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第二三八話    ミナス平原会戦 七

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「対地目標だから撃てんッ? 莫迦野郎ぅ! 直射だ直射!」

 

 

 

 フェルゼン南方……エルディング航空基地の対戦車壕と積み上げた土製防壁の外郭陣地で高射大隊を預かる大尉が受話器を相手に怒鳴る。

 

 

 

 高射砲という兵器は航空騎を攻撃するものであるという固定観念。それを皇国陸軍高射隊は未だに捨て切れないでいた。高射砲が対戦車砲を兼用とされていた北部統合軍の高射隊とは違い皇国陸軍高射隊には対地攻撃訓練の経験がない。照準器自体も対地戦闘を考慮していなかった。

 

 

 

「当たらんなら尾栓越しに照準しろ!」怒鳴る高射大隊指揮官である大尉。

 

 

 

 尾栓とは砲身の末端を閉鎖する構造体を指す。閉鎖機を開閉して砲弾を装填する機構であるが、砲身内を覗く事で目標を直線に直接照準するという無理を通す真似をした前例はある。照準器の破損による代替措置であったが、至近距離であれば命中を十分に期待できる。航空騎と比較すれば平面機動で速度も遅いからである。

 

 

 

 相手は所詮、騎兵に過ぎないのだ。

 

 

 

「大尉! 当たりません! 奴ら、全員が有力な魔導士です!」

 

 

 

「これが重装魔導騎兵か。……先頭集団に火力集中! どの道、対戦車壕で突撃は阻止できる。そこを狙え!」

 

 

 

 陸軍の八五式七五㎜高射砲の信管は時限信管であり、その即応弾は対空戦闘を考慮した距離での炸裂を想定していた。高射砲脇に保管された即応弾を対地目標に撃ち込む事など想定すらしていなかったのだ。

 

 

 

 しかし、攻撃に対して即応する事が肝要である点を大尉は弁えていた。応射は敵の進出を遅滞し、砲声は敵の怯懦を招く。そして、高射砲兵の戦意を掻き立てた。

 

 

 

 闇夜に蠢く軍馬の陰影。嘶きはなく微かな馬蹄だけが耳朶を打つ。

 

 

 

 漆黒の外套(マント)を纏う重装魔導騎兵。

 

 

 

 騎兵槍(ランス)や魔導杖を手にした重装魔導騎兵の規模は不明であるが、湧き出る様に現れた敵部隊は魔導砲撃で正確に対空陣地を撃ち抜いた。

 

 

 

 即応弾の誘爆に宙を舞う砲身。閃光が対空陣地を闇夜に映し出す。用意された土嚢や正面防盾も決戦距離からの魔導砲撃は阻止できない。発見が遅れた為、直射弾道に近い距離での戦闘は、火砲にとって不利な距離と言える。重装魔導騎兵とは、騎兵の弱点の大部分を克服した存在なのだ。

 

 

 

 だが、皇国軍という戦闘組織は極めて実戦的な組織である。予算不足の中、多様性を最大限にまで求めた組織なのだ。

 

 

 

「敵先鋒、突破破砕線を越えた! 対空戦車の掃射が始まります!」

 

 

 

 炸裂音に近い高射砲の砲声とは違う断続的な重低音……対空戦車に搭載された四〇㎜機関砲による制圧砲撃であった。機関銃に近い。

 

 

 

 正確に照準の砲撃ではなく、敵の方角に徹底的な火力を振り翳し、確実に敵を撃破するだけの火力投射を行う事を目的とした砲撃。確率論を圧倒する為の火力投射を以て敵の突撃を火力で圧倒する。

 

 

 

 対空戦車大隊の大隊長の権限でも行える全力砲撃であり、その要請は、他のどの戦術命令よりも高い優先順位を持っている。陣地での白兵戦を避ける為、常に最優先命令として行使されるのだ。帝国陸軍の採用する大量突撃戦闘教義(ドクトリン)に対し、皇国陸軍は火力優勢戦闘教義(ドクトリン)によって抗する道を選択した結果である。

 

 

 

 四〇㎜機関砲弾は騎兵の衝撃力を相殺する初速で次々と放たれる。煌めく砲火は直線を描いて闇夜を引き裂く。

 

 

 

 圧倒的なまでの曳火砲撃。

 

 

 

 甲鉄への打擲音の如き衝突音を奏で、重装魔導騎兵の魔導障壁を粉砕する。

 

 

 

 人馬が砕け、飛行場周辺を血涙と肉塊で舗装する。

 

 

 

 しかし、それを乗り越えて大陸最精鋭の騎兵は進む。

 

 

 

