第二三一話 通貨戦争
「水雷戦隊が突入します!」
見張員の報告に、アルトシェーラは息が詰まる感覚を覚えた。
先の〈第五辺境艦隊〉と〈聯合艦隊〉の衝突は、〈聯合艦隊〉の全戦隊に多大な被害を及ぼしたが、水雷戦隊や巡洋戦隊は終始有利な戦闘を繰り広げていた。 故に未だ〈聯合艦隊〉は十分な余力を残している。特に四個水雷戦隊は先の一戦で数を減じたとはいえ、未だ十分な数を要している。
何より、皇州同盟軍〈大洋艦隊〉の活躍は、重雷装艦も重巡洋艦も魚雷という兵器に支えられてのものであった。それは水雷戦隊所属の軽巡洋艦や駆逐艦も装備し、必殺の一撃と恃む長槍である。
彼らに成せて、我らに成せない筈かない。
その思いを胸に、四個水雷戦隊は突撃を開始した。
〈聯合艦隊〉司令部も、以前までの砲撃戦主体の戦闘だけではなく、雷撃戦にも勝算を見い出した。それ故に水雷戦隊による先行しての突撃が許された。後には重巡洋艦主体の巡洋戦隊が続いている。
次なる敵は帝国海軍、〈南方艦隊〉。
〈第五辺境艦隊〉と共同して交戦しなかったのは、根拠地に距離がある為であると推測されていた。彼らが沿岸都市への艦砲射撃を怖れている事は、トウカの 行った投資爆撃から容易に想像できる。皇国軍は都市を民間人諸共に焼き払う事に何ら痛痒を感じてはいないと、彼らは“誤解”していた。寧ろ、都市攻撃を国
内の戦意高揚の宣伝戦に利用しているが故に、彼らは〈聯合艦隊〉を帝国沿岸都市へ近づける事を看過するという選択肢を持ち得なかった。
海軍府司令部の推測であるが、第三国経由で「帝国沿岸都市を焼き払ってくれる」と皇州同盟軍の外渉官が盛んに嘯いている為に納得できるものがある。そし て、皇州同盟軍ならばやりかねない。帝都空襲に於いても艦載騎による空襲だけでなく、付近の寄港中の商船や通信所などは重巡洋艦の砲雷撃によって破壊して いる前例がある。
「どの水雷戦隊司令部も勇んでいるな」
「しかし、魚雷を射耗した駆逐隊も居ます」
皇州同盟軍〈大洋艦隊〉は、確かに規模と比して多大な戦果を挙げたが、水雷戦で使用した魚雷本数を踏まえると効率の良い攻撃手段とは言い難い。アルト シェーラは、ヴェルテンベルク領邦軍艦隊時代に重雷装艦が誕生した経緯も、期待した高威力長射程の新型魚雷の命中率は思いの外、宜しくない事に慌てて軽巡
洋艦を急遽改装したのではないかと考えた。元より計画しているならば、改装ではなく新造となると考えるのが自然である。
皇州同盟軍ほどの魚雷を要している訳ではない状況で果たしてどれ程の効果が期待できるのか。水雷屋は必殺の長槍と嘯くが、命中率を踏まえれば雷撃は槍衾でなければならない。
〈南方艦隊〉の戦艦は一〇隻を誇る。旧式戦艦二隻を加えた数であるが、火力は少なくとも重巡洋艦を優越した。対する〈聯合艦隊〉は一四隻の戦艦の内、 〈オルドニシア〉と〈ザールラント〉が被雷三発を受け、傾斜を止め得ずに総員退艦。海中に姿を没しつつある。片舷への短時間での度重なる被雷は復元能力を
超過した。〈カンバーラント〉は被雷二発を受けて大破。ある程度の傾斜復元には成功したものの速度が六ktにまで低下し、揚弾可能な傾斜にまでは改善しな かった為、駆逐艦二隻を護衛に退避しつつある。巡洋戦隊や駆逐隊も一割程度の撃沈乃至大破で戦列を離れている。巡洋戦隊も駆逐隊も戦隊と比して戦力比が大 きかった為、被害は少ない。
〈聯合艦隊〉残存戦艦は一一隻……砲戦で火力を減じた艦も存在する。対する〈南方艦隊〉は無傷の戦艦十隻であり、砲戦能力としては互角に近い。
「〈アウグスブルク〉の火災鎮火とのこと」
「〈エルザーラント〉の浸水軽微とのこと」
「〈イーゼンブルク〉の電纜回路修復完了とのこと」
次々と上がる現状報告にアルトシェーラは、次の艦隊戦でも勝利できると確信した。
しかし、引き換えに重傷を負うであろう被害を受けるという懸念を拭い去れなかった。
或いは、それこそが軍神サクラギの思惑なのかも知れない。
