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第二二九話    北大星洋海戦 一

 




「全戦隊に命令! 右砲戦用意! 距離二〇〇〇(二万m)より砲戦を開始する!」

 戦艦〈ガルテニシア〉の昼戦艦橋でヒッパーは大音声で命じる。

 皇国海軍〈聨合艦隊〉と帝国海軍〈第五辺境艦隊〉は大星洋上にて衝突しようとしていた。

 互いに水雷戦隊を突出させる形で始まったが、水雷戦隊の数は〈聨合艦隊〉側が倍の数を有している。ヒッパーは、〈第五辺境艦隊〉から進出した二個水雷戦隊を二個水雷戦隊で迎撃を、残りの二個水雷戦隊で雷撃艇の迎撃を命令した。

 雷撃艇艦隊の総数は六〇隻程度。

 皇国海軍に於ける水雷戦隊の編制は駆逐艦四隻からなる駆逐隊を四個、旗艦となる軽巡洋艦一隻の一七隻からなる為、二個水雷戦隊では三四隻という規模となる。容易に突破できるものではない。ましてや、〈聨合艦隊〉が随伴させる水雷戦隊は精鋭である。

 一三㎝連装砲を三基備え、五五㎝四連装魚雷発射管二基を主兵装とした基準排水量二二〇〇tの〈アルフレート・インゲノール〉型艦隊駆逐艦は極めて高い生 存性を持つ。大星洋という荒海での運用を前提としている為、安定性にも優れる。水雷戦隊旗艦を勤める〈エシュヴァイラー〉型軽巡洋艦も近年に就役した新型 艦であり、十分な性能を備えていた。

 優位は変わらない。

 既に複数の巡洋戦隊も敵巡洋戦隊との接敵から砲戦距離を測っている状況であるが、其方も数の上では優位を確保している。

「敵戦艦発砲!」見張り員からの悲鳴染みた報告。

 遠方に光る砲炎を見たヒッパーは、敵の焦燥を見て取った。

 艦砲射撃とは、そう簡単に直撃させ得るものではない。左右上下に揺動する船舶の測距儀で測的し、敵艦もまた航行している。面制圧に近い砲兵隊の砲撃と違 い対艦戦闘での艦砲射撃では敵艦という一点に砲弾を叩き付けねばならない都合上、難易度は遥かに高い。散布界の拡大を補うべく相応の砲門数を備え、各砲塔 の交互撃ち方による砲撃によって砲撃精度を迅速に向上させていくが、それでも容易な事ではない。

 故に、射程距離に余裕があっても接近する必要がある。距離を詰めれば命中率は向上する。

 無論、戦艦程の射程距離を誇るが故の問題と言えるが、重巡洋艦以下の艦艇の艦載砲も構造上の問題がある。砲弾重量が軽量である場合、高初速化は散布界の拡大を招くのだ。

 付け加えれば、火砲機構自体の問題もある。

 戦闘艦の艦砲は連装や三連装である物が多いが、その場合、砲撃した砲弾が互いに干渉して散布界が広がるという問題がある。至近距離に砲を複数門搭載し、 同時に砲撃するが故に弾かれる様に砲弾は左右に広がる。《大日本帝国》海軍は、そうした問題に対して発砲遅延装置を採用する事で問題を軽減したが、この世 界では未だ砲撃の時間差と散布界の関連に気付いてはいなかった。先の砲弾の衝撃波による弾道のずれなども同様である。

 故に彼らは互いに接近する。

 当然、着弾観測騎を用いねば、三〇〇〇(三万m)を超える遠距離砲戦では測距儀の信頼性が低下するという問題もある。

 当然、〈聨合艦隊〉は海域に於ける航空優勢を確保している為、着弾観測が容易である。一方的な着弾観測で命中率上で〈第五辺境艦隊〉に優位を確保できる事は疑いない。

 しかし、ヒッパーは中距離での砲戦を命じた。

 〈第五辺境艦隊〉が劣勢となり、撤退して〈南方艦隊〉と合流する事を恐れたからである。ここで大部分を撃破する事で各所撃破は可能となるのだ。故に撤退の機会を与えぬ為に、ヒッパーは踏み込んでの殴り合いを決断した。

