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第二四三話    合理性は残酷さを伴って

 

 

 

 

「さぁ、頑張っちゃってください」

 

 ミユキが薄汚れた白衣を肩に掛ける神狼を激励する。

 

 ヴェルテンベルク領、皇州同盟軍兵器廠の設計室で命令書を受け取ったヘルミーネが狼耳をぺたんと寝かせて溜息を吐いている。

 

「トウカも無茶を言う。材料があるとはいえ、人員がいない」

 

 新型重戦車の図面を一瞥すると、ヘルミーネは一瞬の逡巡を見せる。

 

 ミユキは与り知らぬ事であるが、複数の開発に携わるヘルミーネは常態的に過剰労働を強いられていた。趣味も過ぎれば苦痛である。

 

 新型重戦車に加え、各種弾道弾、航空機用発動機などの研究開発の指揮を執っていた。後者二つは、専門家すら居ない分野であり、携わる研究者が軒並み門外漢とならざるを得ない為、苦戦の連続である。ヘルミーネが主導していない、それ以外の分野の研究でも苦戦が続いていた。潤沢な予算に惹かれた民間企業の研究者が移籍してきているが、それでも質と量の両面で不足している。

 

 十分な期間を与えられているとはいえ、彼らもまた愛国心に駆り立てられる様に研究を進めている。余裕などある筈もなかった。

 

「最優先……他の開発を一時的に止めても……まぁ、砲噴部と航空部に協力させれば」

 

「なんか、精度も妥協していいみたいですよ」ミユキは首を傾げる。

 

 精密兵器開発に舵を切る姿勢を見せるトウカにしては珍しい言葉であると感じる程度には、ミユキも軍事に対する理解を深めていた。

 

 ミユキはトウカによってフェルゼンに留め置かれた中、マイカゼに与えられた仕事と士官学校での講習を受ける日課を送っていた。

 

 主に陸戦に於ける戦術行動や戦略的意義に対するものであるが、トウカの近くで航空攻撃を目にしていた者として士官学校の教官から意見を求められる事が少なくなかった。未だ航空攻撃が士官教育に反映されているとは言い難く、実際に運用した者や目にした者は士官学校でも極少数に過ぎなかった。ミユキとしては、トウカに表面的な航空作戦の要点を教えられているので答える事のできる問いもあり、士官によって教えられる事も多い。

 

 大質量の地上貫通爆弾(バンカーバスター)を懸吊した戦略爆撃騎に急降下爆撃をさせる心算?と首を傾げるヘルミーネを他所に、ミユキは航空演習について記された書類を出す。

 

「取り敢えず、先行して何発か作って演習で不具合を見てもらうと良いと思うの」

 

「面倒な……私の兵器に不良はない」

 

 研究者らしい感性に基づく断言であるが、ミユキとしては捨て置けないものがある。エルシア沖海戦で見た水兵達の遺体に対し、トウカが「兵器性能に勝れば喪われる事のなかった命かも知れない」と口にした姿を知るが故である。

 

「私、動作不良の兵器で部下が負傷した大隊長が研究者を殴り倒した瞬間、昨日見ちゃったんだけど……」

 

 聞けば諸外国の陸軍でも時折ある話であるそうで、皇国では部下に対する姿勢(ポーズ)としての部分もあるらしい。上官が自身以上に激怒すれば激発できないという部分や、上官の求心力を維持する為の演出(パフォーマンス)に過ぎなかった。後で上官はこっそり詫びの酒を差し入れる事で演出は終わる。

 

 部下を持つ苦労の一つである。部下を纏める為、他の組織や部門に強い姿勢で臨まねばならない場面は常に存在する。国家であれ軍隊であれ議会であれ企業であれ。

 

「大丈夫、殴り返す」両の拳を似り締めて戦意を示すヘルミーネ。

 

 神狼だけあって基礎的な身体能力で大部分の種族を優越するヘルミーネが殴り合い程度に臆する事はない。元よりフローズ=ヴィトニル公爵令嬢を相手に殴り合いを演じようという猛者などいるはずもないが。

 

 ミユキの諫言を察したヘルミーネは尻尾を丸め、反撃に打って出る。

 

