第一八四話 報復兵器(Vergeltungswaffe)
「落ち着け、射程距離目一杯の砲撃だけだ。只の脅しに過ぎない」
トウカは、要塞司令部で対応に追われていた司令部要員を宥める。
戦意が上がったので、取り敢えずは先制の一撃を加えて更なる戦意の向上を指向する。己の意志を明確に火力で示すという意味もあるかも知れない。兎にも角にも大威力の重砲の弾火薬を浪費をしてくれるというのであれば悪い事ではない。
皇国の軍事学的には一五cm以上の火砲を重砲と呼称するが、目算では展開している〈南部鎮定軍〉の火砲の中でも重砲は一〇〇〇門に満たない様に思えた。 総兵力を考えれば遙かに少ないが、帝国軍は中砲や軽砲を重視しており、それは牽引車輛の不足に伴う問題からである。代替手段として、下級部隊に強力な火力 支援を実現するべく、中砲や軽砲を多数随伴させていた。
エルライン要塞攻略戦では火力が重視されるが、同時に陣地転換に時間の掛かる重砲は接近までに中砲や軽砲より時間を要する。多数の中砲や軽砲を投入し、 短時間で陣地転換して砲撃、敵要塞の魔導障壁を飽和させた後で重砲を投入するという基本戦術であるが故に、重砲の火砲に占める割合が低い点は致命的なもの ではない。
何より、野戦となれば下級部隊までもが直属の砲兵を有している事になる。膨大な数の兵力に十分な直協支援が配置されるとなれば重大な脅威と言える。他国 では迫撃砲が担うべき部分までをも火砲に担わせているのは、一重に魔導国家たる皇国の魔導障壁を飽和させ得る為である事は疑いない。
迫撃砲は射程が短く命中精度も低い兵器だが、分解と展開が簡便で、敵に接近して砲列を展開する事ができる歩兵の持ち得る火砲とも言える。威力も十分にあり、砲撃速度が高く、投射量は軽砲を優越し、命中精度の低さも飽和砲撃によって補完できた。
しかし、貫徹力がなかった。
構造上、徹甲弾は存在せず、純粋な爆発と破片効果でしか魔導障壁に負担を掛けられない迫撃砲は魔導障壁と相性が悪い。挙句の果てには弾速が遅い事もあって、中位種などが刀剣で弾き、耳長族の狙撃で迎撃された例すらある。
前者に関しては、噴進弾を戦斧で弾き飛ばす軍狼兵を内戦の最中に目撃しているので、トウカとしても帝国主義者の心情は分からないでもない。
兎にも角にも、重砲が辛うじて届く程度の射程からの砲撃に然したる効果はない。
「まだ、半包囲も終えていない内からの砲撃だ。突撃に合わせた支援でもない。俺との押し問答は、少なくとも弾火薬の浪費をさせる事には成功したらしい」
尤もらしく狙っていたと言わんばかりの表情をするが、偶然である。
学のない農民に小銃を持たせた者が大多数の帝国軍兵士であれば、リディアが言葉道理の意志を重砲による一斉射撃を以て示した事に歓喜するだろう。輜重担当部門の者は砲弾の無駄遣いに頭を抱えているかも知れないが。
「此方の重砲も届きます。散布界の面では此方が優位なので、対砲射撃を展開するべきでしょうか?」
大机に張り付けられた戦域図に視線を下ろしたエルナの言葉に、トウカは首を横に振る。
相手の射耗に会わせて此方が射耗する様では意味がない。例え砲兵の被害比率で此方が有利であっても、現状の作戦目標は被害を最小限しての撤退に変わりはない。進んで消耗戦に陥る愚を犯す必要はなかった。
要塞司令部内は何時の間にか落ち着きを取り戻し、気が付けば皆がトウカに視線を向けていた。
「取り敢えずは三日間の持久。増援の到着を待って行動を開始する。それまでは要塞司令官の指揮で持久するのが宜しいでしょう」
細々とした要塞防衛の指揮などトウカにはできない。専門家に任せるのが一番である。
「こちらは此方で準備があるので、予備の魔導士をお借りします」
理論上は十分に可能という評価が皇州同盟軍司令部魔導参謀より出ているが、エルライン要塞の魔導士達は陸軍による編制と教練によって成立した戦力であ る。領邦軍が集まった地方軍閥同然の皇州同盟よりも均一化された安定感のある編制と戦力である事は間違いないが、差異が障害となるならば別で対策を講じね ばならない。
トウカは手札を消費する形で、この戦争を戦い抜いている。
新機軸の戦術に戦略、技術力が許す限りに効率化させた兵器群。初見で対処される可能性は低いが、いずれは対抗策を講じてくるのは間違いない。故に全ての知識を“消費”するまでに皇国周辺の情勢を安定化させ、国力を増大させねばならない。
国家規模での対処を周辺諸国が十分に行うには二〇年以上の歳月を要する戦略や兵器もあるが、それは皇国も未だに実現するまでに時間が必要となる。そこまでは、トウカも妥協する真似はできない。
戦略重原子力潜水巡洋艦や大陸間弾道弾が配備できれば他大陸の軍事強国とも対等に外交ができるが、現状では夢幻に過ぎない。計画すら起案されていなかった。
トウカは、エルメンライヒは腰掛ける雛壇状の最上部にある席へと歩を進める。
「これより二、三年の政戦が皇国の一〇〇年先の未来を決するかと。我らが過つならば子孫に継承すべき祖国は喪われるかも知れない」
岐路に立つ皇国。その岐路に踏み入る一歩目から躓く様では、亡国は避けられない。
「随分と悲観的だな。七武五公もいれば、高位種からなる軍勢もあるが」
