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第二一二話    思惑の応酬

 



「戦友諸君! ありがとう! 共に郷土を護ろうではないか!」

 トウカが漆黒の刀身を掲げ、蛮声を張り上げる。風魔術による音声拡声はない。地声によって、彼はあらん限りの熱意を演出して見せた。

 トウカの隷下にあった皇州同盟軍将兵や、北部統合軍時代の戦友達の一部が戒厳部隊に合流した。無論、大多数は義烈将校団などの極右集団であるが、部隊行 動ともなれば、核となる部隊の有無は大きい。模倣し、後に続くに値する存在は、部隊の士気向上や技能向上、即応性にも多大な影響を及ぼす。正規軍ですら、 部隊編制時には、核となる精鋭部隊を中心に行われる。精鋭や正規軍の存在は例え少数であっても、部隊編制時には有益であった。

 政府や警務府が敵対した場合であれば、皇都外からの合流を阻止する封鎖線があ構築された程度であろうが、左翼にそれだけの能力はない。国民主体の集団に大都市の封鎖などできる筈もなかった。

 トウカは陸軍府前の強靭な防護壁上に立ち、服装や武装も様々な“烈士”達を見下ろす。

 義烈将校団の〈第一実動小隊〉を率いたシュナイトフーバー大尉が、輸送騎を乗り継いで皇都に姿を現したのは、トウカにも驚きを隠せなかった。

「閣下! 義烈将校団、〈第一実動小隊〉、計八七名、今より閣下の元、討ち死にする覚悟に御座います!」

 最前列で叫ぶ彼は、相も変わらずのむさ苦しさだが、周囲の烈士達は頼もしい人物と捉えて歓声は一層と大きいものとなる。

 義烈将校団という名称だけあり、士官ばかりであるが、その数は皇州同盟軍や陸軍、海軍士官などからなる八七名を数える。これには、彼を邪険に扱い気味であったトウカも素直に感謝を口にし、野戦昇進で少佐の階級を与える事を宣言する。

「遠方より御苦労!」

「愛国者が命を擲つは今! 八七名、死を覚悟で参りました!」

 典型的な愛国者だが、心から自らの愛国の意思を信じて疑わない者は、武装蜂起(クーデター)という局面ではいずれの立場であれ強い。揺らがぬ意思を以て、相手を打擲するのだ。曖昧な指揮統制と新たな大義に揺らがないという点は、政争の延長線上にある武装蜂起では無類の強さを発揮する。

「卿らの覚悟、受け取った! 祖国の為、死して護国の鬼となれ!」

 トウカはシュナイトフーバーに対して敬礼する。

 本来は下位の者が先に敬礼するべきだが、決して烈士達を軽んじないという姿勢を示す為、トウカが先手を打った。決して、一方的にトウカが上に立つ訳ではないのだと。軍人ばかりであれば不要な演出だが、民兵に等しい右派集団が大多数である以上、配慮は必要である。

 陸軍府総司令部や参謀本部が混乱する中、敵前逃亡や無断除隊を同胞に覚悟させ、移動手段を用意するのは簡単な事ではない。何より、移動期間を考えれば、シュナイトフーバーは第一報を受けた時点で動き始めている。ある種の無謀であった。

 既に皇都擾乱……左派による武装蜂起が始まり三日が経過する。

 右派集団には、退役軍人や予備役軍人も少なくない。再編制は履歴を配慮した上で参謀本部が随時行っている。皇国陸軍は、その建国理念から民兵の運用に対する実践的技術(ノウハウ)の構築に余念がない。全種族による協和という国是を護る為、自国以外の全てを敵に回すという覚悟の産物であった。

