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第二三九話    ミナス平原会戦 八

 

 

 

 

 

「無茶苦茶だな。これでは指揮統制などあったものではない」

 

 座天使は呆れた声を上げる。

 

 装甲擲弾兵師団……〈第二三五装甲擲弾兵師団『ノーラ・ヴォルフェンビュッテル』〉の師団長であるエルネスティーネ・フォン・マイントイフェルは思わしくない戦況を思い描く。

 

 彼女は、高位種である座天使族の女性で、年齢と容姿は当然ながら人間種の年齢基準とは合致しない。人間種の外観で見ると二十代後半であり、トウカの感覚からすると見目麗しい有翼の師団長という存在は思考を狂わせるものがあった。

 

 長い脚を組み、戦闘指揮車の天蓋に座した天使の周囲には師団参謀達が侍っている。遠く響く砲声を前にして動じる程にミナス平原で消費される火力は小規模ではない。常に鳴り響く砲声を相手に警戒する程に神経の細い者は既に後送されている。皇州同盟軍に関しては夜明けの総反攻に備え、除倦覺醒劑を兵士に与えるという決断が下されていた。

 

 ヨエルはトウカを信じると断言したものの、エルネスティーネは隷下将兵を麻薬漬けにする事を厭わないトウカに嫌悪感を感じた。しかし、今となっては只々もの悲しさだけが胸中を占めていた。

 

 トウカ自身も除倦覺醒劑を使用していると知って尚、批難する真似はできなかった。

 

 天使系種族は、その種族成立の背景から優れた医療技術に必要な資質の大部分を有しており、その継承と発展を怠らなかった。トウカの後遺症治療に当たるには最適である。

 

 フェルゼンに巣食う狐に知られたくないと考えるトウカだが、天使系種族に借りを作る挙句に己の瑕疵を露呈する真似は避けたいと考え、後遺症による頭痛や眩暈を処方箋で押さえ付けていた。

 

 しかし、リシアがそれを許容しなかった。

 

 天使系種族の医療に明るい者を連れてきて、トウカの治療に当たらせたのだ。

 

 だが、ヨエルは気付けなかった。

 

 リシアは、軍医ではなく医師免許を持つ天使系種族の将校に治療を依頼したのだ。正規の軍医であれば書類として治療結果を残さねばならないが、医師免許を持つ将校となれば話は変わる。報告の義務もなく、世間話の一環として処理したのだ。処方箋と治癒魔術の術式構築方法を受け取ったリシアは、その二つを人間種の軍医に用意させてトウカの治療に当たらせた。

 

 ――ハルティカイネン大佐か……あれはあれで困りものね。

 

 決戦の最中に政治を行う真似をエルネスティーネは唾棄する。最近のヨエルもどこかそうした気配があるとすら感じていた。

 

遠方の雷鳴の如き砲声が無数に列なり鼓膜を震わせる。

 

 座天使種であるエルネスティーネは、その種族的特性として前線指揮官の資質を持つ。

 

 玉座や車輪の意味を持ち、神の戦車を運ぶ者とされる。意思の支配者(Lords of Will)の異名も持つ座天使は、天使系種族に於ける指揮官の役目を負う立場にある。他にも力天使や能天使が近しい立場にあるが、彼女達は野戦指揮官に近い資質を持つ。

 

「三個装甲擲弾兵師団ではここまでだろう。後続の歩兵師団もこれ以上の進出は難しい」

 

 差し出された金属湯呑みを手に取り、エルネスティーネは後背を一瞥する。

 

 姿が見えぬ先には六個歩兵師団が後続し、破孔を拡げるべく展開を続けているが、敵後背への迂回自体が輜重線の長大化を意味する。その点をヨエルですら読み違えた。

 

 トウカによる鮮やかな(実情は兎も角として)迂回突破は、迅速に敵を撃破している様に見えるが、その実情は紛れもない通り魔の所業に過ぎなかった。

 

 迂回突破を実施する部隊は、敵上級司令部や砲兵陣地などを主目標とした限定的な目標設定を行い、速やかな達成と後退を可能とする事をトウカは常に行っていた。迂回は可能でも永続的な後方遮断や包囲は、彼我の戦力差が隔絶している為に不可能であると理解していたが故である。

 

 戦力差がある場合、後方遮断や包囲戦に参加しても主力から分派した戦力によって撃破や開囲される可能性が高い為である。後方遮断に関しては遊撃戦を展開する事で継続は可能だが、包囲の場合は包囲を実現する配置を堅持する必要性から後退が難しい。そして、それは機動力の放棄を意味する。迂回突破に於いて主力となる機動力に優れた部隊の機動力放棄は戦力運用上の失敗に等しい。

 

「帝国軍が司令部直轄戦力に一個軍団を未だ温存していたとは」

 

「しかも、左翼から後退した多数の師団まで合流している」

 

 参謀達の言葉に、エルネスティーネは帝国陸軍の底力を感じていた。

 

 斥候を担う複数の大隊が捉えた前方で塹壕線を展開する増強軍団規模の戦力は、迂回突破を阻む形で展開している。森林地帯や河川などの地形的要素から、これ以上の迂回は時間的問題により現実性を欠く。

 