将兵の動揺を誘う発言を気にしてか、エルメンライヒは大袈裟に苦笑して見せる。拡大投影された帝国軍による砲撃の光景を一瞥し、トウカはエルメンライヒに並び立つ。
「単体で戦線を構築できない有力な戦力では、防衛は成り立たない。これからは、それが露骨に出てくる。七武五公の一柱ですら近代兵器と合理性の伴った戦術の前に敗れ去った」
端的な事実を以て、トウカはエルメンライヒの言葉を封殺する。
高位種だけでは戦線を拡大できないからこそ防勢作戦主体の国防を選択した陸軍の指揮官の言葉としては粗末と言わざるを得ない。限界は何百年も以前に認識され、トウカはそれをフェルゼンにて火力を以て示した。
トウカは要塞司令部に詰める面々を見下ろす。
「全員を逃がすとは言えない。言わない。それは、不可能だからだ」
「サクラギ卿! 貴官は――」
上級大将と肩書を付けることも忘れたエルメンライヒが叫ぶが、トウカはそれを片手で制する。
「だが! 八割は生かして返す! 無論、相手には、それ以上の被害と混乱を与えた上で、だ!」
具体的な生還者の数と、攻め寄せられて風前の灯火となりつつある現状で尚も敵に甚大な被害を与えるという断言。
悲観的な言動が士気を低下させるのは勿論だが、低下している状況下であれば軍人ならずとも安易で明確な言動に惹かれるものである。無論、無名の将官が嘯 くのであれば嘲笑を受けるに留まるが、幾多の劣勢を撥ね退けた軍神が謳うのであれば、そこに信憑性と根拠が生まれるのだ。
「我々は撤退するのではない! 十分な余力を保持した上で敵を本土の防御縦深に引き摺りこみつつ、敵戦力を漸減し、殲滅する! そして、必ずここへ戻ってくるのだ!」
そして、撤退という行動すらも否定する。
視界の端で通信兵を押し退け、通信装置を操作しているキュルテンが窺える。恐らく、トウカの言葉は要塞内へと流布しているのだろう。予定通りである。
要塞駐留軍は満身創痍である。擦れ違う将兵は少なからずが負傷しており、その軍装も血涙と戦塵に塗れている。魔術によって清潔を保ち易い条件であるにも 関わらず、饐えた汗の臭いが漂うのは魔力の損耗を気にしての事なのだろう。そして、身なりを気にする余裕がなくなる程に長きに渡って戦闘は継続している。
要塞防御とは持久戦であり、戦力差を踏まえれば要塞駐留軍は勇戦と言う事すら憚られる程に凄惨な防衛戦を長期間に渡って継続していると言えた。
圧倒的多数の敵軍と相対するという圧力。弾火薬を射耗し、城塞線を次々と破られている恐怖。
トウカとて冷静ではいられないだろう。
同じ戦域の建造物に留まり、圧倒的多数の敵軍相手に籠城する恐怖というのは想像を絶する。昼夜を問わず砲声が響けば睡眠に支障をきたす者もいるだろう。 魔導障壁には音波遮断を可能とするものもあるが、魔力消費を鑑みて一部施設のみに限定されている。ましてや畑から収穫してきたが如き数の兵力が成す銃剣突
撃を向こうに回しての塹壕戦なども凄惨を極めるだろう。狭く薄暗い塹壕内での白兵戦は、明確に殺意を意識して生命を奪い合う。
首筋が斬られて血が吹き出し、腹が裂けて内臓が零れ出し、四肢が破片効果で捥げる。塹壕は度重なる攻防で血涙の用水路となり、放棄の際には敵の骸諸共に 埋めて後退する。人間性を摩耗するには十分な戦野であった。心的外傷で暴れる兵士を処分し、遺体の山を積み上げるという行為は、心身に甚大な負担を掛け る。
トウカの経験した市街戦とは、また違った悲劇がそこにはある。だからこそ、際限なく継続する真似はできない。故に希望を与えねばならない。無論、口にした事実を出任せとする心算も、トウカにはない。
「否、このサクラギ・トウカが然るべき立場を得た暁には帝国を滅ぼそう! 貴官らと共に、だ!」
最終的な目的が帝国の滅亡である事を、トウカが公式に断言したのは、この時が初めてである。
どよめく要塞司令部。そこには困惑と諦観が入り混じり、不信と不安が交錯している。
「無理だ! 全滅するに決まっている! その前に皆殺しにされるぞ!」
「全滅とは何だ! 御前と俺が生きているじゃないか!」
要塞駐留軍作戦参謀の叫びに、トウカは怒鳴り返す。勇敢な尉官の言葉で応じたトウカは、言葉を重ねる。
「そう、我々は生きている! 生き続けなければならない! 要塞ではなく、我らこそが国防の最前線であるが故に! 在り続ける為に! 生きて帝国主義者を本土より叩き出す為に!」
非現実的な言葉を信じさせる“魔法”をトウカは知っている。トウカだけが詠唱することの叶う魔法。
「内戦で圧倒的優位の野戦軍を幾度も打ち破ったのは誰だ!? 練度と艦数に勝る艦隊を壊乱させたのは誰だ!? クロウ=クルワッハ公に手傷を負わせたのは誰だ!?」
圧倒的劣勢を幾度も覆したからこそ、トウカは軍神という異名を冠されている。国内の貴軍官民の須らくから奇蹟と思われるからこそ、軍神という言葉がトウカを指すという事実を多くの者が認識しているのだ。
特にアーダルベルトの左手を撃ち抜いた事実は大きい。七武五公は皇国に於ける伝説に他ならない。何千年と刻を刻み続けた那由多の伝説を、常識という天壌より引き摺り下ろした事実は、皇国に住まう総ての者にとって驚天動地の出来事であった。
伝説を撃ち落としたのだ。その事実を彼らは今一度思い出す。
奇蹟を成したのは誰か?
