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第二三三話    ミナス平原会戦 二

 

 



「動いたか。まぁ、帝国軍人としては優秀と言えるか」

 トウカは、〈第三親衛軍〉の一部が進出しつつあるとの報告に頬を歪めた。狂相と言える。

 ベルゲンに向かって段階的な後退を続ける皇国軍にとり、帝国軍の予備兵力は焦点の一つであった。予備兵力に掣肘を加えるべく、皇国軍も予備兵力を投入す べきではないという主張は〈北方方面軍〉参謀達から出ていたが、トウカは航空攻撃にて対処するべきであると、その意見を撥ね付けた。

「第二次攻撃隊はそのまま正面の敵に。第三次攻撃隊で〈第三親衛軍〉を攻撃する。運用はクルワッハ元帥に御任せると伝えるべきだと思うが……どうか?」トウカは〈北方方面軍〉航空参謀へと問う。

 同意を得て正式な命令となった航空攻撃指示は速やかに後背の航空基地に伝達される。伝達も航空騎である。垂直離着陸可能な高位龍種を司令部付近に駐騎させ、命令伝達の迅速化を図っている。無論、これは上級司令部では以前より行われいた事でしかない。

「夜の帳に紛れれば、航空攻撃を避け得ると考えた……まぁ、そんなところだろう」

 トウカは、間違いではないが、間違いでもあると、リディアも乾坤一擲の軍事行動を評価した。

 ベルゲン近郊……ミナス平原を中心とした会戦に於ける戦闘でトウカが最も憂慮したのは、夜間に於ける航空攻撃である。

 既に落陽は目前に迫っていた。

 第三次攻撃隊は夜間発進となる事は間違いない。

 夜間出撃については論争を巻き起こしたが、夜間に航空攻撃が途切れるとなれば、帝国軍は大規模な夜襲を主体とした戦闘に移行する可能性が高い。少なくと も、夜間であっても相応の航空攻撃を行い続ける必要性があった。航空攻撃が控えられる時間帯があってはならないのだ。命中率は兎も角として。

「探照灯の出番ですか?」リシアが問う。

 情報参謀としてリシアは、トウカの戦術の把握に余念がない。個別に戦闘詳報を作製し、情報部と提携する形で大系化しようと目論んでいるとの事であるが、陸軍と皇州同盟軍の参謀本部を通さないところに彼女の野心が窺える。

「残留している海軍艦艇からも引き剥がしまし分がありますが……」

 トウカがベルゲンにまで敵を引き付ける事に拘ったのは、縦深深くに敵野戦軍主力を誘引して包囲殲滅戦に持ち込む為である。その為の作戦計画であった。

 しかし、実情としてベルゲン近郊にまで攻め入らせざるを得ない事情があった。

 夜間空襲を可能とさせる為である。

 トウカは司令部として運用されているベルゲン要塞都市庁舎の最上階より、城塞都市の全集を護る防護壁へと視線を向ける。

 防護壁上では盛大な篝火が焚かれつつある。立ち上る炎と黒煙。

 史上空前の航空攻撃に際し、管制の限界が指摘される中、最も問題となったのは航空騎が騎位を見失う可能性であった。周囲を乱舞する航空騎の大群。敵味方が不明確な地上の風景。攻撃目標の指示は難易度が高い。

 そこで、ベルゲンという都市を基準に方位と距離を算出するという提案がなされた。内戦時、航空主義者のデュランダール中将によって成されたフェルゼン空 襲での、攻撃目標の重複や発見し損なうという事態が頻発した為である。航空管制も未熟であり、未だ問題点が無数と残っている中、可能な限り簡略化させるに は単純明快な指標が必要となる。

 それが城塞都市ベルゲンなのだ。

 高空を飛行する戦域管制騎から、ベルゲンから見た方位と距離を司令部に伝達。司令部は航空基地に攻撃目標を通達し、航空基地から攻撃隊を進発させる。

 それは、夜間であっても変わらない。

 しかし、夜の帳が降りれば、視認性低下によって位置を咄嗟に確認できない。それを是正する為、防護壁上では無数の篝火が焚かれている。夜間でも燃え盛る 無数の篝火はベルゲンの位置を克明に示すだろう。無論、それは敵にしても同様で、格好の砲撃目標を提供する事になる。しかし、それでも尚、トウカは航空攻 撃を優先する決断を下した。

 寧ろ、夜間であっても砲撃を継続するならば、砲炎で位置を暴露した砲兵を優先的に爆撃する事で漸減する腹心算であった。その為にベルゲン近郊にまで誘引したのだ。無論、最大の理由は探照灯の有効範囲の問題からであるが。

「防護壁に据え付けた探照灯の照射で敵部隊の位置を暴露する……訓練はさせたが、どこまで有効か。まぁ、失敗しても気にする必要はない。大型騎に搭載した探照灯もだ」

 トウカは曖昧な笑みを零す。思い付きの範疇に過ぎない提案に、リシアが必要以上に期待している点を、トウカは気恥ずかしく感じた。

 敵位置暴露と航空隊への攻撃指示に持ち得る全てを、皇国軍は投じようとしていた。

 その一つが探照灯である。

 皇国軍だけではなく、複数の航空騎による夜間飛行を阻止する重要性を認識していなかった各国陸軍は探照灯の配備が限定的であった。ヴェルテンベルク領邦 軍の様に、政治演出の為、花火と共に探照灯を扱う組織という例外もあるが、基本的に陸軍は探照灯の運用に熱心ではなかった。精々が沿岸要塞への配備くらい のものである。沿岸要塞に展開する要塞砲は敵艦隊との夜間砲戦も想定していた。