 内戦時、フェルゼンを巡る戦闘でフェルゼンを包囲する征伐軍の後背を陸上戦艦二隻と装甲師団で奇襲した作戦は国内外で高評価されている。包囲を望む相手を更に包囲する可能性がそこにあったからである。

 

 しかし、それは錯覚である。

 

 大軍や都市という大規模な攻略目標を包囲する以上、相応の広域展開が行われるが、それを更に包囲するには想像を絶する大兵力を必要とする。例え、一部の包囲であっても条件は変わらない。包囲していない戦力の阻止が手段に追加される為であった。

 

 ヨエルの場合は、トウカの世界に於ける戦史を知るが故に錯覚がより深まったと言える。第二次世界大戦に於いて《ソヴィエト連邦》陸軍を事実上、壊滅させたクルスクやプロホロフカに於ける《独逸第三帝国(サードライヒ)》の包囲殲滅戦を知るが故であった。両戦闘によってソ連西方に於ける枢軸国の優位は確実なものとなり、その数カ月後には東方で《大日本帝国》を相手にクラスノヤルスクとノヴォシビルスクで大敗。その際も包囲殲滅戦となった。違いは独逸が機甲戦力による後方遮断と包囲を目指した点に対し、日本は絶大な数の航空機による直協支援と戦術爆撃による敵軍の拘束による後方遮断と包囲であった。

 

 ヨエルが機甲戦力と航空戦力に過度な期待を抱くのもやむを得ない規模の大勝である。

 

 そのヨエルの確信を背景に迂回突破が試みられた。

 

 しかし、この状況に至ってトウカがそれを承認した意図をエルネスティーネは理解した。

 

 ザムエル隷下の〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉による迂回突破を確実に成功させる為、天使系種族の影響下にある三個装甲擲弾兵師団と後続の五個師団に敵の予備戦力を拘束させたのだ。予備戦力が存在するか確認としての威力偵察という部分もあると思われる。

 

 その証拠に未だ後退命令は出ていない。

 

 帝国側は戦線で熾烈な塹壕線に興じている以上、更なる余剰戦力はないと推測され、包囲の危険性はない。

 

「航空基地襲撃で航空歩兵の大部分が戦線に投入されている。此方の航空支援要請は通るまい」

 

 火力が足りない。

 

 その一言に尽きる。

 

 一度、先鋒を担う三個装甲擲弾兵師団による突破を試みたが、それは十分な規模の砲兵による対砲迫砲撃によって頓挫した。厳密に言えば、火力戦で撃ち負けたのだ。装甲擲弾兵師団も車載型の野砲……自走砲を擁していたが、帝国軍の野砲はそれを遥かに上回る門数を備えて待ち構えていた。夜間である為、航空偵察歩兵による索敵が見逃した点も大きい。警戒を招く為に偵察を攻勢直前の夜間に行った点が裏目に出た形である。

 

 皇州同盟軍の装甲師団も自走砲や突撃砲、自走重迫撃砲などを多数、戦闘序列に組み込んでいるが、それでも尚、対抗できるとは思えない規模の火砲が〈南部鎮定軍〉に未だ存在するとは思えなかった。

 

「やられた……」

 

 迂回突破は攻勢限界に立っている。

 

 エルネスティーネは、前線の砲兵の大部分を後送し、それを充てたのだと推測していた。輜重線への航空攻撃による弾火薬の不足は前線で生じているが、それは前線後背の輜重線や弾火薬集積所を重点的に攻撃しているからである。それよりも更に後方の輜重線への攻撃は限定的であった。

 

 弾火薬の不足によって鋼鉄の置物(オブジェ)となるならば、弾火薬の補給が可能な地点に再展開するという決断は合理的な判断と言える。前線の砲兵を削減すれば、結果として行き渡る弾火薬の不足は軽減される筈であった。

 

 しかし、前線から砲兵という打撃力を後送するという決断は、軍人であれば誰しもが躊躇する。ましてやそれが砲兵火力を重視する帝国陸軍であれば尚更であろう。

 

「後送したのだろう。弾火薬のない火砲など邪魔だと考えたのだろうな」

 

 ブルガーエフ中将は端倪すべからざる戦巧者と言える。今まではリディアという攻勢に優れた総指揮官の影に隠れていたが、リディアが積極的攻勢を実現できたのは、ブルガーエフという宿将がその後方を確実に防護していた故であった。

 

 先任が存在するにも関わらず、中将に過ぎないブルガーエフが〈南部鎮定軍〉の総指揮を担っている点がそれを証明している。上の階級の者が不満を抱けば主導権争いが勃発しかねない中、指揮統率に混乱が見られない以上、ブルガーエフの指揮に異論を挟む者がいなかった。或いは、油断なく排除されたと推測できた。

 

 皇国軍が〈南部鎮定軍〉を未だ致命的なまでに崩せないのは、〈南部鎮定軍〉や〈アルダーノヴァ軍集団〉の司令部に優れた将校が集中配置されているからと言える。帝族の権威を以てリディアが帝国各地より集めた将校は社会的地位や派閥に関わらず、その能力のみを以て判断された者達である。

 

