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第一八三話    戦争屋と姫将軍

 

 

「その口を閉じろ! この戦争屋め!」

 リディアは、トウカの発言に対応していたブルガーエフを押し退け、拡大投影されたマリエンベルク城郭の機銃座に窺える異邦人に怒鳴り掛ける。

 本来であれば民間魔導波数で魔導通信を行えば良いが、誹謗中傷の類が余りにも好ましからざるものである為、将兵達の前で同じ手段を以て応じざるを得なくなった。

 リディアによる皇国の皇王招聘の儀への破壊工作の暴露は、然したるものではない。国交を締結してもいない両国は常に準戦時態勢で備えているに等しく、国際社会も懲罰動議の動きを見せる事すらないだろう。周辺諸国から見ても恒例行事に過ぎない。 

 だが、自身が露骨に嘲笑されて沈黙を貫いたとあって、エルライン要塞陥落間近で高まりを見せつつある士気に水を差す事になる。

 ――私は御前に抱かれた覚えはない!

 大多数の言葉は捨て置けるが、抱いただの良い身体をしていただのという発言ばかりはリディアの私情的にも納得しかねるものがある。現に隣のブルガーエフは、ウチの姫様傷物にしてくれたなと顔を真っ赤にしているが、それは根拠あっての事だと知るが故の反応であった。

 リディアによる皇王招聘の儀の妨害は既に一般開示されている事であり、逆にトウカの”妄言”に信憑性が増しかねない。確かにリディアは皇国に赴いていた のだから。自らの優位が偶然ではなく、実力に依るものであると誇示しようとした結果が、現状の”妄言”の信憑性の保証に寄与したのでは、帝国陸軍総司令部 の能力も底が知れる。

 リディアは腸が煮え繰り返っていた。

『やぁ、御嬢さん(フロイライン)。中々に刺激的な姿じゃないか? いけない子だ。その様にはしたなく男を誘うとは』

 リディアは、申し訳程度に纏った軍装を慌てて整える。酒精(アルコール)ではなく羞恥心によって頬に朱が散る。

 将兵が展開する中を、全力で突っ切ってきたリディア。ナタリアは今頃になって一部の隙もない軍装でゆったりとした所作で歩いてきた。将官とすら思える程に落ち着き払っている。これではどちらが軍司令官か分らない。

「トウカ……酔っているのか?」

 自らの現状を差し置いて、着衣の乱れを直しながら非難がましい声音で詰って見せる。

『素面で一〇〇万を超える軍勢を相手に軽口を叩けると思うのか、リディアは』

 それもそうだ、と、リディアもナタリアにヴォトカの酒瓶を持ってくる様に申し付ける。良く見てみれば、トウカの手には白麦酒(ヴァイツェン)の酒瓶が握られていた。

「その割には随分と善戦したな。三〇万は喪ったぞ」リディアは鼻を鳴らす。

背後から咎めるかの様な視線を向けてくるブルガーエフの姿が容易に想像できるが、リディアは気に留めない。姫君としては品位に欠ける立ち振る舞いか、損耗 を正直に返してみせた事か、或いはどちらもという可能性はあるが、リディアからすると然して意味を有するものではない。

 姫君ではなく武断的な決断のできる指揮官としてこの場で応じる必要があるが故に、品位など意味を成さない。将兵が求めているのは姫君ではなく、勝てる指揮官なのだ。横柄で強引で覇気に満ちた佇まいであるに越した事はない。

 被害を正直に言い放った事も然したる事ではない。トウカも弾除けに過ぎない兵力の損耗であると理解しているだろうと、リディアも確信している。

 軍装を纏わせ、小銃を握らせた民兵を、督戦隊を背景に回廊という限定空間を利用し、家畜を追い立てるかの様に前進させる。その上、薬物と酒精(アルコール)で恐怖心を紛らわせた大量の民兵による突撃など、軍司令部からすると自らの戦略的意義を磨滅させる力押しでしかない。

 各地より次々と増派されているとはいえ、リディアとしては忸怩たる思いがある。

 帝国主義国にとっての軍とは、指導者の意志と権威を証明する為にこそ存在し、決して国民を守る為に存在する訳ではない。そうした結果が生じたとしても、 それは指導者の都合と結果論でしかないのだ。類似した権威主義に近い思想を掲げて戦う皇国の諸勢力とは、随分と違う結果が生じている事もまた皮肉である。

 トウカは、リディアの言葉に然したる興味もないのか、鼻で笑う。

『まぁ、帝国の事情など如何(どう)でもいい。今この時、侵攻してきた。それだけ理解していれば十分だ』

 口減らしを詰るのではないかという懸念があったリディアは拍子抜けした。大多数の将兵の前でそうした発言をされた場合、士気低下は免れない。無論、将兵とて朧げには察しているであろうが、直接に突き付けられるのでは話が変わる。

