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第二一九話    帝位継承者第一位

 



「えっと、しちゃいます?」

 ミユキの伏し目がちながらの問い掛けを、トウカは鼻で笑う。気恥ずかしいならば口にする必要などないのだが、ザムエルの言葉を真に受けたミユキは、トウカの袖の端を掴む。

「残念だが、副官の職務に上官の誘惑は含まれていないぞ」

 ミユキの頭を軍帽の上から撫でると、トウカは応接椅子(ソファー)に一層と深く腰掛ける。

 ザムエルの冗談を真面目に受け取ったミユキは、今更ながらに気付いたのか、顔に朱を散らしてトウカの横へと座り込む。両手で頬を押さえて蹲る姿が愛らしい。

「まぁ、想定外ばかりだが、致命的じゃない。幸運と思う事にしよう」

 最悪の状況の中での致命的な一手という状況ではない。

 西部貴族が戦力拠出を拒んだというだけでなく、陸軍部隊も共和国との国境線上。そして、中原諸国を併合した帝国軍部隊に備える準備を進めている。後者に 関しては、収奪に忙しく、兵力としては、皇国や共和国を相手に積極的な軍事行動を行える装備を有していないと確認されている為、脅威度は低いが、前者は判 断を下す要素に乏しく備えざるを得ない。

 共和国戦線の押し上げが、皇国西部を直撃する為の予備行動であるという可能性は捨て置けない。共和国も皇国国境の為に兵力を割く余裕はない。余剰戦力の悉くは共和国南部に出現した連合王国との戦線に投じられると見るのが順当である。

 エカテリーナではない誰か。

 ―― 一体、誰だ? 少なくとも軍事寄りの人間ではないな。

 共和国戦線の突破はならず、押し上げになっている以上、軍への影響力が限定的な人物であると見ていい。少なからぬ戦力が貴族軍であるという情報も捨て置けない。明らかに政治寄りの人物が主軸となっている。

 トウカが重視していない共和国戦線の情報を得たのは、共和国大統領との通信によるものである。


 《ローラン共和国》第二五七第大統領、ギュスターヴ・バルバストル。


 立体映像付きの通信であった為、金髪を整髪油(ポマード)で撫で付けたむくつけき巨躯の壮年男性であるとまで見て取れたバルバストルは、民主共和制国家とは思えない程に武張る佇まいを示していた。

 大雑把な言動に、満ちた大音声、漲る自負を備えた所作は、トウカの知る典型的な米帝人の実業家と言えた。それも、退役軍人のそれである。後に概要を調べ ると、実際に退役陸軍中佐であるとの事であり、共通の敵を持つ有事下の隣国の指導者が軍事に造詣が深い事は歓迎すべき事であった。

 居心地を損なう程に好意的なバルバストルだが、彼の興味は何処か焦燥に駆られていた。興味の対象が、政戦や国家ではなく、トウカ自身にある事を隠さない 点に、トウカは酷く困惑したものの、会話によって共和国の現状は概ね把握できた。無論、情報誘導を仕掛けられた可能性はあるが、共和国軍は皇国北部に展開 している〈南部鎮定軍〉が国境を突破して共和国を襲撃する可能性を憂慮している様子であった。互いに懸案とするのは、想定していなかった方面での戦線形成 なのだ。侵攻速度を踏まえると、〈南部鎮定軍〉の共和国直撃の可能性がより高く、共和国の懸念は決して的外れなものではなく、皇国の懸念よりも有り得る話 であった。

 バルバストルは、航空部隊の派遣を求めなかった。

 トウカは「含羞の御仁だ」と感じた。

 彼は民主共和制に信仰染みた崇敬の念を覚えている類の人物である。トウカの様に、重要なのは国力や国益であり、国難や状況によって政体が変化させる事を 厭わない人物とは根本的に違う。政体の為に殉じる覚悟を持ち、国民に政体の為に死ねと言える愛国者であった。民主共和制に於ける最も理想的な指導者と言え る。

 本質的にトウカとは相容れない人物であり、大陸統一を掲げるトウカに対して好意的であるのは不可思議ですらあった。

 対帝国戦役の一翼が軍事行動に慎重な左派から、積極的な右派が台頭しつつある事を歓迎していると、トウカは解釈したが、バルバストルの言動は何処かトウカを自らの影響の埒外に置くかの様な言動が滲んだ。

