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第二三五話    ミナス平原会戦 四

 

 




「航空基地内には五個対空戦車大隊と十二個高射大隊が展開しておりますが……無駄になりそうですね」熾天使は嫣然と囁く。

 航空基地に帰還した航空歩兵部隊が武装を整備兵に預け、ぞろぞろと兵舎に吸い込まれていく様を一瞥した熾天使は、状況の推移が望ましい方向に進んでいる事を確信した。

 夜間航空戦闘では航空歩兵が絶大な活躍をした。

 龍よりも小型で視認性が低く、前線の友軍陣地に降下して弾火薬の再補充と状況確認のできる航空歩兵は夜間戦闘で威力を発揮した。極低空飛行による偵察と機関銃陣地への手榴弾投擲や銃撃は航空騎には困難な芸当であった。

 即応性という面で見れば、昼間戦闘であっても航空歩兵は航空騎に勝る近接航空支援を可能としている。

 ヨエルは航空歩兵の近接航空支援が有効であると、トウカの到来以前より確信していたが、ここれ程の効果を発揮するとは考えていなかった。初見であるが故 に対応できなかったという事もあるが、総司令部の航空騎部隊による最優先攻撃目標は砲兵陣地と対空砲陣地、魔導兵陣地であった為、対空戦闘……抵抗力が低 下していた事も大きい。

 つまり、トウカは航空歩兵が航空騎よりも地上からの対空砲火に脆弱であると見ているのだ。

 ――戦闘回転翼機(ヘリコプター)の如き扱い……彼とは違いますね。

 トウカの戦術や戦略は多様性を伴うものである。軍事に於いて不得手な分野がない様にすら思える程に。一芸に秀でた者が漂着する例は少なくないが、軍事と いう裾野の広い分野全般を得意とする者が現れた例はない。初代天帝であってもその軍事思想は、地上軍による機動打撃に酷く傾倒していた。航空部隊は偵察が 主任務という前提と常識も彼によって規定事実となった。

 攻めるも守るも最後は歩兵の仕事になる。

 初代天帝は地上軍による敵野戦軍の撃破こそが戦争で主導権を握る最大の方法であると考えていた。決戦主義著しい時代ゆえであるが、彼の軍事行動は常に機動力の優位を恃みとした包囲殲滅戦である。

 対するトウカは多角的に敵軍の軍事力を漸減する事を重視していた。決戦よりも決戦以外の場面で敵戦力を削ぐた為の作戦計画に重きを置いている。無論、そ れは嘗ての時代より、近代軍がより広い分野によって支えられているという部分も大きいが、トウカは寧ろ決戦を可能な限り避ける姿勢を見せていた。彼にとり 決戦とはやむを得ぬ場合の手段でしかない。決戦前に敵軍の戦力を維持できぬ程に戦略と謀略で溶かしてしまう事こそを最重要課題としているのだ。

「帝国軍に対する戦力的、地形的優位を確保する時間を捻出する為というものが通例と聞きますが……まぁ、浅い考えと言えましょう」

 ヨエルは確信していた。トウカは一戦に全てを賭ける真似を望まない、と。

 内戦時の領都フェルゼンに於ける市街戦がそれを証明している。決戦に打って出る真似をせず、領民を巻き込んだ市街地で遅滞防御を行った。

 ヨエルは地球世界の多くを()っているが、トウカ自体をよく知っている訳ではない。

 ヴェルテンベルク領に訪れて以降の行動は把握している為、大凡の性格と姿勢は理解できるが、その軍事思想に対しては実際のところは表面上に過ぎなかった。()の世界が選択した軍事思想と戦闘教義の多くを理解してはいても、トウカが次に選択する軍事行動を推察する事は多大な困難を伴う。

 航空兵力の積極的活用は理解できる。初代天帝も既存の技術と国力では難しいとながらも必要性は感じていたから。通信技術も理解できる。広大な領土を収めるには迅速な情報伝達が不可欠であり、軍事でも即応性を向上させ、被害を低減するから。

 野戦軍の指揮で神懸った才覚を見せた初代天帝と違い、トウカは多角的な戦略で敵勢力を追い詰める。つまり敵軍ではなく敵軍を運用する敵勢力、或いは国家への打撃に重きを置いているのだ。

 戦術家と戦略家の違いと言える。

 初代天帝以上に、軍事行動で積極的に政治に対して影響を与えようとする為に油断できない。気が付けば利用されているという流れだけは避けなばならなかった。ヨエルの権勢に対する斟酌など彼にはないのだ。

