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第二〇七話    銃火と謀略の中で 前篇

 

 


「そうですか、サクラギ上級大将閣下が」

 クレアは眉を顰める。

 皇都は喧騒に包まれつつある。在郷軍人会を中心とした右翼団体と、共和国系民主団体を中心とした左翼団体による衝突が各地で行われていた。既に死者も出 ているが、双方共にトウカの次の一手を待っている為、致命的な衝突は起こしていない。トウカの行動次第では大規模な流血沙汰が繰り広げられる事は疑いな い。妥協的な姿勢を示せば右翼団体が暴走し、攻撃的な姿勢を示せば左翼団体が暴走する。

 だが、トウカが引き金となってはならないのだ。

 内戦は途中参加であり政治にも表向きは不介入であった為に弁解可能だが、現在の立場のトウカが自国民同士で血を流す理由を作る真似は許されない。無論、 クレアの思惑と配慮など踏み越えるどころか踏み台にして高飛びするであろうトウカの行動が国民に受け入れられる様に、クレアは腐心していた。

 弱者に従って行くよりも、強者に引っ張って行って貰いたい……大衆とはその様に怠惰で無責任な存在である。そう口にしたトウカの発言からも分かる通り、 彼は実績と軍事力があれば臣民が従うと考えていた。それは正しくもあるが、同時に反発もある。一度、敗北や停滞があれば不満の奔流が皇州同盟を抑えかねな い。それを考慮しないのは、負けないという自信と不利に追い込まれはしないという自負ゆえか。或いは、既に確実視できる程の勝利の道筋を立てているから か。クレアには分からないが、トウカが必要以上の遺恨を抱かれる必要性の根拠とは成り得ない。

 皇国軍人として禄を食んでいる以上、トウカもまた皇国に利益を齎す存在であると、臣民は根拠もなく確信している。少なくとも、その大前提が崩れる真似を しては臣民の支持を急速に失う事になりかねない。よって、トウカに敵対的な左派団体の失墜は、彼らの失策と暴走によるものでなければならない。実情は兎も 角として。

 しかし、トウカがそうした政治的な体面を気にする筈もない。少なくともこれまでは、そうした苛烈無比な姿勢こそが強みであったが、これ以降は民意にも配慮せねばならない。政治勢力の困難や逆境に対しての許容度とは、民意の多寡に依存する部分がある。

 トウカが枝葉末節として切り捨てた北部以外の民意を、クレアは懸念している。右翼義勇軍(フライコール)出 身のエップ中将や、義烈将校団から皇州同盟軍に入隊したシュナイトフーバー中尉も、その辺りに対する危機感からか、他地方での遊説を中心としているのかも 知れない。ラムケは挑発的にして直截に過ぎる為……否、乱闘を含めて遊説であると考えている節がある事から現在では北部のみに留まっていたが、それも途絶 えている。

 背後のマリエングラムは身動ぎひとつしない。それどころか、ヒトが身体から放出するあらゆる要素を排している。体温や呼吸、鼓動……果ては軍装の衣擦れ から生じる擦過音や風までをも排除し、それだけでは飽き足らず吹き付ける風すらも透過させていた。実情としては魔術的な遮蔽や偽装によるもので、実際に生 命活動に必要な動作を停止させている訳でもなければ、身体を風が侵徹している訳でもない。しかし、妖精種の血統に連なるクレアをして魔術的な気配を感じ取 れない以上、相応の軍用秘匿魔術が運用されていると見て間違いない。

 ヴェルテンベルク領邦軍は魔窟である。

 湯水の如くマリアベルが軍事費を蕩尽した対象にしては小規模であるが、それは魔術や兵器の開発に当てられていたからである。陸海軍や各領邦軍、軍閥など では個別に開発した魔術を秘匿しているが、ヴェルテンベルク領邦軍に関してはその数に於いて恐らくは群を抜いていると推測できる。クレアが所属していた領 邦軍憲兵隊ですら群衆鎮圧の非殺傷術式から地区封鎖を前提とした複合障壁術式を秘匿魔術として尉官以上の部隊指揮官に与えられていた。無論、機密保持の術 式と同様で、それについての言及と漏洩は魔術的に抑止されており、無理をすれば大脳が焼かれる。

 そうした機密保持の為の魔術刻印は軍事勢力では一般的ですらあるが、ヴェルテンベルク領邦軍では常軌を逸する方法が採用されている。

 背中の真皮を剝ぎ、皮下組織への直接刻印の後、真皮を縫い直して治癒魔術で剥離させた痕跡を消すというものであった。これによって虜囚の身となっても魔術刻印が露呈せず、諜報や防諜に関わる任務に就く者達にとっての最期の責務を果たす事ができる。

