<<<前話  次話>>>

 

 

第二二七話    天使達の事情

 

 

 


 慌ただしさを増す〈北方方面軍〉司令部の末席で、トウカは沈黙していた。

 ベルゲン会戦が本格的に始まったのだ。

 帝国〈南部鎮定軍〉は戦線の形成完了を待たず、共産主義者宜しく無停止攻撃に踏み切った。軍集団規模の戦力による大攻勢。砲兵の陣地転換が未だ終えぬ中での攻勢は自殺行為に等しい。現に皇国軍は砲兵隊による火力を以て、之に甚大なる被害を与えつつある。

 しかし、敵は前進を続ける。

 膨大な屍を長大な戦線の各所で築き上げつつも、迫撃砲や騎兵砲を人力で前進させて対抗しようとしていた。それは、夥しい血涙と屍を代償に成功しつつある。皇国軍は早々に、未だ未完成であった最前面の塹壕線を放棄せざるを得なく成った。

 〈南部鎮定軍〉の戦死者は今次戦役で、既に六〇万を超えていると推測されているが、前線の兵力が減少した様には思えない。恐らく、それらの兵力は速成錬成を終えたばかりの捨て石であるが、その捨て石すら帝国〈南部鎮定軍〉には未だ潤沢に予備が存在する。

 トウカは、軽やかな笑声を零す。

 その姿に、〈北方方面軍〉司令部の面々が畏れの滲む瞳をトウカに向ける。

 そうした中、陸軍元帥の階級章を縫い付けた陸軍第一種軍装に身を包んだアーダルベルトが、トウカの横へと並び立つ。その隣にはアリアベルが寄り添ってい る。そして、アリアベルの背後にはレオンディーネとエルザが護衛として控えている。当然、トウカの背後にはミユキが控えていた。

「若造、戦争は楽しいか?」

「いえ、クルワッハ公。受動的な戦闘なので楽しくはありませんよ」

 存外に運動戦や機動戦っであれば楽しいという一言に、アリアベルが苦笑する。ミユキの改造軍服以上に目立つ、金髪に巫女服と千早というアリアベルの笑声は思いの外に多くの者の目を引き付けた。

「しかし、元帥号ですか? 皇国では天帝陛下の勅命を以て新補されると聞きましたが?」

「何処かの地方軍閥の長と方面軍の長が元帥だ。押さえ付ける為には同階級が必要との判断だろうな」

 ファーレンハイトがトウカの独断専行を押さえ付ける為、元帥号をアーアルベルトとレオンハルト、フェンリスに与えたのだ。当然、特例であり、次代天帝の到来時に返還と処罰を受けるという前提の下での階級に過ぎない。

 特例が連発される現状に、トウカは「皇国も愈々(いよいよ)と末期だな」と、鞍型(ザッテルフォルム)の軍帽を手元で弄ぶ。

「主さ……元帥閣下。何故、笑われたのですか?」

「応、副官。屍山が天の(きざはし)の代用となるのか、セラフィム公に尋ねるのも一興……と思った訳ではないぞ」

 周囲の者が悉く何とも言えぬ表情をする。宗教に対する皮肉を大御巫の前で言ってのける者は少ない。

 天の階とは、宗教用語の一つで、天界へと続く階段の事を指す。ヨエル曰く、実際は高位次元へと移動する霊的転移の事象そのものを指すとの事で、事実を 知ったトウカは酷く夢のない話であると宗教を見直したものである。意外な事に、神話とは想像も付かない程に高度な事実を、各種技術に劣る文明が曲解したに 過ぎない産物なのかも知れない。


 常に讃美されることを欲している神には、私は信仰を持てない。


 嘗て、そう口にした実存主義者が存在したが、実際のところ天使やその周辺事情に関する多くの神話が実体の伴った悲劇に過ぎなかったとしたら、彼はある種、神代すらも見透かしていたと言える。讃美することは、劣る文明への皮肉でしかないのだから。

 しかし、そうなると()の実存主義者との言うところの悪しき理性主義者の言葉もまた捨て置けないものとなる。


 全ての世界史的な大事件や大人物は、世に言わば二度現れる。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。


 つまり、次の神話が実体の伴ったものとなるならば、二度目であるが故に喜劇となる。それが指し示す喜劇が神の火の実戦投入という悲劇であるならば、確かにトウカにとり喜劇となるだろう。敵対者の死は何ものにも勝る喜劇なのだから。