「でも、彼はこの一戦に賭けた。それは時間的余裕がないからこそなのでしょう」

 大規模避難を続ける北部臣民の不満に、他国の武力介入の可能性。そして、経済活動の閉塞による軍事費の急速な減少。

 彼は自らが戦時下にこそ必要とされると理解しているが、同時に現状の戦争では喪うものが大きいとも理解している。彼が望む戦争とは他国に踏み込んでの侵略戦争なのだ。それも、電撃的侵攻による限定的な被害を前提とした戦争に他ならない。

 当代無双の名を欲しい儘にしているトウカだが、実情としてはトウカの政戦は上手く言っていない様にヨエルは感じていた。

 腹を割って会話できる仲であれば容易いが、そうした関係とは程遠い以上、ヨエルも協力するには些かの躊躇があった。自身の示した善意が相手にとっての善意となるとは限らない。それは歴史が証明している。

「取り敢えず電波誘導や光波誘導に代わる魔術的な誘導方式の研究成果も、サクラギ元帥に与えるべきでしょうね」

 ヨエルとて長きに渡り沈黙を守っていた訳ではない。

 独自に商会を運営し、研究施設なども保有していた。旧文明時代の戦闘兵種であった天使種の都合上、その遺伝子に階級序列が刻まれている為、事が起きれば 全ての天使種を短期間に動員できる。その事から領邦軍の規模を最低限にしつつ、ヨエルは商業活動や研究開発に熱心であった。

 研究開発は専ら魔術的なものであったが、秘匿されている技術も少なくない。

 その中でトウカが特に欲するであろう技術が魔術による誘導術式である。人造精霊の培養と憑依による飛翔物体の精密誘導は、当初の予定では特に戦闘に優れ た天使種の戦力投射を意図して開発されたものであった。空を龍種に独占させない為の方策をヨエルは以前より模索していたのだ。

 精霊というものは本質的に概念であり、感情があるように見えても存在しない。端的に言うなれば、自然発生した自己増殖式の駆動術式(プログラム)な のだ。世界に出力しているに過ぎない。それを人工的に培養して目的意識を植え付ける事で、飛翔物体の飛行を統率させるのだ。発射前に飛行経路や優先順位な どを入力する事で行動形式に汎用性を持つ為、軍事転用は容易にできる。無論、飛翔物体との適合……駆動部や方向舵、気流などの制御を最適化する必要はある 為、即座に実戦配備する事はできないものの、数カ月程度で済む事は確かである。

 管制塔から航空部隊への指示を続けるアーダルベルトを遠目に、ヨエルは滑走路に駐騎する複数の戦闘爆撃航空団を一瞥する。

 朝日が敵軍を完全に照らし出した今、戦場航空阻止を意図した夜間爆撃ではなく、積極的に敵野戦軍へ被害を与える戦術爆撃への転換が始まる。

「兎にも角にも……これで勝利は確実となりましたね」

 〈アルダーノヴァ軍集団〉が夜間に突破を意図した迂回攻撃を試み、未だに強攻を続けているが、この黎明出撃によって致命的な被害を受ける事は間違いない。

 〈南部鎮定軍〉を指揮するリディアの思惑は、ヨエルにも理解できる。

 航空攻撃が制限される夜間に戦線突破を成してベルゲンへと雪崩れ込み、皇国軍の指揮統率に打撃を与える心算であったのだ。航空部隊の弱点を理解した戦術 と言えるが、〈北方方面軍〉司令部が戦場航空阻止を主体にした事で頓挫した。彼らにとり元より想定されていた事でしかない。

 戦場航空阻止とは後方連絡線に存在する敵部隊を攻撃し、物資輸送の遅滞と阻害、破壊を意図した阻止攻撃の一種である。砲兵と違い継続的な火力を提供できない航空部隊であるが、敵の後背を長躯して脅かすという面では砲兵に追随を許さない。

 押し上げられる最前線だが、弾火薬の不足に陥って攻勢は頓挫した。否、間に合わなかった。弾火薬の不足に対し、薬物を利用した狂信的な銃剣突撃によって補ってまでの進出であったが、皇国軍戦線は辛うじて持ち応えた。

 重機関銃や軽迫撃砲による複合陣地はこれを良く阻止した。近接戦闘も塹壕の各所で発生したが、皇州同盟軍から抽出された歩兵師団などの目覚ましい活躍によって跳ね返した。素面で友軍すら怯える残虐さを発揮し、帝国軍による人海戦術による混戦を制した。

