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第二四二話    兵站線の限界

 

 

 

 

「鉄道車輛が足りない……」

 

 皇国陸軍鉄道総監であるグレーナーは、たれ目の眦を更にたらして「困った困った」とぼやく。

 

 ミナス平原を巡る決戦が皇国軍の勝利で終わりつつある中、それを支える為の後方兵站線には多大な負担が生じていた。

 

 無論、北からの侵攻に対する防衛計画は十分に立案されており、その中でも鉄道輸送は兵員や物資の輸送に於ける基幹戦力と目された。今次戦役に於いても、ミナス平原に短期間で兵力展開を可能とし、それを維持する為の各種物資を皇国各地より集積させる事に成功させた。鉄道車両に関しては民生からの転用が可能である事も大きく、皇国鉄道の献身は後世に語り継がれる程の活躍であった。

 

 しかし、ベルゲンより先への輸送は今となっては難しい。

 

 内戦時に一部が破壊され、帝国侵攻に伴う後退戦で敵に転用されぬ様に、鉄道鋤で徹底的に破壊された。

 

 その状況で撤退した一部の帝国軍がドラッヘンフェルス高地に布陣した為に奪還戦を行うとの命令が下った。ある程度の期間はあるが、ベルゲンより先で兵站を維持するだけの能力は短期間で回復するものではない。

 

 陸軍総司令部は、工兵隊と皇国鉄道に加え、皇州同盟軍工兵司令部の〈第一工兵師団『フォン・ホープレヒト』〉を以て鉄道路線の敷設を行うべしと発令しているが、グレーナーとしては不可能であると断言できた。

 

「皇州同盟の全野戦鉄道聯隊を投入できたならば話は変わるのだが……」

 

 ヴェルテンベルク領の路線は独自規格の広軌式である。

 

 帝政露西亜のピョートル大帝が欧州各国が敷設する標準軌ではなく、侵攻時に車輛の互換性のない幅の軌間を採用し、後に《独逸第三帝国(サードライヒ)》を大いに苦しめた。敵国への侵攻で、国境沿いに到着した鉄道車両からの積み替えという膨大な手間が発生するのだ。当然、侵攻は遅延する。

 

 マリアベルも同様の事を考えた。無論、自身の敷設したものを敵に使われる事が我慢ならないという気質であるという事も大きい。

 

 そうした経緯から、皇州同盟軍工兵司令部の〈第一工兵師団『フォン・ホープレヒト』〉なども鉄道敷設装備は広軌式に対応したものとなっており、即座に敷設工事に投入できるものではない。敷設方法自体の差もある。北部の鉄道路線敷設は専用敷設車輛があり、陸軍や皇国鉄道の人力によるものとは大きく違った。

 

 軌間の違いから皇州同盟軍の鉄道車輛が運用できない事も致命的であった。

 

 車輛規模が大型である為に輸送量に優れるが、線路の幅が違う以上、当然ながら運用する事はできない。

 

 国家の血管たる鉄道路線にまで政治を差し挟む者達に対して、グレーナーは憎悪を抱いていた。

 

 しかし、積極的に鉄道敷設を政治に絡めたマリアベルに対しては複雑な感情を隠せないでいる。

 

 ――いや、正直、機関車は北部の方が格好いいし能力も高い。

 

 有給休暇を得れば、写真機を手に北部へと足を運んだ戦前を懐かしむグレーナー。

 

 皇国鉄道は量産性を求めたが、北部鉄道は整備性や高性能化を重視した為、猥雑な部分が多分に含まれた。それがまた鉄道愛好家を喜ばせる。他の鉄道とは違い汚れるのだからと当初から黒色塗装をしているが故に四季の全てに映える車体は愛好家の間では評価が高い。

 

 しかし、派閥争いと化した両鉄道。その狭間でそうした発言が許される訳もない。

 

 グレーナーの北部鉄道車輛の撮影も表向きには“敵情視察”となっているのだ。

 

 故にグレーナーは勤勉な鉄道輸送の専門家という評価を得ていた。

 

 彼の功績によってミナス平原決戦は支えられたと言っても過言ではない。トウカやネネカなども彼を高評価していた。

 

 皇国鉄道の鉄道路線の中心は皇都であるが、その皇都へ多数の鉄道車両乗り入れによる混雑や遅延を阻止するべく、皇都郊外に巨大な鉄道基地を建設した点は運輸業界を瞠目させた。

 

 政府や陸軍が予算面から難色を示したと見れば、運輸業界に平時の際の共用を餌に資金提供と政治工作を要請して計画を政府に押し込んだ手腕は彼の鉄道に対する情熱を窺わせた。

 

だが、陸軍の輸送業務に纏わる設営工事を、運輸業界を巻き込んでの公共事業としたグレーナーでも不可能であったのが、皇国鉄道と北部鉄道の協力である。

 

 グレーナーとしては皇国鉄道の面々の忌避感にも困ったが、最も困ったのは北部鉄道の面々が驚く程に喧嘩腰であった事である。どうした生い立ちを経ればそこまで他者に皮肉と罵声を吐き捨てる事ができるのかと思える程に頑な彼らは北部以外の全てが仮想敵であると信じて疑わない。

