第一八九話 後衛戦闘
「ええい! 流石に学習しているか! 中将! 砲兵潰しは切り上げる!」
トウカは、野戦机上への間に合わぬ書き込みから視線を上げ、タルヴェラへと新たな命令を下す。
司令部直轄兵力を投入すると同時に軍団司令部を押し上げるという致命的なまでに攻撃的な決断をしたトウカは、その判断が誤りであったと悟った。開戦一週 間で天文学的な敗走を続けた共産主義者とは訳が違う。敵装甲部隊は陣地転換の間に合わない砲兵部隊の楯となるべく展開しようと機動しており、〈第一装甲軍 団(Ⅰ. Schutz
Wehr-Panzerkorps)〉の保有戦力と損耗を踏まえれば突破は難しいとの判断は酷く妥当であった。敵装甲部隊に付随した歩兵戦力は四個師団近 い兵力であり、背後の督戦隊の姿を見れば、壊乱しかけた戦力を無理矢理に押し留めたのは疑いない。
タルヴェラは必要な命令を各部隊へ伝達するように通信兵に申し付けた上で、トウカへと向き直る。
「多連装噴進弾発射機の射程が長いか、或いは陣地転換が容易であれば瞬間的な鎮圧も叶うでしょうが……無念です」
その表情は第一装甲軍団司令官を拝命した際の悲観的なものではなく、戦意に満ち満ちている。
鼬種は小柄な体格ながら非常に勇猛なことでも知られており、彼もまたその例に漏れない様子であった。一度、戦野に赴けば、肚が据わること甚だしいものがある。
「三km程度の射程だからな。延伸する目処は在るが、取り敢えずは大型化と自走化を予定している。名前は多連装噴進弾装甲自走車輛と言ったところか」
装甲兵器へ各種資源を集中し、尚且つマリアベルの重工業化による成果があった故に、短期間で装甲師団を新たに三個も編制する事が叶ったのだ。無論、北部各地の領軍に配備されていた装甲兵器を領軍の規模縮小と共に買い取って集中配備した点も大きい。
だが、それ以外の陸上兵器に関しては皺寄せを受けたと言っても過言ではない。特に魔導車輛の生産規模拡大などは計画段階に留まっていた。魔術による装甲 兵器という燃料を必要としない兵器とは言え、装甲師団の必要物資というものは極めて大なるものがある。正確には、通常編制の歩兵師団の三倍近く、保守点検
に必要な人員の存在も大きい。編制だけでなく維持にも莫大な手間と資金、資源を必要とするのだ。
無論、それを補って余りある突破力と機動力を有する。機動防御に於ける打撃は装甲部隊にしか行えない。
「第一武装親衛軍装甲師団の第三、第四装甲大隊を基幹戦力に後衛戦闘を展開。魔導士の戦車跨乗も……今回だけは認めてやる」
〈武装親衛軍装甲師団、親衛部隊『サクラギ・トウカ』(SW-Panzer-Division Leibstandarte SW Toka Sakuragi)〉は第一装甲軍団の中でも中核戦力となる精鋭装甲部隊であり、特に優良な部隊を中心に編成されている。つまりは現時点で《ヴァリスヘイ
ム皇国》諸勢力内で最優秀の練度を誇る装甲部隊と言っても差し支えない。その優良部隊が多用した戦術が戦車跨乗である。
だが、トウカは禁止していた。
労農赤軍に於いては、敵陣地に速やかに歩兵を投入する手段として多用され、跨乗させたままに戦闘へ突入する例も多々あった。無論、その兵士の死傷率は極 めて高く、平均寿命は二~三週間程度と言われている。消耗を前提とした懲罰大隊は終戦までに一〇四九個大隊編成され、戦争後期につれて編制数も増大してい
る。挙句に懲罰大隊の被害にすら耐えられず、金属製の防弾衣を配備した程であった。共産主義者が不特定多数の生命に配慮するなど滅多とないことである。
それ程の犠牲が生じるのだ。戦車跨乗という戦術は。近代に入り防弾衣の高性能化が進んだことで一部では復活したが、こちらの世界では魔術的な防護手段が発達している。魔導士を跨乗させれば魔導障壁を使用する事もできた。
だが、戦車という兵器が戦野で優先的に破壊目標となる事実は異世界であっても不変である。
