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第七話    過去と今

 


 刀樹の後姿を見送りながら、リーゼは考える。


 何があそこまで刀樹を追い詰めているのかを。


 刀樹の負の感情は異常だった。リーゼが今まで感じた事のない感情。他の貴族や親族からの妬みや、恨みとは違う種類の感情。負の感情であることには変わりないが、根本的なところで違っている気がした。


「いやいや、リーゼちゃんもやるね~。あの刀樹くんのドス黒い心に、あそこまで踏み込むなんてお姉さんビックリだよ~」


 刀樹が視界から消えたと同時に、ガバッ と背中に抱き付いてくる能天気な娘が約一名。


「深雪……」


「せいか~い。近江の将軍様こと深雪ちゃんだよ~。いえ~っい」


 後ろから抱き付かれているので表情は窺えないが、その両手は少女とは思えない力でリーゼの首を圧迫していた。どうやら刀樹と二人でいたことを怒っているらしい。


「ねぇ、深雪。トウキの事なんだけど」


「聞いてたよ」


 深雪は、短く答える。


 その声はいつもの声とは違い、気遣わしげな声だった。


 全てを知っているのだ深雪は。考えてみれば当然だ。同じ学校の生徒会長と副会長という関係なのだから、刀樹と一緒にいた時間は、深雪のほうが圧倒的に長い。


 何もかも遅れているわね。


 リーゼには深雪が羨ましかった。本人は自覚していないだろうが、深雪には人を笑顔にさせる力がある。それが何かは分からない。きっと刀樹もそれを知っているからこそ深雪のそばにいるのだろう。深雪は、そんな事も露知らず、能天気に過ごしているだけだろうけど……


「刀樹君はね」


 深雪は、言葉を紡ぐ。


 どこか遠い目をした深雪は、同性から見ても美しかった。


「十年前はアフリカにいたの。傭兵だったんだよ」


「そんな……」


 あり得ない、とは言い切れない。世界の戦場では十歳にも満たない少年兵がAK―47(ライフル銃)を持って戦っているのだ。刀樹の年齢を考えても不思議な事もない。しかも、あのアフリカだ。少年兵など何処にでもいる。


「アフリカ、日本の傭兵として、じゃないでしょうね」


「未成年の傭兵を使う軍事会社なんてないよ。アフリカの軍閥だよ」


 リーゼは、その言葉に絶句する。 


 アフリカ。無数の武装組織が群雄割拠する万年内戦地帯。そして、世界で一番人が死んでいく場所。生きる屍が徘徊する冥府。無数の国家がひしめき合う中で、刀樹も一兵として戦っていたのだ。


 子供が戦場に立つ事は、この時代では珍しい事ではない。人種、国籍、年齢、全てがバラバラの少年兵が今でも戦い続けている。


「貴方は、何故そんな事を知っているの?」


 本人に聞いたのかしら? と、考えてみたけど、こんな能天気娘がそこまで刀樹の事に気を回しているなんてあり得ない。


「私が拾ったんだよ。パパがアフリカ遠征軍の指揮官になった時、付いていったの。その時、私をかばって撃たれたんだよ。一命は取り留めたんだけど、重症で ね……現地の病院じゃ助からないから、アフリカ遠征軍の旗艦の医務室で手術して、何とか一命は取り留めたんだけど、その後がね……」


 深雪は言いづらそうにする。


 まぁ、大体は予想はつくけどね。


 要は、得体の知れない人間を艦隊の旗艦に乗せて はいソウデスカ と簡単に艦を下ろすわけにはいかない。何せ軍事機密の塊である軍艦で、しかも艦隊の旗艦なのだ。万が一機密が漏れたら一大事だ。


「まぁ、そんなわけで色々ゴタゴタしちゃって……お父さんがキレて 俺の息子だ、文句あるんかっゴルァ! って言って、不満そうな顔してる部下を片っ端から殴っていったんだよ。もう、最新鋭艦のブリッジが血で染まって大変だったんだよ。リアルに」


 深雪も深雪なら父親も父親ね…… と呆れる。


 深雪の父親は大日本皇国連邦の陸軍元帥だ。親子揃って歩く国際問題なので、迷惑極まりないのだが、軍事に関しては優秀なので余計にタチが悪い。深雪の父 親も一人で支那軍の一個大隊を壊滅させたなんて噂もあるほどだ。他にも大英帝国の山奥でドラゴンと素手でやり合ったとか、北欧の秘境で魔女と殴りあったと か、インドの奥地で巨大な石の玉に追いかけられたり……ホントかウソか分からないが、そんな噂が流れるような男なのだ。