 クレアの背にも存在する。乙女の柔肌に対する斟酌など効率的な組織運営の前には塵芥に等しいが、それでも尚、その肌に傷が残らぬ様にする点だけはクレアもマリアベルに感謝していた。無論、女性的な配慮でなく、隠蔽の為である事は疑いないが。

 だが、憲兵隊や情報部の内偵すらも任務に加えていたマリエングラムともなれば、背負う魔術刻印の規模は背中を覆い尽くす程のものであろう事は疑いない。機密保持のための魔術刻印は、大凡の魔術刻印と同様に隠蔽すべき情報量に比例する規模となる。

 ヴェルテンベルク領邦軍がマリアベルの妄執から生じた尖兵であることは、既に皇国に於ける誰もが知る事実に等しい。よって、マリエングラムの背負う魔術刻印はマリアベルの妄執を背負っているに等しいと言える。

 マリアベル亡き後のマリエングラムの処遇に関しては、皇州同盟軍情報部長カナリス中将やネハシム=セラフィム公爵も関心を寄せている。どこからともなく 資金が拠出され、指揮官不明のままに独自行動が許され続けているという摩訶不思議集団。面従腹背と受け取るには行動原理と行動内容が不明確に過ぎて手出し し難い。一応は協力体制にあるが、明確に友軍とは言い難いものがある。クレアの指揮に従うとは口にしても明確な規模や能力すら伏せられている集団を信用で きるはずもない。

 そのマリエングラムが積極的に蠢動している。憲兵隊や情報部がトウカの拙速にして秘匿性の高い行動に後れを取り周囲を固めきれていないにも関わらず、マリエングラムだけはトウカに近い位置に出没していた。

 クレアもヨエルもカナリスも、マリエングラムからの助力を歓迎しているが、無条件に信を置ける相手ではないと考えていた。

「ハイドリヒ少将。今作戦は閣下の命令と責任によって行われます。成功すればサクラギ上級大将の信任も一層と厚くなるでしょう」

 白々しい発言に、クレアは眉を顰める。妖精種特有の清楚可憐な容姿が品を欠く動作とは思わせないが、マリエングラムも察して沈黙する。

 マリエングラムという組織であるか一族であるか、或いは宗教であるか生き様であるか不明確な集団に依存した謀略を推し進めたいとは、クレアも考えていないが、最早、事ここに及んでは是非もなし。

 政治情勢が敵を求めて蠢いているのだ。絶好の殴り付ける対象を熱狂する大衆の前に投げ出さねば皇州同盟が火達磨になる可能性とて十分に有り得る。熱狂を 誘導し、皇国を戦闘国家として生まれ変わらせねばならない事からも、好機を逃す真似はできない。英雄的行動で敵国の首都を焼き討ちにした軍神を相手に暴走 した左派勢力を危険視する風潮を醸成する。無論、致命傷を負う事はないだろうが、左派勢力を危険視する流れができれば臣民からの信頼を失って彼らは自壊す る。

 右派勢力による報復行動が在れば、尚のこと好ましい。右派勢力の指導者層を一層し、各組織の情報部や憲兵隊が金を掴ませた者達を新たな指導者層に押し込めば、右派勢力を統制する事も叶う。

「サクラギ上級大将への出頭は周囲に知られぬ様に行います。日時は悲劇に合わせて。可能ですね?」クレアは問う。マリエングラムは一拍の間を置いて「些かの衣装替えをお赦しいただけるならば」と返す。

 皇都を吹き荒れるであろう颶風(ぐふう)

 恐らくトウカは激怒するに違いない。マリエングラムの口振りではそうとは思えないが、ミユキを危険に晒す行いをトウカが許すはずもない。この皇都という 敵地でミユキを安全に保護できる場所がない以上、トウカは公爵邸からミユキを脱出させる真似はできない。そもそも、左右両派の集団が日夜各所で衝突してい る皇都の情勢を見るに、脱出すら多大な危険を伴う。

 恐らくトウカは、ミユキを公爵邸に留め置くだろう。

 女連れで戦場に訪れるトウカこそを責めるべきという感情もあるが、それ以上にクレアはそうまで思われる仔狐を心底と羨望した。

 だが、少なくとも学んで貰わねばならない。皇都もまた戦場であると。

 飛ばされぬ様に、クレアは軍帽を被り直した。










「襲撃か? ラムケ大佐! 現状確認!」

 トウカは瞬時に睡眠より覚醒し、上半身を起こすと叫ぶ。

 隣のミユキものそのそと寝床から顔を出して狐耳を揺らす。未だに意識が覚醒しないミユキが凭れ掛かってくるが、トウカはミユキに枕を押し付けると寝床より抜け出して軍装を身に纏い始める。