 ――まぁ、あんな通信方法をしてくる相手だ。

 図り切れぬ部分があって然るべきであると、トウカは自身の疑念を無理矢理納得させる。相手は魑魅魍魎が潜む議会政治の頂点に立つ大統領。容易に図り切れる相手である筈もなし。

「ミユキ。決戦時はベルゲンに総司令部を構える。御前はフェルゼンに居ろ」

「主様はベルゲンに?」

 副官を置いて総指揮とは特別扱いではないのかというミユキの視線に、トウカは言葉を返さない。

 余裕がなくなったという訳ではなく、フェルゼンこそが今作戦に於ける最大の策源地であり、トウカの計画に於ける主攻と言えた。当初の予定が瓦解したとはいえ、予備計画が立案されていなかった訳ではない。

 《スヴァルーシ統一帝国》という国家は巨大な統治機構である。それに応じた人的資源を保有しており、巨大な工業地帯を始めとした策源地を有する大国に他 ならない。専制君主制国家による根こそぎ動員ともなれば、総兵力は隔絶した規模となる。無論、その為には多大な労力と少なくない時間を要するであろうが、 時間を与えるべき敵ではないという点は確定事項となっている。

 本来、予備計画は帝国軍のエスタンジア地方よりの再侵攻を懸念したが故のものに過ぎなかったが、今となっては中央貴族から抽出された諸侯軍によって一時 的な足止めが成されている為に可能となった。無論、増援を以って兵力差で再度、突破を図るやも知れず、長期間の作戦は難しく、迅速な行動が求められる。

 トウカが敢行するのは大規模な内戦作戦である。

 南部方面軍主力を“人員のみ”、鉄道網で東部の湾岸都市まで速やかに輸送。湾岸都市から高速輸送艦や高速商船でフェルゼンに海上輸送。フェルゼンで備蓄 されている武器弾火薬を受け取り、ヴェルテンベルク領周辺を閉鎖しているであろう帝国軍部隊を撃破。帝国軍の輜重線を遮断しつつ、〈南部鎮定軍〉主力の後 背を脅かすという作戦である。

 以前にザムエルが提案した海上輸送によるフェルゼンからの攻撃というのは、実は皇州同盟軍総司令部や陸軍総司令部では盛んに意見交換されていた案であり、トウカが提唱者という訳ではなかった。

 ただ、陸軍は船舶輸送を危険であると判断し、尚且つ、北部最大の良港であるフェルゼンの使用を憚って国内の鉄道輸送での増援を意図した計画と準備を進め ていた。対する皇州同盟軍総司令部は、陸軍に余裕がない事を承知で大規模に抽出できないかと考えていた。具体的には東部と南部の方面軍を短期間で集中的に 抽出。その戦力を増援として帝国軍後背を襲撃するという一手が可能であるかという議論を交わしていた。

 要点として、海軍には今一度、派手な陽動を演じて貰わねばならない。尚且つ、航行中の輸送船団、三〇隻を超えると想定される大船団を無事にフェルゼンに まで送り届けねばならなかった。そして、最大の問題として、南部地方の国境から正規軍が引き抜かれるが故に、他国の軽挙妄動を抑止する戦力が不足するとい う点があった。

 故に全ては迅速に行わねばならない。諸勢力に野心を掻き立てる時間を与えてはならない。

 内戦作戦として第一世界大戦時の《大独逸帝国》は、鉄道輸送による兵力で迅速な機動打撃を戦略規模で行った。二つの戦線を抱えながらも善戦したのは、戦 力を迅速に再配置する再展開能力を重視したからであった。東部戦線の《露西亜帝国》を撃破した戦略はその精華であったし、撃破後の戦力を西部戦線に再展開 させた速度も他国では考えられない速度で行われた。各所撃破に近い状況を創出し続け、尚且つ戦力が不足するとしても再展開能力で補えるという事実を彼らは 戦略規模で証明したのだ。

「なに、御前が考える程、俺は真っ当な戦争をする心算はない」

 ミユキを抱き寄せたトウカは、そう囁く。

 神州国海軍に対する牽制と陽動には、皇州同盟軍艦隊の〈モルゲンシュテルン〉型航空母艦を基幹とした空母機動部隊が動員される。空母部隊に興味津々であろう彼らは高確率で釣り上げられるに違いなかった。

