<<<前話  次話>>>

 

 

第二二五話    暗殺任務

 



「刑の執行を。戦時下に付き、手続きは略式で構いません」

 美貌の憲兵総監は、簡潔に命令を下す。

 然して全高のない国家憲兵隊司令部の上層階より窺える皇都の空は、陽光を遮る程の黒煙に包まれている。

 皇都擾乱、再び。

 帝国軍の虐殺行動を抑止できなかったトウカに対する不満……という名目であるが、実際は好機と見て取った左派系政党による事前通告なしの抗議行動が発端である。その矛先は戦時下であるとして戦争経済への移行と部分動員を決定した府を中心に行われていた。

 陸海軍府は周囲に練石(コンクリート)製の巨大な阻害(バリケード)を用意しており、万全の防備を整えていたが、臨時予算を承認したと襲撃を受けた大蔵府などは全焼に近い被害を受けている。

 先代天帝陛下の路線を踏襲するという主張に縋る彼らは、それがある種の錦の御旗であるが故に容赦がない。朝敵という扱いを以て法律や憲法を当然の如く無 視する。権威がそれらに優越し、党の天帝が不在となれば、その暴動が断固とした阻止行動もない儘、早々に収束する筈もない。

 ――好ましい状況です。彼らが権威を騙り律法を軽んずるならば有耶無耶にできる。

 憲法と法律を無視した軍事行動と暗殺、経済政策を断行したトウカの非情な決断は、彼らの言う処の義挙によって有名無実化した。互いに軽んずるのであれば、戦後は非難材料として扱う事が困難となる。自らに跳ね返る事すら知らぬ程度の政敵であれば元より敵ではない。

 国家憲兵隊本部にも攻め寄せた左派集団だが、クレアの命令によって空輸された皇州同盟軍憲兵隊によって忽ちに撃破された。否、虐殺との表現がより相応しい有様である。

「国家憲兵隊司令部正面は、国賊の屍を以て舗装されたり、とでも言うべきでしょうか?」

 群衆として群れて正面から押し寄せる相手には重機関銃が有効であるという事実を、臣民に銃口を向けるという行為に腰の引けた国家憲兵隊に見せ付けるという副次目標は達成された。

 皇国各所でも同様の事が起きている。

 皇州同盟軍、重装憲兵聯隊として編制された部隊による成果であるが、実情としては集成部隊に過ぎない。憲兵を連隊規模で扱うなどという行為自体が前代未聞であり、最大規模でも大隊により地域防衛という前例しかない。

 しかし、ヴェルテンベルク領邦軍出身の憲兵隊を基幹とした皇州同盟軍憲兵隊は、大規模市街戦に対応できる。マリアベルによるヴェルテンベルク領黎明期では、敵対的な部族の襲撃や殲滅に対して即応する必要性から、発展期からは交易都市となったフェルゼンに根付いた重武装の非合法組織(マフィア)を排除する必要性からであった。

 そして、何よりも彼らは臣民を疑い、銃口を向ける事を躊躇しない。

「ハイドリヒ少将、流石に放置は問題だ。負傷者の保護と遺体の収容を部下に命じたいのだが」

 初老の国家憲兵隊司令官……アンゼルム・クリューガー大将が、クレアへと言い募る。

 皇都で民衆の支持を気にせねばならない立場を慮り、陸軍府長官ファーレンハイトがトウカに要請した事で、クレアが彼の職責を代行している為、国家憲兵隊の指揮権はクレアにある。

 本来は民衆ではなく、警務府が手に負えない組織犯罪や各府への査察などを主任務とする彼らは、名目上は陸軍府からも独立しているが、装備と練兵を踏まえれば、規定通りとはいかない。

 そして、一般市井から見て陸軍と国家憲兵隊は軍装が違うとはいえ、区別が付かない。

 風評を気にして、弾圧の指揮官を皇州同盟軍の憲兵、つまりクレアとする事で矛先を逸らそうという意図がある事は明白であるが、トウカが受け入れた以上、クレアに否はない。大いに弾圧する覚悟であった。