 実質的に、そうした優れた将校達を選別したのがブルガーエフである。リディアはそこから更に選別を重ねたに過ぎない。そして、未だ皇国軍が与り知らぬ事であるが、初戦の航空攻撃の連続の中、〈南部鎮定軍〉が壊乱しなかった事もブルガーエフの手腕に負うところが大きい。

 

 エルネスティーネが推測した砲兵の後送もブルガーエフの決断である。

 

 しかし、それはトウカが内戦中のフェルゼン市街戦で砲兵戦力を水増ししたように見せかける為、木材などを利用して急造した砲兵陣地と同様であった。トウカの戦略と戦術に対する理解をブルガーエフは怠っていなかった。

 

「しかし、その様な報告は受けておりませんが……」自信なさげな参謀。

 

 魔術的隠蔽を見抜けぬ皇国軍ではない。魔道国家の看板を下げる様な無様を複数の索敵部隊が同時に犯すとは思えない。

 

「サクラギ元帥が内戦時に市街戦で行った擬装に類するものではないでしょうか?」砲兵参謀が一つの可能性を口にする。砲兵将校であればこその理解。

 

 その言葉に、エルネスティーネはこれ以上の迂回の断念を決めた。

 

 可能であれば、迂回を放棄して〈アルダーノヴァ軍集団〉の後背を突く事も考慮したが、前方に展開する増強軍団が拘束する為に進出する事が想定される。後背を突かれるのは望ましくなかった。

 

 ブルガーエフという男が情勢変化に対して、トウカの様な果断を選択した場合、混戦に陥る可能性がある。装甲擲弾兵師団は兎も角、後方の歩兵師団に関しては確実な離脱を成せる移動速度を有してはいない。

 

 ――いや、砲を捨てれば可能か? それならば、夜明けを待って航空支援の下で……

 

 目下のところ、ヨエルとリディアの衝突の結果に懸かっている。航空攻撃が再開されれば、帝国軍を全ての戦線で押し返す事は容易である。航空攻撃の威力とはそれ程であった。

 

 無論、ヨエルとリディアと思しき指揮官の衝突は、総司令部が押し留めている為、一師団長に過ぎないエルネスティーネに伝達される筈もないが、天使系種族の中の高位種という肩書が情報を齎した。

 

 天使系種族の将官は陸軍とは別の情報伝達手段を有している。

 

 天使系種族が得た情報は、通信封止されていない場合、軍とは別の通信隊……後方の輜重部隊に紛れた天使種によって運営される通信部隊によって発信された。受信するのは隷下部隊の通信中隊であるが、通信兵は暗号化されたその情報の意味を知らず、首席参謀が解読してエルネスティーネへと伝えられるという仕組みである。天使系種族の強い影響下にある三個装甲擲弾兵師団の全てがそうした種族間による通信手段を独自に用意していた。龍種は航空騎であり、狼種が軍狼兵によるものである。

 

 ――神剣が魔人種の姫将軍の手に……歴史の皮肉ですね。

 

 大方の将兵は神剣の存在を知らず、ヨエルの勝利を確信しているが、エルネスティーネは状況次第であると見ていた。後方の飛行場を守りながらでなければ幾何かの優位はあったであろうが、現状では優位とは言い難い。

 

 だが、皇国側には他の公爵が航空基地付近に展開している。

 

 最悪、ヨエルが敗北してもリディアに連戦を強要できる代替戦力をトウカは用意しているのだ。その点をエルネスティーネは危ぶんでいた。

 

 ヨエルの戦死をトウカが望んだ場合、神話の行方は姫将軍に栄光を与えるだろう。

 

 その後、アーダルベルトによってリディアを撃破する事は難しくない。ヨエルとの戦闘でのリディアの戦闘能力は大きく減じていると推測できるからである。

 

 誰しもが其々の思惑を胸中に戦争に参加している。

 

 敵だけではなく友軍の中の政敵を排除しようという意図を感じざるを得ない編制や命令は多岐に渡る。トウカは軍事的妥当性を重視し、公爵達は政治的妥当性を重視するが、将来的な政敵の排除に勤しんでいる点に変わりはない。

 

 

 戦争は敵を愛することでなく、味方を憎むことを教えてくれる。

 

 

 亡国の縁にあっても尚、真の意味で挙国一致が叶わない様を、エルネスティーネは憂えている。否、実際のところ憂えている将官は陸海軍内でも少なくない。そうした者達の間では、中央貴族が軍備拡充に肯定的になるか、トウカが天帝尊崇か順法の精神に目覚めるかという奇蹟が起こらないかという冗談が流行していた。

 

 しかし、エルネスティーネはトウカとアーダルベルトの水面下での連携を怪しんでいた。

 

 ヨエルがトウカに協力した様に、アーダルベルトも協力しているのではないのかという疑念。航空戦力が帝国との戦争で必要であった点は理解できるが、それにしては技術情報開示が完全に過ぎた。航空装備は全てが開示されていると言っても過言ではなく、それが連携によるものと怪しむ者も存在する。現に航空戦力が龍種の権勢を躍進させるとして、龍種のトウカに対する評価は軒並み向上している。

 

 そこに水を差したのがヨエルである。

 

