第六話 其々の立場
「とんでもない事になったわね」
むぅ と複雑な表情で溜息を付く深雪。
刀樹と深雪は、二人で準備の状況を確認するため、学園の各所を練り歩いていた。
深雪から言い出した事ではあるが、刀樹も確認したい事があったので付いてきたのだ。
実際は、刀樹と二人きりになりたい深雪が、生徒会長の仕事をその時生徒会棟で仕事をしていた可哀想な役員に押し付けて、刀樹を連れ出したのだ。
「元々はお前が文化祭をしようと言うからだろうが」
そう、深雪が何も言わなければ文化祭をする事もなく、平凡な学園生活を満喫できていたのだ。深雪の一言で、今この学園はてんやわんやの騒ぎになっているのだが、本人にその自覚は全くといっていいほどない。
「皆、いい顔してるじゃない。苦労の末、文化祭を認可させて甲斐があったわ」
実際、苦労しているのは、今混乱の極みに達しているであろう生徒会棟で書類の山に埋もれているだろう生徒会役員たちだ。中には寝てないものすらいるのだ。
自分の強権一つで生徒会役員の全てを黙らし、稟議書を教士陣に無理やり押し通したその手腕は恐るべきものだ。なにせ刀樹が気付いた時には、すべて終わっていたのだ。
独逸人もビックリの電撃作戦だった。
「まぁ、この学園の生徒はお祭り騒ぎとなるとムダにやる気を出すからな……」
戦場で戦う人間を育成する機関の生徒だけあって行動が早い。しかし、それを差し引いたとしても生徒達の行動の速さは異常だった。
刀樹は、準備の進捗状況の書き込まれた書類をパラパラと眺める。
全ての作業が予定以上に進んでいる。
中には予定の三倍以上の速さで進んでいる場所もある。
要は、お祭り好きの連中ばかりなのだ。
逆に考えると全学園生徒が深雪と似た性格の持ち主という事にならなくもない。もしかすると学校の生徒は生徒会長に似るのかもしれない。恐ろしい事だ。
「あっ、刀樹くん! クレープのい屋台があるわよ。食べ……調査するよ!」
「あ~ハイハイ、調査だな調査」
食べたいなら食べたいと言えばいいのに とは思うが素直に言えないのが深雪だ。
そういう所、嫌いじゃないんだがな……
「なにしてるの~、早くしなさ~い」
気が付くと、深雪はクレープ屋の屋台でブンブン手を振っている。
「仕方ねぇな。まったく……」
ゆっくりと深雪の元まで歩いてゆく。
目の前には、巨大な看板を掲げたクレープ屋が鎮座している。深雪の文化祭の予行演習をする! という原子爆弾発言をしてから一日しか経っていないのだが、もうここまで作業が進んでいるのだ。
「おいオマエ、徹夜で作業していたのか?」
一応、副生徒会長として、そのあたりの事を確認する。
もし、禁止されているはずの徹夜で作業をしていたのなら、それ相応のペナルティを与えなければならない。本来は、憲兵科の生徒か治安維持連隊の仕事なのだが、不本意な権力によって今の位置に付かされたとはいえ、副会長として見過ごす事はできない。
だが、クレープ屋で作業をしていた生徒からは驚きの答えが返ってくる。
「徹夜なんかしてませんよ。屋台は去年使っていたらしいものを支給してもらったんです。ほかのクラスも大体はそうらしいですよ」
「そ、そうなのか。それならいい」
なんという手際の良さだ。去年の屋台を保管しておいたところといい、深雪の原子爆弾発言の当日には、もう配給を行っていたとは。
「驚異的だ……」
この学園はとにかく何もかもがデカい。大は小を兼ねるということわざもあるとおり、学園が大きい事で一般生徒が困る事はほとんどない。
だが、管理している生徒にとっては色々と苦労する事がある。
その一つで、最も苦労する事の一つに事務作業がある。
普通の学校と違い、あらゆる物資(武器・弾薬も)の配給や学園内整備(道路・鉄道敷設)なども生徒が行わねばならないこの学園では無数の種類の事務作業が飛び交うのだ。
そして、無数にある事務を処理しているのが統合事務本部だ。
その統合事務本部を指揮しているのが、エドウィン・キルアイゼンという学生だ。
統合事務本部長という、長ったらしい肩書きを持つキルアイゼンは、ドイツ第三帝国の人間だ。しかし、れっきとした日本国籍を持っている。