「あれは見せしめです。寧ろ司令部の外壁に磔にしたいところを配慮しているのです。其方も配慮されるべきかと」

 左派集団と言えば聞こえは良いが、実情としては群衆に過ぎず、民兵ですらない。軍役の経験がある者は、基本的に右派寄りであり、国防の実情を知るが故に左派勢力には少ない。

 事実上の虐殺である。

 人間種以外の諸種族の断種政策すら進めている帝国主義者を相手に、壮絶な絶滅戦争を繰り広げている最中で国体を危うくするならば、それは紛れもなく利敵 行為である。射殺するに値する行為に他ならない。故に立ち塞がると言うのであれば、貴軍官民の例外なく、クレアは死を押し付けるだろう。

 国家ありて諸種族統合の理念は、戦乱の時代を切り抜け得るのだ。

「嫌われ者になる覚悟はできているという事か? 不器用な事だ」憐憫の滲む溜息のクリューガー。

 押し付けた者としての自責の念が滲むクリューガーに、クレアは人事制度の不備に他ならないと眉を顰める。

 憲兵はヒトに恨まれるのが仕事である。遺恨と怨恨を踏み越えて尚、新たなる遺恨と怨恨を生み出す兵科なのだ。他者の感情に対して鈍感で頓馬な位が良い兵科であり、精神の細い者や善人では務まらない。加えて、意外な事であるが正義感の強い者も長くは持たない。

 憲兵とは秩序を維持する機構(システム)の一部品であるが、秩序の定義を指し示す観念が己にはない。あってはならないのだ。上級司令部によって示され、異論を挟まず執行する。例え、それが己の正義と良心に反する事であっても例外とはならない。

「嫌われるだろう。他に遣り様があるとあると思うがね?」

 クレアは、クリューガーの言葉に、他地方に国防の負担を押し付けた軍人の言葉らしいと苦笑する。


「この黒い軍装を見ると気分が悪くなるというヒトが皇国に大勢いると私は知っています。我々はそれを分かっているし、愛される事を期待してはいません」


 国家は多種多様な役目を隷下の人員に求める。そして、それら全てが敬愛を向けられる者であるなどという法律もなければ基準もない。ヒトの悪意からも目を 逸らす事は赦されない。それが許容されるのは、国際情勢と歴史を知らぬ民衆のみである。無論、許容されるという点と、財貨と生命で代償を要求されるか否か という点は別であるが。

「初期の混乱は脱したと判断します。予定通り、各所の暴動鎮圧に移行。しかし、戦闘序列を変更します」

 皇都憲兵隊は役に立たないというのが、クレアの客観的な判断である。民衆を疑うという役目を果たせない憲兵など案山子でしかない。無論、憲兵の兵力は皇 都全体で約八五〇〇名程度に過ぎず、クレア隷下の皇州同盟軍重装憲兵聯隊は四〇〇〇名を僅かに超える程度。兵力不足の現状を踏まえれば殴り付けてでも一翼 を担わせなければならない状況下にある。

 故にクレアは、皇州同盟軍重装憲兵聯隊の一部を皇都憲兵隊に対する督戦任務に充てるべきであると判断した。

 命令書を万年筆で記し、クレアはクリューガーへと手渡す。書類がなければ、この心優しい不良憲兵隊司令官は命令に好意的な解釈を加えかねない。そうした余地を見逃す程、クレアはクリューガーに信を置いていない。

 実は、クリューガーは、皇州同盟軍に将官の兄が居り、クレアはそれを知るが故に、兄程度には苛烈で勇敢な人物であると踏んでいたが、皇都に訪れてみれ ば、対極に位置する男が出迎えたのだ。そうした意味でも、陸軍はクレアに憲兵隊の指揮権を与えざるを得なかったのかも知れない。

 退室したクリューガーを一瞥し、クレアはもう一つの命令を通達する。

「ホーエンシュタイン少佐。予定通り、共和国大使を暴徒の襲撃に見せかけて処理しなさい」

 背後で直立不動であろう部下に視線を投げ掛ける真似はしない。

 トウカは、再度の皇都擾乱を当初、放置する心算でいたのだ。一度で済むとは思えず、断続的な蜂起が予想される為、常に兵力を配置せねばならないと見てい た。皇州同盟軍の兵力を自軍の策源地でもない地点へ再配置する手間と労力、兵力分散を嫌うというのは純軍事的に見ても正しい判断と言える。

