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第一六〇話    二正面戦争

 



 エッフェンベルクは、ぱたりと机に突っ伏したトウカを尻目に、ファーレンハイトの御猪口に徳利で米酒を注ぐ。

「いやはや……随分と御疲れの様だね、彼は」

 机に突っ伏したトウカを見やり、エッフェンベルクは若者に人殺しの為の苦労をさせている現状に対する遣る瀬無い思いと共に、御猪口の米酒を喉へと流し込む。

 自らが戦争を指導する事を歓喜している為か罪悪感の大部分は薄れているが、やはり若者がそうした方向に傾倒している光景に何処か危ういものを感じてしまう。それは果たして軍人としての懸念か、或いは寄る年波によるものなのか。

 そんな事はお構いなしにファーレンハイトは蟹の脚を貪っていた。陸軍総司令部の食事事情を考慮すれば致し方ない事であるが、清々しいまでに他者を気にしない姿勢は羨ましいものである。

 しかし、それは周囲の思惑に対して鈍感である事を意味するものではない。

「……義烈将校団に近い発想だ。皇軍が国を護るという義憤は、長きに渡る政治の停滞で世論や協調路線に対する失望に変わったのだろう」

 もしゃもしゃと蟹爪の中の身を貪るファーレンハイトの一言。見た目は兎も角、声音は憂いを帯びている。

 エッフェンベルクは低位種である為、トウカの心情を理解できないでもない。

 ファーレンハイトなどのある程度の寿命がある種族からすれば、政治の停滞は然したる時間ではなかったかも知れないが、エッフェンベルクなどの通常の寿命 しか持たない種族にとって政治の停滞は決して短い時間ではなかった。そして、低位種と高位種の所得格差も影響している。高位種が明確な立場として皇国とい う国家で制定されたのは初代皇王の即位後間もなくの事であるが、その時点では優先事項であった国土開発と国防に関して持ち得る資質が有益であった種族が高 位種として定義された。無論、長命な種族にその傾向があり、高位種=長命種という一般に広く流布している事もまた間違いではない。

 しかし、最大の問題は高位種がその寿命による膨大な経験や、高い能力を持っているという理由から主体となって国家の中核を担っている事である。

 人口の大多数が低位種や中位種であるにも関わらず、少数の高位種が国政を担っているという状況は高位種と低位種の認識の齟齬を招く。無論、皇王が低位種 の人間種からのみ招聘されるという事実などによって低位種が軽んじられる事はないが、何処かで負い目があるのもまた事実である。

 軍という残酷なまでの実力組織の中での昇進競争では、それが露骨に表れる。

 エッフェンベルクが低位種でありながらも海軍府長官に親補されたのは、海軍という戦闘艦艇を扱う技能集団の中で、身体的な戦闘能力が陸軍よりも重視され ないという点と、崩御した先代天帝が敢えて低位種を要職に就ける事で、そうした雰囲気の払拭を望んでいたという点によるところであった。無論、陸戦に比し て回数の少ない海戦で軍功を挙げる機会に恵まれ続けたという理由や、自らが奇抜な発想で高位種の指揮官を出し抜く事に秀でていたという理由もあるが、実力 ではなく運という要素が最大の要因であるのは間違いない。

 エッフェンベルクですらそう考え、何処か高位種には一線を引いた部分がある。

 立場を得られず、活躍の機会を得られなかった低位種達の絶望と失望は如何程(いかほど)のものか。

 そして、現状の皇国は天帝不在に在って、高位種を中心とした貴族や政府が的確な対応に欠くという有様である。

 彼らは、自らこそが立ち上がるべきだと考えたのだろう。

 義烈将校団に加入している将校の比率が人口比を考慮した上でも、低位種や中位種に酷く偏っているという傾向も相対的な問題ではないのだ。

 そうした考えが急進的な方向に進む事は歴史が証明している。

「そして、彼らには希望がある……」

 陸海軍の連合軍を主体とした征伐軍を劣勢の戦力で迎え撃ち、優勢な彼我被害数を轟かせ続けた若き軍神。七武五公の参戦後もある程度の軍事的均衡を演出して見せ、挙句の果てにはその一柱に重傷を負わせるという真似すら実現させた英雄。