 ラムケが入室の許可を得る事もなく部屋へと押し入る。

「閣下! 襲撃ですぞ。阿呆な民衆ですぞぉ! 左翼めぇ(みなごろし)にしてくれるぅわぁ!」

 広間の壁に掲げられていたと思しき大剣を掴んだラムケの怒声に、ミユキが驚いて跳ね起きる。裸のミユキを隠す為、手にした軍装の上衣を投げ付けると軍刀を手に取る。寝台に引っ掛けたP98自動拳銃の収まった拳銃嚢(ホルスター)を掴むと、ミユキへと叫ぶ。

「ミユキはここにいろ! 出るな窓に近付くな油断するな! いいな!」

 目を白黒させているミユキを尻目に、トウカはラムケの先導を受けて部屋を飛び出す。

 放火まで行われているのか、窓越しに火の手が窺えるものの、その勢いは建造物を全焼させる規模には程遠い。公爵邸に詰めているのはクロウ=クルワッハ領 邦軍の精鋭であり、その戦闘能力は極めて優れたものがある。現に正門前や庭園では多数の武装した群集を相手に情け容赦のない攻撃を以て突入を阻止してい る。

 民間人に手出しをしないという祖国の甘い発想はない。民主共和制ではないある種の権威主義国の治安維持行動なのだ。余裕のない状況で群集を相手に非殺傷 で望まねばならない程に無能な指揮官を頂いてはいない。あらゆる権威にとり、妥協とは命取りという部分がある。一方的に打ち負かされ、警護対象である客人 への攻撃を許したとなれば主君たるアーダルベルトの権威に傷が付く。それは騎士である者達にとり許容し難い汚辱と言えた。

 見たところ軽機関銃までをも有している群集は、練度が皆無に等しいものの、数に勝る状況を理解して人海戦術を選択している。個々人の能力は粗末だが、襲撃の指揮官は有能であると推測できた。

 臨時の指揮所として扱われている広間に駆け込むと、少佐の階級を付けた中年が、トウカへと進み出て敬礼する。口髭の立派な少佐は敬礼すら何処か典雅であった。何より緊急時であるにもかかわらず慌てた所作のの片鱗すら見受けられない点は評価できる。

「シュタイヤー少佐です。公爵邸警備の任を公爵閣下より拝命している身として閣下の身の安全を保障いたします」

 安心感を与えるには十分な姿勢と言動だが、トウカは「懸案事項がある」と口にする。

 そう懸案事項である。襲撃を予期していなかったトウカだが、その規模を見るに背後で手を引いている勢力が存在するするのは確実である。陽動の可能性も否定できないが、トウカは陸海軍の介入を望む勢力がいる可能性を恐れた。

「陸海軍の介入を避けたい。襲撃を受けたのは確かに我々だが、民衆に手を出した汚名を陸海軍に張り付けられては敵わない」

「それは……お優しいですな。陸海軍への通達を行いましょう。警務府はいかがなさいますか?」

 優し気な眼差しに、トウカは頭を掻くと「警務官は捨て置いて結構。意固地になられてはいらぬ被害が増えるので」と微笑む。

警務府と皇州同盟との関係は非常に険悪なものとなっている。内戦以降、北部の治安維持を皇州同盟軍が行っているからで、彼らの職分を皇州同盟は露骨に侵食 している。無論、これには警務官の装備では内戦によって匪賊となった傭兵等の重武装な集団を相手にできないという理由が大きいが、それで納得できるなら組 織間の摩擦は生じ得ない。

 当然であるが、トウカは陸海軍の助力を拒否する要請を求めはしたものの、撃退を断念した訳ではない。

「ノナカ大佐は陸軍航空隊と郊外の航空基地で意見交換をしていたな? よし、戦略爆撃騎……いや、飛行砲艦での支援砲撃と同乗の航空歩兵による対地襲撃を命令しよう。陸軍総司令部を経由して命令伝達をお願いします」

飛行砲艦に興味津々な龍種の為、皇州同盟軍は北部から低錬度の予備騎を複数騎呼び寄せている。技術としては特筆すべきものもない事もあって情報開示が行われていた。

 公爵邸防衛に関する指揮権は、トウカにない。階級序列以前に所属軍が異なる以上、当然である。故に命令ではなくお願いとなる。

「分かりました。誤射がない事を祈りましょう」

 トウカとシュタイヤーは共に苦笑。航空騎からの混戦している戦闘区域への砲撃である。当然ながら誤射を完全に避け得るには相応の連携を要した。

 トウカは客人がこれ以上口を挟んでは迷惑となると、広間の端にある応接椅子に腰を下ろす。当時にラムケにはミユキを呼びに行くようにと伝える。公爵邸内 の安全を不安視して部屋に残してきたミユキだが、群集は突入に失敗していた。臨時司令部となっている広間に呼び寄せるのが効率的である。いよいよとなれば 公爵邸内での抵抗となるが、防衛拠点を分散させる愚を犯す必要はない。

