第二〇一話 帝都初空襲 後篇
――想定よりも地上部隊は健在だな。近衛か?
周辺の貴族街に対する爆撃は、貴族を一人でも多く殺害する事で軍事侵攻の大規模化を誘発するという目的もあったが、主たる目的は帝城への部隊展開を抑制 するという点にこそあった。帝城周辺に陸軍駐屯地は存在しないが、郊外から帝城への進出は有り得る。貴族や民衆の救出は優先度として、皇帝の保護に劣る。 それが個人に権威を求める国家の在り方であり常識であった。
緩降下しつつ帝城上空を飛行する二人。予定されている降下地点は存在するが、その範囲は極めて広大である。航空歩兵に抱えられた鋭兵達は精鋭であり戦技 に優れた中位種で統一されていた。降下地点の確保は、航空歩兵の近接航空支援もあって容易であると推測されている。戦略爆撃による帝城の混乱は、その駐留
戦力の大多数を瓦礫の下へと誘い、残存戦力の戦意を一撃で打ち砕いた。地上展開した鋭兵の攻撃もあり、上空に意識を向ける守備兵は少ない。対空砲火も今や 完全に途切れている。
「信号弾用意……発射!」
ヨエルに知らせる意味もあり、敢えて口にしたトウカは専用の拳銃嚢で腰に吊るされていた信号拳銃を引き抜き、地上へと構えて引き金を引く。
信号弾が緑の尾を引いて伸びる。着弾先は健在な機関銃陣地付近。
その機関銃陣地は帝城側壁の窓に敷設されており、先に降下した友軍鋭兵部隊を撃ち下す事が可能な位置にある。中位種以上の種族で編制された鋭兵であれば突破は可能ではあるが、今作戦は拙速を貴ぶ。
本来であれば光波目標指示装置が運用されるべき局面であるが、魔導技術に於いて通信や索敵を担っているこの世界では波長や輻射という概念に対する理解は浅い。そして、魔力放射は魔力が酷く滞留する戦場では拡散する傾向にある。自然とこの世界では信号弾による攻撃目標指示が選択された。
飛行砲艦による“砲撃”が機関銃陣地を襲う。複数の四〇㎜機関砲による砲撃を受けて帝城側壁諸共に吹き飛ぶ機関銃陣地。
崩れる側壁。
皇国陸軍規範に準拠する皇州同盟軍では二〇㎜以上の口径を有する火器を機関銃や機銃ではなく、機関砲として扱う。その為、銃撃ではなく砲撃という扱いとなる。
軍歴の長い熟練の鋭兵達は、その隙を逃さない。一瞬で距離を詰めて帝城へと取り付く。
皇国陸軍でも始まった空中挺進を可能とする部隊の編制が進捗しない最大の理由に、高高度からの落下傘降下が可能な士官や兵士の育成が困難であるという状況が影響している。
育成には、兵数に対して過大な予算と資源を必要とし、実戦同様の輸送騎からの降下訓練を必須とした。地上訓練もあるが、実際の降下訓練とは大きく差異が ある。訓練では実際の降下を行う必要性が常に付き纏った。天候や武装重量、落下傘の構造などの条件次第で降下方法や降下範囲は変化する。降下時の機微や後 の再集結などは実際に行う事でしか完全な習得に至らない。
何より、帝国という過大な陸上戦力を有する敵国からの侵略を受けつつある現状で、多額の予算と資源を必要とする空中挺身部隊の編成は重荷でしかない。敵 地後背への展開が可能とは言え、所詮は少数の軽歩兵。要衝の一部を破壊し、要人殺害を行う事が限界である。挙句に落下傘による空挺降下は未だ実戦で行われ
ず、ベルゲンでは滑空機による降下が行われた。
陸海軍と皇州同盟軍による航空戦技の考案と教導を担うべく編成された〈教導航空師団〉では、飛行能力を有さず、個人で多大な身体能力と魔導資質を有する 高位種や中位種の敵地後背への投射を考案したが、トウカは皇州同盟軍の航空歩兵部隊に対して人員輸送手段の確立を命じた。
その返答は、翌日に成された。武装を含めた一〇〇kgを超える兵員の輸送は、一部の有翼種を以て可能である、と。
携行可能な人工翼を装備した兵員を有翼種で牽引などという手段も提案されたが、要撃騎や対空砲火による迎撃の可能性を踏まえれば運動性低下は望ましくない。結果として、酷く原始的な可搬重量に優れた一部の有翼種が抱えて降下するという手段が採用された。
ヨエルの飛行は優雅であり、揺動すら感じ取れない。トウカは信号拳銃で陣地や兵員が集結している地点付近に次々と信号弾を撃ち込み、信号弾を早々に使い切ると、信号拳銃を捨てて小銃を構える。
目前に迫る帝城。
「おい! 地上に降りろ! 壁に激突するぞ!」
「黙りなさいな! 直接、城内に突入します!」
トウカの引き攣った声音の命令に、ヨエルが抱えた左手でトウカの腹部を締め付けて沈黙を強いる。トウカの考える天使とはかけ離れた所業であった。
――欧米圏の神や御使いにも真っ当な奴がいると考えた俺が馬鹿だった!