「どうだ、トウカ。私と姉上なら御前を帝国軍の中枢に据えてやれるぞ? 我が軍に来ないか? 取り敢えずは〈南部鎮定軍〉の参謀長にしてやる」なんなら皇州同盟軍も直卒にしていい、とリディアは言い募ってみせる。

 有り得ない事であるとは理解していた。

 混迷を極める政治闘争の続く帝国の有力者に好んでなりたいと、トウカであれば思う筈もない。

「おお、それは良いな。なら、〈南部鎮定軍〉と皇州同盟軍を糾合して帝都に攻め入るのも夢じゃない。平民の権利拡大と税制改革を訴えて帝都に巣食う国賊を撃つ。実に劇的(ドラマチック)だ」

 意外と好意的であった。無論、冗談であろうが。

 不敬罪と叛乱の教唆を大軍の前でぶち撒けるなど正気の沙汰ではない。皇国が敗北した場合、報復裁判で死罪は免れなくなるだろう。そうした点から見ても、トウカは自身が敗北するなどと考えてすらいないのだ、とリディアは頬を引き攣らせる。

 周囲にぞろぞろと集まりつつある〈南部鎮定軍〉司令部の面々が一様に目を白黒させて忙しい。顔色が赤くなったり青くなったり、たまに粗製乱造の黒色火薬 に煤けた砲兵隊指揮官もいるので黒い顔まで窺える。実に色とりどりで、個性に満ちていた。深緑の軍装も相まって雪原という白い花壇に無秩序に花が咲き誇っ ている様に見えなくもない。随分と汚い花壇であるが。

『御前が女帝で俺が女帝夫君だ。まぁ、暫くは地方で起こる貴族の叛乱征伐に忙しいだろうが、それが済めば一〇年で共和国や王権同盟、協商国、連合王国辺りなら征服できる自信はある』

 ――冗談、なのか?

 トウカが口にすれば、冗談と聞こえない。

 トウカの背後に窺える士官達も一様に困惑の表情を浮かべている。

 確かに帝国内で皇国に対して好意的な政権が誕生する事は彼らからすると望ましい事であり、トウカならやりかねないという不信感があるのかも知れない。

『どうだ? 未来の女帝陛下。俺と一緒に大陸に覇を唱えないか?』

 下手に応えれば、叛乱を企てたと騒ぐ貴族が出る事は疑いなく、現在のリディアは帝国最大規模の武装集団の指揮官に他ならない。衆人環視の中での迂闊な発言は、個人の進退に留まらず国難を招く恐れすらある。

「……現実味に欠けるな、トウカ。博打はいけないぞ、博打は」

 感情的に否定するよりも、現実性を不安視しての方が後々に付け入られる隙は少ない。胡散臭い可能性を盆暗貴族に詰られ続けるなど、リディアには耐えられなかった。つい、かっとなって頭と胴体を分割してしまうのは間違いない。

 トウカは、白麦酒(ヴァイツェン)の酒瓶を煽ると快活に笑う。

『違いない。博打は胴元をするに限る。賭けるのは馬鹿者のやることだ』

 リディアも負けじと、ナタリアからヴォトカの酒瓶を受け取って煽る。気が利く将校であり、だからこそエカテリーナが重用しているのだろうと察せるものがあった。

 トウカは機銃座の縁に腰掛け、白麦酒(ヴァイツェン)の酒瓶を投げ捨てる。放物線を描いた硝子製の酒瓶が拡大投影された表示窓から消えた。

 何気なく、トウカが言葉を続ける。

『だが、この侵攻とて博打だろう。カチューシャが随分と梃入れしても、だ』

 違うか?とトウカが言葉を重ねるが、リディアは息が詰まりそうになりそれどころではなかった。挙句の果てには、気管に入ったヴォトカが酒精(アルコール)である事をこれでもかと自己主張する。

 噎せ返るリディア。

 トウカは、先手は貰ったとでも言いたげな表情で、背後に立つ燃える様な紅い長髪を束ねた女性士官から、新たな白麦酒(ヴァイツェン)の酒瓶を受け取っている。色が濃い。濃麦酒(ドゥンケルヴァイツェン)であろうと、リディアは意識を傾ける。皇国で是非とも拝借すべき一本と姫将軍は記憶した。

 決して、トウカが帝国の内情に詳しい事から逃避した訳ではない。

 そう言い訳したいが、今更意味のない事である。

 何故、カチューシャなのか。

 カチューシャとはエカテリーナの愛称だ。カーチャなどよりも親しい関係にある……そう例えば恋人や夫が相手を呼ぶ時に使われる愛称でもある。

 親しみを込めてエカテリーナの名を当然の様に呼ぶトウカ。対するエカテリーナがトウカのことを呼び捨てにしている事を知るリディアは、二人が互いに相手 を認識した上で戦争を行っているのだと痛感せざるを得なかった。トウカは大々的に名が知れ渡っているが、エカテリーナに関しては、その美貌から有名ではあ るものの、明確に重要な政戦に携わっている様には表面上、見えぬ様に配慮されている。貴族間の政争に巻き込まれぬ様にとの配慮であるが、対外的な印象操作 という部分も少なからずあった。

 だが、トウカは明確にエカテリーナを認識している。

 一体、何故?