 

 ――まさか、侵略時の輸送簡易化を意図していると思われたとは。

 

 皇国鉄道と違い北部鉄道は軍需物資の輸送を主任務として設立させた領邦軍の一部……それが官営化された結果として存在する。それも中央貴族の提言によって成された北部貴族の領邦軍兵数制限を躱す為の官営化であった。

 

 北部鉄道の社員の大部分はそうした経緯もあって、元は領邦軍の軍人なのだ。故にその思考や発想は軍事的なものが先立つ。否、そもそも組織図上で官営化されただけで、事実上の指揮系統は領邦軍が保持し続けていた以上、彼らの発言は何ら不思議なものでもない。彼らは書類上は兎も角として、実情としては軍人なのだ。

 

「まぁ、例え協力できたとしても今更だが……」

 

 ドラッヘンフェルス高地に帝国軍が展開しつつある以上、分断されてるという事実は動かない。鉄道車輛の移動は不可能と言えた。皇州同盟軍には持て余した装甲列車が数編制存在するという噂もあるが、軌条(レール)がなければ進めないという点に変わりはない。強行突破も現実的ではなかった。

 

 ――見て見たくはあるが……

 

 鉄道愛好家として、奇想兵器を好むマリアベルによる装甲列車を見てみたいという欲求をグレーナーは不断の努力で押さえ付けるが、陸上戦艦などという兵器を作る烈女の装甲列車に対する興味を抱くものは少なくない。

 

 実際、陸軍は装甲列車が弾道弾の発射装置(プラットフォーム)になる事を恐れていた。

 

 トウカの軍事行動が前線の戦術的打撃よりも後方の戦略的打撃に重きを置いている為、その後方に対する攻撃手段と、それに関わる兵器に対する興味を持つ戦略家は少なくない。

 

 現状、トウカが主体となって開発が続く弾道弾開発は帝国との決戦によって遅延している。同じ噴進兵器(ラケーテンヴェルファー)である多連装擲弾発射機(ネーベルヴェルファー)の派生型研究開発や、その生産工場の効率化などに人員が優先配置されているからであった。

 

 内戦後、最も皇国陸海軍が危険視する兵器は弾道弾に他ならない。

 

 航空騎よりも遥かに優越した速度で遠方の敵地を襲う弾道弾による攻撃は、航空騎以上に阻止する方法に乏しい。航空騎に対する防空網や防空兵器すら満足に開発できていない陸海軍にとり弾道弾とは蹂躙戦(ワンサイドゲーム)を可能とさせる兵器と捉えられていた。

 

 実際のところ、トウカは陸海軍の懸念を推測すらしていなかった。

 

 これにはトウカの世界と魔道国家である皇国に於ける最大の差異……魔導技術の有無が関係していた。

 

 トウカは弾道弾や巡航誘導弾(ミサイル)の精密誘導を高度な電子技術による産物と認識し、制御技術の成立が数十年単位の時間を要する研究開発となると長期的計画を策定させていた。

 

 対する陸海軍は数年で誘導性能が看過し得ない……遠方の都市に展開する司令部を直撃する性能を有するに至ると想定していた。

 

 魔導技術による誘導効果の開発は高位魔術開発であるが、既に皇国では限定的ながらも軍事技術に転用されていた。魔導杖による魔導射撃では、魔力消費の増大と引き換えに限定的な誘導能力を持つ砲撃が可能であり、これにより皇国の航空騎……嘗ての龍騎兵は制空戦闘で絶対的な優位を確保していた。巴戦(ドッグファイト)時に機関銃の連射と魔導杖による誘導魔導射撃では、命中率で後者に軍配が上がった為である。騎上という限定空間で無理のある姿勢から機関銃を掃射するという無理が機関銃の命中率に与えた影響は多大であった。結果として、機関銃による掃射は投射量を超えて命中率が低下した。

 

 認識の齟齬は開発期間に対する差異となって表れた。

 

 誘導装置に関わる電子部品の開発は、採算を踏まえると電子分野全体の底上げが必要とされる為、長期に渡ると考えられていた。電子技術が電波短針儀(レーダー)や兵器の自動化、研究開発の計算に留まらず、民生転用が多大な利益を齎すと理解していたトウカは、設立したヴェルクマイスター社に電子部品開発全般を求めたが、それに否定的な者は意外なことに少なかった。彼らもまた純軍事的観点からの合理性を見たからである。

 

 故に電子技術による誘導能力を魔術で代用できるという意見は出なかった。トウカが魔導技術で探知されない誘導能力を欲したと見た為である。魔導技術は既存の魔導技で容易に探知可能で干渉も不可能ではない。

 

 無論、何十年という時間を掛ける程の価値があるとトウカが断言したからでもあり、それによる電子機器の可能性を彼は良く語った。

 

 其々のすれ違いにより、電子技術の開発は長い道程を進み始めた。

 

 そうした中、全てを察して近付いた者も存在する。

 

 クロウ=クルワッハ公アーダルベルトである。

 