日本は精々、機織り中の姉の部屋に皮を剥いだ馬を投げ入れる弟や、それに怒って岩戸に引き籠る姉がいる程度である。夫に腹中の子供を疑われて火を放った 産屋で出産する妻や、神の化身たる大猪に素手で挑んで雹をぶつけられて死んだという英雄もいるが、殺した奪ったという所業の規模に在っては欧米圏の神や御 使いと比しては皆無に等しい程度であった。
――いや、まぁ神話と結合した朝廷である以上、欧米とは似たようなものか。
欧米は宗教と王権が高度に結合した。実に碌でもない。無論、指導者が眉を潜める程に東洋の島国で狂乱の限りを尽した仏教というそれ以上の存在もあるが。
迫る窓に、トウカは小銃と両手で顔を庇うが衝撃は訪れず、着地の感触すらない。目を瞑る真似などせず、トウカは広い廊下に浮遊する自身を認識する。
魔道障壁で窓を破砕して破片を防御、白翼を可変翼の如く翻して方向転換。制動を実現したと推測できるが、トウカは自らの身体に空中戦闘機動時に掛かる重 力変化を認識なかった。質量制御に類する魔術まで行使されたと見て間違いない。他の天使種航空歩兵が属性魔力による反発による機動を行っている事とは、根
本的に空中動作が違うと推測できた。
ゆっくりと廊下に降り立つ二人。トウカは、腹部の固定帯の留め具を外し、ヨエルの戒めより解放される。精神に多大な負担を強いる空中挺身を終え、トウカ は高鳴る心臓を落ち着ける。ヨエルと密着した事による影響などなく、対空砲火を受ける中での降下や低空飛行、城内への突入という緊張の連続を強いられたか らであった。
小銃を構え、被筒部に防水粘着帯で巻き付けた軍用電灯の無事を確認する。夜の帳が降り始めた最中でも、貴族街の大火災によって炎光が差し込むので暗くはない。或いは本来の用途では使用しない可能性もある。戦場では想定外ばかりで、実際に行わねば要不要の確認が難しい。それ故の戦争である。
「貴官は近接航空支援を……機関銃は装備していないのか」
ヨエルの装備に、トウカは眉を顰める。
機関銃だけではなく小銃もない。飛び道具を纏わず、代わりに手にしているのは通常よりも尚長い長柄の戦斧であった。斬る突く薙ぐの全てが可能な長物であるが、重量物であるが故に扱いが難しいとされる。しかし、高位種であろうヨエルであれば膂力に不足なく運用できると推測できるが、銃火器に対する射程に関しては逃れ得ない現実が横たわる。
ヨエルが白翼を畳むと、その翼は跡形もなく消え失せる。龍種や獣種の様に質量変化を伴う転化という質量保存の法則を超越した所業であるが、ヒトの姿から龍や獣の姿となる者達と比較すれば酷く限定的な転化に過ぎない。
航空歩兵科の第一種野戦軍装は夜襲や荒天時の襲撃行動を前提とした鈍色であるが、白金の長髪は迷彩効果を著しく損なわせていた。厳密にはその白金の長髪は淡く光を放ち頭上には光輪が輝く。
「さて……では参りましょうか」
笑顔と共に戦斧を一振りして構えるヨエル。片手の指で弄ぶ様は、羽毛を扱う彼の如き気安さを伴ったものであるが、柄がしなる程の速度を伴っている。金属と窺えるはずの材質の戦斧が変形する様は、その人外魔境の皇国に住まう強者である事を示す。
踏み込むヨエル。真紅の絨毯が裂け、石造りの廊下に罅が奔り、深く沈み込む。トウカが小銃を構え、先の角から姿を見せた兵士に銃口を向けるよりも尚早い。
増大しつつある総数が不明確な親衛軍兵士の只中に飛び込んだヨエル。廊下に散乱した窓硝子や埃、石片を弾き飛ばす程の風圧を伴った踏み込みからの接近は疾風と呼ぶに相応しい。大きく右へと振り上げられた戦斧。穂先が絢爛な象意の施された壁面に振れて瓦礫を舞い上げるが、ヨエルは牛酪を斬るかの様に軽やかに振り抜いた。
一閃。
側面を持つ斧頭と長柄の組み合わせは遠心力を伴って敵兵の一団の前衛を薙ぐ。薙刀や半月斧に等しい効果を発揮した戦斧は三人の親衛軍兵士を圧し折る。不自然な角度より身体構造を破壊された三人は縺れ合って割れた窓より城外へと投げ出された。
トウカも慌てて小銃による射撃を加えつつも、近付く。親衛軍兵士は至近のヨエルに気を取られており、トウカを意識より外している。遊底動作式小銃であるが故に連射はできないが、トウカは手慣れた手付きで槓桿を引き、二人を撃ち斃した。
血飛沫を上げて斃れる親衛軍兵士。ヨエルが戦斧を振るう度、胴体が拉げ、手足が捥げ、頭部が砕ける。壁に叩き付けられて染みになる者もいれば、真紅の絨 毯を赤黒く塗装する者もいた。トウカはヨエルの勇戦で安全に射撃が行える。本来、廊下という遮蔽物の限られた直線空間での戦闘は決定打を与え難いが、ヨエ
ルが最大の敵である距離を一瞬で詰めて近接戦に移行した為、最早戦闘は短期決戦の様相を呈した。
最大の敵である距離を幾度も詰め、ヨエルは演武の実演の如く親衛軍兵士を薙ぎ倒す。圧し折れ、或るいは両断される様は天使ではなく戦乙女と称するに相応しい有様である。突きによって刺し貫いた親衛軍兵士をそのままにして、戦斧を振り翳して攻撃を続ける姿は熾烈であった。分隊規模の親衛軍兵士が全員、撃ち斃されるまで四〇秒と掛からない。
「排除確認、気配は?」
「近くには御座いません」
