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第八話    動乱、来たりて

 

 


 深雪は、枠ごと蹴り破られた窓から顔を出し、刀樹の戦いを見ていた。


 その戦い方は、異常なほどに洗礼されていた。今まで深雪が学んできた如何なる軍用格闘技や技術にも属さない……なおかつ欧州国家連合やアメリカ帝国のとも異なる戦い方だった。


 深雪が顔を覗かせた頃には、対物狙撃銃ごと敵を斬り倒した瞬間だった。


 刀樹は警戒を解かない。


 スモークグレーネードによってできた白い霧は晴れつつあった。


 日本刀を柄の部分が顔の右に来るように構えるのが見える。正眼の構えだ。深雪には分からなかったが、刀樹には敵の存在が分かるのだろう。


 深雪にも分かるほど足音が聞こえる。一人ではない無数の足音だ。


 立っていた場所から刀樹が消える。


「えっ?……」


 その直後、霧の中から無数の悲鳴が上がる。


 刀樹のものではない。


 銃声はしない。敵は、味方への誤射を恐れているのだろう。


 悲鳴、怒声、金切り声……白い霧が風に流され急速に視界が良くなっていく。


 やがて深雪の目にも刀樹と敵の姿が見え始める。


 敵は分隊規模(十人)くらいに見えた。しかし、その半数が既に地面に血飛沫を上げて崩れ落ちていた。夜なのでよく分からないが、中には胴体を横に一刀両断された敵もいる。例え学園都市製の日本刀を使っても、そう簡単にはできない芸当だ。


「ッアハハハハハハァッ!」


 聞きなれた声で笑い声が聞こえる。刀樹の声だ。


 敵の中央で血飛沫を巻き上げながら刀樹は戦っていた。


 日本刀が月の光を反射し煌くたびに敵の悲鳴が量産される。


 ……蛮勇ほど始末に終えないものはない。


 そんな事を言って刀樹が悲しそうに遠い目をしたことがあった。その目はきっとアフリカの地を見ていたのだろう。


 確かに今の刀樹の戦い方は勇気とは程遠いものだった。


 手を切り飛ばされ泣き叫んでいる者の頚動脈を斬り、返す刀で戦意を失って逃げる者の背を袈裟懸けに斬る。刀身が届かない者には、懐から素早く抜き放った 拳銃で頭部を撃ち抜く。その攻撃の全てが確実に敵の生命を強制終了させる力を持っている。刃も銃弾も一刀、一発たりとも外さないその戦い方は人間とは思え ないほどで、学生服を朱に染めたそのの姿は深雪の心を不安にさせた。


 まさに狂気としか言いようがない。


 深雪には、刀樹が二度と学園都市……自分の元に戻ってこないのではないかと思えた。その身体はここにあっても心はアフリカに置き忘れてきたのかもしれない。早くその事に気付いておくべきだったと煙幕と涙に霞む視線を刀樹に向ける。


 戦いは終わりつつあった。


 そして、最後の敵兵が刃を心臓に貫かれ悲鳴を上げる間もなく倒れる。


「悪くねェな……」


 そう一言呟いた刀樹が、刀の血を払い、鞘に収める。


 その顔には卑しい笑みが刻まれていた。


 深雪には、その後ろ姿が途方もないものを背負っているように感じられた。その姿は途轍もない暴力と悲劇によって形成されている……まさに阿修羅の如くで あった。その背に何を背負っているのか深雪には分からなかった。だが、たった一つわかる事がある。阿修羅は最終的に、その凄まじい戦い方によって天帝に恐 れられ天雷を落とされて死んでしまうのだ。


 そんな事はさせないもん……。


 一人そう誓う深雪。


 刀樹がいつも通りの不機嫌な顔で深雪の下に戻ってくる。日本刀は鞘に納められているが、拳銃は手に持ったまま周囲を警戒している。


「刀樹くん……」


「見てたのか? すまんな……俺はオマエが望む英雄にはなれねぇみたいだ」


 刀樹は、枠しかなくなった窓に座っている深雪に手を差し出す。


 パシッ!