 装虎兵や軍狼兵には一歩譲ると考えられる騎兵による突撃であるが、眼前の黒衣の重装魔導騎兵による突撃は何ら遜色のない威容を以て迫る。

 

 

 

「ッ! 何としても阻止する! ここを抜かれれば滑走路だぞ!」

 

 

 

 既に頭上を飛び越えた魔導砲撃が滑走路に破孔を幾つも刻んでいる。飛行場の規模から航空攻撃に支障が出る規模ではないが、突入された場合は話が変わる。施設の大部分は時間的問題から掩体式ではなく、単式(プレハブ)格納庫のみで防弾性能を備えていない。屋内で翼を休めている龍達や整備兵は、後の皇国航空戦力の基幹となる存在である。容易に喪えるものではない。

 

 

 

 何より、掘り下げて屋根を設けただけの弾火薬庫への直撃弾があれば、航空騎以外の悉くが闇夜を飛行する羽目になる。

 

 

 

 航空基地周辺で哨戒網を形成していた五個索敵軍狼兵大隊の怠惰を罵る暇もない猛攻。

 

 

 

 重装魔導騎兵の先鋒が対戦車壕の目前にまで迫る。

 

 

 

 指揮官先頭を実践したであろう先鋒の重装魔導騎兵は大剣を振り払い機関砲弾を叩き落とす。辛うじて大剣に弾かれた鋼鉄による火花でそれを観測できるが、その衝撃はただの人馬が抗せるものではない。或いは、騎兵将校の魔導資質が卓越したものであるのか。

 

 

 

 非凡な敵騎兵将校について考える暇などない。

 

 

 

「地雷、点火用意! ……点火!」

 

 

 

 対戦車壕の直前に仕掛けられた指向性対人地雷……SMi-99“フランベルジュ”が点火される。

 

 

 

 皇州同盟軍が正式採用する“弁当箱”はその残虐性と威力を遺憾なく発揮した。浅く湾曲した構造物の炸裂により扇状に拡散する無数の鉄球。人海戦術によって殺到する兵力に勝る帝国軍。その衝撃力を塹壕線直前で破砕する目的で運用されるそれは対騎兵制圧に対しても有効であった。

 

 

 

 通常の騎兵が相手であれば、であるが。

 

 

 

「飛んだッ!」

 

 

 

 跳躍する重装魔導騎兵。指向性対人地雷の爆風までも利用し、高く天の階を駆けるかのような姿を大尉は見上げるしかない。

 

 

 

 対空戦車や高射砲は上方の敵航空騎の撃墜を主目的に製造された兵器であるが、至近距離で跳ね上がった対象物を照準追尾するだけの性能は備えていなかった。

 

 

 

 重装魔導騎兵が対戦車壕を飛び越え、対空戦車を踏み潰して着地する。天蓋は機銃掃射程度に耐え得る強度しか備えていない。衝撃には耐えられなかった。人馬と言えど、重装魔導騎兵の軍馬は通常騎兵の軍馬よりも優れた体躯を備え、装甲を装備している。それでも尚、軽騎兵に匹敵する速度を発揮できる筋力もあった。質量としては倍近い。

 

 

 

「背後の騎兵は後続に任せろ! 今は騎兵の阻止を最優先!」

 

 

 

 大尉は皇国という統治機構が生み出した戦闘組織の一翼を成すに相応しい命令を下す。後背を取られても尚、騎兵兵力の漸減と阻止行動の継続による時間創出。そこには自部隊の全滅の未来しかない。至近距離で重装魔導騎兵部隊に囲まれた対空部隊に抵抗の余地などなかった。

 

 

 

 無論、背後の重装魔導騎兵に対して部隊を裂く事は彼我の戦力差を踏まえれば難しいが不可能ではない。それでも尚、行わないのは一重に流れ弾が飛行場脇の格納庫や兵舎に命中する事を恐れたからでもある。

 

 

 

 

 

 何より、大尉には打算があった。

 

 

 

 

 

 そして、打算は違わずに彼らを救う。

 

 

 

 周囲を不意に人工の陽光が照らす。

 

 

 

 閃光弾とは桁違いの光量が、敵味方を区別せずに映し出す。あまりの光量によって直視し難いが、大尉はそこに確かに天使達の白翼を見た。

 

 

 

 戦場の砲声を圧倒する轟音。

 

 

 

 神威とも思える一撃が飛行場外縁を破砕する。

 

 

 

 熱された土砂が広範囲に降り注ぎ、小石が高射砲の砲身に当たって砕ける。

 

 

 

 高位天使による集団詠唱魔術。

 

 

 