 有用な兵器であると見たが故に龍種派閥に組み込もうと目論んだという部分もあるが、それ以上に弾道弾が航空騎運用が行う攻撃の少なくない部分を奪い取りかねないと見たからである。故にその高性能化と運用を統制(コントロール)するべく食い込もうとした。

 

 しかし、アーダルベルトの場合、命中率の諸問題よりも、龍種の翼下に懸吊する事で将来的に生じるであろう敵防空網突破の作戦時に、その有効範囲外から目標を撃破する手段として有益であるとの判断からであった。

 

 多くの懸念と目論見を背景に弾道弾という兵器の開発は進んでいるが、現状の規模(サイズ)から航空騎への搭載は不可能で、極めて大型な発射機や燃料(タンク)も必要となる。魔導車輌への搭載は難しく、その移動は専用艦艇の建造か鉄道輸送に頼らざるを得なかった。

 

 そうした中、皇州同盟軍では牽引と護衛を兼ねて保有している装甲列車を転用しようという動きが出ている。

 

 トウカとしては大日連得意の鉄道兵器の模倣に過ぎないが、皇国陸軍鉄道輸送部はこれに色めき立った。目立たない後方部門に活躍と利権、職席が増大する好機である。

 

 そうした悲喜交々もある皇国鉄道と北部鉄道の関係は複雑怪奇なものとなっていた。

 

 少なくとも現状では協力できない。皇国鉄道としても好機を逃さぬ様に、北部鉄道と協力体制構築を構築するべきであるという意見は少なくないが、当のトウカや首席政務官であるセルアノが極めて否定的である為に実現していない。

 

 仮想敵の輸送手段との共通化など軍神たる彼が認める筈もなかった。敵の補給効率化を助長させる上、皇州同盟は北部の経済発展に当たり、諸外国への工業製品輸出を重視する姿勢を見せていた。よって工業製品は船舶輸送……シュットガルト湖を経て商用航路で輸送される。そこには、ヴェルテンベルク領を流通拠点として更なる発展を望むトウカやセルアノの意図が窺えた。鉄道に於ける協力は両鉄道の路線結合に繋がるという警戒は、工業製品の輸送路が分散する潜在的可能性が伴う。それでは、ヴェルテンベルク領を通さない巨大な物流路が生まれかねない。

 

 グレーナーは鉄道総監として、トウカの経済を踏まえた発想を好ましく感じていた。自身が鉄道網構築に際して物流分野の主流に位置する各社と連携し、経済計画や資金援助を以て政治家に押し込む事を得意としていたからである。

 

 しかし、同様の考えを持つ者と国内で争う事の難しさに頭を悩ませているのも事実である。

 

 今次帝国戦役以前に協力体制を構築できていれば、輜重線は今以上の効率と規模を以て行われたに違いなかったのだ。そうなれば、フェルゼンまで後退せずともドラッヘンフェルス高地に堅牢無比な要塞線を短期間に構築し、十分な兵力を皇国各地より短期間で投射できたと、彼の直感が告げている。

 

 実際、純軍事的に見てフェルゼンまでの後退は、トウカの帝国軍を防御縦深に引き摺り込んで撤退と補給を難しくするという方針に基づくものである。兵站のみを根拠としたグレーナーの推測は提案しても受け入れられなかったはずであるが、彼はそうした点にまで思考を巡らせる事はない。

 

 彼は輜重将校なのだ。

 

 前線が求める物資を輸送するのが職務である。彼の戦争は書類上にて行われた。

 

 そこで彼の執務室の扉を叩く音が聞こえる。「どうぞ」と告げるグレーナーは物流企業に引き抜きを受けたとこもある経歴を思わせる軍人らしからぬ声音であった。

 

 入室するのは一人の龍種であり、彼は個人的交友関係もある人物であった。

 

「やぁ、航空総監。……苦労している様だね」

 

 目下に窺える苦労の跡を見て取り、グレーナーは肩を竦めて彼を迎え入れた。

 

 初代天帝陛下の表現を借りるならば同期の桜である二人は、執務室に二人しかいない事を視線で確認すると、手提げ鞄や引き出しから酒盛の為の酒やつまみを取り出した。

 

 既に定時は過ぎている。戦時下とはいえ後方勤務には未だ余裕があった。

 

 無論、鉄道総監と航空総監の余裕は戦況や軍事行動が彼らの手元を離れつつあるという客観的事実に根差したものである。

 

 鉄道輸送はベルゲンより北では不可能である為、鉄道総監にできる事はない。その先は参謀本部輜重参謀が頭を悩ますであろうが、鉄道輸送部へ無理難題が押し込まれることはない。鉄道屋に成せる事は、軌条(レール)上の諸問題に限られる。陸に上がった船乗りの様に、軌条(レール)のない鉄道屋に価値などなかった。

 

「君は政治の苦労かい?」

 

「まぁな、政治は構わんが戦時下で主導権争いをされては困る。クルワッハ公も役に立たん」

 

 龍種の口から龍系種族の棟梁を批難する言葉が出るという希有な光景を、グレーナーは引き出しから酒瓶を取り出すのに忙しいという風体で聞き流す。

 