 中には、北部内戦に於いて皇州同盟軍と干戈を交えた陸海軍の軍人も少なくない。

 予備役将官がただの一兵として馳せ参じた例や、死に損ないに今こそ死に場所を与えてくれと嘯く退役軍人。経済難により働き口を喪った傷痍軍人も少なくない。

 烈士達が民兵として参加した動機は各人各様である。

 思想や理念の為に斃れる覚悟を決めた者、華々しい死に場所を望む者、名誉や賞賛を求める者、ただ暴力を振るいたいだけの者、再就職先を得る為の箔付けを 望む者、戦列の一翼を成すという行いに憧れる者、ただただ左派が気に入らない者、金一封を期待した者、展望なき叛乱に失望した中道派の者……他人とは一線 を画す理由である者も少なくないが、命懸けで成すだけの価値を其々が見い出している点は同様であった。

「貴官らは?」

 トウカはシュナイトフーバーの横に立つ、仕立ての良いが草臥(くたび)れた三揃背広(スリーピース・スーツ)を身に纏った紳士である。

「私の名はフライスラー。ローデリヒ・フライスラー、弁護士です。武装叛乱を行った連中を法律書を以て殴り付ける為、閣下の指揮下に加えていただきたい!」

 禿げ上がった前頭部を撫で、不敵に笑う姿はとても弁護士とは思えない。

 トウカは法律書で殴り付けるという表現について、法的妥当性を以て非難するのか、或いは鈍器に等しい法律書で物理的に殴り付けるのかと一瞬、逡巡したが、取り敢えずは歓迎の意思を示した。

 |ウラジミール・レーニン(露西亜の革命家)、|ジョルジュ・ダントン(仏蘭西の革命家)、|マクシミリアン・ロベスピエール(仏蘭西の政治家)……皆 が失業弁護士であった。弁護士が革命や動乱で重要な役目を果たす例は歴史上で散見される。浮かんだ人物名に碌なものがなかったが、法的妥当性は魅力的であ る。トウカは宣伝や離反工作に参加していただきたいと口にした。

 其々の胸で愛国心が燃えている。その燃料は国家の命数か、国民の人命か。

 歴史を好むトウカにとり、興味深い光景と言えた。流動的で感情的な動きに各組織が権威や法律、軍規を無視した動きを見せているのだ。

 総ては愛国心ゆえに。


 愛国心と言う卵から、戦争が孵化する。


 そうした言葉があるが、実際のところ国家への愛の形は無数とあり、愛国心と一括りとして批判する事は無意味である。国を愛している事は大前提であり、その上で国をどの様にしていくかという議論があってこそ意味があった。技術者が良く口にする、卵が先か(にわとり)が先か、という言葉があるが、愛国心もまた戦争と表裏一体である。どちらが先かなど歴史を見れば意味のない問いであると理解できる。

 だが、ここに集まった面々は紛れもない愛国者だ。

 掲げる思想すら右派のみで統一されている訳ではない。ただ、祖国が衰退し続けるという現状を受け入れるべきと主張する急進的左派勢力に対する危機感によってのみ集結したのだ。最早、思想などという意味は超越している。権威主義に、国家社会主義(ファシズム)国粋主義(ナショナリズム)、汎皇国主義、政経共同主義(コーポラティズム)自治主義(オートノミズム)、社会貴族主義……無数の主義が集結した彼らは、戒厳司令官であるトウカの要請の下で終結した。

 彼らの動機は簡潔(シンプル)である。帝国の脅威から目を背けるか否か。その点のみであった。

 トウカが、その点のみを求めたのだ。

 この場に集まった主義者の指導者は、少なくともトウカの国家の為に戦えるか否かという踏み絵を理解している。擾乱終結後、流血を恐れず戦ったという事実 は、各主義を隆盛させるだろう。勇敢であるという看板は政治的意義として極めて大きい。逆に戦えなかった主義は衰退を免れないだろう。国難を座視する主義 を積極的に推す者などそうはいない。結局、主義者の立ち振る舞いは主義の印象に直結する。主義を純粋に取捨選択できるものなど一握りなのだ。革命戦士が革 命ではなく革命家の為にこそ戦う様に、主義者と主義、指導者の関係も同様である。