トウカは血塗れのヨエルに近付くと、左右へと続く廊下を一瞥する。曲射小銃が あるとも思えないが、魔術的な曲射手段が存在する以上、警戒は必須であった。敵を探知する事は混乱に依る魔力の拡散で困難となっているが、聴覚に優れた種
族が敵に在っても不思議ではない。人間種優越を掲げる帝国であるが、皇国と比して定人間種と定義する範疇は極めて曖昧で、外観が人間種と酷似している種族 もまた人間種と扱われている例も多い。魔人種のリディアが、種族的外観が皆無である事から差別を受けてはいない点が最たる例と言える。
銃火は尚も断続的に響いている。
炸裂音は手榴弾であり小銃擲弾であろうことは疑いない。集結は霊廟のある地点である為、降下猟兵部隊は総員が集結地点へと躍進を続けている筈である。同 時に最短距離が帝城内であり、長距離からの銃撃や砲撃を遮閉し、多数の視界を避け得る城内を進撃路と選択した降下猟兵は多い。トウカはヨエルによる独断で
の突入であったが、城内から銃火に晒される状況を避け得た意味は大きい。陣地突入や機関銃陣地の襲撃行動は多大な危険を伴う。
「そちらは逆だ。迂回突破を図る」
「あら、宜しいのですか?」
返り血を受けて深紅に染る航空歩兵第一種野戦軍装は鈍色の部位を探す事すら難しい。近付くトウカも敵兵の散乱した手足や臓物を避ける必要性に迫られる。滑って転倒する真似はトウカも避けたいと考えていた。
二人は警戒をしている様子もなく、ヨエルを戦闘に迂回を開始する。ヨエルは淡い笑みを湛えたままに駆け足を続けているが、時折、姿を現す敵兵や侍女を相 手に常に先手を取っている。突入時に遭遇した分隊規模の敵とは違い、敵集団の規模は最大でも三名程度で混乱が窺えるが、敵の目指す方角は基本的に同様で あった。
「ああ、勿体無い事だ」
出合頭にヨエルが斬撃を叩き込んで絶命させた侍女を蹴り上げ、仰向けにして顔の造詣を確認したトウカは天を仰ぐ。人的資源の悲劇的な浪費である。天を仰ぐ真似は隣に天使が居る状況では何ら意味を成さないが、それでも尚、天を見上げざるを得ない。
「その様な女性がお好みでしょうか?」
「冗談を言え。狐耳も尻尾もない女だぞ……だが、美人だ。それなりの要人の雑務を任されていたとは思わないか?」
トウカは亡骸となった侍女の頭を戦闘半長靴で押さえ、髪押帯の模様を確認する。遭遇した複数の侍女の髪押帯は違った模様をしているものが数多くあった。立場や職級を示すものである可能性が高いと、トウカは見た。
帝城に侍女は無数と居る筈である。その全ての容姿が一様に平準化されているはずもなく、特に御目麗しい人物は進んで要人の近辺に宛がわれている筈であっ た。ヨエルは得心がいったという表情をして近くで瓦礫に押し潰された侍女の長髪を掴み上げて確認する。天使とは思えない所業であるとはトウカは思わない。
トウカの知る神話や伝承の天使であるならば、彼女らが仕えた神は大層と気狂いである。ヨブ記では悪魔が元は天使であると記されており、創世記では神は自ら の心身を模してヒトを創造したとされている。それらの点を踏まえれば、天使もヒトも決して祝福を受けた存在でも選ばれた存在でもないと察する事ができる。
大した欠陥製品を設計したものである。特にヒトという存在に関しては欠陥措置対象ににもならず、挙句に終末兵器を使って地上で神話上の破壊の真似事までやらかした実績すらあった。
ヨエルの頭上に浮遊する光輪を一瞥し、トウカは小銃に挿弾子を叩き付ける様に装填する。室内では連射の効かない小銃よりも、投射量に優れた短機関銃がより有用であったが、技術流出を恐れて帝都空襲では既存の銃火器のみが投入されている。
「皇帝が近くに居るのかも知れんな。殺したいところだが時間がない」
「老人の首より墓荒しが御望みですか。感心しません。英雄たらんとするならば、老人の首を墓に投げ込む程度は口にしていただかないと」
無茶を言う、とトウカは頬を歪める。
権威主義国に於いて最重要視される最高指導者の保全を最優先と考える家臣が集結しつつある中に、天使と人間の二人で突入するなど正気の沙汰ではない。親 衛軍は魔導甲冑充足率が帝国軍の中でも極めて高く、不意打ちであったからこそ魔導甲冑を装備した敵兵と遭遇する事はなかった。当然、屋内戦闘では魔導甲冑
は取り回しに苦労するが、最高指導者たる皇帝の守護となれば実装している部隊が展開していると見るべきである。
二人は再び駆け出す。
角直前でヨエルが止まり、戦斧の長柄の終端を持ち、角の向こう側へと大振りに振るう。戦斧だけを角の先へと振りかぶる形で、角の向こう側にいた敵はいきなり戦斧が伸びてきた様に見えたかも知れない。
鈍い音が響くと共に、ヨエルが角を超える。トウカも続くと、そこには両断された親衛軍兵士が斃れていた。戦斧を叩きつけられ、挙句に壁と戦斧に挟まれて両断された事を示すかの様に壁には血液が広がっている。
「近いです。我が軍の戦闘半長靴の音が複数。帝城側壁に近い位置かと」
「ラムケ少将が降下猟兵を糾合して迫っているのだろう。あちらも苦労していると見える」
先行した降下猟兵……実情は鋭兵に二人が追い付くとは即ち苦戦を意味する。