「着弾! 遠弾です!」

 右舷の五〇(五百m)を超える位置に着弾した砲弾による水柱を一瞥し、視線を敵艦隊へと戻す。

 本格的に交互撃ち方を始めた敵戦隊の砲撃は、次々と進路上に水柱を形成する。

 一方的に砲撃を受ける状況であり、確率論としては命中の可能性が増大する。

 〈第五辺境艦隊〉の戦艦は九隻。艦型は三種類で、三八㎝砲と三六㎝砲の混成だが、主砲の門数は一〇〇を超える。そうした中で、〈第五辺境艦隊〉は〈聯合艦隊〉の戦列……先頭の四隻に砲撃を集中したのだ。

 先頭を航行する〈ガルテニシア〉にも砲火が集中した。三隻分の火力。二七門の三八㎝砲による交互打ち方の投射量は〈ガルテニシア〉を水柱で包み隠す。その壮絶な光景に、後続艦から安否を問う発光信号が発信されるが、それすらも〈ガルテニシア〉には届かない。

 大きく揺れる〈ガルテニシア〉だが、命中弾はない。

 寧ろ、砲撃を集中した事で着弾観測で混乱が生じているのか稀に至近弾が落下するものの、挟叉はない。例え、挟叉があったとしても三隻による集中砲火によって水柱がいずれの戦艦であったか分らぬ状況では敵味方共に修正射への判断は困難である。

「馬鹿な真似を……」

「一体、どの様な思惑なのか。順当に考えれば時間稼ぎですが……」アルトシェーラが蒼い顔で呟く。

 着弾観測に支障が生じる規模の砲撃を集中させる行為は、当然ながら避けられる行為である。それでも尚、行うというのであれば、そこには何かしらの意味があって然るべきであった。

「司令長官! 反撃の許可を!」砲術参謀の悲鳴染みた意見具申。

「ならん! 敵が間違いを犯している時は、邪魔をするな!」

 そう叫ぶヒッパーを余所に、一二射目と思しき敵弾の水柱が〈ガルテニシア〉を包む。

 その時、後方からの破砕音が届く。着弾の振動がない為、後続艦が被弾したのだ。

「戦艦〈ザールラント〉に直撃弾! 左舷です!」

 第二戦隊旗艦を務める戦艦〈ザールラント〉への直撃弾は挟又を経ずしてのまぐれであったが、艦中央第二放熱板を貫通し、左舷中央に直撃した。その一発は左舷の砲廓(ケースメート)式副砲の一四㎝砲三基を纏めて粉砕した。

 命中と共に砲身は根元より圧し折れ、砲鞍(ほうあん)が砕け、砲員を軒並み殺害した。僅かな時間を置いて、砲撃準備の命令を待っていた砲弾が誘爆を起こし、破孔からヒトを構成していた炭化物や甲板材、構造物の一部を荒海へと弾き飛ばす。

 砲塔がなく重量軽減に優れている砲廓(ケースメート)式副砲だが、被弾すると隣接する砲にも被害が拡大する場合がある。現に〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦では砲廓(ケースメートー)式副砲を採用せず、砲塔型副砲を採用していた。無論、その最大の理由は、シュットガルト運河沿岸に展開する野砲や戦車と至近距離での交戦を意図しているという特殊な事情の為である。射界と継戦能力が重視された結果と言えた。

 後部指揮所に詰めていた副長の下で消火活動が開始されているが、その最中にも敵弾は飛来する。

「司令長官!」

「耐えろ! 砲弾に余裕はないのだ!」

 皇国海軍は、戦艦の総数で帝国海軍に劣るものの、帝国はその広い海岸線を防衛する為に分散している。しかし、それでも尚、〈第五辺境艦隊〉後続の〈南方艦隊〉の戦艦は一〇隻を誇る。旧式戦艦二隻を加えた数であるが、火力は少なくとも重巡洋艦を優越した。

 無論、帝国海軍の軍港を艦砲射撃で壊滅させたいという思惑もある。弾火薬庫の位置は判明しており、徹甲弾であれば貫徹できる推測されていた。

「こちらも旧式戦艦を連れてくるべきだったか」

 皇国海軍にも六隻の旧式戦艦が存在するが、低速で艦隊運動に随伴できない為、今作戦では戦闘序列に加えられなかった。敵艦隊相手に有利な位置を確保するべく、数に劣る皇国海軍は腐心していた。

 だが、現状はそれを許さない。

 帝国海軍の戦艦は防禦よりも攻撃と速力に重きを置いている為に、皇国海軍戦艦よりも優速であった。内燃機関による黒煙を棚引かせて波濤を切り裂く〈第五 辺境艦隊〉の戦隊……総旗艦と思しき戦艦〈インペラートル・マクシミリアーノヴィチ〉型戦艦を、ヒッパーは双眼鏡越しに睨む。