「そう言えば、リシアは陸軍参謀本部か」

 朋友との交流を行うとの名目で陸軍参謀本部に押し掛けているリシアは、前日の懇親会が長引いたのか、ネネカの家に宿泊すると報告を受けている。飲酒が講 じて押っ取り刀で宿泊許可など脱柵に等しいものがあるが、リシアの所属は現在でも陸軍〈北方方面軍〉となっている。指揮権統合によって皇州同盟軍と〈北方 方面軍〉の指揮権は名目上、ベルセリカに集約されているが、総司令部はベルゲンにある為、間違いなく事後報告であった。無論、自由裁量を許されているリシ アであれば問題はないが、本来の陸軍佐官では有り得ないことである。今回はそれが功を奏した形であるが。

「リシアに命じて陸軍の軍事行動に掣肘を加えるべきか……」

 シュタイヤー少佐に断りを入れ、通信兵に無線を引かせて無線機を抱えたトウカは送受話器を手に取る。

交信でリシアへの命令を立て続けに続けるトウカ。やはりと言うべきか、リシアはネネカと共謀して陸軍総司令部や陸軍機甲本部に駆け込み、装甲部隊による直 撃を目論んでいた。一歩間違えば臣民を戦車で轢殺するという陸軍にとり外聞が悪い一手に及ぼうとしていたのだ。リシアは悪名を以て諸勢力を抑え込もうと目 論んだのか、或いは陸軍の参謀将校が皇州同盟の孤立を意図したのかまでは不明であるが、トウカは中止させる。代わりに装甲部隊には、公爵邸付近の主要交通 路の遮断を命じた。これで増援を阻止できる。敵が戦車の阻害(バリケード)を突破できる程の装備を有しているとは考え難い。

「主様っ!」

 ラムケが引き連れてきたミユキの声を、トウカは無線機を応接椅子に乗せ、空いた左手で制して黙らせる。

「戦車は何輌用意できる? 四二輌? 十分だ。徹甲弾より榴弾を優先して搭載しろ。機銃弾も詰めるだけ積み込め。あと戦車上に土嚢を積み上げろ。市街戦だ。建造物から上面を狙われる可能性を常に考慮しろ」

 皇都郊外の陸軍機甲本部管轄の演習場から投入できる戦車部隊。性能評価試験に加えて陸軍の必要とする追加装備の研究に従事していた装甲大隊は、ザムエル隷下の〈ドラッヘンフェルス軍集団〉の戦闘詳報(バトルレポート)に 基づいた改良を推し進めている最中であった。皇州同盟より売却された装甲戦力の大部分が前線投入される中、後方で運用できるほぼ唯一の陸軍装甲部隊と言え るが、所属将兵にとっては間違いなく不幸である。トウカにとっては不幸中の幸いだが、市街地に於ける装甲部隊運用の経験などザムエル隷下の部隊しかない。 そして、トウカはその損耗率を知っている。意外と突撃砲や対空戦車が有効であるが、陸軍は中戦車の充足を目指している段階である。

「いいな? 戦車砲も出来る限り撃つな。どうしても撃つなら道路を破壊しろ。通常車輛を通さなければいい。迫撃は許さん」

 トウカは送受話器を無線機に戻すと軍帽を応接椅子に投げて頭を掻く。

「済まないな、ミユキ。いや、ロンメル大尉」

「大丈夫です。お仕事中の姿も格好いいですよ」

 手にしたトウカの軍装の上衣を、ミユキは正面からトウカの肩に掛けながらも尻尾を揺らす。上衣に両腕を通したトウカの軍装に手を伸ばしたミユキは、上意の(ボタン)を下から一ずつ止めていく。副官というよりも従卒の職分だが、トウカはミユキがいる為に従卒がいない。

 無線機を下げさせ、トウカはミユキに横に座する様に促す。

「あのっ、主さ……閣下。フェルゼンみたいに建造物を爆破して増援を阻んだり、敵を下敷きできないんですか?」

「いい質問だ、ロンメル大尉。それは軍人の視点としては悪くないが、残念ながら現状の戦闘は政治情勢に深く関わる。軍事行動として敵を効率的に殺害する事は常に正しいが、内戦の様に政治が関わるとそうとも言えなくなる。それは何故だと思う?」