帝城側壁に近い通路を選択するのは、飛行砲艦の支援を期待しての事であるのは間違いなく、現に四〇㎜機関砲の連射音が散発的に響いている。緑の発煙筒による近接航空支援要請は有効に機能している。当初より火災による黒煙や粉塵で視界が遮られると懸念されていたが、飛行砲艦の砲手は耳長種で統一されており、視覚に優れている事も手伝って機能している。
「閣下、あそこです」
「……目立つ槍働きをする」
ヨエルが帝城の外壁下を指し示す。窓から窺える帝城の瓦礫の中、戦鎚を振るい魔導騎士の頭部を叩き潰すラムケの光景に、トウカは胸中から湧き上がる衝動を自覚した。実にトウカ好みの状況となりつつある。
「上級大将閣下、一個分隊程が近づいてきます。接敵を避けましょうか?」
「いや、排除する。一人は生かしておけ。聞きたい事がある」
トウカは駆けながらも、尋問の算段を付ける。撤退時の対空砲火を懸念して高射砲の指揮を司る射撃指揮所を破壊したいと考えたからであった。帝城は戦略爆撃によって半壊しているが、射撃指揮所が全滅したかの確認をトウカは望んだ。位置さえ判明すれば、飛行砲艦による近接航空支援が望める。
無論、対空戦闘が重視され始めたのはトウカによる航空優勢の原則の発見を以てである為、対空戦闘技術が拙劣なのは諸外国共通の懸念事項である。よって帝国に在っては射撃指揮所という概念すらない可能性があった。未だ世界は対空戦闘について模索段階にある。
「ッ! 閣下、足音が増えました。一個小隊、重装備ですね。あらあら」
緊張感のないヨエルの声音に、トウカは眉を顰める。ヨエルの言動に対しての不満ではなく、進撃路が敵の集結地点になっている可能性を見たからであった。
二人は半壊した帝城の外周をなぞる様に進み、大多数の敵の目を誤魔化す形で進出していたが、それも限界に達していた。降下地点自体を霊廟周辺とするには付近の建造物が多く、直接降下に適しておらず、中隊規模の歩兵による展開が認められた事で変更を余儀なくされた。
ラムケ隷下の分隊が派手に戦闘を繰り広げているのは陽動という側面が大きい。トウカの降下地点はトウカ自身が状況に応じて判断するとしており、現に判断 の結果として陽動側に近い地点に降下したが、その判断は間違ったものであったと言える。ヨエル程の突破力があると正確に理解していたならば、少々の無理を 承知で霊廟付近に展開している敵を実力で排除する事も可能であった。
曲がり角。咄嗟に前を往くヨエルが抜けようと足を踏み入れた曲がり角より飛び下がり、トウカを抱き寄せて壁へと押し付ける断続的な重低音。重機関銃による制圧射撃。
「閣下、あれは魔導騎士です。ラムケ少将でも些か荷が重いでしょう」
「やれるか?」
トウカの問い。ヨエルは些かの逡巡を見せ、トウカは首を横に振り、口を開こうとしたヨエルを制する。逡巡があった点を不確定要素と見て取ったトウカだが、実際はヨエルは別の点からの逡巡であった。
「重機(重機関銃)装備の魔導騎士による牽制射撃を行いつつ、大盾と長剣を装備した魔導騎士が廊下の地形一杯に横列で躍進してくる……装備を見るにそんな形かしら、ふふっ」
魔導騎士主体の部隊。歩兵と同様に複数に武装によって編成されていると見て間違いない。ヨエルの指摘は至極真っ当なものである。魔導騎士は魔導甲冑という全身甲冑を装備した兵科であり、左右腰部の跳躍機構による高機動力、魔導技術による強化外骨格に等しい構造からなる膂力と防御力を有する。膂力の強化は重武装化に繋がり、人間種が纏えば重機関銃を単独で運用できるようになる。
「しまった……魔導騎士という手もあったか」
天使種による空挺ではなく、魔導甲冑の跳躍機構による滑空降下という戦術に思い当ったトウカは苦笑する。トウカの優位性である地球世界の軍事技術と戦闘教義、戦略は、同時に思考と常識をそれらに縛り付けてもいた。
「しかし、魔導騎士と言えば精鋭だ。……しかも、前進してきている様子はないが?」
魔導甲冑という全身装甲は紛れもなく重量物であり、前進しているならば盛大な金属音が生じる。ヨエルも首を傾げる。聴覚に優れたヨエルも前進を認識して いない。意味するところは限られる。帝国の花形兵科にして、御宸襟を案じ奉る責務を帯びる魔導騎士。拠点、陣地の保持。この半壊した帝城でそれを敢えて実 行し続ける目的。
「いるのか、この先に。皇帝が」
トウカは狂相を以て吐き捨てる。不運という他ない。皇帝にしてもトウカにしても。運が悪ければ死なねばならない皇帝に、同時にそれを成さねばならないトウカも。確率としては低いと考えていた事象が徐々に補強されるという悪夢。
皇帝殺害を成せば帝国は混乱するが、皇国との停戦や休戦は不可能となる。次期皇帝擁立時の混乱で帝国が割れれば最上だが、次期皇帝が速やかに擁立する条 件として皇国征伐という運気が生じれば、帝国はあらゆる分野の総力を以て皇国と相対すると予想される。他戦線での侵攻を止め、余剰戦力を皇国戦線に全力投
入すれば一五〇〇万は新たに動員できるだろう。最早、大祖国戦争の規模である。余りにも不確定要素が多く、帝国の不安定化も過ぎれば過激な潮流となりかね ない。共産主義者の狂騒から共産主義国が成立する可能性とてあった。
――今ここで俺にそこまで読み切れと言うのか!