 戦え。我々が帝国主義者を根絶やしにするか、我々が根絶やしにされるかだ。

 トウカは、皇州同盟軍から抽出した戦闘単位(ユニット)にそう激を飛ばした。

 その言葉には、皇国陸海軍に於ける禁句が内包されていた。

 種族間問題に敏感な皇国臣民にとり、種族断絶を滲ませた発言というのは強い感情を呼び起こさせる。例えそれが事実であっても、彼らは軍事学上それを認めてはならなかった。

 その一言が軍事行動を宗教に変えるからである。

 現に北部から抽出された五個歩兵師団は捕虜を殆ど取らなかった。

 首を軍刀で刎ねて後退する帝国軍に投げ付ける。四肢を切り落とすなどして解体した帝国軍兵士を塹壕前に撒き散らす。塹壕に使われていた木材を剥ぎ取って銃剣で木杭を作り、串刺しにした帝国軍兵士を掲げる。

 皇軍とは思えない所業に陸軍総司令部からの抗議があったが、トウカは恐怖は抑止力になると抗議を撥ねつけた。大部分がそれを認識した瞬間、帝国軍は恐慌状態に陥るかも知れない。無論、帝国軍も残虐性では負けていないが組織的ではなかった。

 トウカは組織の上位者としてそれを許容した。否、命令した。

 上位者がその残虐たるを許容したのだ。少なくとも指揮統率の面から違法とはならない。命令となった以上、その行動による結果は命令者に帰依する。精神的 には兎も角、法的な問題はなくなった。皇州同盟軍将兵はトウカの思惑を理解している。将兵の責任問題とならぬ様に責任の居場所を明確にしたのだ。責任を取 ると明言したに等しいトウカを彼らは更に信頼するだろう。

 尤も、トウカはその残虐非道に責任など感じてはいないだろう事は疑いない。残虐な行いを、相手に合わせた土俵に立つという公正勝負(フェアプレイ)精神の発露である、とすら言い切った。彼にとり、帝国軍兵士の遺体など有機肥料程度の存在なのだ。

 掩体壕の上に立つヨエルは、遠目にトウカの姿を認めた。

 航空整備兵に頻りに話し掛け、航空騎をおずおずと撫でる姿に周囲を囲む者達が苦笑する光景はその残虐性など窺わせない。多分に多面的な要素を持つ若者は、心情もまた酷く複雑に違いなかった。

 既に皇国軍の勝利をトウカは確信している。

 帝国軍が無理な進出で泥濘に足を取られ、重量のある火砲と歩兵部隊の連携に支障が出る中、航空戦場阻止が弾火薬の供給量を維持する輜重線を各所で寸断し た。決戦を急ぐ帝国軍の火力支援の要求数は跳ね上がったが、それを成せる程の機動力と弾火薬供給量を彼らは早々に喪失していた。消耗を覚悟で砲兵に火砲を 放棄させて段階的に塹壕線を放棄する皇国軍とは対照的であるが、皇国軍はエルライン要塞駐留軍に配備されていた火砲を余剰として確保し、火力不足を航空攻 撃で補填している。

 帝国軍の一部は、督戦隊と交戦する程の混乱を生じている。生死が常に善悪より優越した概念である以上、愛国心にも限度があって然るべきなのだ。帝国軍指揮官の命令は既に軍事学上の限界すら超えていた。

 皇国軍優位に戦況は傾きつつある。昼間の断続的な航空攻撃により、一両日中に帝国主義者は完全な壊乱状態に陥ると〈北方方面軍〉司令部も見ていた。

 しかし、ヨエルは〈南部鎮定軍〉の動きに未だ知性と戦意を見た。根拠なき勘に近いものであるが、〈アルダーノヴァ軍集団〉の狂信的な強攻は狂気に彩られながら、尚も冷徹な意志を窺わせた。

 ――当初は撤退の為の捨て石と思いましたが……

 撤退の為であるのならば、壊乱しつつある急造師団を捨て石とすれば良い。運用面から消耗を前提としている節がある。しかしながら、実情としてはそうした 決断が成されないどころか〈アルダーノヴァ軍集団〉による左翼戦域での突出部形成は急造師団の壊乱助長を抑止する為の代償行為とすら見えた。

 しかし、人命費用が極めて安価な帝国人の中でも、速成訓練の兵士主体の師団の混乱を阻止すべく、正規軍としての十分な訓練を受けた部隊で編制される〈アルダーノヴァ軍集団〉を消耗するというのは帝国軍の一貫した戦略から外れる。

 つまり、急造師団の救援ではない目的が存在すると見る事もできる。

 夜間からの強攻を続けている時間を踏まえると独断専行とは考え難く、そこには戦略的意図があると見るのが自然である。

 ――恐らくは陽動でしょう。

 ヨエルはアーダルベルトと共に飛行兵達に囲まれているトウカを一瞥し、感心しないと溜息を一つ。六の翅が揺れた。

 陽動であるならば主攻を担う部隊が別にあると予想できるが、それは〈北方方面軍〉司令部や皇州同盟軍総司令部への直撃をも想定している事は疑いない。甚大なる被害を出しても尚、強攻するのであれば、それは紛れもない戦術的誘引である。

