダルベルトを見据える。

 邪魔立てするというのであれば、トウカは七武五公と中央貴族を排除しようとするだろう。そして軍事行動によって為す事が難しいとなれば、世論戦による敵 勢力の漸減を意図するに違いなかった。そして北方方面軍情報参謀はリシアであり、その指揮を執る事になるのは疑いない。陸軍総司令部の統制下である北方方 面軍といえば聞こえは良いが、半ば独立勢力である現状に変わりはない。旧北部統合軍の将兵によって編成された部隊の指揮官に就任する事を元より陸軍に所属 する将校達が忌避している現状では、旧北部統合軍の将兵は陸軍総司令部の意向を受け付けない無頼者の集団に等しい。

 故に、交流と陸軍全体での再編制が進むまでが、付け入る限界時間(タイムリミット)なのだ。

 トウカは、激しく動くだろう。

 強大な組織を。
 強固な組織を。

 場合によっては、相対的な対抗勢力の弱体化でも構わないとトウカは判断しているはずである。

「私は未来を望むわ。邪魔する総てを薙ぎ払い、帝国を討ち、彼の為に栄光を手に入れる。貴方に邪魔はさせない」

 リシアは、机に手を付いて立ち上がる。

 素面ではやっていられないと十分に葡萄酒(ワイン)白麦酒(ヴァイツェン)を胃に収めた心算であったが、思いのほか足取りは安定し、思考は明晰であった。寧ろ、程よく酒精(アルコール)が入ったことで決意が固まる。

 先程まで座っていた椅子に掛けていた軍用長外套(ロングコート)で隠してあった脇下拳銃嚢(ショルダーホルスター)からP98自動拳銃を抜き放つ。

 眉を顰めたアーダルベルトを無視して、リシアは遊底(スライド)を引く。

 聞き馴れた遊底(スライド)を引く摩擦音に、弾倉(マガジン)から薬室(チャンバー)へと銃弾が押し込まれる硬質な金属音。

 アーダルベルトに背を向け、リシアは二階席の手摺りへと近づきトウカを見下ろす。
 ――こんなに美味しい出来事(イベント)見逃すはずないでしょう?

 顔を売る好機である。

 そしてトウカの隣に立つ女性として万人に知らしめるのだ。

 其々の思惑が渦巻く中、リシアはどこまでも軍人であり乙女であった。








「諸君、私は此処に皇国の現状を憂うる者達の集いである“皇州同盟”の設立を提案する!」

 訝しげな顔で周囲と言葉を交わす聴衆を、トウカは右足で再び舞台を踏み締めることで黙らせる。粗雑な造りであるが故に、打突音だけでなく木々の軋む音すら響く。

 トウカが見た皇国の限界は、その多くが権力の分散と連携が希薄であるという部分に帰属する。

 貴族も地方毎に勢力を伸張し、陸海軍は統合した運用がなされていない。企業の連携も薄く、最低限の約定や共通規格のみという有様であり、多種族国家であ るという利点を生かしきれていないのだ。軍の現場や市井の臣民に関しては人間種や低位種が大多数を占める為、交配と思想、主義の混合が進む事でそうした部 分は解消が進んでいる。

 しかし、皇国を動かしているのは実質的には高位種である。

 だからこそ、彼らもまた積極的に意見を交わさねばならないのだ。

「皇州同盟は、軍人と貴族、商人、技術者……職種を問わない総ての者達による皇国繁栄の為の議会であり、種族と職種、立場を越えた連携を意図した組織である!」

 あらゆる者達による連帯感の醸成と、有益な提案を吸い上げる組織。

 名目はつまる所それであるが、企業からの支援金を受け、所属した者達の社会的な立場を所属する他の者達によって押し上げるなどの手段によって皇国内の主要な分野での多数派工作を実現する。軍事も政治も経済も……総てを集中させるにはそれ相応の基盤と組織が必要なのだ。

 建前による美麗字句を並べつつ、トウカはその必要性と合理性を語る。

 聴衆の中には、新たな政治勢力をあらゆる分野に根を張る形で作るという部分にある種の危うさを感じている者もいる事は、トウカも予想している。しかし、 重要なのはこの場で大多数が賛同したという事実が必要なのであって、誰が参加してくれるか否かという点は現時点で重要視していない。

「これは、皇国の岐路である! 共に血塗れの繁栄を掴み取るか、亡国の道を転げ落ちるか!」

 あらゆる勢力が失敗したと、彼らは知っている。

 北部統合軍でさえも、皇国内での主導権(イニシアチブ)確保に失敗した。トウカからすると寿命の問題さえなければ、マリアベルだけが皇国を纏め得る可能性を秘めていたが、その可能性はトウカの手から(こぼ)れ堕ちた。

「祖国を護る為に剣を取れ! そして紫苑桜華を胸に抱く同胞達よ、我が下へ馳せ参じよ!」

 最早、手段を選んでいる状況ではない。

「今、ここに問おう! これに参加し、私と共に皇国繁栄の血路を斬り開く者は名乗りを上げよ!」

 張り裂けんばかりに、怒鳴る様に問うトウカに聴衆が圧倒される。

 だが、ここでラムケとエップが賛成する手筈となっている。

 トウカの視界に、群衆の中央に位置する場所へと移動を終えていたラムケとエップが移る。


 しかし、それは一発の銃声で遮られる。


 ――何処の莫迦だッ!

 脳裏に、(サラエボ)に響いた一発の銃声が浮かぶ。

 トウカが此処で斃れれば、北部の不信感と猜疑心は間違いなく爆発する。無秩序な蹶起が頻発し、帝国はそれを好機と見るだろう。或いは、これも帝国の謀略の一つである可能性も有り得た。

 聴衆の中でも軍人達は素早く伏せ、貴族達の中には魔力を活性化させるものすらいた。

 そうした中でも無様な姿を見せては扇動の意味が無くなると、トウカは銃声がした二階席へと視線を巡らせる。

 そこには、天井に向けたP98自動拳銃の銃口から発砲煙を揺らめかせ、紫苑色の長髪を靡かせた少女が、手摺りに足を掛けて渾身の笑顔をしていた。

「北方方面軍司令部情報参謀、リシア・スオメタル・ハルティカイネン大佐。貴官の理念と野心に賛同し、共に歩むことを此処に誓うわッ!」高らかに宣言するリシア。

 ――誰が野心だ、莫迦者め……

 しかし、知名度のあるリシアの賛同による影響は絶大であり、次々と応じる声が上がる。皇国全土に名を轟かせる猛将の名もあれば、北方方面軍で要職を担う者、軍需企業の取締役の者、有力な北部貴族、新兵器開発に携わる技術者。

 立場も種族も違う者が無数に続く。

 些か想定とは違う状況となったものの、紫苑色の髪を持つリシアの明確な支持は現状に華を添える結果となった。

 手摺りに足を掛けて口元を釣り上げたリシアを、トウカは溜息と共に見上げる。

 最後の最後で全てを持って行かれたような気分を抱いていたが、見上げた先のリシアは女性用第一種軍装を身に纏っている為、総丈が膝程度の長さの(スカート)から下着が覗いている。

 ――黒か。下着は派手なのかも知れないな。

 隣に立つアーダルベルトの歪む表情を無視し、今一度トウカは大外套を翻して聴衆へと向き直る。

「私は此処に誓う。紫苑桜華に祝福される軍神となる、と!」

 天へと突き上げた拳。

 その拳は何を砕くのか。
 その掌は何を掴むのか。

 その結果は、そう遠くない先まで迫っていた。



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