第二次世界大戦中、まだこの国が大日本帝国と名乗っていた頃に、陸軍国ロシアとの戦争があった。しかし、大日本帝国は現在と違い、海洋国家で海軍戦力は 世界第三位の大艦隊を持っていたが、陸軍は列強の基準から見ても弱小であった。特に機動戦を行うための機甲戦力(戦車・装甲車・輸送車など)が圧倒的に不 足していた。
それを危惧した陸軍は戦車開発や戦力の強化のためドイツに支援を要請した。ドイツも日本陸軍が精強になれば東部戦線での負担が軽減されるので喜んで協力を申し出た。
当然、兵器だけでなく優秀な将兵がいないと強力な兵器も宝の持ち腐れだという事で、ドイツからら1941~45年にかけて、エーリッヒ・フォン・マン シュタイン ハッソー・フォン・マイントイフェル エヴァルト・フォン・クライスト エーベルハルト・フォン・マッケンゼン フリッツ・バイエルラインな
どの名将が派遣されてきた。総統であるアドルフ・ヒトラーが持て余した人材や逆らう将校を厄介払いする目的もあったらしいが真偽のほどは定かではない。
最終的にドイツから派遣された将兵は5万人に達した。当然、その将兵の家族も含めると3倍、4倍の数になる。
その中で、戦後も日本に残った将兵の子孫の一人が、エドウィン・キルヒアイゼンだ。
「流石ね、エド君は。分かっているじゃない」
「さすがキルヒアイゼン先輩。事務の天才だな……」
二人が、一つ先輩であるキルヒアイゼンの仕事ぶりを評価する。
と、そこで後ろから声を掛けられる。
「そんな事を言っている暇があったら、物資の輸送でも手伝ってもらいたいね」
「あっ、エド君! いい仕事してるね、勲章だよ勲章」
「ふん、勲章なぞいらんから、統合事務本部の人員を倍にしてくれ」
歩く国際問題とまで言われる深雪に堂々と意見するキルヒアイゼン。近くで見ていた生徒が、三人から急速に距離を取る。深雪のカミナリを恐れての行動だろう。
なにせポケットから核ミサイルの発射ボタンが出てきてもおかしくないような女なんだから。青い猫型ロボットみたいにポケットから最終兵器でも出されたらたまったもんじゃない。
しかし、今回に限っては安全だ。
「そうだね……。生徒会棟の守備隊からなら何とか回せるよ」
深雪は、真剣に悩みながら言葉を紡ぐ。
(ええええ~~~っ)
周囲から驚きの声が聞こえてきた気がした。
いや、まぁ……誰でも驚きますよねぇ?
無論、キルヒアイゼンが先輩だからではない。我等が生徒会長様は、自分が認めた相手にはマトモに接するのだ。本人に聞かれると殺されかねないので口には出さないが。
という事は、俺は認められていない?
ガビョーン……なんて事は思わないが、ちょっと悲しい。
せめて生徒会役員の中に、深雪に認められているものがいないのがせめてもの救いだった。いや、それはそれで困るんですけど……。
「キルヒアイゼン先輩、今はどこも人員が不足しているんですから……」
「統合事務本部が止まれば、一日後にはこの学校の全てが止まりかねんぞ? 大体、人員が足らんのは生徒会の人員の振り分けが甘いからだ、俺はしらんぞ」
全くもって正論なだけに反論のしようがない。
思っている事が顔に出たのか、キルヒアイゼンが言葉を続ける。
「まぁ、この猪娘の妄言に振り回された生徒会にも酷だと思うが……。むしろ一日で教士陣に根回しした実力は凄まじいな。きっと、それも脅された結果だろうが……」
と、いつの間にか強奪したクレープを頬張っている深雪を見る。
凄い……。そこまでわかるのか……。事務屋恐るべし!
「ん? なに? 刀樹も食べたいの? 遠慮しないでいいよ」
グリグリと刀樹の口にクレープを押し込む。
「きゃっ! 間接キスね……。べ、別に嬉しいわけじゃないわよ!」
え~、イマノガデスカ……。しかも、刀樹が一方的にされただけで、深雪はよく考えてみると間接キスをしていない。よって、刀樹は間接キスをいきなり押し付けられた形になる。
「自分はしてないのに、テンション上げやがって……」
「はっはっは、お前さんらは見ていて飽きんな。まぁ、刀樹は大変だろうが……」
押し付けられたクレープを咀嚼しつつ、うんうん と頷く。
「刀樹のファーストキスを奪っちゃった……、ど、ど、どうしよう! そうだね……、刀樹のファーストキス記念日という事で今日を祝日にするよ!」
文部科学大臣泣くから! 教育庁に学校の時間割を変えさす気かよ!