「最近は北部貴族と仲がいい」

 

「えっ? 晩餐に誘われているだけですよ?」

 

 帝国軍の急進によって北部は東西に両断されたに等しいが、言い様を変えればそれは支配地域が線でしかないという事でもある。よって強大な軍勢の威圧感に怯える各貴族領が皇州同盟軍の動向に気を配るのは自明の理であった。無論、戦後を踏まえた駆け引きも存在する。

 

 皇国国内の帝国軍撃滅が確実視されている中、戦後の北部が皇州同盟を中心に政戦と経済を展開していく事もまた確実視されている。そうした中でトウカやベルセリカ、マイカゼという主要な面々と深い関係にあるミユキと既知となる意義は計り知れないものがあった。

 

 無論、ミユキもそのあたりを察しているが、北部内での求心力を高める為、無下にはできないという事情があった。急進的な姿勢を露にするトウカでは繋ぎ止められない一般的な感性を拭い切れない貴族を繋ぎ止める役目がミユキにはある。マイカゼからの指示であり、妻の役目と言われれば応じるしかない。ミユキ個人としても、美味なる饗宴である事が多く吝かではなかった。食材も変則的で実に楽しみである。

 

「餌付けされてる」胡乱な瞳の黒狼

 

「違いますよ。餌付けさせてあげているんです」どやっと大きな胸を張る仔狐。

 

 ミユキはシュットガルト=ロンメル子爵位を持つが、政務官が政務の大部分を代行している状況である。ミユキはマイカゼの名代という立場で各貴族との応対を任されてもいた。政略に優れている訳ではないが、個人で面会させる訳でもない。何より、元より多くを知っている訳ではないミユキは、不用意な約定を交わす事にさえ警戒すれば隙は少ない。漏れる情報などないのだ。

 

 然したる情報を持っている訳ではないが、重要人物ゆえに無下にも扱えないという立場のミユキは貴族の相手をするには最適の人物であった。エルゼリア候にもそうした部分はある。

 

不毛である事を察したヘルミーネは陣地転換を試みる。

 

「地上貫通爆弾……以前に製造した設計図があるから他の開発者に投げる。人員も拠出する。でも、海軍への引き渡しが決まっている重巡の主砲は揉めると思う」

 

「え、事後承諾だよ。陸軍さんが頑張るみたい」

 

 引き渡しが決まったとはいえ、未だ艤装中の艦艇が殆どであり、就役時期が延びる程度であると陸軍は考えていた。対するヘルミーネは、大星洋海戦に於ける消耗を補填する為に海軍が期待しているであろう艦艇の就役を遅らせるのは問題になるのではないかと懸念していた。

 

「どちらにせよ、もう軍港で砲身の取り外しが始まってるから手遅れだと思うの」

 

 何時の間に係留されていた重巡洋艦を軍港に停泊させたのかとミユキですらも驚いたが、工兵隊司令部からフェルゼン鎮守府に連絡が成された結果であった。命令者はトウカとなっている。

 

 ミユキはフェルゼンに居る際は、ヴェルテンベルク伯爵邸に宿泊しているが、立地的に軍港は窺えない。昨夜の内に軍港に横付けされた事は最低限の者にしか通達されなかった。

 

「まぁ、いいけど。閉鎖機辺りを切り落としてくれたなら、後は開発側で受け取る」

 

「お願いします。工兵も都市機能の回復で忙しいから……」

 

 目下のところ、職を失った一般臣民も雇い入れて都市機能の回復に努めているが、内戦時最大の激戦区となったフェルゼンは未だ復興の途上にある。復興には十分な予算と資源を投じても三年は要すると考えられており、その中で継続される対帝国戦役への負担は更なる遅延を齎すと予想されている。工兵司令部直属の〈第一工兵師団『フォン・ホープレヒト』〉も少なくない。工兵任務の練達者を師団規模で集中させた結果として、それ以外の工兵部隊の練度低下が響いていた。

 

「新造艦の建造を一旦止めるしかないけど、ヒラガ造船官が面倒臭い」

 