織田幕府の政策としての仏教に対する神道の優位を決断させた桜城家の子孫は、あの金ぴかパンチパーマに呪われているという自負がある。国家神道の醸成か らなる思想統一で大和民族の意識集約を行い、亜細亜外征時の離反を阻止するという意味があった。植民時最大の懸案事項が、あの中華圏に攻め入れば何故か勝
利を得ても最後は文化的に飲み込まれるという謎の現象であったのだ。民族的帰属意識確立の必要性と、元より中国から渡来して亜細亜に広く分布する仏教は大和民族のみが有する特性とはなり得なかった。挙句に神道の隆盛に抵抗し、政治に介入して僧兵からなる独自戦力を持つ。
――なら、弾圧するしかないじゃないか。
胸中で弁解を重ねるトウカっだが、既に答えは出ていた。触らぬ神に祟りなし。宗教弾圧は計画的に。
「別の進路で行く。戻るぞ。後、皇帝などいない。先の言葉は忘れろ。漏らせば焼鳥にする」
「あら横柄。母親の顔も見てみたいものです」
楽し気に笑うヨエル。何故に母親だけに言及するのかという疑問を流し、トウカは腰帯に挿してある柄付手榴弾を抜き取り、腰の雑嚢から弾頭部のみの手榴弾を幾つも取り出し、防水粘着帯で巻き付ける。即席の集束手榴弾であるが威力と破片効果は巻き付けた数に比例して増大する。
廊下という限定空間であれば威力が増大する事も期待できると、トウカはヨエルへと集束手榴弾を手渡す。
ヨエルは柄の安全蓋を外して中の紐を指に絡めて曲がり角から身を乗り出す事もなく投擲する。投擲と同時に指に巻き付けた紐が引き抜かれて摩擦で着火、遅 延時間は三秒。優れた膂力に裏打ちされた投擲は敵部隊の中央付近に落下すると期待できたが、二人は爆発音よりも先にその場から脱兎の如く逃げ出した。
廊下という細長い限定空間で多量の爆薬が炸裂する。爆風は突き抜ける様に廊下を奔る。煽られて弾き飛ばされる事は避けられない。廊下の形状で二人が煽られれば、それは人間砲弾に等しい。
「背面に障壁! 翼を広げろ!」
「それは、もぅ!」
意味を察したヨエルが絶句。しかし、時間がないと理解して咄嗟に魔道障壁と翼を広げる。トウカは、上官の命令に盲目的に服従するべく教育される軍人が咄嗟の命令に躊躇うはずもないと考え、ヨエルは正規軍人ではないのかと疑問を抱くが、それは炸裂音に押し流される。
ヨエルがトウカを横抱きにする。白馬の王子様が御姫様を恭しく抱える様に。不満を抱くよりも早く、先にある窓に気付いたトウカは手にした小銃を抱き寄せて頭部を守り備える。
急激な加速。衝撃はない。窓硝子の破砕音。自壊する様に窓硝子が破片を煌かせて散っていく。ヨエルが衝突寸前に展開した魔道障壁に押し砕かれた結果である。
夜の帳が降りて尚、劫火に焼べられた市街地の灯火を以て周囲は白熱に晒されたが如く照らし出している。ヨエルに抱えられて宙を浮くトウカの視界を、灼熱が天井を焦がして染め上げる中、低空飛行で近接航空支援を継続する飛行砲艦からの断続的な発砲炎が輝く。
灼熱に黒煙、半壊した城郭。この世の地獄とは正にこのこと。
眼下の鋭兵達にトウカは告げる。
「諸君、中々どうして素敵じゃないか。最早今となっては楽しむ他あるまいよ」
「敵の目的は明白、皇帝陛下を弑し奉ること……」
掻き集めた軍装も武装も統一感を欠く将兵を相手に、エカテリーナは訓示を垂れる。正規軍人の野戦指揮を執るなど自身の人生設計にはないと、エカテリーナは切って捨てていたが、今この時、己が血に宿る権威が呪縛の如く野戦将校たるを求めた。
一個中隊程の人員の前で、エカテリーナは詠う。
「よって我らは此れより躍進する。護国の楯となるのです。諸君らは近衛。本分を果さねばなりません」
眼下で其々の武器を手に戦意を漲らせている近衛兵達へ、エカテリーナは死ねと命じているに等しい言葉を放つ。名誉如きの為に死にたくはないと考えるのは 共和主義者の戯言で、権威を仰ぐ帝国主義者にとり、権威とは数多くの利益と繁栄を付随させている奇蹟の言葉に他ならない。個人の欲望や意思、主義だけでな
く、一族や親族、爵位や金銭までをも明確に背負う側面が帝国主義国にはある。恩顧だけでなく、残酷なまでに明確な利益を提示し、それを以て多くを従わせ る。利益なくばヒトは従わず、利益の為にこそ踏み止まる。
無論、それは貴族の話に他ならないが、帝城の近衛兵とは基本的に貴族の子弟によって編制されている。
しかし、エカテリーナは自らの言葉を嗤う。今更の発言であり、元より近衛とは主君の為に死ぬ。主君主義の精華であり、権威主義の徒華。近衛たるの任を拝命するという事は、即ち主君の御宸襟を案じ奉る為に生命を投げ出すという事に他ならない。
「ええい、回り諄い。不愉快です、言いましょう言ってやりましょう。歴代陛下の眼前で戦死する誉れを与えると、近衛の本懐を遂げる機会をくれてやると、この私が言っているのです!」
直截な物言いに近衛兵達が笑声を零す。最も大きな笑声を上げるのは、スヴォーロフである。