 効率的な航空攻撃の成立によって龍種の立場は補強されつつあるが、それに故に陸軍内では龍種を中心とした勢力の伸長が行われていた。しかしながら、戦時下でそうした動きに現を抜かす真似に掣肘を加えねばならない立場にある彼の苦労は計り知れない。

 

 ヘルマン・ゼン・フォン・ギンヌメール。

 

 男爵位(フライヘア)を持つ下級貴族の彼は、皇国開闢以来の男爵家の血縁であった。建国期に初代天帝陛下が重用した航空偵察を運営した一族として、航空分野では一定の知名度を持つ。その共和国系の名は、共に初代天帝と”東征”を共にした頃からの変わらぬ名である。名を変えなかった貴族としてもギンヌメール男爵家は知名度がある。良くも悪くも偏屈で毒舌、己の意見を曲げない頑固者ばかりが輩出される所為か昇爵は悉く見送られていた。

 

「ギンヌメール。どれから行く?」

 

「ウィシュケでいいだろ? 果実由来の酒なんて飲めるか」

 

 罵倒が様になる笑顔で両手を広げたギンヌメールに、グレーナーは他者の意見を突っ撥ねる人材としては最適であろうと苦笑するしかない。現在の航空総監という職責は間違いなく天職と言えた。

 

「こっちはもう無理だ。そっちがするそうだね」

 

 早々にこれ以上の兵站輸送には責任が持てないと補給計画を突き返した成果と言えるが、早急な鉄道敷設など元より破綻していた事は参謀本部付輜重参謀も理解していた筈である。

 

「国内の航空騎を手当たり次第に掻き集めて往復で航空輸送を行うらしい。戦果の振るわなかった戦術爆撃部隊や同盟軍の戦略爆撃部隊も航空輸送に転用するそうだ」

 

「それは、また……」

 

 輸送のみであれば民間騎も運用できる。制空権の確保も終えている中であれば航空輸送は不可能ではない。膨大な数の航空機の離陸と着陸を並行して行える飛行場があるという前提が必要となるが。

 

「しかも戦爆連合で数にものを言わせた爆撃を連日行うらしい。拠点の破壊と兵力の漸減……まぁ、何よりも兵を寝かせたくないらしい。嫌らしい戦い方だ」

 

 擾乱(ハラスメント)攻撃を数千騎という規模で敢行するという決断を下せるのは、トウカが野戦将校としての視点を十分に持ち合わせている事を意味する。航空攻撃であるが、その主目標が兵士の士気を対象としたものである以上、心理戦に近いものがある。

 

 戦域と規模を踏まえれば、戦略規模の心理戦である。

 

「或いは、士気崩壊(モラルブレイク)を意図しているのかも知れないな。いやいや、怖いね」

 

 強固な野戦陣地に籠城した敵軍が厄介である事は軍人である二人にも理解できる。しかし、それが墓穴になる可能性がある事も理解していた。特に職業軍人とは言い難い将兵が多数混じる中での籠城となれば、形勢不利を感じた瞬間、壊乱しかねない。

 

 督戦隊と逃亡兵による凄惨な交戦を齎す可能性がある。永久陣地に兵力を集中させれば堅固な拠点となるが、大兵力の密集は劣勢の場合、恐慌を助長させかねない。

 

「帝国軍が陣地防御に徹する心算であるならば航空攻撃は容易だ。面倒な誘導も必要なければ、陣地は移動もしない」

 

 〈南部鎮定軍〉の指揮官は皇国軍の想像を超えて優秀であったが、航空優勢の原則が成立した状況では永久陣地と化した拠点は、寧ろ航空攻撃を避け得なかった。十分に効率的な対空兵器を多数備えるのであれば対抗し得るが、そうでない場合、回避運動の叶わない永久陣地は極めて攻撃し易い目標となる。梯団を組んでの爆撃ともなれば甚大な被害を蒙る事は疑いなかった。

 

 それは鉄道網も同様であると、グレーナーは見ていた。

 

 列車は移動できるが、鉄道網は移動できない。

 

 設置された鉄道網は攻撃目標としては極めて有力なものとなるだろう。陸上の兵站線としては現状で最大の輸送量を誇る鉄道という輸送手段は紛れもない戦略兵器である。魔導車輛や荷馬とは桁違いの輸送量と速度を誇る輸送手段は戦争の趨勢に影響を及ぼす。

 

 鉄道路線は敷設の資源と労力が道路ほどではないが、それでも長距離となると敷設には相応の時間を要する。爆撃を受けて機能不全に陥った場合、回復までの遅延はその輸送量から致命的なものとなりかねない。

 

 無論、鉄道部も手を拱いてはおらず、車輌から射出機(カタパルト)による迎撃騎の射出や、高射砲や対空機関砲を多数搭載した防空車輌が検討されている。

 

 しかし、根本的な解決とはならないと判断されていた。鉄道網という長大な目標を完全に防護する事は陸軍戦力の大半を割いても難しいと判断されている。対策は未だない。

 

「真綿で首を絞めるかの様な戦い方だね。しかも、味方の首も締めてくる」

 