 忽ちに顔を真っ赤にして激昂する姿から瞬間湯沸かし器を思わせる老齢の造船官。彼を苦手とする者は多く、偏執的なまでに造船に熱意を燃やす彼は、能力はあれども各方面で軋轢を生む。杖で部下を叩く光景を見たミユキも尻尾を丸めたものである。

 

「貴女、説得する」

 

「ええっ! 嫌ですよ、あ、違います……職責の範囲外です」

 

 参謀本部で覚えた責任逃れの一言で応じるミユキだが、ヘルミーネは「ふぅん」の一言で黙殺する。研究開発に携わる者は例え軍属でも自由奔放である。興味の範疇か予算獲得の際しか労力を厭わないのだ。

 

砲の取り外しはフェルゼンの鎮守府で行われるが、製造は皇州同盟軍兵器廠で行われる。防諜上の理由もあるが、生産工定が未完成である事から未稼働の工作設備があるというのが最大の理由であった。

 

 皇州同盟軍兵器廠はロンメル子爵家の島嶼に建設された建物であるが、最近は軍事に関わる重要施設が次々と建設されつつある。一部からは損壊したフェルゼンの再構築に当たって新造するべきという意見もあったが、そうした意見を退けて防禦の容易さからシュットガルト湖上の島嶼部に次々と皇州同盟軍の重要施設は建造されつつあった。

 

 間諜の浸透が難しく、陸上戦力による包囲が不可能な島嶼であれば、防禦の為の兵力を削減できる上に、水上部隊の支援を得やすい。加えて侵入者の脱出が難しく、有事の際に人員を艦艇で速やかに脱出させられる点が評価された。無論、それはシュットガルト湖の敵艦隊が極めて侵入し難いという地形的要素に依る所である。

 

 最近では、ロンメル子爵領の領都シュパンダウがある島嶼に、〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉の師団司令部までが設置され、強力無比な偉丈夫達が闊歩する事で治安が高止まりの状態である。

 

 本来、トウカも皇州同盟軍総司令部のあるロンメル子爵領から指揮を執るべきであるのだが、皇州同盟軍の士気向上の為、そして何よりも敵軍を誘因するべくベルゲンへと詰めていた。ミユキとしては、副官であるにも関わらず放置されたのは不満があるが、今となっては致し方ないものであると納得していた。後継者の居ない貴族が戦地に赴くのは貴族の義務を果たしていないと、セルアノに叱責されたからである。嘗ての主君である先代ヴェルテンベルク伯であるマリアベルを棚上げした発言に、ミユキとしては物申したいものがあったものの、マリアベルは元より子を成せぬ身体であった事を知るがゆえに反論し難くもあった。

 

「シュタイエルハウゼン提督に相談したら水兵を貸してくれるみたいで、砲身を工廠まで運んでくれるみたいです」

 

 ミユキは先立って最低限の動きを見せていた。

 

 最近、気付いた使えるモノは何でも使って帳尻を合わせるという重要性を覚えたミユキは、肩書とトウカに近しい関係であったが故の既知を用いて突発的な任務を上手く回していた。

 

 輜重線に対する非正規戦を展開する〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉は後方要員以外の大部分が出払っている為に人員借用は難しく、統合航空艦隊司令部は隷下にも膂力に優れた人材が居るとは思えないので元より対象外である。島嶼に住み着いた天狐の大部分は医療活動か、漁業に充てられて船上なので呼び戻すにも時間を要する。

 

 水兵であれば、半舷上陸している者だけでなく、修理や改修で船渠入りしている艦艇の水兵が少なくない。特に海軍に有償貸与が決まった〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻の水兵は、新造艦の完成まで待機となっている。

 

 ミユキが狙った……シュタイエルハウゼンより指摘を受けて採用したのは、各艦の砲術科所属の水兵の動員であった。常日頃から重い砲弾や装薬の積み込み作業や装填を行う彼らは総じて屈強な水兵として知られている。水兵同士で大喧嘩が起きれば、基本的に活躍するのは砲術科の水兵なのだ。

 

「致し方ない。……でも、国内で地上貫通爆弾(バンカーバスター)なんて」

 

「もう、エルライン要塞も再建も立ち消えそうですよね」

 

 二人は苦笑いする。

 