 七武五公は、皇国臣民にとって伝承であり、伝説でもある。

 それを討つという奇蹟。

 しかも、高位種を投じるというものではなく、無数の新兵器と幾多の戦闘教義(ドクトリン)の運用による戦と戦術の転換を以て行われた。

「サクラギ・トウカ、か……ふん、成程。確かに、その挙げた戦果は英雄と称して遜色ない」ファーレンハイトが呟く。

 机に突っ伏したままのトウカを一瞥する二人。

「軍に所属する低位種は可能性を垣間見たんだろうねぇ。……最早、種族の差異ではなく、高い技術力から創出される兵器群を効率的に扱う者こそが祖国を、新 しい時代を築く。そう考えた者は少なくないだろう……それを指揮統率する者が高位種である必然性もない、と言ったところかな?」

 結果として、トウカの下にはそうした考えの者達が集まるだろう。

 ファーレンハイトが口にした義烈将校団も急進的な姿勢を見せている以上、トウカに対して好意的な姿勢を見せる可能性は極めて高い。或いは迎合して皇州同盟軍に参加する可能性も捨てきれないだろう。

 サクラギ・トウカは英雄であり、新時代の体現者である。

 だが、陸海軍にとっては自前の武装勢力を合法的に成立させた商売敵であり、距離を取らねばならない相手でもある。しかしながら新時代の戦闘教義(ドクトリン)と新兵器を携えた英雄でもあり、それらを取り入れずに陸海軍の近代化は有り得ない。つまり、ファーレンハイトもエッフェンベルクも、トウカに対して複雑な感情を抱いていた。

 だが、盟友として信用にたる男であると、調べれば調べる程に思える。

 ゲフェングニス作戦でのクラナッハ戦線突破時に最後まで友軍に囮という名の捨石の策を参謀として提示しなかった。無論、その時点で最低限の戦力を更に割 り込む事となればベルゲン強襲が不可能となる判断があったからこそである事は分かるが、撤退するにしても殿は必要である。

 トウカは、クラナッハ戦線突破が内戦の劣勢を回天し得ると理解していた。

 だからこそ、クラナッハ戦線に全てを賭けたのだ。

 戦闘詳報を見れば有力な兵器を複数備えているとはいえ、博打に近いものである事は見て取れる。偏った編制の一個連隊にも及ばない戦力で征伐軍が総司令部を構えているベルゲンを“強襲”するという無謀。

 トウカは、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉を磨り潰す心算であった。

 恐ろしいことだ。

 だが、自らもその戦列に加わった。

 少なくとも彼ら決死の任務を命じた者としての義務を果たそうとしていた。当時のトウカの階級を踏まえれば、決してそれは間違った選択ではない。

 何より、エッフェンベルクもそうした博打は嫌いではない。

 戦場の霧に勝利条件が霞む中、最悪の状況の中で最善を選び取り続ける事で得られる目標。自らが命を賭ける時、そして部下に命を賭けさせる時、その時期(タイミング)をトウカは理解している。

「僕は信用に値する男だと思うけど……君はどうだい?」

 エッフェンベルクは、米酒を煽るファーレンハイトに訊ねる。

 海軍は少なくない金銭を(たか)られたとはい え、考え直してみれば安価に大型戦艦二隻を含めた主力艦を編入する事に成功し、それによって士気も向上している。損傷しているとはいえ、海軍が持ち得な かった四一㎝砲搭載艦と防御に優れた重巡洋艦を多数手にしたのは心強い事と言えた。だが、酸素魚雷の設計図は渡しても重雷装艦を手放さなかった点から、 シュットガルト湖とシュットガルト運河の支配権を渡す心算はないのは疑いない。

 あくまでも対等足らんとしている。

 そうでなければ組織を纏め得ないのだろう。

 当たり前だ。旧北部統合軍の人員が大多数を占める手前、征伐軍を形成していた陸海軍に対して下手に出れば不満の噴出は避けられない。現状など直視せず、力関係(パワーバランス)を無視して勇ましい行動を取る事を求める者は何時の時代も、どの組織でも少なくはないのだ。