手を震わせながら、何処かに電話していた深雪の携帯電話を没収し、自分の胸ポケットに仕舞う。きっと電話相手は、文部科学大臣に違いない。
「お前は、俺の胃に穴を開けてぇのか」
「だ、だめ?」
上目遣いに刀樹を見上げ、目をウルウルさせる。流石に深雪も、分類上は美少女なので中々に破壊力がある。だが、あくまで分類上だ。性格と行動を考えると+-ゼロになる。
「だめだ、絶対だめだ。お前一人の都合で祝日が一つ増えちゃ敵わねぇ……」
疲れた表情で、溜息を吐く。
こうして、一人の少年によって、この国に祝日が増える事は阻止された。
そんな事で、年に一回何の意味のなく注目されたくない。痛いバカップルだと世界中に思われかねない。いや、考えてみれば付き合っているわけでもないはずだが。
「……まぁ、ほどほどにしておけ。これ以上、この学園が変な意味で認知されるのは勘弁願いたいね」
「私と刀樹の愛の巣としてかな?」
「死ぬか?」
と、笑顔で、深雪の肩に手を置く。
「痛い、痛い! じょ、冗談よ、ウィットに富んだジョークよジョーク」
キルヒアイゼンの背中に退避した深雪は、顔だけ突き出し非難の声を上げる。
端から見ていると、深雪とキルヒアイゼンのほうが仲良さげに見えなくもない。典型的な欧米人の例に漏れず、背か高く、顔の彫りもこの国の人間に比べて深い。日本人離れした容姿の深雪と釣り合っている。
「先輩と深雪が付き合ったらどうかな」
いやいや、嫉妬している訳じゃないぞ。
「おいおい、俺にとんでもないものを押し付けるな。コレはお前さんの守備範囲だろ」
と、言って、深雪の首根っこを掴んで、刀樹に押し付ける。
「先輩もけっこうひでェな」
「まぁ、そう言うな。俺は事務以外で胃に穴を開けたくない」
と、男二人で全くだ と頷き合う。
「むぅ、二人とも意地悪だよ」
恐ろしい言葉を口にしそうな雰囲気を察したのか、キルヒアイゼンが先手を打つ。
「そう言えば、最近この学園の周囲の陸軍基地が騒がしいようだが、何か知っているか?」
「知らないよ! どうせ、演習でしょ!」
「右に同じくだ」
プリプリ怒っている深雪をなだめつつ、キルヒアイゼンの言葉について考える。
陸軍の演習だろうか? そんな報告は聞いていないな……。
刀樹の胸に漠然とした不安が駆け巡る。
その様子を見て取ったのか、キルヒアイゼンが刀樹の肩を叩く。
「お前さんが気にする事じゃないさ。陸軍の秘密主義は今に始まったことじゃなかろう」
「ああ、まぁ……」
本当に演習なのか? うまく表現出来ないが、例えようのないドロドロとした粘着質のある悪意のようなものを感じた気がした。
「何よぅ、二人とも、暗いよっ。まさか、陸軍が喧嘩(戦争)売ってくるとでも言いたいの? もし戦闘になっても、この学園の最新兵器に勝てるわけないもんね」
「さすがに、そうはならんだろうが……」
キルヒアイゼンも釈然としないまま頷く。
そう、この学園の兵器は、大日本皇国連邦陸軍より新型なのだ。そして、学園二百八十万という人数は、近江学園がある近畿圏の陸軍部隊の総員より多い。戦闘になっても、どちらが優勢か分かりきっている。
「そうだよ先輩。そう簡単に近江学園は負けねぇよ」
「おいおい、先制攻撃だけはしてくれるなよ」
「も、もちろんだよっ! そ、そんな武士道に反する行為はしないもんっ!」
ヤル気だよ、この生徒会長様は……。
「これ以上、俺の仕事を増やさないでくれよ深雪」
「なによ、刀樹! 私が面倒を起こしているみたいに聞こえるわ!」
「文化祭のリハーサルをするわ! なんて言って学園中を絶賛大混乱にしている奴のセリフじゃねぇな。頭のお医者さんに行くか?」
「私は極めて正常よ!」
「だから……その状態が正常だと思っているから異常なンだよ」
我等が気まぐれの女神は、今日も絶好調だった。
文化祭の準備で賑わう中央駅前の大通りを歩いていると、後ろから声を掛けられた。
「トウキ、どこにいたの。フィアンセを放置して行方不明になるなんてどう言うつもり?」
西洋人形のようなナリをした銀髪少女が、刀樹の前に立ちはだかる。
いわずと知れたリーゼロッテさんだ。
この女、天下の往来でなんて事を言うンデスカっ! 深雪に聞かれたら、またとんでもない事になる。俺の回りにいるオンナどもは、どうしても俺の胃を穴だらけにしたいらしいな。
「ねぇ、何か他にいう事はないかしら?」
クルリとその場で一回転する。
「目が充血してンぞ。昨日、遅くまでゲームしてたンだろ。最近のオンラインゲームは侮れねェからな……」
「目は元々よ! しかも、オンラインゲームはしてないわ!」
ゲームをしてたことは否定しないのか。目が赤いと、充血してるか分からないから便利だな……。いやいや、もしかして常時、寝不足だから赤いのか?