 深雪は反射的にその手を弾いてしまう。


 何故そんな事をしたのか分からなかった。ただ、頭では事を心配していても、身体は刀樹が発している血の臭いを本能的におぞましいものと感じ取ったのかもしれない。混乱する深雪に刀樹は珍しく優しげな顔で言う。


「それでいいンだよ。オマエは」


 そう言って、深雪の頭を優しく撫でる。


 違うの! 私は……そんなんじゃ……。


 深雪の言葉は声にはならなかった。その理由すら分からない……いや、恐れているのかもしれない。それが身体や頭という問題ではなく本能が恐れているのだ。その理由を理解するのは、実戦経験のない深雪には難しい事なのかもしれない。


「生徒会長……行くぞ。敵は陸軍の特殊部隊だ。たぶん近畿圏で演習中の陸軍部隊は全て敵だ。完全に不意をつかれたンだよ」


 陸軍では学園都市の軍には勝てないという真実……そして油断こそが陸軍に付け入る隙を与えた。演習中でもない学園都市の生徒は、守備隊でもない限り武装をしていない。軍事教練を受けているとはいえ、徒手空拳で自動小銃や戦車を相手にして勝つのは不可能だ。


「そんな……」


 深雪は、刀樹が昔に言った言葉を思い出した。


 新兵器や圧倒的な兵器であっても、将の策略や兵の蛮勇がソイツを打ち砕く事もあるンだよ……と。


 この油断は生徒のもではない。生徒会長である深雪のものだ。少なくとも深雪の油断が生徒に伝染した事は確かだ。圧倒的な戦力を保有しているとはいえ機械には変わりない。人間のように柔軟性のない主要な自動迎撃システムは、陸軍の破壊工作で停止しているのだろう。


「もしかして内側から攻撃されたのかな……」


「この学園の防衛システムをそう簡単に潜り抜ける奴がいるわけねェよ……と言いてぇが、そうとも言えねぇな」


「そうなの? でも学園都市の外周部は万里の長城があるんだよ? 哨戒機も飛んでるし、防空レーダー部隊だって展開させてるんだよ! あれ凄く高かったんだよ!」


 確かに学園都市の外周部には、物理的に侵入者を阻む強固な防護壁や、高空から侵入者の接近を知らせる早期警戒機などがあり、並みの軍事施設以上に警備が厳しい。当然、警備だけでなく強力な武装をした侵入者には、電磁加速砲レールガンを装備した無人戦車部隊や、ターボエンジンを搭載した無人戦闘ヘリ部隊が対処する。それらは学園都市製の兵器で、外の世界の兵器より3~40年は進んでいる。


 普通であれば、侵入などできない。


 刀樹は考える。


 じゃあ、普通じゃない方法ならどうだ?


 俺がリーゼとミサイル艇に乗った河なんて絶好の侵入路じゃねェか……。


 河なら防護壁もないしレーダーも効かないので警備も薄いはずだ。学園側もそれを理解していて、戦奈が使っていたようなミサイル艇を警備に回しているのだが、それでも手薄に変わりはない。


 酸素ボンベを背負って河底を歩いていけば、容易に侵入することができるだろう。刀樹自身もアフリカで対岸の敵を少数で奇襲する際に同じ手を使った事を思い出した。まぁ、その時は、酸素ボンベなんて上等なものはなかったので、空洞の木の枝を使って呼吸をしていたが……。


「クソかっ! こんな簡単な手を見逃すとはよォ……。俺も甘ちゃんになったな。戦場から離れすぎたか、クソ……」


「大丈夫だよ。刀樹くんは私の英雄だよっ!」


「英雄か……」


 頭をかきむしりイライラとする刀樹を見て、深雪は表情をふっと和らげる。


 刀樹くんには、この表情が一番似合ってるよ。戦場であんな顔してるより……。


 先程の戦闘時の刀樹が見せた表情を思い出す。


「っ!」


 身体が思わす身震いする。


「ん、どうした? 生徒会に戻るぞ」


 刀樹は、外で暴れた裸足のままで部屋に上がり、クローゼットの武器を漁っている。


 そして、タクティカルベストを着込み、拳銃やマガジンを差し込んでゆく。最後に学園都市製の紋章の付いた銃身の太いライフル銃を背に下げて、立ち上がる。部屋の中なのにコンバットブーツも履いて殺る気満々だ。