エカテリーナが帝族の権威を以て隷下に加えた近衛兵は、この帝城半壊という前古未曾有の危機に在って逃げ出さなかった者達である。忠誠に篤い戦奴隷か、 損得勘定のできない不器用者か。或いは大義に魅せられた夢想者か、武名の揚げ処と見た御調子者か。兎にも角にも退く事を拒否した奇特な軍人達である。だか らこそ、エカテリーナは容赦のない事実と明確なまでの利益を見せ、義務を果たせと咆える。
「我らはイヴァン大霊廟を中心に陣地防禦を行います! 帝姫エカテリーナの名の下に死守を命ずる! 死して護国の鬼となれ!」
曲剣を抜き放ち掲げるエカテリーナ。
肋骨服の流れを汲んだ象意の陸軍大礼装は隙なく純白であり、外套を翻した様は戦女神そのものであるが、今となっては戦塵に塗れて薄汚れている。市街地から流れ込む熱を孕んだ風に戦ぐ白金の長髪すらも見る影もなく煤に汚れる様は、最早帝都が戦野である事を示していた。
この時、エカテリーナの脳裡を蚕食する思惑は、いかにして空挺部隊をイヴァン大霊廟に誘引するかという一点のみであった。
エカテリーナの戦術は軍人としての規範を逸脱し、権威主義者としての本分を軽視し、帝国人としての常識を擲っ て国体護持を決断した。そうした表現であれば恰好と箔は付くが、真摯な帝国主義者一同には慙愧に耐えぬ事に、エカテリーナは正気であった。皇帝を半壊した
帝城地下の物置部屋に匿う……洗濯する衣類などを一時保管する一室に押し込み、下級執事の服を着せた上で汚れ物の衣類に蹴り倒したのだ。見るも無残な有様 で、敵兵も銃弾と魔力の無駄遣いとして相手にしないと確信したエカテリーナは、少なくとも皇帝の存命に関しては確信を持てた。序でとばかりに、帝城にある 複数の主要区画の護りを魔導騎士によって堅固とする事で敵の誘引を図った。
トウカとヨエルが接敵した魔導騎士は正にこれである。だからこそ互いの盛大な誤解が生まれた。エカテリーナの目論見である主要区画を積極的に防護する事 で皇帝が居ると思わせて攻撃を誘導。自身もイヴァン大霊廟を中心に陣地防御を行う事で敵戦力の分散すら意図した。トウカの思惑が皇帝ではなく、イヴァン大
霊廟のみであると読み切れなかったエカテリーナの判断を誤りだとする者は後世の歴史家にもいない。何故ならば、トウカが意図する主要目標であるイヴァン大 聖堂を堅固なものと成さしめたからである。トウカの思惑として、空挺降下による混乱では皇帝の保全を守備兵が最優先し、イヴァン大聖堂が放置されると推測
していた。その思惑を外したという一点を以て、エカテリーナは皇国と帝国との戦争に於いてトウカの思惑を阻止した最初の人物と歴史に名を残すこととなる。
しかし、それは双方にとって苛烈な戦闘を決意させる結果となる。
「姫殿下は戦争の才覚もおありの様子」
「莫迦な事……損益を見ているだけです。しかし、こちらに敵が向かっていると聞きます。誘引は成功したと見るべきですか?」
戦略や経済に関する点を深く理解するエカテリーナだが、戦術規模の戦闘ともなれば不明な点ばかりである。
「どうも、いけませんなぁ、姫様。この規模の戦闘で遮蔽物の多い戦場。過程など誰にも分かりませんぞ。それでも尚、戦況を統制していると言わんばかりの佇まいを以ての指揮統率。それが野戦指揮官という生物」
スヴォーロフの言葉に、エカテリーナは眉を顰める。博打ではないかという言葉を飲み込み、元より不確定要素の多い戦争ともなれば多分に博打という要素は常に付き纏う。皇国に対する戦争という博打を肯定したエカテリーナに博打を批難する資格などある筈もない。
「まぁ、中々の野戦指揮官ぶりですぞ。トラヴァルト元帥の様に軍に志願してみるのも良いかもしれませんな」
大霊廟の壁面に燐棒を擦り付け、葉巻に火を付けようとするスヴォーロフの言葉に、エカテリーナは苦笑する。大霊廟への無礼を黙認するという意味を含めての笑みであった。
「……生き残る事が叶うなら、それも良いかも知れませんね。ただ、海軍でしょうけど」
「海軍?」
あの忌々しい大型爆撃騎が艦船から投射された事を、エカテリーナは察していた。トウカによる欺瞞進路によって帝国内から発進したと考えている者が多い中、エカテリーナは事実を推測した。
帝国は広大な領土を持つ国家であるが故に、国内には人口的な空白地帯が無数とある。北部ともなれば、その大部分が空白であると言っても過言ではない。無 断で飛行場を設営する事も不可能ではなかった。現に非合法組織などは空白地帯に親族などを住まわせ小さな村の規模にまで拡大していた例もある。しかし、飛
行場の建設は兎も角、大量の航空武装や航空爆弾、人員を敵地領内で準備し続ける労力と時間、資金は多大なものとなる。何より露呈する可能性は決して低くな い。物流を長期間に渡って維持する都合上、どうしても関係者は多数とならざるを得ない。そして帝国に於いて憲兵と諜報組織は極めて強大な統制力を有してい る。
