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第二二一話    共和国大統領 中篇

 



「しかし、困るな。事前交渉なしでの来訪は」

 トウカは、苦笑と共に告げるが、内心では実力を見せ付ける事で価値を示したと推測していた。

 《ローラン共和国》という国家は、典型的な共和制国家とは言い難い。長期に渡る戦時体制の下で自由主義的な風潮は大きく制限されている。戦時下で国防と 自由を成立させるには、敵対国である《スヴァルーシ統一帝国》の国力は余りにも巨大であった。劣勢の中で国防を継続させねばならない以上、実情としては大 統領を中心とした独裁制に等しくなる。

 確実な自由を保障する対象は国家以外になく、それ故に共和主義者は理想から遠ざかりつつある共和主義国家の為に命を擲たねばならない。根本的な矛盾と言えた。

 だからこそ、トウカは共和国を危険視しない。例え、帝国が崩壊しても、彼らは周辺諸国に対する干渉主義的な姿勢を取らない、否、取り得ないと確信しているからである。

 共和制とは言え、戦時体制の継続で歪になった産業構造と軍事機構は強大で、それによって利益を享受し、権力の基盤としている者は数多い。帝国が崩壊した 後、彼らがそうした中で既得権益を容易に手放せる筈もなく、行き着く先は共和主義体制の健全化を掲げる政治勢力との衝突なのだ。

 トウカは、共和国がその混乱を御せるとは考えていない。当然、それはトウカは暖炉に薪を()べる様に煽動するからでもある。貧困層に対して感染力の高い共和主義勢力の干渉を怖れるのは帝国だけではない。歴史的経緯に裏打ちされた隔意があるとは言え、ヒトという生き物の大多数は状況に対して流される部分がある。

 そうした国家であるが故に、周辺諸国に対して国威を見せ付ける事を躊躇わない。共和国は、自国が周辺諸国に警戒されていると理解しているのだ。四方を王権主義的な国家に囲まれているからこその現実主義(リアリズム)

 隣国の軍閥の長に、防備を掻い潜り接触できるという実力。敵対を躊躇う理由の一つとしては相応のものである。

 トウカは、映像的な揺らぎすらない実体を伴った共和国大統領に溜息を一つ。

 先程の女性と体積が一致しない点や、人間を形状変化させる点に対する疑問が無意味である事を、トウカは理解していた。

「失礼した。しかし、隣国の指導者との接触。知られたくはないだろう?」

 オーギュストの言葉に、トウカも“誰に”とは聞かない。

 狂信的な軍国主義者としての印象で“商売”している身として、売国的な風評が生じる事は好ましい事ではない。その辺りを揶揄した言葉だが、それはオーギュスト自身にも当て嵌まる言葉である。

「なに、君とは一度、話をしておきたいと思っていたのでね」

 トウカの横で警戒心を露わにしたミユキに苦笑したオーギュスト。

 軍事学を大きく書き換える事を世界に迫った男として著名なトウカとの会話を望む者は多い。無論、利益にならぬ相手との会話などトウカは必要も興味もない が、オーギュストは共和国大統領であり、軍役に就いていた経歴を持つ。政戦の現場に居た男の意見に、トウカは興味を抱いた。

 唸るミユキの頭を撫でて宥めながらも、トウカは直截に訊ねる。

「帝国との戦争に於いて協力を望む……という訳ではないと?」

「その余裕はないだろう? それに自国より他国を優先した、などという風評も君は望まない」

よく調査していると、トウカは肩を竦める。

 トウカの政治姿勢に対して正確に読み取っている者は、意外な事ではあるが少ない。苛烈にして果断に富む上、政戦に於いて目立つ行動の連続であった為、検討考察の余地は十分にあるが、出現して一年すら経ていないが故に評価は定まっていない事も多い。

 しかし、オーギュストにとり、トウカへの評価は確定しているのだろう。

「君は政治家だよ。それも、狂おしい程の信念を立脚点にした」

 ミユキは、その言葉に誇らしげな表情を浮かべて尻尾を揺らす。トウカはその尻尾を膝上で抑えつつも、内心で安い警戒心だな、と零す。

「狂おしい信念を持つ政治家など、碌な事をしないと思うが」

 トウカは信念というものを正確に評価している。所詮は強い意志に過ぎず、大多数に受け入れられれば信念と言われ、拒絶されれば野心とでも言われるに過ぎない、と。

総統(フューラー)書記長(ゲニェラーリヌイ・セクレターリ)の如く、かね?」

 随分と流暢な発音で指導者の肩書を口にしたオーギュスト。

 トウカは押し黙る。

 共和国大統領の経歴を知るトウカは、オーギュストが人間種であると知っている。よって、ヨエルの如く長命であるが故に、多くの知識を総攬しているという 事はなく、相応に纏まった情報が存在する事を意味していた。無論、同じ世界の者が居るという可能性は低い。大統領の近くに居ながら、その影響が共和国の政 戦と文化に観られないという事は有り得ないと、トウカは踏んでいた。