 少なくとも航空歩兵という兵種を積極的にトウカに売り込んだ事を龍種は苦々しく考えていた。それ故にトウカは、ヨエルと距離を取る姿勢や発言をしていると、エルネスティーネは見ている。当然、ヨエルはそれを知ってトウカに近付く真似をしている。

 

 組織力学上の連携と離間がトウカとアーダルベルト、ヨエルの間で行われている。

 

 政治的視点から見ると、そう取れなくもない。

 

 それを踏まえた上でエルネスティーネは、眼前の増強軍団を拘束し続けるしかないと覚悟した。彼ら彼女らの想定しない行動で各種支援の優先順位を低下させられては叶わない。

 

「今夜は膠着するでしょう。しかし……」

 

 夜明けと共に戦況は動く。

 

 〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉の到着が予想されるからである。

 

 厳密な到着時間は不明であるが、戦闘詳報が正しければ到着は今日である可能性が高い。即決即断の装甲部隊指揮官がシュットガルト湖沿いに迂回機動の最中に在ると聞いているが、昼間の航空攻撃を見るに近いとエルネスティーネは見ていた。

 

 特定の地域に航空攻撃が偏重しているのは、事前攻撃ではないかと彼女は睨んでいた。

 

 結局、狂った戦争屋の狂った盟友の到来に合わせて彼女も動くしかない。

 

 彼女は一師団長に過ぎないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ははは、此奴(こやつ)め。抜かしおるぜ。余程死にたいらしいなぁ!」

 

 韋駄天の名を冠した軍司令官が呵々大笑する。

 

 

 ザムエル・フォン・ヴァレンシュタイン。

 

 

 皇国に於ける装甲部隊指揮官の雄として知れ渡る英雄の一人は、決戦の決め手となるであろう最中に在っても平常運転であった。

 

「閣下、夜明けです」副官のエーリカが告げる。

 

 曙光の窺える方角を指差す副官の言葉に、ザムエルは走行する戦車の天蓋に仁王立ち……しようとするが失敗して胡坐を掻くに留めつつも、大音声で告げる。

 

「応! 黒茶を寄越せや!」

 

 朝焼けを横目に黒茶を楽しむという風俗での日常を継続しようとするザムエルだが、揺れる車上ではそれも叶わない。頼れる副官は肩を竦めてザムエルの命令を流す。実に頼れる事であった。下手に飲料を受け取って股間に零しては格好が付かない。

 

 黎明越しの強襲。

 

 それを止め得る帝国軍は存在しなかった。

 

 〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉という有力な戦闘単位(ユニット)は昨夜に機動打撃を試みた部隊を遮る増強軍団規模の戦力を強襲した。

 

 装甲師団を前面に押し立てた強襲は間髪入れずに敵軍の一部の壊乱を誘発した。装甲師団の衝力は絶大なのだ。

 

 衝力とは相手の防御を削る攻撃を指し、衝力で敵軍の防御を飽和する事を破砕という。衝力は攻撃をする程に、将兵の疲労度や、弾薬消費により失われ、補給や援軍を追加せねば喪われる。防禦側の場合は援軍到来まで持久すればいいが、士気の問題を踏まえると攻守に関わらず、衝力は初戦にこそ最大限に発揮されるものと言える。

 

 複数の装甲聯隊が敵の塹壕線を容易く切り裂いて戦線に破孔を刻む。

 

 突然の強襲。奇襲とは言い難いが、少なくとも準備期間を与えない程度の強襲であったそれは、余りにも容易く戦線を引き裂いた。

 

「何逃げとんじゃ我ぇ!! 死んでけやぁ!!」ザムエルの罵声。

 

 副官が装甲擲弾兵聯隊の投入を上申し、ザムエルはそれを受け入れる。

 

 装甲擲弾兵とは機械化歩兵の事を指し、これはザムエルの一声で名称変更されたに過ぎない。端的に言えば趣味である。精鋭意識を醸成するという点を踏まえれば、決して無駄ではない為に認められた。陸軍も同様の理由から同名を採用している。

 

 機械化歩兵とは、歩兵戦闘車や装甲兵員輸送車に搭乗し、戦車部隊に戦場で追随しつつも歩兵戦を行う兵科である。戦場間の移動のみを目的としている自動車化歩兵と違い。装甲を有する車輛である為、より積極的に戦車部隊と連携できた。

 

 無論、名称はそれらしくとも、生産が間に合っていない都合上、装甲兵員輸送車などは装甲を張り付けて魔導刻印を施した程度に過ぎない。歩兵戦闘車などは天蓋上に防盾付きの機関砲を据え付けた程度である。

 

「……こうも容易く壊乱するとは思いませんでした」

 

 狐耳を揺らして戦車の機銃にしがみ付くネネカが、装甲聯隊の接近に塹壕を捨てて逃げ出す帝国軍兵士の姿に眉を顰める。

 

 ザムエルとしてはなんら不思議な事であるとは考えない。正規軍の軍人であるネネカは、容易く壊乱する敵を想像し難いかもしれないが、ザムエルは地方貴族の領邦軍軍人としての経歴を持つ。軍人崩れの匪賊などでは、隊列や連携があれども不利と見れば即座に壊乱する事が多い。それは愛国心や民族意識、種族意識によって戦野に赴いた軍人とは違い、生きる為に他者に暴力を振るう事を望む者達であるからに他ならない。不利な戦闘に付き合う義理などないのだ。

