第二二八話 航空戦略と人口比率
「もう、押し込まれたか。五日でここまで押し込まれる事になるとは、な」
塹壕線がまた一つ、陥落したと聞いたトウカは眉を顰めた。
第一次世界大戦に於ける塹壕戦に匹敵する程の規模の構築を短期間で行えたのは、一重に膂力に優れた種族と高位種の魔術による成果である。武勲第一位は既に彼らに決まっているとすら、トウカは考えているのだ。
呆れる規模の火力戦が行われ、遮蔽物なき歩兵は効力射で舞い上がる有機物の一つに成り下がる。現に短兵急に塹壕攻略を推し進めた〈南部鎮定軍〉の被害は 甚大な規模となりつつあった。放棄された塹壕を利用し、或いは友軍と敵軍兵士の遺体を積み上げ、戦車の残骸を利用し……思い付く限りの方法で遮蔽物を造成
するが、即席であるが故に至近弾でも崩れる姿が散見される。皮肉な事に、最も堅固な陣地は皇国軍の放棄した塹壕か、皇国軍砲兵隊による砲撃後にできた大地 の破孔であった。
因果な事に、皇国軍は帝国軍に死と遮蔽物を同時に提供し続けている。
そうした中、ベルゲン近郊の後方では未だ新たな塹壕戦が構築され続けていた。
塹壕線が失われるならば、新たに構築すればいいのだ。
ドラッヘンフェルス高地から陣地構築に従事し続けた工兵部隊は、陣地構築に対して専門家となりつつある。以前のトウカが指示した陣地構築が複雑であった経験は、現在の陣地構築にも生かされていた。
工兵とは砲兵以上の技能職であるとトウカが口にした故に“戦意”が高揚している事も大きい。
事実として、工兵とは建築工学に軍事学、地政学……そして、それを支える無数の技術を習得する必要性に迫られる。
トウカの命令で設立された皇州同盟軍工兵司令部の面々と、その隷下として徴用された三つの建設会社の人員によって成る〈第一工兵師団『フォン・ホープレヒト』〉による塹壕線構築は卓越した速度で進んでいる。
民間企業を組織的に戦場に投じるなど皇国開闢の暴挙であるが、彼らは建築の専門家であるだけあって、その任務……仕事の手早さには目を瞠るものがある。
そして、それを統率する皇州同盟軍工兵司令部の存在も大きい。
皇州同盟軍に於ける最大の目標とは、他に優越する技術力から創出される高性能兵器の生産管理である。実際のところ軍と名乗ってはいるが、その隷下の戦力は作り出された高性能兵器の実戦証明と宣伝の為にあると言っても過言ではない。本来は後方支援や予備戦力としての部分を、トウカは求めているのだ。
道路や堰堤、橋梁などの公共施設を含めた土木工事計画の設計と施工及び運用や軍事施設の設計と施工監理、維持などを一手に引き受ける事を目的に創設された皇州同盟軍工兵司令部は、あまり知られていないが皇州同盟軍成立と同時に編制されている。
本来であれば新設に膨大な時間の掛かるはずの工兵部隊とそれを統括する組織が、出来の悪い戦記小説の様に短期間で成立したのは、ヴェルテンベルク領邦軍 工兵隊を移転させたからに過ぎない。先代ヴェルテンベルク伯であったマリアベルは、怪しげな多額の資金を工業分野にばら撒いたが、それは民間企業に多くの 利益を齎した。
しかし、その中でも公共施設整備の為、建築業界には特に膨大な資金が投じられた。
だが、軍事拠点でもあるフェルゼンや、その領主の意向を受けたヴェルテンベルク領は、その建築物に軍事的制約が多く、野放図な建築は禁止されていた。
しかし、複数の企業が入り混じった開発競争と民間建築物の統制は容易な事ではない。フェルゼンが軍事都市として無駄のない構造であったのは、大きな苦労と努力の末であったのだ。