「祖国の世界にも詳しい様子で重畳。その根拠、聞いても宜しいか?」

「はははっ、秘密が良い男を作るのだよ」

 その実に腕力が取り柄のお国柄な仕草に、トウカは実に不愉快な気分になる。ミユキの尻尾を膝上で撫でて心を落ち着けた。

「ところで、トウカ君。指導者に必要な要素とは何だと思う?」

 本当に漠然とした会話を継続してくるオーギュストに、トウカは「大統領御自ら為人(ひととなり)を探りにきた訳でもあるまいし」と嘆息した上で、端的に告げる。

「責任感と判断力、後は愛国心でどうだろうか?」どや顔のトウカ。

「えっ?」首を傾げるミユキ

 膝上の尻尾を力強く掴んでミユキの疑問を封殺すると、トウカは「冗談だ」とオーギュストを見上げる。

「情報と宿敵、あとは金銭……ちなみに軍事力を用いると纏めて手に入れる事も可能だ」

 軍事力行使は、連鎖的に戦火が拡大していく危険性(リスク)も高く、引き際と終戦までの方策、終戦後の安定化と勢力図の演出まで行わねばならない。何処かで失敗すると終わりなき混乱に国力を消耗して戦勝国としての利益を享受できない可能性すらあるが、選択肢としては常に存在する。

 無論であるが、トウカはその様な事まで緻密に考えていなかった。

 内戦時は引き分けに持ち込む事に全身全霊を傾け、帝国〈南部鎮定軍〉侵攻を受けて帝国崩壊に動き出したトウカに主導権(イニシアチブ)がある筈もない。帝国崩壊時の混乱で、帝国領土が周辺諸国の草刈り場となって混乱する時間を以て国内の諸勢力を統一し、南下政策を取ろうと考えているに過ぎない。

 帝国本土に於ける工業地帯は北部に密集しており、それ以外の広大な地方を併合するなど、トウカは現時点では不可能であると見ていた。挙句に膨大な人口と 国境線を抱え込むという面倒は酷く国力を減衰させるに違いなかった。寧ろ、領土欲に塗れた他国が、その毒饅頭を喰らう事こそを望んでいた。長年に渡り干戈 を交え続けた国家は帝国の領土を併合するという誘惑に耐えられないだろう。特に民主共和制という感情論が優先され易い共和国は顕著となる可能性が高い。

「そうだ、特に敵だね。強大で嫌悪できる敵を叩けるなら、政治は成り立つものだ」

 どうしようもない真実に、トウカは苦笑を零す。

 共和主義者にしては直截に過ぎるのではないかという疑念もあるが、政治家と軍人とは、実はしている事に然したる違いはない。本質を見れば、直接的に干戈を交えるか否かという点でしか差はなかった。

 政治家は、資金を集めるという兵站活動を行い、政党という軍勢を編制し、政治家という兵士を議会という戦場に展開する。そして、論議や質問、選挙という 攻撃方法で相手を批難するのだ。制度化された権力の移譲によって内乱の余地を奪うという一点に於いて、民主共和制は優れた思想と言えなくもない。

 その辺りを考慮するに、政治家とは主要な行動に於いて、軍人と類似していると言えなくもない。内乱の余地を奪うというのもある種の消耗抑制の一種と捉えられるかも知れない。指揮統率の空白が生じるのは好ましくないが。

 詰まるところ、政治に於いても軍人の理論は通用するのだ。それを受け入れるか否かは兎も角として。

「救い難い事で」

「いや、ここは共和主義の徒として否定すべき場面なんだろうがね。でも、状況に流されるだろう、ヒトなんて生き物は」

 民衆を指導する立場に追い遣られると嫌でも理解できる事であるが、民衆の大多数に指導者と同様の視野を求め、国益と国防を理解した上で判断をさせるなどという真似は不可能である。

 それらの点を踏まえると、先のオーギュストの発言は、共和制の理想が到達し得ないと明言しているに等しい。共和主義者からすると、放言等という程度を越えた発言と言える。

 実に現実主義な一言に、トウカはオーギュストに対する好意を率直に言葉に乗せる。

「正論であるから強制される……それが許されないからこその共和主義と聞きますが」

 多様性を担保してこその共和主義である。それが損なわれるなら共和主義の意義の大部分は喪われたと言っても過言ではない。選挙によって指導者の暴走を阻止するという名目も、戦時下が続く現状では効果を発揮しているとは言い難い。

「でも、君は認めないだろう?」

 どこか圧力が増した気がしたトウカは、ミユキの尻尾を抱き寄せる。芳しい香りに心が満たされた。

「是非に及ばず。ヒトは愚かで、群れれば責任意識を喪う」

 歴史が証明している点を、オーギュストもまた理解しているのは疑いない。彼は理想を求めつつも、ヒトの限界を察している。

「分からず屋には、正論を拳に乗せて理解させて差し上げるまでのこと」

 政戦と経済に関わらない分野であるならば、トウカとしては束縛する心算はない。批難や表現に関しても、水面下で誘導はしても強制する心算はなかった。そ れは反発を生むだけで、不利益が大きい。何より、大多数に自らが考えて行き着いた答えであると錯覚させてこその誘導である。