 トウカ烈士達に語り掛ける。

「諸君、ここに集ったのは、単純に一つの思想ではない! 祖国を護ろうという護国の意思が集ったのだ。諸君は理解している! 祖国あっての思想であると! 国難に在って諸君は奇跡を起こした! そして、この先、何度でも我らは国難の際に集おうではないか!」

 《ソヴィエト連邦》ですら、侵略を受ければ民衆は其々の政治思想を擲って従軍した。自身の主張の為なら客観的に見て国民の生命と財産を損なうであろう要素を放置し続ける姿勢を見せる者は、そもそも売国奴である。

 共産主義国の民衆にできて皇国にできぬ道理はない。

 この皇都擾乱は前例となる。右翼や左翼などという思想的な枠組みではない。国家の危機に積極的に動く者達と、国家の危機すらも自らの生命と財産が犯され ぬならば座視する者達との争いである。そして、いざとなれば思想を乗り越え、国家防衛の為に共闘できるという先例は、今後の政戦に於いて大きな力となる。

「皇国は不滅である! よって諸君の愛国心もまた不滅である!」

 トウカが軍刀を振り払い叫ぶ。

 鯨波が皇都の一角に満たされる。

 皇都擾乱、三日目にして、政府と陸海軍、皇州同盟は国権保全の為の愛国者達を纏めつつあった。







「狂っているのだ……」

 ネネカは参謀本部の自席に置かれていた人形を渾身の力で抱き寄せる。

 陸軍府前で騒ぐ烈士達……民兵の大群の蛮声を耳に、ネネカは祖国が絶望的な状況へと行軍している事を悟る。

 民意の致命的な分断は、混乱終結後の国家運営に致命的な結果を齎すと口にする政治家も居る様子であるが、実はネネカはそう考えてはいない。左派の指導者 層の摘発は進んでおり、指導者のいない集団など容易に壊乱させ得るからであった。政治家は議会でも国民でも数をみるが、票の取り合いに終始している所為か 質を見ない。

 程度の低い者がどれ程に集まっても、建設的な意見は出ない。基礎的な知識に欠けるのだから、幾ら足しても零は零である。

 軍人は現実を直視する仕事である。参謀将校ともなれば、国民の政治的視野の程度を正確に推し量り、政治情勢を推測する事にも余念がない。

「でも、なんで今なのだ? おかしい。帝国軍がエルライン要塞を陥落させ、北部に攻め入った状況で左派が激発するなんて……」

 控えめに見ても自殺である。

 トウカが盛んに売国奴と叫んでいる事からも分かる通り、左派勢力は進んで売国奴と呼ばれる状況に突き進んでいる。帝国軍が本土に侵攻している中、政治情 勢を不安定化させるなどという一手は国民からの信を喪うだろう。ドラッヘンフェルス高地を主軸とした防衛線で遅滞防御が行われているとはいえ、国難である 状況には変わりはない。

 何より暴発は不自然であった。

 左派勢力は右派勢力とは違い、組織間での連携に積極的であった為、混乱の大規模化は理解できるが、公爵邸襲撃や現在の左派の一部が有している火器は正規軍の歩兵に匹敵する。一部は迫撃砲まで有しており、陸軍府もその洗礼を受けた。

 皇都内の政府中枢の半数程度が占拠されたが、トウカは人質の有無を確認する事なく各施設の奪還を強行した。一般公務員の死者も既に一〇〇〇名を超えているが、強行突入の成果もあって左派勢力は既に主導権(イニシアチブ)を喪失している。

 それでも尚、投降者は少ない。熱狂に駆られた烈士達……右派民兵による投降者の殺害が相次いでいる為である。最早、双方が一歩も引かないだろう。

 だからこそ、トウカが右派だけではない各主義者にも目を付けて更なる兵力増強を図った。左派勢力への罵詈雑言は左派を徐々に売国奴と置き換えて批判の矛先をずらした。

 左派を売国奴とすることで、国難を看過する対象との批判を左派は避け得なかった。時期が悪い。トウカの要請に今が名の売り時とばかりに雑多な武器を手に多種多様な主義者が集った。