トウカの高価で練兵に多くの時間を必要とする戦車と魔導士を一纏めに扱うことへの忌避感は、その点から生じていると言っても過言ではない。魔導国家の異 名を持つ皇国とは言え、軍務で秀でた実力を示す高位魔導士の数には上限があり、共産主義国の様に兵士を田畑から収穫する真似はできない。
身を投げ出すように座席へと腰を下ろしたトウカに、タルヴェラは深く頷く。
「では、その様に手配しましょう。……おい、貴様」
中尉の階級章を付けた士官を捕まえて追加で命令を伝達するタルヴェラを尻目に、トウカは野戦机上にぞんざいに置かれた帝国軍の戦車について纏められた戦闘詳報を一瞥する。
《スヴァルーシ統一帝国》陸軍正式採用、主力突撃戦車T-7
見るべき点としては、野砲である六五㎜師団砲M430を改修した戦車砲を一門、砲郭式 砲座として搭載している点に加え、前面装甲が極めて強靭であることであった。明らかにエルライン要塞攻略に於いて使用する事を前提しており、トウカの知る
突撃砲や駆逐戦車に近い性質を備えている。無論、任務は歩兵に対する火力支援でも対戦車戦闘を意識したものでもなく、一重に前方の特火点や陣地を攻撃する為にこそ存在するのだ。
――そうか、帝国軍の戦車は給水車が源流だからTの識別記号なのか。
帝国に於ける戦車の開発史は給水車の装甲化を源流としている。戦場での工夫で、給水車に鉄板を張り自走する機銃座としたのが始まりである。トウカの知る 《大英帝国》が第一次世界大戦時に間諜の目を誤魔化す為、給水車の名称を与えた事に由来する名称から“タンク(Tank)”となったのは過程こそ違うもの の結果が同様となったのは皮肉と言えた。
使用されている技術も限定的である。
皇国では、既に神経接続による視界拡張や即応性向上なども研究されているが、帝国の戦車技術はそうした段階にない。
印象としては装甲化された自走する野砲である。否、重装甲化された自走砲と言うべきか。目的に合わせて兵器は製造される。要塞突破に傾倒した兵器である からこそ、その姿となった。歩兵の搭載が前提でもないにも関わらず皇国陸軍正式採用戦車であるグレンゲルⅢ型歩兵戦車と同等の規模なのは、車内に大量の即
応弾を搭載しているからであろうことは疑いない。エルライン要塞という継戦能力に優れた巨大目標と長時間に渡って砲火を交えるだけの砲弾の搭載を、初期の 開発に当たって要求されたからこその結果であろうとトウカは見ていた。
トウカは狂相と共に身体を傾ぐ。
「中々に正気じゃあないか、ええ? マリィ程度には狂気を飼い慣らしてき給えよ」
陸上兵器の雄たる列車砲を飛び越え、海防戦艦の自走化を目論んだマリアベルの狂気と比しては健気ですらある。無論、狂気の発露が過ぎて長らく稼働できな かった点は評価できないが、そこは可愛げがあるではないかとすらトウカは考えていた。無論、携わった研究者や工員には同情するが。
「閣下、両翼の被害を低減するべきかと。取り付かれていない今であれば両翼を後退させることができます」
タルヴェラの言葉に、トウカは一笑に付す。
「却下だ、中将。我々に赦される後退には限度がある」
計画を知って尚、進言するタルヴェラの心情はトウカも理解できる。
現状の〈第一装甲軍団〉の布陣は、一軍団そのものを利用した極めて大規模な鶴翼陣である。不用意に突出した帝国軍部隊を鶴翼の中央……縦深に引き摺り込 んで消耗を促す為であり、それを救援すべく戦力を増派した瞬間の間隙を装甲聯隊と自動車化歩兵聯隊で襲撃、前線に楔を打ち込む様に突入して砲兵部隊に迫っ
たのだ。無論、被害も大きく、重砲などの有力な火砲の元まで接近することは難しいが、師団砲や重迫撃砲などを主体とした火力支援部隊を撃破することは困難 ではなかった。
当然、それは一重に重砲などの大口径砲を魔道障壁という有力な防護手段を封じられても尚、火力で拘束し続けてくれている要塞駐留軍砲兵隊の挺身に依るところである。