「それを理解して尚、貴方は此処を訪れた……」

 曇りなき陽光が降り注ぐ中、急速に進む雪解けが両軍を泥濘に沈める情勢は、後方の航空基地からでは目撃する事も叶わない。

 塹壕線では、火炎魔術で塹壕周囲を焼く事で水分を飛ばして形状保持と強度維持を成しているが、敵の効力射や近弾は容赦なく、泥濘を巻き上げて薄汚い降雨 を強制する。結局、その泥濘を受けて皇国軍将兵は泥塗れとなった。塹壕を埋め尽くさんばかりの泥濘の雨を掻き出す苦労もそれに拍車を掛ける。

 そして、塹壕に帝国軍兵士が突入した場合、泥塗れの儘に両軍は凄絶な白兵戦を展開する事になる。

 重機関銃や軽機関銃、軽迫撃砲などの歩兵火力に優れる皇国軍であるが、阻止攻撃は辛うて帝国軍を跳ね返しつつある。

 〈アルダーノヴァ軍集団〉は、後方の兵站や砲兵陣地への航空攻撃により後続の戦力投射が叶わず、皇国軍への圧力を継続できなかった。十分な規模の歩兵部隊を有しても、最前線に投じれなければ意味はない。泥濘もまた帝国軍を大地へと縫い付けた。

 結果として、後退もまた困難となり、奪取した塹壕を利用しての戦闘が続いている。

 皇国軍は〈アルダーノヴァ軍集団〉の混乱に付け入る形での分断が期待できたにもかかわらず、航空攻撃による戦力漸減を優先した。一部では塹壕線の奪還が 行われたが、それは限定的なものに過ぎない。致命的な混乱による戦略規模の隙を窺うという当初からの方針は変わらなかった。

 しかし、ヨエルはトウカが攻撃発起地点の確保すら制止した点を重く見た。

 挙句に航空基地に身を寄せ、自身の将旗でもある旭天黒耀旗を掲げていた。皇州同盟軍〈大洋艦隊〉が掲揚する艦隊旗……真紅の陽光ではない漆黒の陽光による旭日旗。

 明らかな誘いである。

 将旗を掲げるだけで自身が不在であるという詭道を内戦時に行ったトウカの将旗を額面通りに受け取る者は居ないだろうが、しかし驚くべき事にトウカは将旗の下に居た。

 ――愛すべき感傷。唾棄すべき非合理。嗚呼、なんてことでしょうか……

 結局のところ軍神とて愚かな男に変わりはないのだ。心の奈辺で戦場の片隅に己の栄光と美学があると信じて疑わない純粋無垢な憧憬。

 リディアとの衝突を望んでいるのか。

 軍指揮官としての立ち振る舞いからは逸脱するが、それ故に人間らしい行動と言える。そうした男の愚かを愛する事が良い女だと、ヨエルは在りし日に学んだ。

 急襲するであろう戦力は不明であるが、不明であるという事は抽出の規模が全体からして然したるものではないと判断できる。

「念の為、直属の航空歩兵を呼び推せておきましょうか」

 精鋭の力天使主体の航空歩兵大隊は、極めて打撃力に優れる戦術単位である。帝都空襲に於ける航空歩兵の主力がそれであった。天使系種族でありながら、基膂力に優れ、近接戦闘で戦闘兵種と呼ばれる狼種や虎種にも劣らない。

 例え、相手の手筋を理解していても、それに対応できるかは別であり、何よりもそれを阻止するかは別である。相手が思い付かぬから成功するというだけではなく、場合によっては情勢や思惑次第では成功の余地がある。

 相手の読めぬ心の内もまた戦場の霧と言えるのだ。










「車列は気にするな。歩兵戦闘車と兵員輸送車は先行させろ」

「不意の遭遇戦に対応できませんが?」

 ザムエルの命令に、エーリカが疑問を呈する。

 機動力による攻撃力の加算をエーリカ自身も何処か軽く見ている言葉に、ザムエルは舌打ちを一つ。

 優れた機動力による主導権の常態的な確保の効果は、体験者こそが固く信奉する傾向にある。戦闘詳報や指揮官教育で概要を知るだけでは、機動力の偉大さは 理解できないのだ。エーリカ自身も内戦時は陸上戦艦を指揮したが、それは大艦巨砲主義的な運用と転化した二公爵との衝突で強大な移動式陸上要塞という所感 に押し潰されてしまったのだろう。