 三段索敵によって神州国海軍を早期発見。索敵の優位性(アドバンテージ)を 示しつつ、距離を置くのだ。索敵による敵戦力と位置の把握が叶えば、艦隊での接触は回避し続けられる。夜間の接近すら、魔導探針儀を搭載した中型艦載騎の 展開によって夜間ですら探知は難しくない。航空戦を考慮しないのであれば、索敵には搭載騎の大部分を用いる事が出来るのだ。最悪、交戦に陥って全滅しても 被害としては許容できる。国土の保全が最優先なのだ。

 ミユキの揺れる尻尾を抱き寄せ、トウカは北方を窺える窓を通して空を見上げる。

「そう言えば、既に空も決着が付いている頃か」

 当初より想定されていた戦術だが、実際の戦場で行えるかまでは判断が付かない無謀。最悪の場合、フェルゼン方面に遁走すればいいとはしているが、ノナカの性格がそれを簡単に行うとも思えない。

 変化を迎えた戦争は、幾つもの戦場を生み出しつつあった。











「ええい! あの若造! 無茶を言う!」

 ノナカは、戦略爆撃騎の騎長席で悪態を付く。大型騎ゆえに強力な通信機の性能は、その悪態を隷下部隊の全てに伝えているであろうが、大なり小なり部下達も同様の事を胸中で考えているである事は疑いない。

 幾つもの前代未聞を平然と押し付けてくるトウカに対して、ノナカは賞賛と罵声を同程度には肚に抱えていた。彼は確かに、戦空での活躍と栄達を望み、その為に鯔背(いなせ)な生き様たるを振る舞う事を躊躇しないが、トウカの命令は常に想像していた以上の漢気の発露を要求する。

「親分! その割には嬉しそうですなぁ!」

「莫迦野郎! 漢を魅せる檜舞台だぞ、こら! おめぇら、根性みせやがれ!」通信機の交信を切らずに、ノナカは(かぶ)いて見せる。

 不満はあれども、それ以上に彼らは逸っていた。

 神州国のちんけな鉄火場ではない。戦争……国家対国家の大喧嘩で一番槍を張るどころか、最大の戦果すら上げる機会に恵まれた彼らの戦意は旺盛の一言に尽きる。一国の首都を焼いた以上、彼らに恐れるものなどなく、寧ろ後には引けなかった。

「戦況はどうだ! 戦闘騎は!」

 今作戦に於いてノナカ率いる戦略爆撃航空団は主役ではない。彼らは、敵を誘因する囮役であり、同時に“空中空母”であった。

 トウカの望んだ作戦は単純。

 戦略爆撃騎で龍種を輸送。空中投下して転化、戦闘騎として展開するという前代未聞の戦術であった。両翼に搭載する一五㎜航空機銃を二門、両手に引っ掴み投下、転化して航空機関砲を両翼に装備するというものである。挙句に飛行兵(パイロット)も 後で投下して、戦闘騎に空中で拾わせるという無理無茶無謀の三点が揃った強硬手段を敢行せよともなれば、通常の龍種であれば大激怒は避け得ない。軍神たる トウカの命令と、怖いもの知らずの血気盛んな喧嘩屋を集めた結果として行われたが、それは難航した。一部の戦闘騎は転化の際、両翼への航空機銃の装備を失 敗したり、飛行兵(パイロット)を空中で受け取り損ね、危うく地上に赤い花を咲かせる寸前で搭乗させられたという例も散見された。

 戦闘騎は龍種の中での比較的小柄な者達で占められているが、それでも規模としては、トウカが定義するところの重戦闘騎と言えた。継戦能力と加速、飛行速 度に優れており、挙句に転化した龍種である故に高い知能を持っている。野生の龍を調教した騎体などとは基礎的な能力の面で隔絶している。

 航続距離の延伸としての話題……飛行兵(パイロット)の莫迦話がこうした形で実現するとは考えてもみなかったノナカだが、トウカは航続距離ではなく、意表を突いた緊急展開こそを求めた。

 ノナカ隷下の戦略爆撃騎部隊……再編制によって〈第二一戦略爆撃航空団〉と名付けられた部隊はエルネシア連峰を突破。帝国南部を飛行しつつ、一路、中原諸国を目指して巡航速度で飛行した。