決まっている。
「総て俺だッ!!」
認識させるだけでいい。トウカの齎した結果の数々を。
「この一戦、幾度も起こした奇蹟を今一度、起こすだけに過ぎない!」
トウカは、何一つ嘘を口にしてはいない。だからこそ効果がある。
「過ぎたる願いを抱いた帝国主義者の鼻っ面を殴り付け、皆で凱旋しようではないか!」
トウカは拳を地形図の散らばった鉄机に叩き付ける。一拍の間を置いて万雷の如き感情が城郭内から迸った。城郭内の通信を可能とする有線通信機からも、歓 声とも蛮声ともつかない大音声が、あまりの大きさに音割れする程となって漏れ出している。要塞司令部に設置されている通信機の全てがそうした有様であり、 最早、統制すら取れぬ程の狂騒にトウカは背を向ける。
無論、トウカの言葉に総統の様な“魔力”はない。将兵を駆り立てたのは要塞内に散った情報部員による成果である。
予定された扇動に過ぎない。歴史は造るものかも知れないが、トウカの口先にその才覚は無い。少なくとも当人はそう考えていた。
故に情報部一同による扇動という名の演出である。
――可愛い恋人がいるんだ、死んで堪るか。
トウカは狂騒に身を委ねた将兵達を一瞥すると、呆れ顔のエルメンライヒの肩を叩き、あとは任せたと軍装を翻した。
「つまり要塞の多重防護障壁を解除する必要があると?」
トウカは、魔導兵科章と大佐の階級章を付けた耳長族の壮年男性の言葉に対し、思案の表情を浮かべた。
当初の予定では、マリエンベルク城郭の魔導炉心の出力を頼った集団詠唱による大規模魔術を意図していたトウカだが、六基ある魔導炉心の内、二基が不調であるとの報告を受けて眉を顰めるしかなかった。
放棄する事を踏まえれば、過負荷状 態による自爆は避けられず、魔導炉心の魔力を完全に消費する真似はできない。内在魔力の多寡によって自爆の威力が左右される以上、魔導炉心や総司令部が焼
失する程度の威力は確保せねばならなかった。計算上、マリエンベルク城郭外周を防護している魔導障壁……多重防護障壁を解除するならば可能であるとの凶報 は、トウカの計算を狂わせる。つまりは、トウカの想定している攻撃手段を行使する際、マリエンベルク城郭は魔術的防護手段を喪失する。
致命傷に近い。砲兵火力の増大に伴って廃れるはずの要塞という拠点防衛施設が、この世界に在って存続を許されたのは、魔導障壁という制限がありながらも砲兵火力を阻止し得る機構に依るところである。
「宜しいじゃないか。大いに宜しい。戦争のし甲斐があるというものだ」
護るべき祖国を背にしての火力戦など、望みうる限りの英雄的愚行ではないかとすら、トウカは哄笑を零す。
時勢が自身を地獄に手招きしている様にすら思える。誰も彼もが効力射で天高く巻き上げられ、破片効果で肉片に成り果てる様を神々が御望みであると、トウカは確信していた。神々が実在する事が確実視されている世界に在って、これ以上ない程の皮肉である。
神々は残酷だ。
諧謔が滲む表情と仕草が強制性を伴って周囲の魔導士達の視線を吸い寄せる。
魔導士達は詳しい内容を知らされてはないが、その一手が戦況を回天させ得る一撃となり得る事だけは知らされている。姿勢を正しながらも視線を上へと逃がした魔導兵大佐が、姿勢を正して応じる。
「はっ、真にその通りで」
彼らの部隊名は歴史に残るだろう。この魔導が支配する世界で、初めて大規模な化学兵器の使用に携わった部隊として。
「こうなっては致し方ない。問題は戦術規模の努力で補うとし
よう」
或いは、有象無象の悲劇で。魔導兵大佐は、敬礼をすると早々に下がる。
指揮系統を湾曲し、進んで死を撒き散らすトウカを怖れている者は少なくない。小さな身なりでありながらも、彼が軽んじられる場面は皆無に等しかった。残酷である事は時と場合によっては、その権力と権威を保持し得る要素となり得る。無論、その反動もまた存在するが。
トウカは魔導陣の刻印作業を続ける魔導士達から、背後のエイゼンタールに向き直る。
「後方に問題はないな、少佐?」
魔導通信は、既に双方の魔術行使によって断線しつつあるが、情報部は連絡騎や伝書鳩などの複数の手段を常に用意しており、時間差があるものの、情報を収集できる。情報部による後方との連携こそが、この作戦に於ける重要な要素である。
「一部の車輌に遅れが生じているとの事ですが、航空輸送部隊の協力もあって定刻までには。作戦決行は〈第一装甲軍団〉の到着を待ち、尚且つ夜間に行うとの事なので間に合うかと」
燃える様な赤髪を束ねた長身のエイゼンタールは、左頬の傷も相まって酷く目立つ。情報部に於いて注目を集める事を目的としている立場でもあるエイゼン
タールの立ち振る舞いは、男装の麗人と言えるものであった。リシアも巷では男装の麗人と黄色い声援を受けているが、エイゼンタールの場合は、どこか草臥れた雰囲気に鋭い視線、左頬の傷もあって近付き難い佇まいを見せている。
情報部の広告塔として敵味方双方から注目を受け、他の情報部員の活動から視線を逸らさせる事を意図している事は間違いなく、その点を踏まえれば彼女に情報部員としての活躍は難しい。