 って、ちょっと待ちなさいよ……。


「深雪とトウキって兄妹なのっ!」


「うん、そだよ。義理だけどね。あれ、言ってなかったかな?」


 言ってないわよ! と怒鳴りそうになるが何とか堪える。今、話を脱線させると二度と聞けない気がした。


深雪は言葉を続ける。


「それと私は姉だもん! 刀樹くんは弟だよ!」


「そんな事はどうでもいいわ! それより深雪、トウキの妹なら妹らしくしなさい!」


「だ・か・らっ! 私は姉だもんっ! 文句あるなら外務省を通して言ってね」


「ああ、もうっ! 姉でも妹でもいいわよ! それより刀樹の事はどうなの!」


「どうって? 何かな、かなかな?」


 ニヤニャと笑いながら、リーゼの脇をツンツン突き回す深雪。


 意地悪婆さんみたいね……と思いつつ、リーゼの人差し指を掴む。


「あなた家族なのにトウキにベタベタしすぎよ! 姉なら姉らしく振舞いなさい!」


「だって刀樹、家族になったのに 俺はアフリカに残る なんで言って一年前まで帰って着なかったんだよ。だがら一個師団で捕まえて日本に連れ戻してきたん だよ。あの時は大変だったんたんだよ。《米帝》も介入してきて……あっ! そう言えばリーゼちゃんのパパも《EFU》の指揮官としてブイブイいわしてたよ ね?」


「ブイブイって……まぁ、そんなところよ。でもハルファヤよ」


 ハルファヤとは、北アフリカの要衝だ。《EFU》軍の北アフリカ戦線司令部が置かれていた場所でもある。日本軍が駐屯していた南アフリカ戦線とは正反対の位置だ。関係あるとは思えない。


「そうかなぁ? 《EFU》の軍隊もいたような……まぁ、そんな事はいいよぅ、それよりリーゼちゃんこそ私と刀樹の関係にはいりこまないでよ」


「関係って……貴方たちは家族なんでしょ」


「血は繋がってないもん! 人の恋路を邪魔する人は戦車に轢かれるよ?」


 もう何も言う気がでなくなったリーゼは溜息を付く。


 私だって負ける気はないわよ。


 と、言おうとしたが、深雪のマイ戦車で踏まれかねないので口には出さない。


「で、貴方は弟を押し倒すという訳かしら?」


「むむっ! 人聞きが悪いよ、リーゼちゃん。それにリーゼちゃんだってドイツの貴族なのに刀樹を夫にするっていったじゃないの!」


 確かに大日本皇国連邦《大日連》、欧州国家社会主義連合《EFU》、アメリカ帝国《米帝・Imperial America》の三陣営は互いに牽制しあっいている。《大日連》と《EFU》の宗主国、大日本帝国とドイツ第三帝国は第二次世界大戦時まで同盟を締結し ていたので、アメリカ帝国との関係に比べるといくらかマシだが、決して仲が良いという訳ではない。


 そんな国の……ましてや貴族であるリーゼが、他陣営の男を連れて帰って夫にするなんて言い出せば、国内は大混乱だ。


 深雪もリーゼも、刀樹を相手に恋をするのは、ある意味命がけなのだ。


「負けないからね、リーゼちゃん」


「私もよ、トウキは渡さないわよ」


 むむむっ、と擬音を発する深雪に対して、リーゼは笑顔で受ける。幼馴染であり、ライバルでもある二人のいつも通りの展開だった。









「まぁ、正義ってのは、個人の主観だ。他人から見たら悪かも知れねェし、狂ってるように見えるかも知れねェ。正義も悪も所詮は力だ。権力者が力を使う方便に正義や悪やらの主義主張を使うだけだ」


 刀樹は溜息を付く。分かってた事なんだがな。


「勝てば官軍だもん! 陸軍なんてケチョンケチョンだよ!」


 ファイティングポーズを取り、やる気?を見せる。刀樹の哲学は聞こえなかったらしい。


 凄まじく鬱陶しい事この上ないが、これでも一応カリスマ性はあるので、たちが悪い。


 彼女が戦うと言えば、この学園の生徒たちは戦うだろう。なので、深雪に戦うと口にさせるわけにはいかない。文化祭のついでに戦争もしよう、なんてことに なったら一大事だ。タダでさえ突出した技術開発のお陰で他国から白い目で見られているのに、さらに自国の政府や国軍から見放されたら目も当てられない。