 帝国領内の門閥貴族領は中央などに集中しており、辺境には大貴族が存在せず、航空騎は然して展開していない為、飛行は占領されたエルライン要塞近傍までは順調に進んだ。

 しかし、そこで大規模な航空要撃を受けた。

 敵騎の総数は四〇〇を超える。

 戦略爆撃による恐怖を知る帝国軍は、帝国南部に展開させた航空騎を集結させ、エルライン要塞近傍で航空要撃に打って出たのだ。

 この瞬間、空は皇国軍のものだけではなくなった。

 帝国軍は多数の戦略爆撃騎を撃墜できれば、再度の都市爆撃の可能性を減らし、国威を取り戻せると意気揚々と航空要撃を送り出したに違いなかった。彼らに 取り、広大過ぎる祖国のいずれかに出没するであろう戦略爆撃騎部隊を迎撃するのは、航空兵力の面から酷く困難な事であった。

 しかし、航空要撃の為に向かった帝国軍騎は無意味な懸念であったと理解する。

 我らは誘因されたのだと。

 〈第二一戦略爆撃航空団〉はその肚に抱えた転化可能な龍種と飛行兵を展開し終えて待ち構えていた。早期警戒騎によって事前に航空要撃を察位した彼らは、三二六騎の重戦闘騎を展開し終えていた。

 後は史上空前の数の戦闘騎による航空戦である。

 数の上では帝国側が有利で、時間経過につれて帝国各地から戦略爆撃騎部隊の位置を掴んだならば、自領は攻撃されることはないと判断したのか、攻撃性を露わに各貴族の航空部隊が逐次投入されたが、練度と連携に差異のある帝国軍騎の中には同士討ちする騎体すらあった。

 優勢を確保するには敵騎の総数は課題に過ぎた。低練度とは言え、逐次投入されるがゆえに数は一向に減少せず、疲労感は増大する。

 しかし、それ故に双方の戦闘騎部隊は気付かなかった。

 戦略爆撃騎部隊が徐々に戦域を南東……フェルゼンの方角に後退し続けていた事に。

 帝国軍航空要撃部隊は〈第二一戦略爆撃航空団〉を攻撃せんと追い縋るが、展開されたクロウ=クルワッハ公爵家領邦軍〈特設航空艦隊〉所属の重戦闘騎達と複雑に絡み合っての航空戦を突破できない。無論、突破して戦略爆撃騎に取り付く戦闘騎も存在したが、箱型編隊(ボックス・フォーメーション)で飛行する戦略爆撃騎の前に少数の戦闘騎では叶うはずもなかった。何十という機銃座からの機銃掃射に絡め取られて撃墜される敵騎は少なくない。

 今も眼前で何十という騎載機銃の集中射を受け、血塗れになった敵機が錐揉みとなって墜落しつつある。翼が千切れ、投げ出された飛行兵の身体も欠損していた。忽ちに人造の悲劇は地上へと抱き寄せられ、次の敵機との交戦が始まる。負傷騎も増大しているものの、箱型編隊(ボックス・フォーメーション)の利点として、負傷騎を編隊中央に匿う事ができる為、未だ〈第二一戦略爆撃航空団〉には墜落機は生じていない。

 敵機の連携不備と練度不足も大きい。帝国軍は愚か皇国軍ですら制空戦闘という行為に対しては熱心に行われていなかった為であり、以前までの龍とは偵察や擾乱(ハラスメント)攻撃を主体としていた。自然と単騎、乃至少数騎による戦闘が主体となり、大規模な航空攻撃自体が稀であった。

 しかし、〈特設航空艦隊〉の重戦闘騎は優れた騎体性能で劣勢の騎数を相手に同等以上の善戦を見せた。無論、航空要撃に現れた敵機の大部分が中原諸国から 飛行してきたゆえに疲労していたという部分も大きい。対する友軍重戦闘騎は“発艦”に手間取ったとはいえ、〈第二一戦略爆撃航空団〉から出撃した。疲労は 少ない。

 龍を用いた航空戦は、決して騎体性能と騎数だけで決まるものではなく、交戦時の疲労に依る部分も大きい。航続距離の上では可能であっても、より遠くから飛行してきた航空騎は疲労度によって騎体性能を低下させる。彼らは生物なのだ。航空騎であり、航空機ではない。

「親分! 来やしたぜ! 友軍騎! 識別信号は〈第五航空艦隊〉所属、〈第一六戦闘航空団『クトゥネシリカ』〉! 総数は一二七騎!」通信士が叫ぶ。

 爆弾倉や複数の機銃座を内包している為、決して余裕のある構造ではない騎内ゆえに、その喜色の滲んだ報告は大きく響き渡る。通信機からの歓声もそこに加われば、最早、酒宴も同然の混乱であった。