 発言者の求めた意味ではなく、表面的なそれを事実として利用しようとするトウカという存在は、実際のところ哲学者にとり天敵以外の何ものでもない。彼にとっての哲学とは、状況に合わせて切り貼りする屁理屈に過ぎなかった。

 実体により直接的な影響を与える軍事力と政治力、経済力……チカラを効率的に運用する方法こそが彼にとっての哲学であるが故に、彼は言葉でしかない哲学 に根差した一切合切悉くを重視しない。そうした屁理屈に傾倒するからこそ、共産主義などという馬鹿げた政治宗教が生まれるのだとすら考えていた。

「莫迦らしい事だと、そう思ったのだ。政治的に誰からも必要とされない者達の屠殺を我国が血涙を以て協力せねばならないと思うと、な」

 皇国を領有したいのか、屠殺場としたいのか判然としなくなる光景は、笑うしかない程の莫迦らしさを伴ったものである。或いは、これこそが喜劇であるのかとすら思える程に。

「ふむ、口減らしか。確かに酒精(アルコール)と麻薬、幻覚魔術で恐怖心を摩滅させた上での突撃であるという報告があるな」

 アーダルベルトの得心が言ったとの言葉に、アリアベルとエルザが眉を顰める。レオンディーネは、野戦指揮官を勤めていた為か然したる感情を見せない。

「哀れな事です。しかし、天霊の神々の御許に戦争はありません」

 彼らも神々の腕に抱かれて安息と微睡を得られるでしょう、と告げるアリアベルを、トウカは鼻で笑う。

 ――戦争がない? それは狂った世界だ。


「そこでは一体どこに喜びを見出せるのか」


 争いのない世界など停滞しかない。ヒトが複数存在し、争い成功と失敗を繰り返すが故に、新たなモノが生まれるのだ。それは戦争に関わらず、日常の人間関係や社会競争でも例外ではない。

「ヒトは進歩する為に生まれた。一度(ひとたび)、立ち止まる事もあるだろう。しかし、それが永遠であってはならない。既にヒトは知性を得て、停滞を拒絶した。ヒトにとって停滞はヒトである事を否定する事に他ならない」

 天霊神殿が人心を操る物ではなく、ヒトに寄り添って安寧と安息を与えるに過ぎないのであれば、それでも良いが、アリアベル隷下の天霊神殿は大きく減じたとはいえ、政治権力を手中にしている。

「ヒトは進歩し続ける。誰しもが望まずとも、狂騒の時代と戦火の歴史がそうさせる。既に進歩はヒトの手を離れた。停滞は滅亡を以てのみしか実現し得ない。故に飽食の如く進歩と確変だけが続く」

 そうした点を踏まえれば、帝国主義者の欲望を隠さない姿勢というのは実にヒトらしい。惜しむらくは、その姿勢に実力が伴っていない点である。トウカにとっては宜しいことであるが。

「変化を受け入れながら戦い続けるか、立ち止まり停滞の結果としての滅亡か。それ以外に道はないのだ」神々の世界が停滞を約束しているのであれば、既に滅亡しているだろう、とトウカは立ち上がる。

 既に前線では塹壕線を巡った戦闘が広域に渡って続いている。

 予備砲撃を早々に切り上げ、突撃へと移行する地点が散見されるのは、攻撃発起地点を特定されて、戦力集中が成される事を避ける為であるのは疑いない。帝国〈南部鎮定軍〉の参謀達は過去の戦訓より良く学んでいる。

 火力集中を一カ所に絞らないのは、対応する皇国軍に戦力分散を強要する意図があるのか。或いは、同時多発的な突撃で対処能力を飽和させ、予備戦力投入を誘発しようとしているのか。

 トウカは後者であると判断した。

 予備戦力の規模を緒戦で把握する意義は大きい。未だ後方に留まっているのであろう複数の重装魔導騎兵師団による迂回機動に伴い、阻止行動を試みて来るで あろう戦力の規模を把握するという意味では無駄ではない。予備戦力を投入させることで、重装魔導騎兵師団に対抗する戦力を減少させるという意図も考えられ る。