 陸上戦艦の概念(コンセプト)は、防禦装甲を持つ列車砲聯隊を容易に陣地転換できる兵器というものであるとザムエルは見ていた。ヴェルテンベルク領邦軍時代からの伝統と言える戦車運用……移動する特火点(トーチカ)による戦線形成の延長線上に陸上戦艦はあった。

 そして、本来の特火点(トーチカ)とは防禦兵器に他ならない。

 移動が容易な強固な戦線形成を可能とした兵器として、マリアベルは戦車を見ていた。

 だからこそ攻撃的運用をしたザムエルは若くして昇進を重ねた。マリアベルは、攻勢任務に対応可能かの可能性を模索する為、ザムエルに装甲部隊を与えたのだ。

 マリアベルは当初、戦車を攻勢に使う心算などなかった故に浮足立ったのかも知れない。

 しかし、その驚喜は失望に……失意に変わる。

 ザムエルは大隊から聯隊規模の装甲部隊を運用して演習を行い、匪賊討伐などでも盛んに出撃して成果を上げた。

 それでも、マリアベルの期待には届き得なかったのだ。

 マリアベルは装虎兵や軍狼兵を打倒する兵器を求めていたのだ。移動する特火点(トーチカ)という戦車に対する発言も、元を辿れば装虎兵や軍狼兵の迫撃に耐え得る装甲を有し、後退して再度の戦線形成が可能な兵器という部分を見ての事である。

 段階的後退と重層的な戦線によって侵攻軍に出血を強いりつつ、樹海に於いて猟兵の不正規戦を展開。最後に城塞都市フェルゼンの防護壁と火砲戦力を恃んで の火力戦。それこそが、トウカが到来する以前のヴェルテンベルク領邦軍の基本的な軍事政策であった。意外な事に思えるが、マリアベルは軍の運用に於いて極 めて守勢を重視していた。或いは、守勢によって時間を堅持しながらも開発中であった複数の奇想兵器を用いて敵勢力に妥協と講和を迫るという筋書きがあった のかも知れない。〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦や飛行爆弾の雛形などからも分かる通り、マリアベルの立案した復讐兵器と呼称される兵器群はどれもが高火力 か長射程に傾倒していた。それは、ヴェルテンベルク領本土から敵勢力本土を極短期間で痛打する為の苦肉の策であったと取れなくもない。

 しかし、トウカの到来で状況は変わった。

 彼は、ザムエルの戦車集中運用の弱点であった部分を兵員輸送車や戦車猟兵、自走砲、自走迫撃砲、対空戦車などで補った。諸兵科連合(コンバイントアームズ)自体の機動力底上げに加え、主力であった中戦車の長砲身カによる射程増大はより攻撃的な戦闘単位を誕生させた。

 マリアベルの寵愛が自身からトウカに移った事には一抹の寂寥感を感じたが、ザムエルはトウカの軍事的才覚を発揮する以前より彼を認めていた。自身に成せないのであれば、次を試すべきであるという酷く醒めた現実主義的感性の()らしむるところである。

 結局のところ、ザムエルは使えるモノであれば、何であろうと使うという割り切りが、自身の矜持すら容易に曲げる規模(レベル)で成せる希有な人間であったからこその芸当であった。

 だからこそトウカを模倣できる。

 ベルゲン強襲時に学び取った戦術をザムエルは装甲師団を得て以降、盛んに振り翳した。失敗もあったが、装甲兵力は各戦線から熱望されていたが故に幾つもの実戦経験が容易に転がり込んだ。

 そんなザムエルだからこそ、機動力を既存の軍事学を派手に無視す規模で戦術に反映できた。否、必要以上に無視していたと言える。

「索敵も出しておりますので奇襲を受ける事はないかと。副官殿」ネネカがザムエルの方針を支持する。

 ネネカは意外な事であるが、機動力をトウカに負けぬ程に理解している。戦闘に間に合わない部隊に存在意義はないと言い切る様は清々しい程であった。

「まぁ、それに軽量な車輛から鉄道輸送させるべきなんだよ。それを考えりゃ戦車は最後尾でいい……まぁ、この有様なら選択肢はないが」

 多連戦闘指揮車の上面から顔を突き出して、ザムエルは軍団の兵力移動の様子を窺う。

 樹海の加護があるものの、それ故に経路は限定的である。シュットガルト湖畔に沿っての移動は内戦時に経験しているが、規模を踏まえると極めて長大な戦列とならざるを得なかった。奇襲を受ければ壊乱しかねない状況である。

 尤も、フェルゼン近郊で樹海越しに対峙していた帝国軍も黎明時に航空部隊からの奇襲を受けて混乱しているとの報告があり、追撃を受ける心配はない。寧ろ、追撃があったとしても限定的面積の戦場で最後尾が戦車聯隊ともなれば防禦は容易である。