 

 急造師団兵士と軍人崩れの匪賊に然したる違いなどない。

 

 劣弱な軍事知識と低い練度。愛国心と戦意の欠如。戦闘単位(ユニット)として見た場合、運用方法は極めて限られる。複雑な作戦行動は難しく、拠点防衛や輜重線警備が関の山と言えた。

 

「防衛なら十分に使えただろうが、相手が悪かったな。装甲師団に穿てねぇ戦線なんてねぇよ」

 

 ましてやそれが急造の粗末な塹壕線であれば尚更である。

 

 通信傍受の結果、前方に展開している増強軍団規模の戦力は〈集成南部軍団〉と称され、指揮官は〈南部鎮定軍〉司令部で砲兵参謀を務めていたロフィビツキー大将が務めていると判明している。

 

 四個歩兵師団を基幹戦力とした急造部隊であることは明白であるが、師団旅団に属していない独立混成部隊などの独立部隊が多数編制に組み込まれており、総兵力は八万名近いと見られていた。特に軍団長直轄にされている独立砲兵大隊の数は常軌を逸した規模である。

 

 陸軍の三個装甲擲弾兵師団が手間取るだけの編制と指揮を以て〈集成南部軍団〉は展開していた。その最大の特徴は砲兵大隊の数であり、五個歩兵師団規模でありながら砲兵は一六個師団に匹敵する砲数を揃えていた。しかも、弾火薬不足の気配はない。

 

 装甲擲弾兵師団は改修された旧式戦車などが主体で軽装甲の車輌が大部分を占める。その上、随伴歩兵は自動車化歩兵であり砲兵に対しての脆弱性が否めない。装甲なき兵員輸送車ともなれば爆風や破片効果によって容易く破壊される。

 

「砲兵の奴らが妙に元気じゃねぇか」

 

「航空攻撃を前線背後に集中した結果かと。更に後方であるこの辺りの兵站事情は良いのでしょう。先程まで夜間であった上、航空基地が襲撃を受けているとの事ですので」

 

 ネネカの指摘に、ザムエルはトウカの思惑を察した。

 

 ザムエルは〈南部鎮定軍〉司令部の直撃を狙ったが、トウカは敵野戦軍の兵力漸減を重視しているのだろう。

 

 戦況を傍受した結果として、装甲擲弾兵師団の助力を決めたが、それは〈南部鎮定軍〉司令部を含めた全体の包囲を意図しての事であった。〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉と三個装甲擲弾兵師団、五個歩兵師団があれば後方遮断の戦力としては十分である。

 

「どうする? 分散すべきか?」

 

「この戦況で尚も敵に予備戦力があるとは思えませんが……これ程の戦巧者です。戦線整理で戦力を抽出して各所撃破を試みる可能性も捨て切れないかと」

 

 ネネカの警戒感にザムエルは相好を崩す。戦線整理の意味を敵の撤退と理解したからである。

 

 後退戦を覚悟したならば戦線整理……戦線を縮小しつつ厚みを増し、予備戦力を捻出する機会も生じる為、後退を阻止する位置に展開する〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉の排除を優先する事は間違いない。

 

「〈集成南部軍団〉の撃破を優先する。その後、包囲作戦を展開。作戦要網なんてあってない様なものだ。通信に友軍の動きを見逃すなと伝えろ」

 

 ミナス平原に於ける戦闘が本格化して既に十日を数えるが、未だ〈南部鎮定軍〉司令部の所在は判明していない。航空偵察が複数の拠点を確認しているが、特定するには至っていなかった。割り出される事を前提に囮を用意しているのか、元より司令部機能を分散している可能性もある。

 

 ザムエルは、〈南部鎮定軍〉司令部の直撃を諦め、皇国軍主力の動きに合わせた包囲の一翼を担う決意をした。

 

「致し方ありません。我々の到着で流石の敵も後退戦に転じるでしょう」

 

「姫将軍を敵中深くに放置してか?」

 

 さも当然の様にリディアの事を踏まえないネネカの発言。ザムエルとしてはその辺りが理解できない。

 

 軍事的に戦力として見た場合、あくまでもリディアは個人に過ぎない。帝族と言えど帝位継承位は低く、帝国元帥以上の意味を見い出す真似をしないネネカに対し、ザムエルは帝族でもある指揮官を放置して撤退する事が信じられなかった。ザムエルは領邦軍出身であり、領邦軍とは貴族の私兵である。主君に近い小規模な軍に属する経験は、主君の生命と意向を狂おしい程に尊重する価値観を彼に植え付けた。

 

「それこそが帝国政府や門閥貴族の意向である可能性もあります。……まぁ、姫将軍の気質ゆえかも知れませんが」

 

「そうか……招聘の儀を邪魔した奴もあの姫将軍だったな」

 

 帝国には陸軍元帥を敵国への破壊活動の為、少数のみで潜入させるという常軌を逸した決断を行った過去がある。それを考慮すれば、リディアを後退戦の捨て石とする真似は十分に考えられた。

 

「閣下、件の装甲擲弾兵師団から通信です。砲兵を優先して排除して欲しいとのこと」

 