「五月蠅ぇ! 野郎共、囮は終わりだ! 撤収するぞ!」

 彼ら〈第二一戦略爆撃航空団〉を撃墜すべく帝国軍航空部隊は〈第二一戦略爆撃航空団〉の戦略爆撃騎から発艦した〈特設航空艦隊〉と執拗に空戦を繰り広げていたが、皇国側が更なる増援を展開するに至って動揺が奔った。

 しかも、〈第一六戦闘航空団『クトゥネシリカ』〉が現れたのは帝国軍航空部隊の後背……退路を断つ形であった。

 彼らは皇国北部の空へと誘引されたのだ。

 素早く〈第二一戦略爆撃航空団〉が戦域離脱をしなかったのは、一重に帝国軍航空部隊を誘引する為であったのだ。熾烈な空戦に熱中する帝国軍航空部隊は、 断固として戦略爆撃騎部隊を撃破せよと訓示を受けていた事に加え、帝都空襲を成した敵を撃破するという名誉に駆られて視野狭窄に陥った。結果として、迫撃 は後背を顧みないものとなる。

 帝国軍航空部隊の後背を脅かしたのは一個戦闘航空団に過ぎないが、後背に展開されたという心理的圧迫感と制空戦闘に特化した軽戦闘騎の群の意義は大きい。

 アーダルベルトにまで要請して重戦闘騎として運用可能な龍種を一夜にして集めたトウカにとっても、今作戦は不確定要素の多い作戦であった。

 現状の皇州同盟軍は、内戦で航空部隊が消耗戦に引き摺られなかった事もあり、五個航空艦隊……二〇個航空団を保有している。内訳としては、一〇個戦闘爆 撃航空団、四個戦闘航空団、六個戦術爆撃航空団となり、それらを制空や近接航空支援の任務に当てる。そこに一個戦略爆撃航空団や複数の偵察騎部隊や早期警 戒部隊、輸送騎部隊などが加わると、騎数は二八八〇騎を越える。無論、半数以上が錬成中であるが故に、投入可能な航空団は限られていた。

 加えて、皇州同盟軍航空隊は、中原諸国の帝国軍部隊に対する航空攻撃に多くの戦力を投じていた。二正面で航空作戦を展開する都合上、投入可能な戦闘航空団は一つとせざるを得なかった。現在のヴェルテンベルク領の防空任務も一個戦闘航空団のみで行われている。

 皇州同盟軍の航空戦力は、一夜にして総力戦の空を迎えたのだ。

 そして、眼前で行われている航空戦は内戦以上のものである。しかし、彼我撃墜比率(キルレシオ)は、ノナカの見たところ皇国軍が遥かに優越していた。

 後の集計に依るところでは、一六対一である。

 これは、龍の差の問題だけではなく、航空兵装の差も大きく影響していた。

 皇州同盟軍の航空兵装として正式採用されている一五㎜航空機銃は両翼下に一門づつ装備できる優れた弾道低下率の機銃であった。対する帝国軍騎は、翼下懸吊方式を未だに採用せず、飛行兵(パイロット)が 機関銃や魔導杖を手にしているのみである。機銃座の如く全方位への射撃が可能であるが、目標を目視し続けるには相対速度は速過ぎる為に照準は困難を極め た。長物の機関銃や魔導杖を重力や風圧を受けて尚、保持し続ける事は困難を極める。皇国軍でもそれらの諸問題を解決する為、飛行兵に優れた種族や専用航空 装備の大規模な採用が行われているが、それは内戦時の教訓を得た結果である。無論、皇国軍が喧伝する戦果を重く見て研究開発と転用が議論されているが、大 規模な制空戦……航空戦を経験した事のない帝国軍は既存の装備のままであった。

 故に真っ当な装備を得て活躍する前に一騎でも多くを戦場の露とせねばならない。

「あの若造め、やるじゃないか、ええ」

 国家が擁するあらゆる資源の削り合いに対して造詣の深いトウカの思惑を、ノナカは正確に察していた。否、帝都空襲という軍事史の上で稀に見る殺戮の一翼を担った者として、ノナカは戦略爆撃やそれを求める理由に対する理解と推敲を怠れなかった。

 中原諸国の難民となるであろう者達諸共に帝国軍部隊を爆撃しようという根性は好かないが、ノナカとしてはその航空攻撃を成功させる為、戦略爆撃騎部隊を囮にして敵の航空戦力を誘引しようという作戦を極めて高く評価していた。