つまりは、ヴェルテンベルク領邦軍工兵隊による統括である。
領邦軍の工兵隊や軍事施設の設計と施工監理だけでなく、建築に関わる公的機関となったのだ。監査や建築基準に関わる法整備などすら統括するヴェルテンベルク領邦軍工兵隊は、一地方の開発機構にしては過大な能力と権限を持つに至った。
そのヴェルテンベルク領邦軍工兵隊が、皇州同盟軍成立と共に皇州同盟軍工兵司令部として移籍したのだ。
陣地構築という規模は大きくとも都市計画と比較すれば些事に等しい土木建築に彼らは手間取る筈もなかった。
「速成訓練すら受けていないであろう連中だが、こうも雲霞の如く攻め寄せられては、な」
「貴様の軍の重機(重機関銃)が活躍していると聞く。陸軍も導入を望んでいる様だ」
トウカとアーダルベルトは並び立って、航空基地の管制塔より長大な滑走路を見下ろしていた。
内戦時、突然に航空騎の集中運用と積極的な対地襲撃を開始した皇州同盟軍に対抗すべく、ベルゲン後方に設営された航空基地は本格的な施設を備えていた。 ベルゲン強襲による被害を重く見たが故に、迎撃騎の運用に熱心とならざるを得なくなった征伐軍は、忽ちに巨大な航空基地を設営する。
滑走路に刻印された保温術式は降雪の中でも積雪を許さず、共に刻印された風魔術は特定方向からの突風で揚力を捻出して離陸距離を短縮する。巨大な掩体壕の群れは駐騎された航空騎を空襲より防護し、周辺には無数の高射砲や対空機関砲が敷設されて対空戦闘を可能としてた。
周囲の盛り土によって航空基地は視覚的に遮蔽されていた。周囲には浸透した〈南部鎮定軍〉の偵察騎兵などが存在すると想定できる。彼らもまた迂回を重ね て接近したのであろうが、対地襲撃装備の哨戒騎に捕捉されて撃退される報告か幾度か挙げられていた。司令部付きの四個索敵軍狼兵大隊も偵察騎兵部隊や偵察 兵部隊と幾度かの交戦を経ている。
挙句に皇国軍の軍装を着用している為、排除には時間と手間を要する。
皇国と帝国間に陸戦条約が締結されていない為、軍事行動に一切の制約がない。敵方の軍装や捕虜の射殺などは日常茶飯事である。ベルゲン後方……航空基地周辺は固定された経路以外で友軍の立ち入りも禁止している為、友軍に偽装していても攻撃を受けた。
「〈集成装虎兵兵団〉が二個重装魔導騎兵師団と衝突したらしいですが、途中で騎兵砲と訳の分からぬ歩兵師団の奇襲を受けたとか」
単一兵科を主体とした脆弱性が露呈した形である。
無論、完全に単一兵科という訳ではなく、複数の索敵騎兵大隊や自動車化歩兵聯隊、通信大隊、輜重大隊、重迫撃砲大隊などが戦闘序列に組み込まれている が、一兵科に偏重した部隊編制である事に変わりはない。機動力を重視すべく、砲兵を編制に加えないのは、トウカとしては狂気の沙汰である。
少々の砲撃であれば対砲兵吶喊で正面から蹂躙できるからこその編制であるが、砲兵の間接照準を優越する速度で運動戦を展開して接近するというのは誰しもができる事ではない。
「〈集成軍狼兵兵団〉も足止めを受けたらしいな。地雷と鉄条網か。面倒な」
「前者は兎も角、後者は此方のものが漏れた様です」
内戦時、鉄条網を皇州同盟軍は多用していた。
通常の鉄条網ではなく、線輪型鉄条網の作製を依頼したトウカに民間企業は即座に応えた。既存設備で製造可能な程度の形状変更で、迅速な展開を可能とする線輪型鉄条は忽ちに生産量を増やし、野戦陣地の設営に貢献する。エルゼリア侯爵領攻防戦に於ける塹壕線では砲撃の爆風に良く耐え、歩兵の前進を妨げて機関銃陣地に膨大な静止目標を提供した。