 皇国陸軍の派閥には要塞閥という要塞戦に情熱を燃やす集団が存在する。過去として語られるとはいえ難攻不落にして堅牢無比のエルライン要塞によって数百年単位で国土を不可侵と成さしめていた実績は彼らに一定の発言権と勢力を齎していた。

 

 無論、今次戦役による要塞陥落と共に要塞閥の権勢も喪われた。

 

 挙句に皇州同盟は明らかに重防禦拠点攻撃用の地上貫通爆弾(バンカーバスター)の運用を始め、帝城を崩壊に追い込んでいる。その上、国内で重防禦拠点を貫徹するとなれば、現地調査で効果確認を厳密に行えた。実用される目標に対する攻撃ほど効果を明確に示すものはない。戦後調査が容易な国内での使用ともなれば、まず間違いなく調査は優先して行われる。結果次第では陸軍にも配備されるであろう事は疑いない。

 

 要塞の天敵である戦略爆撃騎と地上貫通爆弾という組み合わせは、間違いなく要塞閥の弾火薬庫を抉り飛ばす事は疑いない。

 

「あ、でも要塞閥のヒトが、これからは陸上戦艦の時代だ、って言ってるのは聞いた事がありますよ」

 

 動く陸上の要塞と言える陸上戦艦の運用は、要塞運用に近いものがある。移動する要塞と言えば、要塞閥の慰めにでもなるのかも知れないが、大質量を陸上で移動させるという困難こそが最大の難点なのだ。皇州同盟軍も内戦中は陸上戦艦を二隻就役させたが、転化したヴィトニル公とティーゲル公に撃破されている。二公を相手に時間を捻出した点は評価できるが、その不安定な機構と移動する為に国内路線を踏み潰す巨大兵器の運用は内戦後の軍事戦略に言葉を見せなかった。建造費や汎用性を踏まえれば、装甲師団を新規編制する事がより効率的であるのだ。導入を試みる陣営はなかった。

 

「……汚らわしい」ヘルミーネが吐き捨てる。

 

 基本的に無表情に近いヘルミーネとしては珍しい嫌悪感を隠さない表情と仕草に、ミユキは曖昧な笑みで狐耳を曲げる。

 

 ヘルミーネは陸上戦艦建造に当たって多大な労力を払っている。内戦前のヘルミーネの労務工数の割合としては実に八割が陸上戦艦に割かれていたのだ。マリアベルの期待の程が窺えるが、実情としては極めて運用が困難な兵器であった。水上艦を転用したが故に工数が抑えられたとはいえ、その運用の困難は実戦投入時に工員や工兵が同乗していた事からも分かる。

 

 ミユキは一層の事、輸送艦も陸上型にしたら道路が踏み潰されても輸送経路を確保できるのでは?とトウカに尋ねた事があるが、トウカは、交通網を潰して陸上艦以外の兵器運用の難易度を上げる時点で考慮に値しないと切って捨てた。

 

 そうした意見はミユキのみに留まらず、参謀本部では強襲上陸時の強行揚陸での隙の根本的解決を図るべく、揚陸艦に短距離の陸上移動可能とするべきではないかという意見が出た。揚陸艦が浜や岸に乗り上げてある程度まで前進できるならば海岸線の防禦砲火から揚陸部隊を守る事ができる。無論、トウカは艦首に観音式の揚陸機構を搭載した揚陸艦で戦車を強行揚陸すれば海岸線の防禦砲火を跳ね返して水際防禦を食い破れると否定した。

 

 そうした経緯を知るミユキは、ヒトは巨大な兵器が大好きなのだと思う。

 

 大きい兵器は多少の無理でも押し通せるという根拠なき過信を抱かせるが、トウカは逆に小型である方が輸送や移動、単価、資源、被弾面積の上では有利であるとミユキに教えていた。

 

 実際、兵器とは常に大型であるものをいかに無理なく小型化するかという工夫の歴史でもある。

 

 最たるものが《大日本帝国》海軍の〈大和〉型戦艦である。

 