天使系種族のアルトシェーラは、確かに天使系種族による天翼議会の影響下にある。指示を受ける立場にある以上、相応の情報が開示されている。無論、軍の階級序列に服している以上、軍務より優先する事はないが、軍務に於ける自由度の範疇で天翼会議の意向に従っていた。
その天翼議会自体も、実際のところは混乱の渦中にある。
ヨエルの意向を受けた議会であるが、帝都空襲からのトウカとの連携姿勢に関しては、天翼議会も寝耳に水であった。ヨエルからは帝都空襲後に連携せよと “命令”が突然あり、混乱のままに航空歩兵部隊の編制へと邁進しつつあった。その中で、航空兵力の優位性顕在化に伴い、来たるべき海軍の航空主兵の中での 立場を築く事をアルトシェーラには求められている。
正直なところ、現状の海戦はアルトシェーラにとり期待外れな展開を見せている。
シュットガルト湖島嶼部の複数航空基地から基地航空隊が進発しての対艦航空攻撃が起こると予想していたのだ。基地航空隊の中型攻撃騎……中攻による雷撃による帝国海軍艦隊の撃滅。天翼議会は、それを予想していた。否、期待していた。
〈モルゲンシュテルン〉に長距離偵察騎と艦上戦闘騎のみを搭載し、敵軍の偵察騎や要撃騎を排除しつつ偵察を実施。その情報を以て中攻の大編隊による対艦 航空攻撃が帝国海軍の主力艦を襲うと考えていたのだ。中攻の直掩は〈モルゲンシュテルン〉より発艦した戦闘隊によって成される。
無論、その為には、現在位置以上に皇国寄りの海域での交戦であることが大前提となる。流石に帝国に踏み込み過ぎた現状では中攻の攻撃は難しいが。
この一戦で対艦航空攻撃が行われれば、は多大な意味を持つ。
神州国海軍は戦慄するだろう。
数世紀に渡り自国の権勢を支えた主力艦……戦艦が航空騎により撃沈されるという事実は、神州国の国防戦略に根本的な転換を迫る事になる。挙句に航空優勢 の原則を根本から理解しているのは仮想敵国の軍神なのだ。試行錯誤しながら海洋作戦全般に航空騎という要素を取り入れなければならない。挙句に旧式含めて
一〇〇隻を超える戦艦を主力とする海軍ともなれば、派閥争いもあれば維持費も莫大なものがある。容易に編制と軍備を変え得るものではない。
「三水戦、敵巡洋戦隊と交戦中!」見張員の報告。
「戦艦には届き得なかったか。他の水戦はどうか?」ヒッパーの問い掛けに暫しの間が空く。
混戦状態で視認し難いからこそ報告に間が空く。つまり、水雷戦隊は敵艦隊の阻止行動に拘束されつつあるのだ。
「敵水戦に阻まれている模様!」
「やはりか。同数では突破も容易ではなかろう」
ヒッパーは、その戦況に眉を顰めるが、同時に想定していた内の一つに過ぎないと命令を下す。
「全戦隊、進路を敵戦艦群へ向ける。今一度、戦艦同士で雌雄を決する事としよう」
その一言で戦隊進路が変わる。
敵戦艦へと。
巡洋戦隊も敵巡洋戦隊と交戦を開始しており、一進一退の攻防を繰り広げていた。
しかし、嘗てヴェルテンベルク領邦軍艦隊所属であり、海軍に永久貸与された〈レーゲンスガルト〉型機動巡洋艦四隻は特異な戦い方をしていた。前甲板に配置した五〇口径二六㎝三連装砲二基と三七ktの高速力による一撃離脱である。
後甲板には副砲である五〇口径三連装一六㎝砲が二列背負い式に四基配置されているが、実際、艦後部の大部分が高速力を発揮する為の高出力魔導機関が占めている。
運用方法は、敵艦隊の攪乱と分断と自沈。
前方投射能力に優れた艦艇が多いヴェルテンベルク領邦軍艦隊の中に在って特異なものがある。シュットガルト湖まで戦域後退した場合の海戦で、敵艦隊を突 破、後にシュットガルト運河の閉所部で自沈して閉塞する事にあった。敵艦隊を誘引し、シュットガルト湖に封じ込める。容易に攻め入られない。しかし、攻め
入られても相打ちには持ち込むというマリアベルの屈折した覚悟の産物である。戦艦を含む主力艦隊をシュットガルト湖に閉じ込め、その乗員の生命と引き換え に講和を迫るという副次目標もある。軍需都市でもある領都フェルゼンが艦砲射撃を受ける可能性はあるが、フェルゼンには野戦列車砲聯隊が展開しており、重 砲を運用する砲兵も多数展開しており、正面からの殴り合いも容易である。