 眼前で突っ伏しているトウカも、その洗礼を浴びたのだろう。組織を統制するという事は、そういう事である。

 特に組織とは成立初期の場合、方向性の分裂や派閥抗争といった部分が表面化し易い。厳格な制度がなく、隙のある体制の中でより多くの権利を得る、或いは要職を得る為にそれぞれが無秩序に動けば組織としての能力が低下する。

 しかし、皇州同盟は急速に組織として拡大しつつも、強固な統制を敷きつつある。

 憲兵隊による武力統制。

 つまりは弾圧。

 急速な軍事組織の拡大は、無頼漢や食い詰めた傭兵崩れの流入によって指揮統制を低下させる。多種多様な種族と人種を統一した指揮の下で、規律と軍規に従順な将兵として運用するにはそれ相応の時間を必要とするが、それを一時的にせよ強引に達成する手段がある。

 それが、憲兵隊による押さえ付けである。

 反感を買い主義者の支持を失う危険性があるが、規律の低下により臣民の支持を失う可能性を踏まえれば決して間違った判断ではない。賛同する貴族領の治安維持までを請け負う事で皇州同盟は規模拡大を実現していた。

 問題と課題に塗れたままに組織を拡大させ、その不満と不備を憲兵隊による押さえ付けで維持するという強権体制。郷土兵が大多数を占めるが故に郷土で無粋な真似を働く者は少ないが、過酷な内戦によってヒトとしての本質を変化させた者も少なくない。

 凄惨な殺人事件や戦後の荒廃に付け込む様な人身売買、麻薬密売の横行に政府や陸海軍は頭を悩ませていた。皇州同盟の勢力圏では苛烈な対応が行われていた が、陸軍は帝国軍と交戦状態にあって戦力的に余裕がなく、内戦によって流出した重火器で武装をした犯人の出現は警務官による鎮圧を困難とさせた。

 故にトウカの協力は不可欠である。

 それが、エッフェンベルクの判断だった。

「儂も賛成せざるを得ないとは考えておる……しかし、だ。この男は総てを特別扱いしない。それが儂には“畏ろしい”」

 そのファーレンハイトの一言に、エッフェンベルクは絶句した。


 畏ろしい!


 戦野で戦斧(ハルバード)を振るい続けて機甲化の波にすら抗い、遂には陸軍府長官にまで上り詰めた猛者が人間種の若者一人を畏れている!

 厳密には、トウカはミユキやマリアベルを特別扱いしているが、二人がそれを知るはずもない。トウカの判断は効率的で苛烈であるという印象があるが、二人はそれを公平でいて国益にも配慮した決断をすると好感してもいた。

 だが、あまりにも何ものにも縛られない人物である事も確かであった。

 皇権に対してあくまでも国家権力の範疇と考え、歴代天帝の行った政策や軍事行動に対する批判や議論なども積極的に行う姿に反感を持つ者は少なくない。近衛軍では卒倒する者が続出する程で、陸軍でも眉を顰める者は少なくない。

 だが、正しいのだ。残酷なまでに。

 だからこそ、皇州同盟は拡大を続けている。

 つまり皇州同盟は天帝の権利に対して否定的ではないが、肯定的でもない評価を持つ勢力なのだ。場合によっては皇国の基本方針に対する是非を問うてくる可能性があった。軍事的に分裂した祖国が思想的にも分断される悲劇は断じて避けねばならない。

「次代の天帝陛下の招聘が何時になるか分からん以上、皇州同盟は皇国を別の体制で国難を乗り切るべきだと提言する可能性がある」

「全体主義……いや、エスタンジア地方で隆盛している社会主義のようなものを警戒しているんだね? ……確かに彼の言うところの指導者原理に近い」呻くようにエッフェンベルクは呟く。

 有り得ないとは言い難い。トウカは国難を脱するべく、総ての権力を私に集中させる機会を与えて欲しいと頻りに発言している。

 その中で提唱されている理論が指導者原理(フューラープリンツィプ)だった。

 指導者の意思と発言は、全ての理論や法律に優越するという極めて急進的な独裁思想であり、戦後に独裁者の選択した行動の是非を評価するという政体であった。皇天帝不在の時のみは、これを適用すべきというトウカの意見に政府もまた揺れ動いている。