 決断は早い。

「敵の頭を押さえるのは無理か。止むを得ん、応射だ」

「了解! 〈第一戦隊〉各個撃ち方始め!」

 第一艦隊司令官のウルザ・ランツベルクが復唱する。

 次々と上がる復唱。

 迸る復唱を皮切りに次々と反撃の報告が昼戦艦橋を満たす。

「〈ガルテニシア〉砲撃開始」
「〈オルドニシア〉砲撃開始」
「〈ザールラント〉砲撃開始」
「〈カンバーラント〉砲撃開始」
「〈エルザーラント〉砲撃開始」
「〈ハルバーラント〉砲撃開始」

 次々と続く報告。〈聯合艦隊〉が反撃に転じた瞬間だった。

 〈第五辺境艦隊〉は先のゲルマニア沖海戦で失った艦艇を差し引くと、戦艦三、巡戦六で戦隊と巡戦戦隊を主力として編制している。

〈聯合艦隊〉は一四隻の戦艦を戦闘序列に加えている為、先頭艦から戦艦三隻、巡洋戦艦一隻には戦艦二隻の砲火が集中する事になる。光学機器や射撃指揮装置、火砲の性能で勝っている事も加味すれば、優位性は隻数以上のものとなる。

徐々に相対距離が近付く中、更なる敵弾の飛翔音が響き始めた。艦首が波濤を切り崩す音よりも遙かに大きく、大気が悲鳴を上げたかの様な錯覚を覚える。

音が極大となり艦全体を包んだ瞬間、後方から大きな衝撃と甲高い金属音が響いた。

 同時に昼戦艦橋を両舷の水柱が覆い、艦外の視界が白に遮られる。昼戦艦橋を越える全高の水柱を、衝撃に揺れる艦橋で仁王立ちしつつもヒッパーは見据え続ける。格闘技で鍛えた足腰は衝撃に耐え、序でとばかりに近くで姿勢を崩した士官を掴んで支えた。

「大丈夫だ。本艦の装甲は最優ぞ」

 〈ガルテニシア〉型戦艦は、正確には艦隊旗艦任務を負うべく建造された装甲戦艦という艦種である。艦艇の役割が細分化されている皇国海軍では、多種多様な艦種が存在するが、装甲戦艦の概念(コンセプト)は単純明快で、生存性に重きを置き、艦隊戦で指揮を行い続けるというものであった。

 主砲は長砲身である五〇口径三八㎝砲であり、前型の四五口径三八㎝砲を基本構造として開発された。使用弾は同様であるものの、長砲身の形状と姿勢を魔術 的に保持し、弱装薬に変更して高初速化と高威力化を実現している。高初速となった事で散布界が小さくなり、近距離でも威力と精度を維持できた。遠距離と近 距離の双方に対応できると皇国海軍では評価され、〈ガルテニシア〉型戦艦以降に搭載される予定であった。

 尤も、〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻の存在によって、建艦計画は白紙化が決定されている。主砲の九八式五五口径四一㎝砲は、ヴェルテンベルク領邦軍 の火砲戦力の集大成と言えるタンネンベルク社製、五五口径、四一㎝ Kanone一(E)機動列車砲の原型であり、陸上では砲身命数を越える実戦運用経験を持つ優良砲であった。

 幸いな事に、敵戦艦の艦砲はそうした狂気の産物ではない。

「後部檣楼より報告。第三主砲天蓋に被弾せるも損傷なし」

 〈ガルテニシア〉型戦艦は将来的に四〇㎝を越える口径の主砲を有する戦艦の出現を見越して、重要防御区画(バイタルパート)や主砲塔はそれに応じた防禦性能となっている。主砲に関しては換装を視野に入れており、防御だけではなく時代に合わせた武装強化も視野に入れていた。その先進性を見ても分る通り、被害統制(ダメージコントロール)技術も高度なものがある。炭酸瓦斯消火に粉末瓦斯消火、高出力の注排水機構などを備えていた。