だからこそ、トウカは同行させた。これ以上ない程に熾烈な戦野で重要な任務に携わる。ミユキの護衛で苦労を掛けたという事もあり、昇進に恵まれぬままの 状況から脱する機会を与えた。無論、機会を与えただけであり、それを手中に収めるか否かは、エイゼンタールの才覚と資質次第。
「〈第一戦術噴進弾聯隊〉は満足な訓練も経ていない上、扱う“あれ”の命中率を踏まえれば、運用は今回限りかも知れんな」
どう思う、と存外に訊ねる意図の宿ったトウカの視線に、エイゼンタールが思案の表情を浮かべる。
誘導弾などではない。強いて言うなれば飛行爆弾である。航空機の様に翼を備えた飛行する爆弾。
無論、“航空騎”を基幹航空戦力として据えていた皇国の諸勢力からすると、飛行可能な推進機関というのは固体燃料噴進弾以外にない。既存の推進機関では 現存兵器を遙かに優越する射程を実現する事が不可能であった。無論、魔導国家であるが故に、火砲や砲撃型魔術などの有効射程が純粋に科学技術のみで製造さ れた火砲よりも増大していた事も大きい。
相対的に長射程の発展型兵器に対する要求は実現性を欠いた。現時点では、魔導技術も航空力学分野への有機的な結合を実現していない。
状況が変わり始めたのは、トウカが多連装噴進弾発射機の開発と製造を行わせた事に端を発する。トウカの技術提案によって改修などの試行錯誤が極僅かで済まされた事もあり、速やかに先行量産、実戦投入された多連装噴進弾発射機は、〈第三機動師団『ヴェルゼンハイム』〉に対して甚大な被害を齎した。
多連装噴進弾発射機と は、本来はラケーテンヴェルファー(Raketenwerfer)という名称こそが相応しいはずであるが、これをマリアベルが嫌った為、そうした名称と
なった。その理由として、噴新兵器の開発を独自に進めていたという理由があり、ヴェルテンベルク領では噴新兵器そのものが秘匿兵器とされている。噴新兵器 の可能性に皇国陸軍が目を付ける事をマリアベルが恐れた。特に長距離噴進弾(大型対地ミサイル)の開発に腐心しているのは、龍都ドラッケンブルクを直接攻
撃する手段を渇望しているからであろう事は容易に想像が付く。追い詰められた軍事組織が一発逆転の兵器の開発を狙う事は世の常であったが、その開発は難航 しているところではなく事実上の凍結状態であった。
そして、〈第一戦術噴進弾聯隊〉が装備する兵器の初期原案は、マリアベルが固執した遠方の目標を攻撃する大威力兵器であり、それは不完全ながらも既に二 〇〇〇発近くが先行生産されていた。推進機関の設計を終えていない状況での先行生産であり、当然ながら推進機関は完成の目途すら立たず、弾体はヘルガ島の 軍需工廠の倉庫で埃を被る事になる。
その死蔵された噴進弾……飛行爆弾が、トウカの技術提案によって完成されたのだ。
そして、〈第一戦術噴進弾聯隊〉は、飛行爆弾の発射機を集中配備した部隊であった。
「……試しておいでですか?」
「分かるか? まぁ、いい。返答を聞こう」
優秀であるが、それ故に信用し難い部分がエイゼンタールにはある。
トウカは、皇州同盟軍情報部に信を置いていなかった。否、正確には置くべきではないと考えていた。彼らが忠誠を誓った対象はマリアベルであり、未だに不可解な動きも見られる。
一拍の間を置いて、エイゼンタールが答えを述べる。
「政治的に有効な兵器かと。航空騎と違い発射位置を特定し難く、命中率の問題さえ解決し得るならば、航空騎や艦船からの投射で敵国の首都を直撃できます」
多分に政治的な要素を踏まえた返答に、トウカは満足する。
皇州同盟は、その成立理由から国際的な政治的視野を持った人物が、セルアノを除いて数える程しかおらず、政戦両略を弁えた人物ともなればクレア程度である。次点でリシアの名が上がるかも知れないが、彼女は政治の流動性の認識を不得手としていた。現在は陸軍将校でもある。
「困るな、それ程の視野を持つ者が上官に隠し事をするのは」
「閣下……、閣下は勘違いなされております。先程の見解はカナリス中将に依るところで、我ら情報部は皇州同盟の指揮下にあります」
予算配分や稟議、議事録を総司令官であるトウカに秘匿する部門の佐官の発言としては、些か信頼性に欠けるものである。エイゼンタールの右顧左眄している表情を察するに、彼女ですら情報部の方針は不明確なのだろう。
部門所轄主義と片付けるには胡散臭い気配がするが、情報を扱う組織の人事を安易に変更する真似が大惨事に繋がるのは自明の理である。実体の伴わないモノを扱う集団の機微への匙加減は難しく、人事的失敗が致命傷になり得る分野なのだ。
トウカは思考を打ち切る。
「詮無い事だ……今は不可視の死神に祈るべきだろう」
死神の大鎌が一人でも多くの帝国主義者の生命を刈り取る事を、トウカは切に願った。
「展開急げ。作戦開始時刻を遅らせるわけにはいかん」
カイゼル髭を揺らす壮年の将官は厳つい風貌でありながらも、柔和な光を湛えた瞳で聯隊司令部幕僚の面々へと語りかける。
皇州同盟軍総司令部付参謀総長、ハインツ・アルバーエル中将。