 内戦と口にした時点で答えは口にしたに等しい。ミユキもその程度は理解している。

「えっと、やっぱり国内の戦いは遺恨が出ない様にしないといけないからですか?」

「正解だ。色々と理由はあるが根源的な理由はそこに帰属するな。市街地の建造物を吹き飛ばすなど、包囲されて市街戦を覚悟した上、市民が戦意旺盛なフェル ゼンであったからこそできる一手だ。何より、避難も終えていない状況では多くの市民を巻き込む上に、市民の資産を進んで破壊しながら戦う真似は今後の政治 活動に響く。言ってしまうと、だ。我々は被害者として振る舞う必要がある」

 実際に被害者であるが、副次的被害(コラテラルダメージ)を無視した過剰防衛で応戦した場合、被害者としては振る舞い難くなる。だからこそ、敵側には此方側が大火力の兵器を運用できないと踏んでいる可能性もあるが、逆にそうした武器を市街地で使用させることで世論の誘導を意図している可能性も捨て切れない。

 優秀だ。これ程までに優秀な理想主義者なら内戦中にも名を聞きそうなものだが、とトウカは眉を顰める。理想を実現する為、理想に相反する行いをしながら も、自らの手を血で穢さないという“素晴らしい人物”がいるならば、トウカは抱き込むか殺害を選択しただろう。無論、政戦の舞台に姿を見せる程に阿呆では ないと、トウカは確信してもいた。

 彼の思考は幻想の敵を作り始めていた。正しい情報から正しい結果が導き出される。錯綜した情報から正しい結果を導き出す事は斯くも難しい。

敵の計略を見抜く事ほど、指揮官にとって重要なことはない。だが、この事ほど優れた資質を要求される能力もないのだから、これに恵まれた指揮官は、如何に勝算されたとしてもされ過ぎることはないのである。

 時折、防音障壁を超えて響く魔術による炸裂音などものともせず、舟を漕ぎ始めたミユキ。揺れる頭がトウカの肩へと倒れ掛かろうとするが、トウカはそれを 受け止めて自身の膝へと誘導する。炸裂音の中、睡眠できるのは野戦指揮官として重要な要素である。無論、昨夜にトウカが早々に寝かせなかった部分も大きい 筈であった。

 ミユキの髪を撫で付けるトウカ。恋人達の戦場とは思えない光景に毒気を抜かれたクロウ=クルワッハ領邦軍の将兵は、形容し難い表情をしている。戦場で不 謹慎な。戦場を恐れぬとは。微笑ましい事だ。大した御仁だ。孤立を恐れぬ訳だ……様々な囁きだが、トウカが言葉を返さぬ事で風景の一部となって直ぐに霧散 する。

「お飲み物はいかがでしょうか?」

 一人の侍女が部下の侍女を連れてトウカに声を掛ける。ラムケが警戒して大剣の柄を握り締めた。

 部下の侍女は毛布を手にしており、トウカへと差し出す。ミユキの為であると察したトウカは「助かる」と受け取る。ミユキに毛布を被せると侍女は、トウカの負担を心配してか応接椅子(ソファ)の端から座布団(クッション)を手にして舞い戻る。ミユキの頭を膝上に乗せ続けるトウカを労わっての事であった。

「気が利くな……しかし、貴官の容姿は魅力的に過ぎる。潜入には向かないだろう? ハイドリヒ少将」

 浅葱色の長髪をいつもの様に右で止めるのではなく直線に下した姿のクレアは侍女服だが、清楚可憐な容姿は隠しきれるものではない。領邦軍憲兵隊の公募広告の一面を担い続けていただけの容姿は、優れた容姿の多い皇国でも図抜けたものがある。

 しかし、彼女を注視している者はおらず、トウカはもう一人の侍女へと視線を巡らせる。

「マリエングラム中佐か?」

 以前に目にした顔立ちとは似ても似つかない程に変化しており、何故か身長まで変化している彼女は淡く微笑む。侍女服の下で足を曲げたり、厚底靴を履く程度では対応できない程の変化だが、それでこその諜報員かも知れない。

「注目もされていない。何かしらの術式か? いや、詮無い事を聞いた、許せ」

 諜報員の技能は容易く漏らすべきではない。粗製乱造で運用していた例が過半であるトウカの世界とは違い、特定の魔術に秀でた者達による専門性を増した彼女達は現に秘匿されるべき特殊技能者に他ならなかった。

 マリエングラムは一歩引いた立場から微笑むのみに留まる。よって今回は、クレアの出頭が主体なのだと、トウカは美貌の憲兵少将を応接椅子から見上げる。 認識阻害か偽造投影がなされているのか、トウカの周囲に視線を向ける者は居ない状況に、トウカはクレアがこの状況下で出頭した意味を察した。