 背後から水柱が崩れる瀧の如き落水音が響く中、主砲射撃を告げる警笛が昼戦艦橋に響く。

 警笛が音色が途切れると同時に、前甲板と後甲板で閃光が迸る。瞬間、周囲に乱立する水柱を圧し折り、甲板上の海水を吹き散らした。

 中和し切れぬ雷鳴の如き砲声が防音障壁に守られた戦闘艦橋内以外の全ての音を掻き消し、衝撃波が構造物を揺らす。

 臓物を圧迫する足元からの振動は、七度目を数えている。

 流石の帝国海軍も一度の(まぐ)れ当たり以降は命中弾を得られていない。

 右舷遠方に砲火が煌めいた。〈第五辺境艦隊〉、一番艦による砲撃である。

 ヒッパーは固唾を呑んで敵の単縦陣を見据えるが、友軍の直撃弾による炸裂は見受けられない。

「なんという無様だ……!」

 練度に勝るという諸外国の評価を覆しかねない先制直撃弾を許したというだけでも噴飯ものであるが、直撃弾をこの期に及んで得られていないという状況は皇国の海洋戦略にとっても不利に働きかねない。

「閣下、意見具申! 敵艦の速度計算を再度行うべきかと!」アルトシェーラが双眼鏡を握り締めて叫ぶ。

「新型艦か? その様な報告は……」

 まさか新造艦を諜報網から隠匿して建造。試験航海と訓練航海を終えて実戦配備したなどとは考えられない。それが事実であれば、単艦ではなく全戦隊の速度 が向上している以上、総てが新造艦という事になる。流石の海軍情報部も戦艦三、巡戦六の新規建造を見逃すはずがない。予算面でも膨大な規模であり、外務府 とて気付く筈であった。

「いえ、艦型は同じです。恐らくは――」「――機関換装かッ!」

 当然、機関換装にも相応の時間と予算を必要とするが、新造艦を建造するよりも遙かに安価である。何より、帝国海軍の戦艦は内燃機関を主機としており、安 価で魔導資源を使用しない代償に、魔導機関と比して推進効率と整備性に劣る面がある。特に帝国海軍艦艇は、整備性の問題から頻繁に入渠している為、改装が あっても気付き難い。近年も半年間入渠した巡洋戦艦が存在する。安価ながらも隻数と性能を充実させようとした代償は、整備性の悪化と工業基盤の限界を超え た性能要求からの防御力低下。

「砲術! 後続艦にも通達!」艦長のリンベルト大佐が怒鳴る。

「測的盤からの数値を射法盤に入力! 発射諸元再入力急げ!」砲術長が蒼白で叫ぶ。

 〈第五辺境艦隊〉は旧式艦ではないが、新鋭艦で編制されている訳ではない。形状に大差ないのであれば、新造ではなく改装と見るのが妥当である。

「司令長官、恐らくは戦闘中に徐々に増速して測的誤差を誘発させたのかと」航海参謀が補足する。

「先頭艦の本艦に砲火を集中したのは目晦ましが目的やも知れんな」

 改装による速力増加範囲で増速と減速を不規則に、それも気取られぬ程度に留めつつ行えば、射撃指揮装置による測的も誤差が生じる筈である。砲撃集中も測 的妨害を兼ねてであれば納得できる。帝国海軍は未だに射撃用示教盤を利用しているので特に有効であると考えているのかも知れない。

 しかし、ヒッパーとしては、単縦陣である以上、最大艦速で頭を押さえるべき場面で、そうした行動を選択しなかった〈第五辺境艦隊〉司令部の意図を訝しむ。

 ――時間稼ぎだと? 主攻が戦艦ではないのか?

 先頭の旗艦が得られる情報を水柱という視覚的遮蔽、集中砲火という精神的圧迫によって視野狭窄に陥らせる。実に尤もらしく聞こえるが、射撃精度の低い帝 国海軍艦艇が砲火を集中し過ぎた結果として、自艦の艦砲による水柱を判別できず修正射に苦労しているであろう事は疑いない。

 ――サクラギ元帥が口にした電探照準射撃でもあれば実力が伴ったであろうが。

 現実として皇国海軍も帝国海軍も電波探針儀(レーダー)を持たない。電探照準など遠く先の話である。

 つまり、彼らは戦艦の艦砲を決定打として運用する心算がないのだ。

 その決定打は、直ぐ近くまで迫っていた。

「水雷戦隊より緊急通信! 雷撃艇の半数以上を逃したとのこと!」

 通信士の報告に、ヒッパーは絶句する。

 ――本土残留の巡戦五隻も連れてくるべきだったか。いや詮無いこと。

 神州国の影響を払拭する為、〈フライジング〉型巡洋戦艦一隻と〈イーゼンホルスト〉型巡洋戦艦四隻は、本土に残留している。無論、実情としては〈フライ ジング〉型巡洋戦艦は、座礁による船体損傷を修復したばかりで、〈イーゼンホルスト〉型巡洋戦艦四隻は予算の都合から練度不足が表面化している。随伴はさ せられないとの判断である。特に後者は旧式になりつつあった。

