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第二話   地対空ミサイルと生徒会長

 



 教室に入るといつも通りの顔触れが待ち構えていた。


 深雪は、むさ苦しい男達と、凛々しい少女達が次々に挨拶をしてくるのを適当に返しつつ、自分の席に着く。一つ一つの動作に品格があり周囲を魅了するその姿にクラスにいる者たちが感嘆の溜息を漏らす。


「すこし疲れたよ~。無能な政治家のせいだよ。刀樹くんもそう思うよね?」


「そりゃ、戦車なんかで登校すりゃ疲れるだろうよ」


 刀樹も横の席に据わると、げっそりとした顔をする。戦車に乗れば登校も楽だと思ったが精神面で非常に疲れる事に気付いた。影虎だけ戦車の砲身に縛り付けて、自分は普通に登校すればよかったと後悔する。


「全く、お前は普通に登校しようとは思わねェのかよ?」


 戦車三輌と対空戦車一輌で登校する学生は、銀河系を探しても深雪一人だろう。こんなのが他にもいたらたまったものじゃない。


「明日からは、普通にパトリオットも連れて来くるもん!」


「普通じゃねェだろ。ICBMでも相手にすン気か? このアホお嬢様が」


 深雪は、その言葉にムッと顔をしかめると肘を付いて顔を逸らす。


「いや、拗ねんなよ。それとパトリオットは持って来んなよ」


「なんでよ~っ? いつ航空機が襲ってきてもいいように戦備を整えておくのは当然の事なんだよ!」


「襲ってこねぇよ! 今は平時なんだよ! お前の頭の中は、常時戦争中かコラ!」


 戦時でも、学生は地対空ミサイル車輌なんか連れてこないだろうが……


「平時とは戦時と戦時の間にあるものなんだよ。平和な時に戦争に備えておかないと戦争になった時、後悔しちゃうんだよ!」


「しねぇから! それに、この学園の中に屋敷を持っている奴が言うセリフじゃねぇだろ」


 そう、深雪はこの学園都市の敷地内に自分の屋敷を持っている。


 学園都市の海岸側に佇んでいる巨大な洋館で、クローゼや他の護衛、メイドと共に住んでいる。あまりにも巨大な洋館なので第二生徒会棟や学園都市軍司令部もそこにある。


「学園内は防空システムが展開してるんだぞ。パトリオットなんかなくても大丈夫だろ」


 そんな学園も十分に変だが……


「でもでも」


「ええい! 言い訳するんじゃねぇ! これからは徒歩で登校するように」


「ぶ~ぶ~」 


 頬を膨らませ不服そうな顔をする深雪。傍目に見ている分には可愛いが、学園に戦車を持ち込むような少女だ。油断はできない。


「黙れ、クソ戦車女」


 聞き分けのない深雪を一蹴して、刀樹は制服のボタンを一つ外す。


 そこで、教室の前のドアが開き、黒い軍服のような服のうえに、さらに黒いロングコートを着た女性が入ってくる。


 このクラスの担任の蓮大寺・紫苑先生だ。


「うむ、皆揃っているようじゃな。関心、関心」


 ジジィ言葉で感心すると紫苑先生は、うむうむ、と頷く。


「私は、早起きが苦手でな」


 いきなり何を言い出すんだ、この教士は。いや、まぁ、いつもこのんな感じなのでクラスの奴は誰一人突っ込まないが……。


「という訳で、だ。今日、私は遅刻してしまったわけじゃ、うむ」


 紫苑先生は、ぐるり、とクラスの皆を見回す。


 そういえば今日に限って紫苑先生が教室に来るのが遅かったな、と刀樹は軍用腕時計を見る。何時もより十五分ほど遅れていた。


「そして、学園長先生に直々に怒られてしまったのじゃ。という事で更に時間が無くなってな……」


 真剣な顔で生徒を見つめる。


「後、十分で始業式が始まる!」


『はあぁぁっ!』


 紫苑先生の爆弾発言に生徒達が驚きの声を上げる。流石にこれは予想していなかった。


 この学園はとにかくデカイ。当然、授業をする為の施設などの距離も長くなるわけで、他の学校のように容易に移動できない。


 要するに、この教室から始業式のある体育館まで、すんごく時間がかかるという事だ。正確にいうと三十分ぐらい掛かる。


 ポカンと口を開けてフリーズ状態の生徒達に紫苑先生が怒鳴る。


「早く、移動を始めるのじゃ! 他の先生共に私が遅刻した事を悟らせてはならんぞ! 特に学年主任じゃ、あの男はネチネチうるさいからのう……。何をしているのじゃ、早く立てっ!」


 紫苑先生は、右腰に吊るされていたホルスターからモーゼルC96を素早く抜くと、前の教卓にガッ、と足を乗せモーゼルC96を振り上げる。


「急ぐのじゃ! 遅れた奴は撃つ!」


 パンッ、と乾いた音が教室に響く。モーゼルC96が火を噴いたのだ。


 もう撃ってるしよ と、溜息を付きつつ、刀樹は冷静に考える。


 この教室から体育館までは、徒歩で二十分。走っても十五分は掛かるな……。


「さぁ、どうすんのかね」


 紫苑先生に銃口を向けられて、慌てて教室から出始めた生徒達を眺めていると、深雪が刀樹の肩をいきなり掴む。


「名軍師さんは何かいい作戦思いついてよ~」


「無ぇ事もないが……」


 ありますよ。ありますとも。


 もうヤケクソですよ。


「なら、早く実行しちゃって! あの不良教士、撃つ気満々だよっ!」


「どうなっても知らねェからな」










「ねぇ刀樹?」


「んん、なんだ? トイレか? それなら廊下に出て……ああ、ウソだこんちくしょう銃口をこっちに向んじゃねぇ!」


 深雪は銃を持っていないし、トイレに行きたいわけではないので、鋭い目線で刀樹を黙らす。


「すまん、調子乗った」


「うむ、よろしい、ゆるします」


 当然のように言い放つと、深雪は腰に手を当てて、もう、仕方ない子ね……、みたいな顔をする。刀樹としては、上から目線で少しムッとしたが、その態度とは裏腹な愛らしい笑顔に何もいえなくなった。


 こんな顔をされちゃ何も言えねぇじゃねェか……。


 時々、本当に時々だが、深雪は自分に見惚れるような笑顔を向けてくれる。


 そして……


「刀樹くん、馬鹿ですかっ!」


 罵詈雑言が飛んでくる。


 まぁまぁ、と再び鋭い目付きに戻った深雪をなだめる刀樹。


「演習場を横切った事をまだ怒ってンのか? 仕方なねぇだろ、ああしなきゃ間に合わなかったんだよ」


 そう、刀樹達は始業式に間に合った。刀樹の奇策が功を奏したのだ。


 しかし、当然まともな策ではなかった。


 即ち、機甲科が砲撃演習中の演習場の隅を横切ったのだ。


 120mm滑腔砲の飛び交う中を二列縦隊で走り抜けたのだ。中には嫌がる生徒もいたが、後ろからMP40短機関銃を構えて追いかけてくる紫苑先生を見るとヤケクソになって走り出した。まぁ、刀樹は、それも計算に入れていたのだが……。


 という事で、始業式に臨んでいるクラスの中で、刀樹のクラスだけ制服が煤けている。表情はそれ以上に煤けているが。


「もう、新しい制服が汚れちゃったよ」


 制服の汚れについて怒っていたのかと、刀樹は溜息を付く。


「オマエのそれ制服なのかよ?」


 と、刀樹は、深雪の制服?を眺め回す。深雪は恥らいつつも、どこかおかしいかしいかな、と首を捻る。


 深雪の軍服は、周囲にいる女子生徒の制服と一線を画している。


 いや、というか似ている所を探すほうが大変だ。


 何せ、皇国陸軍の軍服のような装飾品が付いており、スカートもそれに合わせた色になっており、少し長い。きっとスカートの中に良からぬものを隠し持っているに違いない。そして、極めつけは、肩に付いた大将の位を示す四つ星だ。


 この学園にいるどの先生や教官よりも階級が高いってどうよ?


「私のお気に入りだよ~。平日もこの制服を着ているんだよ」


「何着持ってンだよ、どこの金持ちだ」


 って、巨大軍閥のお嬢様か。海軍閥最大の東郷家は、陸軍閥最大の桜城家と双璧を成している。後者が自ら派閥を解体し、近衛軍だけに影響力を縮小させてたことに対して、東郷家は未だに強大な権勢を維持している。



 ゲームや小説に出てくるお嬢様は、世間知らずであたふたしていて可愛いが、深雪の世間知らずは方向性が違う。戦車に乗って登校するお嬢様なんてそうそういないだろう。


「あっ、学園長の話が始まるよ」


 壇上に一人の中年男性がゆっくりと向かっていた。


 中央に立つと高そうな教卓をバンッ!と叩き、騒がしくしている生徒達を一瞬で黙らせる。教卓を叩いた力強さといい、生徒達を威圧する眼光といい凄まじいものがある。


 田母神・俊彦学園長。


 この近江学園都市の学園長にして現役の皇国空軍大将。中国軍との国境紛争で勇猛果敢さと柔軟な思考を武器に戦い、兵達からも圧倒的支持を持つ名将。一見すると厳格で怖そうに見えるが、意外と親しみやすく、学園の生徒にも人気がある話の分かるオジサンだ。


 まぁ、兵士達からの人気が高かったから左遷されたんだろうな……


「諸君、長い休暇も終わり、再び顔を合わせる事ができて私は非常に嬉しい。中には演習などで学園に来ていない生徒もいるだろうが、その者たちも壮健であると私は信じている」


 と、生徒達を眺め回す学園長。


「と、まぁ、堅い話はここまでしておこう。どうだ、諸君! 休暇は満喫できたか!」


『はいっ!』


 学園長の言葉に生徒達が声を張り上げる。


 それに満足したのが、うむうむ、と満足そうに頷くと、学園長は壇上から降りてゆく。


 短い話だったが、生徒達の心をうまく掴んだ挨拶だった。深雪も、巨大軍閥のお嬢様なら、これくらいの演説ができてもいいと思うのだが。本人に言うと戦車で轢き殺されるので口が裂けても言わないが。


 そんな事を考えている内に、注意事項や連絡事項を言い終わった学年主任が、マイクの前から離れる。いつも通り、もうじき始業式も終わるだろう。


「では、解散! 気をつけて教室に戻るんだぞ!」


 大量の生徒たちで姿は見えないが、学園長の声だけが体育館に響く。生徒達は口々に返事をすると体育館を出始める。


 いや、なんと言うか一瞬だったな。


 刀樹も深雪に手を引かれ、体育館の出口に向かって引きずって行かれる。
 と、そこで生徒達の隙間から学園長の顔が見える。


 それに気付いたのか、学園長は軽くウィンク投げかけてくる。


 かなりキモイ。中年の癖に恥ずかしいと思わねェのかよ、あのオッサンは……。


 刀樹の気持ちも露知らず、学園長は機関銃のような速度でウィンクを連射してくる。そして、それに気付いた秘書が、学園長の耳を引っ張って引きずってゆく。


 いつもの光景だった。アホくさくて溜息が出るが、そんな日常も悪くないと思っている自分がいた。内心、刀樹はそんな自分に驚いていた。


 一年前は、紛争地帯で砂にまみれて戦っていた自分が、このような場所にいることに可笑しさを覚えた。


「何、笑ってるんですか?」


「何でもねぇよ。それより、仕事があるんじゃねぇのか?」


「あっ! そうなの、急いで行かないと……」


 慌てて走り出す深雪。


「まぁ、頑張れや! 俺は屋上で寝てくる」


「待ってよ、不良軍師。俺は無関係です、みたいな顔をして、どこ行こうとしているのっ、逃がさないもんっ」


 深雪は、逃げようとした刀樹の肩をガシッ、と掴む。万力のような力で肩を掴まれた刀樹は戦略的撤退に失敗し、深雪にずるずると引っ張られて行く。


「チッ……どいつもコイツも」













「で、今年度の予算は、また削られる訳だよねぇ?」


 深雪の言葉に会計司令は、難しい顔で頷く。


 ここは、第一生徒会棟。近江学園都市の中枢にして、教官や先生たちより圧倒的な権力を持つ生徒会の仕事場。他の学園の生徒会なら、行事のない時は暇かもしれないが、この学園では学園の運営も生徒会に任されているので常時忙しい。


 そして深雪は、この近江学園生徒会の会長なのだ。


「俺のドリルは予算を削るドリルだ! とか言っていましたしね。弱りました」


 凄いピンポインな使い道のドリルだな……。


 生徒会近衛軍司令の小澤・冬華が、人事のように机に肘を付く。


 生徒達が座っている机には役職と名前の書いたプレートが置かれている。


 だが、明らかにおかしい役職が混ざっている。


 生徒会艦隊司令や、学園都市防衛軍司令、第一生徒会師団長 エトセトラ……。


 服装も体育館にいた生徒達と少し違っている。腕章や部隊章……中には勲章を胸にぶら下げているものもいる。一体、何様のつもりだと言いたくなる。


 ついでに言うと、刀樹は副生徒会長なのだ。


 まぁ、なりたくてなったわけではなく、深雪が信用できるからという理由で無理やり副生徒会長にされたのだ。ちなみに信用というのは、反抗しない、反乱を起こさないという意味で決して、一般で言うところの信用ではない。


「我が第一生徒会師団にお任せ頂ければ、直ぐにでも予算交渉に向かいますが?」


 第一生徒会師団長の栗林・綾乃が机を叩き立ち上がる。何とも勇ましい事だ。


「黙れ、猪女。また首都に機甲部隊で乗り込んで大蔵省に砲弾撃ち込む気だろ!」


「当然ですわ! 大蔵省のヒゲジジィに一発ぶち込んでやらないと気がすみません!」


 気持ちは分からないでもないよっ……、と深雪は答える。


 現在の大蔵大臣は、この学園都市の存在に否定的で、事あるごとに予算を減らそうとする。アニメオタクのくせに、このアニメやライトノベルに出てきそうな学園を認めないのだ。


 このままだと深雪が首都進攻に賛成しかねないので、ハリセンで綾乃の顔面を叩いて黙らせると、やれやれと言わんばかりに中央に進み出ようとする。


 しかし、一人の少女が刀樹を制して進み出る。


「卿らは、生徒会役員としての自覚がないのか! 大体、首都に移動するのにどれだけの経費が掛かると思うのだ!」


 経費の問題ではないだろうと刀樹は内心思った。


 綾乃が率いる師団の人数は、この学園の戦力の中では最大の人数を有しているので、当然移動にも膨大な経費が掛かる。しかも、戦車や装甲車のようなガソリンを大量に消費する車輌で移動するのだ。


「首都に走っている車から抜き取ればいいではないか」


「卿は略奪をする気かっ!」


 長身の少女-----生徒会艦隊司令・山本・五十那が腰に吊るしていたサーベルを抜き放ち、裂帛の気合と共に綾乃に飛び掛る。


 ――そもそも市販のガソリンでディーゼル機関の戦車が動くのかよ。


 しまった、この女もだった、と思いつつ、五十那のサーベルをハリセンで受け流す。


「オマエも落ち着け」


 ついでに五十那の頭をハリセンで叩いて席まで押し戻す。


 よく考えてみれば、移動の燃料代以前に大蔵省に戦車で乗り込む事のほうが問題だろう。


『一体、あのハリセンは何で作られているんだ……』


 この生徒会棟にいる役員全員の、心の声が重なった。


 近江学園生徒会の七不思議の一つに、刀樹のハリセンは何で作られているか? という謎が入っている程だ。しかも、その謎は尾ひれ背びれが付き今では、かのトリスメギストスが作ったとか、オリハルコンで出来ているとか、なんて噂も出てきているのだ。


「必要経費は前年度と同じでいいです。他は、会計司令の裁量に任せる事にして…… あっ、それと軍事費の削減は認めません。足りないのなら、教士たちの給料から引いていいよ」


 教士たちが聞いたらストライキを起こしそうな事をさらりと言ってしまう深雪。


 もし、そうなっても深雪なら武力で鎮圧するだろうが。


 そんな事になったらどうするべきか? 当然、止めずに静観する。暴走した深雪を止められるものはこの学園にはいないのだ。


 そんな事を考えながら、周りを見回す。


 深雪の提案には皆、賛成しているので、無言で手を上げる。賛成というよりは余計な事を言って面倒事に巻き込まれるのが嫌なのだが。


「じゃあ、全員賛成ということで、解散!」


 神速で、開いている窓に向かうと、そこから飛び降りる。










 芝生の地面に降り立つと、襟を緩めて堂々と歩き出す。今、三階から飛び降りてきたとは、とても思えないほど優雅に、である。


「脱出成功だな。深雪に捕まると何をやらされるか分かんねェからな」


 深雪に連れ回されると、ランジェリーショップやらファンシーな店に引きずり込まれるので要注意だ。顔に似合わずというとおかしいので、性格に似合わずと言うが、深雪は女の子らしい物を集めるという趣味を持っているのだ。意外だ。真にもって意外だ。


 そして、刀樹は、これはどうかしら? とか言われてアレな下着を見せられて喜ぶような男ではない。いや、嫌という事はないが、女しかいない店で長時間さらし者にされるのは、精神的によろしくない。それは、影虎の仕事だ。


「あんな所に行く位なら、弾雨の中を走り抜ける方がマシだ」


 うむうむ、と一人で頷く。


 正直に言うと刀樹も深雪という少女を計りかねていた。


 凛々しく、鋭い思考を持った冷徹な少女だと思えば、人を困らせて楽しむような年頃の少女のような一面を見せることもある。


 万華鏡のように変わってゆく深雪の態度に困惑することもあったが、ふと気が付けば刀樹はそんな少女から目が離せなくなっていた。


 恋だな。


「いやいや、違うから」


 そんな事ないぞ、絶対に恋だ。


「ないから、絶対ないから」


 え~、ホントかねぇ~?


「本当だッ! って、オマエは何してンだよ!」


 すかさず振り返り、ハリセンで素早く薙ぎ払う。しかし、手ごたえはなかった。


「まぁまぁ、落ち着きたまえ「性」少年よ」


 そこには予想通りの人物が立っていた。


「トッシー」


「そのあだ名はやめてくれんか? 一応、学園長だし。ダンディ中年として新人の女教士に色々と調教……教える立場としては大変によろしくない」


 ずいぶんと欲望に塗れた教育者だなと、少し距離を取る。


「うわぁ、なんかその反応、地味に傷つくねぇ」


「あ~ハイハイ、では学園長先生、一生徒に何か用でしょうかねェ?」


 慇懃無礼に学園長の方を向く。


 それに気分を害した様子もなく、学園長は煙草を取り出して火を付けようとする。この学園は大学院までが集結しているので、生徒が煙草を吸っていても可笑 しくはないのだが、目の前にいるのは学園長なのだ。生徒の見本になるように禁煙しようとか思わないのだろうか? しかも、目の前に高校生がいるのに喫煙す るのはいいのだろうか?


 そんな事を考えている刀樹を尻目に、学園長は高そうなライターをカチカチと連打している。どうやらオイルが切れているようだ。生徒の前なんだから落ち着いたら、あっ、投げた……。


 綺麗な放物線を描いて森の奥に消えていったライターを、飛んでいったゴルフボールを見つめるように確認するとポケットをまさぐり始める。


「教育者がポイ捨てするのはいいのかよ?」


 と、文句を言いつつ、自分のライターで火を付けてやる。学園長は顔ごと煙草を火に近づける。刑事ドラマみたいな光景だ。


 なんか悲しくなってきた。


 何が悲しくて、中年と刑事の張り込みみたいな光景を再現しなけりゃならんのだ。俺の人生設計どこで間違ったンだこんちくしょ~。


「なんで未成年がライターをもっとるんだ、けしからん」


 そう言いながら、刀樹の手から取り上げたライターを自分のポケットにしまう校長先生。絶対、自分で使う気だよ、このオッサン。


「導火線に火ィ付けるためだよ」


「学園でも吹き飛ばすつもりか」


 必要ならな と、肩をすくめると、学園長は、相変わらずだねぇ と答える。


 二人とも、付き合いが長いので敬語を使う事はない。刀樹も使う気はないし、学園長も使われると嫌がるのだ。


 しばらく無言が続く。周囲には煙草の紫煙がゆっくりとなびいている。


「深雪君はどうかね?」


 学園長が切り出す。


「あいも変わらず、だな。まぁ、何も起きなくても、そろそろ深雪が何か起こすだろうよ」


 最近は静かにしているが、あの《歩く国際問題》の異名を持つ少女がこのまま静かにしている事はあり得ない。今の平穏だって、刀樹の不断の努力の賜物だ。そして、確実に目を離すと必ずと言っていいほど何かを企む。


「そっちじゃない刀樹。身の回りだ」


「何もねぇよ、クソつまんねぇ毎日だ。ただ」


 刀樹は生徒会棟のある方角を向く。


「ただ、なんだ?」


 学園長が先を促す。


「何か普通とは違う悪意みてぇなものを感じる、気に入らねぇ」


「あのドイツ人の護衛の事かね? お前は随分嫌われているようだしな」


「違げぇよ。あんな鋭い悪意じゃねぇ」


 そう、軍人や傭兵のような洗礼された悪意ではなかった。もっと不特定な……周囲の全てから発しているような悪意。まるで自分が水中にいるような圧迫感を受けるが、それほど強くはない……。


 それを学園長に話すと、わけ分からん、と一蹴された。


「それでも教育者かよ?」


「子供とは放っておいても勝手に成長するものでなぁ、大人は背中で語るだけでいいんだよ」


 すごく偏った教育方法だ。こんな人間に子供達を教育させたら、この国の未来は真っ暗だ。


「最近は平和だから仕事が楽だね。でも、警戒は怠っちゃいかんぞ」


「当然だ。俺はそのためにこんな平和ボケした学園にいるんだからよ。契約分は働いてやる」


 刀樹は、この学園に来る前はアフリカの大地にいた。そこで傭兵として戦っていたのだ。いつ終わるとも知れない内戦。その火種はアフリカの各地に飛び火して、いたるところで戦争になった。当然、戦いが長引くと戦闘で男は死に、それを補うため女子供老人までが借り出される。


 それを見かねた各国政府が合同で軍を派遣し、鎮圧を始めたのだ。


 そこで二人は出会ったのだ。


 そして紆余曲折を経て現在に至る。


「まぁ、一応警戒はしといてくれ」


「ああ、分かった」


 学園長は陸軍式の敬礼をすると去っていった。




 

 

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