 疑問は尽きないが、まさか何処かの誰かのエカテリーナと間違っているなどという事はないはずであった。リディアはそこまで楽天家ではない。

 取り敢えずは、話題を逸らすしかない。

「困るな、そうした妄言は。それと……もし、私を伴侶にしたいなら、国内の共産主義者を引き上げるのが礼儀だろう?」

『残念ながら俺はヒトを送った覚えはないがな。そもそも、短期間でこれ程に勢力が伸長するなど有り得ない。政治秘密警察(オフラーナ)は寝ているのか?』

 疑問に疑問で返されたリディアは「可愛くない奴め」と唸る。

 だが、考えてみれば国内問題に忙しいトウカと皇州同盟が、帝国内で拡大している叛乱勢力を支援する余力があるとは、リディアには思えなかった。他国の叛 乱勢力を支援するのは短期間では難しく、同時に多額の資金と人材が必要となる。トウカが頭角を現した時期からでは不可能に近い。別の力学が作用していると 見るべきであった。

 ――他の力が働いている? ええい、他だ! 何を聞くべきだ!

 リディアは、指揮官であって参謀ではない。そして、決断はできるが、それは感覚と感情に依るところが大である。自身が交渉事で機転の利く女ではないと、リディアは理解していた。

「全く、相変わらず口が悪い……その癖、嘘を並べ立てるのは得意と来た。私も姉も簡単に股座を開く女ではないぞ」

『では、やはり戦わねばならないか』

 トウカが獰猛な笑みを浮かべる。リディアも戦意を滾らせて応じる。

 吹き荒び始めた寒風の中、峻烈な意志が二人を突き動かす。

 きっと、何時かこうなる気がしていた。

 その結末は大多数の者達にとり及びもつかぬ事であった。








『御前が黙って回廊から撤退するなら見逃してやるぞ? 命を粗末にする事はない』

 嘯くリディア。トウカは狂相で嗤う。

 悪い取引ではないが、そう言われると抵抗してみたくなるものである。無論、城郭の各所に爆発物を仕掛けてから撤退するという選択肢も脳裡に過ぎるが、兵 力を分割されては無意味だと考えて却下する。少なくとも長躯進撃する為の戦闘序列を容易に再編制できない程度には被害と混乱を与えておきたいという思惑が あった。時間の捻出こそが主目標なのだ。

 トウカは殺意を垂れ流す。

「リディアこそ命を粗末にしたくないなら、俺に跪け。どの道、帝国は長くは持たん。亡命するなら妾くらいにはしてやるが?」

 姫将軍を跪かせるというのは雄の欲を満たし得るものであるが、トウカとしては此処で万が一頷かれてはミユキとの関係に皹が入る。何よりも英雄の瞳をした少女の軍勢と歴史に残る一戦を行える機会を、トウカは逃す心算は無い。

 共に言いたい放題である。

 次々と悪態を吐き合う二人に、周囲は混乱している。細やかな喧騒と転々とする表情に囲まれたトウカだが、それはリディアの周囲も同じであろうと確信していた。


 互いに埒が開かないと見た二人は、同時に溜息を吐く。リディアはトウカに情報を渡す事を怖れて当たり障りのない言葉で応じ、トウカもエカテリーナに対するある種の宣戦布告を終えた。

 リディアは来る。

 トウカがこの場にいる事を知った時点で、マリエンベルク城郭を看過する事はないだろう。皇国の軍事情勢の中で、近年では最も名が知れる事になってしまっ たトウカが籠城するとなれば放置できるものではない。軍事的な問題よりも心情的な問題に近く、多分に心理戦の部分がある。増援についても過大評価し始めて いるかも知れない。動きが緩慢になればそれに越した事はない。