 放送局を占拠した左派は、盛んにトウカの非道を皇都内の通信網で訴え掛けているが、それに対してトウカは放送局の奪還を敢えて行わなかった。寧ろ、陸軍 に有線を敷いて、自ら反論している。その罵り様は酷いもので、左派を……否、売国奴を憎悪している事を隠さない。右派への姿勢(ポーズ)だけではないナニカをネネカは感じ取った。

 まるで今の皇都は、トウカに血を流す政治をさせたい誰かが用意したかのような舞台である。

 ――このサクラギ上級大将が孤立無援と思われた皇都に積極的に、彼を然るべき立場に擁立させようとする有力者がいるなんて……ないはずなのだ。

 ファーレンハイトやエッフェンベルク、アーダルベルト辺りではない。

 トウカを戒厳司令官に推したのは彼らだが、それは火中の栗を拾わせる為であって活躍の機会を与える為ではない。何より、ファーレンハイトのあの気疲れし た様子を見れば、彼が関与していない事は明白であった。彼は自身の執務椅子に座り込んで燃え尽きている。主義者とはいえ国民なのだ。積極的に動員しては軍 の存在意義を問われかねない。

 ファーレンハイトの無残な姿から目を背けたネネカ。

 ――まぁ、戦後を見ているに違いないのだ。

 今現在、トウカの下に集って戦った主義者達は、擾乱終結後の対応次第ではトウカを支持して対帝国戦争への積極的な協力を行うだろう。闘争に於ける一体感 は帰属意識を一層と強くする。彼は熱烈な愛国者となるに相違ない。そして、帝国軍の撃退は愛国心に沿う。であれば、トウカへの協力は既定路線に等しい。

 トウカは他国へ隙を見せる事を忌避して各方面からの増援を拒否したが、それは正しい。既に帝国軍に抗するべく必要最低限にまで戦力を引き抜いているのだ。戦力抽出は難しいので間違いではない。海軍も神州国の動向を踏まえれば陸上艦隊編制は困難である。

 トウカは、その辺りを理解しているのあろうか?

 皇州同盟軍は当然ながら皇都近郊には展開していない。予備兵力すらない状況で戦闘に望むとは、ネネカには思えない。北部内戦に於ける戦闘詳報の悉くに目を通したからこそ、ネネカはトウカの軍事行動の根幹を良く理解していた。

 装甲部隊による機動打撃と、火砲の集中運用、潤沢な予備兵力。

 フェルゼン強襲では航空部隊が、シュットガルト湖畔攻防戦では義勇装甲擲弾兵師団が予備兵力を担った。彼は無理をしてでも予備兵力を手元に置こうとする。特に後者は領民を動員しての編制であり、彼の予備兵力重視の姿勢を示していた。

 そんなトウカが、予備兵力なき状況下で打って出るというのは不自然である。市街戦の性質上、纏まった兵力である事は避け得ないが、皇都周辺は偵察騎による多段索敵が行われており、大規模な兵力の接近は事前に察知できた。

「彼にとっても想定外だった?」

 ネネカは、いやいやと首を横に振る。

 しかし、初日に他の主義勢力への協力要請を行っていない点を踏まえれば、左派勢力の規模を見誤っていたと取れるが、実際は戦力欠乏に苦しんだが故の方策に過ぎなかっただけかも知れない。

 ネネカは立ち上がる。

 考えれば考える程に、トウカの場当たり的な対処が目立つが、それを突いて権勢を崩す真似はできない。彼は今、皇国の行く末を手中に収めているのだ。

 戒厳司令官であるトウカとの敵対は死を意味する。

 取り敢えずは、あの胡散臭い憲兵少将との対話を望まねばならない。知ることが彼女の立場を助け、より強固なものと成さしめるのだ。








「私、悪くないもん……」

 世界最後の熾天使は寝台上で泣きべそをかいていた。

 ばさばさと純白の六枚翅を羽搏かせ、不貞腐れている光景は世にも奇妙な光景である事は疑いないが、彼女をよく知る者であれば然して眉を顰める程のものではない。日常的な光景と言えるからである