「一目で露呈する構造なので模倣されるとは思いましたが、こうも早いとは」
「それはやむを得ぬが、鉄条網と地雷を敷設する以上、此方の動きを読んでいたという事になる。その辺りはどうだ?」
アーダルベルトの問いに、トウカは思案する。
広域での浸透突破は、帝国軍の兵士を畑から収穫するがの如き兵力規模を見れば不可能ではないが、時間的な制約から迎撃準備は間に合わない。兵士個人に長 距離通信が不可能だからであり、本部にそれを伝達するには引き返さねばならなかった。それを上級司令部に伝え、対応が命令される……その時間よりも〈集成 軍狼兵兵団〉の移動速度が優越するのは明白である。
「航空偵察かと。広大な戦線で制空戦闘を十全ならしめるのは不可能です」
迅速に敵情偵察が叶い、その情報を持ち帰る方法はそれしかない。翼を翻して戻れば、通信筒を上級司令部に落として情報伝達可能で着陸の必要もない。
陸上部隊による奇襲効果というのは、航空偵察が多用されて以降は確実に低減される運命にある。広域の情報を迅速に上級司令部が把握できる以上、奇襲は難 しく、相手の偵察行動を阻止すべく制空戦闘や航空基地への爆撃が加えられれば、最早、陸上部隊による奇襲効果は失われる。制空と対地攻撃が戦術行動の先鋒
を担う為、陸上部隊は互いに交戦を予期しているのだ。砲兵の準備攻撃なども、時間を費やした砲撃ではなく、短時間で多大な火力投射を行う事で敵軍の攻撃阻 止準備に時間を与えないという方法が取られている。
これ以降、奇襲効果は航空攻撃によって大部分が齎される運命にある。
「優速を利して準備の整わぬ敵を襲撃する……そうした事が叶う時代ではなくなくなった」
「世知辛いものだ。我々にとっては僥倖だが」
龍種の時代が始まった意義は、神龍たるアーアルベルトにとっては多大なものがある。戦果と勇戦は政戦に於ける発言権となり得る。
――さぁ、どうだろうか?
しかし、トウカはそうなるとは考えていない。否、そうする心算はなかった。
龍種に絶大な影響力を持つアーダルベルト次第で、航空戦力が増減する状況をトウカが看過する筈もないのだ。それ故に航空機の研究開発を推し進め、航空分野での機械化を急ぐ心算であった。
だが、直近であっても、アーダルベルトの権勢が肥大化するかと問われれば、トウカは否と言い切れる。
天使系種族を始めとした人型有翼種の存在が、航空分野での龍種の独占を抑止する。
人型有翼種は龍種よりも最高速度と航続距離に劣り、可搬能力の面でも劣っているが、垂直離陸能力を持ち、武装は航空基地に戻らずとも友軍野戦陣地でも弾火薬の補充が可能である。
地上支援を行うには最適な航空歩兵は、陸上部隊と寄り添う形で進出できる。無論、必要に応じて偵察行動も可能であった。戦闘回転翼機に近い性質を持ち、極低空での飛行は非視認性に優れ、滞空しての地上支援は安定して一点への火力投射が期待できる。
無論、制空戦闘では龍種と人型有翼種であれば前者が有利である。それ故に龍種は自らの時代を疑っていない。
――結局、攻めるも守るも、最後は鉄砲担いだ兵隊を投じねばならない事に変わりはないのだが。
それ故に地上支援により適した航空歩兵科は、航空騎兵科の対を成す存在として対抗馬となり得る。特に航空騎よりも寄り添う形で運用される以上、陸上部隊からの信頼は絶大なものとなるに違いなかった。
龍種が空を独占できる筈もなかった。
現在は龍種も、航空分野の独占を意図して有翼人型種との連携を目指しているが、最終的には決裂するに違いなかった。トウカの元居た世界で、空軍がある国家でも戦闘回転翼機が陸軍所属であった事を踏まえれば明白である。有翼人型種が形成する航空歩兵科は、空軍ではなく陸軍寄りの性質を持つ事になる。