 旧文明の戦役に在って、人類側の航宙戦艦を圧し折った(ジャックナイフ)にした一撃は、大地に深い破孔を生じさせた。貫徹力のみを追求した一撃であったが故に、大地の一角が抉られたに留まったが、それでも尚、その威力は後続の重装魔導騎兵を壊乱させるに十分である。

 

 

 

 厳密には、貫徹力による被害ではなく、霊子的な弾体を加速させる術式による推進力の余波に過ぎないが、それだけであっても圧倒的な破壊を齎した。陣地防御に徹する対空大隊の人員は飛ばされなかったが、突撃態勢にあった重装魔導騎兵の大部分は衝撃波を正面より受けた。

 

 

 

 人馬諸共に弾き飛ばされた重装魔導騎兵は大部分に上る。全滅判定は確実な規模の被害。突撃を続行する姿はそこにはなかった。騎兵の衝撃力は刹那の内に上書きされた。

 

 

 

 倒れ伏す人馬の姿に総数が著しく減少していると、大尉は首を傾げるが、それは視界よりも外まで弾き飛ばされたに過ぎなかった。指向性対人地雷を受けた敵兵よりも襤褸雑巾となった姿は悲惨の一言に尽きる。

 

 

 

 手足が砕け、大地に叩き付けられた衝撃で染みになっている姿もあれば、大地に押し付けられる様に弾かれて赤い線となった者も居る。人馬の胴体のみが遺された姿にそれ以外の部位が削れたのだと辛うじて理解できた。

 

 

 

 光量によって悲惨な光景は包み余さず将兵の下に示される。

 

 

 

 人工の陽光に慣れ始めた瞳で、背後の天使達に視線を向ける大尉。

 

 

 

 空中で立体的な隊伍を形成した天使達の威容。人工の陽光を発する中央の熾天使は、後光を背に降臨した天の御使いの如き姿で地に伏す者達を睥睨する。

 

 

 

 神罰が形を成して戦場に姿を見せた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「糞っ! 熾天使か! 運がない!」

 

 

 

 リディアは既に飛行場に突入していた為、攻撃範囲から逃れたが、騎乗の優位は消え去ったと飛行場に降り立つ。

 

 

 

 背後には徒歩の重装魔導騎兵が二個小隊。いずれもリディアと共に先鋒を勤めた精鋭である。

 

 

 

 眼前に浮かぶは天使の軍勢。その数、一個小隊。

 

 

 

 大規模魔術の行使後、聯隊規模の航空歩兵の大部分は北東へと飛び去ったが、一個小隊とそれを直卒する熾天使だけは眼前に残留した。

 

 

 

 突撃時の密集隊形を狙撃されたと理解するリディアは、この戦況が用意されていたのだと理解している。迂回突破による飛行場襲撃も想定されていたのだ。

 

 

 

 しかし、北東方向に航空歩兵の大部分が移動した点は、〈アルダーノヴァ軍集団〉の総攻撃が開始されたからであろうと推測できた。重装魔導騎兵による飛行場襲撃は、あらかじめ設定されていた〈アルダーノヴァ軍集団〉による総攻撃開始時間と同期している。迂回突破に要する時間が不明確であった為に危ぶまれていたが、一応の成功を見た。

 

 

 

 しかし、リディアは〈アルダーノヴァ軍集団〉が甚大な被害を受けている事を知らなかった。

 

 

 

 特に夜間航空攻撃は帝国軍にとって想定外の事であった。本来であれば、その被害は然したるものではなかったが、皇国軍もそれを承知で小型爆弾を多数搭載する事で命中率の向上を図った。それでも尚、命中率は大きく低下したが、帝国軍の夜間強襲は停滞を余儀なくされる。

 

 

 

 それこそがトウカの目論見であったが、それを承知で〈アルダーノヴァ軍集団〉は強攻を続けた。軍集団司令官であるフョードル・ストロガノフ上級大将は、飛行場の壊滅、乃至混乱に付け込む形でしかベルゲン占領をするにしても撤退するにしても叶わないと見ている。そのブルガーエフとの共通認識が彼に苛烈な攻勢を選択させた。

 

 

 

 その成果と挺身は莫大な戦死者を引き換えに、皇国軍の一部戦線を食い破った。その対応に航空歩兵の大部分が投入されたのだ。

 

 

 

 斯くして、リディアは熾天使と正面から相対する事となった。

 

 

 

 機関銃と魔導杖、大剣を装備した騎馬なき重装魔導騎兵だが、その隊伍に乱れはない。魔導障壁の間隙を縫って突き出された機関銃と魔導杖が小規模ながらも近代兵器による槍襖を形成する。

 

 

 