 窓から飛び出した刀樹が、ゆっくりと振り返る。


「行くぞ、生徒会長殿」


 不機嫌な顔をしたまま呟く刀樹。


 深雪は黙って手を差し出す。


 その動作に思わず、刀樹はキョトンとするが、不機嫌な顔のまま、深雪の手を掴み引っ張り上げてくれる。


 二人は、学園都市中心部に向かって歩き出した。










「何という事だ。こんな時に深雪と離れるなんてツイてないな」


 深雪の護衛であるはずのクローディア・フォン・ヴィッテンブルグが、大日本皇国連邦陸軍の軍服を着た兵を路地裏からに静かに眺めつつ、苦い表情をする。


 本来、護衛役であるはずのクローディアが、警護対象であるはずの深雪と離れ離れになっているのには大きな理由がある。


 刀樹だ。


 深雪が、刀樹の寮にお泊りするよっ! と言って飛び出したのだ。もちろんクローディアも間違いを阻止するため(性的な意味で)付いて行くつもりだったが、深雪の不意打ちを受けて、気がつけばマイ戦車こと九〇式戦車の砲身に括り付けられていたのだ。


「深雪め……。ここまでするか普通」


 H&K G36に三十連マガジンを装着する。マガジンの両側面には、さらに一つずつマガジンがついている。キャリングハンドルにはスコープも一体化しており、銃口につけたサイレンサーと共に狙撃を可能にしていた。


 周囲を見渡す。


 消火装置のおかげで火災こそ起きていないものの、周囲には榴弾によって付けられた深い穴が無数に開いている。


「錬度は低いが、数は多いな。守備隊は何をしてるんだ。けしからん」


 そうは口に出してみたものの、飛び交っている怒号や悲鳴、銃声や砲声などを聞く限り守備隊が劣勢であるという事は間違いない。深雪を探す事に手を貸してくれそうな者は近くにいそうにない。


 空を見上げる限り、戦闘機や爆撃機は飛んでいない。制空権は握られていないようなので、今すぐに占領されてしまうということはないだろうが、時間が経つ につれて不利になっていくことは避けようもない。陸軍の航空部隊も学園都市製の地対空ミサイルのカモにはなりたくないだろうが、防空司令部を占領し無人対 空迎撃システムを停止すれば進出してくるだろう。


 だが悲観的なことばかりではない。


 制空権を握られていないということは、それに隣接している生徒会棟も占領されていないという事になる。この学園都市の実質的な指導者でもある深雪も今頃は確実に襲われているだろうが、深雪には刀樹がついている。


「あの若造が深雪を守りきれれば必ず生徒会に合流するはずだ。なら……」


 自分は深雪の居場所を守らねばならない。


 クローディアは深雪の護衛だ。護衛ならば命に代えても警護対象を守らねばならない。護衛を仕事とするならそれでもいいだろう。だが、クローディアは違う。警護対象が深雪だから護衛になったのだ。そして、深雪は忘れているだろうが幼い頃……深雪の母が死んだ日に約束した。


 あなたの全てをお守りいたします、と……


 深雪本人だけでなく、将来や夢、希望、笑顔、愛した者、近しいもの……深雪に関るありとあらゆる全てを守って見せると心に決めたのだ。その後、すぐに本国から帰還命令が下り、ドイツに帰らなくてはならなくなったが、約束を守るために軍人を辞めて日本に戻ってきた。


「今こそ忠義を果たす時か……」


 クローディアは、路地の横を通り過ぎようとした兵士の首を絞め裏に引きずり込む。


「なめるなよ……若造」


 刀樹の寮があるであろう方角を見上げ闘志を燃やす。









「早くシステムの復旧を急ぎなさい! 無人爆撃機さえ投入できれば勝てるわ」


 第一生徒会師団長の栗林・綾乃が、戦域情報が表示されているディスプレイから目を離し、役員達を励ます。


 頷く役員たちを眺めながらも、綾乃の頭脳は冷静に戦況を見極める。


 勝てない……。どう、足掻いても、勝てない……。


 つい先ほど、無人航空機の制御施設が破壊された。これで学園都市自慢の無人航空艦隊は使えない。予備の施設にシステムの立ち上げを命令していたが、それ もいつになるかわからない。他の無人化された兵器群もほとんどが使用不能になっていた。こうなると人間の意思が介在しない兵器の何と脆いことか。


 自動防衛システムが停止した時に陸軍の攻撃だと素早く判断した綾乃は、生学園地区や商業地区、居住地区にいる生徒や教士などの全てに避難勧告を出した。 無論、ただ逃がすだけでなく、部隊を編成させるためである。皆、傭兵の卵なので、戦闘能力だって低くはない。学園都市製の武器を使用すれば陸軍の兵士と だって互角に戦えるはずだ。そうなれば、総数320万の学園都市は侵攻してきた陸軍など一蹴できる。