鶴翼陣は両翼が突出する形になる。両翼は、各一個師団が展開している。そして、中央に〈第一武装親衛軍装甲師団、親衛部隊『サクラギ・トウカ』〉が展開していた。
大規模な重砲の砲撃が振り向けられず、自走砲や多連装噴進弾発射機を随伴させた各装甲師団とはいえ、相手は十倍に届こうかという戦力えある。例え、初戦の壊乱状態から持ち直す事に成功しているとは言い難くとも兵力比に差がありすぎた。
被害は大きい。初戦の混戦による被害を鑑みて、大兵力であっても突出することを恐れているのは徐々に前線を押し上げるに留まる帝国軍の現状を見て取れば容易に推察できるが、それは同時に堅実な戦術を選択したに等しい。
圧倒的戦力を背景にした歴史上稀に見る限定空間での横陣。一歩一歩と着実に第一装甲軍団を後退させ、戦力を徐々に削っていく様子に隙は伺えない。
大規模な鶴翼陣の縦深に捕らわれた部隊の後退援護の為に胸甲騎兵聯隊を投入すべく、横陣の一部を再配置した瞬間を狙うという襲撃も二度目までであった。
戦術規模の決断としては、ここで後退することは正しいが、戦略規模の一撃を待ち望むトウカにはこれ以上の後退を許可できない理由があった。
「所詮はサリンだ。VX瓦斯には遠く及ばない」
サリンやVXという毒瓦斯の最大の特性は、無色無臭無味でありながら口呼吸だけでなく皮膚からの吸収も有効であることである。その上、人体に極めて強力な毒性を示し、防護面当て(マスク)だけでなく全身を防護する防護服の使用が必須となる。
サリンとVX。
この二種類の毒瓦斯の差異は、その揮発性と持続性、毒性にある。サリンは製造に対する難易度がVXよりも低いものの、毒瓦斯として運用するにはVXよりも劣る要素が少なくない。
特に揮発性と持続性に劣る。水と同程度の揮発性を持つサリンは、閉鎖空間などには効果的であるが、広範囲の空間では容易に風で拡散し、空気に希釈されて致死性を大きく低下させる。
対するVXの揮発性は極めて低く、広範囲の空間でも中和しなければ運用できなくなる。大地だけでなく、物資や施設ですら例外ではない。滞留するが故に、阻止行動に使用するにはVXが遥かに優れていた。同質量でサリンより約二〇倍の毒性を持つ点も無視しえない。
だが、VXの製造技術をトウカは知らなかった。成分を知っていても製造技術には理解が及ばなかった。対するサリンは宗教勢力による叛乱で使用された為にある程度の知識を得ていた。
神将計画の申し子たるトウカからすると、毒瓦斯という兵器自体が運用を前提としていなかった。特性と防護手段は学んでも、製造技術までをも学ぶほどの兵器ではない。それは毒瓦斯の異名が示している。
貧者の核兵器。
製造に於ける費用対効果が核兵器よりも遥かに優れる毒瓦斯は 中小国に於ける戦略兵器であった。無論、投射手段がなければ、多弾頭大陸間弾道弾に対抗できる能力とはなり得ないが、それでも尚、広域に齎す効果には惹か
れるだけの理由がある。製造方法も一宗教勢力が容易であると示した故に、国すら持たない武装勢力も積極的に製造を推し進めていた。
だが、トウカは覇者を支える為に生み出された。貧者の兵器は覇者を輔弼すべき者が選択すべき兵器ではない。何よりも大日連は世界を何百回と滅亡させ得るだけの各種核兵器を配備していた。毒瓦斯を積極的に運用するだけの理由はない。
それは、神将計画……トウカの慢心であった。
無論、異世界へ堕ちることを想定せよという事こそが理不尽であり、神将計画の立案者である祖父もそんなものは知らんと嘯くことは容易に察することができる。
結局、トウカの精一杯の健気こそがサリンなのだ。
個人的に表層を学んでいた事に救われた形である。あの忌々しい宗教勢力の叛乱が原因とは言え、VXへの理解を捨て置いたことには後悔しかない。
投入の目的は、帝国陸軍〈南部鎮定軍〉がエルライン回廊という限定空間を前後に長く展開する状況で拘束、大被害を与える事である。