 近代兵器と魔導技術を手に戦闘国家の軍人達が、旧文明時代の魔導を極めた天使達と干戈を交えるという戦況はリディアの予想し得ないものであったが、彼女はそれに臆する事はなく、寧ろ戦機に逸ってすらいた。

 

 

 

 皇国に於ける国体護持の采配を振るう熾天使との戦闘は、銀輝の戦帝姫として望むところである。

 

 

 

「……下賤な劣等種が天意に抗うと?」

 

 

 

 後光の如き光を背にした熾天使が嘲笑を浮かべる。凄絶さすら伴う美貌に滲む明確な殺意。天使種にとり人間種によって“製造”された魔人種は嘗ての主敵に他ならない。

 

 

 

 その天使種が神々を見限り人間種から選出される天帝の隷下として、人間種の優越を掲げる帝国の尖兵である魔人種と争うという歴史の皮肉を、リディアは哄笑を以て迎えざるを得ない。

 

 

 

 どちらにせよ、天使と魔人は争わざるを得ない運命にあるのかすら思える。仰ぐ対象は最早、意味を成さない。

 

 

 

 しかし、幾星霜の彼方に植付けられた人工の本能はリディアの怨敵を討てと叫ぶ。

 

 

 

「無論! 抗うはヒトの定命なれば!」

 

 

 

 リディアは手にした大剣を捨て、背負う武装担架から大剣の柄を抜き放つ。

 

 

 

 銀輝の神剣(ヌアザ・アガトラム)

 

 

 

 儀礼長剣と見紛うばかりの剣身が幾何学模様に包まれた大剣は、霊子の輝きを撒き散らして自らが神を殺める一振りあると戦野の片隅で示した。

 

 

 

 複数の異名があり、ヌアザ・アガトラムやクラウ・ソラスとも呼ばれる一振り。帝国に於いては建国の祖である初代帝王の一振りとされ、冠帯式などの特別行事ですら披露されることはない。一部の識者は存在すら疑問視してすらいた。建国神話では山を砕き、龍を切り伏せたとある一種の戦略兵器である。

 

 

 

 リディアに冠された銀輝の戦帝姫という異名は、確かにそこに存在し、銀輝の神剣に匹敵する戦果を期待するという将兵達からの願いより生じた名でもある。そこからも分かる通り帝国に於ける国威の象徴の一つと言えた。

 

 

 

 形状としては両手大剣(ツヴァイヘンダー)だが、その本質を一目で見て取った熾天使は流麗な眉を顰め、光によって形成された長剣を構える。

 

 

 

「ああ、そう言えば一つ」

 

 

 

「何か?」

 

 

 

 リディアの言葉に、熾天使が応じる。

 

 

 

 時間の捻出は増援を期待できるヨエルにとって不都合ではない為、無視されることはない。

 

 

 

 リディアは一目見た瞬間から、自らを見下ろすヨエルが気に入らなかった。

 

 

 

 故に吐き捨てる。

 

 

 

「御前……頭が高いぞ?」

 

 

 

 神剣が唸りを上げて振り上げられる。

 

 

 

「宜しい。来なさい」

 

 

 

 零子光により延伸した剣身。

 

 

 

 それが闇夜を裂き戦場の一角で確たる威容を示す。

 

 

 

 しかし、夜空の雲居を照らし、神々を殺めた残光が振り上げられた瞬間にすら熾天使は動じない。

 

 

 

 古の戦争が再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「捨て置くがよい。神話は当事者に任せるに限ろうよ」

 

 

 

 ベルセリカは、エルディング航空基地に於ける交戦報告を切って捨てる。

 

 

 

 神剣の類を持ち込んだと思しき魔人種……恐らくはリディアと思われるそれと、熾天使であるヨエルの衝突は周囲に多大な被害を及ぼしながらも続いている。現地にいたアーダルベルトの助力すら邪魔であると一蹴したヨエルの能力は隔絶していた。

 

 

 

 ヨエルという熾天使を軍事力に換算するという真似は陸海軍では成されていなかった。他の七武五公は歴代の一部などの戦闘履歴より算出されているが、熾天使という存在は歴史上、後にも先にもヨエルのみであり、そのヨエル自身も交戦履歴がなかった。政務主体のヨエルが前線に出た公式記録は、少なくとも皇国建国後では帝都空襲が初となった。その一戦ですら敵地への少数空挺降下であった影響で記録は僅少である。

 

 

 

 この時、ヨエルという唯一無二の熾天使の戦闘能力は、初めて大多数に晒されたと言える。

 

 

 

 七武五公の中でも玉座に侍る者として政争寄りの人物と見られたヨエルは、軍事的には他の七武五公よりも一歩譲る能力であるという共通認識があった。

 