 登場当時は大艦巨砲主義の極致として、主要国海軍に衝撃を齎したが、造船官などの視点から見た場合、その主砲や装甲を含めた性能を、あの全長と全幅押し込んだ技術力こそが脅威であったのだ。無論、後に艦首と艦尾を延伸し、機関出力を向上させた〈出雲〉型戦艦が登場したが、代償として旋回能力は大幅に低下した。それは航空機による対艦攻撃への回避能力の低下を意味する。現に〈出雲〉型戦艦二隻は空母機動部隊の随伴艦として空襲を受けて幾度かの被弾を経験している。対する〈大和〉型戦艦は一番艦の〈大和〉が布哇沖海戦で単艦、優越する米国海軍の巨大戦艦を相手に優れた旋回性能で接近した実績があった。

 

 ミユキとしては大きい故に苦労するというのは胸囲の都合から理解しているので、戦艦も大きさゆえに走るのが大変なのだろうと考えていた。

 

「やっぱり小さいほうがいいですよね?」

 

「…………駄肉」

 

 今一度、吐き捨てたヘルミーネは、いそいそと部屋の扉に手を掛けた。ミユキは慌てて追いかける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「第二小隊が追撃に当たっています。鎧袖一触というよりは、街道に斃れ伏した敵将兵の遺体が放置されている状況の様です」

 

 副官の言葉に〈第八七三索敵軍狼兵大隊〉を預かるノルトマン大尉は眉を顰める。

 

 帝国軍は早々に負傷者や落伍者を放置する選択をしたのだ。後退戦とはそういうものであり、無秩序な放置を見れば組織的なものではない事は理解できる。足元の泥濘に足を取られた結果、疲労の蓄積は早く、移動距離は低下せざるを得ない。焦燥から担いでいた戦友を打ち捨てるのは理解できなくもなかった。

 

 戦火の下で育まれた血の絆とは言え、己の生命への執着もあれば、負傷した兵士も戦友を道連れにする事を望まない。殿軍を名目に放置を望む者も少なくない筈である。現に単独の負傷した帝国軍兵士が単独で銃撃を試みる光景に幾度となく遭遇している。

 

 現に足元の帝国軍兵士がそうだったのだ。

 

 ノルトマンは戦闘長靴の爪先で仰向けの遺体を上向ける。遺体に対する経緯など最早ない。死なるものは手荒に粗製乱造される量産品になり下がったのだ。

 

 あどけない顔立ち。成人を迎えたか否か……一五歳で成人の皇国と、二十歳で成人の帝国では成人年齢は違うが、両国の者が見ても一様に年若いと言える顔立ちである。珍しくもないものであった。

 

 勇敢である事が生存に繋がる訳ではない。

 

 小銃に装着した銃剣の切先で年若い帝国軍兵士の心臓に突き付ける。

 

 戦死したと見せかけて襲う兵士は少なくない。腹部に三つの銃創があるが、戦死確認がされている様子がなかった為、彼は肋骨に対し、剣身を横に寝かした銃剣で一突きにする。最初の硬質な感触から一転して柔らかな感触が続く。反応はない。屍であった。

 

 後世に在って英雄達と称される者達の指揮の下、古今稀にみる規模の軍事衝突が行われたが、大部分の名前すら残らぬ兵士達にとっては生存競争の一部でしかなかった。それも自身の力量ではなく、大部分が軍指導部の力量によって生死を左右されるという理不尽を背負わねばならないのだ。

 

 ノルトマンは英雄などという美麗字句を信じてはいない。戦上手の戦好きを評する方便に過ぎない。彼らは極私的な理由で戦争を選択し、極個人的な理由で戦略を選択する。

 

 

 英雄の大部分が、大義名分の為に働いていると考える人があるとすれば、その人は英雄を知らないと立証しているだけの事だ。

 

 

 だが、少なくともより優れた英雄という者達に統率された陣営に属する事こそが生存率の向上に最も寄与する事実もまた変わりない。

 

 軍狼兵用の既存の剣身よりも長剣身な銃剣の切先は血に濡れている。血振りをするとノルトマンは再び小脇に抱えるように小銃を保持する。

 

 死亡確認の為とはいえ、何十何百という遺体に銃剣を刺すという行為は気疲れを誘う。精神を保てない者は、先の決戦で早々に離脱している為、気の触れた者が機関銃や砲撃魔術を乱射するような真似は発生しない。