 しかし、トウカは方針変更を決断した。

 部分動員と戦時経済への移行への反感が、他地方に波及する事を恐れたという意味が大きいと予想できるが、クレアは陸軍参謀本部と皇州同盟軍参謀本部の提案を容認したトウカの決意を正確に推し量っていた。

 彼は皇国内の帝国軍を押し返すだけでなく、帝国本土への侵攻までを視野に入れている。

 以前から、そうした言動はあったが、クレアはあくまでも他者を惹き付ける為の大言に過ぎないと考えていた。帝国への侵攻を意図するのであれば、皇州同盟 軍は陸上戦力と航空戦力の拡充に注力し、海上戦力は優先順位を下げる筈である。しかし、現状では海上戦力の拡充は陸上や航空に匹敵する予算を充てられ続け ている。

 六隻の巡洋戦艦が起工し、六隻の大型航空母艦が計画中で、補助艦艇の建造も進んでいる。その上、海軍艦艇の建造すら請け負おうとしていた。北部臣民の失業対策として、政府から費用を負担させるとはいえ、労働者の分散は変わらない。

 経験不足で問題の多発する電気溶接を仮止めに留め、錬金術による金属物質の形状変化で継ぎ目をなくすという溶接方式に変え、建造は進められている。魔術 分野より独立したものの、限定的な用途の為に日陰であった錬金術協会は全面的な協力をしており、皇国全土からフェルゼンに集まりつつあった。恐らく、裏金 の類も運用して人員を集めている。。

 だが、それ以外の使途不明金も少なくはない。その規模が莫大であるが故に隠し切れないのだ。

 海上戦力増強に関しては、神州国の侵攻を警戒しているのではないかと、以前のクレアは考えていた。

 クレアは、トウカの意図を読み切れないでいた。意外と、訊ねれば容易に答えを聞けるやも知れないが、クレアはトウカに軽んじられる行動を控えていた。尋ねるという事は、理解しかねるという事である。そうした無様を彼女は望まない。

 無論、現状で分かる事も存在する。

 トウカは闘争を望んでいる。

 そして、共和国大統領、オーギュスト・バルバストルと関係を深めつつある。否、双方が遣り取りをしたとクレアは聞かない。互いに互いを意識した公式見解と行動の応酬があるのみである。

 五日前、バルバストルは駐共和国皇国大使を厭わしい人物(ペルソナ・ノン・グラータ)として国外退去処分とした。理由は、戦時下に於ける情報保全上の規定違反があった為とされているが、詳しい内容は不明確なままであった。皇国政府は抗議したが、共和国は戦時下に付き情報公開を拒否すると即答している。

 以前より駐共和国皇国大使は皇州同盟やトウカに対して批判的な人物で、公式の場でも頻りに非難を続けていた。戦時体制の機密を盾に不明確な理由で国外退 去させた理由を、トウカに敵対的であるからと、クレアは見ていた。皇国国内でトウカを声高に非難する外務府職員は少ない。右翼団体と皇州同盟軍情報部が跳 梁している中での批判は生命を賭するに等しい。それも分の悪い博打である。

 しかし、駐共和国皇国大使には、どちらの凶刃も抗議も届かない。だからこそ、声高な非難が可能であった駐共和国皇国大使は、トウカにとり邪魔な存在で あった。特に逃げ遅れた北部臣民が虐殺された点を批判し、共和国の共和主義者が騒ぎ立てつつある。安易な人道主義に踊らされる宿命にあるのが共和主義者な のだ。その是非は別としても、共和主義者がトウカを声高に非難する状況を、オーギュストは望まず、トウカとの関係を重視した。帰国する皇国の駐共和国大使 を右翼団体は心待ちにしている事だろう。

 だからこそ、トウカはクレアに駐皇国共和国大使の殺害を命じたのだ。

「閣下も無茶をなさる」

 熱心な共和主義者とされる駐皇国共和国大使だが、皇都擾乱では数少ない皇国の共和主義者も左派に合流していた為、皇国政府に穏便な対応を求めていた。そして、何よりもバルバストルと敵対的な政党の推薦によって派遣された人物でもある。