「公爵閣下、可愛らしく剥れても事態は好転しませんが?」

 四枚翅の権天使が盛大な溜息を漏らす。

 外からは防音障壁の許容量を超えた銃声が、時折響いている。

 皇国の政治中枢を司ると理解している貴族は、屋敷の防音障壁に関しては周辺区画の生活音を遮断できる程度の強度の展開に留めている。音の遮断は非常時の即応に影響するからであり、それは熾天使の牙城であっても例外ではない。


 ヨエル・リエ・フォン・ネハシム=セラフィム公爵。


 皇国に於いて天使種を統べる熾天使。

 天使とは権威の象徴である。

 語源を遡れば“伝令”“使いの者”“密使”などが挙げられるが、端的に言うなれば神々の御使いとして表現される場合が多い。無論、神々の布告げを伝える 伝令としての役目を負っている点は神話にも記されているが、中には災厄を発現する者や悪魔と戦う描写もある。神の尖兵としての側面もあるとされていた。嘗 ての大戦の記憶から神話が生じた以上、それは紛れもない事実で、伝令というのは指揮官相当の立場にあった彼女達が転じた表現とも言える。

 神々との直接的な遣り取りが不可能となり何千という時を刻む今となっては、天使系種族の権勢は圧倒的なものとは言い難い。無論、各部隊指揮官として設計 された者が大多数である為、知能指数に優れ、皇国では科学者や研究者に天使系種族は多い。陸軍総合技術研究所の紋章が天使の白翼である点からもそれは窺い 知れる。

 家令を勤めている権天使……マルギエルが、身体隠して翼隠さずのヨエルから毛布を剥ぎ取るが、ヨエルは六枚翅で顔と身体を隠し、両手で寝台へとしがみ付く。寝台という領土を守るべく徹底抗戦の構えである。

「本当に宜しいのですか? 熾天使」

 ただ一人となった熾天使のヨエルであるが故に、熾天使との呼び方はヨエルを指すものに等しい。私的な場面ですら名ではなく種族名で呼ばれる事が大半である。

「宜しいの! ちょっと煽った程度で暴発する平和主義者なんて似非でしょう」左中の翅をぞんざいに振り払う。「起きられぬというのであれば、退出できません」マルギエルはぶちりとヨエルの羽根を毟る。

 痛みに飛び起きたヨエルは、寝台の上で思わず正座する。黒翼を白に塗装した悪魔ではないのかという疑念を家令に向ける熾天使。

「この混乱は玉座に侍る者として看過し得ないものでは? 近衛の座天達も困惑していますよ?」

 マルギエルの声音は上ずっている。意外と小心である。熾天使の羽根を毟るまでが許容範囲なのかも知れない。無論、天使の階位の中でも上位三隊の最上位に位置する熾天使の羽根を毟る行為も大概であるが。

「どの道、必要でしょう? 歴代天帝陛下の国営方針の大転換。急激に成すというのであれば、今上天帝陛下の勅令が必要。でも、居られない。なら、それは血涙で贖われるべきでしょう」

 無論、ヨエルとて、現状まで状況が悪化するとは想定していなかった。 

 クレアが行動を起こすというので、派手に左派を煽動した結果、連鎖的に左派勢力は暴動に加わるという悪循環が成立した。常日頃から憲兵隊や警務隊が踏み込む理由作りの為に撒いておいた軽火器は、彼らの武装蜂起を後押しする。

 実際、クレアの暗躍による公爵邸襲撃で、続く示威(デモ)行進はヨエルの煽動の結果によるものであるが、それらをトウカが驚く程の火力を用いて鎮圧した。それは最早、戦争と称して差し支えなく、過剰な鎮圧……虐殺は左派の怒りを掻き立てた。結果として武器を手にした左派が次々と政府中枢を襲撃するという事態に陥ったのだ。

