第二三〇話 北大星洋海戦 二
「あの戦争屋は大した奴だよ、全く」
ヨシカワの呵々大笑に、小さな艦橋に詰める水雷戦隊司令部要員も笑声を零す。
オイゲン・ヨシカワ大佐は、エルシア沖海戦で複数の海軍戦艦を撃沈した英雄である。少なくとも、数奇な運命を辿っているシュタイエルハウゼン大将と共に皇国を代表する水上部隊指揮官として扱われていた。
戦艦二隻を含めた有力な水上砲戦部隊を囮にするという絶大なまでの御膳立てを経た上での戦果によって英雄となったヨシカワにとり、この一戦は自身の器量が真の意味で試される初めての海戦であった。彼の裁量こそが戦果を招くのだ。
「いや、もう戦争屋なんて名は相応しくないか。巷では国士公だったか?」
「はい、クルワッハ公やセラフィム公などにも匹敵する影響力を持つからでしょう」水雷参謀が応じる。
国士公。
それが皇国に於ける六番目の公爵の通名であった。
無論、トウカが正式に爵位を得た訳ではなく、公爵位を得るとなると天帝だけではなく、相応の合意形成も必要となる。現時点では二重の意味で公爵位を得る事は不可能であった。
一重にトウカが国士公と呼ばれるのは、その右派から見て国士に他ならない姿勢と公爵並みの権威と能力、実力を兼ね備えているからである。
実際のところ、トウカは国士公という言葉を酷く嫌っているが、彼等は知らない。
トウカは、天帝の権威を絶対視する権威主義者に踊らされて吹聴された異名であると見ていたのだ。
公爵位という絶大な権威に匹敵するという意識の大衆への植付けは、逆説的に言えば天帝の権威には及ばないと言っているに等しい。そして、公爵という天帝 に隷属する序列にあるかの様に印象操作を行う事で、その印象自体が天帝の権威への挑戦に対する難易度を上昇させる。北部臣民の支持を得て、戦争によってそ
れ以外の地域の臣民からの支持を取り付けようとしている中で、臣民の漠然とした望む姿から外れる真似をし難いと、権威主義者は考えているのだ。
そうした諸勢力の駆け引きによって生じた異名であるとは知らず、多くの軍人達は国士によって指揮統率されるという事実に陶酔していた。
〈第一重水雷戦隊〉に改編された重雷装艦六隻による単縦陣が夜の帳が降り始めた大星洋を進む。
暗き波濤を進むという恐怖心は、想像を絶するものがある。深く、垣間見ることすらできない水底の上を往く彼らは恐怖を振り払う義務があるが、それ以上の 戦果に逸る戦意が高揚を伴って恐怖心を減衰させていた。敵味方に発見されて砲撃を受ける恐怖心もあるが、それでも尚、彼らはヴェルテンベルク領出身者特有 の反骨精神を以て彼らは戦意を滾らせていた。
戦意が恐怖を押し潰す。
その戦意を肯定するのは国士公トウカだ。
彼の切先である事を彼らは矜持としている。戦士は勝てる指揮官こそを望むのだ。
「発砲炎確認! 砲撃間隔から推測するに戦艦群!」見張りからの報告。
緊張感の増す艦橋。
ヨシカワは艦橋中央に設置された梯子に手を掛け、慣れた動作で上ると天蓋に設置された見張台にしがみ付く。36ktの高速で夜海を進む小型艦の揺動は想像を絶するものがある。上下左右に揺れる艦のなかでも、中心線上から離れれば離れる程に揺動は増す。主楼に装備された見張台であれば、その揺れは想像を絶する。挙句に転落の際は左右が海であるのに大抵が甲板に叩き付けられるのだ。戦闘中であれば魔導障壁によって振り落とされることはないが、巡航中は魔力探知を避ける為、魔導障壁は展開されていない。
「よしよし、敵戦艦の右舷を捉えた。全艦左砲雷撃戦用意!」
ヨシカワが伝声管に怒鳴ると、待ち侘びていたとばかりに艦橋前、ヨシカワの真下で二連装二基の一五㎝連装砲が左舷を指向するべく旋回する。背後の金属音は二段五連装魚雷発射管が旋回する耳慣れた音であった。
「しかし、難しいですな! 酸素魚雷の長射程が裏目に出るとは」
後に続いて天蓋見張台に上ってきた水雷参謀が双眼鏡を手に朗らかな笑みを零す。戦野とは思えない。
九七式酸素魚雷はヴェルテンベルク領邦軍時代に、マリアベルが渇望した兵装である。
東西に伸びる限定空間と言えるシュットガルト運河沿いに複数の魚雷発射管を装備する事で、敵艦隊の流入を阻止するという目的を帯びて開発された代物であ る。長射程に視認性低下を求めて開発され、大規模な量産が成された。ヴェルテンベルク領邦軍時代の水上部隊の予算の二割が九七式酸素魚雷の生産に費やされ
ていた事からも分かるが、事実上の決戦兵器の一つである。それは、三連装魚雷発射管車輛という沿岸部で移動と展開が可能な装軌式の車載の魚雷発射管まで生 産されている事からも分かる。
故に段階的な改修が続いている。