 

「早く北部まで駆け抜けたいものだな」

 

 索敵攻撃の都合上、他部隊と足並みをそろえる必要もあった。索敵に間隙ができる真似は許容できない。中央部に進出されることを陸軍総司令部は恐れている。

 

「軍狼兵の専売をお望みですか?」

 

 副官の軍狼兵将校らしい言葉に、ノルトマンは苦笑する。

 

 軍狼兵は、その移動力こそを最大の武器とする。騎兵より尚、早く駆けて敵の喉笛へと喰らい付くのだ。優速は常に敵の弱点を突き、敵の反撃の機会を低減させる。少なくとも、それが軍狼兵操典に於ける諸戦術の根幹である。

 

 無論、ノルトマンは、そうした戦術的な理由を以て、同地点よりの離脱を望んでいる訳ではない。

 

「違うよ、少尉。春先だぞ? 腐敗が始まれば大層と(かぐわ)しい(かお)りに包まれると思わんか?」

 

 唯でさえ真面(まとも)に風呂にも入れず、戦塵と硝煙に塗れた中で腐臭まで追加工するほどの几帳面な気質をノルトマンは持ち合わせていなかった。無論、黒狼の機嫌が悪くなるという点も捨て置けない。軍狼兵や装虎兵も騎兵と同じ様に相棒の機嫌次第で生死が変わる兵科である。相棒の御機嫌取りも力量に含まれているとすら言えた。

 

 なんとも返しがたいと表情で示す副官を尻目に、ノルトマンは銃剣を取り外して小銃を背負うと騎乗する。

 

 遠方では時折、未だ帝国主義が健在であるかの様に銃声が響いている。

 

 皇州同盟軍が正式採用したMP99短機関銃を黒狼の腰に付けた雑嚢から抜き出すと、槓桿(コッキングレバー)を引いて安全装置を掛ける。

 

 皇州同盟軍兵士の遺体から拝借した短機関銃であるが、使い勝手がよく、騎上でも保持しやすい。銃身長の割に集弾性に優れ、遭遇戦では連射性で敵兵を圧倒できた。拳銃弾である為、反動を押さえ付けやすく、弾倉が細長くあり収納しやすい点も評価できる。

 

「副官、弾倉足りてないだろ?」

 

 ノルトマンは生真面目な副官に短機関銃の弾倉を三つほど投げて寄越す。死体から剥ぎ取る事に忌避感のある生真面目な副官の不足を見越しての事である。共用可能である拳銃弾は兎も角、弾倉は互換性がない。元より陸軍に短機関銃という兵器は未だ正式採用されていなかった。

 

「助かります、大隊長」

 

 受け取った副官は、決戦以前と違い戦士としての目付きをしている。実戦は戦士を最短で育成させる手段と言えるが、有史稀に見る規模の決戦ともなれば一端の戦士を多数生み出すことは自明の理。無論、それ以上に戦死者を生み出すのだが。

 

 副官の成長を頼もしく思うノルトマン。

 

 少年兵を機械的に刺殺できるようになれば上出来である。友軍兵士の遺体からの兵器借用は要追試であるが。

 

「これ以上の追跡は難しいな」

 

「はい、大隊長。先程の接敵は、帝国軍の警戒線かと」

 

 追撃戦の中、反撃を受けるという事は、接触した敵は十分な余力を有してるという事になる。決戦に敗北して命懸けの撤退戦に移った敵に反撃するだけの余力はない。武装と糧秣があれども士気がないのだ。一度打ち砕かれ、撤退戦の中で摩耗した戦意は短時間で取り戻せるものではない。

 

 そうなれば、敵はドラッヘンフェルス高地に展開している軍集団からの部隊であると推測できる。

 

「信号弾も打ち上げていたようですから、まず間違いないでしょう」

 

「これ以上の深入りは難しいか……」

 

 一層の事、撤退を続けている敵部隊と混戦に持ち込んで敵の砲兵陣地に雪崩れ込むという強硬策が浮かぶが、後続が遥か後方である状況では後が続かない。敵の拠点に近い以上、予備隊が阻止行動に出てくる事も想定される。

 