エルライン回廊はは限定空間だが、手持ちのサリンと飛行爆弾の数では有効範囲で覆い尽す真似はできない。前後に長く伸びるだけでなく、一部は帝国側回廊 外にまで展開する程に長大である。故に遅滞防御しつつ敵戦力を”渋滞”させるように心掛けねばならないが、それでも尚、全体を有効範囲に収めることは叶わ
ず、攻撃の主力を担う前衛を直撃する程度が限界であった。現状では〈第一装甲軍団〉による各種足止めが功を奏し、予定地点に定刻に遅れる事なく後退に成功 している。
サリンによる攻撃地点は固定されている。飛行爆弾の性能が限定的であることから、状況に合わせた誘導は不可能で、攻撃地点を絞るより他なかった。よって 急速な後退で相手の攻撃に速度を伴わせる真似もできず、定刻まで攻撃地点へと徐々に後退を繰り返すしかない。戦術規模の努力の積み重ねを各部隊の指揮官に 期待するしかない状況である。
「そう落ち込むな中将。トラヴァルト元帥が督戦を意図して直属の〈第三親衛軍〉を前線に投入している。運が良ければ殺害できるかも知れん」
有り得ないだろうと胸中で付け加えるトウカ。
総司令官たるリディアの周囲には精鋭の高位魔導士が展開していることは疑いない。初見の毒瓦斯とは言え、既存の毒瓦斯同様に水の散布による加水分解で対応できることに変わりはなかった。
「ですが、〈第三親衛軍〉が積極的攻勢に出れば一堪りもありません。後退どころか壊乱の可能性すらありましょう」
〈第三親衛軍〉は帝国陸軍の中でも最精鋭との呼び声も高い実戦部隊である。帝都鎮護の為に外征を行わない〈第一親衛軍〉や戦略予備の扱いを受ける〈第二 親衛軍〉と比較すると、リディア隷下として積極的に各戦線で外征を繰り返す第三親衛軍の評価は絶大なるものがあった。例え絶対君主制国家の軍人であって も、評価は実戦による結果を重要視する事実に変わりはない。
実は、トウカもその点を憂慮していた。
前線部隊を移動させて一個軍……十五万名近い戦力を集中して前線へと再配置するには、エルライン回廊という限定空間は余りにも狭隘に過ぎる。致命的な戦 術的間隙となるだろう。何より、砲撃に対する魔導障壁という傘を失う等しく、大規模な陣地転換で魔道障壁展開を維持できる練度が、帝国軍にあるはずもな い。
帝国軍の取り得る戦術の中で最も被害を低減し、尚且つ確実なものが現状の横陣で押し切ること。
「なに、そこは不死身の不良神父が足止めしてくれるだろう」
今も〈第一武装親衛軍装甲師団、親衛部隊『サクラギ・トウカ』〉所属の各部隊を行き来して戦意高揚に余念がないラムケは下士官や兵士に絶大な人気があ る。宗教家でありながらも野性的であり、鷹揚な精神を持つ彼には鉄火場では凄絶な魅力を放つ。野戦将校の資質の一つであり、この男に付いていけば何とかな
るという根拠なき自信を抱かせる。無論、その戦歴と立ち振る舞いが影響しているのは想像に難くない。
二人は苦笑を零す。
粗野だが下品に非ず。
そうした印象のラムケは、意外な事に皇州同盟軍将官でも好意的な者が少なくない。右派的言動が多いが、それはこの御時勢では珍しいことではなく、ザムエルの様に下品にして卑猥な言動を繰り返すわけでもない。トウカとはまた違った意味での代弁者と言える。
トウカとタルヴェラの命令は末に伝達されており、大きく状況が変化しない限りは時間的余裕があった。だからこそ、トウカはタルヴェラとの会話に時間を割いていた。
軍隊でも会話に長けた者が良い指揮官になる。
意思疎通に難があり、自らに隔意を持つ軍団指揮官を任命した挙句に認識の齟齬で敗北するなどという無様は許されない。
何より、トウカは自らが好かれているなどと己惚れてはない。指導者の在り方とは信頼されることである。決して万人に愛されることではない。その覚悟がないなら指導者になどなるべきではない。