――皇国海軍の艦艇が軍港を襲撃した報告もあった事を踏まえると、帝国は帝都近傍にまで敵艦の進出を許した事になる。梃入れに帝族が指揮権を握る事は不自然に見えない筈よ。
後の算段を巡らせるエカテリーナだが、近場での炸裂音がそれを遮る。
「砲撃魔術ですな……あれは鋭兵か? 皇国軍が誇る精鋭が相手とは」
「少数にならざるを得ない空からの兵力投射です。精鋭が投じられるのは当然でしょうね」
初弾からの効力射で吹き飛んだ魔導騎士を見上げての会話。
銃声に砲声、魔導による炸裂音。イヴァン大霊廟を取り囲む様にあしらわれた石造の構造物を砕いて落下した魔導騎士が立ち上がる。効力射によって弾き飛ばされた程度では魔導甲冑を装備した兵士を行動不能にはできない。
「始まりましたな。姫様は頭を下げると宜しい」
エカテリーナの頭を鷲掴みにしたスヴォーロフ。乙女に対する扱いではないが、今更でもあり咎める真似をしないエカテリーナは従って身を屈める。防御陣地を形成したにも関わらず、早々に至近への弾着を招く以上、止むを得ない。
石材の陰で匍匐姿勢の二人は、隷下部隊へと命令を出し続ける。
「密集するな! 射撃は各分隊長の目標指示に従い銃火を集中!」
「殺した数に応じて報奨を下賜しましょう。後で敵の軍帽を銃剣に突き刺して持ってきなさい」
エカテリーナは、弾薬箱から銃弾を取り出して弾倉に詰めながら、私財を擲つと宣言する。咆哮の如き叫びを以て歓喜を示す魔導騎士達。明確な利益の提示こそが、ヒトを何よりも駆り立てると示す光景がそこにはあった。
魔導騎士達と鋭兵が衝突する。共に最精鋭。鋭兵が中位種などの戦闘に秀でた種族である事に対し、魔導騎士は魔導甲冑の恩恵によって底上げされた人間種。 戦闘能力は拮抗しており、被害比率は誤差程度。共に決定打を欠く状況であり、鋭兵は時間的な制限が付いている為、被害を覚悟の上で早々に近接戦闘を意図し た突撃を敢行する。
魔導砲撃から煙幕による擾乱に切り替わり、辺りを白煙が包み込もうとするが、魔導騎士達は風魔術で吹き散らす。しかし、脚力に優れた鋭兵達にとり、その 一瞬でも十分な隙となった。石畳を踏み砕きながら“飛来”する鋭兵。優れた脚力に加え、友軍の風魔術に背を押された彼らの躍進は騎兵の最高速度に準ずる。
唸る刀剣や鈍器。銃剣付きの小銃はない。彼らの剛腕が剛性を優越する為である。軍人の蛮用を前提とした小銃だが、膂力に優れた種族による運用を前提とし た剛性を与えれば大多数の歩兵が運用困難とななる重量に成りかねない。よって魔導騎士も鋭兵も近接戦では刀剣や鈍器となる。魔道障壁に対する優位性確保が 容易である事もあって、未だに武装として刀剣などは形骸化していない。
刀剣と鈍器による諧謔曲。冗談とも思える原始的な衝突。血風と鉄片が戦場を彩る。戦槌で装甲諸共に砕かれた魔導騎士が苦悶の声を上げる時すら許されずに奇怪な置物となり果てる。大剣で魔導障壁諸共に袈裟懸けに裂かれた鋭兵が臓物を撒き散らして斃れ伏す。
エカテリーナは物陰から様子を窺うが、その争いに加わる勇気を持てないでいた。そして、指揮すらもできる状況ではない。最早、乱戦であり、ただただ無秩序な衝突が繰り返されていた。
誘引は成功した。皇帝の脱出路としてイヴァン大霊廟が選択されたと誤解させる事に成功したと、エカテリーナは自らの思惑が達成されつつあると安堵する。 生命の危機に晒される中での安堵とは不可思議であるが、自身の意志が国家であるとも自覚するエカテリーナは疑問を抱きはしない。
「姫様、どうも増援の様子……あれは……馬鹿な、よりによって……」
スヴォーロフが物陰から身を乗り出す。気が付けば周囲から剣戟の音が途絶えていた。エカテリーナも只ならぬ様子に身を乗り出す。一方にとっての想定外であれば理解できるが、双方が戦闘を中止した以上、それは双方にとっての想定外である事を意味する。
「おいおい……。あの天使、六枚翅だぞぅ! 熾天使じゃないかぁ!」
スヴォーロフの絶叫。金色の長髪を靡かせた熾天使に、エカテリーナもまた一歩と足を下げた。
容姿に優れた者が多いとされる皇国の中でも、天使種は総じて特に優れた容姿を持つが、眼前の天使は正に天壌よりの御使いと容姿のみを以て判断出来得るだけの美貌を備えていた。明確にエカテリーナが容姿のみを以て自らが劣ると明確に感じたのは今この時が初めてである。
清楚可憐な容姿は清純でいて犯し難い雰囲気を持ち、それ以外の雰囲気や要素の介在を赦さない程に唯一を突き詰めた美貌と気配に、魔導騎士だけでなく鋭兵 達すらも茫然と空を見上げる。市街地の火焔を写した天壌を背に熾天使が佇む様は、審判の刻であるかの様な錯覚すら抱く。後に続く重武装の天使達が展開する
光景が、その錯覚を補強し、帝国に於ける建国神話の一節すら想い起こさせる。帝国は《大アトランティス帝国》の継承国として在りし日の復古を提唱し続けて いるが、その国家に於ける建国神話に登場するのが熾天使であった。