 出頭するのであれば、こうした状況を避けるのが通常であり、介入するのであれば堂々と参戦を宣言して入室するべきである。人目を避けて、この状況で姿を見せた理由があると見るトウカは表情を厳しいものへと変える。

 トウカは、応接椅子に伏せて寝入るミユキを置いて立ち上がる。

「御前……御前の差し金か……」

「はい、閣下。現状全般に於いて小官の計略であるという点を指摘されているのであれば、それは間違いありません」

 背を伸ばし直立不動で応じたクレアと、正面から応じるトウカ。そこには軍神の明確な殺意が入り交じる。

 マリエングラムによると思しきトウカ周辺からの認識途絶がどの程度、有効であるかという不安がなければ、トウカはクレアに鉄拳制裁を加えていただろう。トウカの怒りを察したラムケは、大剣によって先手を打てる位置にさり気なく移動している。

「閣下、ここでは。どうか移動を」

 クレアが頭を下げて願う様に、トウカはその流麗な浅葱色の髪を右手で鷲掴みにして顔を自らに向けさせる。

「隣の控室に行く。認識阻害と偽装は有効か?」トウカがクレアから目を離しもせずに問うと、「閣下の御望みとあらば」とマリエンベルクが軍人として敬礼する。

「ラムケ少将、貴官はミユキの警護を。俺はこの女の言い訳を聞く。中佐は申し訳ないが、扉の外で待機だ」

 神官としての笑みを崩さないラムケが敬礼する姿に背を向けたトウカ。クレアの浅葱色の髪を掴んで引き摺る様に隣室へと進む。クレアは小さな呻き声を上げるが、止める様にとの懇願の言葉はない。

 隣室の扉を開けてクレアを投げ入れると、トウカも後に続くと扉を静かに閉める。

 床に伏したクレア。トウカは己の手に残った幾本かの浅葱色の髪を払うと、尚も床に蹲るクレアの腹に蹴りを加える。戦闘短靴による蹴りは想像以上の威力を齎したのか、女らしい悲鳴が耳朶を打つ。だが、人目を忍んでいる事を忘れてはいないのか、その悲鳴は小さく短い。

 女らしい悲鳴に僅かに溜飲の下がったトウカは、クレアの前へと座り込む。石造り床は冷たく、トウカの臀部を冷やすが、気にも留めず周囲に散る様に広がったクレアの浅葱色の長髪を拾い上げる様にして掴むと引き寄せる。

 涙交じりの表情だが、クレアは一心にトウカを見つめ視線を逸らさない。

「ミユキを危険に晒した奴を生かすには相応の理由がいる。聞いてやる」

 浅葱色の長髪を離したトウカは、床で胡坐を掻くと頬杖を突く。

 広がる侍女服の裾が床に広がり両手を突いトウカに相対したクレアの姿は、その涙交じりの表情と相まって性的暴行を加えられたかの様にすら思えるが、小さな控室の一つにそれを指摘する第三者は居ない。

「ん? 弁解はないのか?」と、トウカは問い掛ける。

 呆然としていたクレアは、痛む腹部を押さえながらも床に足を崩して座る。

「……弁解をさせていただけるのであれば、組み敷かれながらでも構わないと覚悟しています」

「御託はいい。そんなに男が欲しいならば、後で顔を繋いだ商家にでもくれてやる」トウカは溜息を一つ。

 自身に近しい立場である憲兵が、トウカが最も嫌う所業を働いたのだ。容易に許せば、周囲はミユキの動向を視野に入れた謀略を立案しかねない。皇州同盟と 連携を模索する皇都の商家に友好の“品物”として貸し与える程には、クレアの容姿は整っている。そうした噂が駆け巡れば、少なくともクレアの謀略と知る諸 勢力にトウカの怒りを示す事ができる。それはある種の抑止力となるに違いなかった。

「それだけはどうか………」

 大きく表情を崩したクレア。涙が頬を伝う。ヒトを誘惑した事もあるクレアが男に宛がう女にすると言われた程度で感情を揺らすと考えなかったトウカは舌打ちを一つ。

「で? ミユキを逃がしてから動かなかった理由は? いや、その点を除けば最善の時期(タイミング)かも知れんが、俺が許容しかねると理解している筈だ」

 政治的には、トウカが皇都に戦果を携えて現れた事で右翼集団が盛り上がりを見せる中での、左翼集団の失点の演出ともなれば、政治情勢は帝国への積極的攻 勢……打倒一色となるだろう。熱を帯びた民衆に訴え掛ける状況は今を置いてない。ミユキの有無など政戦に於いては、少なくともトウカ以外にとり大きな影響 を及ぼすものではない。