 無論、最も警戒しているのは皇州同盟軍の五個戦闘爆撃航空団と三個戦術爆撃航空団による地上襲撃であろうことは疑いない。

 既に制空権を巡る熾烈な航空戦も開始されている。

 皇国軍は制空戦闘で優位に立っているが、帝国軍は本土から無理を押して航空騎を抽出したのか、相当数を防空任務に投入していた。トウカによる本土空襲の恐怖から貴族が容易に航空騎を手放すとは思えず、相当の苦労と無理があったのは違いない。

 人中の龍はベルゲン会戦を今次戦役の焦点であると理解しているのだろう。ベルゲン近郊に錚々たる顔触れが揃えばそうならざるを得ない。トウカがそうした方向に誘導した以上、当然の結末と言える。

「航空戦力を投入させ、航空攻撃の間隙を縫う真似をする心算か? 気に入らないな」

 航空部隊は常に全力投入される訳ではない為、その可能性は低いが、航空攻撃というのは未だ各国で研究が始まったばかりの分野と言える。帝国軍は被害から 対応を迫られているであろうが、皇国軍の運用を正確に把握している筈もない。何故なら、皇国軍も未だ効率的な航空攻撃については複数の意見があるのだ。

 集中投入か波状攻撃か。地上襲撃騎か戦術爆撃騎か。航空爆弾か大口径機関砲か。

 トウカは航空戦術が確立していない中で、敵軍が機能不全を起こす程に追い込むには短時間で大打撃を与えるしかないと考えていた。よって集中投入を前提と している。航空部隊は最も戦力集中が戦果に現れる戦力であると〈大日本帝国〉海軍の戦訓が示しているという部分もあった。

 しかし、複数の航空部隊による波状攻撃も根強い支持を受けている。攻撃目標の重複による無駄な攻撃や、黒煙や火災による攻撃難易度の上昇に、戦果誤認の 可能性。トウカとしても、練度と航空戦術……何よりも通信技術が確立しているのであれば支持するのは吝かではないが、現状では効率性を欠くと判断してい た。

 何より、航空攻撃を早々に投入して帝国軍を圧倒しては意味がないのだ。

 地域規模での挟撃の金床としてのベルゲン戦線がある以上、敵に戦線後退や運動戦を選択させてはならない。

 しかし、相手の意図に乗る必要性もない。

「ヴァルトハイム〈北方方面軍〉司令官。予備戦力から三個装虎兵師団を迂回突破させるべきかと。迂回は右翼、リンダリオ子爵領を経由して、帝国軍後背に進出する動きを見せれば、重商魔導騎兵師団も動かざるを得ない筈です」

 単一編制の兵科が脆弱なのは確かであるが、短兵急に戦端を開いた結果として、両軍共に両翼の防御陣地構築に関しては完了しているとは言い難い。挙句に砲兵を中央に集中していると思しき現状であれば、砲兵による阻止攻撃を大規模に受けるとも考え難い。

 そして、長大な戦線であるが、単一兵科の装虎兵師団であれば、迅速な迂回が可能である。

「続けて、二個軍狼兵師団を。先発させた三個軍狼兵師団よりも更に迂回させます。可能であれば装虎兵師団が重装魔導騎兵師団と衝突している側面を突く。無理なら迂回して浸透突破。砲弾集積所の襲撃を」

 装虎兵部隊……〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉を基幹戦力とした〈集成装虎兵兵団〉と、軍狼兵部隊……〈大軍狼兵師団『カイザー・ヴォル フガング』〉を基幹戦力とした〈集成軍狼兵兵団〉。指揮官は、アーアルベルト同様に元帥号を得たレオンハルトとフェンリスである。共にエスタンジア戦線で の指揮統率を見るに不足はない。

 しかし、ベルセリカは頷かない。

「重装騎兵共が左翼から迂回すれば何とする?」

 予想していた疑問。

 輜重線……特に食糧供給に問題のある〈南部鎮定軍〉はベルゲンを突破して皇国中央での現地徴発を行う以外に活路がない。北部の食糧備蓄の大部分を臣民諸共後送した以上、当然の帰結である。

 純軍事的な見地から見れば、早々に後退して、エルライン要塞を起点に北部の制圧を推し進めるべきだろう。北部の大規模避難は帝国軍の予想進路周辺に集中している。北東部や北西部を始めとした土地の避難は遅々として進んでいない。