「オマエは戦場で兵を指揮したことはあるのかよ?」


「ないもん! でも、世界最強の指揮官になる自信はあるよ」


 どこからそんな自信が出てくるのか全く持って謎だ。刀樹からみれば、深雪もカリスマ性や生徒会の扱い方(主に暴力)を見る限り、指揮官として才能がない 事もない。だが、今はまだ早すぎると刀樹は考えていた。いくら大軍閥のお嬢様と言えど、この若さで戦争を体験させたくはない。特に負け戦は。


 って、俺はアイツのオヤジかよ。なんで俺が深雪の心配をしなきゃいけねぇんだ。まったく……。


「どうしたのかな刀樹くん、いきなり不機嫌になって」


 深雪が、顔を覗き込んでくる。


「むぐっ……」


 と言うわけで、何となく深雪の鼻を摘んでみた。


「ふぁにふるふぉ、ふぉうひぁや……」


「何、言ってるかわからねェぞ」


 あまり面白くも無かったので、直ぐに離すと頭を掻きながら寮の方に向かって歩き出す。


 刀樹は、この学園の寮に住んでいる。正確には、旧安土町の琵琶湖沖の一戸建の建物に一人で生活している。一応、副会長用の寮という事なので使っているが、学園地区のある旧近江八幡市からは相当離れているので便利が非常に悪い。


 せめてもの救いは、琵琶湖に近いので趣味である釣りが出来ることだ。


 休日には、戦友たちと共に外来魚と激しい戦いを繰り広げている。


「今日は私も刀樹くんの家にお泊りするよっ!」


 はっはっは、このクソ女なに言ってやがるンだ。


 大きな一戸建てなので、一人や二人泊めることはできるが、新聞部や戦略情報科の生徒に知られたら、あることないこと言い触らされるに違いないので出来れば勘弁願いたい。


 ちなみに新聞部は、強引な取材と目的の為に手段を選ばない事で有名で、記事にしている内容も大方、誇張されているのであてにならないと評判?だ。だが、記事自体は面白いので生徒や教士には人気を博している。


 対して、戦略情報科は、この学園に三十近くある科の一つだ。他の科に比べ、情報統制や、情報操作、諜報活動などを行うものの事だ。敵の動向を探る事や防 諜が主目的だが、この学園の科の生徒はハッカーとクラッカーの巣窟といってもよい。ネット上でニセ情報を流されたら大惨事だ。


 ちなみに刀樹は戦略指揮科の生徒という事になっているが、学園長の特別の計らいで学業は免除されている。要するにテストで0点をとっても進級できるわけ である。当然、その事を知っているのは学園長を含めた少数の先生だけだ。成績さえ普通を維持していればバレることもないだろう。


「そう言えば、私、刀樹くんの寮にお泊りしたことないよね?」


「あったら、それこそ大惨事だ。オマエを泊めたなんて知れたら俺はタコ殴りにされるかもしれねェな。そこまでしてオマエを泊める度胸はねェよ」


 冗談や誇張を抜きにしても、深雪は美しい。性格はあれだが、そのおかげで個人的なファンが多く、写真やらグッズが大量に流通している。その深雪教信者た ちに集中砲火を受けるのは、マズイ。何千、何万、下手をすると何十万というファンを相手にケンカするほどの根性を刀樹は持っていない。


「というわけで、不束者ですが宜しくお願いするよっ!」


 ギュッと刀樹の左手を抱きしめると、深雪は笑顔で不機嫌な男の顔を見あげる。


 その笑顔には人を思わず頷かせる力があった。


 この笑顔に何度、引っ掛かっているか分からない。それにも関らず、つい従ってしまう。それが深雪の恐ろしいところだ。そうさせる力魅力、カリスマのそれとも違う何かがある。それが何かは刀樹には分からない。


「しかたねェな……」


 頭を掻きながら、溜息を付く。


 これから自分の家で起きるであろう惨劇を想像すると、刀樹の心はずしりと重たくなる。


 そんな心配をしている刀樹の心情は露知らず、深雪は駆け出す。


 遠くには刀樹が住んでいる寮が見えた。









「ねぇ、刀樹く~ん。このキッチンどうやって使うの~」


「知らん。俺も使った事ねぇからな。飯ならインスタントだけだぞ」


 リビングの隅に積み上げられているインスタント食品を指し示す。刀樹の主食だ。基本は外食だが、家にいるときは大抵これで済ましている。


 学園都市の技術で作られた最新式のキッチンも、刀樹からすれば巨大な鉄屑に過ぎない。湯を沸かす方法すら分からないので軍用のコンロを使っている程なのだ。


 この寮には他にも色々な設備が整っているが、刀樹はそのほとんどを使っていない。


「う~ん、何とか使ってみる」


「好きにしろ……」


「つれないよね……。たまには素直になってよ。私はそんなに頼りないのかな?」


 刀樹がいるリビングからは深雪のいるキッチンは見えなかったが、その声はどこか悲しそうに聞こえた。刀樹には素直になれと言われてもどうすればいいのか 分からない。気が付いたときにはアフリカの戦場に立っていた刀樹に人を信頼せよと言っても難しい話だ。戦場とは撃ち合い、騙しあい……そして殺しあう場所 だ。戦場で人を信頼するということはそれだけ危険性を伴う。そんな場所で長年戦っていた刀樹には無条件で人を信じる事はできなかった。