「莫迦な! 寝ていたのか! 追撃は!」

「雷撃艇は七〇kt以上の高速です! 迫撃、遅れるとのこと!」

「七〇ktだと!?」

 幼龍の飛行速度に匹敵するであろう速度に、双眼鏡を手にしたヒッパーは左舷に視線を巡らせる。

「雷撃艇は後部から炎を噴射しているとのことです。噴進式の推進器が搭載されている模様!」

 そこには浅黒い石炭(いわき)の煙とは違う鈍色の噴煙を背にした小型艦が無数に疾走していた。波濤を蹴り上げるかの様に驀進している。

 水上艦艇ならざる加速による接近に、各戦艦の艦長が副砲による迎撃を命じたのか、次々と主砲と比較しては細やかな水柱が乱立する。

 しかし、想定しない速度による接近に副砲の照準は間に合わない。小型艦の遙か後方に位置する水柱は遠弾と評するには憚れる距離であった。

「重戦略破城鎚の応用……いえ、若しかすると逆かも――」

「航空参謀、推察は後だ!」

 狼狽えながらも推察を始めようとしたアルトシェーラを遮り、ヒッパーは大音声で命じる。

「面舵一杯! 全戦隊一斉転舵だ! 艦隊進路を敵戦艦群に向けろ! 中央突破を図る!」ヒッパーは賭けに出た。

 小型艦へ艦尾を向け、敵戦艦に艦隊進路を取る。

 艦首側の主砲しか使えず、頭を押さえられる形になるが、敵戦艦と距離を詰めつつ、小型艇の攻撃を受ける面積を最小限に押さえる道を彼は選択したのだ。

「司令長官、高角砲ならば……」アルトシェーラの提案。

「敵戦艦との砲戦中では無謀だ」

 少数ながらも皇国海軍戦艦は、内戦に於ける航空戦力の脅威を見て取って若干の高角砲を両舷に搭載しているが、あくまでも対空兵器という位置付けの為、防 盾などは前面のみにしか装備されていない。敵戦艦の主砲弾が降り注ぐ中での砲撃は困難を極める。圧倒的水量の水柱によって甲板から海面に押し流されても不 思議ではない。個人の魔導障壁では対抗しかねる程の水量なのだ。加えて、自艦の主砲の砲撃にも耐えられない。衝撃波と熱波、閃光によって弾き飛ばされるの は目に見えている。

「閣下! 〈モルゲンシュテルン〉より通信! 爆装の戦闘騎を発艦中! 其れまでは高角砲で迎撃されたしとのこと!」

「そうか! その手が……」

 アルトシェーラは、爆装した戦闘騎による迎撃があったと声を上げるが、ヒッパーは上申もなく事後報告を以て攻撃隊発艦を“通告”する皇州同盟軍〈大洋艦隊〉の独断専行に背筋を凍らせた。

 皇州同盟軍には軍事常識が通用しない。

 それは、トウカやマリアベルの指導によって製造された兵器のみを差すものではなく、その強固な官僚主義的機構を備えた軍事行政と、既存の軍と比して極めて自由度の高い訓令戦術を根幹とした指揮系統を含めた範疇である。

 特に師団以下の各部隊に与えられる独自裁量が独断専行の余地を多分に与える程の自由度であり、指揮統率や作戦計画を危うくしかねない。通信装置の大型化 で情報伝達を迅速化させたとは言え、各野戦指揮官の自由度の幅は上級指揮官の状況把握を困難と成さしめ、物資消費を増大させる。

 何より、野戦指揮官が最善の指揮を行えるとは限らない。個人の無謀で戦列に穴が開く例は古今東西で枚挙に暇がないと歴史が物語る。それでも尚、打撃力と 機略戦を重視したのは、トウカが装甲部隊の打撃力増大と広域戦線を上級司令部が効率的に指揮する事を不可能と見たからであろう。

 多分に心理的意義を持つ機略戦は、軍事行動の速度と意思決定の速度の優越で、敵軍の対応力と即応性を圧倒、不利な戦況を展開する事である。

 巧遅は拙速に如かず。

 元を辿れば学者の言葉であり、軍事行動には不適格な言葉であるが、意思決定の速度を打撃力に加算したいトウカは、野戦指揮官によるある程度の失態と被害 を黙認したのだ。無論、目に余る程の指揮官は更迭されており、残る指揮官も能力を査定して進退を決められている。ある意味、内戦は皇州同盟軍の野戦指揮官 を育成する為の箱庭だったのだ。