謎が謎を呼ぶオンナ、それがリーゼロッテだった。
「制服よ、制服! 似合ってるでしょ?」
リーゼは、近江学園都市の制服を着ていた。
深雪の金の刺繍が付いた制服と違い、一般生徒用の普通の制服だ。違うとすれば、肩についている8・8サンチ対空砲の砲身がクロスした上にスワスチカ(鍵 十字)のロゴが入っている徽章くらいのものだ。それも、きっとリューゲン学園都市ものだろう。全く持って普通の制服姿だ。
リーゼの事だから、歌合戦の最後に歌う女歌手が着る全幅40メートルくらいの服でもおかしくない、と思っていただけに拍子抜けだった。
「いいんじゃねぇか」
「……・・・・それだけ?」
「あ~、似合う似合う」
「なによ、その、もう面倒くさい女だな みたいな扱いは! もっと、綺麗だねお持ち帰りしたいよリーゼ とか言って肩を抱き寄せて……きゃっ、ちょっと!」
リーゼが軽く悲鳴を上げる。
別に妄想をしていて訳ではなく、刀樹が手を伸ばしたからだ。
「お前も、面倒くねぇヤツだな……」
溜息を付きながらリーぜの肩を抱き寄せる。
なんか最近、深雪を相手にしているせいでワガママな女性の扱い方に慣れてきた気がするな。俺ってもしかし女たらし?
気が重くなる刀樹だった。
「な、なによ急に優しくなって」
「なんだよ不満か? なら、やめるぞ?」
「う、うるさいわね。黙って歩きなさい……」
刀樹は、リーゼの肩を抱き、無言で大通りを歩いてゆく。
リーゼは、遠くから見ても直ぐ分かるほどの美貌と気品を備えているので、肩を抱いている刀樹も内心、穏やかではない。特に深雪直属の近衛連隊の人間にでも見られれば、またまた面倒くさい事になるのは確実だ。
「私は……」
「ん?」
体重を預けてくるリーゼの感触にドキドキしつつも、顔がニヤけないように気難しい表情を取る。深雪がベタベタ引っ付いてくるので女性には慣れているつもりだったが、深雪とは全く違うその香りに、思わず理性が成層圏まで飛んでいきそうになる。
いやいや、落ち着け俺。コイツは貴族で生徒会長でウサギ目なんだぞ! いや、最後の関係ないけど! なんか手を出すと放射能マークの付いたミサイルが飛んでくるからっ!
理性と本能が激しい攻防戦を展開している刀樹に気付かず、リーゼは言葉を続ける。
「貴方の事が好きよ……。この国なら十五歳から成人なんでしょ? なら結婚もできるわ」
ナニイッテルンデスカ? この女出会って一日しか経ってないのに、いきなり話をとんでもない方向に持って行きやがった。俺の意思関係なしかよ……。
根本的な部位ではリーゼもやっぱり深雪と変わらんな と呆れる。
「何で俺なんだよ。俺より、いい顔した男なんて学園中にいるぞ?」
リーゼは、その言葉を聞いて優しく微笑む。
意外だった。貴族ならオホホホホッ! みたいな笑い声を上げると思っていたのだが、予想とは裏腹に儚げな微笑を向けてくる。
ああ、クソっ! そんな笑顔見せられたら何もいえなくなるじゃねぇか。
文句の一つでも言ってやろうと思っていたのだが、何も言えなくなってしまった。
「私はね、いつもいつも、貴族だからと言う理由で、他人には一歩引かれていたわ。敬われて、傅かれて、それなのに距離を取られて」
頭を刀樹の肩に傾けながら、リーゼは言葉を続ける。
貴族、そう言えば貴族だったなコイツ。
そう、欧州国家社会主義連合(EFU)の盟主である独逸第三帝国の貴族なのだ。それも欧州三大貴族のヴェルテンベルク家出身だ。
即、国際問題だから。しかも、リーゼが貴族だなんて知らなかったんだぞ。知ってたら俺だってあんな態度は取らなかったよ。
絶対、本人には言わないが。
「あなたは、私の事をそんな眼で見ない。普通に接してくれる、だがら」
刀樹の腕を強く握り締め、リーゼはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「私の夫になりなさいっ!」
「結局そこに行き着くンかよ……」