 ある意味では名案と言って良いが、それは皇権を浸食する行為でもあり誰もが躊躇って議論すら起きなかった問題でもある。案の定、近衛軍からは統帥権干犯 だという怒号と奇声混じりの異論が噴出している。政治家からも皇国開闢以来の体制に天帝陛下の裁可なく手を加えるなど言語道断であるという意見が根強く出 ていた。

「結局、この莫迦者は好き放題に喚いて好き放題に組織を作っておる」

「協力するかは彼次第……という事だね?」

 結局のところ、彼は気紛れな子供なのだ。

 政治力学を無視して軍事しか見ていない。否、軍事力で政治を従える構えすら見せている上に、当人にその才覚があるのだから尚更始末に負えない。彼は誰よりも力の信奉者であり、目に見える力に頼りすぎているきらいがある。

 その心情は理解できる。

 理性と建前を名目に妥協と交渉を続けていた皇国は、千金にも勝る時間と貴重な資源を食い潰す事で、天帝不在の御世に在って祖国を維持する途を選択したが、もはや限界に近づきつつある。尚も現状を維持することを選択したならば、それは亡国への調となるだろう。

 誰も彼もが皇国の未来を勝ち取ろうと足掻いている。

 だが、皇権までをも求めたのは、トウカが初めて。

 皇権を、天帝という奇蹟の体現者をあくまでも為政者として、軍事的戦力としてしか見ていない。清々しいまでに冷徹に対象の本質のみを捉え、それを利用しようとする。

 何時の日か、トウカは皇国を滅ぼすのではないのか。

 皇国を構成する大多数を護る為と称して、皇国が皇国足り得る本質にまで手を伸ばそうと可能性を否定できない。そして、中央貴族はそれを何よりも恐れている。

 二人は、どうしたものかと米酒を煽る。

 皇国興廃を定めるやも知れぬ今この時代に、その政戦の才覚を遍く示して短期間で一大勢力を築き上げつつある英雄。その英雄次第で皇国の興廃が左右すると言っても過言ではない。

 困ったことだね、と空になった御猪口に視線を下ろす。

 それを察したかのように徳利が差し出され、御猪口へ米酒が注がれる。

「ああ、すまな……い?」

 対面のファーレンハイトに突っ伏したトウカ……位置的には誰もいないはずの横から差し出された徳利を持つ白くしなやかな女性の手に、エッフェンベルクは口元を引き攣らせる。三人しかいないはずの部屋に四人目がいるのだ。

 見上げるとそこには、侍女服を纏った美しい女狐がいた。







「これは……ヴェルテンベルク伯。御相伴に預かっております」

 立ち上がろうとしたエッフェンベルクだが、優しげでいて、尚且つ強制力のある手付きで肩を押さえられ、座椅子へと押し遣られる。


 マイカゼ・リル・フォン・グロース=バーデン・ヴェルテンベルク。


 今代のヴェルテンベルク伯爵となったマイカゼの手腕は既に発揮されつつあり、油断のできない相手であるという印象を周囲に与えていた。マリアベル以上に 相手の頬を札束で叩くという行為に馴れ、政治に関しての知識と才覚は、ヴェルテンベルク領の戦災復興が急速に進みつつある点を見れば嫌でも理解できる。政 府で北部に比較的好意的な議員への資金支援や、税金や土地、資源の面で優遇措置を取る事で多種多様な企業を誘致しようとしてもいた。

 北部の経済の中心であったヴェルテンベルク領だが、マイカゼは経済的な封鎖が解消されたのを奇貨とし、皇国経済の中心と成り替わらんという構えを見せていた。

 経済発展は喜ばしい事であるが、同時に対抗勢力を金銭と謀略で積極的に切り崩す構えを見せている。皇都では弾丸の代わりに金銭が飛び交い、政治家や商人が失脚し、華々しい死闘が繰り広げられていた。陸海軍にまで兵器産業の誘致を目的に接待攻勢を掛け、兵器貸し出し(レンタル)を餌に好意を勝ち取ろうとする姿勢に、エッフェンベルクもファーレンハイトも苦々しい思いを抱いているが、状況を踏まえれば手を振り払う事もできない。