 よって、左派の暴動に巻き込まれて死亡したとする事で、共和国内のトウカを批判しようとする共和主義者に冷や水を浴びせ、バルバストルの意向を受けた駐 皇国共和国大使を新任させるように仕向けようとしているのだ。バルバストルによって選任された新任の駐皇国共和国大使が、共和国内でどの様な立場に在った 人物か見る事で、トウカとの関係をどの程度、重要視しているか推し量る事も可能である。

「両国共、碌な外交官が居ないものです。嘆かわしい」


 外交官の仕事とは、普遍的な正義の言葉で自国の利益を包み隠すことにある。


 名目上の正義すら用意できず、挙句に自国の利益ではなく、自身の主張を声高に叫ぶのだから始末に負えない。明確に外務府を敵に回す選択をしたトウカだが、外務府は先の皇都擾乱で祖国防衛に否定的だと焼き討ちされており、その能力と権勢を削がれている。

「ホーエンシュタイン少佐が処理を終えるまでに、此方も決戦ですね」

 クレアは立ち上がり、黒煙の先に霞む陸軍総司令部を窓際より見据えた。











「現刻より行動を開始せよ」

 濡羽色の髪を長髪の振分髪とし、流麗な印象を受ける身体付きを隠さない瀟洒な麗人と言った佇まいの憲兵総監付副官が建造物の物陰を一瞥する。

 物陰の気配は忽ちに消える。

 彼女もまた戦闘に優れた中位種の黒豹族であるものの、現在は種族的特徴を示す獣耳や尻尾は魔術的に遮蔽しており人間種と変わらない背格好をしている。唯一、瞳だけは金色に浮かぶ瞳孔のままであり、彼女が身体付き通りの種族ではないと示していた。


 アヤヒ・ホーエンシュタイン。


 皇州同盟軍情報部第九課より派遣された憲兵総監付き副官である。その本来の任務は懸命総監の監視であり、同時にそれを相手に示す事で軽挙妄動を慎ませる という示威行為を担っていた。クレアは常にやましい事など何一つないという姿勢で副官であるアヤヒを重用しており、アヤヒも典型的な愛国者にして潔癖な憲 兵総監のクレアを軍人として信頼していた。

 精鋭憲兵小隊を預け、闇討ちをさせる程の信頼を得たアヤヒは、腰に佩用した軍刀の柄を撫で、黒豹族の優れた脚力で跳躍する。

 建造物側面の非常階段の手摺りを足場に、次は対面の通りの建造物の窓枠へ飛び乗る。人間種の軽業師が諦観の念を以て賞賛するであろう身のこなしで、アヤヒは次々と建造物の一部を足場として、元の建造物の屋上へと降り立つ。

 元は鋭兵科所属のアヤヒは、単独での戦闘を最も得意とする。

 浸透突破に於いて、敵地での破壊工作や補給線の遮断、都市部での遊撃戦を担う鋭兵科は、主力部隊の尖兵たる偵察歩兵や索敵軍狼兵よりも尚、先んじて敵地 に赴く為、鋭兵は潜入に特化した存在と言える。無論、マリアベルの様に警護や暗殺に利用するという例もある通り、特殊任務全般の技能を付与されている場合 もあった。アヤヒは後者である。

「さて、行きましょうかね」

 屋上の縁に足を掛け、アヤヒは戦火に見舞われた皇都を見下ろす。

 黒煙の中で蠢く人影の群れに、消火や人命救助は遅延している。

 しかし、時折、集団の中で、一際目立つ者が斃れる光景が窺える。そして、後に続く銃声。遠距離からの銃撃。重狙撃銃による狙撃である。

 右派集団の指揮官や扇動者と思しき者を、見つけ次第、遠距離より射殺しているのだろう。クレアの命令で、指揮官を潰し、混乱したところを拘束すると聞いている。無論、抵抗する者は射殺する許可も下りている。皇州同盟軍憲兵は皇都臣民に愛される為に来た訳ではないのだ。