「僥倖? 御冗談を。龍種にとっては地獄でしょう」
空を独占するという事は、空に於いての事象の多くに対して責任を負うという事である。軍という枠組みで非難されるならば良いが、龍種自体への風当たりに 転嫁せぬという確証はない。少なくとも、トウカが周辺諸国の軍部で諜報分野を指導しているのであれば、間違いなく付け入る。民意と龍種の確執を狙う事で、 航空兵力の漸減を狙うだろう。
「一騎でも防空網より逃し、それが市街地でも爆撃すれば、それは軍ではなく龍種の失態と取られかねない」
「……対策は?」
面倒な話を面倒な場所で行ってくれる、というアーダルベルトの視線を、トウカは曖昧な笑みで受け止める。
「さぁ? 北部の防空は此方で行いますが、それ以外の防空体制については、そちらで数を恃みに行っていただくしかありません」
八木・宇田中空線の開発を足掛かりに防空網構築の用意は進めているが、元より帝国との戦線を抱えるのは北部である。さも困惑したと言わんばかりに言い募られているが、航空戦術を探っているのは明白であった。
帝国からの戦爆連合が飛来しても、主目標は北部であり、迎撃行動も北部が主力を担う事になる。戦後は、エルネシア連峰近郊に複数の防空監視所を設置し、 主要都市や軍事拠点に対空陣地を構築。迅速な邀撃が可能なだけの航空基地を造成することで対応せねばならないが、それでも防空には不安が残る。
航空攻撃とは、基本的に攻撃側有利である。
少なくとも、対空電波探針儀が本格的に戦空を監視するまではそうであった。
無論、通信能力から迎撃連携が十全でない点や、三次元戦闘で敵機の全てを邀撃し得る事が根本的に難しいという問題もあるが、最大の理由は攻撃時期と地点を選択する自由が完全に攻撃側にある点にある。
攻撃目標が一か所である場合は良いが、航空攻撃はその長大な航続距離故に複数目標を射程に収める事ができる。その場合、攻撃位置を特定し難い上に、その速度から相手の行動を以って対処するという時間的余裕を捻出し難い。
圧倒的速度で飛来し、攻撃目標を自由に選定し、短時間の圧倒的投射量で防御側の戦力集中を許さない。
――そもそも、航空優勢を常態とするのが難しいのだ。
航空優勢という言葉は、友軍航空兵力が大規模邀撃を受けず、尚且つ敵性航空兵力の活動の大部分を抑制した状態を指す。その取得目的は、近接航空支援や戦略爆撃を妨害なく行う為である。海軍戦略に於ける用語である“制海権”と対を成す形で“制空権”と呼ばれてもいた。
これを常に堅持するのは酷く困難を伴う行為である。
基本的には敵性航空兵力の根拠地たる航空基地の破壊や、敵性航空兵力の消耗によって確保され、その維持は戦闘空中哨戒によって成される。
しかし、航空兵力は高速に過ぎ、連続稼働時間……飛行時間限界の為、その維持には多数の航空兵力を必要とする。故に航空支配ではなく、航空優勢と呼ばれた。劣勢でも一時的な戦力集中や戦術で突破可能であるのだ。
空は制圧も支配も叶わない。
しかし、それを部分的に可能とするのが対空電波探針儀である。
広範囲の索敵を可能とし、邀撃と戦力集中の時間的余裕を与える意義は大きく、各方位への哨戒に多くの航空兵力を割く必要性を低減させた。
「航空兵力を削減されては困ります。本土防空には数が必要かと」
そう、数が必要である。トウカの今後の航空戦略の為にも。運用数を低減できる兵器の存在は秘匿せねばならない。幸いな事に、電波探針儀は通信装置の一つとして研究開発が開始され、数多くの研究開発の一つとして埋没している事もあって把握される危険性は低い。