 そもそもトウカが陸軍を友軍であると認識しているのは戦闘詳報を確認する上では正しいが、彼によって齎された戦略や戦術、発想は陸軍内の基本方針の是正を強いられている。後方の輸送や兵器大系にまで変化を強要する革新性の連続は、陸軍内での予算獲得競争を激化させた。戦時下によって他府から青天井の予算に思われるが陸海軍だが、彼らとしては今尚、不足に喘いでいた。予算不足の中で切り捨てざるを得なかった部分が悲鳴を上げ始めたのだ。それは予算を圧迫し、戦場で将兵の人命を以て嘗ての不遇を(なじ)っていた。

 

「壊乱してくれると有り難いけど……まぁ、一部だけだろうなぁ」

 

 グレーナーとしては願わんばかりであるが、トウカの包囲戦から逃れつつある敵軍の指揮能力を踏まえると容易であるとは思えない。ドラッヘンフェルス高地北方に広がる森林地帯での不正規戦に移行された場合、排除には時間が掛かる。

 

「敗走する友軍を収容する心算だろうが、帝国主義者も無理をする」

 

 ウィシュケの注ぎ方とは思えない程に並々と注いだ硝子碗(グラス)を煽るギンヌメールの意見は、皇国陸軍将官の一般的な感想と言える。

 

 尚もトウカと正面から相対する度胸の根拠が奈辺にあるのかという点には興味すら抱く。或いは、勢いをそのままにした逆侵攻があるのではないかという恐怖心がそうさせているという者も居るが、兵站線を踏まえれば有り得る筈もない。内戦戦略を前提とした皇国陸軍は大規模な外征を前提にしておらず、皇州同盟軍は策源地である北部の荒廃によって経線能力を毀損された。

 

 

 戦争の恐怖の中では、集団の能力だけが価値を発揮する

 

 

 しかし、集団が大規模になればなる程に指揮統率は難易度を増す。

 

「さて、帝国軍が撤退戦を完遂できるものか」

 

「此方が補給で手間取れば離脱できる部隊も出てくると思うけど」

 

 躍進距離の限界は兵站線の展開距離に比例する。彼我の兵力や武装、練度を超えた絶対的な示準として兵站線の展開距離は存在するのだ。

 

「客観的に見て、エルライン回廊までは続かないね。挙句にフェルゼンへの街道は封鎖されているよ」

 

 フェルゼンへ続く回廊は樹海に敷設された小規模な街道に過ぎない。

 

 兵站線としては辛うじて運用できる程度であるが、今次戦役で閉塞作戦が実施されて封鎖されている。障害物を除去するには相応の時間を要した。

 

 フェルゼンは策源地として相応しい規模を備え、巨大な軍港と商用港を有し、後方としてシュットガルト湖上の島嶼に複数の湖上都市を持つ。シュットガルト運河を通した船舶輸送の効率は鉄道輸送を優越し、一軍の輜重を支えるだけの規模と言える。

 

 しかし、フェルゼンからの輸送を担うべき街道は大都市周辺の交通機関としては脆弱極まる規模のものであった。大型車輛を効率的に移動させるには不足する幅や蛇行する経路は、明らかに他領からの侵攻に備えた形状をしている。フェルゼンの設計者であるマリアベルは、商業活動に於ける物流を船舶に絞る事で防衛の簡略化を図ったのだ。そこには、海外に販路を求める事が主目的であった為に国内経路を重視しなかったという経済的理由も含まれる。

 

 現在のフェルゼンは陸の孤島に近い。

 

 〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉が行ったように、シュットガルト湖沿いに移動はできるが、踏破性など考慮されていない輸送車輛の輸送部隊が行動するのは困難である。〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉の移動も一部の装輪式戦闘車輛が足を取られ、戦車などの履帯式車輛の牽引が行われた。

 

「さて、軍神殿はどうするのか」

 

「壊乱したならば、航空攻撃と軍狼兵、装虎兵辺りの迫撃で十分だろうよ」

 

 二人はもしゃもしゃと軟体生物の干物を口にしながら囁き合う。歳の所為か噛み切れない為、中々酒に手を伸ばせない。

 

 実情として皇都に居る二人としては、優勢の戦況も相まって戦場が遠ざかりつつあるという感覚を持っていた。皇都の臣民は未だ情報統制の影響で与り知らぬことであるが、後方勤務の軍人達の顔色は一様に明るい。輜重や航空に関わる分野を除いて、であるが。

 

「そう言えば、海軍の〈聨合艦隊〉も帰還しつつあるみたいだな」

 

「ああ、そうだね。海軍さんも暫くは戦えないだろうね。主力艦は傷だらけだよ」

 

 陸海軍は部資材を融通し合う事も少なくない。互いに予算不足に苦しむ中、それに対応すべく弾火薬や兵器の共通化が成された事もあって共用できる部資材は少なくない。

 

 主力艦の大部分を戦列から失った海軍は、勝利を得たものの手放して喜べる状態ではなかった。修理を行うべき船渠はあれど、その工員の大部分は兵器廠などの増産に充てられている。今後暫くは陸戦主体になると推測される為、海軍も主力艦の修理を想定している時期に終える事は断念するだろう。

 

 皇国海軍は壊滅したと言っても過言ではない。

 