 結局のところ妥協点などない。互いに看過できない要素が眼前に横たわっていると認識した。ならば、ただ殺し合うだけ。

『戯け、戦争屋』
「抜かせ、小娘」

 二人は嗤う。

 そこで、リディアが笑声を潜め、無表情となる。

『私は御前に首輪を付けて帝国に持ち帰る。絶対に、だ』

「困るな。そうした要請は。外務府を通してくれ給え」

 トウカも表情を消す。

 小僧一人を祖国に連れ帰って何の意味があるのかと思えるが、エカテリーナの思惑が予想できない上、帝国側にはトウカの存在を利用できると判断している者 が居ても不思議ではない。軍事的な副次目標として数えられている可能性は皆無に近いが、権力者の思惑となれば全てを推察するのは不可能と言えた。

 拡大投影する表示窓の死角から、エイゼンタールが手帳に、敵軍が両翼を伸張しつつある、と記してトウカに伝える。

 帝国側からすると、攻撃開始までであれば指揮官同士の会話に終始する事は不利ではないと判断しているのだろう。一方的に切断した場合、言葉の応酬で逃げ たと士気に水を差す事を忌避した為に切り上げ時を図っている様にも見える。リディアが中身のない罵り合いに応じているのも、そうした理由があるのだろう。

 失言を“演出”されると考えているのかも知れない。

「勝てたならば好きにするといい。敗者は尊厳も名誉も資産も喪うのが社会思想(イデオロギー)による戦争なのだから」

 だからこそ負けられない。鏖殺せねばならない。

 社会思想(イデオロギー)が相容れず、相互確証破壊を担うべき終末兵器を有さない以上、両国に和平など有り得ない。国力の疲弊による自然休戦が関の山である。

「俺が勝てば、御前を娼婦に落として稼がせた資金で帝国主義者を殺す兵器を造るだけだ。御前だけじゃない。〈南部鎮定軍〉で見てくれの良い女は全員だ」そいつらの命だけは保証してやる、とトウカは続ける。

 帝国主義者は他種族を根絶やしにせんと、皇国軍将兵を捕虜も取らずに皆殺しにしている。その上、魔術的に使える部位を切断して戦利品としているのだ。皇 国側は捕虜が発生した場合、四肢の筋肉の一部を壊死させて、再度、軍役に就く事ができないようにしてから帝国側に返還している。帝国の人道上問題のある行 動を踏まえれば、皇国側は捕虜を労役で磨り潰しても国際的非難を受けない。女性を娼館に売却しても咎めるのは、国内の自称良心的左派勢力のみである。寧 ろ、それを奇貨として戦争の継続に対して否定的な人物の炙り出しを行う腹積もりでいた。

 小娘共の春を売る程度では然したる戦費とは成り得ないであろうが、末路を宣言しておくのは無駄ではない。捕虜の保持は手間と資金が掛かるので、陸軍総司令部も将兵の憎悪を煽れば否とは言えない事は疑いなかった。

 ――まぁ、敗走時に勝手に絶望して自害してくれるのであれば喜ばしいのだが。

 生存者は少ない方が好ましいが、死兵となって抵抗されても友軍の被害が増大するので、大多数を占める男性将兵については言及しない。

「まさか、今更人道を叫ぶなよ? 御前らと同じ条件で戦ってやろうと言っている」

『構わない。それが戦争だろう。なぁ、トウカ』

 リディアは、然したる興味を抱いていない様子で応じる。

 彼女にとって捕虜に取られる将兵は戦死者なのかも知れない。国内情勢の厳しい帝国内に在って、四肢の筋力が日常生活を送れる最低限まで減衰した者達の末 路など知れている。農作業も土木作業もできず、槍働きもできないとなれば匪賊にすら身を窶すこともできない。故に末路は路傍に打ち捨てられるか、口減らし の対象となるしかない。

 トウカからすると社会保障の不備を放置した帝国の為政者にこそ問題があるので、同情もしなければ憐れむ事もない。不満があるなら現体制を打倒するべく動くべきである。国政を正すとはそういう事である。

 リディアの貌に表情は無いが、その瞳は爛々と峻烈な意志を湛えている。

 右手を翳したリディア。

『明日を掴む為に、私はこの戦争で総てを手中に収める』

 右手を握り締める。その手が何を掴むのか。己が手に多くを掴めると信じて疑わない戦人の瞳。

 在りし日に訪れた大東亜戦争記念館に並ぶ幾多の将星の写真……桜城・刀旗や真田・幸浪、伊達・秋宗、島津・詠華……数え上げれば限がない程に無数の英傑達の眼光をそのままに、リディアはトウカへと眩いまでの威光を示す。

 吹き荒ぶ雪風の間隙を縫い、曙光が降り注いで雪原を照らす。

 明星を溶かし込んだかの様な髪が曙光を浴び、宝冠(ティアラ)の様に姫将軍の頭上を彩る。

 英雄。正に英雄である。

 至尊の権威と絶大な兵権を欲しい儘にして歴史を弄ぶ者。

 リディアの背後からどよめきが響く。〈南部鎮定軍将〉兵達も、その姿に感嘆の声を上げているのだろう。それ程に目を奪われる光景であった。誰も彼もが彼 女の華麗さに目を奪われているが、そう遠くない将来、多くの者は後悔するだろうと、トウカは確信している。華々しい死に様すら与えられない陰惨な戦野で慟 哭と共に息絶えるのだ。

 近代戦どはそうしたものである。だが、それでいい。

 ――それでこそだ! そうでなければ、俺が戦争をする意味がない!