 エーリカが伝令兵から手渡された通信文を読み上げる。

 

「砲兵か……装甲師団とは言え、あの数の砲兵を相手にするのは消耗が大きいが……」

 

「しかし、各装甲擲弾兵師団から師団司令部直轄の三個航空歩兵大隊を投入。支援を行う用意があるとの事です」

 

 帝国軍も対空戦闘を即席ながらも行っており、航空歩兵は航空騎と比して速度で劣る事もあって反撃を受けやすい。目標としては小型である為命中率は低いが、低練度や夜間である事も相まって高度を下げての対地攻撃は被撃墜率も上昇する。

 

 ザムエルは未確認であるが、ロフィビツキー大将は航空歩兵の迎撃に当たり、迫撃砲の時限信管調定によって航空歩兵の突入高度に弾幕を張るという無茶を以て対地攻撃を妨害していた。

 

 砲兵将校らしく、当初は野砲による迎撃を目論んだロフィビツキー大将だが、仰角の問題から迫撃砲で代替して砲兵陣地上空の防衛を図った。迫撃砲弾を盛んに炸裂させる事で低空域を防護し、視界を遮るという方策は迫撃砲弾の大量消費と引き換えに成功している。

 

 ロフィビツキー大将は、この一日が天王山になると覚悟を決めていたが、ザムエルやエルネスティーネはそれを理解していなかった。帝国主義的な決断の先延ばしの延長線上にある攻勢ではないのだ。

 

 ザムエルは天蓋に今度こそ仁王立ちすると、遠望に窺える砲火の煌めきを見据える。

 

 絶大な火力。曳火砲撃であった。

 

 敵火力の排除は近代軍の命題でもある。座視する事はできない。攻めるも守るも火力次第。

 

「要請を受け入れる! 二個装甲聯隊の装甲楔型陣形(パンツァー・カイル)はそのまま! 装甲擲弾兵聯隊も投入! 砲兵陣地まで駆け抜けるぞ!」

 

 航空歩兵も装甲師団の直協支援の下で陣中深くに進出すれば戦果拡大は容易であるという算段の下、ザムエルは曙光を背に右手を振り上げる。

 

 鋼鉄の暴風が曙光の下で荒れ狂う。

 

 二つの楔が盛んに銃火を放つ塹壕線に突き刺さる。

 

 簡易的なものながらも地形に合わせて複雑な塹壕線が構築され、一部では重迫撃砲の砲弾を利用したと思しき罠が戦車を擱座させた。重機関銃の集中射撃によって履帯を切断された例もあれば、肉薄した歩兵による爆雷での爆破も行われた。排除すべく装甲擲弾兵が戦車砲による支援の下で掃討しているが、敵は明らかに装甲戦力を想定した対策を取っていた。地形的な制限から突入路が限られた事も不利に働いている。沼地と森林が重量兵器の運用を制限したのだ。

 

 ミナス平原と言われているが、ベルゲン周辺から距離を置けば、相応に起伏に富んだ地形や森林、沼地、荒地なども存在する。それらを利用して侵攻路を制限しつつ塹壕線を構築したロフィビツキー大将は火力戦の名手でもあった。

 

 帝国軍も不退転の覚悟の下で装甲師団を迎え撃つ。

 

「閣下! 第二装甲大隊からです。集中攻撃を受くとのこと」

 

「奴ら、肚を括ったな……畜生め。全滅は元より覚悟の上か」

 

 機動する戦車を通常の砲兵が攻撃するというのは難易度が高い。軽便で小型な対戦車砲であれば容易であるが、野砲や加農砲、榴弾砲、歩兵砲……野戦砲の大部分は対戦車攻撃を想定していない。

 

 しかし、〈集成南部軍団〉の野戦砲は、戦車が迫っても尚、砲にしがみ付いたまま動かない。間接照準による曲射によって火力投射を行う事を主任務とする彼らは直接照準による直射を敢行した。

 

 直接照準による低伸弾道の平射という専門外の砲撃を行う帝国軍砲兵隊。

 

 本来、平射を行う事を前提とした野戦砲は、高初速の低伸弾道を成すべく多量の緩燃火薬を炸薬とし、高初速ゆえに動体目標への照準性に優れる。

 

 戦車が戦車砲の決戦距離に迫る中、尾栓越しの直接照準で彼らは正面から迎え撃つ道を選んだ。

 

 ザムエルは次々と上がる被害報告に地図を握り締めると、戦車から飛び降りて通信兵がしがみ付く通信装置から送受話器を引っ手繰ると送信(ボタン)を押し込む。

 

「怯むな! 押し込め! 後背に回り込め! 奴らは陣地転換できねぇ!」

 

 攻勢を躊躇しては、砲撃を受ける時間が増える結果となる。

 

 しかし、帝国軍砲兵の野戦砲は基本的に牽引式である。

 

 牽引式は車輛や輓馬での牽引を前提に設計されており、砲撃に必要な最低限の部品以外は省略されている。砲身や駐退機、砲架、照準装置の他は、砲脚と駐鋤、車輪などで形成されいた。陣地展開を行う際、弾火薬と砲兵の輸送や砲自体の輸送形態への移行などが手間となる為、砲撃可能な状態とするまでに時間を要する。遮蔽物がなく、気象や周辺の状態の影響を受けやすく戦闘効率が左右されるという問題もあった。