 そうした方針を選択する場合の費用対効果(コストパフォーマンス)に劣るからこそ、トウカは共和制を選択できない。当然、それは(とうと)(やから)の権利を肯定するものではなく、権力集中の障害となり得るならば、あらゆる政治思想はトウカにとり敵である。

「まぁ、君の為人(ひととなり)が知れた事は幸運だ。商人でないならば、文句はないさ」

 オーギュストの口角を引き攣らせた言葉に、トウカは共和国にも経団連があっただろうか?と首を傾げる。身を切る改革というものを、貧困層に負担を強いる 改革と勘違いしている連中は、常に金銭を手にして自身の利益の為の政策を政府に迫る。よって、トウカは皇国内に於ける経済連合議会に対しては、常に強硬的 な姿勢を取っていた。

 経済的に搾取している側と一般に思われている集団との連携は有り得ない。急進的右派最大の支持基盤と言える貧困層からの支持を取り付けられなくなる。彼らは重要な消費者であり兵力なのだ。

「商人は派閥や世間に関係なく、銭儲けを優先する。善悪も愛国心もない彼らは常に政治の障碍だ」

 その上、優秀な商人とは古来より忠誠心を持ち合わせない。優秀な商人が最も信を寄せるのは、何時の時代も自身の商才でしかない。善悪も国家も価値観も、彼らには値札の付け難い代物程度に過ぎない。

 ――成程、脅威だな。

 その辺りを理解しているとなると、帝国という毒饅頭を口にしない可能性がある。否、トウカが共和国が毒饅頭を口にする様に煽る真似をしない様に釘を刺しに来たという意味合いもあるのだろう。

 トウカは、ミユキの尻尾を彼女へと返す。

 この瞬間、トウカはオーギュスト・バルバストルという男に指導される《ローラン共和国》を脅威と見た。

 斜陽の共和主義が最善の指導者を選択するという奇蹟を目の当たりにしたトウカは姿勢を正す。好敵手には相応の姿勢を示さねばならない。

「君、帝国は欲しくないのかい?」

 今一歩、踏み込んだオーギュストの問い掛け。

 言葉を選ばねばならないトウカは、背の発汗を自覚した。共和主義という口先で争う事が主体の主義者達の中で国家の頂点にまで上り詰めた男を向こうに回しての会話というのは酷く神経を擦り減らすものである。優秀であるという誤算もあれば尚更であった。

 オーギュストの帝国領土についての言及には二つの意味がある。

 一つは、トウカの領土拡大の野心についての確認である。大陸統一についての言及の過去があるトウカの軍事行動が共和国に向く可能性を推し図ろうとしてい るのだ。可能性は低いが、皇国軍が無防備となりつつある共和国の横腹を突く可能性とて皆無ではないと見ている可能性がある。

 もう一つは、皇国軍による反攻作戦の時期に対しての警戒である。共和国としては皇国軍による〈南部鎮定軍〉への反攻時期次第では、一層と不利な立場に追 い遣られかねないと考えている筈であった。皇国本土から〈南部鎮定軍〉を排除、或いは撤退させざるを得ない状況が成立した場合、帝国は皇国本土からの早期 撤退を選択する余地が生じる。無論、〈南部鎮定軍〉の残存兵力を転進させ共和国への攻撃に注力するという選択肢がそこで発生することにもなる。皇国…… 否、トウカに余力がない事を帝国……エカテリーナは見抜いているのだ。安心して共和国に〈南部鎮定軍〉を差し向けられるだろう。

 思惑を互いに読み合う二人。

 二人の視線が交錯する。

 トウカは安易に答えを口にはしない。

「……女帝は美人と聞く。鹵獲したいとは思いますが」

 些かの逡巡を見せ、トウカはエカテリーナの名を口にする。

 バシバシとミユキの尻尾が太腿を叩く。ミユキは膨れて顔を逸らしていた。厄日であった。熱心な共和主義者が碌でなしである点を、トウカは確信した。無論、社会主義者を評価する訳ではないが。

 トウカとしては、共和国への侵攻を行ったもう一人の要人の正体を知りたいと考えていたが、優先順位としては高いものではない。国家戦略重視のエカテリーナに対し、貴族間政略重視のもう一方の要人は、恐らくは帝族か高位貴族であると推測できる。

 皇国侵攻を企てたエカテリーナは、食糧不足による革命や暴動を抑えるべく食糧と穀倉地帯を求めた点を踏まえると、国家を存続させるという点に重きを置いているが、共和国への侵攻を企てた要人は違う。

 彼は専制君主制や、それを取り巻く貴族制度の存続に重きを置いている。帝国が国土を面する国家の中でも、特に有力な陸軍を有する共和国に対する大攻勢を 皇国侵攻と同時に行う危険性を推して尚、攻め入る理由をトウカはそう推測した。共和主義という感染力の高い思想の流入を危険視して打倒。妥協の余地はない と、国内の共産主義者への牽制ともなり得る。