 クレアは皇州同盟にとって最大の貢献を成したと言えるが、それはトウカの思惑よりも上位に組織を置いた事になる。トウカは、クレアにそうした姿勢を望ん ではいない。憲兵総監が組織を重視した場合、トウカは排除される可能性がある事を良く理解していた。組織の長としては余りにも欠点が多いと自認しているか らであり、トウカ自身は帝国崩壊が確実視される段階となれば、皇州同盟を解体しても構わないと考えていた。寧ろ、帝国崩壊に目標を絞っているからこその急 進的姿勢である。期限付きの組織であるが故に、目的達成以降の維持を考慮してない行動と言動が許されるのだ。

 自らの急進的姿勢を保持する為、組織内の不穏分子や派閥争いを締め付ける憲兵隊の手綱を、トウカは断固として握り続けなければならない。短期間に過大な無理を要求する以上、鉄の規律と断固たる信賞必罰が必要である。それがトウカの特定条件下での組織論であった。

 クレアの逡巡を見て取ったトウカは、言葉を促す真似をしない。襲撃は続いており、終結の宣言がなされるまでは身動きが取れない。時間はあった。

 口を開く美貌の憲兵総監。

「私は、ヒトがヒトを愛するべきではないと知っています。祖国でそう知りました。……きっと閣下はロンメル子爵を喪えば戦えなくなる」

「だから遠ざけろと? その理由を用意したと? 無意味な事だ。既に手遅れで、ミユキの立場は知れ渡っている」

 そうした諫言が以前になかった訳ではない。政略の伴わない恋愛を露骨に表面化させた結果である。無論、マイカゼなどが積極的に天狐族の立場を強化しよう とする動きを見せ、マリアベルもまたヴェルテンベルク伯爵位を譲位したが、何千年と政治権力から距離を置いていた代償は大きい。トウカの立場が皇国に於い て比重を増し続ける現状に、ミユキの後ろ盾……政治権力は追随できていない。異様な速度で増大するトウカの権勢に追随できる勢力がな少ない現状、ミユキの 背後にいる天狐族だけでは力量不足も甚だしい。権力者に、それに釣り合う伴侶を求める者はいかなる組織であれ少なくないが、ミユキとトウカの関係はその条 件を満たしてはいなかった。

 クレアの意図などトウカは以前より懸念している。そうした指摘が行われる時点で不愉快であるが、同時にその問題を知りながら放置せざるを得なかったトウカは、論理的に反論する術を持たない。

 頭を掻き毟る。軍帽が床を転がった。

「私の懸念は、セラフィム公の懸念であるともお考えください」

 一瞬、虚を突かれたトウカは、間抜けな顔を晒したと苦虫を小隊規模で噛み潰したかの様な表情へと変える。しかし、振り返れば有り得ぬ事でもない。

「御前……そうか、元より紐付きだったか」

 怒りも驚きも喪ったトウカは、納得の感情を零す。

 征伐軍である。トウカは以前より征伐軍の成立の経緯を疑っていた。果たして宗教的象徴たる大御巫とは言え、実績に乏しいアリアベルの号令の下に陸海軍や 各領邦軍、傭兵団などが集結するものなのか、と。金銭的な遣り取りも経済的な利点もなく、ただ信仰の為に将兵が集まるには、皇国は近代国家に過ぎる。既に 神々の領分を金銭が侵食して久しい中、実在はすれども何処(いずこ)に居るとも知れない神々の為に極短期間で一〇万を超える将兵が集結するとは思えない。陸海軍府の両長官が“黙認”したとは言え、軍隊に於ける最大の禁忌である指揮系統離脱に陸海軍部隊が易々と踏み切ると考えるのは無理かある。

 つまりは何かしらの権力が働いたという事になる。

 そして、ヨエルは五公爵の中で唯一、アリアベルの征伐軍編制に賛成した。五公爵の一人であるヨエルが内戦を望んだとすれば辻褄が合う。ヨエルの水面下で の働き掛けがあったからこそ強大な規模の征伐軍が成立した可能性は捨て切れない。本来は“玉座に侍る者”として政戦に関与しないとされるヨエルの行動とも なれば、重く見る者も出るはずである。

 トウカに、それらが察せるはずもない。他の公爵は北部に息の掛かった者を積極的に送り込んでいたが、ヨエルはアリアベルの利用のみで今迄然したる動きを 把握できなかった。だが、クレアがマリアベルの下に食い込んでいるのであれば、有象無象の情報源など必要ない。要点を押さえたに等しい。クレア以外に漏洩 する者がいないのであれば、トウカが知るのは困難を極める。何より、ヨエルとは政戦に関わらない権力者として国内外で遇されていた。トウカもまたそれを信 じた。それが皇国政治の常識とされるが故に。