残念ながら実戦配備を間近に控えた最新型の四型ではなく、三型を装備している為、火力としては低い。無論、各国海軍が使用している燃焼式の魚雷と比較す ると、その威力は高いが、トウカの命令によって製造されつつある四型は射程をある程度犠牲にして炸薬量を増加させている。水中爆発の威力を増加させた新型 の混合炸薬は、既存の炸薬よりも一・五倍近い威力を誇るとされていた。
実際、トウカが求めたのは航空魚雷への転用で、これは五型とされて小型化と新型混合炸薬の使用、木製空中姿勢制御安定板と角加速度制御安定装置の搭載が計画されている。安定した投雷……悪天候時の運用と浅深度でも使用可能とする為の措置である。
「なに、在庫処分と思えばいい。ここで射耗し尽せば次の補充で四型を頂けるだろう。何なら勲章と感賞の代わりに受領してきてやろう」半ば以上に本気でヨシカワは宣言する。
もう彼はこうした生き方しかできない。あの日あの時あの場所で戦艦を撃沈した瞬間から、彼は郷土の為に英雄という看板を背負い続けると覚悟したのだ。何 より、自身より遥かに若輩な男が軍神という看板を背負って、あらん限りの戦略と戦術で郷土でもない土地の為に身命を賭している。
故に年長者が後塵を拝する訳にもいかない。ヴェルテンベルク領の年長者は見栄を張る生き物なのだ。
「雷撃距離は六〇〇とする。迫るぞ」必中の意思を露わに、ヨシカワは命じる。
長射程にしても当たらなければ意味がない。雷撃戦では小型艦が確実性を期す為、敵艦に危険を承知で接近すると教育している中で、尚も長射程を必要とするのは矛盾している。一万m以上の射程が必要なものか。
そう、トウカは口にして新型魚雷の射程を犠牲にして高威力化を選択した。新型混合炸薬と炸薬量増加によって二倍の威力を誇るとされている。有言実行であった。
――本当に残念だ。
〈剣聖ヴァルトハイム〉のリンデマン艦長に聞く通り、海軍士官としての常識に疎い部分はあるが、戦略と戦術は精通している。挙句に海洋戦力の発展と変遷 の方向性を知悉している言動が見られるとの事で、戦艦の行く末は暗いと嘆いていた。トウカは巡洋戦艦の新造を進めつつも、戦艦に将来性はないと見ている。 建造中の巡洋戦艦も既存のものとは違った形になる可能性もあった。
不意に〈第一重水雷戦隊〉へ、帝国海軍戦艦から閃光が伸びる。
探照灯。
軍用のものならば一〇km遠方からの光でも手元の腕時計の時間が分かる程の光量を有している。当然、至近で受ければ失明を免れない。夜戦の際は時間喪失を防止する為、常に点灯した状態で蓋を閉めた状態で保持されている為、照射開始時点でその光は強烈である。
「閣下! 気付かれました!」
「思い切りのいい指揮官だ。進路其の儘!」
薄暗い視界を払拭する為であろうが、その光源は格好の標的となる。照準も容易となるのだ。
魔術の運用による探知を避けるべく、探照灯は導通させると熱電子放出効果を持つ特殊な鉱石が用いられるが、これの連続照射時間は一五分に満たない。交換を踏まえれば安易な照射を躊躇する指揮官も少なくなかった。
迎撃の砲弾が周囲に着弾し始めたが、その水柱の群れを一瞥し、ヨシカワは好都合であると含み笑いを零す。
多数の魚雷を抱えた重雷装艦は、洋上の弾火薬庫に他ならない。一発の機銃弾が魚雷発射管に装填された魚雷の炸薬に直撃すれば、忽ちに全ての魚雷を巻き込んでの誘爆に発展する事は間違いない。生存者の期待できない轟沈である事は疑いない。
敵の副砲による砲撃に合わせ、天頂に傾斜して展開された魔導障壁が露天に等しい見張台に降り注ぐ海水を左右へと押し除け、海へと瀧の如く流れ落ちる。しかし、跳ねた少なくない水滴が見張台を襲う。
「こいつはいいな! 水浴びの手間が省ける!」
「海水で水浴びとは剛毅なことで!」
ヨシカワと水雷参謀の会話に、見張員達が顔を引き攣らせる。三畳に満たない見張台ゆえに二人の会話は、寧ろ下の艦橋にも届いていた。ちなみに海水である以上、乾いても不快感を伴う事は避けられない。
「報告、敵戦艦群、速度低下しつつあり!」
見張員の報告に、ヨシカワも双眼鏡を手に敵戦艦を睨む。
――海軍の戦艦め。下手を打ったな。
被弾した艦はあれども、落伍しつつある艦すら未だ発生していない以上、指揮官の意志で速度を落としたと考えるのが自然である。然したる被害を見受けられ ない中で速度を低下させるという事は、友軍戦艦の行き足が低下しつつある状況に合わせたか、或いは自艦の揺動を軽減して砲撃精度を向上させる意義を見い出 したかである。
「戦隊司令! 海軍の戦艦が五隻被雷した模様。沈没確実は三隻とのこと」通信士が艦橋からの梯子を上って顔を出して報告する。
「あの一〇時の方角の奴か。奇怪な船だな! 有翼の軍艦とは面白い!」