 しかし、共和国への侵攻を企てた要人の手際を、トウカは評価しない。トウカであれば、国内の労農赤軍(РККА)の撃滅を優先する。未だ、共産主義が軽視されているのか、或いは政争に利用できると放置を選択したのか。

 ――情報が少ない。カチューシャを重視し過ぎたか。

 情報は数多く存在するが、精度が伴っている訳ではない。

 ひと言でいえば、大抵の情報は間違っていると思って差し支えなく、しかも人間の恐怖心がその虚偽の傾向を益々助長させるものとなるのである。

 共和国やその戦線を形成する要素の情報は玉石混合の儘に流入しており、エカテリーナや南部鎮定軍に対する諜報の様に、複数の情報筋による整合性の確認や、証拠の確保などは行われていないのが実情である。

 トウカは両手を上げる。

「まぁ、正直に言うと、エカテリンブルク辺りまでを緩衝地帯とした属国の成立を望む程度だ。他は好きに為さるが宜しいかと」

 共和国と干戈を交える予定は“当面”なく、加えて現時点で崩壊されては難民が押し寄せかねないと判断したトウカは、皇州同盟の版図拡大の予定を伝える。

帝国の領土を切り取る方法と占領政策は教えないが、オーギュストは帝国人同士で消耗を誘うという思惑を察したのか、共和主義者らしい大仰な仕草で天を仰ぐ。

「また非難されそうな真似をする。感心しないな。強欲も過ぎれば、盟友を喪うと思うがね」

積極的防御(アクティブディフェンス)ですよ。それに、あの大国の混乱に巻き込まれたくはない……それに、貴官も中々に批判されている」

 オーギュストは現実的な指導者であるが故に、共和主義を理想という色眼鏡を通して見ている主義者達は、中央集権を推し進めるオーギュストに否定的である。彼らが暗黒時代と称する共和国建国以前の混乱の経緯から、個人が独裁的な権力を有する事を忌避しているのだ。

 トウカの指摘に、オーギュストは肩を竦めて腹の底からの笑声を零す。

「ああした連中は進んで私の名前を世間に知らしめてくれる。悪評は最も有効な宣伝だ。ヒトという生き物はね、悪口が大好きなんだよ。違うかい?」

「でも、悪い噂があったりしちゃうと批難されると思います」ミユキが首を傾げる。

 ミユキが興味津々であるのは致し方ない。国家指導者というものは、公園で頻繁に散歩している様な存在ではない。好奇心旺盛な彼女は、珍しい生き物に目がないのだ。

「選挙制度というのは面白いものでね、知られなければ何も始まらないんだよ。演説で言ってやればいいのさ。今、話題の売国奴が恥ずかしげもなく参上しました。どうか、皆様。声援と罵声を御願い致します、とね」

 妥当性のある批難というものは意外と少ない。大衆とは新聞や風評に踊らされて批難する者が大多数を占める。その行動原理の根幹は感情論に根差した指摘の 体をした自己満足に過ぎない。よって、その意見を優越する衝撃を以て応じれば、評価は容易に反転する。問題は、理論や法律に裏打ちされた批判であるが、そ れはオーギュストの能力を見るに、避ける手段も躱す手段も用意しているに違いなかった。合法である必要もない。

「俺の場合は武名ですが……まぁ、ある種の悪評でもありましょう」

 ある意味、トウカの武名を批難する意見も感情論に根差した発言に依るものと言える。国防の為の積極的な軍事行動の範疇であると軍神が口にすれば、それを 戦略規模の過ちであると理論的に反論する者などそうはいない。武名は実績が伴うと堅固な常識と成り替わるのだ。実情はどうであれ。

「悪目立ちでもいいんですね!」ミユキが明言する。

 敢えて賢しらに言葉を並べる二人の七面倒な在り方を、一言で、しかも端的に纏めるミユキ。トウカとオーギュストは失笑を零す。真実とは常に端的であり、残酷である。

「まぁ、そちらの狐の御嬢さんの言うとおりだが、それでも尚、民衆は踊らされる」

「結局、その時、最も耳触りのいい主張をしているかしか基準にしない。成程、貴方は実に佳く民主共和制を知悉している」トウカは心の底よりの称賛を口にする。

 オーギュスト・バルバストル。彼は誰よりもヒトという生き物の怠惰と傲慢、卑怯と卑劣を愛している。それらの理解には、酷く屈折した情熱を要するのだ。常人では向き合う事に多大な忌避感を催す産物ですらある。

「民衆が政治家に望む言葉は正しい政策じゃないんだよ、ミユキ。敵の批難だ。民衆は自身を抑圧している者を批難する政治家こそを支持する。実は政治というのは強力な敵があってこそ、自身の評価に繋がる。ヒトはな、誰かを批判している時が一番輝く生き物なんだよ」

 無論、それは政治分野だけでなく、人間関係に於ける本質とも言えるものであり、心理戦の一種ですらある。ヒト同士の駆け引きの範疇として、ヒトを正確に推し測ってこそ、為政者は為政者足り得るのだ。