 

 

 しかし、それは大規模魔術の連続行使という現実を以て否定される。

 

 

 

 既にヨエルとリディアは一騎打ちの状態となっている。

 

 

 

 戦略兵器同士の衝突に干渉できる者などそうはいない。アーダルベルトすら「退()きなさい、若造!」とヨエルに蹴り飛ばされているので手出しできる者が限られるという問題もあった。南方の夜空に窺える魔術陣と雷鳴の如き炸裂音の遠吠え、地平線を仄かに照らす鉄火の気配に、さしものベルセリカも増援を躊躇せざるを得ない。

 

 

 

 神剣による貫徹力と大規模魔術による広域破壊の中へ突入する自信は、ベルセリカにはなかった。

 

 

 

 個人の膂力に優れ、直接的な近接戦闘を主眼に据えたアーアルベルトやフェンリス、レオンハルトなどは長距離砲撃魔術や広域破壊魔術の運用に不得手である。眼前の敵と干戈を交えながら行使する真似はできない。

 

 

 

 対するヨエルは近距離戦闘と遠距離戦闘のどちらをも行えるのだろう。否、近距離戦闘の最中に遠距離戦闘も行える個体なのだ。

 

 

 

 ――残りの五公の一人もその可能性があろうな。いや、遠距離戦闘に傾倒しておるやもしれぬ。

 

 

 

 ケマコシネカムイ公爵は神狐族による貴族家であるが、税金や相続の手続きも免除される貴族であり、同時に領地を持たない無地貴族である故に所在すら不明である。無論、今次戦役どころか軍の近代化以降は姿すら目撃されていないので戦力としては除外されていた。

 

 

 

「飛行場は使えぬのか?」

 

 

 

「隣が天変地異です。滑走路が無事でも真面(まとも)に離着陸をする事はできないかと」

 

 

 

 ベルセリカの問いに、リシアが端的な問題を指摘する。

 

 

 

 飛行場の滑走路が無事でも、大規模魔術による余波によって離着陸の際に風圧などで煽られる可能性が高く、墜落の危険性がある。想定外の風圧を受けた場合、滑走路に刻印された離着陸を補助する為の魔術的な風力形成との相乗効果により離着陸に悪影響が出ると推測される。滑走路は魔術的な風力形成による揚力創出の媒体でもあった。軍事機構の偏執的なまでの代替手段の追及に違わず、風力形成がなくとも離着陸できる全長を持つが、想定していない方角からの突風の中での離着陸までは保障されていない。

 

 

 

 挙句に整備兵による兵装転換や整備の大部分は、遮蔽物のない滑走路横の駐騎場で行われる。規模と数から格納庫で行われる整備は精密作業や分解整備に留まった。よって出撃に伴う整備も困難を伴う。

 

 

 

 航空攻撃は不可能であると判断された。

 

 

 

 代替手段として二個航空歩兵聯隊による夜間強襲が“追認”された。航空歩兵総監の肩書を得たヨエルの独断であるが、ベルセリカはこれ幸いとばかりに追認したのだ。判断としては間違いではない。

 

 

 

 航空歩兵は垂直離着陸能力を備える有翼種によって編制されている。可搬重量(ペイロード)や最高速度、航続距離の面で龍種に劣るものの、複雑な地形追随飛行や長時間の滞空が可能であった。より対地攻撃に特化した兵種として陸上戦力に直協支援を可能とした。飛行場がなくとも離着陸可能である事に加え、兵装転換や弾火薬の補給も歩兵科や装甲科、魔導科と共通化されている為に容易である。作戦行動時の共有化の為、着陸して野戦将校と会話する天使種の姿すらミナス平原を巡る一連の戦闘では珍しくなかった。

 

 

 

 ヨエルの影響下にある三個装甲擲弾兵師団も二個航空歩兵聯隊の支援の元で機動打撃を行うべく行動を開始している。

 

 

 

 被害を顧みず強引に戦線突破を試みる〈アルダーノヴァ軍集団〉だが、戦略的に見て突破を行うという行為は突出部を形成するという行為でもある。その突出部を迂回して根元を刈り取る様に遮断。突出部の包囲殲滅を図るのだ。軍事的に見ても歴史的に見ても目新しさのない戦術であるが、その規模と火力、戦力は類を見ない規模であった。加えて多種多様な新兵器と新兵科を備えている。

 

 

 

 エルディング航空基地の視察に赴いていたトウカからは、ベルセリカの判断を肯定する連絡があり、後方を纏まった陸上戦力で遮断すれば、補給線の寸断だけではなく将兵の士気崩壊も期待できるとの事である。後方を完全に遮断されるという意味は、一般民衆が考える以上に軍人にとり恐怖なのだ。そして大規模な後方遮断が包囲に繋がるのは歴史が証明している。否、包囲の前段階こそが後方遮断なのだ。