 それら沿岸要塞の探照灯と、海軍の旧式艦艇から借用した探照灯は、大部分がベルゲンの防護壁上に設置され、一部は大型騎下部に搭載されていた。

 トウカとしても、短期的な訓練は行ったものの、その効果を確実視している訳ではない。

 しかし、第二次世界大戦中、米国海軍が独逸海軍の潜水艦隊に対抗すべく、飛行艇に探照灯を搭載して対潜哨戒任務を行ってた事を記憶していた。日本海軍 は、米国海軍の潜水艦隊が大戦初期には低調であった事もあり、問題視され始めた中期後半に遅れて磁器探知を採用した。米国海軍の潜水艦が運用する魚雷の不 発率の高さゆえという皮肉である。

「大型騎に搭載した探照灯次第だろうな。兎にも角にも戦域を照らさねばならない。まぁ、どちらかと言えば、主力は戦略爆撃騎の照明弾だろう」

 最終的には、照明弾を絶えず投下し続けるという力技で問題を解決させるという手段がある。探照灯はあくまでも副次的なものでしかない。皇国中から掻き集めた照明弾は夥しい数となって航空基地の片隅に積み上げられている。海軍が運用する星弾すら集積したのだ。

 窓越しに窺える第二次攻撃隊の編隊を一瞥したトウカは、上手く行くか否かと不安を抱く。

 航空攻撃の打撃力と夜間爆撃はある程度の成功を収めるだろう。

 しかし、航空基地の運営に関しては未知数である。

 今次作戦に於ける航空騎動員総数は、三八五二騎を数える。

 練度を度外視すれば、後一〇〇〇騎程度は動員できるものの、それが控えられた理由は攻撃の効果が疑われたのではなく、航空基地に於ける航空爆弾や機関砲弾の再装填などを行う整備員兵の不足であった。

 整備兵という表現が成されているが、運用する龍が生物である都合上、医師や調教師としての側面を持つ。航空兵装に対する理解だけで済む筈もなく、寧ろ生物学への造詣も必要であった。トウカの知る整備兵の様に機械への理解だけでは済まないのだ。

 当然ながら数は不足している。

 高位龍種による体調管理やクルワッハ公爵領邦軍からの出向者によって支えられている部分もあるが、それでも限界はある。対空砲火に被弾した龍を治療する 者とて必要なのだ。航空機の様に廃棄処分する訳にもいかない。無論、助命困難な龍には慈悲の一撃を加える役目も負う事になる。

 整備兵は、高度な知識と覚悟を必要とする兵科と言える。

 此れまでは積極的に戦場で航空騎が運用されていなかった為、定数を満たしていたが、爆発的な運用規模の増大に伴い不均衡が生じた。航空騎に対し、不足す る整備兵は錬成が間に合わない状況が続いている。後方勤務に等しい為、戦闘での消耗率が他の兵科よりも低い事から育成が後回しにされた部分もあった。飛行 兵の育成だけで手一杯の中、整備兵の育成は未だ訓練学校の拡張が決定されたに過ぎない。

 航空騎の運用拡大に伴う不足は多岐に渡るのだ。

 整備兵に関しては、陸軍輜重兵学校や陸軍工兵学校の候補生までをも徴用しての協力者を掻き集めるという真似までして一時的な補填としている。消耗備品の 輸送や管理、兵器の補修や修理などの補助を期待できた。何も整備兵と同等の任務に就ける者である必要はなく、一部軍務を代行できる者達を集めて整備兵の負 担を軽減するだけでも効果を見込める。

 それでも、攻撃隊の出撃の為、航空基地は阿鼻叫喚の地獄絵図となっている事は疑いない。消耗した弾火薬の再装填と点検を受け、攻撃隊は幾度も出撃を繰り返さねばならない。予備騎が豊富であれども、整備兵には予備がないのだ。

「さて、命令は既に発令された。後は戦力の削り合いだ。被害比率では皇国軍有利だが、帝国軍は兵力に勝る。取り得る戦術の幅は遥かに多いと言える」トウカは壁一面に投影された戦域図を一瞥する。

 嚆矢の如く戦野を目指す編隊が、帝国軍の長大にして厚みのある戦闘序列に突き刺さる様は槍騎兵の一撃とも思える。無論、その戦闘単位の移動速度は騎兵を遥かに優越した。

 戦域図への反映までの時間差を踏まえると、既に帝国軍は攻撃を受けている。〈第三親衛軍〉に動きがあるとの報告を受けた時間を踏まえると、〈南部鎮定 軍〉司令部は航空攻撃を受ける中、然したる時間を経ずして決断したという事になる。友軍の情報伝達の誤差を考慮しても思考から決断までの時間は短い。

 即断と言える。

 だが、その即断に似合うだけの通信速度と移動速度を隷下の〈南部鎮定軍〉が有している訳ではない。

 トウカは軍編制による優位を徹底的に利用する事で勝利を掴もうとしている。

 この世界の軍隊は、一部では第二次世界大戦中の日本軍すら優越する技術を有しながらも、航空や通信の分野に於いては酷く劣っていた。

 航空分野はそもそも軍事思想の違いから重視されず、飛行機械は龍の存在によって日の目を見ていなかった。龍を優越する飛行機械を早々に製作できない以 上、そこに予算を投じ続ける組織などそうは存在せず、航空分野は龍を主体に据えての大系が出来上がっていた。既存の権益がそうして形成された以上、その地 位を脅かすであろう飛行機械が日の目を見る事はない。潜在的脅威に予算投入される状況を看過する程に龍種も無能ではないのだ。無論、海のものとも山のもの とも知れぬ機械に予算を投じ続ける点を無駄と考える者が多いのも確かである。

 そして、通信分野の発展が立ち遅れているのは、各国が魔術を主体として発展させようと試みているからである。魔術という超常的な技術が日常となった世界 であるが、数値化し難い部分を多分に持ち続ける技術でもある為、全容を把握し切れていない。特に魔導分野に直接的な関わりのない者達は、魔導に過大なまで の万能性を見ている。魔力を扱う動植物が多い世界で、魔力を伝播させる通信方式が距離の延伸に伴い減衰するのは自明の理であったが、魔導技術以外に効率的 な通信を可能とするものがないと、彼らには固定観念が出来上がっていた。その類稀なる多様性を伴う魔導技術が通信にまで有効であると考えたのだ。