 陸軍だってそれは理解している。


 その証拠に、陸軍の部隊は速度を重視した電撃戦ができるように、機動力のある機甲師団が主力となっている。


「こ、困りました……。このままだと陸軍の前衛部隊が若狭地区に後退中の生徒の一部に接触しますよ!」


 生徒たちに集結を命じている若狭地区に、今乗り込まれるのは非常にマズイ。


 最悪の場合、編成中のところを強襲され、一瞬で瓦解、壊乱してしまう。いきなりの実戦で戦意の低下している者が多いこの状態でそうなってしまえば、勝ち目はなくなる。そして、その場合は死傷者の数も膨大なものになるだろう。


 そう……死傷者だ。


 綾乃は机の上に乗った自分の手を見下ろす。


 震えていた。


 ディスプレイが綾乃の席を取り囲んでいるおかげで、役員たちには見えないが実質、全軍の指揮をしている生徒会棟にいる自分がこれでは……と、両手をコンソールに叩きつける。


「まだ生徒会長の行方は分からないの!」


 生徒会近衛軍司令の小澤・冬華がおどおどと答える。


「ま、まだですよ……。たぶん副会長と一緒にいるんだと思います。でも電波妨害でGPSの反応が追えないんです……。でも、捜索に兵を裂く余裕は……」


 守備隊は、この学園出身の傭兵や先生、戦闘に耐え得ると判断された生徒で構成されている。そう簡単に敗走する事はない。しかし、基本は侵入したスパイや不良学生を相手にしている為に分散配置されているので、圧倒的な部隊戦力で各個撃破されている状況だ。


「少しずつ後退してるわね……」


 守備隊に集結を命じつつ、それでもいい、と綾乃は思った。


 完全に市街地を明け渡す事になっても、生徒会棟さえ無事ならば編成の終わった学生連合軍の数に任せて押しつぶしてしまえる。


「何とかなりそう……」


 だが、冬華の安心が一瞬にして打ち砕かれる。


《敵航空戦力多数……北方より飛来! 総数……一〇〇……いえ、二〇〇!》


《厚木方面からも一〇〇! 大型機を多数含んでいます!》


《戦闘ヘリと思われる飛行集団が学園都市南部外周を突破!》


《台南方面より侵攻する機影……総数、四〇〇!》


《満州方面より……二〇〇……いえ、三〇〇機来ます!》


 無数の報告が上がる。


 そのどれもが恐れていた航空部隊の襲来を告げていた。


 戦闘ヘリを除外したとしても一〇〇〇機の航空戦力だ。しかも一部は大型機を含んでいるとの報告も上がっている。重爆撃機に違いない。最悪、爆撃だけでなく空挺部隊の投入も有り得る。


 それは他国の陸軍では有り得ないほどの航空戦力だ。


 他国の陸軍がそれほどの航空戦力を持っている事はない。航空戦力の大半は空軍が保有しているからだ。だが、大日本皇国連邦は航空戦力を陸上戦力と海上戦力の支援として運用しており、空軍がないので陸軍も海軍も他国では有り得ないほどの航空戦力を有している。


「まずいわね……。無人戦闘機部隊を展開させられないの! 教導航空部隊は戦闘配置に付かせて! 防空ミサイルも対空車輌も全て使いなさい、総力戦用意!」


 綾乃はコンソールを叩き、役員達を睨む。


 呆然としていた役員たちは、綾乃の凄まじい戦意を感じて思わず怯んでしまうが、改めて闘志を掻き立てると素早く自分の成すべき事を始める。


 負けるわね……


 綾乃の冷静な部分が、そう伝えていた。


 無人戦車などの無人陸上戦力と無人航空機の制御システムをハッキングされたのは失態だった。気付いた者が、かろうじて防空部隊と無人艦隊の制御と生徒会 棟の指揮システムを守ったが、それ以外はかなりの部分が乗っ取られた。さすがに陸軍でも学園都市製の無人兵器を制御する事はできないので、無人兵器が牙を 剥く事はないだろうが、時間が経てば、それもどうなるか分からない。


「深雪……」


 自然と深雪の名が、口から出る。


 深雪は、普段はおっとりしていて、本気になるのは刀樹がらみの時だけだが、それでもいざという時は、おっとりした笑顔のまま何とかしてくれるのではないかと思わせる何かがある。


「だめかもしれないです……」


「冬華……指揮官が弱気でどうするのよ、しゃきっとしなさい!」


 本当はあなたの役目でしょうに、と綾乃は窓の外……北の方角を見下ろした。


 

 


 

 

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