 〈第二一戦略爆撃航空団〉の黎明時の出撃の後に出撃したであろう七〇〇騎を超える戦闘騎と戦闘爆撃騎、対地襲撃騎、戦術爆撃騎の大群を思い起こし、ノナカは頬を歪める。

 次々と墜ちる龍の翼に描かれた国章が敵国のものばかりであるとの報告を受けたノナカは、自身の時代は始まったばかりなのだと確信する。











「やるなぁ……彼。でも、エカテリーナみたいなのがもう一人いるなんて困るね、全く」

 木漏れ日を受ける麗かな昼時。

 二〇代も後半であろう物腰柔らかな好青年は、庭園の座席で陽光を一身に浴びて微睡みを受け入れていた。帝国貴族然とした宮廷衣裳を纏いながらも、何処か象意は控えめであるが、人間種でありながらも整った容姿は、弛緩した姿ですら整ったものと魅せる。


 《スヴァルーシ統一帝国》帝位継承者第一位、ヴィークトル・ゲオルヴィチ・アトランティス。


 ヴィークトルとは征服者を意味する名であり、帝国の国是をこれ以上ない程に示す名と言えるが、彼……ヴィークトルの姿は少なくともそうした姿勢を体現した姿とは言い難い。そして、それは今現在だけではなく、往時からの事であった。

「エーリャ、お代わりを貰えるかな?」

 天使を意味する名であるアンゲリーナの愛称を呼び、お気に入りの侍女(メイド)に二杯目を求めるヴィークトル。

 物腰柔らかな姿は帝国貴族の棟梁たる帝族の家系とは思えないものがあるが、彼は卓越した手腕を持つ支配者でもあった。エカテリーナと同様に、彼もまた容姿と能力、物腰が一致しない人物と言えた。

 南部寄りの帝国中部の小都市であるエルネスク。その郊外の別荘に籠る彼は公式の場にもあまり姿を見せない事で有名であった。

 しかし、帝国貴族内では絶大な支持を受けている。

 それは一重に彼がヒトという生き物を操る術を理解してたからである。

 利益と特権で絡め取り、思う儘に誘導するのだ。利益を得られると考えれば、彼らは少々の被害や失点(リスク)を厭わない。腐敗して久しい帝国貴族は、愛国心や高貴なる義務などでは動かない。利益や特権によってこそ動くのだ。

 優秀な者や国益を求めるエカテリーナと違い、有象無象の権力者の悉くを曖昧な儘に操るヴィークトルは違った意味で目立ち難いものがある。一部からの絶大 な支持ではなく、曖昧な広い範囲での曖昧な支持は話題性に乏しく、ヴィークトルもまた話題となる事を求めてはいなかった。無論、話題となる事を避けるエカ テリーナとは違い、あくまでも求めてはいないだけであり、エカテリーナよりも対外的な露出は多い。

 帝族として話題に上がっても、個人としては話題とならない。ヴィークトルとはそうした男性であった。絶世の美貌や優れた戦略眼により個人の話題に溢れたエカテリーナとは、そうした部分で違えていた。

 だが、曖昧な支持を以て彼は大きな動きを見せた。

 帝国外務省内の主要貴族を焚き付け、共和国に対する連合王国の宣戦布告を煽動したのだ。準備に五年を超える期間を経たそれは、本来、来たるべき帝位継承の際の実績演出の為に過ぎなかったが、エカテリーナが軍内で影響力拡大の姿勢を見せる中、彼は動かざるを得なかった。

 皇国への打撃。或いは食糧確保という利益を祖国に齎すであろうエカテリーナだが、彼女自身はあくまでも影に徹している。リディアという魅力に溢れた軽い神輿を用いて軍部を掌握し、民衆の支持を取り付けようとしていた。

 ヴィークトルとしては、リディアを天帝招聘の儀の帰路で処理できれば、エカテリーナを政争の舞台に引き摺り出せるという打算があったが、銀輝の戦帝姫は 想像以上に武運に恵まれていた。酷く消耗した状態で一個小隊からなる魔導騎士を突破する腹違いの妹は、ヴィークトル酷を酷く悩ませた。

 エカテリーナは、リディアを英雄にしようとしている。それも、帝位継承者などという枠に収まる範疇ではなく、国家を牽引する英雄である。それは新たなる権威の創出であり、貴族を主体とした既存の権力基盤に対する挑戦に続く事は疑いない。