会話を重ねる限りに於いて窺えたのは、タルヴェラは攻勢に強い指揮官であるということである。本来はエルライン回廊に於ける防勢に適した人物ではない が、装甲戦力を主体とする〈第一装甲軍団(Ⅰ. Schutz Wehr-Panzerkorps)〉の運用は例え防衛任務であっても気質的に攻撃的な指揮官が望ましい。装甲部隊とは、防衛でさえ積極的な高機動戦を展 開する部隊である。
「しかし、騎兵とは違いますな。鋼鉄の軍馬と思いきや防御力もある。魔導騎兵や精鋭装虎兵に近く、それでいて魔導砲兵並みの火力。閣下が増強を望まれるのも理解できます」
装甲参謀を初めとして多くの参謀に支えられての動きであるが、タルヴェラの指揮に然したる不備はない。重装甲で火力のある騎兵という割り切りがあるからこそである。同様に《独逸第三帝国》に在っても”パンツァークライスト”の異名を持つ、パウル・ルートヴィヒ・エヴァルト・フォン・クライスト元帥がいたので不思議なことではない。
クライストは騎兵科出身で、当初は偏執的なまでに保守的な戦術指揮をしていた。当初はハインツ・ヴィルヘルム・グデーリアン上級大将の提唱する装甲戦力を中心とした電撃戦には否定的で、その戦闘教義を理解しようとしなかった。しかしながら西方電撃戦終結後に装甲部隊の有効性を認め、機甲戦術を学習して東部戦線で活躍。”パンツァークライスト”の異名を奉られるまでに機甲戦術に熟達し、派手な戦歴こそないものの、手堅く堅実な指揮は後世でも高く評価されている。
同様の兵科があれば、同じ逸話も生まれるものなのだ。
「そう言ってくれると有り難い。同じ騎兵科将校は、アルバーエル中将以外の将官は揃って否定的でな。〈装甲教導師団〉での講習か予備役編入にせざるを得なかった」
あの致命的なまでに教育者としては向かないザムエルの隷下で講習を受けて固執した意識が粉砕されると期待するしかない。魔道障壁という防御手段があれど も強度には将兵毎の差があり、大部分は機関銃の集中射撃に耐久できなかった。生物である騎馬そのものまで防護せねばならず、防護範囲が歩兵より大きくなる
上、魔導資質に優れた兵士の大多数が花形である装虎兵科や軍狼兵科への配属を望むという理由も大きい。
自然と有能な者は移籍し、能力に劣る者が集中して配置されることになる。だからこそ、反骨精神によって他国の騎兵科よりも優れた戦績を残しているという側面もあるが、機械化の波の前には早晩に限界が訪れる。《波蘭共和国》陸軍〈ポルモスカ騎兵旅団〉の悲劇と同等の事象を繰り返すよりも前に、騎兵科を縮小する意向を見せた自身が“現時点”で評価を受けるなどとは、トウカも思ってはいない。
「不適格な者は全員輜重科に転籍させるとは言わず、徐々に行っていけば良かったのです。アルバーエル中将による説得も試みられたようですが、彼奴は閣下が頭角を現す以前に装甲科に転籍した身。騎兵将校からみれば元より裏切り者ですぞ」
そうは口にするタルヴェラだが、その声音には諧謔の色が窺える。
気安くアルバーエルを彼奴と呼んで見 せた事から、それなりに交友関係があると推測できる。蹶起以前から孤立している北部地域の貴族は、各領邦軍による合同軍事演習を重視していた。孤立したが
故の結束とも言えるが、実情としては連携して外圧に応じねば対抗できないという実際的な問題所以である。将校同士の繋がりは、その中で育まれた。生まれざ るを得なかった。
「難しいものだな。兵科毎の感情にまで気を配って戦争をせねばならんとは」
軍人としての心情や感情への配慮は行うが、自らの目指す高度に機械化された陸軍の再編制で障害となる者に好意的である理由はない。
二人の会話に周囲の参謀達までもが加わり、無責任な組織の理想像へと話が飛躍する。理想と現実には埋め難い差異があるのが常であるが、可能な限り埋めるのが指導者の務めである。彼らの言葉に耳を傾けるのは無駄ではない。
暫くの会話の後、伝令の兵が軍団司令部へと入室してきた。トウカと近しい年齢に見える容姿の少尉が緊張の面持ちえ敬礼する。報告を受けた戦務参謀からタルヴェラに耳打ちされ、トウカへと告げられる。