 無論、一度の海戦で壊滅的な被害を蒙ったのは確かであるが、帝国海軍はそれ以上の被害を受けている。中破や大破の被害を受けた艦艇が多い皇国海軍に対し、帝国海軍は大多数が撃沈艦となった。指揮系統の混乱の中、帝国海軍は組織的な撤退に失敗したのだ。その国是から帝国海軍艦艇は独自判断での撤退に踏み切れなかった。

 

「まさか、〈ガルテニシア〉型戦艦があそこまで被害を受けるとはな」

 

 ギンヌメールの渋い表情に、グレーナーは()の戦艦との因縁を思い出す。

 

 トウカが先鞭を付けたかの様に一般では思われている航空攻撃だが、実際には以前よりそうした案はあった。ギンヌメールは予算確保を行い航空騎による対艦攻撃の可能性を探った過去があるのだ。

 

 輸送騎からの水平爆撃であるが、その攻撃目標は回避運動を行う戦艦〈ガルテニシア〉であった。就役直後の新鋭戦艦の航行訓練を兼ねたそれは攻撃失敗に終わった。海軍の砲術屋達は予算編成上の好敵手登場がなくなったと胸を撫で下ろしたが、ギンヌメールとしては航行しているとは言え、戦艦という規模の大きな目標への攻撃失敗……それも大隊規模で行った結果であった為、航空騎による対艦攻撃の可能性は潰えたと考えた。技術革新がなければ難しいと将来の課題とされたのだ。当時は高精度の誘導爆弾の完成を以て再開すべしと結論付けられた。

 

 しかし、北部内戦に於けるベルゲン空襲が全てを変えた。

 

 無誘導ながらも急降下爆撃によって命中率は向上し、命中率を補えるだけの規模を投入した航空爆撃。その速度から大規模な集結が容易な航空部隊による都市部への爆撃は衝撃を齎した。

 

 大隊規模で足りぬならば、聯隊規模、それでも足りぬならば師団規模とばかりに内戦時のトウカは航空騎の集結を行い、必要であれば分散しての攻撃まで行った。攻撃方法や陸上部隊との連携、兵装の改良……次々と効率性を増していく北部の航空部隊に陸軍航空部は後塵を拝し続けた。

 

 対策を求められたギンヌメールとしては甚だ不本意であった事は疑いない。辛うじて対艦攻撃の可能性を探っただけでも先見の明に優れると言えるが、十分な検討考察を遮った予算不足という相手は余りにも強大であった。航空攻撃の有効性が認められても、予算不足によって小規模な組織に留まっていた航空部には、航空分野に於ける無数の要素を策定する人材すら不足してた。人材育成ばかりは金銭を投じても短期間に成立するものではない。

 

 そこを、龍種派閥に突かれた。

 

 内戦時にデュランダール中将主体になって行われたフェルゼン空襲の失敗によって揺れる派閥の再編成を終えた航空派閥は、航空部に影響力を伸長させた。航空部は航空技術廠や航空総隊司令部などの研究開発や運用、実戦部隊に影響力を持つ陸軍航空行政の要と言えた。

 

 実戦部隊は元より龍種派閥は支配的な権勢を得ていたが、その有効性を認識した為、陸軍航空行政全体に影響を及ぼす事を意図したのだ。今迄はギンヌメールの手腕や、陸軍航空行政自体が重要視されていなかった為に均衡があったが、その均衡が崩れた。

 

 ギンヌメールも龍種派閥の思惑を無視できなくなっていた。予算増額に多大な功績を見せた龍宗派閥は陸軍以外……航空分野の全てを影響下に置く姿勢を見せている。

 

 龍種は虎種や狼種の権勢に伍する事を望んでいる。

 

 そして、天使種を含めた有翼種の大部分と連携した彼らによる航空行政の掌握を阻めるものなど存在しない。皇州同盟軍のトウカに可能性はあったが、彼を陸軍内の主導権争いに引き込む程にギンヌメールも無能ではなかった。

 

「できもしないと考えていた事を次々とやってのける……既得権益なんて気にも留めないだろうね」

 

「あの若造なら権益など新しく作った方が早いとでも言うだろうな」

 

 当然、既得権益を得るとしても軍事力で奪取する事は疑いない。現に経済連合の要人を暗殺したという実績を彼は持つ。彼にとり必要なものは奪い取るものに過ぎない。後発の組織である皇州同盟が短期間に隆盛するには、それ以外の選択肢がないとは理解できるが、それを当然の権利だと嘯いて堂々と行う恐ろしさがトウカにはある。

 

 揺ぎ無い自負と強者の理論こそが、彼の急進的な姿勢を支えているが、それは他者の反発を招く。

 

「君の娘は〈第四航空師団〉所属だったね? いいのかい? 帝国侵攻ともなれば――」

 

「あれは命令とあれば()くと言うだろう。それが軍人なのだからな」

 

 二人はどちらかと言えば官僚に近い。

 

 後方勤務の性質は組織を支える机作業(デスクワーク)に他ならない。軍事力の行使者としての側面よりも、その保全や維持、整備に掛かる社会的な業務などが大部分であった。軍官僚として大成した二人だが、それ故に国家の中に存在する軍という組織を客観的に俯瞰できた。前線勤務の将校の場合、民間との交流も限定的であるが故に民間の視点から外れがちである。