 しかし、帝都空襲で権威に深い傷を負った帝国に、後退という選択肢はない。最短でベルゲンを突破し、皇都を陥落させねばならないという政治的制約が帝国軍を束縛している。民主共和制でなくとも国軍とは政治情勢に束縛されるのだ。〈大日本帝国〉が情報媒体(メディア)に踊らされた民衆によって戦争へと転げ落ちていった様に。軍部による独断専行による戦火拡大は、それを許容する土壌が市井にあったからである。

 民衆が愚かであるのは幸いである。敵にとっても、味方にとっても。

「残りの予備戦力から三個装甲擲弾兵師団を抽出。足止めしつつ、航空攻撃で撃破」

「……よかろう。〈集成装虎兵兵団〉と〈集成軍狼兵兵団〉にリンダリオ子爵領を経由しての迂回突破を命じよ!」

 ベルセリカの命令に〈北方方面軍〉の面々が慌ただしさを増す。

 満面の笑みの軍狼兵参謀と装虎兵参謀を見れば、〈集成装虎兵兵団〉と〈集成軍狼兵兵団〉の将兵も逸っていると見て間違いはない。それ故に指揮官がレオン ハルトとフェンリスなのだ。ベルセリカとフェンリスの確執はトウカも理解しているが、装虎兵と軍狼兵を消耗する分には寧ろ都合がいい。問題はレオンハルト が装虎兵を押さえるのではなく、共に逸って何かをやらかすのではないかという懸念はあったが、後続部隊にはフェンリスもいる。

「あの忌々しい重戦車の如き名前の公爵も戦死してくれると有り難いのだが」

 同意を求めるトウカであるが、アーダルベルトは沈黙している。

「クルワッハ公、航空部隊の様子を見に行きます。どうですか?」トウカは話題を変える。

 トウカは先任である事を利用して横柄に振る舞うとい真似はしない。

 アーダルベルトやアリアベルは、龍種が主体とならざるを得ない航空部隊に対して圧倒的な権威を持つ。龍種の頂点に位置する神龍の権威に背を向ける事は、 今のトウカにはできない。航空機による航空部隊編制の目途が立たない状況下で、龍種の権威を手放す真似など出来よう筈もなかった。

「良いな。練度も低く、軍へ入隊して間もない連中を私の権威を利用して押さえ付けたい訳か」

「逸る航空主義者に鉄拳制裁を加えるという自浄作用は好ましい演出かと」

 龍種は組織的活動に適した種族であるという印象を周囲に与える機会を棒に振るのかというトウカに、アーダルベルトが心底と呆れた視線を投げ掛ける。

 戦後を見据えた動きをするトウカに対する呆れであろうが、否定的な感情を返さないのは、既に戦後復興を見ていると考えたからであろう。

 既に手札は切った。後はベルゲン戦線が金床として持久するだけでいい。

「副官、車輌を回せ」

 トウカの言葉に、ミユキが敬礼する。









「サクラギ元帥の指揮下で天使種の武威を示します」

 ヨエルの言葉に、エルネスティーネは最敬礼を以て応じる。

 寒風の中、眼下で野営する三個装甲擲弾兵師団を見据えた二人の天使種。密談をするには吹き荒ぶ荒風の只中は最適である。防諜という面ではこれ以上ない。

 天使種による航空歩兵。錬成が間に合わず、当初の定数を割り込む形が続いている中、三個装甲擲弾兵師団は予備兵力として扱われた。後退戦の最中に無理を した代償として、隷下の装甲擲弾兵大隊の全てが消耗している。予備兵力として後方待機の現状でも、補充人員の育成が続いているが、当初から練度不足は付き 纏っていた。混戦ともなれば直ぐにでも馬脚を現す事は疑いない。

「三個装甲擲弾兵師団……〈装甲擲弾兵兵団〉は私が直卒します」

「それはッ!」エルネスティーネは堪りかねて声を上げる。

 装虎兵や軍狼兵などの単一兵科師団を纏めた兵団が、各公爵に統率されている以上、装甲擲弾兵師団を纏めた〈装甲擲弾兵兵団〉の指揮統率をヨエルが担うと いうのは不自然な事ではない。無論、装甲擲弾兵師団は単一兵科による師団ではないが、天使種の隆盛を考慮すれば、虎種や狼種の“活躍”を座視するのは悪手 である。ましてや歳若き軍神を仰いで政争を行うというのであれば、政治的に後塵を拝する真似は尚更と避けねばならない。