前振り長すぎるんだよ、このお嬢さんは……しかも、なんちゅう事を叫ぶんだ。こんな人の多いところで。
周囲を歩いている学生達の目線が痛い。
確かに大日本皇国連邦では十五歳から成人として認められる。酒や煙草は二十歳からだが、婚姻は十五歳からでも可能だ。古から続く伝統でもあるが、それは有事の際に未成年を戦場に立たせるのは体裁が悪いと考えたからであって、決して善意からと言うわけではない。
「俺なんか、まだ正式な傭兵ですらないンだぞ。女一人どうやって生活させるンだよ」
「私が養うわ!」
俺にヒモになれと言う気か、このアマ。女の敵ですヨ、鬼畜ですヨ。
男として、俺は何を期待されているのか全く分からん。ペット感覚でドイツまで引っ張っていかれちゃ敵わん。そんな事を、心の中で密かに思う。
確かにドイツの大貴族であるリーゼといい、大軍閥の指導者の一人娘である深雪といい、周りには権力や財力、もしくは軍事力を持った少女ばかりだ。それに 対して、刀樹は、1年も前には国籍すら持っていなかった少年傭兵だ。あまり話したくないことなので、刀樹はその事を周囲に放さない。この学園で詳しく知っ ているのは、昔、面識のあった学園長と深雪だけだ。
どうして俺なんかが……という思いが刀樹の中にはあるのだ。
それは妬みかもしれないし、僻みかもしれない。そして恨みかもしれない。
《死者》というものは《生者》が妬ましくて堪らないのだ。
自分の持っていないものを他者が持っている。他者が自分より優れている。他者が自分より強い。そして他者が自分から奪ってゆこうとする。
理由など無数にある。それこそ星の数ほどだ。
そして、その理由からは、例え物語の主人公であっても逃れられない。人は皆、心に闇を抱えているのだ。そして、刀樹にも当然ある。
「俺は、アンタらが思っているような人間じゃねェよ」
「貴方は自分が思っている以上に素晴らしい人よ。そんな事は……」
刀樹の腕を抱えたまま、リーゼが否定しようとする。
だか、それを無視して続ける。
「なら……それならば何故、アンタと俺はここまで違うンだ?」
その雰囲気にリーゼは、息を呑む。
恨み、僻み、妬み……様々な負の感情を刀樹に見たからだ。
「気が付けば戦場にいた俺には分からねェ。俺は傭兵だった。戦場で生き残るために人間をやめた。《死者》になったンだよ」
違う……この男は人間じゃない。
そう本能的に感じたのだろう。刀樹の腕から離れる。以上なまでの負の感情を放つ刀樹は、リーゼがいた世界には存在すらしなかった。ある意味では、刀樹の事を人間ではないと思うのも無理はない。
「生まれなのか? 国なのか? それとも時代か? 世界なのか?」
「分からないわ。貴方の言っている事が分からない。いったい……」
「分からなくて当然だ。リーゼはそれでいい。そんな事はクソ食らえだ」
二人は1mの距離もない。しかし、立っている場所は全く違う。実際、前にいても立場は全く違うのだ。
そう《死者》と《生者》なのだ。
「同じ立場に立てないのなら、せめて触れてくれるな」
感情のない目でリーゼを見つめる。
「……世の中には、そんな人間もいるという事を覚えておくんだな」
世の中、善人だけではない。当然、悪人だって存在する。普通では想像できないような事を平気でする人間だって無数にいる。いや、むしろそのような人間のほうが圧倒的に多い。善人とは、圧倒的多数の悪人の屍の上に成り立っているのだ。だから《死者》は《生者》は妬む。
「刀樹は、そんな人じゃ……」
「オマエに俺の何が分かる!」
力の限りに叫ぶ。
周囲の視線を気にも留めず、言葉を続ける。
「ああ、お前には分からんだろうな! 地面這いずり回って必死に生きるヤツの気持ちなんて……いや、リーゼのせいじゃないンだよな。すまん、言いすぎた」
「私こそ……何も知らないのにトウキの心に土足で踏み込むような真似をして……」
「そんな事はねェよ。ああ、くそっ……俺は帰って寝る」
リーゼには、歩き出した刀樹の背中が、どことなく小さく見えた。