――航空騎の消耗も二〇年掛けて行わねばな。機種転換に不満が出ない様に。
“航空騎”から“航空機”への機種転換。
龍種や龍を利用した航空騎という生体兵器から、科学と魔術による駆動機構を備えた航空機という機械兵器の研究開発と転換は多大な困難が予想される。
故に龍種には二〇年掛けて愛国心を胸に前線で消耗を続けて貰わねばならない。
虎種や狼種に対して龍種は出生率が低く、それでも現状で同等の人口規模を有しているのは主力を担う兵科での損耗率が深く影響している。端的に言うなれば、以前までの航空部隊は打撃力としては期待されていなかったが故に、前線での消耗戦に巻き込まれる事はなかった。
しかし、状況は流転した。
彼らは攻勢の主力を担う事を純粋に歓喜を以て迎えているが、それが龍種人口の消耗が始まる事を意味すると気付いてはいない。航空戦力の規模を拡大し、主兵化するという事は、周辺諸国が対抗手段構築の為に多大な予算を割いて研究開発を行う事を意味する。
試行錯誤は想定されるが、科学的にも魔術的にも対抗手段が構築される日は遠くない。実戦に於いて多大な成果を出した兵器への対抗手段は、常に短期間で戦場に姿を現す。それは歴史が証明している。
故に先駆者として利益を最大化すべく、積極的に航空兵力を投じる。対抗手段が構築される前に戦火と戦果を拡大するのだ。無論、打撃力を踏まえれば早々に手放せず、相手の対抗手段に合わせつつも、航空戦力は動員し続けるしかない。
その最中に、龍種は喪われる。
名誉と矜持に賭けて彼らは軍備拡充に応じるだろう。虎種と狼種に戦功で一歩譲る状況を打開する為、彼らは一層と奮励努力するに違いない。その先に人口減 少が待ち受けるとしても。懸念する意見は出るだろうが、民衆と軍人が唱える愛国心を前に、彼らは酔うだろう。虎種と狼種に一歩譲る立場だった彼らの焦燥に 付け入る形で煽動すれば、容易に消耗戦から抜け出せなくなるに違いなかった。
他種族に優越されるという劣等感は感情を刺激し、他種族の優位に立てるという優越感は被害に対する危機感を磨滅させる。
転化によって航空騎となれる龍種を人口比率の面で減少させる。途中で気付くであろうが、その頃には航空兵力の主力を担うからこそ龍種の権威が確立してい るとも気付かざるを得ない。彼らは、龍種の権威と人口、どちらかを選択せねばならない状況に陥る。無論、トウカはそうした状況下でも消耗の流れを加速させ る事を厭わない。
最終的には、種族の維持の為、消耗に耐え切れないという状況に持ち込まねばならない。
そうでなくては、龍種は航空機が航空兵力の主力を担う事を認めないだろう。
「龍種の方々の双肩に皇国の未来は懸かっていると言っても過言ではない。公爵閣下……いえ、元帥閣下にはより一層の国防への関与を期待しますよ」
トウカの声は、航空基地の航空集団司令部の練石の壁に反響して響く。
二人が訪れた航空集団司令部は、ベルゲン戦線での航空戦力運用を統括する拠点として機能している。攻撃対象や要撃行動の重複を避ける為、統括する必要から臨時編制されたが、現状では制空戦闘が主体である。任務は多忙とは言い難い。
聞き耳を立てる龍種の司令部要員の気配を理解した上で、トウカはアーダルベルトへ協力を願う。
「無論だ。龍種の力お見せしよう」
「それは心強い」
将来起きるであろう総力戦の規模と消耗を知らぬ彼らは、人口比が短期間で変動する程の消耗など想定してはいない。