「軍人もその点は同様だね。知っているかい? 今の君、凄く輝いているよ」

 上手く切り返した心算のオーギュストの満足げな表情を、トウカは鼻で笑う。

「貴方には負けますがね。貴方は優秀な理想主義者だ。理想を実現する為に現実主義者として国家を指導する。理想を語るだけで現実に穢される覚悟のない有象無象とは違う」

 意外な事に、民主主義国にはそれができる政治家というものが存在しない事が多い。批難を怖れて受動的になる程度の才覚の者が議会に於いて大多数を占めるからである。よって、共和主義の軍人としては、オーギュストは理想の指導者と言える。


 国家というのは“道徳面で正しいことをしたい”という欲望に動かされて政治を行ってはならない。もし実際にこのような事が起こってしまうと、戦略は“不可能な任務”を押し付けられる事になる可能性が高い。


 理想という否定し難い御題目によって、現実性のない計画を命令される事を、共和主義国の軍人は何よりも怖れている。自国の民意こそが、最も自軍将兵を殺すのだ。

 トウカは話題転換……という雰囲気で気にしていた項目を訊ねる。

「ところで、そちらに仕掛けた帝国主義者は悪目立ちすらしていませんが」

「ああ、あれは皇族だよ。ヴィークトル・ゲオルヴィチ・アトランティス……帝位継承者第一位だね。中々に優秀だ。共和主義の流布にも神経質だからね」

 至極簡単に得られた答えに、トウカは言葉を詰まらせる。咄嗟に言葉を返せない。

 帝族に確かにそうした名があった気がすると考えつつも、トウカは共和国の対帝国戦略が軍事力による打倒ではなかったのだと悟る。

 恐らく、共和国が共和主義思想の浸透による帝国内での革命を意図した工作活動を重視していたのだ。当然、多民族統治に秀でた帝国の諜報機関や保安局がそ れを看過するはずもない。水面下で激しい衝突があったはずである。故に帝国は共和国を脅威と見た。戦闘の混乱に加え、長大な国境線を完全に監視する事が困 難な以上、浸透を完全に阻止するのは不可能と言えた。

「典型的な名君の素質がある様子で。まぁ、英雄や名将ではない」

 消極的選択として、帝国は共和国を打倒するしかなく、停戦で思想浸透が止まると考えない程度の知性は備えている。エカテリーナを御せていない点を見ても、ヴィークトルの限界が窺えた。

 トウカとしては、その一言で答えが出た。

「そちらにお任せしますよ」

 少なくとも皇国に対する謀略を同時に行えるだけの才覚はない。挙句に帝国の資源(リソース)を分割するという愚挙にまで及んでいる。エカテリーナが知っていたならば阻止したであろうことは疑いない点を踏まえると、謀略を隠す程度の実力はある。

「そう言うとは思ったけどね……今日は君の為人を知れたことで満足するよ」オーギュストは佇まいを正す。

 トウカは、溜息を一つ。オーギュストは未だ会話を望んでいる。隣で中に餡子が入った餅を齧っていた。大統領という珍獣には飽きた様子である。

 トウカは立ち上がると、オーギュストの横に立ち、月夜を見上げる。

 人工の輝きなき島嶼ならではの夜空には星々が満ち満ちている。トウカの知る星座の影すら窺えないが、或いは奈辺化かに存在するやも知れぬと思わせる程の輝きは縹渺(ひょうびょう)たる姿を隠さない。

 続くオーギュストも夜空を見上げる。

 工業地帯まで領都フェルゼンに集中させたヴェルテンベルク領であったロンメル子爵領だが、星々の輝きを遮るものはない。特に夜空を東西に縦断する星河は圧巻の一言に尽き、人々が神話や伝承の中で特別視する事も止むを得ない程の威容を誇っている。

 トウカは、時折、星河を見上げて思うのだ。

 旧文明時代の文献を検証する考古学者曰く、星河の破片は対航宙戦闘を前提とした恒星間航行艦艇のものであるとする結論は多いが、その艦艇を建造していた であろう施設や旧文明の大規模な軍需施設が発見されたという報告はない。星系内の別惑星に建造施設があるという可能性はあるが、そうであるならば、そこま で航行させて簡易修理の後、近隣星系や恒星に放棄するなりすればいい。有人惑星を危険に晒す位置に夥しい数を放棄する理由がトウカには分からなかった。

 トウカは、考古学者達とは違い、実際は存在したとしても戦闘艦艇は極一部であるという点だけは確信していた。あの数の戦闘艦を有人惑星上まで集結させた上で放棄するいう手間を加える理由などある筈もない。

 恒星間戦争を考慮した場合、戦闘艦よりも輸送艦や病院船、工作船、各種雑役艦が極端な大型化となっていく事は容易に想像が付く。莫大な規模の資源を消費 するであろう恒星間航行艦の兵站を支えるには、相当量の資源が必要であると推測され、艦艇数の減少は護衛艦艇の減少と輸送量の増大を期待できる。操船人員 の削減も可能であろう。