 或いは、ヨエルとマリアベルには、ある種の連携があったのかも知れないとすら思える。確かに内戦勃発はマリアベルにとって不測の事態であったが、その後 の帝国軍によるエルライン回廊侵攻による叛乱軍と征伐軍の一時的な休戦は鮮やかに過ぎた。極短期間に行われた事からもそれは見て取れる。

 ――その辺りは、皇軍相撃を意図したカチューシャの策謀だと思ったが……

 考えてみれば、迅速な両軍の一時休戦はエカテリーナの放った間諜が両軍に相応に浸透している必要がある。成立間もなく、纏まりにも欠けていた両軍への浸透や影響力発揮は現実的ではない。

 増援は最終的に帝国軍の早期撤退によってある程度の進出で留まったが、それ故に外敵の脅威による協力体制は瓦解し、最終的に戦線形成へと至った。進出さ せた部隊は本来の用途……叛乱征伐へと転用される事になる。トウカは、それらをエカテリーナが戦況の複雑化を意図したと見た。複雑化した戦場。火種は直ぐ に大規模な衝突となり、多数の将兵の血が流れるであろう状況が生じやすい。ベルゲン近郊に於ける寒村の襲撃などは、叛乱軍が後輩を脅かすという恐怖心を征 伐軍に植え付け、浸透阻止の為に戦線形成を強制する作戦とばかり考えていた。

 だが、本当にそうだったのだろうか?

 それを実現するには極めて強大な諜報網が必要となる。ヨエルは国家憲兵隊に影響力を持ち、陸軍野戦憲兵隊も相応の規模を持つ。フェンリスの様に独自の諜報機関を保有している貴族も多数存在する。何より内戦によって交通網は寸断され、情報共有の難易度は跳ね上がっていた。

 迅速な一時休戦は物理的に難しい。唯一の手段は、両軍の指導者層に影響力を持つ人物による仲介である。それも、強大な権力、或いは軍事力を背景にして一時休戦を強要できる程の人物。ヨエルはその人物に当て嵌る。

 無論、ヨエルとマリアベルの利害が一致した可能性もある。

 準備不足の状況で、征伐軍という纏まった戦力が主要工業都市であるフェルゼンなどの重要都市を強襲する事を恐れたマリアベルが、戦線形成による征伐軍の 戦力分散を意図し、ヨエルがその思惑を受け入れて征伐軍の後退の余地を政治的に奪った。理由としては、アリアベルの圧倒的勝利による権力強化の阻止、或い は失脚。玉座に侍る者として、本来、アリアベルの行動とは容認し難いものなのだ。

 内戦を演出して動員体制を推し進め帝国に備える。その中で皇権を浸蝕したアリアベルを排除。ヨエルの目的としてはその辺りであろう。そうなると政戦に興味を示さないのではなく、以前より人々を影から誘導して皇国の保全を図り続けていたという可能性とて有り得た。

 ――いや、マリィでなく、エルゼリア侯という可能性もあるが……いや、マリィだな。

 内戦後、マリアベルの隷下に集まった北部統合軍によって帝国軍を排除。同時に北部統合軍の戦力を大きく損なわせて中央集権を実現する。大被害を受ければ軍事力による抵抗などできず、主戦場となる北部には復興の為の資金が必要となる。抵抗はできない。

 だが、マリアベルが斃れた。そこで白羽の矢が立ったのが、トウカであるとすれば?

 ヨエルがトウカに近づく意義も生じる。当人自身が姿を見せて積極的に協力する思惑までは図れないが、影として振る舞う限界を、帝国の政戦を使役するエカ テリーナに感じたのかも知れない。或いは軍事偏重のトウカの姿勢を不安視して、政治面での支援と監視を意図したとも取れる。

北部の消耗による相対的な中央集権化は、玉座に侍る者として望むべき未来である。

 数多の女達の思惑が内戦を形成した可能性に至り、トウカは蒼褪めた表情を隠しきれない。

 異世界の女は誰も彼もが怪物である。

 トウカは、真実の在り処に惑う。

 

 

 

 

 

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『弱者に従って行くよりも、強者に引っ張って行って貰いたい……大衆とはその様に怠惰で無責任な存在である』 
              《独逸第三帝国》総統 アドルフ・ヒトラー



敵の計略を見抜く事ほど、指揮官にとって重要な事はない。だが、この事ほど優れた資質を要求される能力もないのだから、これに恵まれた指揮官は、如何に勝算されたとしてもされ過ぎる事はないのである。

              《花都(フィレンツェ)共和国》外交官 ニコロ・マキアヴェッリ