 本来であれば、トウカと政府は相反する政策を執っている為、政府への攻撃には繋がらないはずだったが、与えた肩書が致命傷となった。

 トウカを戒厳司令官にしたアーダルベルトとファーレンハイトの思惑は、ヨエルにも理解できる。ヨエルにとり甚だ不愉快な話であるが、トウカの急進的姿勢を利用して彼による弾圧で左派勢力の権勢を排除しようと目論みたのだ。

 だが、トウカは想像を超えて殺した。殺戮の限りを尽くした。

 戦車による轢殺は、権力者の想像を超えて民衆に恐怖を植付け、飛行砲艦(カノーネンルフトシッフ)の巨大な騎体の威圧感は直接目にした者にしか理解できない。恐怖がヒトを攻撃的にするが、トウカの武力鎮圧はアーアルベルトとファーレンハイトの想像を超えた規模で行われた。大通り終端のバイロシルト広場では突入した約三〇〇〇名示威(デモ)隊に対し、重機関銃による制圧射撃まで加えられたとの報告もある。バイロシルト広場に誘導された上で、撃破されたのだ。裏路地や小道から逃げ散ろうとした示威(デモ)隊の面々は、待ち構えられていた警務隊と憲兵隊によって軒並み検挙された。漸減作戦とも言える効率と規模である。

 そうした状況で、トウカの戒厳司令官任命は二人と政府の意向によって実現したと知れた。

 それにより、トウカが政府と中央貴族の尖兵であるという錯覚を抱かせたのだ。当然、左派は国政が右派により占拠されたと受け取る。

「彼は自分の最も得意な方法で原状復帰を目指したの。悪くはないの」

「確かに。煽動した者こそが元凶です」

 ヨエルはマルギエルから視線を逸らす。

 だが、この一連の衝突によって、トウカに敵対的であり、対帝国戦争に尚も消極的な左派は駆逐されるだろう。情報部などは、帝国を含めた他国の関与が左派にはあったと、小札(レッテル)張りに勤しむ事は間違いない。ヨエルの撒いた軽火器は周辺諸国の者が主体である。左派と非合法暴力組織の繋がりの演出までをも手段(オプション)として用意しており、麻薬や人身売買の証拠も抜かりはない。

 ――トウカ君の邪魔者は纏めて排除できた。これで私も……

 トウカの猜疑心とは敵対勢力があってこそであると、ヨエルは考えていた。力関係(パワーパランス)を操作する者を彼が警戒するのは、力関係(パワーパランス)が存在するからであり、それは崩れた状態であれば、彼が必要以上の警戒を抱く事はないと考えていた。

「これで、この国は……私と彼はあるべき姿に回帰できるの」

 彼女は寝間着(ナイトガウン)を翻して、寝台より抜け出る。

 左派の鎮圧は時間の問題である。

 トウカの発言を、ヨエルは一切合切悉く、詳報として纏めさせているからこそ知っている。彼は武装蜂起(クーデター)状態が一週間続けば、内戦という定義に変更されるとしている。対応を治安維持から軍事作戦へと移行するのだ。恐らく、長期化により他国の介入などを恐れるが故に、期限としての一週間なのだ。

 自らの決めた定義を彼は満たさぬ為、原状復帰を急いている。再度の内戦という結果を避けるべく、武装蜂起(クーデター)に対して、治安維持による鎮圧の段階を初期で放棄し、軍事行動としての撃滅を選択したのだ。

 目的は実績と金銭である。再度の内戦と認識された場合、株価の急激な下落は避け得ないが、同時に早期の鎮圧により左派に壊滅的打撃を与えた場合、投資家 達は間違いなく、対帝国戦争への注力と、その指導にトウカが当たると読む。非人道的軍人に狂信的軍国主義者とも言われるが、同時に常勝不敗、当代無双との 呼び声も高いトウカであれば、投資家達は勝てると踏むだろう。