 軽やかに、しかしながら人ならざる跳躍力で皇都の高層物上を渡るアヤヒ。

 都市圏での建造物間の跳躍は飛行種の飛行と同様に特定の職種のみに認められているが、軍人はその職種の一つである。公務と宅配、記者、高所作業員の特権であるが、現在は戒厳令下であり宙を舞う人影は軍人や軍属……そうでなければ、左派の民兵となる。

 不意に宙を舞う有翼の人影が、アヤヒの視界を満たす。

 空中衝突。

 戒厳令下に在って軍人以外が皇都上空を飛来している事などなく、軍人もまた付近で空中機動をしていないと確認していたアヤヒにとり、それは想定外の悲劇であった。

 咄嗟に相手を掴み近くの建造物の屋上に叩き付けると、自身も対面の建造物の側壁を蹴り、屋上へと飛び込む。

 起き上がろうとする相手を制するべく、軍刀を抜刀したアヤヒは忽ちに距離を詰め、相手の胸板を踏み付けると、軍刀の切っ先を相手の眼球に突き付けた。

何奴(なにやつ)……文屋か。目障りな」

「いてて、いやいや、此方にも事情がありましてね」

 特徴的な黒翼を見るに飛行種……黒鴉族であろう少女は、曖昧な笑みで弁解を始めるが、佇まいを見るに素人であり、撮影機(カメラ)も携えていた。武装は見受けられない。鴉系種族は低位種であり、戦闘に秀でた種族ではない為、アヤヒは功を焦った記者であると判断する。

「いや、報道の自由という事で見逃してくれたりは……」

「今、皇都の支配者が誰かと理解した上での言葉か?」

 軍神サクラギである。

 一切合切悉くを殺しながら覇道を邁進する軍人が、皇都を支配しているのだ。暴動を機関銃と迫撃砲で鎮圧する決断を早々に下す者を相手に、報道の自由など という理屈が通用する筈もない。ましてや戒厳令下での無断外出である以上、その場で斬殺される理由は満たしている。戒厳令とは、反動分子と一般人を分離す る為の措置でもある。無論、外出している一般人は反動分子という扱いとなる。

 敵か否かという判断の余地を兵士に与える不幸を生じさせないための措置として、トウカが早々に戒厳令を求めた意義は大きい。兵士は、自らの判断で不明確な相手を射殺するという精神的負担を避けられる上に、上官の命令であり、法的妥当性という自己弁護と建前を得られる。

 つまり、今ここでアヤヒが足元で蠢く黒鴉族の少女を斬殺しても問題とはならない。騒ぐのは文屋と衆愚のみである。

 寧ろ、軍人は全般的に融和主義的な風潮の新聞(メディア)全般を嫌悪しているのだ。特に北部の軍人であれば、皇都の新聞記者など試し切りに用いても良心が咎める事などない。

「まぁ、落ち着いて落ち着いて下さいよ、もぅ、せっかちですね」黒鴉少女が溜息を一つ。

「ッ!!」不意に足元の少女が消える。

 背後に気配。アヤヒは振り向きざまに軍刀を横一文字に薙ごうとする。

 しかし、それは少女の細腕がアヤヒの軍刀の柄を掴んだ事で阻止される。

「こほん、申し遅れました。西皇都新聞の記者、ウルスラ・ラーベントルム。副業で皇州同盟軍情報部第Ⅵ課にも所属しています」

 茶目っ気のある敬礼……意味もなく大振りで、左目を閉じ、満面の笑みで両翼を羽搏かせた姿の黒鴉族少女……ウルスラは、おどけた笑みで懐から書類を引っ張り出す。

 投げて寄越された書類にアヤヒは、溜息を一つ。

 軍の書類としては無駄が多い上に、重要な所属や人命が記されていないが、その書体と無駄な言葉の羅列が故に、皇州同盟軍情報部で扱われているものだと理解できる。無駄な部分こそが命令の意味を成すある種の暗号の意味を察したアヤヒは、胡散臭い視線でウルスラを一瞥する。