本来であれば聯隊の指揮官は佐官が当てられる事が通例であるが、その直卒している部隊は異色である為、特例に特例を重ねた編制と人事が随所に見られる。
戦術噴進弾聯隊。
皇州同盟軍総司令部付の直轄部隊の一つであり、トウカの肝煎りで編制された部隊の一つである。編制に技術者が数多く組み込まれているのは実験部隊という側面を有しているからであるが、同時に運用時の情報収
拾を行う目的もあった。トウカによって齎された大きな試行錯誤の必要性が限りなく低い兵器群は一つの大系となっているが、あらゆる意味での蓄積がない故に 運用や技術改良の方向性に対する混乱が生じている部分もある。技術も運用もトウカ一人で細部を詰める事など出来よう筈もない。寧ろ、基幹の技術や運用方法 以外は技術者や研究者、参謀本部に丸投げされていると言っても過言ではない。
無理無謀無茶を押し通す事に成功しているのは、一重にトウカによる兵器開発と戦闘教義の取捨選択が卓越しているからで、人材と資源の集中が無駄なく行われている結果である。無論、それを可能としたのは、ヴェルテンベルク領の豊富な人材と資源、技術に依るところであった。
兎にも角にも知識の乏しい兵器を集 中運用せねばならないアルバーエルは、敵軍より遙か遠方に居ながらも包囲下に在るかの様な重圧を受けていた。アルバーエル自身、近年の……トウカが現れた
半年以降の科学技術の爆発的な発展に付いていけない事が多々あった。龍種は悲願であった派閥形成を可能とする程の威力を誇る航空装備を手に入れ、砲兵は幾 度も夢見た面制圧が可能な噴進弾を実戦配備し、装甲部隊はそれらの支援を受けた立体的な戦術を実現した。
無論、それらの隆盛と共に衰亡する兵科や技術は無数に存在したが、トウカは取捨選択を高位種以上に違えない。
「全く、時代の変化に付いていけないと感じるとなれば退役も考えねばならんか?」
アルバーエルは、人間種で四〇代後半のバルツァー子爵領、領邦軍司令官であった。
しかし、北部統合軍が成立すると同時に参謀本部で参謀達を取り纏める首席参謀を任じられ、階級も大佐から少将へと二階級昇進した。名目上は大規模な戦闘 となった征伐軍との後退戦に於いて、友軍の窮地を幾度か救った事がその理由とされているが、恐らくは参謀本部の末席に連ねる為に将官の階級を用意した理由
の方が大きい筈であるとアルバーエルは確信していた。皇州同盟軍成立に当たっては、総司令部で首席参謀に就任し、シュットガルト湖畔攻防戦に於ける適切な 指揮が評価され、中将に昇進した。
退役を考えていた最中での急激な昇進の連続に当人は戸惑いも大きいが、今となっては退役や予備役編入を願い出る心算もなかった。トウカを捨て置いて退く真似はできない。若者に押し付けて一線を退くのは信義に悖るという観念があった。若者より先に死んでこその年長者である。戦乱の時代では往々にして逆転する現実だが、それでも尚、意地を通してこその男であると、アルバーエルは確信している。ここが命の捨て時だろうという根拠なき確信もあった。
――まぁ、御国の為とあらば致し方なし、か。
アルバーエルは、トウカの成した戦果を奇蹟だと考えてはいない。既存の何ものにも勝る合理性の連続による結果であり、だからこそトウカを高く評価してい た。アルバーエルが今まで目にしてきた幾多の名将は、竜驤虎視や冷酷無慙を体現した者達が多く合ったが、トウカは違う。完全に戦域図上の戦力と書類上の技
術と工業力で戦争をしている。それらの増減を事務的に処理している印象をアルバーエルは受けていた。狂おしい程に。
無慙無愧。
つまりは、悪事を成しても心に愧じること無きこと。正にそれである。
無論、郷土を護るべく敵勢力の正規軍に対して行われる際限のない軍事行動を悪事とする程に、アルバーエルは目先の脅威が見えない無能ではない。自由主義的な態度が自由主義的な結果を齎すとは限らない故に。残酷である事実が、必要となる場面も確かに存在する。特に政戦に於いては。危なげなトウカを捨て置けないという、祖父が孫を心配する心情もあるが、その点は然して重要なことではない。
吹き荒ぶ寒風が防寒術式の対象範囲外である首元を撫で、年老いた身体を蝕む。肩を震わせたアルバーエルの耳に、籠った笑声が届く。
「閣下には軍神の信頼する宿将として御健勝でいていただかねば。特に総司令部の面々の暴走を抑えられるのは閣下だけかと」
「……それは、困るな憲兵少将。君の職責を以て彼らを大人しくさせてくれ」老人を扱き使ってくれるな、とアルバーエルは、隣へと身を寄せたクレアへと頬を歪める。
身を刺す様な寒さを感じさせない緩やかな笑みを湛えたクレアは、その人間離れした妖精種の清楚可憐な顔立ちを巡らせる。
「ところで、例の兵器の様子は?」
正直なところアルバーエルも性能の概要のみを知るに留まり、正確な現状については理解していない。
「……問題ないと報告が上がっておる」
随伴する技術者と工兵将校の言葉通りであるならば、現状で問題は起きてはいない。構造上は単純な兵器であるが故に、技術陣がトウカによって技術が齎された際、酷く落ち込んだという逸話すらある。最も、トウカは圧縮燃焼式機関の製造に時間が掛かり過ぎる為の妥協だ、と彼らの心情に配慮する事はなかった。
クレアは、雪原に整列した薄汚れた白色に塗装された兵器を見上げる。
一六mを越える全長の弾体、左右に寄り添うように間欠燃焼式機関、そしてその左右の燃焼機関から伸びる主翼を備えた偉容は、この世界に在って異質さを体現している。
「報復兵器(Vergeltungswaffe)……V四号飛行爆弾」
クレアが背筋を刺し貫くかの様に凄絶でいて、無邪気な表情で感嘆の声を零す。
正式名称は“アイゼンホルスト Is 100”だが、宣伝を意図してV四号飛行爆弾という名称が公式文書でも使用されている。元は中央貴族……七武五公への敵意を露わにしたマリアベルの命名基 準に続く兵器であり、一号は機動列車砲、二号は〈剣聖ヴァルトハイム〉型強襲戦艦、三号は中距離弾道弾であり、戦略兵器としての側面を持つ兵器群であっ
た。政治的、或いは経済的脅威を敵性勢力に与える為の兵器であるが、一号以外はトウカが現れるまで放棄された状態であった為に知名度は無きに等しい。
しかし、トウカは帝国を相手とした戦争を報復であると位置付ける為、報復兵器(Vergeltungswaffe)という名称を積極的に用いる指示を下した。
防衛から報復へ。つまりは帝国本土への侵攻も有り得るという事である。
重砲用牽引車輛の牽引から解き放たれ、専用の射出架台を地面に固定し、天を睨むその先端はエルライン回廊を指向している。
異形の砲列が戦野に地獄を齎す。
彼女は、その事実を喜悦を以て受け入れている。妖精種のクレアは、人間種のアルバーエルよりも年長であるが、その容姿だけを見れば、前者は後者の娘と周 囲から見られても不思議ではない。だからこそ、アルバーエルは考えてしまう。若者達が戦争という劇的な切っ掛けを望み、悲劇を他者に押し付ける事に積極的 となる今この時代へと至ってしまったのは、自身の責任でもあるのかも知れない、と。
「しかし、間欠式燃焼機関とは……思っても見なかったものが戦野に顔を見せる。サクラギ閣下が現れてから、戦場は玩具箱になった」
心中の感情を吹き払うように所見を口にするアルバーエル。
玩具箱。
そうした表現は軍人達の間で盛んに使われている。次々と新機軸と新たな戦闘教義に対応した兵器群の登場はトウカによって成されたからであった。未だに研究開発中の兵器があることを踏まえ、そうした状態が暫くは続くと考えられていた。
「玩具箱から飛び出した一つが、この間欠燃焼式機関だそうだが……」
一昔前であれば、龍種の手助けなく四〇〇〇kgを越える大質量を射出し、飛翔させる技術など夢の未来技術に過ぎなかった。
間欠燃焼式機関は、名称が示す通り間欠燃焼型の発動機である。簡素な構造で、効率の良い発熱効果を齎す発動機であり、知識さえあるならば民間人でも資材さえ揃えれば日曜大工の感覚で作製できる。爆発時の圧力を最大化する為の鎧戸があり、吸気後は鎧戸が閉じて燃焼瓦斯を後方より噴射するというものである。構造は、狭い吸気口に広がりのある燃焼室、狭められた噴出孔という単純なものであった。この形状と構造によって、爆発の衝撃波を燃焼室で反射させて空気を圧縮する。
量産に適した兵器だが、トウカの望んだ圧縮燃焼式機関と比較すると圧縮率が低く、消費燃料に比して推進力も低い。鎧戸を閉鎖している期間は、機関そのものが飛行に寄与しない重量物となるという欠点もある。
「やはり問題は多いのでしょうか?」
「威力や射程、量産性は十分なものだが、命中率の問題がどうしても解決できない。皇国軍事史からすれば、魔導技術を基幹技術に使用しない兵器で、これ程の長射程を実戦で実現するのは初めての試みだ」
クレアの問いに、アルバーエルは顔を顰める。
射程増大による命中率の著しい低下は大きな問題であった。魔術的な誘導方式も存在するが、特殊技能を持つ魔導士を数多く必要とする為に現実的ではない。 ましてや戦場は両軍の魔術行使によって魔力の残滓が渦巻いており、能力低下は必ず発生する。軍事魔術というものは精密でいて複雑な術式であるが故に、場合 によっては術式そのものを防護する手段が必要とされる場合があった。
つまりは単価が跳ね上がる。戦略規模であれば兎も角、戦術規模の兵器では費用対効果の面で破綻している。技術革新と運用によって補うしかなかった。
結局のところ、誘導方式は空盒気圧計による高度設定、回転慣性計測機の方向設定、計測用回転子の
回転数による飛行距離測的の併用によって成されている。一定回転数に達すると機関停止させ、弾体を急降下させる事で目標を直撃するのだ。当然ながら、命中 率は低い。そこで、それらの点を補助するべく、神州国の神術の系統である式神の帰巣する性能を利用した術式を取り付けている。だが、これらの技術は皇国の 魔導技術由来ではない為、未だに非効率な部分も多い。
「全基が発射可能となるまで三日は必要だ。弾頭を考えれば、粗末にも扱えん」
用意されたV四号飛行爆弾の数は五二〇基。トウカが予定した数よりも多く揃えられたのは、アルバーエルが性能と命中率を不安視したからであった。
「弾頭はサリンという化学兵器でしたね。効果はどれ程ですか?」
「……効果的に使用した場合、都市を数分間で死の街に変える事ができる猛毒であると聞いている」
些かの逡巡の後、アルバーエルは、クレアの問いに応じる。
皇州同盟軍、憲兵総監の苛烈な匪賊討伐や間諜狩りを知るアルバーエルは、クレアがサリンを国内で積極的に使用するのではないのかと危惧した。しかし、ここで返答を拒んだとしても、クレアの階級と権限で情報開示される以上、意味はない。
サリン。
厳密にはイソプロピルメタンフルオロホスホネートという自然界にはない毒性瓦斯。サリンという名称は、《独逸第三帝国》の開発に携わったシュラーダー、アンブローズ、リッター、ファン・デア・リンデの四人の研究者の名字の頭文字を取って名付けられたものであり、この世界の住まう者達は説明を受けたベルセリカを除いて、その由来を知らない。
メチルホスホン酸ジフルオリドにイソプロピルアルコール(IPA)を反応させる事で精製できるが、反応し易い点と少量の漏洩でも大惨事に繋がる事から砲 弾や爆弾の弾頭として使用する際は、双方の物質を分離しておき、稼働時に混合して効果を発揮する様にするのが通例である。
サリンの量産に関しては、ブロンザルト化学を中心とした化学技術に優れた企業が中心に行ったが、化学用機材や高精度の脱水技術だけでなく、一段階の合成 反応をする度に、溶媒から目的の物質を取り出す高圧瓦斯容器での四段階反応という精製方法はトウカの与り知らぬ技術であった。増してや精製段階では不安定 な性質でもある。化学反応式を理解している事と、合成する事は別なのだ。
だが、魔導国家《ヴァリスヘイム皇国》の魔導技術によって反応や分離が簡素化された事も手伝って、サリンの製造は極短期間で可能となる。本来であれば、 合成過程で生じる毒性の高い生成物や廃棄物などが原因で、専門的知識や技術、精製設備を持たないものが合成を行った場合、事故が起こる可能性が高いが、魔 導障壁による空間分離技術はその可能性を著しく低減した。
トウカが知るよりも遙かに手軽な化学兵器として、サリンが皇国軍事史に登場した瞬間であった。捕縛した匪賊を利用した人体実験で、既に有効性が示されている事もあって、皇州同盟軍総司令部がサリンに賭ける期待は大きい。
「本来なら、性質の違う複数の毒瓦斯を併用するべきだそうだが、現在の我々には時間がない。瞬間的な投射量で制圧するしかないだろう」
帝国軍が素早い対応によって被害を最小限に止める行動を見せれば、人的損耗は最小限に食い止められる。徴兵制による大兵力を実現した帝国軍が、末端の兵士にまで化学防護手段を装備させているとは思えず、魔導士も少ない。魔術によって風圧で拭き散らすにも限界があった。
トウカは、アルバーエルに、この作戦を博打だと口にした。アルバーエルは当然であるが引き止めようとした。
しかし、トウカは頑として譲らなかった。
兵力の損耗を避けたい。
火砲の損耗を避けたい。
奇蹟を再び演出したい。
そうした単純な理由ではないナニカが彼の瞳には窺えた。損益や名誉ではない……強いて言うなれば恐怖と義務感。
憲兵将校としての勘が何かを捉えたのか、クレアが思案の表情を浮かべる。
「毒瓦斯自体にも不確定要素があるのでしょうか?」
寧ろ、ここで使えると断じれば来期の憲兵隊の予算要求に化学兵器装備の項目が増える事は間違いないだろう。
だが、そうはならない。
「化学的に不安定な物質で、熱分解や加水分解で容易に無害となるそうだ」
端的に言うなれば火にも水に対しても脆弱なのだ。故に通常の自然環境には存在しない。魔導国家《ヴァリスヘイム皇国》が化学兵器の正式採用を見送り、周 辺諸国も皇国に対しての兵器として運用する姿勢を見せないのは、そうした理由もあった。幼少の頃より魔術に慣れ親しんだ国民が大多数の皇国人ならば、サリ ンの様な火にも水にも脆弱な化学兵器は容易に対応できる。
魔導障壁で抑え込み、風を起こして吹き払い、火を放って焼き払い、水を散布する。
不得手である者もいるかも知れないが、全てができない者はいない。高位種であれば、その能力に応じて広範囲を防護する事も容易である。七武五公であれば、個人で師団規模の部隊を防護する事も容易いだろう。
「致命的ではありませんか?」
クレアが胡散臭い視線でV四号飛行爆弾の戦列を一瞥する。
国内の諸勢力の軍勢に対する使用を考慮した場合、クレアの決断は間違ったものではない。だが周辺諸国の軍事組織は事情違う。
「皇国内の軍事勢力を相手にする軍であれば確かにそうだ。だが、我が国が他国の軍隊に対して使用するのであれば状況は変わる」
歳の所為か骨身に染みる寒風に、アルバーエルはクレアを天幕へと誘う。作業に直接寄与しないアルバーエルが外で佇む事に意味はない。寧ろ、年寄りの視線 を気にして作業に支障が出るだろう。クレアは、今一度、作業風景に目を向けると、寒風に傾いだ軍帽を被り直して、アルバーエルの手招きに応じる。
「確かに、帝国では日常生活で使用する以外の魔術の普及率は低いと聞いていますが……」
衛兵に答礼しつつ、天幕内に足を踏み入れながらも、クレアは釈然としない声を漏らす。真っ先に熱暖房装置へと寄って両の手を温めはじめながらも、アルバーエルは笑声を零す。帝国軍との実戦経験のないクレアには解らないのだろう。
銃火器と火砲の長射程化によって魔術の一方的優位が崩れて久しいが、帝国という国家が隆盛したのは、何よりも兵力を揃えた事に起因する。アルバーエルは 青年時代陸軍に所属しており、以前のエルライン回廊防衛線にも参加していた。だからこそ大兵力と相対した際の威圧感を理解している。大地を埋め尽くすが如
き食い詰めた農民が、銃剣付の小銃を手にして突撃してくる様はまさに陸の津波である。督戦隊を背後にしているという事もあるが、彼らは皇国の肥沃な大地が 自らの空腹を満たし得ると洗脳されている。
だからこそ命懸けで突撃を敢行する。その先に自らの命を繋ぐ食糧があると信じて。それを目にした皇国軍人達には臆する者が多い。死兵とは違うが、極限状態で一つの可能性に縋らざるを得ない彼らの意思は裂帛のものがある。
だからこそ考えるのだ。彼らを殺害する為、可能な限り遠方で、それも広範囲に被害を与える兵器が欲しい、と。
忌避感のある兵器であり、欠点もある。それでも皇州同盟軍には否定的な将官は少ない。以前のエルライン回廊防衛線の参加者が数多くいたからである。陸の津波たる帝国軍の突撃を止める兵器として毒瓦斯を肯定的に捉えるのは当然と言えた。第一次世界大戦で、塹壕戦によって膠着した戦況を打破しようと考え《大独逸帝国》軍が毒瓦斯に期待を寄せた様に。
無論、今まで皇国が毒瓦斯を使用するには絶好な地形であるはずのエルライン回廊で使用しなかったのは、砲弾では魔導障壁に阻まれるからである。地面敷設型や航空騎投下型なども試されたが、どちらも容易に妨害されると予想されて計画は頓挫した。
だが、今回はV四号飛行爆弾である。曲射弾道とは違う弾道を描く飛行爆弾は、初見では魔導障壁で阻止することは限りなく不可能である。
火力戦に於ける魔導障壁とは、砲弾の浸徹と炸裂を阻止する魔術的な防護壁であるが、その展開方法は地面より上空に向かって縦に展開する民間のものではな い。曲射弾道……曲線を描いて飛翔する砲弾の弾道を計算し、その射線上に展開するものである。これにより魔導障壁自体の規模を低減し、密度を向上させる事 が可能となり、初めて曳火砲撃を阻止できた。
だからこそ、曲射弾道とは違う飛翔を行う飛行爆弾は有効である。夜間で火力戦の最中であれば対応する事は難しい。ましてや何百という飛行爆弾が砲兵の頭上を飛び去り、急降下でその後背に展開している戦力を直撃するのだ。
無論、仕掛けが分かれば魔導障壁の再展開で容易に対処できるが、夜間で広範囲に着弾する飛行爆弾を、火力戦の最中で阻止するとなれば話は変わる。
兵器性能に頼った作戦に対するトウカの忌避感は凄まじいものがあるが、それ故にトウカが追い詰められている事を現状は示している。
クレアにはそれが分からない様子である。そう、狂気の軍勢を敵に回すという意味を。
或いは、憲兵一筋であり、外道卑劣が犇め く非合法組織と相対する勇気も胆力も持ち合わせた彼女にとって、狂気に満ちたヒトが群れを成す程度、然したるものではないと考えているのかも知れない。
ヴェルテンベルク領は近年まで非合法組織と憲兵隊の激しい唾競り合いが行われていた。日常に寄り添う狂気を常に向こうに回したクレアの勇戦は有名である。 非番の際に襲撃を受けたという報道もあった。
彼女は敵対者や弱者の立場を推し量る事ができるが、寄り添う事はない。寄り添うものであれば憲兵隊の長は務まらず、マリアベルも任命しなかったであろう。
「大いに悩めばいい。少なくとも彼は帝国という国家の本質を捉えている。直接、干戈を交えずとも理解できるというのは端倪すべからざる事だ」
トウカは、帝国の狂気を、ヒトの狂気を理解している。兵士が直接に白兵戦をする機会を低減する事は間違いではない。例え、一度だけの手段だとしても、前線の将兵達は彼に感謝するだろう。
だからこそ彼の出自を気に掛ける者は多い。勝利の為に手段を選ばない軍神、効率主義の権化。一体、彼は何処から来て、何処へと向かうのか。願わくは、年 老いた自身よりも長生きして欲しい。時代が残酷であるからと、自身が残酷になる必要はないのだ。アルバーエルはそう考えた。
「ハイドリヒ少将……君も少しは肩の力を抜くといい」
何時か致命的に過つ、その日、その時、その瞬間、生き急ぐ若者達を己が諌める事が叶うだろうか、とアルバーエルは氷雪の降り頻る曇天を見上げた。
報復兵器(Vergeltungswaffe)(フェアゲルトゥングスヴァッフェ)
「全滅とは何だ! 御前と俺が生きているじゃないか!」
《大日本帝国》、〈戦車第一聯隊〉、〈第三中隊〉、第一小隊長、寺本弘中尉。