「信用してるぜ。俺の背中を預けるには、まだまだだがよォ」


「もうっ、真剣に答えてよ」


 好意的な溜息と共にキッチンからそんな言葉が返ってくる。


 いつも通りの言葉の応酬。この位の距離が心身ともに一番よいと心に言い聞かせる。あまり近づきすぎれば、いざという時に判断を違えるかもしれない。そう納得する刀樹だったが、心のどこかでは、深雪に自分の醜い一面を見られたくないと思っているのかもしれない。


 だが、その心の片隅にあった思いは早くも踏みにじられようとしていた。


 庭の方角から気配を感じた。


 その気配は分散して家の周囲を包み込む。一部の気配は屋根にも感じられた。その動きは刀樹が今まで出会った事のある単位のなかでも上位に位置すると感じ るほどに早く、なおかつ静かに動いていた。つい、先程までは気配を感じなかった事を考えると、相手は待ち伏せではなく明らかにこの寮……即ち刀樹を狙って きているのだろう。


 相手は明らかに一つの戦闘単位だ。


 チッ……明らかに戦い慣れしてやがンじゃねぇか。


 刀樹はアフリカの戦場で特殊任務を遂行していたアメリカ帝国のデルタフォースや、欧州国家社会主義連合の武装親衛隊などと交戦する事もあったが、今この寮を囲んでいる戦闘単位もそれに負けないほどだった。


「おい、深雪」


「うん、なに? カレーは飲み物じゃないよ」


 意味分からないので無視して言葉を続ける。


「この辺りに部隊は展開してるのか?」


「兵隊一人いないはずだよ。こんな場所に部隊を展開させても意味ないもん」


 刀樹の希望的観測は深雪に一蹴される。だが、これで外にいるであろう無数の不審者が学園都市の人間であるという可能性は無くなった。学園都市の生徒会長である深雪が、そう言うのであれば間違いもないだろう。


 周囲の不審者を“敵”として刀樹は認識する。


 まず最初に携帯電話を扱いながら、クローゼットに近づく。


 携帯電話に登録されていた番号を適当に見繕い、いくつかに電話を掛けてみる。しかし、全ての相手が、「電波の届かない場所にいます」との答えを返してきた。


 電波妨害ジャミングだ。


 この学園都市で作られた携帯電話が使用できなくなるほどの電波妨害だと考えると、間違いなく軍用の装置を使っているのだろう。自然現象や電波が混乱しているという可能性は極めて低い。きっと今頃は、有線の光ファイバーケーブルも切断されているに違いない。


 救援は呼べない……。


 刀樹にとって一人で戦う事はいつもの事であり決して負けない自信があったが、今日はとてつもない不安材料があった。深雪の事だ。深雪も、教練の成績を見 るかぎり個人の戦闘能力は決して低くはない。だが、深雪は将であって、刀樹のような兵ではない。特殊部隊と正面から銃撃戦を行なうのは不可能。


「カレーできたよ~。今日は激辛だよ」


 深雪は、この寮が特殊部隊並みの統率力を持った部隊に包囲されている事など露知らず、大きな鍋を持ってパタパタと足音を立てながらリビングに入ってくる。


 そんな光景を眺めながら思考を廻らす。


 相手が狙っているのは一体何なんだ? 深雪がここにいるのは生徒会ですら知らないはずだ。敵の野朗が深雪の後を付けていたなら話は別なんだが……。


 有り得ないと頭を掻く。


 刀樹はそれに気付く自信があるし、第一に学園都市の警備を突破して、なおかつ諜報活動を許すほどセキュリティも守備隊も甘くはない。だとするならば、相 手はここに深雪がいる事を知らない可能性が高い。それなら自分が出て行けば相手もそれを追撃するので、深雪が相手に攻撃を受ける事もない。


 狙いは確実に刀樹だ。


 多分に希望的観測ばかりが含まれた予想だったが、深雪を守りながら相手を出来るほど相手の錬度は低くないだろう。


「深雪、実は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 意を決した刀樹が深雪に話しかけようとする。


 と、その時、一発の轟音が鳴り響く。

 

 

 


 

 

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