 トウカは、それを否定しない。未だ否定する情報を持ち合わせていない故に。

 しかし、同等程度の文明で、元いた世界が遥かに優れた通信技術を有していた事をトウカは知っている。

 それ故に、トウカは魔導技術が万能ではないと判断した。

 軍編制の違いは、魔導技術の間隙を突くものである。龍という質量と形状から飛行できないはずの存在が飛行するのもまた魔術の産物である以上、魔導技術によって劣る分野を中心に敵の戦略や戦闘教義を破綻させていく事は可能であった。

 航空兵力と通信技術がそれである。

 しかし、時間的余裕がない点がトウカに焦燥を齎した。

 故に苛烈になる。
 故に悲劇になる。
 故に残酷になる。

 トウカにとり、酷く狭い範囲の庇護対象以外は状況を構成する要素でしかないが、流血を伴う壮麗な時代の代償と相対する手間を理解してもいた。挙句に帝国 内の擾乱を意図して共産主義思想を流布させたのだ。未だ帝国中央の一地方を席巻したに過ぎないが、相当に有能な指導者に統率されているのか、不正規戦に於 いて極めて頑強に征伐軍に抵抗している。国家の荒廃によって貧困が訪れた場合、その共産主義が逆流しかねない。

 軍神は酷く難しい綱渡りをしていると言える。誰にも理解されぬ興亡に彼は挑んでいた。帝国に白き女帝という理解者が敵として存在するが、現在行われている会戦に彼女の意志は間に合わない。

 トウカは勝利を掴めるだろう。

 慢心ではない。確信である。客観的事実として、トウカが用意した手札に対抗できるだけの手札を眼前の帝国軍は持たない。

「闇夜に紛れるか……それだけか? ならば、頭が固いな。騎兵でなく軍狼兵でやるべきだった」最悪でも獣種主体の歩兵師団でやるべきだった、とトウカは嘯く。

 無論、帝国軍に軍狼兵や獣種主体の歩兵師団があるならば、であるが。

 トウカは勝利する。死を撒き散らす。歴史の片隅で。

「さて、彼奴(あいつ)はどうしているのか……」

 勝利は既定路線。それだけの戦備と兵站を整えた。

 ならば、戦果を拡大すべきなのだ。前線の兵力を壊乱させるだけでなく、後方支援に関わる人員も一切合切悉く包囲殲滅するのだ。戦備と兵站に似合うだけの戦果を上げねば収支が合わなくなる。

 彼は卓越した戦略家とされるが、実情としては政略家であった。常に事象の発生に対し、利益と損失を天秤に掛ける。行動に伴う結果で生じる損失と利益を考慮し、政戦を取捨選択していく。その発想は政略家に寄ったものと言えた。

 故に利益の最大化を図る為の方策もまた存在した。











「再編制が上手く行かねぇな」

 韋駄天(シェネラー)の異名が世間に周知されつつある名将は夜天を見上げて溜息を一つ。

 指揮官が部下の前で溜息を零すなど言語道断であるとする将校は多いが、彼にとり常に本心を晒すというのは部下への信頼を示すに等しい。それこそが彼の将 たるの姿勢を示す姿であった。無論、それ故に将の将たる立場には成り得ず、当人もそれを理解してトウカにそうした立場を進んで押し付けたのだ。

「フェルゼン近郊の敵は現状の戦力のみでも排除可能であると思いますが……」

「排除はな? 副官、甘いぞ。その後に一夜駆けをやらねぇといかねぇんだ。陸さんと処女(未経験者)はヴェルテンベルク領での行軍を舐めて叶わねぇな」

 妹の言葉に兄がこれ見よがしに夜天を仰ぐ。

 ヴェルテンベルク伯爵領は広大な領地と言えるが、その大部分は樹海と雪原に覆われている。皇国最北部に位置する事から雪原の雪解けは遅く、エルネシア連 峰の峰々を加わる事で一層と複雑な地形となっている。南の荒野やエルライン回廊とエルゼリア侯爵領を繋ぐ街道周辺が平地である為、機甲戦の余地が十分にあ り、気候的に耕作地に適さないからこそ、マリアベルは縦深としてのみ利用した。フェルゼン近郊は視界確保の為、切り開かれているものの、そこへ至る街道は 決して広くはない。内戦時、征伐軍はフェルゼン包囲の為、シュットガルト湖畔沿いを行軍する事で対応したが、皇国中央や東部からの進軍であったからこその 芸当で、帝国軍は北西よりヴェルテンベルク領を犯していた。

 帝国軍は長年に渡る諜報の成果で理解している。ヴェルテンベルク領が攻め難く、打って出る事も難しい地形であると。現状、帝国軍部隊は樹海を避けて平原 に展開していた点を見れは明白である。無論、攻め得るだけの戦力が隷下になく、皇国軍にミナス平原で戦闘中の〈南部鎮定軍〉の為、輜重線を維持するという 主目標ゆえとザムエルと参謀将校達は判断していた。

 当初、以前の航空偵察で八個師団と判断されていたが、日没前の航空偵察では一五個師団相当に増強されている事が判明した。

 話が違うと言いたいザムエルだが、畑で収穫するかの如く兵士を動員する帝国軍が相手では、七個師団程度は誤差と言えなくもない。トウカも民兵が少々増えた程度と言い捨てるに違いなかった。否、実情としては民兵であろう事は疑いない。

 反抗戦の策源地としては甚だ適さないフェルゼンだが、唯一のシュットガルト湖の大規模軍港である為に選択肢はなかった。皇国南東部から輸送船団によって 輸送された陸軍五個師団と皇州同盟〈ヴェルテンベルク軍〉三個師団。そこにザムエル直属の二個装甲師団を加える事になる。

 戦力差を踏まえれば劣勢だが、装備と士気の面では遥かに優越している。

 守勢に回るのではなく、積極的に撃破するべく運動戦に持ち込むべく攻勢を選択するに十分な戦力と言える。

 しかし、陸軍師団を揚陸させ、武器弾薬を配布する都合上、フェルゼンを攻勢発起地点とせざるを得なかった。

 だが、樹海を超えるには行軍するには細い街道を進まねばならない。

 帝国軍は樹海を超えた先……街道の終着点を塞ぐ形で展開している。明らかに細い街道を利用した各所撃破を狙っていた。エルライン回廊で散々に体験した帝国軍は、回廊の様な地形を通過する敵に対する火力集中の威力を理解している。

 無能な指揮官ではない。

 当初、街道を抜けフェルゼン近郊に展開していた帝国軍部隊は、陸軍師団の揚陸作業を認識した時点で、街道を一目散に後退。樹海を超えた先に展開した。フェルゼン近郊での会戦を意図したザムエルとしては予想が外れた形となる。

 装甲師団を前面に押し出しての機甲突破が妥当と参謀達の間では大勢を占めているが、ザムエルとしてはこれ以上、装甲部隊を消耗させたくないと考えていた。

 ベルゲン近郊で野営をするザムエル隷下の皇州同盟軍と陸軍の混成部隊……〈ヴェルテンベルク方面統合打撃軍〉。連携の上では甚だ不安であるが、陸軍東部方面軍から抽出された五個師団は内戦で北部統合軍と交戦していない為、致命的な遺恨は然して生まれていない。

 魔導障壁により覆われ、与圧された不可視の大天幕は満天の星空を天壌に示していた。

 夜天に掛かる星河を見上げ、ザムエルは途方もない理不尽を感じた。

 星河の存在は諸説あるが、トウカは旧文明の航宇艦と断言している為、ザムエルにとってその結論が確実となっていた。彼は軍事が関われば違えない。

「あの破片を戦車の装甲に使えればな……いや、そもそも文明が技術を遺していれば……」

 時折、重力に引き摺られて落下する破片の強度は想像を絶するもので、既存の冶金技術では溶かす事も削る事も叶わない強度を誇る。機動列車砲の威力を示す為、嘗てヴェルテンベルク領に落下した破片を利用した対弾性能試験をザムエルは観覧した事がある。

 結果として、四一㎝砲の徹甲弾を至近距離で直撃させても傷一つなく、挙句に徹甲弾は砕けた。挙句に狂おしいまでの強度でありながら破片の厚みは一〇㎝を 超えず、重量も鉄の三割程度である。そうした装甲を戦車に搭載できれば、あらゆる性能が向上するだろう。帝国軍の火砲など然したる脅威ではなくなる。

「まぁ、ない話だわなぁ」

「そう言えば、シュットガルト湖には戦車砲を弾いた蟹が居るとききますが」装甲科で養殖事業でも立ち上げますか?とエーリカが問う。

 ザムエルは笑声を零す。

 蟹型戦車という仰天兵器の運用は話題性抜群であろう事は疑いない。戦闘は兎も角、宣伝には使えるであろうと、ザムエルは考えた。予算獲得にも民意が一定 の影響を及ぼす以上、民衆からの好意は重要である。馬鹿をやるのも悪くはないのだ。何より、新設兵科である装甲科は、工兵科による芸術の域まで達した雪像 造りの如き御家芸がある訳ではない。観光資源となる事から観光部が予算編成時に味方に付いた工兵科に、領邦軍時代のザムエルは感心したものである。御祭り 好きのマリアベルの心象にまで考慮しているのは疑いないのだ。

 蟹も意外といけるのではなかと思案を始めたザムエルを他所に、エーリカが伝令の兵士より耳打ちを受ける。

「閣下、陸軍参謀本部より特派された参謀が挨拶に参られたとの事です」

「ああん? 蟹料理でも食いに来たのか? まぁ、良い。連れてこい」

 本来は、相応の場所で迎えるべきであるが、ザムエルは装飾と虚飾を嫌う。装甲兵とは何よりも身軽であるべし、という標語(モットー)を実践しているとの建前である。ザムエルは隷下部隊に体裁よりも効率と迅速を求め続けているが、陸軍部隊は未だに戸惑いが続いている。

 魔導障壁による大天幕は透明度が高い事から、近付く兵士や他の大天幕で寛ぐ兵士達の姿が良く見える。複数の魔導障壁による複合された不可視の建築物は功罪を常に明らかにした。

 取り敢えず、隣の大天幕で陸軍兵士に博打を仕掛けた挙句、返り討ちにされて缶詰を巻き上げられた奴は修正不可避だろうと逸れる思考を引き寄せ、近付きつつある陸軍参謀本部より特派されたという参謀将校に視線を向ける。

 それは小さな女狐だった。

 ザムエルの趣味ではないが、トウカであれば喜びそうな獣耳と尻尾に、ザムエルは特派という意図を計りかねた。他の狐が近くに居ると疑われると恐れ、他戦線に追い出したのではないかというどうしようもない理由が咄嗟にザムエルの頭を(よぎ)る。そして、同時に陸軍参謀本部という俊英の巣窟の参謀将校であれば、現状を打開する作戦立案が可能であるかも知れないという期待が鎌首を擡げた。

 詰まりは大歓迎である。

 出入り口として用意された魔導障壁の展開されていない部分より、軍帽を脱いで小脇に抱えて入る姿に、ザムエルは立ち上がると両手を広げて歓迎の意を示す。

「おお、貴官! 良いところに! 歓迎するぞ!」

 もし、望むならトウカに妾として薦めてやってもいいとすら、ザムエルは胸中で喜びを弾ませていた。

「シャルンホルスト大佐です。サクラギ元帥の要請により――」

「――細かいことは良い。何か知らんが、アレが無駄をするとは思えん」

 ネネカの言葉を遮り、ザムエルはネネカを抱き寄せ、両脇を抱えて持ち上げると、その場をくるくると駒の様に回って見せる。

 落ちたネネカの軍帽を拾いながら、エーリカが咳払いをした為、直ぐにザムエルは回転を自重する。

「取り敢えず下していただけますか?」

「おお、済まねぇな。参謀将校殿」

 下されたネネカが、エーリカから感謝と共に軍帽を受け取る光景を他所に、ザムエルは積極的軍事行動に踏み切る躊躇を捨てた。

 この時、明朝からの攻勢が決まった。

 狐が戦況を動かしたと後世の歴史家が記す事になる一幕だが、当人達にそうした意識はなく、現時点では、この世の誰しもにもなかった。或いは、歴史的瞬間とは、当事者にとりその程度なのかも知れない。

「サクラギ元帥よりヴェルテンベルク戦線形成の確認を要請されていたのですが……予定されていた攻勢に問題があったのでしょうか?」

 階級や身長差に物怖じする事もなく、ネネカが問い掛ける。その姿にザムエルは、トウカが政戦共に優れた参謀将校が居ると口にしていた事を思い出す。

「敵が樹海……西へと引いた」

「防御に有利な地形で構えたと? 正しい戦略です。後退を帝国軍という組織で選択できる胆力と、隷下部隊を従わせる信頼。解せませんね。それ程の指揮官が主攻であるベルゲンに展開していないというのは」疑念を次々と口にするネネカ。

 政戦に優れるという意味を、ザムエルは察した。

 優れた指揮官で隷下部隊に後退命令を従わせるだけの信頼もある指揮官。

「閣下の御懸念をお聞きしたいのですが? 宜しいでしょうか?」

「ああ、宜しいぜ! 大いに宜しいぜ!」

 ザムエルはネネカを忽ちに小脇へ抱えると、布天幕へと足を向ける。

 皇国軍では、魔導障壁による透明度の高い魔導天幕内に、布天幕を敷設する事で機密性などを担保するという野営方式が取られている。布天幕の一つ一つに魔導障壁による気温調整効果を求める非効率を嫌った為である。

 二人は野戦机越しに状況確認を行う。

 椅子に腰を下ろしたネネカが小首を傾げた。可愛気のある仕草が似合うが、表情から意図した仕草ではない事は明白である。元より狐とはそうした種族と言え た。狐達は他者からの好意を無意識に獲得する事で、神代の時代から種を存続させているのだ。種の本質に刻まれた無意識なのかもしれない。無論、歳経た女狐 は、それを理解した上で使い(こな)す。

「情報が少な過ぎるので何とも言えませんが、有能な指揮官である事は疑いないでしょう」椅子に座したネネカが端的な結論を口にする。

 戦火の中で英雄が生まれ出る。指揮官としての資質もまた戦火の中で露わとなる。そうした場面に遭遇する事が皆無である筈もない。

「無論、帝国内の政治力学が働いている可能性もあるかと。理由は無数とありますが、戦功を立てては困る人物である場合もあります。しかし、現状でその辺りの推察は意味を成さないでしょう」

 ネネカの言葉に、ザムエルは当然とばかりに頷く。

 最早、政治を弄する段階ではない。決戦である以上、軍人はいかに眼前の敵を打倒するかという点にのみ注力するべきである。戦後へと思考を巡らせるのは指導者や為政者の責務に他ならない。

「どんな方法でぶん殴るか、その一点だな」

「はい、ヴァレンシュタイン将軍。既に我らは相対しております。即効性の伴う政略や謀略などは間に合わないかと」

 些か驚いたと言わんばかりに目を丸くするネネカに、ザムエルはトウカが狐を好むのも理解できると苦笑する。女性経験の少ない者であればある程に、年若い女狐達の純真無垢な可愛気に惹かれるだろう。

「心外だぜ、シャルンホルスト大佐。俺にも政戦の優先順位は理解できる」

 時折勘違いされるが、ザムエルは果断と拙速に傾倒した指揮官という側面だけではない。

 ヴェルテンベルク領邦軍に於ける軍事行動が常に政治を伴う以上、ザムエルやリシアも政治に無関係で居られなかった。陸軍などは軍政分離の原則から政治に 近付く事を忌避する傾向にあるが、封権制度著しいヴェルテンベルク領では常にマリアベルの意向を気に掛けねばならない。軍事行動に於いて政治的成果まで副 次的要素として露骨に求められるのがヴェルテンベルク領邦軍なのだ。政治的成果を求めての軍事行動である以上、それに留意した軍事行動が求められる。

 皇国に於いてヴェルテンベルク領邦軍の軍人ほど、政治に関心を示した軍人は存在しないだろう。

 そして、その点があるからこそ、トウカとマリアベルの協調に致命的な不都合が生じなかったと言える。軍事的方針による軋轢も、政治的紐帯の前では忍耐を強要されるのだ。

 トウカもまた軍人として振る舞いながらも政治的言動を躊躇しない人物であった。

 ザムエルは、マリアベルが効率化と意思疎通の簡略化……機略戦の一環として、軍人に政治的視野を求めていると理解していた。対するトウカは、ザムエルの 見たところ、政治家に対する不信感ゆえに軍人が政治に関心を示すべきであると考えている節がある。政治家の失態を人命と血涙を以て補わねばならないのが軍 人である以上、それをザムエルは否定できないが、トウカの政治家に対する不信感は、日頃の言動と行動を見れば明らかに経験に根差したものであった。

 それ故に陰惨な結果となる。

 バルシュミーデ子爵領で政務官であるセルアノを謀殺しようとした点を見ても、それは理解できる。彼にとり政治家に対して酷烈に接する事は義務なのだ。そ の上で能力を発揮、或いは資質を見せた者だけを受け入れる。シュトレーゼマン首相がそうである様に。ただ、エルゼリア侯爵に関しては、政治とは違う視点で の評価であったが。

 恐らく、トウカは政治家を民衆が選択するという行為に不信感を抱いている。だからこそ、自身が政治家を選別しているのだ。そして、皇都擾乱で左派政党が 大打撃を受けたのは、その一環であったのだろう。現状の国営に相応しくないと見たからこそ漸減する。酷く軍人的な取捨選択と言えた。

「別に考えるのが不得手だからと、トウカに従っている訳じゃねぇよ。あれが政戦が俺より得意だから任せてるんだ。そこを間違えて貰っては困るぜ?」

「……失礼しました」

 狐耳を萎ませて謝罪するネネカに、ザムエルは自身が悪い事を口にしている感情を覚えた。或いは、陸軍参謀本部でネネカの意見が重要視されるのは、そうした仕草に反論できない御老体方の結果ではないのかと疑う程の仕草である。

 暫しの沈黙。

 妙齢の女性とは違う身形を相手に、ザムエルは困惑する。小狐族の成長は人間種で言うところの一〇歳程度で止まるので、生涯ネネカとの会話はザムエルにとり厳しいものとなるかも知れない。

 そこで、エーリカが布天幕へと姿を見せる。

 ザムエルは指揮官を助けない不甲斐ない副官め、と胸中で妹を罵倒するが、言葉にする度胸はなかった。苦労を掛けた兄とはそういう生き物とならざるを得な い。少なくとも、苦労を掛けていると認識する程度にはザムエルも社会人であった。無論、今後苦労を掛けないと断言できる程に殊勝な生き物でもない。

「シャルンホルスト大佐。強行軍との事でしたので御食事を用意させていただきました」エーリカが盆を片手に野戦机へと近づく。

「それは……噂の……」ネネカが狐耳を立てて興味を示す。

 孤児院出身だけあり、エーリカは子女の扱いに長けている。未だに孤児院に顔を出す事もあるだけあり、子供との会話など容易いものなのだ。

 ザムエルは「退役して孤児院に就職すればいいものを」と時折勧めているが、エーリカは「軍にも大きな子供が居りますので」と返されるのが恒例となってい る。その子供は大層と女癖が悪いとの事で、実に怪しからん……高尚な嗜好の持ち主との事であった。長年従軍しているが、ザムエルはそうした人物に全く覚え がない。知っていたならば、即刻軍服を脱がしてやると義憤に駆られる程である。

「稲荷寿司です。厚揚げもあります」

 食物で釣るのは子供に言う事を聞かせる際の常套手段であると理解するエーリカに、ザムエルは感心するしかない。天幕内の言葉を発し難い雰囲気は既に霧散した。

 尻尾を揺らすネネカと、楽し気に会話するエーリカ。

 葱と大根(おろし)の盛り付けられた厚揚げを頬張るネネカ。滴る醤油が口元を汚し、エーリカがそれを布巾で拭き取る。孤児院で幾度と見た……自身も偶に当事者となる光景に、ザムエルも笑みを零した。

 稲荷寿司にも口を付けるネネカに、話題の一つとしてザムエルは問い掛ける。

「敵野戦軍の妨害を受けずに樹海を突破する方法はあるか?」

 端的に言うなれば、その点こそが解決できれば、ザムエルは装備と士気の面で圧倒できると考えていた。何より、手元には二個装甲師団が存在する。背面挟撃とて難しくない。

「あのサリンなる毒瓦斯を使えばいいかと」酢で汚れた指先を舐めるネネカの一言。

 模範的な答えであるが、ザムエルも毒瓦斯の運用については考慮した。

 しかし、エルライン回廊で毒瓦斯の効果が絶大であったのは、限定空間に於ける効果増幅と飛行爆弾の飛行特性による初見での迎撃率の低さに依存したもので あった。ましてや後退して有利な地形に再展開した帝国軍指揮官であれば対策は容易であるし、平地では元より拡散率の都合上から濃度低下が著しい。

「弾体もなければ、サリンとかいう毒瓦斯自体も少量しか残っていないそうだ。そいつは難しいぜ」

 元より、毒瓦斯のサリンは残量も少なく、飛行爆弾は今次戦役で再度の運用を前提としていない為、生産中止されている。寧ろ、弾道弾の研究開発に予算と設備、人員が割かれていた。

 ネネカの暫しの思案。舐めた指先をエーリカが吹いている為、そこに参謀将校としての知性は窺えないが。

「ならば、此方が樹海を利用してはどうでしょうか?」

 ネネカの言葉に、ザムエルが眉を顰める。

「樹海の外縁に火を放って煙幕を形成。その煙を風魔術で帝国軍へ押し流す、辺りか。それはこっちの参謀連中も考えたが……」

 その辺りであれば、ザムエルも想定したが、煙幕に帝国軍が動揺するかという点を危ぶんだ。帝国軍の魔導大隊が前面に展開して風魔術で対抗した場合、煙幕 は容易に霧散する。無論、街道を装甲部隊が駆け抜ける姿をある程度は隠蔽できるであろうが、街道という全幅の限定された進軍路を曵火砲撃されては堪らな い。

 そもそも誘因行動である可能性も捨て置けない。

 街道進軍時に一部を塞がれた場合、後退できない部隊や進軍できない部隊が発生し、前後を分断される恐れがある。それを阻止する為には、街道への攻撃が不可能な様に帝国軍部隊を後退させる必要があった。

「いえ、煙幕の投射は誤解させる為に帝国軍に対しても流しますが、それだけではありません。広範囲……戦場の空を隠すのです。直前まで空を隠し、航空騎に よる投下で毒瓦斯を帝国軍の目先に叩き付けるのです」サリンなる毒瓦斯は加水分解可能なので、既存の複数の毒瓦斯も同時に運用すべきでしょうと続けるネネ カ。

「航空騎を直前まで煙幕で隠蔽する事に成功すれば、帝国軍も咄嗟に対応できないでしょう」

「成程、その手があったか……しかし、手元にある航空騎は一個航空偵察中隊のみだが……いや、島嶼で錬成中の戦闘爆撃航空団が居たか」

 未だ皇国各地で陸海軍と皇州同盟軍の航空部隊の錬成は続いている。対帝国戦役の決戦には間に合わないとはいえ、本土決戦という状況である以上、占領された国土の奪還という任務が残る。加えてエルライン回廊も奪還せねばならないのだ。

 シュットガルト湖の島嶼は機密性の問題もあるが、大星洋から吹き込む海風を利用して航空騎の飛行を補助できる。皇州同盟軍の航空騎の育成に有意であるとされ、複数の航空基地が造成され、航空部隊の育成が続いていた。

「いえ、投射量がものを言います。戦略爆撃騎を使うべきでしょう。露呈を避ける為、少数の戦略爆撃騎を低空飛行で突入させるのです」ネネカは危険性の高い積極策を言い募る。

 その容姿や仕草には不釣り合いな積極策に、ザムエルは頬を引き攣らせる。

 さも当然の様に無理な提案を堂々と語る様は、軍神と何処か似ている。そうした生き物にとって常識とは自らの思考に準拠するものなのだ。

「何より、毒瓦斯を掻き集めるにも時間がありません。多数を攻撃できない以上、一部の部隊に集中する必要があります。それも短期間で」できれば砲兵を叩きたいですが、と付け加えるネネカ。

 ザムエルは、ノナカに選抜させた精鋭戦略爆撃騎であれば、可能かと思案する。

 ノナカを指揮官とした〈第七二一戦術爆撃航空団(TKG 721)〉は、帝都空襲で低空飛行絵の爆撃を成功させた経験を持つ為、実績を持つ。しかし、建造物ではなく部隊である以上、爆撃照準の難易度が上昇する可 能性もある。航空部隊の運用に明るくないザムエルとしては、専門家の意見を仰ぐしかなかった。

「副官、航空参謀を……いや、ノナカの親っさんを呼んでくれ。いいか? 直接、赴くんだ」

 当事者として巻き込む事になるやも知れぬのであれば、眼前の小狐に説得させた方が良いという思惑のザムエルは、エーリカに命令する。夜中に呼び出す以上、綺麗な女に起こされる方が軍人であっても救いがあると、ザムエルはよく理解していた。

「毒瓦斯攻撃に成功した場合、帝国軍は恐慌状態となるでしょう。先のエルライン回廊の戦闘で被害を受けた部隊が人員補充を受け、輜重線の警護に充てられているとの事ですから」

 敵の精神に対する打撃を主張するネネカに、ザムエルはトウカが彼女を賞賛する理由を理解した。

 ネネカは無邪気に政戦を行使できる。

 陸軍府参謀本部ともなれば、実戦経験も相応に持つ。他国への派兵や匪賊討伐、エルライン回廊を巡っての定期的な帝国軍との交戦。戦争はないが、紛争と名前を変え皇国は幾つもの小競り合いに勤しんでいた。実戦経験と装備の実戦証明(コンバットプルーフ)、戦術確認などの為である。実戦を以てしか改善点を見い出せない点は数多くある。武力を恃む実力組織は、悲劇なくして発展しないのだ。


 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。


 暴力行為の最先端を進む以上、先の歴史が分からず、実戦という経験に学ぶしかない。

「しかし、聞いていた数より歩兵師団が少ない様ですが……」

「練度が低い六個歩兵師団は予備兵力として運用する心算だ。壊乱後の迫撃と残敵掃討に充てる」

 装備と人材は在れども、内戦時からの予備役動員はトウカの命令で継続されていたが、種族的に戦闘に適さない者や高齢者、幼年者まで含めた九個歩兵師団よ りも、戦闘に優れた者を選別した三個兵師団の編制をザムエルは敢行した。元より、ヴェルテンベルク領邦軍時代から義勇装甲擲弾兵師団……義勇兵による歩兵 師団編制は、三個聯隊の内、一個聯隊を戦技に優れた者達で構成する規定となっている。それらの戦技に優れた一個聯隊を九個師団から抽出。三個歩兵師団を編 制した。その編制を終えたのが先程の事である。残存の六個師団はフェルゼンでの陣地防御に専従させる為、複雑な運用は成されない。

「成程。正しい判断かと」

 ネネカの賞賛は裏を感じさせないが、これ程に優秀であるならば内戦時に活躍しなかったのか、ザムエルは不思議に思う。彼女自身が先程の“戦功を立てては困る人物”であった可能性もある。

「取り敢えず、街道に斥候を出して罠がないか事前確認させるべきでしょう。戦車の踏破性にも限界があります」

 ベルゲン近郊の〈南部鎮定軍〉主力の後背を保全する任務であるならば、街道を封鎖する事で達成できる。積極的に交戦する必要はない。

「成功すれば混乱した帝国軍を叩けるが……確実性に乏しい気もすんな」

 ザムエルの判断に余る程の奇策と言えるが、ネネカの化学兵器の使用に帝国軍が恐慌を(きた)すという部分を問題視した。敵の誤りを前提とした戦況推移を望むのは愚将の振る舞いである。

 ネネカは身形を感じさせる相応の笑みで微笑む。


「はい、閣下。小官も策自体は提案しましたが反対です」


 火砲戦力の展開を終え、街道の終着点で二〇km程の半包囲を以て展開している帝国軍の一部を二個装甲師団で食い破る事は可能であるが、後続の歩兵師団が その破孔に殺到する時間的余裕があるかという点をネネカは危ぶんでいた。泥濘に足を取られて、移動速度が低下せざるを得ない樹海の先の平原では、防禦側が 極めて有利な戦況となる。半包囲する帝国軍を相手に樹海を抜けて再展開する中、歩兵師団は一方的な砲火に晒されかねない。

 その時、二個装甲師団は支援できるのか?