 軍備拡大を成しても、佳き敵手なくば内憂の火種としか成り得ない。特に国内に軍事勢力が群雄割拠している状況下で強大な外敵なく国内を纏める事は、遍く権威も圧倒的軍備も持ち得ないトウカには困難である。

「宜しい、大いに宜しい! ならば総てを喪う覚悟で戦野を駆けるがいい、姫将軍ッ!」

 両手を広げ、トウカは一切合財の悉くを受け止めてみせようと嘯く。

 リディアは鷹揚に頷く。トウカの敬礼に、リディアが答礼で応じる。

 上級大将であるトウカが、元帥であるリディアより先んじて敬礼するのは軍人としての基本であるが、トウカは本来、そうした点を軽視する傾向にある。統率 する軍勢の規模に比して、下士官からの叩き上げではない指揮官としては例外なトウカは、基本教練を受けておらず、規律や軍規が身体に染み付く程の軍歴があ る訳でもない。

 だからこそ、尊崇に値する相手や敬意を払うに値する相手でなければ、そうした動作をする事は少ない。無論、陸海軍将兵に対しては、北部臣民が皇州同盟に求める役割を鑑みて、下手に出るという行為を避けているという理由もある。

 しかし、祖父に勝るとも劣らぬであろう英雄に対する敬意を。陰惨な末路となっても、それは英雄の業であり、元来、英雄とは非業の死を遂げるからこそ後世に英雄と謳い称されるのだ。

 リディアが踵を返す。

話は終わった。そう言わんばかりに背を向けたリディアだが、ふと足を止める。振り向き様に窺えた笑みは戦意に満ちたもので、それでいて年頃の少女らしい若葉の如き初々しさを添えたものであり、トウカは思わず眉を跳ね上げる。

 だが、彼女は何処までも姫将軍だった。


『トウカ! 御前を手籠めにしてやる!』


 一拍の間を置いて〈南部鎮定軍〉が展開している戦域から歓声が轟く。

 呆気にとられたトウカだが、それに応じるように哄笑を吐き捨てる。

 彼女に死を与える存在でありたいと、トウカは切に願った。手段を選ばないからこそ、全力で政戦を行使するからこその敬意であると信じて疑わないトウカは、自身が英雄に打ち勝つ未来を求めていた。

 本来の桜城の戦いは王道である。

 戦力と輜重を集積し、戦略的優位を形成していく。そして、現実的な戦術の積み重ねによって戦略的勝利を演出することこそが、桜城の武門たるの本懐である。只管(ひたすら)に地味でいて確実。地道でいて堅実。派手さもなく、勇敢でもない。

 トウカは英雄であってはならない。

 英雄的冒険が許されるのは祖父の世代で最後だった。その過程と結末が悲惨なものであったが故に。そうした時代だったのだ。他の武家がそうであった様に。

 だが、ただ一人、英雄的冒険を実現させた男がいた。

 六文銭の旗紋を掲げた鬼神。軍神と並び称された祖父と対を成す、決して報われる事なき英雄。

 (まぐ)れなき近代戦で、その紛れを手段を問わずに引き寄せる近代史に於ける称賛されざる英雄の姿を渇望したからこそ、トウカは禁忌なき戦場を謳う。超えるべきは軍神であり、目指すべきは鬼神である。

 持ち得る総て英雄(リディア)を殺す。その先にこそ望み得る己がいる。


「俺が御前を組み敷くのだ! 勘違いするなよ、小娘!」


 殺す前に手間が増えた、とトウカは軍帽を被り直した。









「閣下、如何様になさりますか?」エイゼンタールは問うた。

 機銃座から降りてきたトウカは、気負いも不満も窺えない無表情であり、エルナやキュルテンなどの見守っていた将校達を困惑させた。

 あれ程に弾んだ声音で応酬していたトウカが、然したる感慨も見せていない様に窺えた以上、驚く事も止む無しと言えた。次の命令や悪態が矢継ぎ早に出てくると考えていたのだ。エイゼンタールですらも、そう考えていた。