敵戦艦の進行方向から姿を見せ始めた小型艦の一軍にヨシカワは双眼鏡を向ける。多数である事から艦首が散らす白波が目立つ。
「閣下、海軍の無線を傍受した限りでは、敵の小型艦は極めて高速とのことです」通信参謀が伝声管から報告するが、ヨシカワは眉を顰める。
「四〇kt程度に見えるが……」
高速ではあるが、その速度は皇国海軍で試験中の次世代艦隊型駆逐艦程度と同等と見受けられる。艦自体は小型であるが、水上艦に珍しい両端に浮舟が装備された両翼を持ち、内燃機関の黒煙を吐き捨てるかの様に進む姿は酷く盛大で視認性が高い。
「中々、喫水線下が特殊らしいな……」
あれでは魚雷が当たるかも怪しかろう、とヨシカワは胸中で嘯く。
荒波に揉まれて時折覗く喫水線下は極めて浅く、複数の突起物が見える。既存の艦艇とは異なる構造と推進方式を採用しているのだと察したヨシカワは、無理 を押し通した帝国海軍の覚悟を見た。喫水線下が浅い以上、速度は優れるかも知れないが、外洋航行に適さない程の揺動が生じる事は疑いない。高波で転覆して
も不思議ではない様に思えた。無論、本来であれば外洋航行自体が不可能である筈なので、両翼と艦底部の構造物による効果であろうが、水雷屋に過ぎないヨシ カワには与り知らぬ効果である。
「あの小型艦は無視する。幸い此方に向かっている様子もない」
恐らくは魚雷を射耗し尽した故に戦域離脱を図っているのであろう事は疑いない。〈モルゲンシュテルン〉の偵察騎が発見した母艦群を目指しているのだろう。回収されるに留まるか、魚雷を再装填しての再出撃か。そこまでは判断が出来ない。洋上補給の難易度は極めて高い。
「艦載騎が小型艦に攻撃を開始した模様!」見張員の報告。
小型艦の上空を見れば、小粒の様な航空機の一群が航空爆弾と機銃による攻撃開始している。小型艦は高速であるが、航空騎の速度とは比較できない。
「脆いな」
次々と黒煙と火炎を噴き上げて速度を落とす小型艇。恐らく、高速性を発揮するべく装甲を装備していないのだろう。大型艦に必殺の一撃である魚雷を使用する小型艦艇は、基本的に非装甲である事が多い。航洋性の為に必要な構造強度のしか与えないのは複数の理由がある。
元より小型である為に、戦闘艦に必要最低限な装備しか詰め込む余裕がないという理由に加え、そもそも小型艦に施せる程度の装甲では大型艦の艦砲はおろ か、小型艦の艦砲にすら耐えられないという点が大きい。よって、装甲よりも速度に重きを置く事で回避能力の向上に期待したのだ。攻撃時、有利な位置に迅速
に展開するという事は、攻撃を受ける時間を短縮するという目的もある。確率論として砲戦を見た場合、交戦時間の短縮は敵艦の手数を純粋に減少させる事に繋 がり、被弾率を低下させる。
挙句に小型艦は航空騎を迎撃すらできない。
帝国海軍に限らず皇国を含めた各国海軍艦艇に搭載されている火砲は基本的に平射砲の血脈を継いでいる。対空目標に対する攻撃には適していない。仰角限界の都合上、砲を目標に指向させられないのだ。
魚雷を再度抱えて姿を現す事を心配する必要はない。
戦艦の副砲による水柱が乱立する中、彼らを邪魔するものは確実に減少していた。
「敵三番艦、後甲板に火災発生!」
「友軍艦がやったか。丁度いい松明だ。少し遠いが……目標、敵戦艦軍、左雷戦開始!」
友軍戦艦と射線が交錯する位置ではない。直撃しなかった魚雷は友軍戦艦群の進行方向に抜ける。
次々と響く圧搾音は魚雷を射出する圧空によるものである。
〈ロスヴァイゼ〉型重雷装艦は強力な水雷装備を備えた艦であるが、それは無理を重ねた結果でもある。過積載を避ける為、主砲塔と魚雷発射管を艦中心線上 に備えているが、マリアベルは当初の予定であった六基の六六㎝五連装魚雷発射管……三〇射線という魚雷数に納得しなかった。不足しているという理由もある
が、複数の戦艦建造と維持は不可能と見て大規模雷撃戦への転換が決まった中、必要とされたのは一度の雷撃で圧倒的な射線数を誇る艦艇である。
故に六基の六六㎝五連装魚雷発射管を二段とする事で射線を二倍にしたのだ。
上下段の同時発射は魚雷が接触する為に不可能であるが、時間差を付けての発射で対応する事で六〇射線による雷撃を可能とした。
そして、エルシア沖では四隻であった同型艦は建艦計画に基づいて、残存の〈ベルディア〉型軽巡洋艦二隻を改装する事で六隻へと増強された。
重雷装艦六隻、合計三六〇射線の雷撃。
住宅一軒分の単価に匹敵する酸素魚雷による大規模飽和雷撃。それでも尚、複数の戦艦による戦隊の建造と維持と比較して安価に済むという判断からである。戦艦の砲艦外交の価値や海上権勢の象徴という部分を求めず、純粋に安価な敵艦隊撃破の方法のみを求めるという点が、実にマリアベルの在り方を表していた。