 彼は自身への信用を金銭に変える為に戦っている。

 歴史的に見て、戦争に踏み切る例として経済難への対処というお題目は枚挙に暇がない。

 世界恐慌後に始まった《独逸第三帝国》の再軍備計画などは、破綻か戦争かの二択を将来的に選択する為であった。それ以外は、元より選択肢すら残さないと いう強固な意志が見て取れる。追い詰められたが故に彼らは将来の選択肢を二つに絞ったのだ。どれ程の極端であったかと言えば、国家の金塊保有量がほぼ底を 突いていた点を見れば理解できる。非常時の財政出動すら行える余地がなかったのだ。国家規模の綱渡りである。

 当初、必要とした軍事費すら周辺数か国を併合した後の資産接収で満たした程で、民間経済は好転しなかった。彼らは、潔い経済破綻か戦争による富の収奪と負債踏み倒しかの二択の中、後者を選択した。

 そして、《独逸第三帝国》の博打は一面に於いて成功する。

 即ち、第二次世界大戦の勃発である。

 結果として彼らは大二次世界大戦で枢軸陣営として戦勝国に輝いた。しかし、《大日本帝国》宰相、保科柾則により、以降のナチスの権勢は苦難の道程となっ た。ヒトラー総統の死後、亡命政権の復帰を認めない事、軍備の制限という条件付きで欧州の複数国の再独立の動きが生じたが、《大日本帝国》宰相、保科柾則 はそれを積極的に破綻させる計略を講じた。

 強権国家の統治による占領地の社会基盤の脆弱化を切望したのだ。

 弾圧と迫害による反発からなる抵抗運動の激化と、対抗する為の虐殺……併合した国家の多くが戦火に晒され、支配者である《独逸第三帝国》諸共に国力を疲弊した。

 国家は金銭や資源の為に戦う。決して理想や主義の為ではない。

 トウカは、その辺りを弁えている。

 金銭的な利益の生じない戦争を避け、或いは利益が生じる様に誘導している。

 リシアが国家憲兵隊と商家に踏み込んだのも、敵対的な商家に言い掛かりを付けて潰す為であると、ヨエルは睨んでいた。左派と交流のある商家は次々と国家 憲兵隊による突入を受けている。戒厳令の権限により、各方面への根回しや捜査令状なしで踏み込めるとなれば、国家憲兵隊も日頃から尻尾を掴み切れない商家 に対し、見做しで家宅捜索を行う事を躊躇わないだろう。不正や国家反逆罪への証拠は家宅捜索の最中に見付ければいい。それらがなくとも、横領や不正献金の 事実を掴めば動きを封殺できる。その中で国防関係や治安関係の組織からのトウカに対する求心力は高まるに違いない。良くも悪くも、彼は常に為に戦う者の味 方である。

 そして、商家は皇州同盟側の経済政策に抵抗しなくなるだろう。対帝国戦後、著しく弱体化するであろう北部の経済基盤に対する蚕食を、トウカは先んじて阻 止する形となった。邪魔をすれば、軍靴で系列店を踏み荒らすと実演して見せた相手と、進んで敵対するものなどそうはいない。

 しかして、ヒトの恫喝に関して、トウカはよく理解しているが、それは万人を納得させえるものではない。何処かで必ず権威を必要とする時期が来る。

「私は玉座に侍る者……だけど、玉座なんて言葉は比喩に過ぎないでしょう。本質は権威こそあります」

 玉座とは天帝の権威を現す比喩に過ぎない。

 彼女は権威主義者である。権威主義体制下での専制政治こそを望む。

 専制政治とは、身分によって成立した統治者が被統治者と無関係に行う統治を指す。対する独裁は、大多数の国民からなる支持で権力を付与された独裁者によ る政治で、つまり統治者と被統治者の身分は同様ある。専制政治の場合は、統治者が身分として確立しており、統治者と被統治者が完全に分離している。統治者 の地位は法的には国民の支持ではなく、別の定義によって保証された。