 情報部と所属する課のみを伝える辺りが、情報部らしいものの、情報部とは思えない能天気は些かアヤヒに組みし難い感情を抱かせる。

「今からサクッと殺しに行くんですよね? 私も行けって事らしいですよ?」

「文屋同伴……面倒な」

 階級も伝えない辺り、実に防諜に関わる者らしいが、新聞社に浸透している者が居るとは、アヤヒも初耳であった。無論、初耳ばかりの出来事に頻繁に遭遇するのが情報部員なのだが。

 しかし、時間がない為、二人は目標地点へと移動しながらの情報交換を早々に取り決める。

 宙を舞う二人。

 飛行するウルスラに建造物間を跳躍して追随するアヤヒ。実際、アヤヒは未だ信を置けないからこそ、ウルスラの背後から追随する真似をしている。背後を取られては、敵対した際に先手を取られかねない。

「しかし、何故、文屋にまで浸透を……」

「さぁ? どうも、報道を傀儡化したいとの意向らしいですねぇ」

 耳に付けた端末結晶を頼りに二人は会話する。

 端末結晶は、通信範囲が狭いという構造上の制限は付くが、小型である為、軍では重用されている。口元の集音機は風音を遮断する為、言葉を拾うのも容易であった。

「今回は目標を処理しても印象操作で軍の責任にされては意味がないという事で、先手を打った報道を行いたいとの事ですね」

「一記者の記事が偏向報道吹き荒れる中で採用されると?」

 アヤヒには些か理解できない。浸透と言えど、短期間では叶わぬことであり、恫喝や誘拐でヒトを動かす事は容易だが、そうした手段は抑止にこそ効果を発揮し、長期的に行動を固定する行為には適さない。

「いえいえ、先の皇都擾乱で、我が西皇都新聞社は焼き討ちを受けましてね。仕事熱心なお歴々は軒並み焼死体ですよ。これで風通しも良くなるというものです」右翼の方々の熱意が延焼しまして、と嘯くウルスラ。

 熱意の延焼で上層部や左派的な記者が燃えてしまった新聞社は複数存在する。反対の主張を持った者や経験の浅い新人、裏方に徹していた者などが主力を担う 事になった為、ここ直近の姿勢が今後の西皇都新聞社の方針を左右するとの事である。愛読者は驚く筈である。戒厳令による休刊が終われば、政治方針が正反対 にまで転換された新聞となっているのだから。

 無論、その新聞社の放火には眼前の少女が関わっていたのだろう。或いは、他の情報部員も関わっていたのかも知れない。課毎に独立性が高い為、個人の軍務内容は噂でも怪しい。

「まぁ、私が今回、この特種(スクープ)を取って、記者達の中で主導権を取れば、西皇都新聞社の記事内容に干渉できますからね」

 給料も情報部と記者で二重取りで美味しいですよぉ、と屈託なく笑う黒鴉に、何の呵責もなく悪徳を成せるという強みを、アヤヒは見て取った。そうした性格 の者が情報部では最も長生きし、昇進を重ねるのだ。当然、好印象を与えておこうなどとは思わない。喜んで使い潰される真似をするのは主義者の専売特許であ る。

 恐らく、上層部には皇州同盟の息の掛かった人材が押し込まれるのだろう。

「敵対的な新聞社の醜聞を情報部が集め、西皇都新聞から報道するという訳か。新聞社同士で争わせて民衆の信頼を削ぐ心算だろう?」

「それもありますね。まぁ、この戦況で平和を嘯くだけで後世の不信は確実なのですが、参謀本部は、今すぐにでも信頼を削ぎたいらしいですね」

 当然、その意向の頂点はトウカであると二人は理解していた。

 離反工作として皇都の情報媒体(マスメディア)の信頼度を下げ、短期的には右派と憲兵隊の暴力沙汰前提の鎮圧に対する報道そのものの信憑性を損なわせようとしているのだ。長期的には情報媒体(マスメディア)広告主(クライアント)の数を削ぎ、掌握時の金銭的な負担を低減するという副次的な効果も期待できる。金銭的に困窮させれば、傘下に加える事は難しくない。財力と権力に靡くのが情報媒体(マスメディア)の本質である。