 そう尋ねられたザムエルは、咄嗟に返せない。

 装軌式の装甲兵器の踏破性にも限界はある。ここで無理な機動をしては、当初の予定通り、〈南部鎮定軍〉主力の後背を衝く事に失敗する可能性もある。装甲兵器の整備には時間を要する。本来であれば鉄道輸送をしたい程なのだ。

「おい」こいつは何を言っているのだと、ザムエルはネネカを睨む。

 トウカの様な持って回った言い回しに、ザムエルはノナカを呼ぶ状況を作られたのだと悟る。少なくともネネカは善後策を持っており、それを採用させるべくザムエルを誘導していた。ザムエルを察して頭を掻いて溜息を一つ。

 つまり、誘導せねば容認できない策であるという事なのだ。

「一層の事、こちらから街道を爆破して封鎖しましょう」

「御前な……戦後の北部経済を踏まえれば、そんな真似はできねぇよ」

 トウカに激怒される事は疑いない。

 経済に対するトウカの姿勢を見れば、人員と物資の流動に支障が出る真似を許容するとは思えない。無論、決戦に負ければ意味のない配慮であるが、後の北部の貧困を招くのであれば、ここで被害を覚悟で強引に突破した方が有意義な被害と言えるだろう。

「お聞きください。私の作戦は内戦時に征伐軍が利用した進軍路を利用するものです。シュットガルト湖畔とは言え大軍が移動したのです。相応に踏み固められていますし、何より将軍が陸上戦艦の進軍路にも重なります」

 言い募るネネカに、ザムエルはその意図を正確に理解する。

 ネネカは、樹海の先に展開する敵野戦軍との戦闘を避け、寧ろ自ら街道で閉塞作戦を実施する事でフェルゼンを保持。〈ヴェルテンベルク方面統合打撃軍〉は 内戦時に征伐軍の部隊がフェルゼン包囲の為に迂回した経路であり、一部はザムエルがその後背を突く為に迂回した経路でもあった。融雪によって泥濘と化した 時期に在っては、幾分かは移動を容易ならしめる要素と言える。

「それに、三割程でしかありませんが鉄道路線があります。複線です。東部方面まで出る事になりますが、ミナス平原までの到着時間は短縮されるかと」

「ああ、そうか。フェルゼン包囲の長期化に備えて征伐軍が敷設しようとした路線か。確かに撤去されたとは聞かないが……」

 厳格な時刻管理によって予定が守られている鉄道運行を、突然に曲げる事はできないが、未だ路線として運用されていない路線であれば、その運用に制限は付かない。

「車輛は?」

「東部方面軍の鉄道輸送部に用意させています」

 当初から拒絶されているとは考えていなかった故の根回しであろうが、直前まで提案を避けた遣り口に、トウカと近い感性をザムエルは感じた。

 相手に物事を要請する際、時間的余裕を奪い、その上で選択肢を剪定して提示するのだ。挙句に複数ある選択肢は差異がある様でなかった。

 内戦時のトウカとマリアベルの遣り取りはその最たるものであった。状況への準備を曖昧なままに、或いは事実とは言い難い副次計画を以て推進し、直前に作戦や政略の変更を提言するのだ。そこには、相手に判断する時間を与えず、選択肢を制限するという意図がある。

 本来であれば、隷下部隊や官僚の混乱と準備期間を考えていない行動など成立するはずもないが、彼らは現行で進行している複数の計画内で準備や計画を分散して行う事で対応している。本来であれば、整合性を取る事が難しいが、時折、そうした思惑を個人で組み上げる者が居る。

 ある種の謀将と言えるだろう。

 彼らは組織内政治を行う事で自身の戦略や戦術を組織に採用させる。

「仕方ねぇな。採用してやる」

 ザムエルとしても最適解に見えるのだから致し方ない。

 内戦時に行われたシュットガルト湖畔攻防戦時の様に、シュットガルト湖を輸送艦で航行しての湖上輸送……東部地域への戦力再配置を行うおうという目論見 もあったが、実情として輸送艦への再搭乗に時間を要する為、〈ヴェルテンベルク方面統合打撃軍〉によって不可能と判断された。何より、内戦時に装甲兵器の 輸送艦搭載時間を大きく短縮した架橋戦車は大部分が、現在、ミナス平原後方に展開している〈第一工兵師団『フォン・ホープレヒト』〉に編入されている。平 原地帯に流れる河川を渡河する必要性からであった。

 選択肢などなかった。

 トウカとしても想定外であろう事は疑いない為、ザムエルの決断こそが〈南部鎮定軍〉主力の後方を断つか否かを決める事になる。ネネカが“要請”を受けて 訪れたとの事であるが、作戦にトウカの承認がないという点からみて、ネネカの派遣の経緯自体に、ザムエルは疑いの目を向けていた。

「俺は、まぁ大丈夫だろうが……御前は気を付けるんだな」

「???」

 心底と呆れた声音で忠告するザムエルだが、ネネカは小首を傾げる。

 トウカは完璧主義でも潔癖でもないが、政戦に於いての過程を軽視はしない。その行動などから思惑や姿勢を推察する事で得た情報を次の政戦に反映させていた。

「あまりトウカに敵対しない事だ」

 潜在的脅威を先んじて排除しようと目論むのはトウカとマリアベルに共通した姿勢であるが故に、ザムエルはその恐ろしさを良く理解していた。

 或いは、眼前のネネカならば、トウカの悪意を避け得るのではないかという期待もあったが、自らを助く術を携えてきた者に対する最大限の感謝を以てザムエルは忠告した。

 

 

 

 

 

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