 皇国の場合は、天帝が天霊の神々によって選出されるが、人間種の血を引いているという以外の定義は一切ない。しかし、天帝として招聘された瞬間より、皇 太子や摂政皇太子として爵位を得る。そして、統治者たる天帝の地位は、天霊の神々とその祭礼を担う神祇府によって保証された。

 天帝……天皇大帝を中心とした皇国の政治体制は、“皇権神授に依る極めて天帝の権限が強い立憲君主制”という異例の体制となっているが、それすらもヨエルには不満である。

 体制名からも分かる通り、立憲君主制の一部を踏襲しているが故に、国民が政治に関わる余地があるが、ヨエルはその点を憎悪してすらいた。

 確かに、近代化により国営のみに限定しても尚、貴族だけでは手が足りなくなった以上、民衆の支配者層への進出は止むを得ない部分がある。初代天帝は、そ の辺りを見越して衆議院を建国時に成立させたのだろう。労働には対価が必要である。なければ不満の温床となり、不公正は腐敗に繋がる。何より、意見が受け 入れる余地のない立場は意欲を削ぐ。

 近代化の歴史とは、統治の複雑化の歴史でもある。

 そして、統治に関わる者が増大すればする程に、その能力の平均値は低下する。

 現在、外で騒いでいる左派を見れば分かる通り、彼らは歴代天帝の方針に縋り付くだけで政治的視野など有してはいない。そうした者達が政治に介入するという恐怖は想像を絶する。

 ヨエルは、不特定多数として逃げる余地のある内は、民衆は政治に一切合切化悉く関わらせるべきではないと考えていた。高度に魔術と科学が進歩し、真に直 接民主制の短所を解消した後、参政権を与えるべきだと考えていた。尤も、そうした日が来るとは考えていないが。無論、暫くは野放図な自由主義や計画性なき 技術進歩から、不特定多数という隠れ蓑が肥大化するとも確信している。

 発言と行動が常に自らに反映されなければ、民衆は誠実に政治を考えない。

 ヨエルは、群れを成したヒトを信頼も信用もしてはいない。

 天皇大帝という奇蹟の体現者は、あくまでも多種族国家である《ヴァリスヘイム皇国》の種族的差異からなる不均衡を是正し、受け止める為にこそ成立した。政治的視野の欠如した民衆を(なだ)(すか)しながらの統治を行う為ではない。

 天帝が民衆の妄言に煩わされる余地など、権威を司る彼女には断じて許容できない。

「残念ながら歴代天帝陛下は、そうした考えを御認めに成りませんでしたが……」

 あなた方の愛した民衆の決断は、実に愉快な結果となったと、天霊の神々の御許へ召された際には伝えねばならない。ヨエルは胸中に(よぎ)った歴代天帝の表情に苦笑する。初代天帝辺りは「犠牲者が一万を超えていない? 誤差じゃないか」と嘯くであろうが。

 神々によって知能が担保された天使系種族であれば権威政治を支え得るが、一系統種族の政治占有は、他種族の遺恨を招く。現状からの、そうした動きは凄まじい反発を招く。つまりは、五〇〇〇年ほど手遅れである。

 神々の悪戯……ではなくヒトの欲望によって、トウカは皮肉な事に総てを従える権威ではなく、軍事力のみを先んじて手にする事となった。

 それが吉と出るのは対帝国戦役後までである。

 だから、それ以降の為、ヨエルは彼の背を守らねばならない。



 嘗て、彼の父君とそうであったように。



「取り敢えず、今は見届けましょう。だって――」

「――熾天使、そうもいかない様です」

 マルギエルが耳元の情報結晶端末を片手で押さえ、緊張の面持ちで告げる。

「サクラギ上級大将が訪問なされたと。ハイドリヒ憲兵少将とシャルンホルスト大佐も同行なさっているようです」

 皇都擾乱、その当事者達が邂逅しようとしていた。

 

 

 

 

 

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愛国心と言う卵から、戦争が孵化する。

        《仏蘭西共和国》作家 アンリ・ルネ・アルベール・ギ・ド・モーパッサン