トウカは航空機を投入すべく、政戦両面で準備を進めている。航空兵力の主力の座から転落する龍種の抵抗を抑制し、変更に必要な装備や製造設備の想定と生産施設の建築準備。
「おお、動いた様だな、若造」
アーダルベルトが、通信士と思しき司令部要員から受け取った報告書を一瞥し、野生的な笑みを浮かべる。普段の冷静な姿とは一線を画す笑みであった。
「それは宜しいことで。近接航空支援を開始しましょう」
報告書を受け取ったトウカは、想像以上に流動的な戦況に鎌首を擡げる懸念を表情の下に押さえ付け、攻撃指示を出す。ベルゲン総司令部からも地上攻撃の催促に応えねばならない。
「第一次攻撃隊、発進準備! 急ぐのだ!」アーダルベルトの大音声。
航空集団司令部が俄かに慌ただしさを増す。
トウカの懸念を他所に、戦況は加速し始めていた。
「ほぅ、読まれていたか。中々どうして帝国主義者もやってくれる」
ヒッパーは、索敵騎からの報告に感心する。
皇国海軍〈聨合艦隊〉の出撃と呼応する形で帝国海軍〈第五辺境艦隊〉と〈南方艦隊〉が出撃したという報告はあったが、二つの大艦隊の合流には相応の時間が掛かると推測されていた。
「報告の編制を見るに、辺境艦隊を先行させた様子です。戦力分散を進んで行う以上、打算があると見るべきです」
航空参謀のアルトシェーラの一言に、ヒッパーは「それはどうか」と苦笑する。
帝国という専制君主制国家は、政争によって非効率な国家運営がなされているが、それは軍部にまで波及している。〈第五辺境艦隊〉と〈南方艦隊〉の司令 官、若しくは司令部の派閥争いや不仲が原因で別行動という可能性は十分に有り得た。派閥争いで艦隊を分割した前例が帝国海軍にはあるのだ。
「大型の輸送艦が二〇隻前後と多いが……恐らくは輸送艦ではあるまい」
「艦艇数が一〇〇隻を超える以上、駆逐艦母艦や水雷艇母艦が数隻編入されているのは確かでしょうが……」
海軍情報部の諜報活動の成果として、帝国海軍の全容は把握されている。限られた予算の中での活動であるが、保有艦艇や建造中艦艇の把握に関しては困難な 事ではない。親善航海や艦隊演習の一部は公表され、砲艦外交の一環として他国に停泊する事も珍しくはない。公式情報を繋ぎ合わせることで編制に関しては大 部分が判明する。
建造中艦艇も、その戦闘艦艇という極めて巨大な兵器の建造という特性から関係者が多数に上る事は避けられず、情報漏洩は避け難い。在りし日の《大日本帝国》海軍に於ける戦艦〈大和〉や戦艦〈真秀場〉の様に。進水した艦体を軽空母で遮蔽するのは流石に無理がある。
「〈モルゲンシュテルン〉の攻撃隊を出して威力偵察を行いますか?」
航空参謀らしい提案であるが、ヒッパーは胡散臭い顔をする。
「戦闘騎に爆装させて、か? 効果が薄かろう」
〈モルゲンシュテルン〉を以て空母機動部隊を編制しているが実情としては単艦に過ぎず、現在の搭載騎は一〇〇騎を超える程度に過ぎない。その内、二二騎 は長距離索敵任務に投入しており、艦隊防空任務に三〇騎が割かれている。残存の五〇騎程度の航空攻撃……それも爆撃は門外漢の戦闘騎に小型爆弾で空襲を行 うなど効果は疑わしい。
「然したる被害を与えられるとも思わん。まぁ、その輸送艦擬きを護る動きを見せるか否かは見れるだろうが」
輸送艦を積極的に護衛する姿勢を見せるのであれば、艦隊決戦に於いて必要と認識されているという証明となる。
航空攻撃に対する相手の妨害手段は限られている。各国海軍の戦闘艦艇には、偵察騎を迎撃する為、僅かに高角砲が搭載されているが、対空砲火の命中率が極めて低いのは共通認識となっている。