 その中で育まれた将校達は危うい程に独断専行を躊躇しない。

 それは艦隊指揮官とて例外ではなかった。空母機動部隊による航空戦では咄嗟的な戦闘に意思決定速度が極めて重視されるからである。

「成程、戦争屋だな」

「真に。直衛の重巡四隻と共に救援に向かうとの事です。彼らは空母で水上砲戦をやらかす心算かと」

 アルトシェーラは〈第一航空艦隊『サクラギ機動部隊』〉の指揮官が空母一隻と重巡洋艦四隻で艦隊戦の只中に乱入するという通信文を握り潰して頬を引き攣らせる。

 敵戦艦の至近弾が艦橋を掠め、窓硝子を震わせる。暫しの間、水柱が無数の小型艦を遮蔽した。その更に遠方には、波濤を蹴立てて空母が此方に向かっている事は疑いない。

 水上艦艇でありながら両翼によって揚力を得て水面を滑走するかの様に航行している雷撃艇の速度を踏まえれば、航空隊の来援すら間に合わぬ中で、空母の来援が間に合うはずもない。

 〈第一航空艦隊『サクラギ機動部隊』〉。

 帝都空襲後も、トウカの頑強な反対を廃してその名を冠し続ける事となった世界初の空母機動部隊。軍神の名を冠した以上、そこには権威が発生し、彼らは権威に相応しいだけの槍働きを成さねばならない。

 彼らはその名に恥じぬ苛烈と戦意を背負って戦海に在った。

 しかし、誰も彼もが心得違いをしていた。

 トウカは得られる戦果を座視する男ではなかった。









「元帥閣下も無茶を言われるが、艦隊指揮官としてこれに勝る名誉はない……はず」

 〈第一航空艦隊『サクラギ機動部隊』〉の指揮官を勤める妙齢の女性将官は、苛烈な指揮に似合わぬ静けさを伴って指揮官席に収まっていた。


 カリア・フォン・ベルクヴァイン。


 シュタイエルハウゼンが皇州同盟軍〈大洋艦隊〉司令長官に就任した際、航空参謀に抜擢された人物である。特設であった〈第一航空艦隊『サクラギ機動部隊』〉の常態化に伴い艦隊司令官へと栄転した彼女は、元を辿れば水上騎部隊の指揮官であった。

 水上騎とは、本来、水に対する恐怖心のある龍を慣らし、足に浮舟(フロート)を装備させた騎体である。航空母艦の登場以前は長大な飛行甲板を用意できなかった為、水面を利用して着水するという特性上、陸上騎よりも速度と加速に劣るが、運用には高い技量を必要とした。

 長大なシュットガルト運河の索敵と救難の為、マリアベルの時代よりヴェルテンベルク領邦軍は多数の水上騎を運用していた。重巡洋艦以上の大型艦であれば 艦艇への垂直着陸が可能であるが、小型艦艇主体であったヴェルテンベルク領邦軍水上部隊は航空機運用の為、水上騎を積極的に運用している。

 その水上騎部隊を黎明期より支え続けたのがカリアであった。

 しかし、皇州同盟軍成立に伴い水上騎部隊の運命は流転する。

 トウカによる騎兵科などの兵科粛清の際、序でとばかりに大幅縮小させられたのだ。

 将来的には延伸した魔導障壁を飛行甲板とするという思惑と、低速の水上騎では将来的に偵察任務で限界が生じるという理由からである。苦節、四〇年の努力を突然に到来した軍神は水上騎の限界が近いと断じたのだ。

 カリアとしては、当初は不満はあったが、水上騎部隊としては縮小したものの、その人材を基幹として艦隊航空隊の設立と拡充によって、寧ろ勢力としては大幅な拡大と将来を約束された状況となった。不平など言えよう筈もない。

 座乗する航空母艦〈モルゲンシュテルン〉の航空隊は水上騎部隊より転属した者達も当然ながら存在し、カリアの教え子も少なくない。陸上騎よりも運用の難しい水上騎を運用していた精鋭なのだ。飛行甲板からの発艦など児戯に等しい。