 対する戦闘艦は小型艦艇などの母艦となる艦艇以外は、可能な限り小型化する方向に向かうと推測される。船体規模は被弾確率を上昇させ、質量増加は機動力 を低下させるからであった。何時の時代も戦闘艦はそうした問題からは逃れ得ない筈である。〈大和〉型戦艦がそうであった様に。

 だが、客観的に見て、輸送艦や病院船、工作船、各種雑役艦……或いは民間船だったとしても、その破片の規模は余りにも膨大に過ぎる。

 故にトウカは移民船ではないかという可能性を捨て切れないでいた。

 数を大量に必要とし、惑星付近に展開する必要性が移民船にはある。無論、惑星降下能力も持ち合わせていない移民船など存在するのかという疑問や、降下に使われた艦艇が別で見つかっていないという矛盾も存在する。

 なれど、余りにもトウカの故郷の人間と彼らは類似し過ぎている。知的生命体の進化の方向性には一定の法則が見受けられるという説もあるが、魔導資質を除 けば刺したる違いすら見受けられない程の同一性を担保する根拠はない。魔導資質も科学技術で後天的に付与されたものと見ているトウカは、故郷たる地球から の移民ではないかという期待と疑念を捨て切れないでいた。

 そして、或るいは移民を実現した者達の情報を、オーギュストが継承しているという可能性も浮上してきた。彼の世界の歴史に記された役職名が出るという事は、その背景を理解した上であるというのは間違いない。

 トウカは追求の為に口を開こうとするが止めた。無意味である。オーギュストが真実を語るとは限らず、誘導される可能性を捨て切れなかった。何より、一応は友軍扱いであるヨエルの情報を先に得て判断すべきであると考えた。熾天使と大統領。胡散臭さでは良い勝負であるが。

 オーギュストとの会話は終わったと思ったトウカだが、尚も「あと一つ」と人差し指を立てられる。


「最後だよ。改めて聞きたい。例えば、世界統一したとして、統治はどうするべきだと思う?」


 余りにも規模の大きい話に、トウカは暫し言葉を失った。

 しかし、世界統一と言えば途方もない話に聞こえるが、複数大陸を領有する超大国と言うべき、多くを内包した国家の統治に付いてであれば、トウカはある程 度の方向性を見い出している。元の世界が《大日本皇国連邦》と《亜米利加帝国》、《欧州国家社会主義連合》の三大国によって過半を占めている中、大国特有 の短所や欠点を補うべき議論は、そう珍しい事ではなかった。御誂え向きに幾度かの大戦と無数の悲劇が判断材料として存在するのだ。

「世界の……超大国の統治に民主共和制は不適格である。その点だけは確信を以って言えます」

 何千年も前、何千という終末兵器を実戦配備した三つの超大国が生まれる遙か以前に結論は出ているのだ。


 大国の統治に民主制は適さない。


 古代希臘(ギリシャ)の歴史家トゥキディデスの 言葉である。その言葉自体は、民主制での失敗、或いは衆愚政治に絶望したのだろうと客観的に見る事ができる。しかし、彼が民主制が産声を上げたアテナイで 生を受けた人物である事を踏まえると、酷く意義のある批評に変わる。当時、民主政治の最先端であったアテナイの歴史家がそう嘆く程に衆愚政治が猖獗(しょうけつ)を極めたのだ。それから二五〇〇年余りもの時を経て尚、民主制を人類は扱い切れてはいない。

 恐らく、宇宙進出を経ても人類は民主制を扱い切れないと、トウカは踏んでいた。呪詛の如く民主制の優位を世界の大多数に錯覚させた元の世界では、どこか で必ず反動としての専制君主制の復古が生じる余地があるとすら見ていた。敵国なき国家が堕落する様に、対を成す政治体制なき主義もまた堕落する。反動とし て(いにしえ)の遺物が姿を見せるのだ。無論、SF(サイエンスフィクション)の如く、非ノイマン型の量子演算機(コンピューター)が治世を担うというのであれば話は変わるが。

「だが、国民の声が政治に取り入れる機構がなけれが、指導者は独り善がりにもなるし暴君にもなる。違うかい? 議会などの登場は歴史に於いてそうした意味を持つはずだ」オーギュストの指摘は正論に聞こえる。

「成程。それで、議会制を導入する余地はあると?」

「君とて議会の必要性は確信しているだろう。君は政治家を叩いても皇国議会そのものを叩く真似はしなかった。皇都擾乱では、国民が議会制に疑問を抱く状況に推移させられたはずだ」

 随分と斜め上への買被りであるが、他国人からみれば混乱極まる皇都で積極的に軍事力を用いて問題解決を図ったトウカは、皇都の支配者として君臨した様に 見えても不思議ではない。当時の戒厳司令官という肩書も大きい。故にオーギュストは、議会閉鎖を決断しなかった点を過大に捉えた。