 しかし、熾天使という存在は唯一無二である。

 後にも先にもない、只唯一の存在である。他の種族と同様に熾天使族と言われているが、神代の戦役より、熾天使とはヨエルのみであった。単一種であり、熾天使とはヨエル個人を指す言葉のなのだ。

 他の高位種とは違い、国家戦略上、喪う事が赦されない人物と言える。

 帝都空襲に於ける同行は事後になって発覚したが、その際の天使系種族は恐慌状態に陥った。巷で言われる程、天使系種族の紐帯は希薄ではない。政戦に対して積極的に参加せず、玉座に侍るのみと言われる彼女達であるが、それはヨエルの命令に過ぎなかった。

 政戦への介入を可能な限り避けよ。

 天帝の近習には数多く在れども、近衛軍や陸海軍への所属が少ないのはその為である。

 神代の頃の名残から、天使種は九階級による厳格な指揮統率が成されている。神々に使える近衛兵として、|生命の二重螺旋(DNA)に刻印された指揮系統は幾代を経ても尚、色褪せる事なく彼女達を一種族の軍勢として維持させていた。

 そうした中で、指揮官が最前線で交戦を始めれば、部下が動揺するのは当然である。

 無論、諫言をする天使も数多く居たが、ヨエルが戦時体制を宣言した事で状況は一変する。皇国内の天使種の大多数はセラフィム公の命令の下、三個装甲擲弾兵の編制と航空歩兵の錬成に振り向けられる事となった。

 正直なところ、エルネスティーネ個人としては軍神の隆盛に帯同する形で政戦に打って出ることは賛成とは言えずとも、已む無しであるとは考えていた。戦争 を戦い抜くのであれば、右翼左翼に関わらず、最も苛烈である者を利用するのは妥当な選択である。優柔不断と付和雷同から最も縁遠い者でなければ、困難や危 機に際して容易に妥協へ転ずる。

 無論、トウカを危険視する者も少なくない。

 皇権に対して極めて否定的なトウカに対する嫌悪感を捨て切れない事もあるが、本来は厳格なはずのヨエルを傍目から見てもいかがわしい程に傾倒させる人間種に対する警戒感を抱く者は少なくない。

「大丈夫です。指揮すると言っても前線に出る訳ではありませんよ」

「当然です。指揮官先頭の歴史は機械化の前に朽ちた記録に過ぎません」

 内戦時は双方共に政治的、軍事的に追い詰められていたからこそ生じた。結果として双方の野戦指揮官の戦死者は甚大なる数となった。特に大隊以下の指揮官の戦士者数は三割近いものがある。

 しかし、トウカやザムエル、ベルセリカ、ラムケ、エップ、フルンツベルクなどの著名な指揮官達が率先して行う以上、隷下の野戦指揮官も奮励努力を避け得ない。寧ろ、彼らは率先してトウカ達の在り方を模倣した。

 勇将の下に弱卒なし。

 劣勢下にある軍勢の指揮官が斯く在れば、隷下の将兵もまた命を惜しまぬだろう。それ故に被害は甚大となり、己の生命(いのち)を擲つ事も躊躇わなくなる。

 トウカは、少なくとも勇将の類である。自らの身を戦地に晒す事を躊躇しない人物であるならば、少なくとも戦時下の軍人を指揮統率するだけの威を持ってい る。離反や壊乱を抑止するだけの威があるならば戦時下の指揮官としては十分。足りない部分は参謀が補えば良く、元より軍とはそうした機構ゆえに強靭なの だ。

「ですが、熾天使様がそう望まれるのであれば、否はありません」

 エルネスティーネは軍人であり天使である。二重の意味で指揮統率を担わねばならない。

 サクラギ元帥とファーレンハイト元帥の承認は得ていると、ヨエルは口にするが、彼女の思惑は誰しもの理解を越えたものであると、エルネスティーネは確信していた。

 二人は春の雪解けで泥濘となった平原で蠢く隷下の軍勢を見下ろす。

 航空歩兵達による哨戒部隊が二人の近くを飛び去る。

 編隊飛行を辛うじて行える程度の練度だが、手にした対戦車小銃と装備された銃剣を見るに装備は充足している。

 航空歩兵の対戦車攻撃力に関しては魔導杖もある為、最大の問題であった火力不足は解決している。迎撃を受け難い空から集団詠唱を行う為の編隊飛行訓練の 光景も遠目に窺えた。練度不足ながら、対戦車攻撃力と面制圧能力を得たのだ。直協支援をこれまで以上に徹底して行えるのは強みである。