 譲歩や妥協ではなく、離反や分断を主体として敵対的組織を傘下に加える余地を見い出そうとするトウカの姿勢は正しい。否、正確には後者しか許されないのだ。彼は苛烈にして果断であるからこそ、支持を受けている。

 アヤヒは、ウルスラを共和国大使館が窺える建造物の縁で静止する。

「面倒ですねぇ。共和主義者は疑い深い」

「建国の処刑遊戯を忘れてはいないのだろう。結構な事だ」

 胸中では、馬鹿らしいわねぇ、と嘯くが、練石(コンクリート)製に囲まれた共和国大使館は、皇都に点在する各国の大使館の中でも最も堅固な構造をしている。

 共和国建国当初は、統一戦争に於いて勝利する為、労働者層に圧倒的人気を誇った急進的革命主義政党と連携した代償として、統一後には壮絶な恐怖政治と処刑と暗殺の応酬が繰り広げられた。その恐怖と残滓は、共和国の建造様式に多大な影響を後世にまで残している。

 端的に言えば、酷く頑丈で、敷地を遮蔽する塀が多用されている。

 無論、それは政府庁舎や公共施設、権力者の住居などに限られるが、大使館はそれらに当て嵌る為、容易な襲撃は難しい。

「押し入るので?」

「いや、私の部下が中迫(中型迫撃砲)で炙り出す。脱出する所を左派の御歴々が襲う手筈となっている。問題はない」

 迫撃砲を装備した左派というのは些か過大な存在と思えるが、実際の処、先の皇都擾乱では左派集団は機関銃や軍用魔導杖、手榴弾などを保有しており、そこに迫撃砲が紛れていても不思議ではない。左派系貴族の領邦軍から流出したという筋書きは既に用意されている。

「定刻だ。始まるぞ」

 アヤヒは腕時計を一瞥し、作戦開始時刻が訪れた事を確認する。

 圧搾音に近い砲声。続く僅かな金属音。

 足元に近い位置の建造物の路地裏より、過度な高角(ロフテッド軌道)による曲射を以ての射撃である。建造物が乱立している為、射程を利用した射撃ができ ず、建造物の全高に左右されない射法とならざるを得なかった。そうした事情もあり、目標の行動を確認次第、迫撃砲兵は直ぐにでも撤退を可能とする為の準備 は終えている。

 小さな落下音が頭上より響き、建造物の至近で炸裂する。

 建造物への直撃弾ではないが、爆風と破片効果により共和国大使館の硝子が破砕された光景を、アヤヒは双眼鏡で確認する。

 観測班による射撃諸元は、トウカの指示によって開発された視準器(コメリーター)によって成されている為に迅速である。従来の観測に使用されていた測量棒は皇州同盟軍や陸軍でも順次、視準器(コメリーター)に換装されつつある。尤もトウカの指示で開発されたのは事実であるが、元より平行光を創り出せる収差補正可能な拡大鏡(レンズ)の概念を転用したに過ぎない。工業で利用されつつあった走査光学系の機器部品を転用したものである。

 敵部隊と至近距離で間接照準を行わねばならない迫撃砲兵は、視認性の高い測量棒を使用する必要性がなくなり、死傷率が大幅に下がった。そして、視認性の低下は、非正規任務での運用性を向上させた。

 中迫に分類される一二㎝迫撃砲の威力は多大である。

 複数回の砲撃で、共和国大使館の屋根が吹き飛んだ。

 着発信管である為、外観は派手に炸裂しているが、堅固な構造の共和国大使館内部に対する決定打とは成り難い。大使の執務室や私室は地下にあると聞くが、本来存在しないはずの遅延信管まで用意しての砲撃まで行えば、流石に左派による犯行とするには無理が生じる。

 筋書きとしては、先の皇都擾乱に於ける左派の行動に同調しなかった報復という事になる。普段より皇国への共和制導入を声高に叫んでいた共和国大使が事に及んで沈黙した事実は、激発しての殺害という理由としては十分であった。