 しかし、フェルゼン近郊の保持を目的した帝国軍部隊は想像を超えて優秀であった。

 長距離斥候を浸透させていたのだ。

 広大で初見、挙句に植生も違う樹海に浸透するというのは命懸けである。無論、帝国軍はその点を鑑みて、それに通じた斥候兵を浸透させてきたのだ。


 獣人系種族の帝国陸軍兵士。


 本来ならば有り得ない事である。公式見解として帝国政府が否定し、皇国政府も未確認という姿勢を堅持していた。

 両国政府にとり、帝国軍の獣人系種族は対応し難い存在と言えた。

 実情として帝国には獣人系種族……特に寒冷地域に強い種族が根を張っていた。帝国臣民として登録すらされていない彼らの規模は帝国の人口の一%に満たな いが、特に帝国東部に集中している。本来、辺境軍のみで帝国陸海軍には存在していないが、〈南部鎮定軍〉が今次戦役で皇国国内での非正規戦を想定して戦闘 序列に組み込んだのだ。

 斥候と交戦した部隊の将兵には緘口令が敷かれている。

 皇国諸勢力の軍隊……皇国軍は、帝国が異種族を認めない覇権国家であるという主張を以て国土防衛に於ける不退転の意志を将兵に求めていた。実際、人間種 と変わらぬ外見……差異の極めて少ない種族などは判別が難しい故に放置されているが、表面上は単一種族のみが主導権を持つ国家であるという帝国の主張を皇 国もまた利用していた。帝国国内の人間種以外の他種族は手酷い迫害を受けていると吹聴する事で挙国一致を実現している側面もある。民族よりも絶大な差異で ある種族という垣根を超えて国家を存続させる以上、実情として皇国は天帝不在も相まって、帝国よりも切実に敵を必要としていたのだ。

 獣人系種族の帝国軍兵士という物的証拠が運悪く転がり込んできた。

「おい、捕まえた斥候は隔離しているな?」

 高度に政治的な問題が転がり込んできた不幸をザムエルは呪わざるを得ない。

 否、ザムエルとしては射殺する心算であったが、ネネカがそれを止めたのだ。陸軍の虜囚規定など知った事かと吐き捨てたザムエルであるが、ネネカが大きく譲歩した。


 獣人系種族の存在を示す証拠が出た以上、我々は帝国国内の同胞の状況を知ることができます。無論、それを奪還する主張も生じるでしょう。


 その一言に判断し難くなった。出兵を望むトウカに途方もない大義を与えると、ザムエル気付いたのだ。そして、それに否定的な勢力を痛打する事もできる。 同胞を見捨てるのかと罵倒されれば、論理的な反論など意味はなくなる。民衆政戦に対する視野ではなく、感情によってこそ主張を支持するのだ。天帝不在の今 この時代、複数種族の民衆の感情論の悉くを掣肘できる者など居はしないのだ。

「はい、勿論です。ヴァレンシュタイン大将」

「……御前は出兵に反対だと思ったがな」

 ザムエルは皇国軍の不退転の決意からなる戦意が失われるとして捕虜を殺害すべきと考えた。帝国には決して相容れない仇敵として存在して貰わねばならいのだ。皇州同盟が盤石となるその時までは。


「私は皇国軍人です」


 短い一言。ザムエルは返答に窮した。

 皇国軍人。

 それは実に多面的な意味と意義を持つ存在である。

 天帝陛下に傅く盾にして剣という武としての部分が先行するのは当然であるが、それだけには留まらない歴史的経緯を皇国軍人は内包していた。

 それは初代天帝による東征に起源を持つ問題によるものであった。

 当時、民主共和制を掲げ、《ヴェルリンギア第一共和国》の成立を宣言したが、その命脈は短期間で絶たれる事になった。

 しかし、それは他民族多種族による共和制の限界のみに起因する問題ではなかった。当時の共和国大統領……後の初代天帝が、その時点で終身執政官への宣言による共和制を強権で堅持しつつ、共和主義体制安定までの期間を捻出するという手段も有り得たはずなのだ。

 しかし、そうはならなかった。

 初代天帝は野党勢力の批判に対して大統領辞任を宣言。支持基盤であった軍とその影響下にある組織を動員。東征を開始した。

 野党は何の展望もなく批判していたが、与党議員の実に半数が辞表を提出した段階で国会はその機能を喪った。当時の共和主義という看板は初代天帝ありきの ものに過ぎなかったのだ。当然転がり込んできた与党の座に浮足立ち、忽ちに衆愚政治に陥る中で軍を主体とした東征は実施された。

 その経緯から支持母体である軍が主体となった以上、平定とその後に続く建国は常に軍が主導であった。抵抗する種族も少なくない中で諸種族を隷下に加えるという行為は、建国を武断的な事業とした。結果として軍の主導権が確立したのだ。

 その後、皇国軍人が弾圧された少数種族保護を謳って周辺地域に派兵した経緯もあり、彼らは小数種族や弾圧される種族の保護に熱心であり続けた。例え、政 治家が武断主義に掣肘を加える為、何千年に渡り軍政分離政策を継続させた成果が軍の士気を蝕んだとしても彼らは本分を忘れていない。

「らしからぬ事だ。国益に反するんじゃねぇか? 今からでも殺して埋めるべきだと思うがな」

 ザムエルとしては、帝国侵攻の理由はトウカであれば何とでも用意して見せるであろうという確信があった。攻め入られて本土を蹂躙されて民間人にまで戦火が及んだ以上、敵愾心の煽動は容易である。

「偉大なる国益様に養われる身としては良いのかよ?」

「その国益に反する行為を我が国は国是としてしまったのです」度し難い事に、とネネカは溜息を一つ。

 完璧なまでの皇国に於ける職業軍人としての佇まいを見せるネネカに、ザムエルは苦労の一端を垣間見た。持ち得る手札と立場の中で最善を尽くそうとするの は軍人として酷く既視感のある姿と言える。無論、勝利の為に手札と立場を投げつけてまで争うのがヴェルテンベルク領の軍人なので手緩いという所感しかザム エルは抱かなかったが。徹底的に持久し、徹底的に抗戦せよという標語(モット―)を掲げるヴェルテンベルク領邦軍は市街地での防衛戦も躊躇しない。例え死 する事が避け得ぬとしても、一兵でも敵を道連れにするという屈折した決意こそが彼らの軍事思想の根幹である。弛まぬ戦意と殺意こそが敵を抑止するのだ。

「優秀な様だが、それだとトウカに付け入られるぜ?」

「しかし、その失態に相対するのは当官ではありません」

 組織論として言えば、トウカの思惑に相対するのは陸軍総司令部であり、その中の階級序列としてもネネカは下位に位置する将官ではなく佐官である事も大きい。トウカの思惑を阻止できずとも経歴に傷が付く事はない。

 第一部作戦課課長という陸軍総司令部隷下の参謀本部付き将校の立場にあるネネカの立場は皇国陸軍内で決して高位にある訳ではない。あくまでも参謀総長の 意向でファーレンハイトの下に出向しているに過ぎない。立場としては陸軍総司令部に対する参謀本部の連絡武官に近いものがある。

 実際のところ、陸軍総司令部よりも参謀本部がトウカの出兵に反対している。

 他国と違い皇国の参謀本部や軍令部は、陸海軍総司令部の隷下にある。これは軍政の下に軍令があると明確化する事で混乱を避けるという意図があった。作戦 計画を担う参謀本部の軍事構想が軍事行政を担う総司令部の統制下にない事を危険視したからであった。これは極めて近代的な軍事機構を意味する。実際、大日 連も大独逸帝国も軍政と軍令の不明確な部分を含めた事情から陸軍省と参謀本部には大きな軋轢があり、政治機構の統制を受けない軍事力行使の一因となった。

 つまりネネカは陸軍総司令部の隷下にある参謀本部の中でも要職とは言い難い立場にある。陸軍全体から見た場合、軍事行動に対しては限定的な発言権を持つものの高位とは言い難い。

 確かに首が飛ぶとは言い難い。否、トウカの軍事行動に引き摺られて戦端を開いた場合、陸軍に開戦の責が及ぶ事はない。

「なら、御前の心配は棚上げか?」ザムエルは揺れる車体に身体を預けながらも問う。

 シュットガルト湖畔の朝焼けが湖面を彩る様に呆けるザムエルは、トウカの運の良さに溜息を吐くしかなかった。運命は彼に戦火を拡大せよと囁いている。郷土の美しさすら黒に塗り潰す事を躊躇わないだろう事は疑いない。

 漆黒の旭日を掲げた軍神は、憤怒と慟哭を理性で統制し、効率的に怨敵を駆除するに違いなかった。

「当官は帝国と開戦ともなれば、古巣の〈東部方面軍〉に転属を願い出る心算です」皇州同盟軍の軍事行動を阻止できなかったという責任を盾にして、と付け加えるネネカ。

 ザムエルは笑声を零す。堪え切れないとばかりに。

 責任問題から距離を置くという実に組織人らしい返答には笑うしかない。詰まるところ、ネネカの愛国心の限度とはその辺りなのだ。

 揺れる車内からの言葉に、ザムエルは車内へと戻るが、当のネネカは然したる感慨も浮かべずに握飯を齧っている。嫌いな具であったのか、軍帽の切れ目(スリット)から突き出た狐耳が萎れていた。見かねたエーリカが御結びを交換している。