 エカテリーナは、帝国という国家の未来を憂えている。

 その結論として帝国貴族の大部分を必要としない指導体制の成立を意図している。一切合切悉くを焼き払い、英雄の御世の到来による新たな価値観の下での国家改造。恐らくは叙事詩の如く鮮烈で、炎と流血に彩られた時代の幕開けとなるに違いない。

 対するヴィクトールは、既存の体制の健全化による是正を目指していた。何十年という時を掛けて不要な部分を水で洗い流すかの様に無駄と理不尽を減らして いくのだ。ヒトを惹き付ける要素もない、語り継がれるべき派手さもないが、遠く未来には最小限の被害であったと記録の泡沫に僅かに記される程度となる偉業 こそをヴィークトルは求めていた。

 共に国家を愛しているが、未来に国家を存続させる手段としては違う道筋を描いた。

 国家と民衆を憂えているが、手段だけは違った。

 ――いや、民衆を憂えているんじゃないか。人的資源の浪費を厭うたゆえかな?

 ヴィークトルは、エカテリーナの美しい横顔を思い起こす。

 腹違いの妹でありながら、何をどうしたのかと言わんばかりの美貌は、血縁でありながらも手籠めにしたいと思える程だが、その隙のない美貌とは裏腹に賞賛すべき程の歪みを抱えている。

 国家がヒトの形をしている。

 ヴィークトルの、エカテリーナに対する所感は正にそれである。

 指導者として統治機構の頂点に組み込まれるべき演算機としての非人間性が、彼女の胸中を満たしている。善悪や正邪……最終的には感情に根差した概念とは根本的に隔絶した思考を以て状況を決断できる彼女は正に統治機構に巣食う怪物たるに相応しい。

 だが、そうであってはならないのだ。

 彼女は祖国の健全化の範疇に於いてであれば、人口の半数を喪っても構わないと考えている節がある。

 隔絶した思考を有する彼女に、そうした演算をさせるまでに腐敗した帝国貴族こそが諸悪の根源である事は疑いないが、帝族の義務の範疇に在って彼女の苛烈さを彼は認められないでいた。

 ヴィークトルとエカテリーナは根本的に相容れないのだ。

 派閥争いでも同族嫌悪でもない、救国の手段に於いての違いが、二人に無言の対立を齎した。

 美しい侍女(メイド)が紅茶を注ぐ光景を横に、 書類の束を無造作に流し読みするヴィークトル。彼は、エカテリーナ以上に権力者を操る術を心得ている。それ故に通信技術の向上には多大な資金を投入してい た。エカテリーナの意思決定の速度は人間性を欠く程に迅速であるが、ヴィークトルは情報伝達の速度を以て対応していた。

 彼女は優秀であるが、権力の使い方や本質を知らない。腐敗していても尚、権力は権力たる事までは止めていないのだ。或いは、腐敗に迎合したという風評が将来的に看過し得ない悪評に転ずると見ているのか。政治的に凡庸なヴィークトルには分からない。

「しかし、優秀だなぁ、トウカ君」

 当然であるが、「決して欲しいとは思わないけどね」と続ける。

 敵国でエカテリーナ染みた怪物が誕生したとなれば、やはり彼もまた座視し得ない。歴史書に名を残すであろう傑物が乱造される時代に応ぜねばならない不幸 を嘆く事すら許されなかった。彼は常識的な名君として怪物達に抗うと決意したのだ。あの日、あの場所で、あのヒトの前で決意してしまったのだ。

 ヴィークトルとしては、優れた敵手は共和国大統領であるバルバストル一人で十分の中で、恐らくはそれを超えるであろう政戦両略の軍神の到来は恐怖以外の何ものでもない。

 卓上に用意された包焼菓子(シャルロートカ)突匙(フォーク)で刻み、口へとぞんざいに放り込むヴィークトル。

 包焼菓子(シャルロートカ)は、大皿を帽子の鍔、菓子を頭部に見立てた帽子の様な形状をしている。蝶織(リボン)に見立てた果実まで無惨に裂くのは酷く男性的な配慮の欠如であるが、侍女は眉を顰めることもない。