 

 皇国の国力は限界に近い。

 

 少なくとも効率的な国力の回復を行える国力を失うことになる。人口の面でも、促成訓練を終えた兵士を投じねば消耗に対応できない以上、加速度的に人的資源は消耗することになるだろう。今年の民間企業の新卒採用総数も圧迫されるに違いなかった。経済の後退は避けられない。軍備拡充に伴う好景気を背景とした経済躍進とて反動が伴うのだ。

 

 トウカは現実主義者であるとみる二人は、帝国への侵攻は行われたとしても形だけのものとなると考えていた。

 

「娘もそうだが、軍神も哀れだ」

 

「おや、君が軍神を憐れむのかい?」

 

 明日は皇都で航空爆弾が降る……そう口にしようとしたグレーナーだが、皇州同盟軍が戦略爆撃騎を保有している事を思い出して自重する。付け加えれば帝都への空襲すら行われた。

 

 グレーナーとしては、ギンヌメールはトウカに遺恨があると見ていた。

 

 内戦時、航空攻撃に対抗すべく陸軍も多数の戦闘騎を動員しようとしたが、それは予算不足による全体数の不足から限定的なものとならざるを得なかった。総司令部や参謀本部の突き上げは相当なものであったと流布している上、各種航空攻撃に対する対策の策定で彼は帰宅できず妻から御小言を頂戴する日々であった。挙句に帝国侵攻ともなれば、娘が帝国へと派兵されるかも知れないのだ。

 

 ギンヌメールは、心中で鉄道網の拡充を目論み、トウカとは連携の可能性があると期待するグレーナーとは根本的に違う立場にある。

 

「あれは北部の怒りの体現者だ。若さには驚いたがな……北部の過去を知る以上、無責任な批判はできん」

 

 熟成年数が奇妙な方向に苦みへと転じたウィシュケという訳ではないが、再び杯を掲げて要求してきたギンヌメールに果実酒の樽で最終熟成を行ったウィシュケを注ぐグレーナー。

 

 窓越しに伺える上弦の月。

 

 半面のみをヒトの世に見せる上弦の月は、ヒトのという生物の二面性を見せている様に、グレーナーには思えた。満ち欠けによって顔立ちを変える月輪は、実に多面性を滲ませる。実際の姿だけでなく、見るものによって地表の模様への喩えが違える部分もまたヒトの多面性を思わせた。見るものによって所感が変わる様は月輪そのものである。太陽の如き在り方を見せる者でも、本質的には多面性を伴う月輪なのだ。

 

 グレーナーの見たところ、トウカは実に月輪と言える程の多面性を有している。

 

 立身出世に成功した人物としては当然と言えるが、トウカの場合は規模が違う。

 

 称賛も崇拝も、遺恨も罵声も実に多くを受けるというのは意外と前例がない。基本的には一方に偏るもので、どちらをも長期間に渡って獲得し続けるというのは更に稀有な事例と言えた。

 

「我々からすると北部の叛乱なんていつかは起きる事だったからな」

 

「そうだね。あそこまで組織だった激発は想定していなかったけど」

 

 後方勤務であるが故に二人は、北部の事情に詳しい。

 

 航空分野も鉄道分野も北部を例外とする訳ではない。展開地域や防衛線への配置で視野がその周辺に固定されがちな前線勤務とは違い、後方勤務は交渉や進捗、調査などで頻繁に国内を飛び回り、現地の貴軍官民と言葉を交わす。戦争への熱意も、他地方への敵意も彼等には肌で感じる機会があった。

 

 彼らからすると、内戦は起こるべくして起こった。伝統的に極端な姿勢を好む気質と、帝国との最前線であるという矜持を持つ彼らの反発を軽視した代償である。勝算や軍事常識のみで開戦に踏み切る程、北部臣民は冷静ではない。その気候とは裏腹に北部臣民は熱しやすいのだ。

 

「君は北部に行った事があるのかい?」

 

「北で育った龍は寒冷気候に強い。北部での育成を計画していたが内戦でな……」

 

 戦時下ともなれば致し方ない事であるが、双方の交流は途切れる。当然、それは貴軍官民に関わらずであり、民間企業が遅延した事業や計画に対する補償を求めるという一幕があった。当然、トウカの国内での軍事行動を躊躇しない姿勢を見て断念した。或いは、皇州同盟による企業誘致条件の緩和や優遇で損失よりも利益が見込めると過去から視線を逸らした企業も少なくない。

 

「そう言えば、育成所を北部に建築したなんて話があったね」

 

「同盟軍に接収されたままだがな」

 

 うわぁ、とグレーナーは額を押さえる。額が熱い。酒精(アルコール)が巡ってきたらしい。若しくは強く叩き過ぎたか。

 

 北部は実質的に独立国であるというトウカの発言は決して法螺や誇張でもなく、エルライン回廊までを繋ぐ鉄道以外の陸軍施設は大部分が接収されたままである。尤も〈北方方面軍〉成立に伴い、帝国軍撃退後はエルライン回廊周辺に複数の陸軍基地を建設する事が決定していた。そうした点を見てもトウカの現実主義が窺える。