 ファーレンハイトが手酌で米酒を煽りながら、気に入らんとカイゼル髭を揺らす。

「貴族が酌婦如き真似事など感心せぬな」

「あらあら、男だけで呑んだ末に若者を酔い潰すほうが不健全でありませんこと?」ころころと笑声を零すマイカゼ。

 侍女服の(スカート)切れ目(スリット)か ら垂れる黄金色の尻尾が揺れ、エッフェンベルクの膝を撫でてむず痒さを感じた。尻尾を使って異性を誘うのは狐種の得意技であるが、こうしたところでそれを 当然の様に行うのは正に女狐と言える所業である。自身の性が甘く疼くことに苦笑しつつ、エッフェンベルクは姿勢を正した。

「ヴェルテンベルク伯ともあろう御方が卑賤なる身に斯様な忠告をしていただけるとは光栄に御座います。……しかし、男には同じ苦労を理解する者達だけで語り合いたい時がありますゆえ」

 書類仕事に疲れて闘争を望む様になれば将官としては終わりだが、自身の執務机上に書類で形成された大艦隊を見てしまうとそうした考えが過ぎるのは避けられない。書類の大艦隊は砲爆撃では撃破できないのだ。

 なので、こうして同じ苦労を知る者と不満を垂れ流し合う機会は必要なのだ。自分の為にも。トウカの為にも。

「ならば私も参加させてくれると有り難いのですが。非才の身で領地を運営するという重圧に耐えられないの」よよよ、と目元を袖で拭うマイカゼ。

 口を開き掛けて諦めた様に沈黙するファーレンハイト。心なしかカイゼル髭も項垂れている。どの口がほざくか、とでも吐き出しそうになったが堪えたのだろう。

 陸軍将校への接待攻勢は凄まじいの一言に尽き、特に北部方面軍を皇州同盟に取り込む姿勢を露わにしている。食事は勿論のこと、女神の島での性的接待や所 属部隊への物資の優遇などを行う事での取り込みに抗える者は少ない。北方方面軍の将兵は皇州同盟軍に少なくない数が流れつつあるとはいえ、半数は未だ旧北 部統合軍の将兵で占められているが、それは逆に言えば、残りの半数は他地方の部隊からの転属組と言える。接待を受ける事を禁止したいのは山々であるが、 ファーレンハイトとしては将兵共々減少する予算の中で不遇を強い続けている事もあり、そうした“好意”を受け取る事に対して否定的な対応は取り難い。何よ り、マイカゼは接待や優遇、支援をするだけで一切の見返りを求めない為に非難するのは難しい。

 曖昧な好意を勝ち得て、問題が生じた際に信頼と支持を勝ち得て多数派とする為の布石なのだ。一体、その”問題”とは何か陸海軍としては非常に気になるところである。

 それら総てを見透かした上で、尻尾を揺らして非才の身などと、ころころ笑っているのだから始末に負えない。

「まぁ、参加するのは構わんが……」

「この屋敷の主はヴェルテンベルク伯です。我らに否やありません」

 ヴェルテンベルク伯爵家も皇州同盟に参加しており、立場としてはトウカの陣営であるものの、天狐族を中心とした勢力となりつつある現状では皇州同盟の一派閥と見るべきであった。

 トウカの動向を気にしているのか、二人の了承を得たマイカゼは、トウカの横の座席へと移動する。

 シュットガルト湖畔攻防戦に於けるフェルゼンを巡る一連の戦闘で一部が損壊したヴェルテンベルク伯爵家の屋敷、何故かある神州国の造りをした一室で三人 は対面する。畳に座椅子。そして襖の先に窺える庭園……は残念な事に内戦の影響を色濃く残しており、一五・五㎝連装高射砲が設置され、軍靴に踏み荒らされ ていた。

 机に突っ伏したトウカのところまで移動したマイカゼは、上座でトウカに膝枕をすると二人に鷹揚に声を掛ける。

「陸海軍府の長たる御二人に訊ねたい事がありますの」妖艶な女狐。

 トウカの軍装の襟の(ボタン)を外しながら身体を弄まさぐる光景が色々と台無しにしているが、二人は至って常識的な組織人なので当然の様に流す。

「エルライン要塞の陥落は何時なのかしらね?」

 独特の甘く心を震わせる声音。おっとりとしていながらも心地良さを感じる声音に、エッフェンベルクは自身の修行不足を感じた。高位種相手に優位に立つ事 の難しさというのは、エッフェンベルク自身が誰よりも知っている。だからこそ、トウカが成した事を誰よりも評価していたが、その頼みの綱のトウカは爆沈し ている。浮揚には時間が掛かるだろう。