 問題は練度と地上部隊との連携である。

 魔力の乱れる地上とその付近である低空付近で直協支援を行う航空歩兵との通信は困難を極める。航空歩兵が携行する通信装置の大型化は、武装と可搬重量(ペイロード)の関係から難しく、現時点では大型の通信中継機を搭載した航空通信兵を経由しての通信によって辛うじて通信を確保しているが、戦線の拡大と混戦によって早々に限界を迎える事は先の後退戦で実証されている。

 ――元より天使種で役割を独占するのが無理な話なのだ。

 龍種の大型騎の可搬重量(ペイロード)を恃んで 巨大な通信中継器を搭載。投入すれば通信状況は一変するだろう。少なくとも、ヴァレンシュタイン大将隷下の装甲部隊の戦闘序列には、高速偵察騎大隊や広域 通信騎中隊、それを直掩する制空大隊が組み込まれている。トウカの命令の下での諸兵科連合編制は、航空部隊すら地上部隊に組み込んだのだ。

 しかし、天使種達は龍種との政治的連携は理解を示しつつも、軍事的連携だけは拒んだ。

 エルネスティーネとしては、運用に幅ができるならば内情はどうでも良いと考える合理主義者だが、久方ぶりの檜舞台を熾天使に認められた他の天使達はそうではない。天使系種族のみで戦功を立てるべきという意見が大多数を占めていた。

 組織に所属しながらも政戦への関与が薄い天使系種族は、天狐族と比すれば優越するが、他の龍種や虎種、狼種と比較すれば知名度や武功に多大なる差があ る。無論、ヨエルの各組織への静かなる介入と干渉を知らぬが故の焦りであるが、何千年単位で日陰に在った天使種の慰めとは、玉座に侍る種族であるという只 一点のみ。

 しかし、ここ最近は天帝不在の御世が続いている。

 それ故に天使達は焦燥に駆られている。そうした状況下でヨエルが戦場を用意した。存在意義を叩き付ける対象としての戦場。後退戦での天使達の勇戦と言う のも生温い程の戦闘を繰り広げた。速度で不利な中、戦闘騎を撃墜した航空歩兵も居れば、空中機動という利点を捨てて、砲兵陣地に切り込んだ航空歩兵も存在 する。

 本来であれば、エルネスティーネが命令を以て戦闘序列に手を加えるべきだが、それをヨエルが許さなかったのだ。

 ――彼女達の戦意を尊重しましょう、ね。

 エルネスティーネは相も変わらず嫋やかな笑みで眼下の軍勢を見下ろすヨエルを盗み見る。

 航空歩兵に関しては、最低限の錬成は終えているが、装甲聯隊と装甲擲弾兵聯隊の錬成は補充人員を加えた事で、錬成不足に拍車が掛かっている。愛国心に燃える臣民の志願で兵士数には困らないと聞くが、新兵とも言えぬ程度の訓練で投入しても複雑な運動戦は望めない。

 三対の翅を揺らして空を舞うヨエル。その姿は熾天使と呼ぶに相応しい。

 だが、エルネスティーネは、ヨエルを恐れている。畏れているのではない。恐れているのだ。

 “彼女達が通信能力の不備を血涙と屍を以て補う事を良しとするのであれば、それで構いませんよ。流した血量は今次戦役に於ける天使種の貢献と挺身を示す指標となります”

 そう口にしたヨエルの笑みを、エルネスティーネは忘れない。

 ヨエル曰く、費用対効果(コストパフォーマンス)が釣り合うので問題はないとの事である。

 登録されていない天使種も含めると皇国内には四〇万名は存在する。これは系統種族としては多くはないが、天使系種は高位種や中位種に集中している為、基 本的に規定年齢に満たないもの以外は全てが従軍可能である。不老不死ではないが、容姿や身体能力の面での劣化がないという部分も大きい。元より神々の近習 や近衛兵として“製造”された経緯から戦闘と隷属に秀でた特質を持つ天使系種族は、上位者の命令で戦野に赴く事を躊躇しない。