「〈ロスヴァイゼ〉魚雷発射完了!」
「〈エルトヴァイゼ〉魚雷発射完了!」
「〈アルトヴァイゼ〉魚雷発射完了!」
「〈アウフヴァイゼ〉魚雷発射完了!」
「〈グランヴァイゼ〉魚雷発射完了!」
「〈ザールヴァイゼ〉魚雷発射完了!」
次々と魚雷発射を終えた報告が響くが、その時、甲高い金属音がヨシカワの耳を貫く。
被弾による貫通。
長年の経験による直感が被弾を伝える。
「二番魚雷発射管に直撃弾! 第二水雷分隊は全滅!」
その一言に、ヨシカワは表情を強張らせる。
発射前に直撃していたならば火柱となって〈ロスヴァイゼ〉は水底へと引き摺り込まれたであろう。酸素魚雷六〇本の誘爆は、然したる装甲のない軽巡洋艦の船体を粉微塵にして余りある威力を持つ。二本受ければ戦艦が大破するとされる威力の魚雷なのだ。
「〈グランヴァイゼ〉被弾! 後部艦橋倒壊の模様!」
一瞬の逡巡。
重雷装艦に改装されたとはいえ、軽巡洋艦であった頃の備砲は未だ搭載されている。二連装一五㎝砲三基は駆逐艦程度であれば相手にできる火力と言えた。件の小型艦の貧弱な備砲を見るに、十分に撃破は可能である。
「戦域より離脱する! 我々の義務は果たした」
無数の戦艦の副砲が砲撃し続ける中での戦闘は危険が大き過ぎた。戦艦の副砲は口径で軽巡洋艦の備砲に匹敵し、片舷への投射門数は艦型次第であるものの、一〇門を超える艦も存在する。
彼らは戦海の通り魔としての役目を終えて逃走を開始した。
「サクラギ元帥の深謀に助けられました」
航空参謀のアルトシェーラは端的な結論を口にする。
無様を見せた〈聨合艦隊〉を〈大洋艦隊〉が支えた。海軍の窮地を皇州同盟軍が助けたのだ。
噂の重雷装艦が接近している事は、帝国海軍戦艦の副砲が砲撃を始めるまで気付かなかった。敵戦艦を挟んだ先の艦艇を発見する事は困難である。
「我々を不安視して非公式に艦隊を随伴させていたのか……いや、我々を囮にしての戦果拡大を図っていたのだろうな」
それでも借りは借りである。
〈聨合艦隊〉優位で始まった艦隊戦だが、不利に追い遣られたのは皇国海軍戦艦の練度不足が原因である。想定外の乱入者による雷撃で複数の戦艦を戦列より失った事も戦術的失敗に含まれる事は疑いない。
皇州同盟軍〈大洋艦隊〉は、それらを補う活躍を見せた。
「〈第一重水雷戦隊〉より通信」艦橋へと駆けてきた通信士が報告する。
一斉に艦橋要員の視線が一人の通信士へと集中する。
「戦艦三隻分の槍働きを以て謝罪とす。とのこと」
通信文の内容に、参謀達が何とも言えぬ表情となる。未だ砲戦の続いている中での光景とは思えない。
「一隻分多めに返しているだろうに」
エルシア沖海戦に於いて皇国海軍戦艦二隻を撃沈し、一隻を大破座礁させた事を指しての言葉であると察したヒッパーが溜息を一つ。
海軍として無様を晒しつつある状況に手を差し伸べられた以上、艦隊戦に通告もなく乱入した点を責め難い。寧ろ、連絡武官によって手渡された封緘書類の内 容曰く、〈第一重水雷戦隊〉は〈第一航空艦隊『サクラギ機動部隊』〉の戦闘序列にあるとの事で、艦隊戦を求めて北上する〈聨合艦隊〉の後方警戒として展開 していたという“方便”である。
索敵騎による長距離偵察を行いながらの北上に後方警戒が必要な筈もない。圧倒的なまでの広域索敵の実現は、迂回と後方からの奇襲を不可能と成さしめた。それを成すには空母機動部隊からの攻撃隊……戦爆雷連合による航空攻撃があって初めて敵う。
アルトシェーラは海軍航空隊の将来を信じて疑わない。海面下が戦場になる事を知らぬ彼女は、海軍航空隊が古今無双の矛となり得ると無邪気に信じていた。
「沈没艦一隻。落伍に大傾斜が三隻。加えて此方は頭を抑えつつある。このまま敵を圧倒するぞ!」
遊撃艦の大群の乱入によって、一斉転舵による横列陣で中央突破を図るという死山血河の近接砲戦を覚悟していたが、〈第一重水雷戦隊〉の大規模飽和雷撃に よ、戦況は振り出し……優位となった。魚雷による被害は敵戦艦群が上回っている。挙句に一番艦が被雷した為、艦隊進路が左へ逸れた事で混乱が生じている。
好機であった。
〈聨合艦隊〉の被雷した三隻の戦艦……〈オルドニシア〉、〈ザールラント〉、〈カンバーラント〉は二本から三本の魚雷を受けて洋上停止している。海水が流入する状況で航行を続ければ、流入量が増大し、圧力で防水隔壁が破断する恐れがあった。隔壁閉鎖と排水装置による排水は皇国海軍の優れた被害統制能力を見せつけている。
対する帝国海軍の戦艦は、傾斜を止められないでいた。
無論、ヴェルテンベルク領邦軍時代からの狂気染みた威力の酸素魚雷による損傷が甚大であるという理由も大きいが、帝国海軍艦艇が基本的に防禦機構として採用している浮力保全式防禦にも問題があった。