 耳長(エルフ)族の観測兵による着弾観測は正確無比を極め、厳密に水平器によって照準が調整され、次々と有効弾を投射していく。

「派手ですねぇ……」撮影機を構えたままのウルスラ。

 外観だけであると理解した声音に、アヤヒは皇都へ浸透している間諜や協力者が想像以上に存在しているのだろうと、溜息を一つ。

 トウカは情報機関を分割している。

 正確には、皇州同盟軍情報部内の各の独立性を領邦軍時代より向上させる事で、情報漏洩への対応としている。挙句に憲兵隊や政務部にも情報収集の為に部隊 が立ち上がり、複雑性は増していた。情報元を一つに絞る危険性を理解しているとクレアは高評価しているが、それは同時に自身もまた信を置かれていない取れ る事には気付いていない。

 しかし、同時に摘発により諜報網が壊滅した場合の危険性(リスク)分散の意味もあるのだろうと見ていた。必要性から対象への諜報を無理を推して行うとしても、予備の諜報網があるのであれば、消耗する事もできる。軍組織は全てに於いて予備が在って然るべきなのだ。

「野砲とかはあったりしないんですか?」

「小型であれば可能だろうが、陣地転換が容易ではない」

 証拠物件として敢えて相応のものを残しておくという案もあったが、不確実性の増す行為は避けるという判断が取られている。

 こうした任務の指揮統率が初めてのクレアは安全策を取っている。暴徒に対する露骨な鎮圧という名の虐殺は、大多数の耳目を共和国大使暗殺から逸らすという目的もあった。酷く慎重な暗殺である。アヤヒが関わってきたどの暗殺任務よりも。

 ――本当は、もう少し雑であるべきなのよねぇ。

 健気な憲兵少将は万全を期したいと、酷く緻密な作戦計画を立案しているが、現場での大小様々な想定外に対応する為の余裕に乏しいと、アヤヒは感じていた。

 クレアは憲兵であるが、陸軍の野戦憲兵隊などの各部隊の違法を取り締まるのではなく、領邦軍時代から国家憲兵隊の様に、権力に対して敵対的な不特定多数を相手にする任務を主体としていた。故に作戦というものに対する緻密性が残っている。

 対するトウカも同様の気配が作戦計画には滲んでいるが、彼はそれに対して予備兵力を用意する事で対応している為、認識はしていると取れる。或いは、今迄が無理を通さねばならない戦況である為、作戦計画に緻密性を求めざるを得なかったのかも知れないが。

 アヤヒは双眼鏡を覗きながら、軍神と憲兵少将の同床異夢を憐れむ。

「出てきたな」

 共和国大使が魔導車輌に誘導されている姿を敷地内に見たアヤヒは、結晶端末で次の指示を出す。尤も、後は有象無象による殺戮のみである。

「此方も出すんですよね?」

 左派に埋没した共和主義者を煽動し、襲撃させるという計画は既に大詰めを迎えている。後はウルスラが大使が襲撃される決定的瞬間を撮影機で捉えれば任務 完遂であった。その瞬間を撮影するからこそ、共和国大使館諸共に砲爆撃で粉砕するという作戦が棄却されたのだと、アヤヒは悟った。

 鉄門を未熟な軍用魔術を数に恃んで打ち破った左派集団が大使館の敷地へと流れ込む。

 大使が慌てて魔導車輌に乗り込もうとするが、暴徒の奔流は既に出入り口を塞いでいる。最早、結末は一つしかない。

 アヤヒは双眼鏡を下ろす。

 遠距離撮影用の延伸拡大鏡(レンズ)を利用しての撮影に勤しむウルスラを背にし、アヤヒは屋上より跳躍する。

 ――本当に莫迦な子……戦争屋の汚れ仕事の片棒を担いで……

 動乱の時代。

 だが、恋心までもが闘争に寄り添う必要はないのだ。

 

 

 

 

<<<前話  次話>>>



 この黒い軍装を見ると気分が悪くなるという人がドイツに大勢いるのを私は知っている。我々はそれを分かっているし、愛される事を期待していない。

     《独逸第三帝国(サードライヒ)》国家保安本部長官 ハインリヒ・ルイトポルト・ヒムラー



外交官の仕事とは、普遍的な正義の言葉で自国の利益を包み隠すことにある。

     《大独逸帝国》 首相 オットー・エドゥアルト・レオポルト・フュルスト(侯爵)・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン