第九話 世界最強の戦艦
「思ったより数が多いな……」
近くに止まっていた車輌の陰から、行進する陸軍の小隊を眺める。
今まで見てきた陸軍の部隊は、その全てが錬度の低い部隊だった。今、目の前にいる小隊も隊列がバラバラで警戒の仕方も杜撰なもので、これなら学園都市の生徒の方がまだマシだと言えるほどだった。刀樹と深雪を襲った特殊部隊のような精鋭は全くいない。
意外と陸軍も一枚岩じゃねぇのかも知れねェな……
刀樹としては、立ち塞がった敵は片っ端から薙ぎ払うので関係ない、と思っていたが、学園都市側から見れば悪くない話だ。
小隊に見つからないように、その場から離れる。
素早く路地裏に飛び込み、壁に背を向けて拳銃を構える。
「刀樹くん、どうだった? いけそうかな?」
「無理だろうな、あの小隊なら一人でも片付けられるが、あれは多分、威力偵察だ」
「なら、後ろに本隊がいるね。たぶん大隊……ううん、連隊規模だね。どうしようかな」
あまり真剣に悩んでいないような表情と仕草で考える深雪。これでも本人は真剣に考えているのに、それを信じてくれる者は一人もいない。
深雪には今の状況より、今の状況を作り出した人物に思いを馳せていた。
学園都市をこんなことにしてくれた事もあるが、それでも叶うなら話し合いで解決したいと思う。当然、破壊された建造物や兵器などもろもろの賠償金にヤク ザが裸足で逃げ出すような利子を付けた金額を陸軍に払わしてからだが、同じ日本人同士で戦うのは深雪にとっても学園都市にとっても本意ではない。
この戦いが終わった後を見据える。
このまま戦い続ければ、どちらもが疲弊し、国防に大きな空白期間ができるのは避けられない。そうなれば、険悪な仲にあるアメリカ帝国が策謀を廻らせるかもしれない。
しかし、今は生徒会と合流する事が先決だ。
「地下水道を通っていこうよ。あそこなら、敵だっていないと思う」
「ああン、寝言は寝てから言え。狭い敵と場所で出くわしたら蜂の巣だぞ」
刀樹は、深雪の言葉を一蹴する。
それも深雪には予想済みだったので、言葉を続ける。
「大丈夫だよ。敵だって迷子になりたくないから地下水道には入ってこないし、刀樹くんが思っているよりずっと広いんだよ。しかも、学園のデータバンクにすら複雑すぎて載ってないの」
「ほう……で、オマエはその道が分かンのか?」
「もち、分かるよ。だって私は生徒会長だよっ」
えへんと大きな胸を張る深雪。
胸にいきそうなになる目線を何とか逸らしつつ、近くのマンホールを見つめる。
深雪の記憶が曖昧なものであれば、戦闘が終わっても地下水道から抜け出せないかもしれない。何より、刀樹ですら分からない地形で敵と戦うのは避けたい……が、敵と出会う確率はたしかに地下水道のほうが低い。
思案のしどころだな……。
敵との遭遇を避けて深雪の記憶を信じるか、敵の隙間を縫い刀樹の戦闘能力を発揮できるように地上を進むか、の二つだ。
「地上から行くぞ」
即答だった。
いや、つうか深雪の記憶力をあてにするなんて狂ってるとしか言いようがねェしな。
不確実なものはアテにしない。戦場の鉄則だ。
「ひどっ! 刀樹くん酷すぎるよ。私これでも成績は上位なんだよっ!」
そう、意外な……本当に意外な事に、深雪は学園都市の中でも上位の成績を持っている。正確には学園380万中の十三位の成績だ。
「だがら私の言うとおり地下水道に行けば間違いないよ」
「手詰まりかよ……」
「……ひどっ! 刀樹くんはいつも私に厳しいよぅ」
泣き真似をする深雪を無視して、マンホールの蓋を開ける。
無論、周囲の警戒を行ないながらマンホールをずらしていく。その音が敵に聞こえないが心配しながらも人一人が通れる隙間を何とか作り出すことができた。
「まぁ、仕方ねェ……、本当に仕方ねェが、地下水道を通って行くとするか」
「うんっ!」
二人は、地下水道へと潜って行った。
「全く……ガキ共も粘りますな」
一人の皇国陸軍の軍服を着た高級将校が呟く。
周囲には無数のコンソールが並ぶ中、オペレーター達の報告を聞きながら、作戦指揮を執っている将校たちが笑みを浮かべる。将校達にとっては予想外の出来 事の連続だったが、何とか戦線を押し上げる事ができたのだ。学園都市の艦隊や防空部隊の攻撃で航空戦力の半数を失った時は失敗かと思った。
「子供だと侮るな! 東郷元帥の娘が指揮しておるのだぞ、運動戦に持ち込まれたら厄介かも知れん」
大日本皇国連邦陸軍元帥、東郷・篤胤の一人娘……すなわち深雪の事だ。
実際、指揮しているのは深雪ではないのだが、そこまでの情報は回ってきていない。
ここは学園都市近郊に設営された臨時の陸軍基地の司令室。
将兵達の熱気で蒸し暑くなった司令室の中央の席に座っていた薙原・英康大将が立ち上がる。周囲を見回し、新たな司令を出す。
「よいか! 戦車を正面に押し立てて戦線を押し上げるのだ、奴らに態勢を整える暇を与えるな。 家屋の制圧は後でよい、北部の集結地点に乗り込めば我らの勝ちぞ!」
手を振り払い、薙原大将は怒鳴る。
周囲の将校たちは、素早く動き出す。オペレーターに指示を飛ばす者。ディスプレイを確認し、戦況を報告する者。様々な動きを見せる将兵を眺めつつ、薙原大将は、満足げに頷く。
「勝てる……。いや、勝たねばならんぞ。勝たねば陸軍は衰退することになる。これ以上、我々の戦費を削られては敵わん!」
薙原大将の言う事も理解できない訳ではない。陸軍だけでなく全ての国軍が凄まじい速度で軍費を削減されつつある今となっては、政府に不満を抱かない者のほうが少ない。
第二次世界大戦直後に二〇〇万近い兵力を有していた陸軍に限っては、三分の一以下にまで減らされたのだ。海軍は、近代化で艦艇を動かす乗員を減らす事に よって戦力の低下を防ぐ事に成功しているが、兵数がそのまま戦力として計算される陸軍に関しては、戦力の低下を防げなかった。
削減された軍費は、傭兵の育成……すなわち学園都市に注がれた。
それは、国家が軍隊を運営するより安価で済む事や、治安維持活動のために辺境に軍を貼り付けて他国を刺激したくないという思惑もある。他にも無数の思惑も絡み合い、大国と呼ばれる国家は、その全てが軍ではなく傭兵の育成に資金と権力を注いでいる。
当然、各国の軍人はそれを許容しない。
そして、その軋轢が大日本皇国連邦に始めて目に見える形で現れたのだ。
予想外の事はあったものの、現状では誤差の範囲に収まっている。個々にいる将官たちは投入した部隊の半数が全滅する覚悟でこの戦いに望んでいた。前線に投入されている将兵のほとんどが、実戦経験どころか演習すら行った事のない者であることを考えるとやむ終えないことだ。
「本当にこれでよかったのでしょうか? 私には……」
薙原大将の後ろに控えていた中佐の階級を持つ青年が、不安と共に呟く。
つい反射的に口を突いて出た言葉に、はっと我に返る。
「武藤中佐、やらねば陸軍は破滅だよ。君の気持ちも分からんではないがな」
本当にそれだけなのか? と、武藤は薙原大将の後姿を見る。
薙原家は軍産複合体……兵器製造会社とただならぬ繋がりがある。昔から囁かれていた事だが、最近の薙原大将の過激さを見るにその噂を確信していた。
軍産複合体はあらゆる武装組織に兵器を売り、利益を上げている。大日本皇国連邦の軍は他国の軍とは違い独自に兵器開発を行なっているが、それでも大部分の兵器の開発と研究は軍産複合体が担っている。
そして、日本の軍産複合体は今、危機を迎えている。
学園都市の存在があるからだ。
3~40年進んだ技術を持つ学園都市は、大日本皇国連邦の傭兵会社や民間軍事会社などが扱う武器を製造している。それに対して軍産複合体は主に兵器を軍 に納入している。だが、軍は国家の方針によって急速に縮小され、それに伴い市場も小さくなる一方。だが、圧倒的な科学力の元で製造された学園都市製の兵器
を使う傭兵会社や民間軍事会社などに兵器を売り込むのは難しい。現に幾度か兵器の売込みをかけたが、軍産複合体の兵器は見向きもされなかった。
軍産複合体にとって学園都市は邪魔な存在なのだ。
だからこそ薙原大将は学園都市に不満を持つ人間を焚き付けて暴挙に出たのかもしれない。
「閣下は、この戦いに正義があるとお思いでしょうか?」
その問いは軍人であれば誰しも考える事だった。同時に、永遠に分からないであろう命題でもある。国を守る、国民を守るという大義名分があっても、究極的には人を殺す事が仕事の軍にとって正義という言葉ほど虚しいものはない。
「勝てば官軍だ。勝ったものが正義で負けたものが悪なのだ。勝てば後は何とでもなる。歴史は勝者が語り、敗者は勝者を繁栄させる苗床でしかない」
「それはいくらなんでも!」
「黙れっ! 実戦経験のない若造が口を挟むなっ!」
薙原大将は、大音声で一喝する。その怒声にオペレーターたちまでもが手を休め、上官と部下の口論を見守る。
「小官は……」
「貴様は、警備の指揮でも執っていろ」
「了解……しました」
武藤中佐は、感情を表に出さないようにして敬礼すると、司令室を出て行く。
30メートルも下にある甲板を見下ろす。
巨大な砲身が三本も付いた二基の主砲が砲身を限界まで振り上げ天を威嚇している。左右に設置された無数の近接防御火器が多銃身を回転させて機銃弾を吐き出す。
「弾幕薄いぞ! 対空戦闘に使える武器は全て使え!」
長身の少女-----生徒会艦隊司令・山本・五十那が大音声で叫ぶ。
その声を合図に、対空砲火は、一層、熾烈になる。
艦橋から見える高雄型重巡洋艦や、秋月型防空駆逐艦も熾烈な対空戦闘を繰り広げている。ほとんどの艦が旧海軍艦艇だけに見た目は古い感じが否めないが、その分、最近に建造された艦にはない荒々しさが宿っていた。
「数が多すぎるかのぅ」
後ろに控えていた蓮大寺先生が、半ば呆れつつ、溜息を付く。
その言葉に艦橋にた下士官までもが頷く。
「確かに。しかし、先生が早く報告してくれたお陰で、不意打ちを受けずに済みました。感謝します」
艦橋を掠めて海面に激突し爆発する機体を眺めながら感謝の言葉を述べる。
二時間前、五十那がいつも通り後甲板で剣術の修練を前甲板でしていた時、突然、蓮大寺先生が押しとどめる衛兵を投げ飛ばしつつ、ドシドシと歩いてきたの だ。そして、陸軍の航空部隊が接近している事を伝えてくれた。何故、蓮大寺先生がその事を知っていたのかは、手に持った竿と、肩に掛かったクーラーボック
スを見れば直ぐに分かった。おおよそ釣りをしながら無線でも傍受していたのだろう。軍用無線をラジオ替わりに聞くのはいただけないが、今回はそれの御蔭で 助かった。
二人で眼下に広がる蒼海を見渡す。
海面は最大戦速を出して回避運動を取る艦艇のせいで白く激しく泡立ち、無数の航空機の残骸が漂っている。
学園都市の科学力によって改装された艦隊に、一〇〇〇機近い航空部隊も苦戦を強いられていた。クーデター部隊の作戦では生徒会艦隊は奇襲で撃破するつもりだったのだ。アテが外れて現在進行形で大被害を受けている。
しかし、生徒会艦隊も万全の状態ではない。実戦など想定していなかったので、機銃弾も各種ミサイルの所定の4分の1ほどしか搭載していなかった。
「この船は安全なのか? あまり前に出ると集中攻撃を受けかねんしの……」
「ご心配なく。本艦は世界最強の戦艦ですよ」
五十那は、不敵な笑顔で担任教士の顔を見返す。
ここで退く訳には行かない、と五十那は長官席に腰を下ろす。
もし艦隊が全滅したとしても、一機でも多くの航空機を落とす覚悟だ。天を往く禍々しい翼の一つ一つが、その体内に学園都市を破砕し、生徒達を傷つける兵器を持っている。たとえ、その翼を駆る者達が同じ日本人であったとしても見逃すわけにはいかない。
……この船にはそれを可能にする力がある。
戦艦、大和……それが、この船の名だ。
長きに渡り世界最強の座を欲しいままにしていた戦艦だ。
一番艦の大和、及び二番艦の武蔵は、第二次世界大戦の初期から投入されていたが、すでに海軍の主力は空母と航空機に移り変わっていた。そのため、開戦当 初の段階では建造中であった三番艦の信濃と四番艦の薩摩は徹底的な設計の見直しが行なわれ、大和・武蔵で指摘されたいくつかの不具合のいくつかを改善。対
四六サンチ砲防御としては過剰だった装甲帯を削る事で、空母機動部隊の直衛・随伴が可能な速度を獲得した。
一部の将校の間では、「大和ホテル」や「武蔵御殿」と言われていたが、大戦の中盤を過ぎた辺りから、艦隊防空戦術と対空兵装の能力向上によって航空戦力 の対艦攻撃が難易度を増していく中、空母直衛艦として大和型戦艦は、その価値が再び見直される事になる。対空兵装を増設した大和型四隻は、空母機動部隊の
直衛として、もしくは米帝の戦艦部隊と熾烈な砲撃戦を繰り広げ、布哇条約締結時には、大和型四隻その全てが大中破の状態だった。
世界最強という五十那の言葉は決して誇張ではない。確かに砲の口径だけで言えば海軍の紀伊型や播磨型戦艦の方が強力かもしれない。だが、大戦で大きく活 躍したのは大和型だけだ。他の戦艦も勇戦はしたものの、獅子奮迅とは言い難く、実戦でその強さを見せ付けたのは大和型だけである。そして、学園都市による 大改装も受けていたのでその攻撃力は増大していた。
間違いなく大和は世界最強の戦艦だった。
「そうか、それは安心じゃのう。では、艦尾で釣りでもしてくるかのぅ、アイツらのせいでめっきり釣れんかったしの」
「いや、何言ってるんですか、戦闘中ですよ。振り落とされますよ!」
「ほほほっ、心配することはないぞ。伊達に鍛えてはおらんからのぅ」
高笑いと共にエレベータに向かっている担任教士。
「なっ、待ってください! って、無視しないで……誰か、そのアホ教士を止めろ!」
「誰がアホ……って待つんじゃ、群がるな!」
艦橋にいた生徒達と蓮大寺先生との間で激しい攻防戦が始まる。
「深雪、もう限界だ……色んな意味で」
と、五十那は学園都市の方を見た。