 牛酪(バター)を並々と塗布した洋餅(パン)の内側に潜む林檎と卵凝乳(カスタードクリーム)が零れ、大皿を汚す。

 しかし、今日は菓子職人が工夫を凝らしたのか、紅い木苺(ラズベリー)果醤(ジャム)が純白の大皿を重ねて汚した。

「雪中の戦野とは正に此れかな」突匙(フォーク)で御菓子の帽子を押し潰す。

 帝国陸軍御自慢の統制曳火砲撃を体現した大地であれば、と思える程には広がる赤。ヴィークトルは、背後からの醒めた視線を感じて洋餅(パン)の残骸を突き刺して口に運ぶ。効力射で巻き上げられた土塊は美味である。国益の味がした。

 朗らかな陽気であるが、未だ外は肌寒い。堅実な象意の帝国様式を守る庭園の草花は咲き誇るのは純粋に魔術的温度管理が成された人工の楽園であるからに過ぎなかった。

 彼は、女帝や軍神に対して劣っていると理解している。

 だからこそ多数派工作を怠らず、常に母数に於いて優越するべく心掛けていた。唾棄すべき共和主義者の理論だが、より多くの数を集める意義を、彼は或いは共和主義者よりも理解している。集める対象が権力を有しているので尚更であった。

 だが、それ故に中立を捨てざるを得なかった。中立の儘では今以上の支持を得られず、そして先が見えるが故に中立が全てを失う途であると理解できたのだ。

 決断力のない君主は、当面の危機を回避しようとする余り、多くの場合中立の道を選ぶ。そして、大方の君主が滅んでいく。

 歴史が証明していた。歴史とは、人類が失敗と成功(トライアンドエラー)を繰り返して得た知見の総攬である。照合すべき項目もまた数を以って優位性が確保される。

 その辺りは、エカテリーナの行動を見ていれば窺い知れる。或いは、そうであるからこそエカテリーナに人間性を認められないのかも知れない。

 人間は完全な善人になれず、完全な悪人にもなれない。その為、しばしば中途半端な事をしでかし破滅する。

 当然の如く極端に振れるからこそ、彼女の人間性に疑問が生じるのだ。優れた者達から見て、完全な善人や完全な悪人と思えるであろう演出を行い、既定路線の如く苛烈な決断を下す。それを、人間性を超越した程に徹底するからこそ、彼女は限りなく統治機構の部品なのだ。

 しかし、彼は帝国という大国が決断を下すという意味を軽視していた。否、理解していなかった。

 大国が国内問題で効率的な軍事行動を成せなかった状態から脱し、大陸統一を前提としているとしか思えない軍事行動を選択したという恐怖。

 大陸最大の国家が更なる国力と軍事力を手中に収めんとする動きをに対する本能的な恐怖。それに掣肘を加えようとする動きとしての主義主張を越えた連帯が生じるという事実を、ヴィークトルは看過した。

 戦争は誰しもが望まない二極化の流れに傾きつつあった。

 他大陸もまた戦火が燻ぶる。軍事行動を伴う干渉は考え難く、大陸内での二分化は第三局の干渉のなき儘に大規模化する流れにあるが、そうした事実を歴史的経緯を踏まえた上で理解しているのは皇国北部の軍神のみであった。

 それ故の苦悩を軍神が抱いている事を知る者は居ない。

 ヴィークトルは、エカテリーナやトウカに対して掣肘を加える好機とばかりに計画を前倒しにしたが、事はそれだけには収まらない。危機意識は既存の枠組みや常識からの脱却を促す最大の要因足り得る。

 トウカとバルバストルの邂逅は、その潮流の一つと言える。

「誰も彼もが望んで悲劇を振り撒いているよ。困ったものだね」

 少なくとも自身の帝位継承は、祖国にとって最低限の被害で成さねばならない。被害は政敵に押し付けるものであって自らが負うべきものではないのだ。ヴィークトルはそう考えていた。

 軍神も女帝も戦争での負債の請求に熱心な人物であり、大々的な動きを見せたヴィークトルを明確に排除すべき対象と認識した。そして、バルバストルは明確な敵意を見せている。


 《スヴァルーシ統一帝国》帝位継承者第一位、ヴィークトル・ゲオルヴィチ・アトランティス。


 帝国に於いて放蕩帝子の異名を持つ青年は、怪物達の立つ盤上へと進み出た。

 

 

 

 

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 決断力のない君主は、当面の危機を回避しようとする余り、多くの場合中立の道を選ぶ。そして、大方の君主が滅んでいく。


 人間は完全な善人になれず、完全な悪人にもなれない。その為、しばしば中途半端な事をしでかし破滅する。


              《花都(フィレンツェ)共和国》外交官 ニコロ・マキアヴェリ