そうした経緯で建造された四隻の機動巡洋艦は、大洋に在っては敵艦隊の戦列を攪乱する役目を与えられた。
「全艦左砲戦用意! 艦長、敵との同航戦では敵艦に左舷を向けたい。進路は貴官に一任する」
「了解です。必ずや実現いたします」
ヒッパーの命令の意図は単純明快である。先の〈第五辺境艦隊〉との砲戦で損傷の大きい右舷への負担を考慮しての判断である。装甲帯は直撃弾を弾き返せたとしても劣化する。至近に複数発の直撃弾を受けていた場合、抗堪性の低下により貫徹を許す場合があるのだ。
「〈モルゲンシュテルン〉は後退しているだろうな?」懸念を確認するヒッパー。
先の〈第五辺境艦隊〉との交戦で小型艦一隻を撃沈した事で満足したのならば良いが、次は駆逐艦でも食おうなどと思われれば、海軍としては堪ったものでは ない。一時離脱した〈第一重水雷戦隊〉が護衛に就いている為、一個駆逐隊と遭遇しても不利に追い込まれるという事はないが、それ故に果断を行いかねない。
「後退を継続しております。定期報告通りであれば、ですが」
通信参謀の言葉に、〈聨合艦隊〉司令部の面々が一様に頬を引き攣らせる。
皇州同盟軍の指揮官は命令に恣意的解釈を加える事を躊躇しない。彼らであれば「敵に向かって後退中」などという屁理屈を口にしかねない。
「まぁ、良い。今更であろう。取り敢えずは目先の海戦に注力すべきだ」
ヒッパーの言葉に、〈聨合艦隊〉司令部の面々は一様に頷いた。
「いや、困った事だ。皇国も帝国も海軍は壊乱しつつある」
トウカはベルゲンの行政府庁舎の一角で次々と読み上げられる報告に喜悦を隠さない。
実情として、両国海軍の主力艦は大星洋で次々と海没処分されつつある。
両軍一歩も引かない艦隊決戦に於ける被害は想像を絶するものがある。結果としては皇国海軍が勝利を収めつつあるが、それでも参加した戦艦一四隻の戦艦の 内、六隻が沈没した上、残存艦も中破や大破の被害を受けている艦が少なくない。他の主力艦や補助艦艇も例外ではなく、寧ろ、迫撃戦を継続している巡洋戦隊 や水雷戦隊の被害は現時点に於いても蓄積しつつある。
北太星洋海戦は、〈第五辺境艦隊〉と〈南方艦隊〉を撃破した〈聯合艦隊〉が勝利した。
現在は熾烈な残敵掃討が行われているが、巡洋戦隊の一部は軍港に対する艦砲射撃まで行う程に苛烈な対応を見せている。
分散しての追撃を選択したヒッパーの心情をトウカは理解できた。〈聯合艦隊〉は甚大な被害を受け、再度の艦隊決戦が可能となるまでは多大な時間を要するだろう。以前の戦力を取り戻すには五年を要する筈である。それも予算を考慮しなければ、という但し書きの上でである。
「旗艦の〈ガルテニシア〉が大破漂流か。ヒッパー司令長官は将旗を重巡に掲げて指揮を継続……意地と面子の艦隊戦だな」
「笑い事ではありません。このままでは神州国の干渉を許す程に艦隊戦力を失います」
大御巫であるアリアベルの懸念は正しく、恐らくは皇都の海軍府総司令部ではエッフェンベルクが頭を抱えているに違いなかった。
彼らは活躍を熱望し、これが皇国海軍の興廃に直結すると理解しているが故に安易な後退が選択できなかった。軍事戦略ではなく政治戦略として無様を見せら れないのだ。少なくとも勝利は絶対条件である。主敵が帝国である以上、予算編成では陸軍主体となり続ける流れは避け得ないが、帝国海軍相手に勝利すら覚束
ないとなれば、外洋海軍から沿岸海軍への転換を迫られるという強迫観念があるのだ。現にそうした声は常に存在する。大陸国家である帝国という脅威があり、 海軍力では元より追い付く事すら困難な神州国という海洋国家が存在する中、より直接的な脅威に予算を集中するという判断は間違いではない。戦艦など速力と