 情報収集によって〈グローズヌイ軍集団〉と名称が判明している集成軍は、甚だ不完全な戦闘序列である事が判明している。経緯を踏まえれば自明の理であるが、〈グローズヌイ軍集団〉は〈南部鎮定軍〉所属の部隊を糾合した戦闘単位であった。その指揮系統や連携には不備が目立つと推測される。

 

 それ故に〈グローズヌイ軍集団〉は陣地での防衛線を試みようとしている。

 

 防衛戦の為に受動的で主導権を握れないが、それ故に命令の単純化が容易である。戦場に於いて最も困難とされる部隊を予定通りに移動させるという命令を下す必要性を大きく低減できるのだ。

 

「威力偵察は装虎兵師団が当たるだろう。我々は遊撃に移る。周辺の敵部隊を排除し、装虎兵師団の攻勢を支援する」

 

 敵の哨戒網を寸断し、攻勢時期と攻撃地点を悟らせない為の排除行動である。

 

 当初の命令に沿った軍事行動であり、敵の索敵能力を優先して減じさしめるのは、軍事行動の常識である。情報優越を図るだけでなく、敵の情報を制限する事もまた野戦軍の情報戦の一つであった。

 

「ところで……捕虜の処遇は?」

 

 副官が木陰に座り込んだ帝国兵を一瞥する。先の戦闘で得た三人の捕虜であるが、精根尽きた姿で座り込んでおり、互いに言葉を交わす仕草すら見受けられない。ミナス平原から小銃すら捨てて逃げ出したものの、索敵軍狼兵の追撃の前には逃れられなかったなどという事ではない。体力の限界を迎えて思考放棄した結果、無抵抗で確保されたに過ぎない。こうした例は各地で散見され、〈第八七三索敵軍狼兵大隊〉にとっても幾度となく繰り返された事に過ぎなかった。

 

「階級は?」

 

「最上位で一等兵です」

 

 ノルトマンの言葉に、副官が眉を顰めながらも応じる。

 

 処遇は決まっている。

 

 不意にノルトマンは短機関銃を向けると、安全装置を外して引金(トリガー)を引く。

 

 軽快な連射音。

 

 突然の殺意に三人の捕虜は悲鳴を上げる暇もなかった。

 

 流れる血が雪解けによって生じた泥濘を汚す様を一瞥し、ノルトマンは空になった弾倉を引き抜く。

 

「中々の集弾性だ……副官、不満か」

 

「……命令なれば」

 

 捕虜として処遇を認める最低限の階級が少尉である。それ以下の階級は例え下士官でも不要であるとの通達は皇国陸軍を震撼させた。命令拒否も少なくはないが、事を踏まえれば罰し難い都合上、部隊指揮官が率先して処理するしかない。見逃して匪賊となれば、それを討伐するのは結局、皇国軍の役目となるのだ。選択肢などなかった。

 

「捕虜に食わせる飯の余裕はないという事ですか」

 

「北部臣民の大規模避難が続く中で大量の捕虜に飯など食わせる余裕はない。合理的な判断だな」

 

 本来ならば弾丸を食らわせるのも避けたい、とノルトマンは次の弾倉を短機関銃に差し込む。

 

 実情として、降伏したと見せかけての反撃や、突然の逆撃もまた然して珍しくない為、間髪入れずにある程度の距離から銃弾を速やかに撃ち込む事手段が最も安全を確保できると、ノルトマンはこの追撃戦にて学習した。

 

 自らが危険を負うべきではなく、部下に危険を負わせるべきでもない。命令に背かない範疇であれば、些かの外道も已む無しであり、特に部下を守る為となれば否やない。

 

「……捨て置け」

 

 今となっては屍を量産する事を悩む事も気負う事もない。今次戦役で初めて殺人という経験をしたが、数を熟せば慣れるのは殺人であれ変わりなく、ましてや周囲では特価大廉売の有様である。愛国心というものよりも共犯意識こそが罪悪感を軽減する事実を、ノルトマンは戦場の片隅で読み取っていた。

 

 彼は元教師……大学教授である。

 

 教鞭を執る事に熱心であった訳ではないが、教え子達が愛国心や郷土愛という熱病に浮かされて志願する中で見捨ててはおけないという職業意識に駆られたという訳でもない。

 

 ただ、国史を教える中で時折、垣間見える熱病の如き愛国心という現象に惹かれた結果に過ぎない。

 

 それは、果たして年若い者達が命を擲つに相対する病なのか?