喫水線下への被害は浸水を招き、浮力を低下させる。帝国海軍はそれに対し、浸水時に損なう浮力を最小限にする方式として、浮力保全式防禦を採用した。内 容としては単純なもので、装甲である外殻と内側の内殻の間に無数の缶と呼ばれる空気を封入した鉄箱を敷き詰めるというものであった。これにより、浸水時に 箱が浮力を発揮するのだ。水密区画を缶によって更に細分化するというものである。
しかし、これは期待された程の効果を発揮しない。
缶が浸水に対して浮力を発揮するのは確かであるが、爆発が効果範囲の缶の大部分を押し潰してしまうからである。外殻と内殻の隙間という密閉空間に向けて炸薬が炸裂する事で敷き詰められた缶に対する爆発力が増加するのだ。
結果として、帝国海軍の戦艦四隻は被害を受けた左舷の浮力を大きく喪失しつつある。流入する海水は内殻の破孔から艦内に流入し、防水隔壁は大流量の前に少なくない数が破断を余儀なくされた。
そうした中、猖獗を極める帝国海軍戦艦群の艦列を、友軍戦艦群の砲撃が本格的に命中し始めた。
速度が大きく低下し、航行序列の混乱が生じている為、測的が容易になった結果である。
そうした状況下だが、皇州同盟軍の乱入が再び始まる。
「一〇時の方角! 距離三〇〇〇! 〈第一機動部隊〉が航行中! 〈モルゲンシュテルン〉です!」見張員の悲鳴染みた報告。否、悲鳴であった。
世界初の航空母艦であるが、帝国海軍からすると単艦で首都に戦略規模の被害を及ぼした疫病神である。
その航空母艦が戦艦同士の砲戦の最中に接近するという好機。
結果として、戦海での狂騒が始まった。
強引な進路変更を試みる帝国海軍戦艦群に対して、皇国海軍戦艦群は割って入る進路で阻止する構えを見せる。
熾烈な砲撃戦が展開されるが、戦列を乱したままに転舵した帝国海軍戦艦群に対し、皇国海軍戦艦群は決定的に丁字を形成する事に成功する。帝国海軍戦艦群 は旗艦である一番艦〈インペラートル・マクシミリアーノヴィチ〉が被雷により大破落伍した事による指揮系統の回復には未だ至っていなかった。否、悪化して いた。〈第二戦艦戦隊〉と〈第四巡洋戦艦戦隊〉の間で指揮権争いが発生していたのだ。
特権階級を階級序列にまで持ち込んだ帝国海軍の弊害が姿を見せ始めた。貴族将校による指揮権争いによって帝国海軍戦艦群は二手に分かれる事となる。
戦艦と一部の巡洋戦艦。
元より帝国海軍内では、主力艦派閥の二大巨頭として戦艦派と巡洋戦艦派が鎬を削っている。よって、今現在、起きつつある戦況も二つの派閥の性格が出た。
敵戦艦群との砲戦を優先した戦艦と、優速を利して航空母艦への肉薄を試みた一部の巡洋戦艦。
これには〈聯合艦隊〉司令部の面々も慌てた。不利な戦況下で艦隊を分割して航空母艦の撃沈を試みるという行為は一種の自殺行為に等しい。しかも、〈第四 巡洋戦艦戦隊〉の巡洋戦艦二隻が戦列から離れた場合、残存兵力は戦艦二隻と巡洋戦艦一隻となる。対する皇国海軍は一四隻の戦艦の内、被雷で三隻が撃沈。二 隻が落伍しており、残存は九隻であった。
陸上でも困難な戦力差であるが、海上では更に彼我の戦力差は顕著な結果となる。
「航空攻撃を避ける為に分散して逃走した遊撃艇の一部と交戦。〈モルゲンシュテルン〉は既に高角砲の猛射で一隻を撃沈しているとの事です」
「ええい! しかし、空母が撃沈されては拙い! 政治を取るか、帝国海軍は!」
アルトシェーラの放置してはどうかと促す提案を、ヒッパーが切って捨てる。
重巡洋艦四隻を護衛にしている以上、航空母艦に攻撃を加えるのは容易な事ではない。ヴェルテンベルク領邦軍艦政部設計の重巡洋艦が皇国海軍の重巡洋艦と は対照的に強力な雷装を備えている事は、永久貸与された重巡洋艦の性能諸元によって判明している。彼らの艦艇は安定した総合性能よりも、予算と船体規模を 度外視した上での高性能化に重きを置いていた。
端的に言えば、予算に縛られない建艦計画に、運用上の制限を度外視。ただ重武装と重装甲を実現する為に船体規模を大型化して、それを高出力魔導機関で無 理矢理航行させるというものである。それは〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦を見ても分かる。皇国海軍に於ける最新鋭重巡洋艦である〈グラウデンツ〉
型の一・五倍近い基準排水量をしていた。無論、代償として旋回半径や被弾面積の増大を招いているが、彼らは二隻の通常性能艦よりも一隻の高性能艦を建造す る選択をしたのだ。