 例え、帰還が日没後になるとしても航空隊発進を躊躇する理由などなかった。

 当然、着艦時には飛行甲板の端に等間隔で(ドラム)缶を利用して焚火をする心算であった。敵艦に位置が露呈するという意見もあったが、カリアは敵艦隊を早々に壊乱させてしまうべきだと考えた。艦隊戦が集束すれば、聨合艦隊の護衛の中で悠々と着艦作業が可能となる。

「あの六隻の位置はどの辺りか?」

「既に近傍まで来ているかと。無線封止の為に正確な位置は不明です」

 軍神はこの期に及んでも海軍を信頼してはいなかった。大艦隊を保有していても、長年の予算不足からなる練度不足を不安視していた。

 故に彼は必殺の長槍を混戦に持ち込んだ。

 〈ロスヴァイゼ〉型重雷装艦六隻。

 エルシア沖海戦で活躍した四隻に加え、船体と上部構造物のみ完成した状態でシュットガルト湖上で係留されていた準同型軽巡洋艦を改装した二隻を加えて増 強された重装水雷戦隊は聨合艦隊後方を海軍には内密にしつつ追随していたのだ。聨合艦隊の索敵という目が〈モルゲンシュテルン〉の艦載機に依存した事を奇 貨として、彼らは索敵網内に堂々と潜んでいた。

 住宅一軒が建つ価格の酸素魚雷を大量に抱えた六隻は、聨合艦隊の交戦開始と同時に大きく迂回して無線傍受しつつ、帝国海軍の隙を窺っていた。

 一応、攻撃成功後は無線封止解除で攻撃を知らせ、旗艦〈ガルテニシア〉に搭乗している皇州同盟軍の連絡武官が連合艦隊司令長官へと封緘された書類を手渡す手筈となっている。

 聨合艦隊に存在を伝えていない以上、彼らは友軍からの誤射とて有り得る。識別表による確認は行われるであろうが、艦隊戦の最中に正確に艦影を判断すると いうのは多大な困難を伴う。数海里離れた艦艇の軍旗を確認できる筈もなく、友軍でないなら敵艦であると判断されるだろう。

 故に無謀。

 現場判断で不可能と判断したならば撤退する許可が与えられているところを見るに、トウカとしても上手く行けば上等、無理ならば致し方なしと考えている程度の作戦に過ぎないのかも知れない。カリアはそう考えていた。

 本来、トウカは無誘導魚雷など当てにはしていなかった。

 マリアベルは、戦艦という高級品を複数戦隊揃える真似をせず、小型艦による奇襲と長距離雷撃による漸減作戦を領邦軍水上部隊の基本戦略に据えた。シュッ トガルト運河での迎撃であれば限定空間であり、魚雷戦で優位に立てるとの思惑からである。その点からも分かる通り、ヴェルテンベルク領邦軍水上部隊は、大 星洋に打って出る心算がなかった事が分かる。

 故に航続距離が短い。機関は優れた戦闘速度を求め、ある程度の高速化と引き換えに機関の連続稼働時間が減少した。艦首の凌波性も低く、小型艦は大星洋での運用に適してはない。帝都空襲の為の長距離航海によって随伴する駆逐艦の悉くが長期間の点検補修(オーバーホール)を強いられている現状からもそれは察せる。

 理路整然としているように見えて、トウカの提案する戦術とは常に運用側に多大な負担を強いる。無論、兵器と組織を自身の戦略と戦術に合わせて改修と効率化を推し進めているが、それを終える前に皇州同盟軍に戦争という試練が訪れた。

「できる上司を持つと部下は辛いな」カリアは苦笑。

 上司に合わせるだけの器量を部下も身に付けねばならないのだ。

 挙句に艦隊名の御蔭で無様が許されない状況にある。元を辿れば、「装甲部隊に閣下の名を冠した部隊が在って、艦隊にはないというのはいかがなものか」な どという派閥争いも甚だしい発言から始まった悲劇であるが、トウカも渋々と認めた。詰まらぬ事で反感を買う必要もないとの判断であろう事は疑いない。

 故にカリアにも勇戦が求められる。命令ではなく形なき期待感という雰囲気が求めるのだ。否、来年度予算に関わるとシュタイエルハウゼンが出現前に激励している。明確な戦果が必要である。

「閣下、聨合艦隊司令長官より戦闘参加を控える様に命令が」通信士官が通信文を読み上げる。

 カリアは眉を顰めた。

 〈第一航空艦隊『サクラギ機動部隊』〉は一時的に海軍の指揮下にあるが、交戦時は独自判断を許可するという約定もあった。それは重雷装艦六隻も〈第一航空艦隊『サクラギ機動部隊』〉であるとする事で、魚雷攻撃を双方の約定の範疇であると強弁する為でもある。