 だが、考えてみればトウカは本来、言葉数の多い男ではない。

 シュットガルト湖畔攻防戦に於ける戦闘詳報からも、平均的な指揮官からは大きく逸脱している事は有名であるが、その一つに命令が少ないというものがあった。

 戦略規模の命令を除けば、それ以外の命令が皆無に近いのは、事前に想定された通りに戦局を推移させ、想定外の状況下でも予備戦力と対抗手段を伏せている からである。しかし、前線指揮官の軍事行動に制約が生じない様に補給と火力支援、航空支援を準備している点は、野戦指揮官などからは絶大な支持を受けてい た。野戦指揮官にとって、トウカは理想的な総司令官に他ならない。自らの裁量で思う存分に隷下の部隊を各種支援付で運用できるという魅力には抗い難いもの がある。無論、トウカの寛容は野戦指揮官が優秀である事が大前提であるが。

 だが、エイゼンタールを含めた情報部の一部は別の可能性を考えていた。

 彼は戦術規模の判断を不得手としているのではないか。

 特に瞬発的な判断を必要とする状況下に陥る事を忌避している。

 戦術的な判断を自らが下さねばならない状況を自身が不得手と考えているのだ。エイゼンタールが戦闘詳報や報告から受けた印象では、それを補強するに値する要素は見受けられなかったが、当人は自身の判断に満足していない節がある。

 士官学校卒業生ではない事や叩き上げの将校ではない事を愧じているのか、或いは別の理由があるのか。エイゼンタールには読み取れない。

 トウカはエイゼンタールの肩を叩く。

「重砲の一斉射撃が来るぞ。備えさせろ」あれはそういう女だ、と続ける軍神。

 通信を切断したにも関わらず、未だ〈南部鎮定軍〉が展開する遠方からは雷鳴の様な哄笑が届いたように錯覚したエイゼンタールは、一拍の間を置いて応じる。

「では、閣下。我らは閣下の下半身を護る為に奮起すると致しましょう」

 周囲から失笑が零れる。下世話な風評に対して笑声を零すなど上官に対しての不敬の極みであるが、士気の維持が難しい要塞戦では馬鹿らしい話題も気を紛らわせる要素となり得る。

 トウカは、鷹揚に頷く。

「そうだな。では、諸君! 私の下半身の価値が如何程のものであるか、知らしめてやるとしよう!」

 周囲の苦笑が続く。

 トウカは眉を顰めて、何が可笑しいと言わんばかりに周囲を一瞥するが、無表情が逆に笑声を招く。そして、トウカも笑みを浮かべた。

「閣下、砲撃です」

 遠方に閃光を視認したエイゼンタールが呟くが、トウカは無視して城郭内へと歩を進める。キュルテンがトウカの護衛として、エルナが監視として後に続くが、エイゼンタールは敵砲兵段列を近くの監視員の手から双眼鏡を奪い取って見据えた。

 長射程の重砲と集団詠唱による魔導砲撃の一斉射撃。城郭という静止目標相手の砲撃とは言え、第一射目から一斉射撃を行うというのは剛毅である。測的と着 弾観測を繰り返して誤差修正を行ってからでなければ、特に火砲の性能が低い帝国軍は散布界が広く、目標を逸れる砲弾も生じるだろう。

 皇国陸軍砲兵隊であれば、城郭という巨大目標を相手にすれば難しくないかも知れないが、ここは出入り口に近いとはいえ、エルライン回廊という特殊な空間 であり、風の影響は大きい。帝国軍では、射程目一杯の距離からの重砲による砲撃となれば難易度が高いはずであり、初見の地形と条件なのだ。ましてや城郭は 魔導障壁に防護壁という装甲目標であり、歩兵や砲兵などの非装甲目標ではなかった。榴弾による曳火砲撃ではなく、徹甲弾による砲撃こそが有効であるが、そ の被害半径は前者と比して遙かに小さい。

 射爆理論など知らぬと言わんばかりの砲撃だが、圧倒的な基数を揃えた帝国軍の砲撃は理論を補って余りある。

「魔導障壁の出力、上がります!」
「応射開始! 急げ!」
「敵の軽砲と騎兵砲の前進に留意しろ!」
「戦車? 先ずは敵砲兵を削ぐべきだろう!」

 双眼鏡を監視員に押し付け、俄かに慌ただしさを増す機銃座付近からエイゼンタールは離れる。

 直後、魔導障壁に徹甲弾が直撃する硬質な音色が奔流の如く続く。耳障りな直撃音から逃れる様にして城郭内へと身を滑り込ませた。

 練石(ベトン)と金属に覆われた城郭内……近くの木箱へと背を預けるエイゼンタール。刻印を見る限り内容物は重狙撃銃であるらしく、即座に必要とされる場面は来ないはずであった。