規模を制限した海防戦艦を建造して運用した方が効率的だという意見が出かねない。沿岸での戦闘であれば後続距離や船体の大型化は抑制できる。
「外洋海軍は必要だ。縮小を俺は認めない。必要なら手を貸す」
トウカの言葉に、アリアベルは胡散臭い目をしている。大方、また金を毟るのだろうとでも考えていると察したトウカは、敢えて指摘する事はないが実際は違った。
「被害によって以前の様な再建が難しいとなれば、大砲屋も戦艦を主体とした海軍の再建を諦めるでしょう」
「おや、大御巫は海軍の内情も勉強されている様で。これからも勉学に励まれると宜しいでしょう」トウカは失笑する。
大砲屋という砲術科を指す言葉がアリアベルから出てきた事を、トウカは良い傾向だと考えた。政治家が軍事を知らぬなど許されないし、軍人が政治を知らぬ など許されない。権力を得ているという事は、他の関連分野に対しても相応の見識を持っていると見做すべきなのだ。一つの分野が、それみで完結している訳で
はない以上、関連する分野に対する見識は必要不可欠である。軍事を知らぬ政治家が指揮官となって「これが本当の文民統制」などと嘯くなど到底許される事ではないのだから。
しかし、アリアベルが戦艦の定数削減の意図を理解している点に気付いているのは、トウカも驚いていた。
トウカは、戦艦という兵器の運用が困難である事を良く理解していた。
トウカも男である。大艦巨砲主義に対する憧憬の念は持ち合わせている。しかし、一つの兵器として見た場合、戦艦という兵器は非常に費用対効果の悪い兵器 である。攻撃能力は三個師団の火力に匹敵すると言われる程に絶大だが、射程はあくまでも火砲の範疇を越えない。防御力は空前絶後の装甲を備えている為に堅
牢無比だが、主要防御区画以外までもがそうである訳ではない。挙句に建造にも維持にも膨大な予算を必要とし、軽々に喪えない事から運用に制限が付く。
何より、意外な事であるが戦艦とは信頼の高い兵器ではない。
正確には艦砲の信頼性である。
何より、トウカは戦艦の艦砲が元より機械工学的に不安定であると知っている。
戦艦の艦砲は巨大である。撃ち出す砲弾も装薬も機構も例外ではない。そうでありながら容積の都合上、機構には制約を受ける。
不調に依る性能低下や故障など珍しい事ではない。〈大和〉型戦艦などは、戦闘詳報に「今作戦期間中、一度の故障もなく運用できた」と敢えて記されている 事からも分る通り、故障が頻発していた。米軍でも〈アイオワ〉型戦艦が主砲弾の暴発事故で多数の死傷者を出している。〈テネシー〉型戦艦や〈コロラド〉型
戦艦などは海戦中に主砲の動作不良で複数の主砲塔が使用不能となっていた。当時、工業的に進んでいた米国の戦艦ですらその有様であることを踏まえ、戦艦の 主砲という兵器が運用に難のあるものであると、トウカは判断していた。
そもそも、何百kgという莫大な量の装薬を以て一tを越える砲弾を撃ち出す構造が、複数基纏めて小さな砲塔に収まる筈もない。相応の無理が生じるのは止むを得ない事である。
――それを思えば列車砲は救われたな。
皇州同盟軍の列車砲部隊は、北部鉄道路線が極めて幅のある軌条を採用していた為、余裕のある設計が許された。次発装填装置や転車台の搭載はそれ故に可能となった。本来であれば、五分で一発程度の発射速度を半分以下にまで低減し、曲がった軌条を使用せずに射界確保を行える意義は大きい。
マリアベルによる人員不足を念頭に置いた車輌数低減の為の鉄道大型化は、単価上昇や敷設位置の制限、整備の複雑化などを招いた。結果として、運用人員は減少しなかったものの、輸送量の増大による恩恵で内戦時に輜重線や戦力投射を支えた。
無論、海上に於ける大型艦砲の有用性も確かに存在する。
沿岸への対地砲撃などは航空戦力による爆撃よりも費用対効果に優れ、徹底的な破壊を提供する。強襲上陸に伴う沿岸部への予備砲撃は費用対効果の面では絶 大なるものがあった。無論、それすらも噴進弾揚陸艦による面制圧が戦場に姿を現して以降は下火になりつつある。皇国に在っては、航空騎や航空歩兵という短