 

 

 

「しかし、天使共にも困ったものでは御座らんか」

 

 

 

「真にその通りかと。ですが、常に両元帥閣下の意向に沿います」

 

 

 

 トウカとベルセリカの意向に沿うというリシアの言葉に、ベルセリカは苦笑する他ない。

 

 

 

 軍神の意向に従う天使種という状況を皇州同盟軍総司令部や〈北方方面軍〉司令部の将官に周知させようという意図は実に政治的であった。付け加えると、トウカとベルセリカの政戦に於ける姿勢が同様であると見せる意図も窺える。

 

 

 

 リシアは北部臣民の避難の迅速化と、それに伴う批判をトウカに向かわせない為、帝国軍に偽装して北部の寒村を襲撃して以降、ベルセリカとの連携を深めていた。直接の上官ではなく未だに陸軍所属であるが、重要情報を得る度にベルセリカへと報告している。

 

 

 

 陸軍としても戦時下で友軍への情報共有であると見ているからこその黙認であろうが、紫苑色の髪の少女を政治的理由から皇州同盟軍に於いては置けないという政治的判断を押し付けられ事に苦慮していた。

 

 

 

 扱いに困るのだ。

 

 

 

 当初、然したる懸念と異論もなく引き受けたのは、陸軍としても宣伝に使えると考えた事に加え、士官学校時代の優秀な成績を把握していたからであろうが、リシアは徹頭徹尾、北部軍閥の軍人であった。言動も行動も急進的であり、常に苛烈である事が義務だと考えている節がある。そして、沈黙と座視が大罪であるという強迫観念を持っていた。

 

 

 

 軍事の為に政治が合わせろと公共の場で発言する様なうら若き女性軍人を宣伝に使えるはずもない。飛び出す言葉が陸軍を傾けかねなかった。

 

 

 

 リシアは変わった。

 

 

 

 しかし、それは皇州同盟軍大佐から陸軍大佐にではなく、マリアベルの私兵からトウカの私兵に、である。

 

 

 

「その白き翼を血に染めよ。皇統に弓引く驕敵の悉くを殺戮なさい。天使とは国家権力そのものなれば……一応の取り繕いは成されているかと」

 

 

 

 苛烈なる権威主義者の肩書を背にした軍事行動は、以前からのヨエルの姿勢を踏襲している様に見えるが、その行動はトウカの意向に沿う。故にリシアはその動きを支援する。

 

 

 

 ヨエルが出撃に当たって言い放った言葉を口にするリシアは、無心でトウカに奉仕していると言える。ベルセリカはその依存に等しい姿を咎めもしなければ不自然であるとも考えない。

 

 

 

 北部は不遇を強いられていた故に、優秀な指導者に大多数が追従と依存を行うという形での統治が古来より行われていた。皇国に於ける奇妙な政体も実情としては権威主義に近い点からそうした部分を捨て切れないが、北部は更に傾倒している。

 

 

 

 怠惰ゆえに優秀者に牽引されたいと願う民主主義体制下で量産される衆愚とは違い、その追従と依存……無意識の信頼と依存は思慕に似た感情を思わせる。

 

 

 

 マリアベルという暴君が許容されるに留まらず、信を得た事からもそれは理解できた。

 

 

 

 北部臣民は敵対者に苛烈な者こそを強く信奉する。

 

 

 

 苛烈な行動こそを果断と認識し、現状を打開すると強く信じているからであり、その点こそが爵位や権威を越えてトウカという指導者を選択した。決して軍事的才覚や敵国の侵攻だけがトウカの軍閥指導者としての地位を成立させた訳ではない。

 

 

 

 少なくとも、ベルセリカはそう考えていた。

 

 

 

「佳い。勇敢に戦うのであれば、些事を問う心算は御座らぬ」

 

 

 

 狂信的なまでの武勇を戦野に示す皇州同盟軍の槍働きを鑑みれば、彼らの信頼と依存は過ぎたるものと言える。しかしながら、それは他地方の所感であり、大部分が北部臣民によって編制された皇州同盟軍将兵はそう考えない。

 

 

 

 苛烈である事が状況を打開するという強迫観念は、決してトウカのみが有するものではないのだ。

 

 

 

 峻厳な大地を郷土とする北部臣民には、食糧や医療、教育、産業……あらゆる面で余剰がなく、常に積極的な行動によって必要量を確保していた。実践と失敗(トライアンドエラー)を繰り返す事で発展する工業分野がヴェルテンベルク領で発展した理由もそこにある。積極的な研究開発を行う気質を持った者に事欠かなかった。