 ――前線は久方振りだが……砲撃は馴れない。

 場合によっては、一撃で高位種を絶命させる事も可能な火砲の登場によって、その数と能力に限界のある高位種という“兵器”は相対的に地位を追い落とされ たと言える。無論、それ以下の中位種や低位種などは更に悲惨であり、遺体が見つからないなどという事は近代戦では当然となりつつあった。砲撃により生じた 穴に降雨で水が溜まり、そこを水溜りと勘違いした歩兵が水死するという悲劇すら今この時代では珍しくない。

 エイゼンタールは胸衣嚢(ポケット)を漁り、煙草箱を取り出す。

 皇国臣民が想像すらしない戦争がこれから行われるだろう。

 文明の進歩は人類を暴力から解放しなかった。この一戦でそれを学び、感情と私情を切り離して次に生かすべく真摯にその結果へと向き合える聡明さを持ち合わせてもいない。

 煙草を銜え、エイゼンタールは軍袴(ズボン)衣嚢(ポケット)に手を差し入れる。

 きっと彼は、それを不可能だと見ている。エイゼンタールはそう確信していた。

 彼は他人に期待するという事をしない。

 列強の横暴と、狂気すら窺える無法に個人として立ち向かっているのだ。少なくとも当人はそう考えている。皆で協力し合えばという青臭い理想を垂れ流さないだけ信頼は置けるが、完全な個人主義に近い姿勢は別の危険性を生む。

 ヒトという生物は本質的に反省も自己を顧みる謙虚さも持ち合わせない生物であり、そうした場面が存在したとしても、それは何らかの外圧を受けた結果に過ぎない。防諜を司る組織に身を置くエイゼンタールはその点を良く理解していた。

 だが、一人であり続ければ、その思考は大多数の臣民と乖離する。究極の効率化は人間性を喪わせるが故に。

「せめて心情や知性の面で寄り添う事ができる者が居れば、な」

 点火器(ライター)がない事に気付いたエイゼンタール。それを察したかの様に横から差し出される点火器(ライター)

 諜報部門の中でも指折りの工作員だと自負している自身が、気付かぬ内に横に取られるなど碌でもない相手が出てきたと嘆息するしかない。

 差し出された点火器の火で煙草に火を灯して、紫煙を吸い込むと、その相手へゆっくりと吹き出す。

「……相変わらずだね、君は」

 漆黒の皇州同盟軍第一種軍装に身を包んだ長身の男性。紳士というには些かあどけなさが滲む顔立ちに、煙草を銜える所作が倒錯的とも思えるが、年齢も種族 も不詳である彼には良く合っていた。不明確であるが故の魅力と女性が敵意を抱き難い顔立ちは、中性的な顔立ちでありながらも、時に寄り野性と暴力を宿すト ウカとは対を成すかの様な顔立ちとも思えなくもない。


 詰まるところライナー・シェレンベルクとは、そんな男である。


「シェレンベルク中佐……帰られていたのですか?」

 返るなら土に還ればいいものを、と胸中で皮肉を吐き捨てるエイゼンタールだが、彼の持ち帰る情報は常に有益である為に邪険に扱うこともできない。同僚や部下への配慮が成されていることもまた腹立たしい要素なのだが、それは口にしても詮無い事である。

 シェレンベルク中佐の任務は、帝国に対する諜報活動全般である。軍事力の調査や政治状況の把握。時と場合によっては要人暗殺や破壊工作、反政府勢力の支援などの指揮も盛り込まれている。一番、情報部員らしい任務と言えた。

 問題は、何時も肝心なところで出てくるという点である。

 大事なところで情報部内の戦果の大部分を掻っ攫っていくので、それぞれの任務の境界線を曖昧にしている部分もある。情報部内でもシェレンベルク中佐は鼻摘まみ二枚目青年士官という立場を頂戴していた。

「それで? 我らが最高指揮官殿は御機嫌麗しいのかな?」

「貴官が直接、御機嫌伺いをすれば宜しいのでは」

 嫌がるのは確実であるが、規定の上でも接近は難しい。今現在、この場にいる事すら違反に近いのだ。

 このシェレンベルクという男、何故かトウカと顔を合わせる事を極端に忌避している。当人は「同族嫌悪なのですよ」と気障な微苦笑を湛えて話しを有耶無耶にするが、それなりの理由があるのかも知れないと、エイゼンタールは心に書き留める。

 トウカは対外情報の取り扱いについて、かなり慎重な姿勢を見せている。二重間諜(スパイ)となっている可能性を踏まえ、帝国国内へ諜報活動に赴いた諜報員と直接に顔を合わせる事を避けていた。二重の意味でシェレンベルクは、トウカと縁がない。