 上官である兄には厳しい癖に、狐耳の参謀将校は甘やかすというのは筋が通らない。

 ザムエルもエーリカから手渡された握飯を齧る。

 周囲の〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉司令部の面々も其々が朝食を採っている。

 ヴェルテンベルク領やその周辺貴族領を策源地とする皇州同盟軍、ヴェルテベルク軍管区〈ヴェルテンベルク軍〉に属する彼らは、神州国の影響を大きく受け た食生活を送っている。北部自体が寒冷地域である為、冬季は保存食が主体とならざるを得なかった過去も影響していたが、それは妥協を意味するものではな い。保存食であれどもその種類は数多く、特に神州国という各分野で異様な多様性を持つ国家から取り入れた食糧保存方法は多岐に渡る。故に握飯の具材も実に 豊かな種類を持っていた。

 豆類を発酵させた粘性物質が多連式戦闘指揮車輌の片隅で異臭を放っている光景は、とても国家の興亡を賭した決戦の最中にあるとは思えない光景だ。

「誰だ、あの生物兵器を握飯に居れた奴は」

 ザムエルは神州国の多様性という名の嫌がらせが自身の鼻先にまで及んだ中で溜息を一つ。自身の握飯の具材も生物兵器であった。中身は実に背徳的で冒涜的な光景である。

「はい、閣下。皇州同盟軍の朝食は新兵器の試験場なのでしょうか?」ネネカの皮肉。

 中央地域出身の都会派狐娘には分からないであろうが、寒冷地域の料理は塩分多めで濃口であった。風土的問題であるが、ザムエルとしては酒のつまみにできるので喜ばしい事である。

 しかし、今回ばかりは具材の選定に多大な疑義が生じる。

「…………ロンメル大尉です」出撃前に受け取ったと弁解するエーリカ。

 まさか勝手に部隊に潜り込んだのではなかろうかという疑念を抱かれる事に焦燥を抱いたエーリカ曰く、ミユキは何故かシュタイエルハウゼン提督の下で〈大洋艦隊〉旗艦、〈プリンツ・ベルゲン〉で衛生教育課程を受けているとの事であった。

 ――あの狐、妙に色々と学んでいるな。当代ヴェルテンベルク伯の意向か?

 或いは人脈構築の一環として軍の要職に就く者達、或いは将来に就くであろう者達との交流を意図しているという可能性もある。マイカゼは政略に秀でている為、娘であるミユキに領邦軍や皇州同盟軍との関係強化を望むのは実に政治的な発想と言えた。

 軍人の医療や衛生を担う軍医を育成する軍医学校は皇州同盟軍成立と共に開校されたが、未だに卒業生を輩出するには暫しの時間を必要とする。

 領邦軍時代や北部統合軍時代では、民間からの志願や徴用を以て対応していた。前者の場合は規模の上で問題は生じず、後者の場合は内戦下であった為に予算 と人材を確保できなかったのだ。医学自体は勉学次第であるが、皇国に於ける近代医療は高度な魔導資質や魔導技術との混合物と言える。高度な知識に加えて生 まれ持った資質までもが必要となる為に分業が成されているが、海軍などの水上部隊では搭乗員削減や汎用性から両立可能な魔導軍医の育成に熱心であった。

「オイシイデス。スゴクオイシイデス」

 狐系獣人種の階級層(ヒエラルキー)に膝を屈したネネカの片言に、エーリカが次の握飯を手渡すが、その具材は蛍光色の小魚の煮付けであった。慈悲はない。

 そんな遣り取りを尻目に〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉は移動する。

 高度に魔導車輌化した編制であり、魔導技術による各部の耐久性の飛躍的な向上、そして何よりも燃料が重量と体積の面で比較にならない程に優れる魔力であ る事もあって移動力は他国の部隊とは比較にならない程の速度と距離を獲得しつつあった。無論、無限軌道式ではない一部の装輪式車輛が泥濘に足を取られた が、膂力に優れる歩兵が群がれば忽ちに押し出せる。例え無理でも魔導兵が車輪付近の泥濘を氷結魔術で凍結してしまえば容易く解決した。

 その基礎能力は他国が羨む程のものであると皇国軍人は理解していない。

 彼らの日常的な光景が戦場を蚕食する。

 例え、天帝不在の御世に在っても尚、皇国は戦闘国家の本分を忘れてはいなかった。

 

 

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