「閣下……〈第三親衛軍〉の進撃速度が落ちている様です。敵前衛との距離が開きつつある、と。加えて要塞駐留軍砲兵隊が限界とのことです」
胸衣嚢から懐中時計を取り出して思案の表情を浮かべたトウカ。
定刻は近い。
「気付いたか? まぁ、もう手遅れだが」
何かしらの不手際故に露呈したか、或いはリディアや〈南部鎮定軍〉内の上級司令部が不信感から後詰めとも言える戦力が壊乱に巻き込まれない様に進言したのか。
「ですが、三時間あれば、あちらの軽砲も城郭外周を直撃できる位置にまで進出しています。要塞駐留軍砲兵隊の応射も急速に減じつつある状況で様子を窺う姿勢を見せるとは……」
「俺が居る。些か悪評が立ち過ぎた男が単に後退を繰り返す。これ以上ない程に不審だろう?」
そもそも、トウカはリディアが執り得る選択肢が少ない点を理解していた。本来であれば、火力を急速に減じ始めたマリエンベルク城郭内の要塞駐留軍砲兵隊 と、要塞兵力と障害となる構造物を突入前に漸減するべく、停止しての砲兵火力を集中。準備射撃を徹底したいところだろう。
無論、無理な話である。
押し込みつつある事に気を良くしたのか、〈南部鎮定軍〉前衛は早くもその長大な横陣を乱しつつある。縦横に広く展開した前衛を完全に突破する事は難しいが、帝国陸軍の大多数の戦力はその程度の練度であった。
否、功名心に強い指揮官を当てれば当然の結果である。先の見える指揮官が、これ程の火力戦で先鋒を担うという無理無謀無茶な真似を進んでするはずもない。恐らくは政治犯や収容所から保釈した将校達なのだろうとトウカは見当を付けていた。後のない人間であれば大抵の困難には目を瞑る。前に進めば生き残る可能性はあるが、後ろへ引けば確実に銃殺刑が待っているとなれば彼らは進むしかない。
だからこそ壊乱させねばならない。正気をいずこかに置き忘れた将兵との正面衝突など悪夢でしかなかった。マリエンベルク城郭に取り付かれての混戦となれば後退時期を逸する結果となりかねない。
「閣下……」
「分かっている。時間だ」
攻撃地点は既に敵前衛陣中の遙か彼方で窺えない。誘導性能に難があり散布界の広い飛行爆弾が前線を覆い尽くしてくれるのを祈るのみである。
「持ち得る火力全てを敵正面に叩き付けろ。装甲擲弾兵部隊、各支援部隊は離脱用意。戦車と自走砲は今一度踏ん張れ!」
装甲車輛は魔導障壁で密閉されており、毒瓦斯にも性能上は耐久し得た。付近で毒瓦斯が発生しても致命傷は避け得るだろう。〈第一装甲軍団(Ⅰ. Schutz
Wehr-Panzerkorps)〉隷下の各装甲師団に所属する自走対空砲中隊は、自軍への直撃進路を取る飛翔物に対して迎撃用意を終えている。
無論、トウカも此処に残る。幸いなことに、トウカが司令部とする多連指揮車輛も密閉性が高く、毒瓦斯への耐久性がある。
多連戦闘指揮車とは、陸上戦艦に代わる通信設備と上級司令部幕僚の収容が可能な五連結された二階建ての指揮車輛である。先頭車輌が四〇mm機関砲二門を 備えた砲塔を正面に備えた装軌車輛で、後部に連結される四輌の車輌が装輪車輛という編制の多連戦闘指揮車は師団以上の移動式指揮所として皇州同盟軍と陸海 軍で運用が始まっていた。
これは陸上戦艦の費用財務と輜重を司る部門が悲鳴を上げた事が原因である。重く見た総司令部が皇州同盟軍工兵司令部に設計開発を依頼、既存の設備と車輛を利用することで共通規格化と低費用対効果を実現した。
トウカの知る歴史からすれば、正気の沙汰とは思えない総戦車戦術に等しい光景が一時的に展開されるだろう。国内ではベルゲン強襲で一度使用された帝国に対して使用することもまたこの一度とせねばならない。
足止めせねばならない。時間通りに状況が推移せねば、トウカもまた〈南部鎮定軍〉前衛という暗緑色の波に飲み込まれることになる。
トウカは多連戦闘指揮車の、未だ塗料の臭いが抜け切らない天井を見上げた。
軍隊でも会話に長けた者が良い指揮官になる。
《花都共和国》外交官 ニコロ・マキアヴェッリ