距離離陸能力を有する兵科が存在する為、一足飛びに強襲揚陸艦の実戦配備とて現実性を伴う。現にマリアベルの要望で一隻が最近、就役した。トウカは航空母 艦とするべきと抵抗したが、最終的には建造中の大型輸送艦二隻を航空母艦と強襲揚陸艦に転用し、性能評価試験を行う事で合意した。
その航空母艦こそが〈モルゲンシュテルン〉である。
大型輸送艦を転用した故に航空母艦としては低速であり、船体も商船構造であった。速力と防禦には疑問符が付く。無論、それを実戦投入する事も無謀極ま る。帝都空襲に於ける大型騎の発艦は風魔術による加速を恃んでであったが、着艦などはトウカも自身で口にしておいて狂気に彩られていると考えてしまうもの があった。
艦隊上空で戦略爆撃騎の搭乗員は天使種に抱えられて先に航空母艦へと着艦。戦略爆撃騎は腹下に懸吊した装甲籠を海上投棄し、滑空によって航空母艦の飛行甲板に垂直降下するというものであった。
しかし、この実戦で大型騎すら離発艦が可能である事が証明された。これにより、強襲揚陸艦による性能評価試験も加速する事となった。
航空母艦と強襲揚陸艦もまた建造が始まっていた。
「しかし、皇州同盟軍は六隻の巡洋戦艦を起工したと聞きますが……」アリアベルが首を傾げる。
アリアベルはトウカの矛盾を突いた。
そう、トウカが皇州同盟軍成立後、最初に指示したのは巡洋戦艦の建造であった。
しかし、これには苦しい事情がある。
巡洋戦艦としての建造は確かに行われるが、同様の船体構造の大型航空母艦を後に建造する予定なのだ。
日本海軍や亜米利加海軍でも建造中の巡洋戦艦を改装した航空母艦が大東亜戦争中に大活躍している。大型船体に似合うだけの搭載騎数と巡洋戦艦としての速力と防御力も期待できるという部分もあるが、最大の理由は予算削減である。
装甲を、軽巡主砲を決戦距離から耐え得る程度にまで削減した準同型船体構造と機関部、それらに関わる部品を共通化する事で予算削減を目指したのだ。トウ カとしては艦隊型航空母艦を量産したいが、初めての建造で不明確な部分も多い中、空母用の船体を設計、建造に失敗する事を恐れた。船体構造不足や構造複雑 化で最終的に五割り増しの重巡洋艦や軽巡洋艦も存在するのだ。
巡洋戦艦六隻と正規空母六隻を以て六六艦隊とする。
巡洋戦艦は実情として主砲口径を抑えた高速戦艦に近い。運用目的は航空攻撃にた対抗する為の高角砲や機関砲を大量に配置し、遭遇戦で巡洋艦を確実に優越できる主砲を以て対抗する。当然、艦隊航空戦で決着が付かなかった場合は、艦隊決戦も考慮されている。
「あれには理由があるのだ。まぁ、状況が落ち着けば海軍が売却してくれと泣き付いてくるだろうが」
北大星洋海戦に於ける被害を補填する目的で巡洋戦艦を求める筈であるが、主砲口径に不満を感じるのは間違いない。長砲身とは言え、三六㎝砲では各国で四 〇㎝砲を主体とした戦艦の配備が始まった中では心許ない。換装という議論が出るであろうが、そもそもトウカは巡洋戦艦を売却する心算はない。
神州国との政戦に於いて必要となるからである。
大型正規空母六隻と巡洋戦艦六隻があれば、異世界で布哇空襲の真似事をできる。
近代軍事に燦然と輝く偉業であり、航空主兵への明確な転換点であったそれを、トウカは今一度、求めていた。
真珠湾攻撃で、“100万ドルの拳骨”と言われた艦隊が一日足らずで壊滅した衝撃は大きかった。擱座した大部分が数年の時を経て再就役したものの、大東亜戦争初期は太平洋での制海権を確保できた。
それを神州国相手に行うのだ。
しかし、布哇のような遠方の海軍基地ではない。
目標は首都近郊の海軍基地である。神州国国民に自国の戦艦が絶対的な怪物ではないと教えるのだ。その動揺を以て大陸に対する干渉を行う意図を挫く。間に合えば、であるが。
「予算……些か無理があるのではないでしょうか? 幾ら主力艦を海軍に売却したとはいえ……」
「高射砲に装甲車輌、航空装備……長期的に販売可能な兵器もある。問題はない」
トウカは断言して見せるが、アリアベルは探るような視線は止まらない。
実際、予算に関しては不明確な部分も多い。
兵器売却と資源輸出で莫大な予算を確保できているが、近年の軍拡はそれを超えて余りある規模で行われている。内戦時の消耗や復興予算を補填しなければな らない都合上、相対的に見て既存の予算規模では不足するのは間違いない。人的資源の消耗は右派団体などの協力で数の上では解決しつつあるが、予算に関して はトウカにも不明確な部分がある。
実際、使途不明金の大部分はヴェルテンベク伯爵家とロンメル子爵家より拠出されている。
本来であれば、情報部にでも内偵させるべき案件であるが、ミユキと情報部は度々と縁がある。マリアベルはミユキを軍属として一時、情報部で軍務に就かせていたし、北部統合軍解体後の混乱で一伯爵家として異様に肥大化した情報部をさも当然の様に抱え込んだ。
トウカも問い質したが、マイカゼはマリアベルが貯蓄していた予備費を切り崩していると答えた。トウカは有り得ないと断言できる。マリアベルの性格上、貯 蓄などという行為を行うはずがない。予算が余るのであれば経済発展に投じるのは間違いなく、もし纏まった資金が必要となれば、資産売却で捻出する。緊急性
のある事態に備える為の”死に金”をマリアベルが許容するとは思えない。資産売却で一時的に貯蓄拠出よりも損失が出るとしても、貯蓄を平時から行うという 無駄を彼女が看過しないだろう。寧ろ、それを理由に資産の多様化を進めるかも知れない。
トウカがそう考えるのだ。
間違いはない。
少なくとも、マリアベルの政戦に関する姿勢を、トウカは誰よりも理解していた。
去れども、否定はしなかった。
流石に「俺の女だぞ」とマイカゼの言葉を退ける真似はできなかった。ミユキの手前もあるが、前任者との差異を語られても当事者は困惑するしかないという判断もある。義母を批難する真似はできない。
何より、トウカはある程度、推測していた。
――まぁ、贋金だろうな。
ミユキと情報部の連携が贋金製造による関係によるものであったならば?
そもそも、情報部を皇州同盟軍情報部成立までとはいえ、抱え込んだ際の資金は何処から生じたのか。ロンメル子爵領には、それ程の資金はない。レオンディーネから奪ったハイゼンベルク金貨は既に軍需工場建設に充てられている。
更に言えば、現在のミユキの護衛は情報部から拠出されている。情報部が望み、トウカも優秀な女性士官である事を歓迎した。優秀な女性士官を付けると進言したのは情報部であったが、それはミユキの護衛という以上に贋金製造の漏洩を恐れてと取れなくもない。
ヴェルテンベルク領を巡る政戦では、時折使用されている気配がある。エカテリンブルク空襲前、当時、北部統合軍情報参謀であったリシアに、トウカは当時 は不明確であったエカテリーナの存在を確認させた。その際、リシアはヴェルテンベルク領が帝国に対しての諜報活動で使用される資金が贋金であると発言して
いた。国交も条約も締結していない敵国相手ならば、打撃を与える一手段として偽造通貨は意義がある。
国家間の戦争に於ける手段として、外貨を調達せずに兵器調達を実現しつつ、その通貨を発行し保障する国家にも経済的打撃を与える。理解できる方策であるが、それには相応の規模と設備を必要とする。帝国の技術力を見るに、通貨偽装自体に対する技術的難易度は低い。
しかし、それを成しているという事は相応の設備を有しているという事になる。
圧倒する国力……人口三億五千万を超える帝国。その発行通貨の信用失墜を行える程の規模となれば、かなりの規模とならざるを得ない。
嘗て、《独逸第三帝国》が《大英帝国》に対し、経済擾乱を意図して行ったベルンハルト作戦という前例をトウカは知っている。
実際、偽造を担ったのはザクセン・ハウゼン強制収容所に押し込まれた猶太人技術者達である。主な用途は秘密工作に武器調達……海外での諜報や工作に使用され、その量は全流通量の一割を超えた。
これにより、欧州中に流通した贋造紙幣と、その噂により、大戦中期から英国の通貨は信用失墜した。戦後に於いても、受け取り拒否が相次ぎ、中東戦争でも扱われたとの噂もある。
とても、辺境の一伯爵が行うべき規模のものではない。
――何が帝国に対する謀略だ。
それだけの設備を用意して帝国の通貨だけを製造するほどにマリィは甘い女じゃないと、トウカは確信していた。
間違いなく皇国通貨も偽造しているだろう。寧ろ、価値を踏まえれば帝国通貨など片手間に過ぎない筈である。或いは、表面的としての要素があったのかも知れない。
――だが、帝国の通貨は、カチューシャが看過するとも思えない。
帝国という国家自体、発行通貨の信用が損なわれつつある状況であることは、国家財政を見れば一目瞭然である。燃え上がる信用を戦争による外貨の収奪によって鎮火しようとする無謀。
《独逸第三帝国》が生命の泉や、 東方植民などの方便を提唱しつつ侵攻した理由も、増大する軍事費と外貨不足に見舞われた財政補完、挙句の借金踏み倒しの為の博打に過ぎなかった。その点と
帝国の姿勢は類似している。それでも、ある程度までは帳尻を合わせ、第二次世界大戦で枢軸国を勝利に導いた事実を知るトウカとしては、彼の国の官僚機構を 高く評価していた。
しかし、戦後に財政破綻を免れなかった。
自身が持ち得ない以上、余所から根こそぎ奪うという方針に傾倒し過ぎ、構造改革を怠った挙句、マルクの魔術師の異名を持つ経済改革の先駆者、ホレス・グ リーリー・ヒャルマル・シャハトが日本に政治亡命。《亜米利加合衆国》は《亜米利加帝国》となって軍備拡張を再開する中、彼らは熾烈な軍拡競争や核開発競
争に巻き込まれて軍事費を削減できなかった。日本は良くも悪くも民主化を巡る混乱で積極的な軍備拡大には関われなかった為、経済破綻を免れるという幸運に 恵まれる。その軍備拡大の意図せぬ阻止こそが、日本に於ける民主主義の勲功と評価されている皮肉を鑑みれば、日本も負けぬ狂乱があったと言えなくもない が。
戦争に勝利したが、当初の財政破綻から逃れ出るという目的を《独逸第三帝国》は達成できなかったのだ。
戦争に勝利しても周辺諸国の態度硬化を招き、新たな仮想敵国が増える。
やがて国力を消耗する。
帝国もその最中にある。
経済市場は、その国力の減衰に気付いている。幾ら帝国が偽装した統計を発表しても、海千山千の投資家達を誤魔化せる筈もない。その程度で誤魔化せるので あれば、帝国への投資以前に破産しているだろう事は疑いない。何より、食糧不足や人海戦術に頼らざるを得ない状況は国際的に認知されていた。食糧難や国民 所得の低さは購買能力と購買意欲に直結する。人口が多くとも魅力的な市場とは言い難い。
だが、そうした中でも目端の効く者は居る。
帝国国内の一部が積極的に通貨を消費して資源や消費財……資産価値のある物質を購入しに掛かっているのだ。手元に通貨を置くのではなく、現時点の通貨価値で損失となるとしても積極的運用を行う果断。
将来的に帝国の通貨の価値が失われるとの判断であろうが、それを最も行っているのが帝国南部の一部貴族である。
そうした不利益を貴族が打算もなく行う筈もなく、そしてそれ程に目端の利く者であれば無名であるはずもない。間違いなくエカテリーナの介入があるはずであった。
そして、その帝国通貨が帝国政府の発行したものであるとは限らない。
領内に流布し、流通量の増大を招いた泡銭……贋金もまた資源や消費財の購入に充てられたとしても不思議ではない。領内の通貨を資源や消費財に変換する事が重要であって、通貨の真贋が重要な訳ではないと割り切れるならばであるが。
――カチューシャも理解していたのか?
贋金でも、水増しして資源や消費財の購入に充てられるならば問題はないとい割り切ったのか。或いは、帝国の将来を。
――しかし、そうなると贋金は帝国各地に流布する事になる。屋台骨が揺らぐぞ?
エカテリーナが帝国の優位を獲得しようとしているのは、軍事行動などの端々から窺える。
無論、占領地の拡大により国土が増加し続けている帝国だが、近年に組み込まれた辺境は過剰な搾取もあって疲弊している。通貨を使用しない物々交換は珍し くない。資金の流動性を贋金の流通量増大による通貨価値の低下を以て推進しようという意図があるならば、贋金を放置する事も納得できなくもない。通貨流通
は、その国家への帰属意識へと繋がる。日常的に使用する物品すらも補われるという理不尽と屈辱。諦観と実感。
しかも、その価値を保証するのは帝国政府。
自身の生活を支える通貨価値を進んで壊そうという者はいない。経済が崩壊し、物流が停止する。或いは、それを指摘するだけで反乱が抑止できる展開もあるだろう。
だが、通貨流通は容易に制御できるものではない。
一度、傾いた通貨価値は容易に是正できないのだ。
高度情報化社会は、刹那の内に星の裏側にまで風評が流布し、電子決済で株価が一瞬の内に上下する危険性はあるが、一瞬で可視化できる上に対抗する政策の流布も極短時間で行える。
しかし、魔導通信があるとはいえ、現在の技術では情報収集や集計、統計などへの展開には膨大な時間を要する。それ故に、数字として書面化され、それが手 元に来て認識した時既に手遅れであるなどという事は珍しくない。寧ろ、漸くこの異世界では認識する事が可能になった事を賞賛すべきなのだ。織田幕府の時代
には失敗して、通貨の流出を招いている。尤も、人口増加に対応するべく、信長公の頃より七割方の混ぜ物をしているが故に周辺諸国は大混乱に陥ったが。当時
の幕府は金銭を構成する物質的価値ではなく、天下布武を提唱して軍事力で日本を統一し、亜細亜を席巻した軍事力による信用の担保を以て通貨価値を安定なさしめた。
通貨流通の拡大による価値観の浸食。その点に重きを置いた通貨流通であり、世界的に見ても異端であった。
悪貨は良貨を駆逐する。
そうした表現があるが、実際のところは、悪貨の流通は良貨の流通を圧迫するという意味に捉えられがちだが、本来は違う。価値の低い悪貨ばかりを民衆が使用し、良貨を価値あるものとして備蓄して流通しなくなる事を意味する。
つまり、信長公は悪貨の流通を積極的に担う事で、価値の高い外国の良貨の流通を抑止したのだ。結果として、亜細亜での共通の通貨としての地位を得た。無 論、同様の悪貨を偽装するのは容易いが、それには厳罰で対処し、他国がそれを行った場合は、軍事力の行使で対抗した。寧ろ、東南亜細亜への進出に関して は、それを理屈に出兵が行われた。
巷では軍神や国士公と呼ばれているにも関わらず、門外漢の通貨価値にまで気を配らねばならない現状は好ましからざるものがある。明らかにセルアノの領分 であるが、彼女は経済には信用が不可欠であるという姿勢を持っていた。信用が次の利益の機会を創出するという商人気質からなる発想を踏まえれば、贋金の流 通に積極的に関わるとも思えない。知れば発狂する事は間違いなかった。
結局のところ、トウカの推察が全てである。状況証拠を積み重ねたに過ぎない。
マリアベルとエカテリーナ。
二人の烈女による錬金術。
偶然か必然かまでは不明確であり、或いは二人の間に何かしらの密約があった可能性もある。共に類似した感性を持つ女性である。寧ろ、状況次第では、一方 を副帝として皇国北部と帝国南部を領有して新国家樹立も有り得たかも知れない。暫くは、エルライン回廊を介した内戦戦略であろうが、ヴェルテンベルク領の
経済力と工業力、エカテリンブルク周辺の人口と鉄鋼資源が結び付けば、国力増大は不可能ではない。
有り得たかもしれない未来。
「一番、詰まらない未来を選択したのかも知れいな……いや、そうなるとミユキが……」
アリアベルの呆れた表情を放置し、トウカは一人、妄想に耽る。
少なくとも、戦況はそれを許しつつあった。
マリアベルとエカテリーナが連携して、皇国北部と帝国南部を結合。新国家樹立とか面白そうだなぁ。どちらかが副帝になって、トウカ君が軍の最高指揮官。トウカ君の漂着が三年ほど早ければ可能であった気がする。
天下布武は、実は天下統一……全国制覇と解釈されていますが、どうも調べると畿内を足利家の権威を以って統治するという事らしいです。つまり、達成してはいたんですよね。