――〈大洋艦隊〉の新造小型艦艇の主砲を防盾付きの長砲身高角砲とするらしいが……
皇州同盟軍の〈大洋艦隊〉は、空母機動部隊と高速水上打撃艦隊を中心とした主力艦隊の編制を目指している。少なくとも高速水上打撃艦隊は公式発表されており、空母機動部隊も既に空母が実戦配備されている事もあって公然の秘密に近い。
〈大洋艦隊〉の艦艇は対空火器の増強と高速力を重視しており、駆逐艦などは主砲が高角砲となり、雷装を減少させてまで対空機関砲を搭載している。挙句には対空任務専従の駆逐艦や軽巡洋艦も計画しており、明らかに艦隊決戦よりも航空戦に重きを置いていた。
――海軍の艦載砲の大部分は平射砲だ。高高度航空騎に砲身を向ける事すら難しい。
対空攻撃に適した口径の艦砲でも、仰角を取れないならば対空攻撃は難しい。射撃指揮装置の有無も大きい。皇州同盟でも対空射撃指揮装置は開発中であり、帝国海軍が導入している筈もない。
「航空参謀。攻撃隊の投入は現実的か?」
「然したる被害を与えるとは思えませんが、敵艦隊が重く見た場合、進路変更する場合があります。進路次第では艦隊決戦に差し障りが出るかと」
「なら、断念するべきだろう」
その指摘に、ヒッパーは攻撃隊の投入を断念する。
各所撃破の好機を無駄にする可能性を艦隊指揮官として受け入れられない。アルトシェーラの口振りを見るに、元より賛成ではない様子である。彼女も攻撃隊の投入の提案が出たならば諫言する心算であったのは疑いない。
「進路其の儘。艦隊速度を第二戦速へ。艦隊決戦だ」ヒッパーの決断。
その一言に、連合艦隊旗艦、戦艦〈ガルテニシア〉の戦闘艦橋が熱を帯びる。
恋焦がれた艦隊決戦が目前に近付いているのだ。
練度も艦艇も総ては来たるべき艦隊決戦の為にこそ用意されていたが、同時に抑止力であった海軍は大規模な艦隊決戦を容易に行えないという状況下に置かれていた。
しかし、頸木は解かれた。
「〈第五辺境艦隊〉は先のゲルマニア沖海戦で失った艦艇を差し引くと、戦艦三、巡戦六、重巡一六を主力としていると思われます」
「我が方、優位だ。行けるぞ!」
「水雷戦隊を先行させましょう。運が良ければ、主力を漸減させ得るかも知れません」
「巡戦に動き回られると面倒だ。此方は巡戦を分離させて側面を突くべきででは」
熱を帯びる参謀達。
対照的に航空参謀であるアルトシェーラだけは、思案の表情で沈黙している。正体不明の輸送艦に見える艦の存在を気にしての事であるのは間違いない。
「閣下」
「分かっている。追加の索敵騎を出せ。常に敵艦隊に触接させろ。逐一、変化を報告させるのだ」
ヒッパーの命令に、アルトシェーラが応じる。
航空騎は海洋作戦でも索敵に於いて多大な貢献をしている。腹下に浮舟を装備した水上騎では速度と航続距離や機数の問題から索敵範囲に制限が付く。何より、通常の艦載騎であれば、帝国海軍の水上騎に対して優速であり、装備も優れている。離脱も撃墜も容易であった。現に〈第五辺境艦隊〉から放たれた水上偵察騎を複数、撃墜している。
これにより皇国海軍〈聯合艦隊〉は、未だ正確な位置を〈第五辺境艦隊〉に探知されていない。
しかし、撃墜された水上偵察騎の方位と時間を鑑みてある程度の位置は把握されている事は間違いない。それでも、ヒッパーとしては双方共に最短距離で接触を希求して艦隊運動を続けているであろう現状を想定していた。
だが、長年、皇国海軍を仮想敵としていた帝国海軍もまた無策ではない。己にとっての最善の武器兵器と戦闘教義を求めて蠢動している。