 ファーレンハイトは炎狐族の者であるが、狐種の頂点と言っても過言ではない天狐族のマイカゼに対して否定的であった。

 狐種は建国に携わった種でありながら一様に評価が低い。

 狐種の中で主導的な立場にあった天狐族が雲隠れした為、政府内で主導権(イニシアチブ)を取る事に失敗したからである。当然、義務を果たさない彼らに対して複雑な想いを抱く狐種は少なくないが、同時に今日に至るまで大多数の狐種が戦火に晒される事を避けるのに成功し、龍種や虎種、狼種に対して人口の面で優位に立ってもいた。

 だが、ファーレンハイトは生粋の武人。感情的には納得できないのだ。

「エルライン要塞は落ちない。我が陸軍総員の身命に賭けて守護するものなれば」

 目を見開いてカイゼル髭を揺らす禿頭の武人の姿は、エッフェンベルクの視覚的には正視に耐え得るものではないが、マイカゼの表面上は何一つ変わらない。強いて言うなれば、トウカの身体を(まさぐ)る手が激しさを増している程度の違いしかないが、娘婿に手を出すというのは如何なものか……とは言えないのが皇国という国家であった。種族毎に於ける年齢の差異というのは、麗しい姑や妖艶な義娘という恐ろしくも罪作りな存在を生み出したのだ。

 トウカの運命に同情と羨望をしつつも、エッフェンベルクは思案する。

 エルライン回廊の一進一退の攻防は、エッフェンベルクにも伝わっている。

 火力戦をするには火砲と弾火薬の損耗が激しく、帝国陸軍の新型戦車に苦戦を強いられているという報告も受けていた。史上最大規模の攻勢に対し、エルライ ン要塞は増援を得たとはいえ、前回の攻防戦からの損傷と損耗を完全に補填しておらず、堡塁などの防御陣地も相互支援能力を低下させていた。

 無論、防衛は可能であるが、将兵の損耗は一五万名を超えると試算されていた。

 内戦での損耗を加算する皇国陸軍は総兵力の実に五分の一を喪うことになる。無論、損耗とは負傷者なども含めた数であり、時間が立てば幾許かの戦列への復帰は望めるが、それでもその数は少数で、また多数の傷痍軍人は治安の悪化という社会問題を引き起こす原因とも成り得る。

 周辺諸国との国境を警備する為に裂かねばならない戦力を考慮すると、致命的な戦力にまで落ち込む事になる。現時点でも皇国陸軍は減少する予算の中で兵力が減少傾向にあった為、これ以上の急激な損耗は軍事組織の屋台骨を圧し折る事になりかねない。

「護り切って……その先はどうしちゃうのかしらね? ……神州国も目障りな動きをしているけど海軍は防げないでしょう?」

 物分かりの悪い子供を叱る様な、そうでありながらも教え込む様な口調にエッフェンベルクは自然と背筋を伸ばす。病死した母親に幼少の頃に叱られていた様な感覚に対する反射的な動作であり、エッフェンベルクは年を取りたくないものだと内心で舌打ちする。

「海軍は現状の戦力で……例え編入した主力艦を直ちに戦力化する事ができたとしても神州国海軍との艦隊決戦には勝利できないです。無念ではありますが」

 引き分けを狙うにしても、少なくともあと三倍の艦隊戦力が必要になる。しかも、近海に引き寄せて魚雷艇などの近海防衛戦力まで動員した場合の数であり、外洋で積極的に攻勢に出るには五倍の数が必要であった。

 エッフェンベルクだけでなく、それが海軍府軍令部と連合艦隊司令部の共通の認識である。

 旧式を含めれば一〇〇隻を越える戦艦と、二〇〇〇隻近い艦隊戦力を保有している世界有数の海洋国家を相手に華々しい海戦をするだけの戦船を、皇国海軍は保有してはいない。

 取り得る戦略は通商破壊作戦しかない。

 だが、工業国でもある皇国にとって海洋を抑えられるというのは国防上の脅威でもある。その上、帝国との交戦中に側面を突かれての二正面戦争の警戒だけでなく、陸軍が損耗している状況で強襲上陸してきた神州国軍と交戦するというのは悪夢に等しい。

「陸軍が強襲上陸を敢行してきた神州国陸軍に優勢を確保できなくなるまで弱体化したならば動く可能性があると?」

 有り得ることだ。

 寧ろ、それに対する抑止力を皇国は現時点で保有していない。

 神州国の脅威に晒されている東部は陸軍と貴族軍の戦力を合計しても二〇万に届かない戦力しか展開しておらず、西部は更に少ない。南部は《トルキア連邦》 の政情が安定しておらず難民の流入を阻止する為、他地方よりも優勢な戦力を展開しているが、それを配置転換することは状況的に難しい。何よりどの方面軍も 内戦に続き、帝国に抗する為に戦力を限界まで抽出されている。装備と練度に大きな差がある貴族の各領邦軍までをも踏まえた数を戦力として見ているところか らも、その状況の厳しさは窺えた。

「私が神州国ならば動くでしょうね。ふふっ、そして共和国も人命保護の名目で西部に“進駐”を行いかねない」

 笑い事ではない。

 最悪、皇国は周辺諸国に分割されて消滅する可能性がある。

 無論、その可能性は陸海軍でも検討されていた。

 帝国と共和国は幾度も干戈を交えている点と、共和国が新たな戦線の出現を望まないと思われる点から協力体制となる可能性は極めて低い。だが、対照的に神 州国は帝国とも貿易をしており、孤立気味の帝国にとって重要な交易路を抑える国家である。神州国もその点を理解して莫大な利益を上げていた。

 《スヴァルーシ統一帝国》と《瑞穂朝豊葦原神州国》を同時に相手取る事になる。

 少なくとも、マイカゼはそれを既定事実として動いている。

 あの政戦で類稀なる視野を見せ続けていたマリアベルの後継者であるマイカゼが断言しているという事実は、エッフェンベルクの気を重くさせるには十分なものである。

 外交努力と譲歩しかないが、武力を用いればそれ以上の利益を得られるのだ。躊躇う必要はない。既にそうした時代になりつつあるのだ。

 解決策はない。

 しかし、マイカゼはころころと笑うばかり。

 そして、一頻り笑声を零し終えたところで呟く。


「ちなみに、うちの婿殿は帝国を相手取りながら神州国軍にも抗する事ができると断言して見せたの……面白いでしょう?」


 ウチの子は凄いでしょう、と豊かな胸を張るマイカゼに、在り得ることだ、とエッフェンベルクは嘆息する。

 軍神の勲功は未だ留まるところを知らないという事だろう。ファーレンハイトに限っては徳利の米酒を直接に喉へと流し込んでいる。陸軍が東部の要衝に工兵 隊を派遣して防御陣地の設営を始めているのは、その位置から見て内陸へと誘い込み、神州国陸軍陸上部隊を艦隊戦力と分断して撃破するという思惑があるのは 疑いない。

 陸軍は東部が戦場になる事を前提に行動している。水際防御は不可能と見ているのだ。そして海上商用航路(シーレーン)防衛という海軍たるの本分を放棄した海軍はそれを非難する事ができない。


「でも、トウカ君は致命的な国難になってから手を出す心算みたいなの……つまりは夥しい数の臣民を犠牲にする事自体を目的としちゃってるの」


 困ったわ、と呟くマイカゼ。

 臣民の犠牲自体を目的としている点に、ファーレンハイトが目を剥く。エッフェンベルクもまた、その言葉に何も言えないでいた。

 その中でも、マイカゼは緩やかな笑みを浮かべるばかりである。

 二人が沈黙を以て詳しい理由を促していることを無視し、マイカゼはトウカを抱き抱えて立ち上がる。

 二人は、マイカゼが退出する背中を見送る事しかできなかった。

 

 

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 トウカ君の指導者原理は、戦後に是非を問うという点でヒトラーのものとは違いますね。まぁ、常態的に戦時下に置かれたら?という懸念は全く以て正しい訳ですが。

 本来の指導者原理とは少し違う意味で語られています。