 トウカは嗤う。盛大に。大きな勘違いが続いている。そこには歴史的な可笑しさと面白さが多分に含まれている。

「貴方は勘違いしている。専制君主制で失政が起こるのも確かだ。しかし、民主共和制とて失政は起こる筈だ。貴国の前身がそうであった様に。やはり貴方は民主共和制国家の政治家だ。短所を故意に過少して、長所を過大に嘯く」

 四六〇〇年を超えて尚、民主共和制を護持した点に、トウカは素直な賞賛を口にしてやることも吝かではないが、それでも尚、帝国を打倒し得ず、政治腐敗を止め得える術を見い出し得ないとなれば、一体、いつになれば民主共和制は最善を掴めるのか。

 存外に、そう口にしたトウカに、オーギュストが表情を歪める。彼にも自覚はあるのだ。

「制度や主義など所詮は道具に過ぎない。見るべき点はそこではない。分かるか? 重要なのは主権を手にした者の能力と意識だ。お前らは民主主義者はいつも そうだ。主権者たる国民の数を重視する癖に選挙の投票者数はどうだ? 奴らの主権者意識が透けて見えるぞ? 当然、能力もな」

 挙句に自身が選択した事を忘れて政治家を批難する上に、自身の責任がないかのような発言をする。それのどこに主権者としての意識があるのか。そもそも、 政治家の質は国民の質を反映している。投票する程の政治家がないなどという発言は、国民たる自身の質が語る程のものではないと明言しているに等しいのだ。 能力が乏しい故に、それすらも理解できない。

 知識と常識の教育と愛国心の醸成、公正道理を求める意識。それらを満たし、相応の人材を議会へと送り届けるという意識は、教育制度を見れば理解できる。 相応の人材を育成するという意識は政治への関心と国家の未来への責任感と等号する。よって、教育制度を御座なりにする国家は、そもそも民主共和制を運用す るだけの最低限の成熟度すら持ち合わせてはいないのだ。

 トウカからすると専制君主制と民主共和制に於ける最大の特徴は主権者の数である。前者が個人であるのに対し、後者は多数である。トウカは意識と能力を保持し易い一方を選択したに過ぎない。

「俺が皇国議会を尊重している? ああ、しているともさ。あれは貴族と並んで天帝陛下と国民の間の緩衝材として成立した。そして、比較対象として。ん? その顔は知っているという顔だな。まぁ、つまりはそういう事だ」

 皇国議会は、オーギュストが先程口にした国民の声を取り入れるなどという高尚な目的の為に導入された訳ではない。皇国議会は成立から現在に至るまで、自 らの制度を国民にとって最善となるように改革する勇気も度胸も能力もなかった。定期的に醜聞を提供し、あたかも天帝の治世が選択肢として正しいように錯覚 させる演出装置に過ぎないのだ。

「簡単に言ってやる。言ってやるともさ。莫迦がどれだけ増えても莫迦な意見しか出ない。心当たりはあるだろう?」

「それは…………」オーギュストは言葉を失う。

 彼もまた理解しているのだ。能力と意識に乏しい者にまで等しい権利を与えねばならないという民主共和制最大の短所を。そして、皇国議会が共和主義者への瓦斯(ガス)抜きと、国民に民主共和制への失望を植付ける要素と理由として存在すると。

「ヒトという生き物は民主共和制を扱える様な高尚な存在ではなかった。扱えるならば、貴国は今頃、大陸統一を成し遂げていたであろうし、前身となった国家も崩壊していなかった」

 それが答えである。

 民主共和制が最善を希求するまでに四六〇〇年の歳月でも足りないと嘯くのであれば、トウカはそれを基幹とした政治を行う真似はできない。

 目に見えて肩を落としたオーギュスト。

 トウカは何も声高に民主共和制だけの欠点を指定する真似はしない。こうした政治を語る場面でまで“短所を故意に過少して、長所を過大に嘯く”行為は最善を過つ事になりかねない。

「結局、ヒトは現時点であらゆる政治体制……専制君主制を含めて理念や前提を過たずに利用する程の能力と知性を手にしてはいなかった。そうであるならば、大陸に幾つもの政治体制が乱立するなどという状況が長きに渡って続くはずもない」

 トウカは政治制度の永続性など信じてはない。

 ソクラテスの弟子にしてアリストテレスの師であるプラトンも政治制度について興味深い発言をしている。


 寡頭制から民主制になり、行き過ぎた自由の暴走に独裁的権力者が生まれ、打倒されるその循環である。


 彼もまた民主主義発祥のアテナイに生を受けた人物である。しかも、彼の場合はアテナイ最後の王の血を引く人物でありながら政治家を志したが、三十人政権 や民主派政権の腐敗を目の当たりにして政治から距離を置いた人物でもある。寧ろ、トウカとしては並み居る偉人の悉くを失望させる当時の衆愚政治に興味すら 惹かれたくらいであった。

 トウカもプラトンと同様の見解を持っている。無論、政治体制の変更に関しては、旧権力者層を一掃する為に違う政体を選択せねばならないという事情がある とも見ていた。大きな確変を短期間で成したいと考えれば、旧権力者に連なる人物の悉くを排除せねばならないが、その理由として奉ずる政体の不一致とは歴史 上でも良く使われる理論である。共産主義者は些か使い過ぎの感が否めないが。