「そう言えば、退役されたイシュトヴァーン少将を帝国辺境で見かけたよ。いや、困った事だ。気が付けば後ろを取られていたんだからね」さらりと面倒な情報を吹き込んでくれるシェレンベルク。

 紫煙混じりの溜息を吐くエイゼンタール。密閉された空間を漂う紫煙が視界を曖昧なものとしているが、エイゼンタールにはそれが軍事情勢の行く末が曖昧である事を指している様に思えた。

「それは……退役後の処遇までは情報部として掴んでいる訳ではありませんが。……やはり、共産主義の台頭に関わる諸問題には第三勢力の介入があると見るべきかと」

 暗にイシュタルが関わっているのではないのかという、エイゼンタールの主張に、シェレンベルクは様になった佇まいで肩を竦めて見せる。シェレンベルクが その辺りを調査しないはずがなく、それでも尚、曖昧な仕草が返ってくるとなれば、それは彼ですら容易に踏み入るには危険だと思える程のナニカがあると見る こともできた。

 ――しかし、イシュトヴァーン元領邦軍司令官が帝国に居られるとなれば、やはり皇国内の勢力が共産主義を利用したという事か?

 トウカの肝煎りで流布された共産主義だが、それを上手く取り入れて自勢力を影で伸張させた者がいるとなれば警戒せざるを得ない。ましてや、皇州同盟軍情 報部は相手の正体すら掴めていない。相手は共産主義を短期間で利用して見せたことから、こちらの状況を正確に理解していると判断できる。

 トウカであれば情報部を用いているので、帝国内の擾乱に別組織を用いるという非効率を行うはずもなく、消去法では陸海軍と中央貴族、政府の(いず)れかとなる。

「まぁ、今は気にしても致し方ない事かと」

 エイゼンタールは短くなった煙草を一息に握り潰す。握り締められた拳から炎が僅かに漏れ、再び開かれた(てのひら)から僅かな灰が舞う。

「ところで、五個軽師団……一個装甲軍団の増援も擬装だね? 随分と随伴する高位魔導士が多いのも気になる」

 シェレンベルクの言葉に、エイゼンタールは溜息を一つ。

 そう、一個装甲軍団はあくまでも戦力の一つでしかなく、トウカの求めた決定打は別にある。当人は甚だ不愉快だと考えている様子で、口に出すのも汚らわしいと言わんばかりに、エイゼンタールに詳細を吐き捨てていた。

「兵器性能にものを言わせて敵戦力を挫く。将校たるの外道である、との事です」

 彼は一つの方策に拘った戦略や戦術を忌避している。立案される多くの作戦計画を見れば、複数の手段の併用を以て相手を追い詰める事を基本として、一つの事象に縋るという行為を酷く怖れている様にも見えた。

 何か一つに傾倒する危険性を理解していると言えば聞こえは良いが、彼の心情に依るところであるならば、それは皇州同盟の行く末に暗い影を落とすかも知れない。主に女性関係で。

「いっそ、貴官が女の扱いを教えて差し上げれば、閣下も安定するのではないのでしょうか」

 年頃の少年。包容力のある女性が近くにいれば安定するのではないかという提案は不思議なものではない。マリアベルやミユキというのは、包容力がある様に見えて全くなく、寧ろ状況を悪化させるであろう要素を備えている。

 彼女達は権力に近すぎる。それは戦乱の時代に在って、トウカにという軍神に戦いを強いる道を選ばせるだろう。

 だが、シェレンベルクは、エイゼンタールの主張を鼻で笑う。

「無理、だろうね。彼は俺の見た限り、女性に影響を与えられている様に見えるが、それ以上の大多数に影響を与える“魅力”があるよ。酷く偏りのある魅力だけどね」

 決して、個人の容姿や正確に依る人望(カリスマ)がある訳ではなく、知識のみに起因する魅力というのは史上類を見ないだろう。

「誰も彼もがね、彼は不安定だというけど、それの何が悪い? 安定が祖国を蝕んだ。今この時、彼の不安定な後姿から望むべく未来を模索するべきだよ」

 何処か確信しているシェレンベルクに、エイゼンタールは言葉を返せないでいた。

 

 

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 相互確証破壊は、核戦略に関する戦略。核兵器を保有して対立する2国のどちらか一方が相手に対し核兵器を使用した場合、もう一方の国が残存した核戦力に よる報復を行う。結果として、一方が核兵器を先制的に使えば、最終的に双方が核兵器により完全に破壊し合うことを互いに確証する事である。

 勿論、一方の指導者が底抜けの阿呆であることは想定していない。現状として大和民族は核兵器を有しておらず、親分米帝様の隆盛と半島のカリアゲ君が底抜けの阿呆でない事を祈るしかない。