無論、それはシュットガルト運河という限定空間で展開可能な艦艇数が制限されるという特殊な制限がある為であるが、一昔前の旧式戦艦に迫ろうかという威容を持つ〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦は二隻の巡洋戦艦の航空母艦への接近を躊躇させた。
〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦の艦首側に主砲塔を集中配置するという特異な形状を最大限に生かす為、丁字の形成を捨てて〈モルゲンシュテルン〉より離れる形で艦首を向けて単横陣で応じた。
艦艇を横一列に展開する陣形であり、敵艦との距離がある為、仰角を掛けた〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦は、全砲門での砲撃が可能であった。艦首側に主砲塔を集中配置した為、敵艦に艦首を向けて被弾面積を最小限にしつつも主砲火力を最大限に発揮でるのだ。
〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦四隻と、〈グリゴリー・エフィモヴィチ〉型巡洋戦艦二隻は共に横縦陣の構えを取った。
〈グリゴリー・エフィモヴィチ〉型巡洋戦艦二隻の進路妨害ではなく、重巡洋艦でありながら巡洋戦艦を火力によって撃破する意図を見せた姿に〈聨合艦隊〉司令部は仰天した。
本来であれば、〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦四隻……〈第四巡洋戦隊〉は敵艦を阻止する進路を取るべきである。
しかし、〈第四巡洋戦隊〉は横縦陣で展開し、最大艦速を以て〈グリゴリー・エフィモヴィチ〉型巡洋戦艦二隻と正面から衝突する。
先手を打ったのは、意外な事に〈第四巡洋戦隊〉であった。
〈グリゴリー・エフィモヴィチ〉型巡洋戦艦は三連装三六㎝砲を前後甲板に計四基装備し、射程と威力で〈グラーフ・カレンベルク〉の主砲を優越している。故に先に砲撃を開始するはずであった。
しかし、〈グラーフ・カレンベルク〉は長砲身の六〇口径二〇㎝砲を搭載していた為、〈聨合艦隊〉の予想を裏切った。
〈第四巡洋戦隊〉の重巡洋艦四隻、合計四八門による斉射。
第一射目からの斉射。それは敵一番艦と思しき〈聨合艦隊〉から見て南方の〈グリゴリー・エフィモヴィチ〉型巡洋戦艦に集中した。意趣返しを兼ねた、旗艦と思しき敵艦への集中砲火と言えばそれらしいが、当然ながら砲火が集中し過ぎて測的に影響が出る。
艦隊指揮として余りにも不自然なそれを見たヒッパーは一個戦隊を抽出して支援するべきかと悩む。
既に〈聨合艦隊〉戦艦群と〈第五辺境艦隊〉戦艦群の交戦は終息しつつある。
〈第五辺境艦隊〉は敗走しつつある。
元より艦艇数で劣っていた結果として、〈第五辺境艦隊〉は艦隊決戦に敗北しつつある。特に水雷戦隊同士の衝突での優位が皇国海軍に勝利を齎した。皇国海 軍の水雷戦隊は帝国海軍の水雷戦隊を翻弄し、一部は果敢に帝国海軍の巡洋戦隊へと雷撃を敢行した。元より重巡洋艦の総数で勝っていた〈聨合艦隊〉の優位は 確実なものとなった。
全体として、戦艦同士の砲戦のみが苦戦する結果となった。
〈聨合艦隊〉の水雷戦隊と巡洋戦隊の大多数は追撃に移っているが煙幕展張を図る〈第五辺境艦隊〉は少なくない数が離脱に成功するだろう。
そうした戦況下で〈グリゴリー・エフィモヴィチ〉型巡洋戦艦二隻と〈第四巡洋戦隊〉は戦闘を続けている。
挙句に非効率的な艦隊指揮を以て〈第四巡洋戦隊〉は交戦していた。
しかし、彼らの疑問はヴェルテンベルク領邦軍水上部隊艦艇の独自性を知らぬが故であった。
「敵巡洋戦艦、被雷! 雷撃です!」
見張員の言葉に、ヒッパーは言葉を失った。
「ふん、海軍の連中め。不甲斐ない」
〈第四巡洋戦隊〉の戦隊司令を勤めるカレルヴォ・レイヴォネンは痩身を揺らして毒を吐く。
エルシア沖海戦で撃沈された重巡洋艦〈オルテンハウゼン〉艦長を勤めていたレイヴォネンは、皇国海軍の不甲斐ない姿に苛立ちを隠さない。彼に取り自らの 乗艦を撃沈した皇国海軍が無様を見せるという事は赦し難い事であった。彼らが強敵であるからこそ、激戦を繰り広げた〈オルテンハウゼン〉の撃沈は意味を持
つ。脆弱な相手に負けたなどと思われるのは、レイヴォネンや〈オルテンハウゼン〉の乗員にとり屈辱の極みである。
「装甲の薄い巡戦だ。艦首が拉げれば鱈腹と海水を飲む事だろう」
レイヴォネンは巡洋戦艦が脆弱である事を良く理解している。否、厳密には巡洋艦の脆弱性を知悉していた。ヴェルテンベルク領邦軍艦隊時代より巡洋艦一筋であるが故に、巡洋戦艦という兵器の脆弱性を危険視し続けている。