「閣下、触接中の偵察騎より通信なのですが……」
「……なんだ?」
心底と困惑した表情の情報参謀に、ヒッパーは眉を顰める。情報参謀が想定しない動きを〈第五辺境艦隊〉がしたのだと察した。
報告を受けたヒッパーは困惑する。
「輸送艦から小型艇が射出された、だと?」
「まさか、全てが水雷艇母艦……」
本来、水雷艇母艦とは航続距離の短い水雷艇に燃料や食糧、武器弾薬を補充する母艦で、修理や整備もかのうである。小型で艦内容積に乏しい水雷艇では難し い洗濯などの代行や乗員の休養を兼ねた設備を持つ。そして、水雷艇や魚雷艇などの小型艇を指揮する母艦として強力な通信設備を備えている場合もあった。
「馬鹿な。自殺志願者か?」吐き捨てるヒッパー。
春先とは言え、沿岸を離れた大星洋は波荒く風強い。渡洋性と凌波性に乏しい水雷艇や魚雷艇などの小型艇が安全に航行するのは困難である。天候次第では転 覆も有り得る上に、元より水雷艇や魚雷艇を駆逐する水雷艇駆逐艦から派生した駆逐艦が各国で数多く建造された今となっては島嶼部以外で運用する余地はな い。
「小型とは言え、駆逐艦の半分近い全長との事です。新型かと」
相応の規模を持つのであれば、確かに渡洋性と凌波性もある程度の解決を見ていると見て間違いはない。船体規模は渡洋性と凌波性に多大な影響を及ぼす。当 然、被弾面積の増加や速力の低下、視認性の増大を招く結果となるが、今回の場合、相手はそれらの要素が問題となる水雷艇である。
意図が分からない。
大型化によって性能を低下させた水雷艇など脅威ではない。小型高速の艇による雷撃での一撃離脱こそが水雷艇や魚雷艇の本分である。それを実現する為にこそ多くを犠牲にしたが、それ故に渡洋性と凌波性を確保できない。
だからこそ、皇国海軍も帝国海軍も艦隊戦で水雷艇や魚雷艇を積極的に運用する事はない。相反する要素を解決できないからである。
「水雷艇にしては大型だと? 噂の雷撃艇か」
帝国海軍が採用を始めたという雷撃艇という新兵器の存在は、名称のみが明らかになっている。海岸線が長大な帝国海軍は水雷艇や魚雷艇を沿岸防衛の主力と して積極的に運用している。実際、皇国海軍や神州国海軍との衝突が想定される大星洋を受け持つ〈第五辺境艦隊〉以外の四つの辺境艦隊は水雷艇や魚雷艇、駆
逐艦を主力として編制されており、実情としては小型艦艇ばかりであった。斯くして強大な仮想敵が存在する〈第五辺境艦隊〉のみが肥大化したのだ。
「此方の四個水雷戦隊を突破できるとは思いません」
その為にこそ駆逐艦が存在すると明言する水雷参謀だが、情報参謀が言い募る。
「しかし、今まで正確な性能と運用思想が秘匿されている以上、相応の勝算があると見るべきではないでしょうか?」
論理的な解釈である。無論、小型艦艇故に海軍情報部が重視していなかったのではないか、という疑問を多くの参謀が飲み込んでいる状況を察しているのか、情報参謀も配慮した口調である。
「構わぬ。食い破るのみだ」
ヒッパーは、寧ろ今から決戦を避ける事自体が危険であると見ていた。
〈第五辺境艦隊〉より分離した多数の雷撃艇が、〈聨合艦隊〉と〈第五辺境艦隊〉との艦隊決戦の最中に側面を突いた場合、艦隊運動に混乱が生じる恐れがある。水雷戦隊を突破できたらという前提が付くが、情報参謀が口にした通り、相応の対策が成されている可能性があった。
――どちらにせよ〈南方艦隊〉との合流をされる前に叩くべきだろう。
新兵器があるのであれば、尚更と先手を打って各所撃破に持ち込むべきである。
斯くして、艦隊決戦が始まる。