 

 再度の陣地転換の余裕などない。それを正面で尚、成すと言うならば戦車の履帯が踏み潰すだけ事であった。

 

 情け容赦のない正面衝突であった。

 

 しかし、帝国軍の野戦砲の大部分の弾種は破片効果で軟装甲兵器を撃破する為の榴弾であった。大部分は硬装甲を備える戦車の装甲を貫徹できないが、榴弾と言えど重砲の口径はⅥ号中戦車の倍近く質量で、貫徹よりも破砕という形で装甲を破壊する場合もあった。何より、榴弾の破片で履帯が切断されて擱座する戦車も少なくない。

 

 迂回機動を予測していたブルガーエフ中将とロフィビツキー大将による火箭が〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉を捉えつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、脱出するな! 群がられるぞ!」

 

 車長用司令塔(キューポラ)から身を乗り出すと、車載機銃の槓桿(コッキングレバー)を引いて迫る中隊規模の歩兵へと掃射を浴びせ掛ける。

 

『後方の擲弾兵と合流できないか!?』

 

 隣で擱座する僚車の車長が両耳と喉に据え付けた咽頭集音機越しに怒鳴り声を返してくるが、自身もまた車載機銃の連射による振動を押さえ付ける事に集中せざるを得なかった。長駆進撃によって部品が弛緩していたのだ。

 

 車長用司令塔(キューポラ)周囲には狙撃対策に魔導障壁が展開されているが、小銃や機関銃の集中射撃を受ければ容易に破砕される程度でしかない。戦車の魔導障壁は、あくまでも主要装甲の強化が主体なのだ。

 

 トウカの提言によって搭載された戦車砲横の同軸機銃が遺憾ない威力発揮して迫る歩兵を薙ぎ払うがそれでも足りない。人海戦術を想定した同軸機銃だが、砲身が焼き付く事もあれば、装弾不良もある。格羅謨鍍金(クロムメッキ)による銃身(バレル)内の耐摩耗性強化にも限界があった。

 

 擱座した戦車上から車長が短機関銃で迫る歩兵を掃射する光景は各所で見られた。

 

 砲兵による直接照準での攻撃は戦車周辺に着弾して、戦車に群がろうとする帝国軍兵士すら破片効果でばらばらにする事もあれば、爆風で舞い上げる事もあった。

 

 しかし、人海戦術を伝統的な戦闘教義として成立させて久しい帝国陸軍への対策を、皇国軍……特に侵攻の脅威に晒される北部を防衛する義務を負う皇州同盟軍は熱心であった。

 

「対空戦車大隊だ!」

 

 機関砲の重低音。

 

 夜明けの中、錯綜する砲火に野太い大口径機関砲の掃射音が重なる。

 

 タンネンベルク 三〇㎜ FlaK 95高射機関砲……三〇㎜対空機関砲四基を二連二段で集束装備させ、砲塔も大仰角を取れるよう大型化させたⅣ号対空戦車『|blasen(強風)』。

 

 需要が増大するであろう対空戦闘を考慮した兵器の一つであり、主任務は装甲部隊上空の防空であった。機銃掃射に耐え得る装甲と確実に撃墜できるであろう大口径機関砲四基の搭載は中戦車を流用した兵器としては高い完成度を誇っていた。

 

 しかし、生産と改修が始まって以降、内戦時を含めて主任務は専ら対人戦闘となっていた。航空攻撃を野戦で積極的かつ効率的に運用した軍組織が皇州同盟軍以外に存在しなかったからである。実際のところ、設計当初より対人戦闘を意識しながらも歩兵科の職分を浸蝕する為、部隊編制時に異論を挟まれない為の方便として対空戦闘が主任務であると明記したに過ぎない。

 

 次々と機関砲の直撃を受けた帝国軍兵士が断裂する。対人火器としては高威力である為、直撃すれば身体が肉片に転じて撒き散らされる。至近を通過しても衝撃波で脳震盪を免れない。

 

 三〇㎜対空機関砲……タンネンベルク 三〇㎜ FlaK 95高射機関砲はタンネンベルク社が開発した対空砲で、現在の皇国陸海軍で主体的に運用されている対空砲を長砲身化して射程の延長を図ったものであった。砲噴火器の開発に於いて皇国で中心となっているタンネンベルク社は、本拠地でもあるヴェルテンベルク領で陸海軍の要望とは別の兵器も製造しており、嘗ての大株主がマリアベルであることを考えれば、その意味するところは一つであった。

 

 長射程高威力はヴェルテンベルク領で製造された兵器の特徴である。

 

 そして、それは敵味方の区別なく発揮される。

 

「思い切りの良い奴らだな、畜生め!」

 

 金属への打擲音の如き着弾音が中戦車後部から響く。

 

 機関砲弾の流れ弾が着弾している事を察し、慌てて戦車内へと舞い戻る。

 