 

 

 

 そして、北部は古来より精兵を排出する策源地として見られていた。生存競争の延長線上として軍事行動を捉えている為、彼らは攻撃的な気質を持って作戦行動に従事する。それは、多くの戦場で敵に多大な出血を強いた。

 

 

 

 指導者への信頼と依存は、過酷な環境で集団で生き抜く為の手段として定着し、今では極端な長所と短所を備える結果となった。

 

 

 

 彼らの姿勢は他地方の皇国臣民とは大きく乖離しており、その点も北部地域の孤立感の一因となっている。環境こそが共同体の姿勢と性格を決めるのだ。彼らの思考は皇国人よりも帝国人に近しいと言える。

 

 

 

「航空部隊の運用は同盟軍総司令官が上手く行うだろう。我々は眼前の敵に対処する」

 

 

 

 ベルセリカは航空部隊運用に疎い。

 

 

 

 対する近代の陸戦は相応に理解できた。情報伝達の迅速化と機動力、火力の増大と長射程化を理解できれば、戦略や戦術の根本は変わらない。完全な門外漢ではなかった。

 

 

 

 その知識がベルセリカに危機的状況を伝えている。

 

 

 

「〈アルダーノヴァ軍集団〉……敵の突出部に対する包囲行動を、三個装甲擲弾兵師団が中心となって行っていますが……」

 

 

 

「想像以上に泥濘が機動を阻害する、という事で御座ろうよ」

 

 

 

 サクラギ・トウカという軍神が成した迂回機動は想像以上に各軍事組織に影響を与えたが、最も影響を受けたのは皇州同盟軍である。トウカが容易に見える様に機動力による長駆迂回や機動打撃を実現して見せた為、ある種の過大評価がなされていた。

 

 

 

 実情として、機動力による打撃は多大な物資と主戦力を必要とすると、ベルセリカは考えていた。

 

 

 

 機動力を担保する車輛の整備に必要な各種部品などが爆発的に増大している。皇州同盟軍や陸軍が装甲車輛だけでなく、輸送車輛の拡充が想定よりも遅延しているのは、戦時下に伴う補修部品の増大に依る処である。多大な消費によって軍需工場は車輛ではなく部品の出荷に少なくない余力を割かれていた。特に履帯などの足回り関連部品の消耗は車輛の弱点である事も相まって跳ね上がっている。

 

 

 

 既に戦車などは共食い整備が大隊規模で実施されており、急速に稼働数を減少させていた。

 

 

 

 トウカはマリアベルの整備した装甲戦力に若干の手直しを加え、幾つかの訓令や戦術を追加する事で機動戦を可能にしたが、それは持続的な運用を可能とした訳ではない。元より内戦からの本土決戦を経て装甲部隊は稼働数を大きく減少させている。装甲兵器比率の減少した装甲師団も装甲擲弾兵や魔導兵の増強で補填されていた。

 

 

 

 この決戦に於いて皇州同盟軍装甲科は世界に名を轟かせるであろう事は疑いない。

 

 

 

 既存の戦略からみて不可能な規模での迂回突破からの包囲機動。敵後方に纏まった火力を持つ部隊を戦力投射できる意義は絶大なものがある。ベルセリカによる古き時代の騎兵による迂回とは規模が違うのだ。密集した敵軍ではなく地方規模での迂回による衝撃は想像を絶する。

 

 

 

「今回限りで御座ろうな。無理をさせる事になるが致し方あるまい」

 

 

 

「……情勢次第ではヴァレンシュタイン上級大将による後方への打撃も期待できます」

 

 

 

 リシアの補足にベルセリカ言葉を返さない。

 

 

 

 日数の上では、未だ進撃中であると予想される〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉。

 

 

 

 既にヴェルテンベルク領フェルゼン周辺に展開する帝国軍の一部を撃破したとの報告から三日が経過しているが、以降の連絡はない。機密保持を名目に連絡騎すら派遣しない状況をベルセリカは怪しんでいた。

 

 

 

 世界に冠たる皇軍装甲部隊の雄が戦力保全を考えれば、敵の壊乱に襲い掛かる形を取るのではないかという懸念があった。トウカはザムエルの裁量に任せるという形を取ったが、ザムエルは兵科間の争いを躊躇する男でもない。そうした組織力学を得意としているかは別として、連携が困難で誤認が多発する夜間を控えるのではないのかという懸念もある。

 

 

 

 しかし、リシアは断言する。

 

 

 

「彼は最速の男ですので。来ますよ。……女の尻を追い掛ける際の敏捷性を以て参陣してみせるかと」

 