「誰もが失政も暴政も政治体制に原因があると口にするが、実際はヒトの限界だ」

「ふっ、君の言うことを認めてしまえば、民主共和制は天霊の神々くらいしか使えぬものと言うに等しくなるな」

 面白い、と嘯くオーギュスト。多神教であるが故に議会制は確かに導入可能と言える。複数の神々が乱立する世界観を持つ天霊信仰であれば可能かも知れない。

「昇神して神となったヒトも居る上に、神話に目を通す限り彼らが民主共和制を理念通りに扱えるとも思えないが」トウカは苦笑する。

 ミユキの尻尾が不敬であると、トウカの太腿を叩くが、彼女自身も苦笑を零している。天霊信仰に基づいた神話に一度でも目を通した者であれば、無言の同意をしたくなる程度には、天霊の神々も“個性豊か”である。

 三人は一頻り苦笑を零す。月女神が嘆くかのように、月光が雲居に隠れた。

「主権か……難しいものだ」

「総ての制度に共通する話だが……国民全員が主権者である民主共和制に関しては、特に重大な問題だ」

 主権者があらゆる制度の中で最大数となる民主共和制は、個人が最も自らの手にした主権の意義を感じ得ない制度かも知れない。ヒトの数だけ意義が分散され、主権に対する重圧感は軽くなる。重要性が同じであるにも関わらず、である。

 誰かが代わりに何とかしてくれるだろう。
 一人がいかなくても大きな影響はない。
 知識がないから投票しても間違うかも。

 そうした逃げ道を提示してしまう制度的弱点を民主共和制は常に抱えている。そうなれば主権の行使たる投票は酷く個人的理由に依存したものとなる。恣意的 な理由が挟まれれば、それは国家や政治ではなく、個人の趣味嗜好や利益が優先さかねない。そうした恣意的な理由が国民の未来や国益を踏まえている筈もな かった。

 その最中に、主権や政治に対する無関心が生じ、政治家達は主権者の歓心を求めて健全な国営ではなく、個人の趣味嗜好や利益に追従した政策を提言し始める。政治に最も必要な長期的視野は喪われ、将来の為の持続的な政策は批判されて衆愚政治に陥るのだ。

 結果として衆愚政治が到来する。

「話を戻すが、国民の声を取り入れる必要性は確かにあるだろう。だが、その為だけに民主共和制や議会制度を導入するのは、費用対効果(コストパフォーマンス)の面でも最善とは言い難い」

 例え、暴君の即位や後継者争いを避ける為としても、永続的な政治的混乱による国益の蕩尽を許すならば、被害総額と浪費国力の面では同等という結果になる可能性とて捨て切れない。

「それに国民の声を求めるならば、何かしらの方法での世論抽出でも構わない筈だ。統治の上で有益な意見を抽出し、指導者と官僚などで対応を議論すればいい。国民を挟む必要などない」

 決定後、提示された意見とその結果と経緯を公表し、国民に対して指導者が国民の為に政策を打ち出しているという演出にもなる。

 オーギュストなどの共和主義者が、特定の個人に権力が集中する事を厭うのは、大抵の民主共和制の成立理由が専制君主制の暴君を阻止するという名目で成立したという理由から止むを得ないものがある。

 しかし、ヒトという生物が群れて集団を成立させる都合上、権力が誰かに集中するのは避け得ないのだ。そうでなくては組織は早晩分解するだろう。民主共和 制とて代表という形で大統領を擁立して絶大な権力を与えている。群れて生きる動物にすら頂点が存在するのだ。権力集中に対する懸念など無意味である。

「君はヒトという生物に失望しているのだね」

「御冗談を。期待していないだけです」

 期待と失望は違う。不明瞭なものに期待する程に、トウカは非現実的ではない。

 この時、二人が相容れない存在と互いを認識した事を、後世の歴史家は仔狐の日記から知ることになるが、それは遠い日の出来事である。

 

 

 

 

 

 

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 ひと言でいえば、大抵の情報は間違っていると思って差し支えなく、しかも人間の恐怖心がその虚偽の傾向を益々助長させるものとなるのである。

    《普魯西(プロイセン)王国》軍事学者 カール・フィーリプ・ゴットリープ・フォン・クラウゼヴィッツ 


 国家というのは“道徳面で正しいことをしたい”という欲望に動かされて政治を行ってはならない。もし実際にこのような事が起こってしまうと、戦略は“不可能な任務”を押し付けられる事になる可能性が高い。

    《大英帝国》国際政治学者 コリン・S・グレイ



 寡頭制から民主制になり、行き過ぎた自由の暴走に独裁的権力者が生まれ、打倒されるその循環である。

     古代希臘(ギリシャ)     哲学者 プラトン 本名アリストクレス



 大国の統治に民主政は適さない。

     古代希臘 (ギリシャ)  歴史家 ツキディデス