熾天使達は気紛れの女神そのもので、人為的な災害に他ならない。その権能で国家護持を果たす事もあれば、一都市を焼き払う事もある。判断し難い傾奇者として善悪を超えた存在として描かれる熾天使に対する所感や判断は神学者にとっても永遠の課題となっている。
「やらせはせん! やらせはせんぞぉ!」
スヴォーロフが叫びと共に掴んだ軽機関銃を乱射して撃ち放つ。排莢された薬莢が石畳上を踊り、エカテリーナの心を呼び戻す。
匍匐していた事で汚れた純白の軍装を気にも留めず、エカテリーナは立ち上がる。遮蔽物に隠れる指揮官であり続けるならば隷下の兵士達は戦意を喪う。スヴォーロフの行動もまた、それを意識しての事であった。
「ええい、怯むでない! 翅如き何とでも偽装できよう! 何を臆するかぁ!」
「天使を叩き落しなさい! 天使を引き摺り下し、我らが神話となるのです!」
二人の声に、魔導騎士と鋭兵達が正気に戻り、正気を失ったかの様な戦闘を再開する。正気の有無のどちらを以てしても行き着く先は悲劇でしかないが、この帝都空襲という難局に在っても尚、戦うと付き従った物好き達は戦うという行為に疑問を抱かない。
エカテリーナは遮蔽物に立て掛けられていた魔導杖を掴む。彼女もまたここで命を捨てる事を覚悟した。彼女には殺人に対する忌避感も、戦争に対する拒否感もない。彼女は争う事がヒトの性であると確信しているのだ。
戦争という行為を愚かだと言う賢者がいる事は、エカテリーナも聞き及んでいる。
――争う事はきっと間違いじゃないわ。歴史が教えてくれた。総てを喪っても尚、抗わねばならないと。
ヒトが皆、賢者となる程に知識と見識を蓄える時間と資金があるならば不可能ではないかも知れないが、この世界にそれ程の資源がある筈もない。科学の発展 に伴い一人当たりの資源消費が増大の一途を辿ると、エカテリーナは確信していた。共産主義者が語る世界規模での富の再分配を効率的に、強制的に行えるなら ばは可能やも知れないが、結局のところそれを否定する陣営との争いとなる。
殺し合うしかないのだ。ならば精々、楽しむのみである。歪む口元。
「さて、では往きましょう。一個分隊、私の元に」
エカテリーナは野戦指揮官ではないが、心理戦という側面が多分にある戦争を行使する事に秀でた人物でもある。相手の行動を読み、対応する事こそが指揮官にとって最大の責務であると言えた。
振り向いたエカテリーナが魔導杖を振り抜き、火焔魔術を行使する。高速詠唱された軍用術式は、魔導杖の刻印の補助を受けて速やかに事象を伴って生じる。放たれる複数の火球は詠唱の省略を受けた事で威力を減衰させたが、エカテリーナは気にも留めない。
「八時の方角、制圧射撃。炙り出しなさい」
機関銃に小銃、魔導杖を以て続くスヴォーロフに一個分隊の兵士。相手は市街地の火災による照明を以てしても尚、薄暗さを保つ防風林。元来、イヴァン大霊廟を保護すべく四方にある防風林だが、エカテリーナが魔導杖を向けた先は特に密集して群生する地点である。
直ぐに応射が放たれる。暗闇の防風林に散る無数の発砲炎。魔導国家と謳いながらも、部隊毎の機関銃装備率が周辺諸国よりも遥かに優越している特性を示す かの様な銃火の奔流。魔導騎士達が遮蔽物や魔導障壁を利用して反撃を繰り広げるが、小口径迫撃砲か小銃擲弾と思しき飛翔体までもが飛来する状況となって不 利を自覚する。奇襲を許しては間違いなく全滅していた。
天使の奇襲的運用を選択しなかった事で、他に奇襲を行う部隊の存在に気付いたエカテリーナだが、それで状況が好転する訳ではない。
「対空戦闘! 熾天使を狙えぃ!」
制空戦闘の手間すらない状況下では、天使達による近接航空支援は多大な効果を発揮する。重機関銃を備えたと思しき天使達による空からの銃撃は魔導騎士達 に多大な制限を齎した。近接戦闘の最中であれば誤射を恐れて攻撃が控えられるが、一旦距離を取ったが最後、複数の重機関銃による掃射を受けて金属片と肉片
の混合物に追い遣られる。魔導甲冑と言えど、威力に優れた重機関銃弾を複数と被弾すれば歩兵と同様の運命が待ち受けている。ましてや皇国陸軍などが使用し ている重機関銃は一三㎜という口径で、航空機関砲としても転用されており、高初速で速射性にも優れていた。
押し込まれるのは早い。一人、また一人と魔導騎士が斃れ、鋭兵と天使がイヴァン大霊廟へと迫る。既に敵の誘引という目標を達成しつつある中、エカテリー ナは強行突破による離脱を図るべきかとも考えたが、制空戦闘を行う戦力を持たないエカテリーナの動きは容易に察知される。
引き際は、天使が群れを成して出現した時点で喪われた。エカテリーナは、此処で死ぬしがない。スヴォーロフは、やれやれと嘯いている。
「一緒に死ぬのが、こんな年寄りで申し訳ありませんな」
「あら、素敵な小父様が御相手で満足していますよ」
二人は、それぞれの武器を手に、視線を交わして苦笑する。
帝都は未だ灼熱の最中に在った。