 少々の損耗は許容できると、ヨエルは見たのだ。

 基本的に女性しかいない天使系種族だが、出生率は極めて低いものの、他の種族と子を成せば高確率で母体と同じ天使系種族が生まれるという特殊事情もある。混血化による戦闘能力の劣化がない唯一の種族なのだ。

 消耗分の補充が期待できる上、龍種と天使種以外の飛行種も数多く存在する。天狗種や鳥系種族などの既存兵士や志願兵を中心とした航空歩兵への練兵と転換は既に推し進められている。

 皇国という戦闘国家は既に胎動を始めたのだ。

 それは、人間種よりも魔術的にも身体能力的にも戦闘に秀でた種族が前線に数多く配置されるという事を意味する。

 初代天帝陛下の御世より幾度となくあった光景。人間種や低位種が戦線を形成して鉄床となり、中位種や高位種が側面や後背を突く鎚となるという鉄床戦術は、今尚、健在である。無論、それは戦略規模でも同様である。

 ヨエルは愛おし気にベルゲンに位置する北方方面軍司令部を見やる。

「サクラギ元帥閣下が政治的に我々を必要とせざるを得なくなく状況を作るのです。その為に軍事的成果が必要なのです。戦果も当然ですが、戦死者が相応にある事も望ましい」

「政治ですか? 軍事的な必要性は求めないのでしょうか?」

 武功に逸る天使達を許容しながらも政治的重用を重視するという姿勢を見せるヨエル。

 膨大な戦死者を出してまでトウカの命令に隷属したという事実を以て枷とするとばかり考えていたエルネスティーネは首を傾げる。

 ヨエルはエルネスティーネの思惑を見透かして口元を右上翅で隠す。

「彼は国防での戦死者を自らの責任などとは考えませんよ?」

 戦死者数は枷となり得ないと明言するヨエル。トウカの性格を良く理解しているとも言えるが、それは人格的に信が置けぬという事になる。

「高位種に貸しを作ったなどと認める無様を晒す筈ありません」

 政治的に許容出来ないのであれば、戦死者を気に留めないという断言。

 高位種の政治家の如き姿勢に、だからこそ彼は政治的にも北部を支配しつつあるのだろうと納得する。人間種にしては珍しい感性の持ち主である。良くも悪く も死という事象に引き摺られる生物が人間種なのだ。時折、そうしたものを気にも留めない者が居るが、大抵は爪弾きにされて孤独と孤立を抱える事になる。

「尤も、彼は元よりこの国の戦死者に対して責任感など感じては居らぬでしょう」

 上気した頬を其の儘に呟いたヨエルに、屈折した人物を好むという悪癖が己が上官にあったのだと、エルネスティーネは頬を引き攣らせた。

 碌でなしとしか思えない人物評を聞かされる部下としては、どの様な言葉を返すべきかと悩むものがある。時折、組織に居る答え難い質問をする上司に、更に口にし難い返答を返す部下として振る舞う程、彼女は“悪魔”ではない。

「では、元帥閣下は何を考えているのでしょうか?」後学の為に、とエルネスティーネ。

 ヨエルは一拍の間を置く。

 色々と悩むのは計り切れないのか。或いは、どの考えを口にするのが愉快であるのか。そう思案しているに違いなかった。エルネスティーネは、ヨエルの性格を知悉していた。

「……自国の危機に在って尚、自国を護るという気概と、それに相応しい能力と資質を持ち合わせた者が到来しない皇国への嫌悪、でしょう」ころころと笑うヨエル。

 エルネスティーネは返す言葉を見付けられなかった。

 

 

 

 

 

<<<前話  次話>>>



「常に讃美されることを欲している神には、私は信仰を持てない」

      《大独逸帝国》 哲学者 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ


「全ての世界史的な大事件や大人物は、世に言わば二度現れる。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」

      《普魯西(プロイセン)王国》 哲学者 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル



「そこでは一体どこに喜びを見出せるのか」天国に戦争がないと聞いた際の一言。

      《波斯(ペルシャ)国・アフシャール朝》 ナーディル・シャー(王)