 既に一大艦隊決戦の為、海軍が随伴させていた駆逐艦は原隊である水雷戦隊の戦闘序列に復帰している為、周囲には海軍艦艇は存在しない。護衛は不要であると事前通告した結果である

「見敵必殺! そう返信しなさい。後は……」

 カリアは小さな指揮官席から立ち上がると、緊急時に建材を排除する為に艦橋に準備された手斧を壁から引き剥がす。

 そして、笑顔で通信参謀に向き直る。

「通信機を潰してきなさい」

「は? いえ、しかし……」

「潰してきなさい。物分かりが悪いですよ」

「あ、はっ! 了解です」

 二度目で意味を察した物分かりの悪い通信参謀が手斧を抱えて艦橋を飛び出す。

 通信機が潰れた事にして不都合な命令は排除するという言外の宣言を察した参謀の面々は、(さざなみ)の様な苦笑を零す。ヴェルテンベルク領邦軍の伝統的な現場努力を要請したカリアの意図を察したのだ。

 信賞必罰は戦果によって定められる。ヴェルテンベルク領邦軍は、命令違反を咎めはするが、相応の戦果があるのであれば黙認するのだ。軍事組織としては問題だが、「各自が各所で最善を尽くすがよい」と言うマリアベルの方針の下、そうした行為は横行していた。

「本艦は何事も初めてが似合う艦。空母の砲撃で敵艦を撃沈する栄誉を得てしまっても構わないでしょう」

 世界初の航空母艦が処女航海で帝都空襲を敢行し、挙句に戦略爆撃騎まで発艦させた。序でに航空母艦による砲戦で敵艦を撃沈するという初めてを増やしても然したるものではない。

「高射砲長が奮い立っております」砲術参謀が義気凛然と笑う。

「片舷五基の高角砲に一〇基の機関砲。できる事はあるでしょう」

 そうは口にするが、カリアとしては敵の誘因を重視していた。六隻の重雷装艦が攻撃できる隙を作れるのであれば、航空母艦一隻の消耗に見合うだけの戦果が期待できる。

「本艦を先頭とした単縦陣に変更する。巡洋戦隊に伝えよ」

 〈第一航空艦隊『サクラギ機動部隊』〉に所属する〈第四巡洋戦隊〉は〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦四隻で構成されている。

 二〇㎝三連装砲を四基、艦首側に集中して搭載した異形の重巡洋艦である。シュットガルト運河という東西に延びた限定空間を主戦場とする領邦軍艦隊の艦艇 としては、ある意味、合理性の産物である。第一、第三主砲を甲板上に配置し、第二、第四主砲を前の主砲に対して背負い式に配置した為、真正面以外の艦首側 方向に全ての砲を指向できるという利点があった。艦橋が艦中央付近に在る事で操艦が容易で、後甲板には階段状に配置された空間があり、揚陸部隊を小型艇で 輸送する為に使用する設備が搭載された。〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦の建造時に予定された揚陸艦の能力と同様の思想の元に建造された艦艇と言えるが、内 戦勃発後も四隻の〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦は放置された。戦車の有用性が確認され、弾火薬の増産が優先されたからである。内戦中に就役した艦 は実質的に〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻のみであることからも分かる通り、ヴェルテンベルク湖には未だ兵装を搭載せずに放置された艦艇が多数存在す る。その一隻であった。

 トウカが四隻の〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦の就役を優先したのは、揚陸能力が与えられた後甲板に対空火器を多数搭載できるからであった。後甲 板だけで13㎝連装高角砲六基と四〇㎜二段二連機関砲一四基を搭載している四隻は対空戦闘の要であった。対艦戦闘を考慮して両舷合わせて五連装四基の魚雷 発射管も備えている。

 一大艦隊決戦は誰しもが予想すらしない方向へと舵を切り始めた。

 

 

 

 

 

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「敵が間違いを犯している時は、邪魔をするな」

        仏蘭西帝国 皇帝 ナポレオン・ボナパルト


「巧遅は拙速に如かず」という言葉は南宋の謝枋得が書いた科挙という難関試験に纏わる文章からの様です。孫子は無関係で、軍事にも全くの無関係。まぁ、簡単に言うと公務員試験は時間がないから明快な文章が良いよ?という忠告な訳ですね。


 しかし、皇州同盟軍の艦隊は攻撃的に過ぎませんかね? 航空駆逐艦のRJさんみたいだ。