巡洋戦艦は、戦艦との砲戦を前提としながらも、戦艦の艦砲に抗するだけの装甲を備えていない。優速を利して位置的有利を確保し、敵艦撃沈までの時間を短縮するという理念が皇国海軍では提唱されているが、実情としては多大なる困難を伴う。
優速と表現しても巡洋戦艦は戦艦に対して良くても四~五kt程度である。圧倒的に優位な速度という訳ではなく、更に高速な巡洋艦や駆逐艦に妨害される事 に変わりはない。装甲を弱体化させてまでの意味がある速度増加とは言い難い。敵艦の進路妨害を担うのであれば多数の巡洋艦と駆逐艦を揃えるという手もあ
る。現にヴェルテンベルク領邦軍艦隊はそうした方針を取っていた。戦艦を多数運用できない貧乏人の方便とも言えるが。
どちらにせよ、装甲が薄い時点で敵戦艦との砲戦には打ち負ける。速度があれば離脱が容易であるという意見もあるが、エルシア沖海戦や眼前の海戦を見るに装甲の脆弱性による被害は容易に速度低下を招いた。慈悲はない。
「シュタイエルハウゼン提督の様な敢闘精神には欠ける様だな」
座礁しての砲撃戦と陸戦隊による抵抗まで行ったシュタイエルハウゼンは、軽妙な性格とは裏腹に皇州同盟軍内で闘将として評価されている。
艦首を目に見える程に欠損した〈グリゴリー・エフィモヴィチ〉型巡洋戦艦の姿に、艦橋が沸き立つ中、レイヴォネンは指揮官席で軍帽を被り直す。
「砲撃目標を敵二番艦に変更。各個撃ち方に戻せ」
一番艦への集中砲火は雷跡を気取られぬようにする為の欺瞞であった。乱立する水柱は見張員の視界を塞ぐ。
〈第四巡洋戦隊〉は一種の博打を以て巡洋戦艦二隻と相対した。
艦首を向けている巡洋戦艦という雷撃し難い相手に敢えて雷撃をするという無謀は、〈聨合艦隊〉司令部にすら把握できなかった。それ故に巡洋戦艦二隻は気付きもせず、回避運動すら取らなかった。
無論、博打であったが、相応の打算もあった。
皇州同盟軍の酸素魚雷は弾頭部全体が信管となっている。厳密には弾頭部の信管の先端部を魚雷の直径と同等の部品で覆っており、命中時にはこれが押し込まれる事によって信管が作動する。外観上では然したる違いは見受けられないが、信管の不良率は大幅に低減された。
何より、最大の長所は命中時の角度によって信管が作動しない問題を解消した事にある。
ヴェルテンベルク領邦軍艦隊時代より、シュットガルト運河を主戦場の一つと想定していた為、その東西に伸びた運河での艦隊戦に特化した艦艇や兵器が少な くない。その一つとして、敵艦正面に対する雷撃時の信管の動作不良解消が行われたのだ。運河の地点によっては、互いに正面からの衝突となりやすい都合上、
海上の様に片舷を向けた敵艦を雷撃する事が難しい。よって被弾面積が狭い上に、鋭角でもある艦首に対する雷撃という場面が生じると推測された。エルシア沖 海戦の様に、開けた部分など運河には少ないのだ。エルシア沖海戦はバルシュミーデ子爵領を巡る政治が戦場を固定したが故に発生した事からも分かる通り、ト ウカは雷撃を主体とできる戦場での衝突を予期していた。
無論、エルシア近郊での海戦が不可能な場合、後退によって主戦場を変更する腹積心であった。最悪、シュットガルト湖まで後退。誘引して島嶼部に展開して いる対艦攻撃騎部隊との共同攻撃も視野に入れていた。その場合、エルシアで交戦中のザムエル隷下の部隊は一時的に内陸部に避難する必要はあるが。
兎にも角にも、彼らは正面からの戦闘という手段を想定していた。狂信的な程に。
建造途中で陸上戦艦転用された海防戦艦の代艦として建造された〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦はその一隻であった。艦首側に主砲塔を集中配置し、魚雷発射管も艦首側への投射を前提としている。
魚雷発射管に関しては、使用時には艦外へ軌条で 移動する形で展開し、両舷より前方に投射する方式が採用されている。狂信的なまでの前方投射能力への傾倒は、常に被弾面積を低減できる艦首を向け続けて戦
闘を行う為であった。加えて、主砲塔を集中配置した為、集中防禦に優れ、皇国軍重巡洋艦の中でも最大の装甲厚を誇っている。
そうした経緯から〈第四巡洋戦隊〉の横縦陣での突撃は、〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦の特性に合わせたものであった言える。
沸き立つ艦橋の中、レイヴォネンは四隻で合計六四本の魚雷を一隻の戦艦に投射して命中が一本という現状に戦慄していた。無論、戦艦を建造し、維持する事 と比較すれば費用対効果には優れるが、命中しなかった場合、格上の巡洋戦艦相二隻手に熾烈な砲撃戦を行わねばならなかった。