 

 

 (さざなみ)の様に皇州同盟軍総司令部の面々が笑声を零す。そこには確かな信頼があった。五〇〇年程も厭離穢土を決め込んだ外様のベルセリカには理解できない類の信頼と言える。彼らの郷土主義による紐帯は兵科間に於ける組織力学の行使に優越するのだ。

 

 

 

 陸軍の消耗を望んでも、連携してベルゲン決戦に挑む皇州同盟軍を、ザムエルが見捨てないと彼ら彼女らは確信している。そうした無形の確信を抱かせる資質こそが将軍たるの資質であった。何よりトウカも信じているのだ。

 

 

 

 訓令を重視したトウカだが、ザムエルに対する訓令だけは曖昧であった。

 

 

 

 具体的な任務を指示たものを号令といい、具体的な任務と意図を指示たものを命令という。対して大軍を指揮統率する場合、上級司令部の命令が隷下部隊に届くか否かという点や命令伝達の時間差による非効率を鑑み、意図のみを提示し、実行方法を隷下の各部隊指揮官に一任する訓令が近代軍では最低単位の戦力にまで適用される。

 

 

 

 そして、トウカは訓令を重視する。

 

 

 

 指揮統率に於ける命令伝達の遅延を問題している点は、通信部隊の増強からも見て取れるが、訓令の重視は伝統的な大軍運用を通例とした各国陸軍との乖離がある為、ベルセリカもその是非に窮した。訓令重視が皇州同盟軍に通用したのは、領邦軍という複数の領邦軍の集合体故の独立性の高さに起因する。少数戦力であるが故に単独行動や連携が前提の各領邦軍は元より柔軟な行動に秀でて……強いられていた。

 

 

 

 しかし、陸軍は違う。

 

 

 

 潤沢な後方支援能力と効率的な総司令部や上級司令部が明確に優先順位を以て配置された一軍事組織である。統一行動を行う為の障害は皇州同盟よりも遙かに少ない。

 

 

 

 北部統合軍時代、各領邦軍毎に部隊編制を行い指揮系統に介入する真似をトウカが避けた理由はそこにある。皇州同盟軍へと再編制された結果、大きく是正されたが、それは内戦時の被害による各領邦軍の瓦解と、皇州同盟による郷土防衛の容認からなる軍備縮小の結果である。北部貴族領邦軍の軍備縮小によって退役将兵を吸収した事で領邦軍という枷の大部分を外す事ができた。

 

 

 

 しかし、枷は未だに存在する。ヴェルテンベルク領邦軍というマリアベルの鉾に対する隔意は未だ払拭されたとは言い難い。

 

 

 

 そして、促成錬成による戦力拡充に伴う指揮系統の肥大化は訓令の余地を拡大させた。否、せざるを得なかった。

 

 

 

 皇州同盟軍は、現状の指揮系統では有り余る規模の軍編制を以て存在している。元より佐官不足の中、訓令による即応性の向上を以て対応するしかなかった。無論、それによる被害もある。功名や慎重が過ぎて要らぬ被害が生じる場面や、部隊運用が想定よりも遅滞する事も珍しくない。

 

 

 

 対するザムエルは訓令による指示を実現する為、常に果断を成した。常に敵の重心とも言える主力や司令部への直撃を躊躇しない。当然、被害も少なくないが、その拙速は常に攻撃力に加算された。

 

 

 

 トウカはそうした点に絶大な信頼を置いている。明確な信頼。

 

 

 

 〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉は無線封止によって所在不明であるが、トウカはザムエルが必要な行動を取ると信頼しているのだ。猜疑心に満ちたトウカが、何故ザムエルを信頼しているのかまでは不明だが、既にそれを信じねばならない戦況に陥りつつあった。

 

 

 

 航空基地襲撃に上級司令部が動揺を隠しきれていない。特に師団以上の司令部の混乱が酷い。航空歩兵による全力出撃による支援で前線に展開する聯隊以下の将兵の動揺は押さえられているが、航空基地の稼働が再開されねば話は変わる。航空砲兵に負荷を強いる期間は二時間が限界であった。元より戦闘機動を行えば平均で二時間足らずの飛行が限界である点を、新兵科故に未だ多くの将兵は知らない。

 

 

 

 二時間以内にヨエルがリディアを排除できるかに航空優勢の維持は懸かっている。

 

 

 

 天使と姫将軍。

 

 軍神と韋駄天。

 

 

 

 其々の関係と争いがミナス平原に於ける決定打となった事を、後世の歴史家達は知らない。

 

 

 

 後に続く戦火の規模に比べては然したるものではないが故に。

 

 

 

 

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