 

 エルライン回廊近傍の複数陸軍基地に〈北方方面軍〉が展開する事となれば、再び帝国軍が侵攻してきた場合、エルライン要塞への増援や後退戦が容易になる。その上、内戦になった場合、皇州同盟軍は輜重線を遮断して〈北方方面軍〉自体を人質にできた。それを知るが故に、或いは帝国軍との戦闘で現地協力を得る為、〈北方方面軍〉は現地である北部との連携を欠かせない。結果として〈北方方面軍〉は北部の影響力を受ける事になる。

 

 水面下での争いは今も続いているのだ。

 

「帝国軍による被害調査の為の航空偵察も始まっているらしいが、想定していた程の被害ではないらしいな」

 

「縦深に引き摺り込んだ成果だね。あれだけ決戦を急いては破壊している余裕もなかっただろう」

 

 帝都空襲によって、〈南部鎮定軍〉は決戦を早急に求める圧力を帝国政府や門閥貴族より受けた。無論、その時点では北部の占領を重視する意見もあったであろうが、中原諸国やエルライン回廊上空で発生した大規模航空戦が異論を完全に封殺した。帝都空襲が可能である以上、皇国北部から帝国領への爆撃すら容易であると見せつけたのだ。以前に三都市やエカテリンブルクが戦略爆撃を受けていた事から、最低限の後続距離ですら長大であるという事実を帝国は理解させられていた。

 

 当時は、難民が押し寄せる事を阻止するべく他国の民衆まで爆撃した結果に、ただ苛烈に思えた中原諸国への航空攻撃。しかし、今であればこそ、それすらトウカの戦略の一部であったのだと理解できる。

 

 帝国が攻め入らねばならない状況に追い遣ったのだ。

 

 都市攻撃を以て帝国貴族達に彼らの頭上ですら安全ではないと示したのだ。挙句に宣戦布告をしていない都市を帝国が領有宣言したとはいえ、早々に爆撃するという苛烈無比な姿勢を見て彼らは交渉や妥協の余地がないと考えたに違いなかった。

 

 その全ては北部への負担を最小限にする為であったに違いない。無論、縦深に引き摺り込む事で撤退を困難となさしめるという目標や、増援との合流による兵力増大の機会を喪わせるという目標が副次的なものとしてあったはずである。

 

 そうした点に思い至ればこそ、今後を踏まえねばならない。

 

 ギンヌメールが窺うような声音で問い掛ける。

 

「中央貴族の一部が同盟軍だけで帝国侵攻を行わせようとしているのは明白だが……どちらに付く?」

 

「……軍神殿しかないだろうね」

 

 トウカは中央貴族の政略や謀略に対し、徹底して軍略によって応じている。他地方では政治基盤に乏しい皇州同盟だが、清々しい程に軍事力で殴り付ける事だけで対応していた。政治力で勝てないならば軍事力を持ち出すという違法と無法を堂々とやってのける。法律を堂々と軍事力で踏み倒す姿勢は大いに問題であるが、勝てる分野で徹底的に争うという方法は軍事的視野のみを以て見た場合、実に正攻法と言えた。

 

 グレーナーだけでなく、軍事費削減を進めた中央貴族との連携に否定的な陸軍将官は少なくない。組織を守るという一点を見れば選択肢などなく、国防の観点から見ても現状は看過できなかった。

 

 中央貴族と皇州同盟の静かなる争いは留まる事を知らない。

 

 先日は、遂に皇都で右派団体に貴族院議員が殺害される事件が起きた。稚拙であった為、皇州同盟軍情報部の手口とは思えないが、両者の対立に連動する形で蠢く無数の意思を統率する事など不可能と言えた。和解か一方の崩壊を以てでしか解決はしない状況にあるが、七武五公も航空分野の利権によって分断されつつあり、中央貴族を完全に掣肘する事ができないでいた。

 

 トウカとしては政府に対して主導権を握り、〈南部鎮定軍〉撃退の目途が立った時点で中央貴族に対する遠慮や容赦の必要がなくなったと見ただろう。北部臣民の避難に伴う予算拠出が、トウカにとって中央貴族最大の使いどころであった。

 

 何時、用済みと見て中央貴族の分断を試みても不思議ではない。

 

「まぁ、組織運営上、皇州同盟に付いた方が利益があるしね」

 

「利益を提示できなかった奴が悪いってか? 悪よのぅ」

 

 二人は硝子杯を掲げる。

 

 部下の食い扶持を稼ぐ義務が彼らにはある。予算不足ゆえに窓際部門に配置転換しろと望んで口にできるはずもなかった。

 

 国を護る為、臣民を護る為、陸軍を護り、組織を護らねばならない。

 

「さてさて、毟られた分を取り返すとしようじゃないか」

 

「程ほどにね」

 

 古来より、組織運営とはより利益を提示できた者こそが勝利するのだ。

 

 

 

 

 

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「戦争の恐怖の中では、集団の能力だけが価値を発揮する」 

 

          《仏蘭西共和国》第一八第大統領 シャルル・アンドレ・ジョゼフ・ピエール=マリ・ド・ゴール