 誤射を恐れぬ支援であるからこそ有効であるのだが、戦車の装甲は元来、前面装甲を重視しており、側面や背面は同様の装甲強度ではない。特に魔導機関冷却の為に放熱板が展開されている後部は蜂巣鉄板で防護されているものの、脆弱であることは否めない。

 

「ハイニ、側面の障壁を3割まで減らして、残りは背面に回せ」

 

 外の様子を視察口(クラッぺ)越しに確認していた装填手に、魔導障壁の強化配分変更を命じる。

 

 Ⅵ号中戦車は、設計時のその特徴として魔導障壁の柔軟的運用が行えた。通信手が兼務する魔導機関管理の一環で、魔導障壁の展開比率を操作できたのだ。

 

 元来の設計思想として移動する特火点(トーチカ)を意識した構造を持つⅥ号中戦車だが、装甲の破損個所や敵へ指向する車体の向きは常に変わる。特火点(トーチカ)は機動しない都合上、ベトンや装甲板で制限なく強化できるが、戦車は重量上の限界があった。車体重量で足回りの脆弱性が増し、地形に囚われる事態や移動力低下による任務の限定化に繋がるからである。時に移動速度と足回りの脆弱性は後退戦時の生存率に大きく関わる。ましてや防衛戦時の移動する特火点(トーチカ)として設計された以上、段階的な後退戦に巻き込まれる事も想定せねばならなかった。

 

 そうした諸事情からⅥ号中戦車には、本来は戦闘艦艇に搭載されている筈の魔導障壁の配分調整という機能を備えていた。無論、調達価格の高騰を招いたが、ヴェルテンベルク領邦軍は仮想敵との兵力差から伝統的に価格より性能を重視する。

 

 ほどなくして背面を叩く金属音が途絶え、車内には同軸機銃の射撃音と戦車砲の砲声が満ちる。

 

 鋼鉄の棺桶とも称される戦車に押し込まれたままで戦闘を行うという行為は酷く神経を摩耗させる。

 

 軍神サクラギは、戦車に乗車した状態での射砲撃の命中率は、戦野で機関銃や野戦砲を扱う部隊よりも優れた命中率を発揮できると明言しているが、棺桶に押し込まれ、限定的な視野の下で戦わねばならない恐怖心を理解していない。確かに堅固な魔導障壁と装甲板に囲まれた車内からの照準は射手や砲手の労働環境としては優れた者があるかも知れない。ある程度の安全が確保されている中での照準の安定性も理解できた。

 

 しかし、トウカもまたベルゲンへの長駆進撃の中で戦車による戦闘を経験した筈である。

 

 その辺りへの言及がない点を、御偉方の都合のいい解釈と見るべきが、軍神ゆえに恐怖を恐怖と受け取らなかったと見るべきか、装甲兵の間ではよく議論される。無論、帝都空襲への参加後は後者の説が有力である。

 

「自走砲兵の支援、来ます」

 

 各装甲師団には一六〇㎜榴弾砲を搭載し、機動力を与えた野戦機動砲であるⅥ号榴弾自走砲『|Donnerschlag(雷鳴)』が装甲砲兵大隊として戦闘序列に組み込まれている。機動する重砲は砲兵にとり絶大な脅威と言えた。

 

「おお、敵砲兵を排除し切れない状況で踏み込んでくるか。いや、砲兵を十分削れたのか?」

 

 車長用司令塔(キューポラ)に用意された車長用の視察口から窺う限りでは、未だに敵砲兵は健在であった。数は減少すれども砲火は未だ続いている。

 

「航空歩兵による支援が開始される模様」

 

「そうか。撃たせて位置を露呈させる心算か」

 

 対戦車小銃と魔導杖を装備した航空歩兵は戦車の弱点である天蓋や後部を積極的に攻撃できる兵科である為、装甲兵は航空歩兵という兵器を知悉していた。理解に対する努力を怠ってはいない。

 

 交戦中の砲兵を上空から攻撃する心算であろう事は疑いない。装甲師団の強襲を受けて混乱の最中にある敵砲兵陣地を航空歩兵が砲火を頼りに対地襲撃を行う。

 

 積極的な攻勢。紛れもない強襲。

 

 ザムエルの強襲は暴風の様な苛烈さを以て叩き付けられる。

 

「統合打撃軍司令部から報告。一〇分後、五個戦闘爆撃航空団による近接航空支援が行われるとの事」

 

 通信手の報告に行動不能ゆえに同軸機銃の銃身交換に勤しんでいた操縦手が歓声を上げる。

 

 五〇〇騎を超える一大航空部隊の近接航空支援は全てを薙ぎ払うであろうことは疑いない。一〇〇に満たない航空騎が城塞都市ベルゲンを蹂躙し、帝都を焼き討ちした事実を知る彼らは近接航空支援の威力を理解していた。

 

「……勝ちましたね」

 

「ああ、どうやらその様だ」

 

 外から響き渡る鯨波の如き友軍歩兵の蛮声も、彼らの確信を後押しする。

 

 皇国軍は、多大な犠牲を払いながらも勝利をその手に掴もうとしていた。

 

 包囲殲滅戦への移行は時間の問題であった。

 

 

 

 

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「戦争は敵を愛することでなく、味方を憎むことを教えてくれる」

 

              大英帝国 作家 ウォルター・ライオネル・ジョージ