 

 緩慢な自殺に等しい客観的な人生の中で、一つ書物ではない実体験からの真実を得てみようと思い立ったのだ。

 

 それが以前の対帝国戦役の最中の出来事である。

 

 しかし、戦争が終結しても尚、彼は緩慢と軍務に就き続けた。実戦の機会に恵まれなかったなという建設的な理由からではなく、ただ愛狼となった黒狼を捨て置けなかったに過ぎない。結局、彼が得た真実はヒトよりも獣の方が懸命にして賢明であるという真実のみであった。

 

 しかし、大学教授という前職が肩書として存在するだけで慕う者も少なくない。幼年学校の教師と同等に思われている節もあった。

 

 気が付けば、彼は大尉にまで昇進し、未だ戦争から足を洗う事ができなかった。

 

 それを何故だろうと考えて答えが出ない日々を過ごしていたが、ミナス平原会戦を経て彼は気付いた。

 

 彼は軍隊という組織の非人道的とも思える程の合理性を好んでいた。

 

 数理の教授でもない彼であるが、非合理を潔癖と言われる程に嫌悪していた。知性ありて組織を成すヒト足り得る事は彼にとっての譲れない一線であった。そうした彼と予算削減が続く中で民間では有り得ない程の合理性を追求し始めた軍隊に、非合理な悪習や慣例で最大限の効果を発揮しない民間へと舞い戻る事への抵抗を覚えたのだ。

 

「それにつけても合理性の極致よ、だな」

 

 役に立つ捕虜のみを遺して、それ以外は処理するという命令を既存の軍事教育の下で育成された者が命令する事などあり得ぬ事である。そうした人格を疑われる存在が軍において主導権を握れる程に皇国陸軍は未だ合理性を突き詰められてはいなかった。そして、永遠にそうした合理性は獲得できない筈であった。

 

「我らが陸軍は、臣民に愛される軍隊を標榜していた気がしますが」

 

「馬鹿を言え。得物を愛する奴に碌な奴はいないぞ?」

 

 太刀を愛好すればヒトを斬りたくなると、ノルトマンは信じて疑わない。道具を手にすれば、その能力や出来栄えを想定された環境や対象を以て試用を行おうと考えるのは道理に適う。自らが手にした道具の能力を知らずして実戦を行うのは甚だ非効率であるが故に。

 

 国家も例外ではない。

 

 国家が強大なる軍隊を持てば、国民はその行使を望むだろう事は疑いない。

 

 自らが合理性の名の下に死地へと送られる時が来るかも知れない。

 

 軍隊である。

 

 ありふれた死を体現する組織。それぞれに納得できる死を用意する程の非効率を軍隊は許容しない。だからこそ、その死を(むだ)ではないと錯覚させる……騙し(おお)せる幻影を魅せる存在の成立を彼は渇望する。

 

 その時こそ彼は有意義な歴史の一部となれると信じて疑わない。

 

 己が恋焦がれる国史の一部となるのだ。

 

 しかし、その“趣味”に部下までもが付き合う必要はない。

 

 無論、それが叶うはずもないのが戦場である。

 

「儘ならないものだな。さぁ、往くぞ。尖兵軍狼兵分隊を前衛に広翼索敵陣を以て躍進する。小隊距離五〇!」

 

 ノルトマンの命令に、戦場の片隅で一つの大隊が動き出す。

 

 しかし、他の部隊では捕虜の確保を限定する方針を認めない兵士が抗命の咎で上官や憲兵に射殺されるなど、皇国軍にも相応の混乱が生じていた。

 

 その間隙を突く様に、姫将軍が前線を通り抜けた事を知る者は現時点で両軍には存在しなかった。

 

 

 

 

 

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 英雄の大部分が、大義名分の為に働いていると考える人があるとすれば、その人は英雄を知らないと立証しているだけの事だ。

 

           《亜米利加合衆国》 第二代大統領 ジョン・アダムズ