当初、レイヴォネンは側面に迂回して敵艦の舷側を狙うべきであると考えていたが、参謀の意見を受け入れて〈モルゲンシュテルン〉への接近阻止をする形での展開を命令した。
この一戦を以て皇国海軍でも雷撃戦が見直されるが、当事者である皇州同盟軍では通常魚雷での雷撃戦の限界を見ていた。
「躊躇うな! 最大戦速で接近せよ! 貫徹できずとも廃艦にする事はできる!」レイヴォネンは苛烈である道を選択した。
皇州同盟軍〈大洋艦隊〉となった今でも、ヴェルテンベルク領邦軍艦隊時代の見的必殺の精神は健在である。例え、魔導障壁があれども複数の二〇㎝砲を直撃させれば飽和させ得るのだ。
横縦陣で増速した〈第四巡洋戦隊〉は果敢に砲撃を繰り返しつつも急速に〈グリゴリー・エフィモヴィチ〉型巡洋戦艦二番艦と距離を縮める。
「三番艦、被弾! 左舷中央!」見張員の報告。
レイヴォネンは全方位映像によって戦海の光景が見れる中、敵巡洋戦艦を一身に見据えていた。参謀や艦橋要員が横縦陣で並走する〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦、三番艦〈ラントグラーフ・ブルクヴィンケル〉に視線を向けるが気にも留めない。
「構うな! 砲撃できるならば問題はない!」
速度低下しても離脱を認める心算はレイヴォネンにはなかった。持ち得る艦砲の全てを投じて〈グリゴリー・エフィモヴィチ〉型巡洋戦艦二番艦の上部構造物を粉微塵とする覚悟である。非装甲の測距儀などを破壊できれば、砲戦能力を削ぐ事も期待できた。
巨いなる怪物に挑みかかる四人の精悍な槍騎兵を思わせる姿。
常に強者に挑む事を強いられたヴェルテンベルク領邦軍の過去を持つ彼らは、危機に在って尚、一歩踏み出す事が活路を見い出す必要最低限の行為であると信じて疑わない。勝利と生還の途は常に前方に在る。
〈グリゴリー・エフィモヴィチ〉型巡洋戦艦二番艦は、副砲までが砲撃を開始させる。それ程の距離での砲戦。〈グラーフ・カレンベルク〉の周囲に副砲の砲撃による水柱が次々と上がる。
魔導障壁を貫通し、被弾による被害が次々と報告されるが、レイヴォネンは気にも留めない。主要防禦区画を防護する形で魔道障壁を展開している上、戦艦と は言え、副砲は軽巡に搭載されている程度のものに過ぎない。無論、魔導障壁が展開されていない部分や非装甲区画の被害は蓄積する。
戦艦同士の衝突でも、主要防禦区画を魔導障壁の集中展開で防禦していたが、代償に非装甲区画などは甚大な被害を受けていた。時には魔導障壁が弾いだ跳弾による副次被害も発生する。
魔導障壁とて万能ではないのだ。
戦艦の主砲弾ともなれば、魔導車輌程の質量を音速で叩き付けるに等しい。魔導障壁とて多大な消耗は免れない。それ程の貫徹力と衝撃を相殺するのは戦艦規模の魔導機関の出力でも難しい。よって主要防禦区画の防御力強化に集中させるのが通例である。
無論、重巡洋艦の魔導障壁など装甲諸共に貫徹できるだけの威力を戦艦の主砲弾は有している為、意味のない努力とも言える。
「戦隊司令、此方の高角砲も敵艦を射程に捉えました」
「よし、各個撃ち方始め!」
既に主力艦の決戦距離としては至近とも言える距離の中で、双方は相手に届き得る火器の全てを動員して敵艦を打ち据えようとしていた。
既に双方の全ての艦が魔導機関の過熱で魔導障壁を解除し、航行に注力させる状況であった。
「〈ラントグラーフ・ブルクヴィンケル〉、艦尾に直撃弾! 戦列を離れます! 舵をやられた模様!」
「構うな。戦闘を継続する」
舵を損傷した場合、当然ながら進路の自由を失うが、舵が傾いたままに固定された場合、進路が固定されて旋回するだけとなる例も少なくない。〈ラントグラーフ・ブルクヴィンケル〉もそうであった。
その場合、旋回しながらの砲撃となるが、当然ながら照準が複雑化する為に命中段は期待できない。加えて、〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦の前方投 射能力への傾倒は、艦尾側に対する艦砲射撃が不可能であるという代償を伴うものである。旋回しながらの砲撃ともなれば、砲撃不可能な時間が生じる。
「〈ラントグラーフ・ブルクヴィンケル〉、停止して砲撃を続行中とのこと!」通信士の報告。
彼らは航行をせず海上砲台となる道を選択した。
一方が洋上停止した状態での砲撃である為、命中率は向上するが、それは双方に当て嵌まる条件である。
「敵艦の三番主砲が沈黙しています」
電纜回路か旋回盤、測距儀が損傷したであろう報告。
既に〈第四巡洋戦隊〉の四隻も其々が少なくない手傷を負っている。
それでも尚、彼らは戦う。
しかし、海戦の終結を意味しない。
帝国海軍、〈南方艦隊〉が接近しつつあった。